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2018年6月 4日 (月)

法律時報に登場

 法律時報の最新号に私の論文が掲載されています。この雑誌に論文を書いたのは,たぶん初めてだと思います。学会展望や座談会や巻頭言に出ただけではないでしょうか(そもそも日本評論社とはあまり縁がありません)。今回は野川先生と土田先生が企画ということでしたので,私に声がかかったのでしょう。ただ,実際に私が書いた論文は,期待されていたような内容ではなかったのだろうと思います。労働契約の締結強制の問題は,すでに菅野和夫先生の古希記念の論文集に書いたものがあるので,同じようなものを書く気にはなれませんでした。
 労働契約法18条・19条,労働者派遣法40条の6のような労働契約締結強制規定を批判的に検討する場合,何か新たな方法論的アプローチはないかということを,私なりに考えてみました。論文のタイトルに「覚え書き」と書いているのは謙遜でも何でもなくて,ほんとうにまだプリミティブな思考の段階にすぎないことを示したものです。

 使用者の経済的自由を制限する法律について,憲法では二重の基準論により,精神的自由を規制する場合には厳格な違憲審査が適用されますが,経済的自由の規制となると,とたんに緊張感(?)がなくなります。憲法上問題はなくても,憲法が経済的自由の立法裁量を認めている根拠となる立法の専門性と民主的プロセス論は,もう少し抉ってみてもよいのではないか,というのが私の問題意識でした。とくに民主主義と専門性をどう両立させるのかが私の関心事です。議院内閣制の下での政治主導と行政主導は,前者に分がありそうですが,これに専門性を加味すると政治家よりはエリート官僚のほうが上というのが,これまでの常識でしょう。しかし,現時点でもほんとうにそうでしょうか。行政のほうの専門性に懸念がでてくれば,やはり政治主導でよいことになりそうです。いずれにせよ大事なのは,どうすれば良い政策を作れるかであり,その作業をするためには政策の良さ(妥当性)の評価基準を明確にする必要があります。このような問題意識をもってみたとき,現在,労政審という仕組みも含め,労働政策形成のあり方を根本的に問い直す必要があるのではないか。これが本論文の根底にあるモチーフです。民主主義やコーポラティズムの限界が見え始めたときに,次の手法は何でしょうか。これもまた機会があれば,エッセイから始めて,世に問うことができればと考えています。
 

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