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2018年6月

2018年6月22日 (金)

名人戦が終わり,次の興味は王座戦

 名人戦は佐藤天彦名人が4勝2敗で,羽生善治竜王をやぶって防衛しました。名人は他の棋戦では決して調子はよくないのですが,この名人戦に調子を合わせていたのでしょうか。定跡にとらわれない指し回しで見事に難敵をやぶりました。2年前に名人を奪取した相手を返り討ちにしたので価値が高い防衛です。これで名人3期目に入りました。第20代の永世名人まであと2期です。
 藤井聡太七段は,相変わらず強いです。今日は王座戦挑戦者決定トーナメントで,羽生竜王をやぶって勝ち上がってきた深浦康市九段との対局でした。過去の対戦成績は,藤井七段の1敗です。結果は,藤井七段がみごとにリベンジを果たしました。最後は,相手に必死をかけられましたが,見事に詰ましてしまいました。プロでもすぐにわからないような難解な詰み筋だったようですが,詰め将棋の名手である藤井七段は早々に読み切っていたようです。A級棋士である深浦九段は,粘りが身上と言われていますが,粘る余地を与えなかった見事な勝ちっぷりです。これでベスト4進出です。次は,今日,久保利明王将に勝った斉藤慎太郎七段との対局となります。ベスト4の残る二人は,渡辺明棋王と永瀬拓矢七段です。中村太地王座への挑戦権争いはこの4人に絞られました。藤井七段の初タイトルの可能性が高まってきましたが,残りの3人も渡辺棋王は言うまでもなく,永瀬七段,斉藤七段ともにタイトル戦に出た経験がある実力者だけに,そのなかで藤井七段がどのような戦いができるか楽しみです。

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2018年6月19日 (火)

最高裁の嬉しい誤算?

 今朝の日本経済新聞の経済教室で東京大学の水町勇一郎さんによる最高裁判所の二判決の紹介がされていました。
 そのなかで,ハマキョウレックス事件について,「ここで注目されるべき点は二審判決が住宅手当の相違の一つの論拠としていた,正社員を厚遇することで有能な人材を確保し長期勤続のインセンティブ(誘因)とするという『有為人材確保』論を,最高裁が採らなかったことだ」とし,これに続いて,「有為人材確保論に対しては学説の批判が多く,働き方改革の『同一労働同一賃金ガイドライン案』でも『将来の役割期待が異なる(中略)という主観的・抽象的説明』では足りないとされている。今後は有為人材確保という抽象的な理由だけで正社員を優遇することは難しくなるだろう」と指摘しています。 
 確かに同事件の二審判決は,「長期雇用関係を前提とした配置転換のある正社員への住宅費用の援助及び福利厚生を手厚くすることによって,有能な人材の獲得・定着を図るという目的自体は,1審被告の経営ないし人事労務上の判断として相応の合理性を有するものと理解することができる」と述べていました。
 最高裁は,これに対して,「この住宅手当は,従業員の住宅に要する費用を補助する趣旨で支給されるものと解されるところ,契約社員については就業場所の変更が予定されていないのに対し,正社員については,転居を伴う配転が予定されているため,契約社員
と比較して住宅に要する費用が多額となり得る。したがって,正社員に対して上記の住宅手当を支給する一方で,契約社員に対してこれを支給しないという労働条件の相違は,不合理であると評価することができるものとはいえないから,労働契約法20条にいう不合理と認められるものに当たらないと解するのが相当である」と述べました。
 最高裁が「有為人材確保」論を採らなかったのは事実です(ただ,正面から否定もしていません)が,そもそも,この程度の判断で不合理でないとしたことに,いささか驚きがあります。最高裁は転勤がないという人材活用の範囲の違いをストレートに不合理性否定の判断に結びつけた感がありますが,JILPTの山本陽大研究員が,高裁判決の評釈(労働判例1148号)で指摘しているように,これは転勤の実態をみたうえで判断すべきだともいえるのです
 実は,最高裁判決は,皆勤手当については,実態に着目した判断をして,不合理性を肯定しているのです。
 すなわち,二審判決は,皆勤した契約社員には,昇給や時間給の増額があり得るので,皆勤手当の不支給は不合理でないとしていましたが,最高裁は,逆に,本件では契約社員は昇給しないことが原則であるうえ,皆勤の事実を考慮して昇給が行われたとの事情もないということなどに言及して,不合理性を肯定したのです。
 さらに長澤運輸事件でも,同様の精勤手当について,精勤した事実があれば嘱託乗務員にも支払われるべきとして,格差の不合理性を否定した2審判決を覆して,不合理性を肯定しています。
 個人的には,将来への期待の違いを賃金に反映させることがなぜ悪いのか,有為人材を確保するための賃金設計がなぜダメなのか,という根本的なところに疑問もあります。こうしたところは経営者の裁量や労使自治でやればよく,裁判所が介入して決めるようなことではないと思っています。
 とはいえ,民主党政権時代に制定された労働契約法20条には,多くの期待が(過剰に)盛り込まれており,それを反映した施行通達(行政解釈)が早々に出され,同条を維持発展させる法改正も直前に控え,最高裁は,最初から自由な解釈を展開する道を封じられていて,がんじがらめの状況だったともいえます。長澤運輸事件のほうは,定年後の再雇用労働者の労働条件の格差の合理性をほぼ肯定していますが,こうしたケースについては施行通達も合理性を認める解釈を示していました。ただ最高裁が,精勤手当の不合理性を認めたのは,自由にはばたけない法解釈の世界ではなく,制度のザッハリッヒ(sachlich)な解釈の世界で,なんとか存在感を示したというところでしょうか。ハマキョウレックス事件の住宅手当の不合理性の否定も,逆の方向での,最高裁なりのザッハリッヒな解釈による存在感の示し方だったのかもしれません。 
  今回,新法の公定解釈的なものは,法改正の推進者であった水町さん自身が,すでに法改正の前に発表しており(『「同一労働同一賃金」のすべて』(有斐閣)),そして今回の最高裁判決は,その水町さんからもよくやったと褒めてもらったということでしょう。ハマキョウレックス事件の住宅手当は不合理でないとしたので,叱られるかと思っていたら,有為人材確保論を採用しなかったとして望外のお褒めの言葉をもらえたのは,最高裁の嬉しい誤算でしょうか。 

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2018年6月18日 (月)

地震対策

 日本は地震国だとわかっていながら,対策がどれだけできているでしょうか。自然災害は運命だということで,防災対策が後手になっていないかが気になりますね。
 今朝の地震は自宅で経験しました。私は幸い,強い揺れを感じたくらいで,被害は何もなかったですが,テレビをつけると,大阪の北部のほうは大変なことになっていて驚きました。高槻や茨木のほうは特に被害が大きかったようです。
 テレビではブロック塀の下敷きになって女児や高齢者が亡くなったという痛ましい話が報道されていました。ブロック塀の危険性はつとに指摘されていましたが,子供が歩くところにそんな危険がひそんでいるとは,気の毒でなりません。さらに言うと,電柱などもとても危険です。今回は電柱の被害はなかったようですが,電柱が倒れるとどうなるか。感電の危険もありましょうし,早く電柱の地中化を進めて欲しいものです。
 今回は有馬・高槻断層が動いたということですが,大阪には上町断層という,専門家がずっと前から危険と指摘している断層もあります。前にテレビ上町断層が動いたときのシミュレーションの画像をみたことがありますが,大阪は非常に危険なところであることを知っておく必要があります。南海トラフ地震が来ると神戸も影響が及ぶことは必至です。
 今日の大学の授業は休講でしたが,職員の人は来ておられたようです。テレビをみていると,多くの人が通勤に苦労したようですし,帰りは帰宅難民となっています。地震のときに無理して通勤して,余震があったりすると被害がいっそう広がる可能性があります。家族のことも心配でしょう。地震があったら無理せず,できるだけ家にいれるようにすることが必要ではないでしょうか。そんなことを言っても仕事をしないわけにはいかないという反論が来そうですが,だからこそテレワークなのです。日本のような地震国において,地震が避けられず,その予知もできない以上,地震があったときにどうするかをもっと真剣に考えておく必要があります。生命の安全確保は何より大切ですが,そのあとに出てくる経済活動の継続ということまで考えると,やはりテレワークの体制を整えておくことが非常に重要だと思います。大学でも,講義も含めて,通勤や通学をしないで教育サービスを提供したり受けたりする体制を整備してもらいたいものです(そうなると現在のような大学の形でなくてよいかもしれませんが)。

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2018年6月13日 (水)

解雇の金銭救済制度の検討会

 厚生労働省で,「解雇無効時の金銭救済制度に係る法技術的論点に関する検討会」が立ち上げられたようです。解雇の金銭解決制度の迷走は大変なことになりましたね。前の報告書では,やたらと細かい法技術的な議論をしていたので,労使から法律家でやってくれということになったのでしょう。しかし,そもそもその会議での課題設定は,不当な解雇は無効で,そのときに労働者側から金銭解決の請求をする制度をどうするか,という限定されたものでした。その枠内での解決を目指すものであり,これでは正直なところ,あまり意味のある議論ができません。
 こんなことに優秀な研究者を集めてその時間を奪ってしまっていいのでしょうか。課題設定に根本的な誤りがあるのです。これは昨年秋に厚生労働省の役人が話を聞きに来たときにも説明しましたが,これはもう役人にはどうしようもないことなのかもしれません。おかしい場合には,引き返して,出直すことが必要ですが,それができないのが政策形成の問題ですね。
  日本経済の将来にとって必要な解雇ルールとは何か。それは不当な解雇を無効としながら,労働者から金銭解決を請求できるようにすることにあるのでしょうか。もちろん解雇が無効な場合に,労働者から金銭救済を求めることができるようにすることに異論はありません。でも,それは解雇ルール全体からみると周辺的な問題です。その周辺的な問題のために法技術的な論点を詰めるための人的資源を投入するのは,どう考えてもおかしいです。
 経済的解雇や能力不足解雇などの場合に,不当とされれば無効となるという制度は妥当なのでしょうか。そもそも不当な解雇とは何なのか。解雇を抑止するために必要なのは,解雇を無効とすることなのか,ということを検討するこそ重要なのです。それは解雇規制とは何かという問題と関係し,そこで私たちが出した結論は,金銭解決しかないということです。『解雇規制を問い直す-金銭解決の制度設計』(有斐閣)で問題提起しているのですが,ほとんど反応がありません。今回の検討会には執筆者の一人の明治大学の小西康之さんも入っていますが,彼のアイデアは壮大ですので,法技術的な検討という細かい論点ではなく,より大きな法制度設計のところで活用してもらいたいのですが(小西さんには,余計なことを言わないようにと叱られるかもしれませんが)。

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2018年6月 9日 (土)

弥永真生・宍戸常寿編『ロボット・AIと法』

 弥永真生・宍戸常寿編『ロボット・AIと法』(有斐閣)を編者の宍戸さんと著者の一人の工藤郁子さんからいただきました。御礼が遅くなり申し訳ありません。総務省の会議でよくお見かけするメンバーが数多く執筆しています。
 きちんと読んでから紹介しようと思っていましたが,ちょうど来週から他学部向けの法学の授業が始まり,AIのこともやろうと思っていたので,授業の前に勉強をしようと考え,読んでみました。たいへん面白かったです。私自身が関心をもっているからかもしれませんが,これからの法学は,ロボティクスやAI抜きで語ることは不可能だと思います。まだ「AI系法学者(?)」は一部だと思いますが,これからの法学の議論でロボットやAIに言及しないのは,ありえないことではないかと思っています。そういうなか,本書は,実に適切でタイムリーな入門書だと思いました。以下,簡単な感想です。
 まずAI時代と法について,てっとり早く情報を得たい人は,宍戸さんのChapter1「ロボット・AIと法をめぐる動き」を読めば,それで十分です。総論として必要な情報がすべて入っていると言っても過言ではありません。工藤さんのChapter2「ロボット・AIと法政策の国際動向」と合わせてよめば,いまロボット・AIについて,どのような法的な課題があるのかが,よくわかります。
 Chapter3以降は,各論となります。気になった点をピックアップしたいと思います。一つは,新派刑法学への言及です。Chapter3の「ロボット・AIと自己決定する個人」(大屋雄裕)は,ロボット・AIの登場で,近代の法システムが前提としていた「意思-行為-責任」という連関が揺らいでいるとし,新たな選択肢として純粋結果責任の可能性を提示しています(大屋さん自身,積極的にこれを支持しているかどうかは不明ですが)。大屋さんの『自由か,さもなくば幸福か?』(筑摩書房)でも論じられているテーマですが,自由やプライバシーのない「ハイパー・パノプティコン」社会では,純粋結果責任を基礎とする新派刑法学に基づく刑事政策がとられ,あらゆる危険が未然に徹底的に防止される「幸福な社会」が到来するのでしょうか。その問いかけは重く深いものだと思います。
 新派刑法学については,Chapter10の「AIと刑事司法」(笹倉宏紀)でも言及されています。笹倉さんは,AIによる相当な制度の予測が可能となったときに,それでも旧派理論や保安処分反対論を維持するためには,相応の理論武装を要することになる(250頁)と述べています。
 ところで,笹倉さんは,「AIによる裁判」の可能性についても検討しており,事実認定などではある程度AIは実用性があることを指摘しています。おそらく部分的にはAIを活用できるところもあるし,そうでないところもあるのでしょう。AIは「分析的視点」はもてても,「総合的視点」は人間にもてないのかもしれません。ただ「総合的視点」とは,いったい何なのかです。「総合的」という言語化できない領域において,実は人間ならではの偏見や非合理性が混入していないかが気になります。職人の「匠の技」にもデジタル化が進んでいます。裁判官の「巧みの技」だけ,例外であるとは言えないかもしれません。
 法律家がAIとロボットを論じるときの典型論点の一つが,責任論です。本書では,Chapter6の「AIと契約」(木村真生子)で契約責任が論じられています。木村さんは,基本的には人間に責任を負わせる議論を展開されています。私は,個人的には,AIに法人格を付与する議論は出てこないものかと思っているのですが。刑事責任については,Chapter9で「ロボット・AIと刑事責任」(深町晋也)のなかで,レベル4(高度運転自動化)以上の自動運転の刑事責任について検討されています。そこではAIの犯罪に対して,AIに国家が法的非難を伝達することにどれだけの意味があるのか,刑罰を与えなくてもAIに不利益処分が可能ではないかと指摘し,「AIが真の意味での我々の社会の対等なメンバーであるとの認識が共有されない限り,AIに独自の刑事責任を問うという方向性は,否定されるべきと言える」と述べています(220頁)。
 同じ自動運転について,民事責任に関しては,Chaper7で後藤元さんの「自動運転車と民事責任」が解釈論および立法論上の問題を検討しています。私は,個人的には,自動運転は,交通事故をいまよりはるかに減少させることができ,国家の富を増大させる効果があるという点で,まさに公益性が高いものなので,国庫(税金)だけで運用する補償システム(ノーフォルト保険の一種)を考えるべきではないかと思うのですが,筋は悪いのでしょうかね。また,責任論だけでなく,行政的な規制の可能性も重要です。本書では,Chapter5「ロボット・AIの行政規制」(横田明美)という章もあります。
 Chapter8の弥永さん執筆の「ロボットによる手術と法的責任」では,誰もが思い浮かぶ「ダ・ヴィンチ」などのロボット手術について,これをめぐる法的問題について包括的に論じています。個人的に興味をもったのは,「インフォームド・コンセント」のところです。企業によるデータ利用などとの関係でも問題となる「個人の同意」のありかたは,古くて新しい論点ではありますが,とくに技術の発達にともない,その面についての情報量が圧倒的に少ない一般市民にとって,この問題は重要となってきています。「ダ・ヴィンチ」的ロボットを使った手術を受けることの同意(あるいは医師が使わないとしたときの,そのことへの同意)や「危険の引受け」をともなう同意の有効要件をどう考えるかは,実務にも重要な課題でしょう(AIロボットによる情報提供・説明でよいというわけにはいかないでしょうね)。
 本書のなかで労働法と最も近いのがChapter4の「ロボット・AIは人間の尊厳を奪うか?」(山本龍彦)かもしれません。山本さんは日経新聞の経済教室などでも書かれていて,積極的に発言されています。そのエッセンスは,AIネットワーク化の進展が憲法の設けた「天井」を超えて行くことの警告であり,とくにプライバシー権の行使を実質的に可能とするための制度的環境の整備の重要性を指摘されています。総論的にはまったく異論はないですし,これをおそらく労働問題であてはめると,会社がもつ個人のデータに基づく予測評価の危険性(データの不確実性,誤ったプロファイリングなど)などへの配慮が必要であるという話になるのだと思います。もっとも労働関係においては,AIによる自動的処理のほうが,人事部による評価よりも危険かというと,そうとはならないような気もします。欧州では,労働関係でも,先月発効されたGDPRのような個人の権利保護というアプローチがとられるでしょうし,日本もそれを参考にすべきものでしょうが,ただ現時点でより大切なのは,労働市場の流動化を高め,納得できない評価をする会社から退職するというオプションを現実的なものにする政策かなと思っています。もちろん個人のネガティブな評価が企業に共有されてどこにいっても採用されないことになっては社会的排除という人権問題となるので,現代版のブラックリスト禁止(労働基準法22条4項)のような対策は必要でしょうが。
 このほか第11章の「ロボット・AIと知的財産権」(福井健策)は,AIと法的問題となると必ず出てくる知的財産権の問題を扱うものです。いろんな論点がありますが,個人的には,将来において,AIが創作した著作物をAI自身が権利をもつ可能性がないのか(前述の法人格の問題とも関係しますが)が気になります。まあ荒唐無稽な議論なのでしょうね(これが認められれば,AIのエージェントをするビジネスが出てくるかもしれませんね。AIが人間に代理権を付与することができるか,という問題も出てくるでしょうが)。
 最後の第12章の「ロボット兵器と国際法」(岩本誠吾)は,内容は難しかったですが,「LAWs」という言葉が出てきて,ちょっと反応してしまいました。さすがに「法律」とは関係なく,「Lethal Autonomous Weapon Systems」(致死性自律兵器システム)の略語でした。
 入門書と書きましたが,すでにある程度の知識がなければ,この本の面白さは味わえないでしょう。また何か具体的な結論が提示されているわけではなく,問題提起型の本です。だから安易に結論を求めたい人には向いていませんが,これからの法学の行く末をしっかり考えたいという人には,ぜひ手に取ってもらいたい本です。

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2018年6月 7日 (木)

進化する藤井将棋

 藤井聡太七段は,今年も竜王戦の決勝トーナメントに進出することになりました。新人が2年連続で竜王戦の決勝トーナメントに進出するのは大変な快挙ですが,もう誰も驚きません。それにしても,昨日の竜王戦5組ランキング戦の決勝での石田直裕六段との対局における藤井将棋の勝ちっぷりは,プロもうならせたようです。といっても,圧勝したという将棋ではありません。途中まではほぼ五角か,ちょっと藤井劣勢という将棋でした。将棋の内容は,先手の石田六段が積極的に攻め,71手目で飛車と金の両取りの銀を打ったところでは,藤井玉は挟撃体制に追い込まれ,石田優勢かというところでもありました。藤井七段は,飛車のほうを逃げるのですが,8六飛と逃げたところで,8七歩と打たれ,今度は7六飛と逃げましたが,7七歩と打たれてしまいました。ここで飛車を逃げると,両取りに打った銀で金を取られてしまい,藤井玉は窮地に陥ります。もちろんまだ粘れるのですが,ここで藤井七段は飛車を逃げずに,なんと七歩と成り込んで飛車を捨てたのです(一番強い飛車と一番弱い歩の交換)。おそくらプロの誰も読まなかったであろう手です。飛車を捨てて相手に与えたことにより,当然,藤井玉は絶対的な窮地に陥ります。しかし,まだ辛うじて一手の余裕があり,そのため桂馬を8五に跳んで,竜をとった金にあて,金が7六に逃げたところで,どうなるかでした。AbemaTVでは,屋敷九段と及川六段が検討していましたが,5八にいると金を寄って詰めろをかけるという手が検討されていました。藤井玉は危ないですが,金や銀を与えなければまだ一手の余裕を維持できました。そして金や銀を与えずに安全に勝つ方法はあったのです。しかし藤井将棋は,そこで最短だが,わずかでも間違えればおしまいという危険な手を選びました。相手に銀を渡しながらも,反撃の機会を与えずに勝ちきってしまったのです。正確な読みに裏付けされ,危険を恐れない勇気があるという点では,まさにコンピュータのような将棋です。プロが集まっても思い浮かばないような手で勝つのは尋常ではありません。私のように素人ファンの多くは,プロのねちっこい将棋はわかりにくいので,果敢な攻め将棋に魅力を感じます。谷川浩司九段が人気があるのは,そういう将棋を指してきたからです。まさに魅せる将棋です。藤井将棋にも,そうした魅力があります。藤井将棋に触発されたのでしょうか,最近では羽生竜王も果敢な攻め将棋になっていますね。プロの将棋を流れが変わりつつあるのかもしれません。それにしても,藤井七段は,ほんとうに竜王を奪取してしまうのではないかという勢いです。
 王位戦は,挑戦者決定戦で,前期にタイトルを奪われた羽生善治竜王がリーグ戦をトップで通過してリベンジの機会をねらいましたが,豊島将之八段に敗れました。これはちょっと辛いですね。いくらリーグ戦で勝っていても,ここで負けてしまえば,どうしようもありません。これで菅井竜也王位と豊島八段という関西勢どうしのフレッシュなタイトル戦となることが決まりました。
 羽生竜王と豊島八段は,その2日後に今度は棋聖戦のタイトル戦で激突しました。この将棋も,豊島八段が再び羽生棋聖(竜王)に勝ち,先勝しました。棋聖戦は羽生棋聖に若手が挑戦するというのが続いていて,豊島八段も3年前に登場して羽生棋聖に敗れていました。豊島八段の充実ぶりからすると,今年は王位,棋王のダブルタイトルをとって,一気に無冠の帝王から脱却するかもしれません。

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2018年6月 5日 (火)

フリーランスの地位向上のために必要なこと

 

小酒部さやかさんのYahooニュースの記事のなかに,登場しました。フリーランスと母性保護というテーマですが,私自身は,フリーランスに対する法整備といういつもの観点を中心にインタビューに答えました。もちろん,個人事業者と母性保護は興味深いテーマであり,それにもふれています。この議論で参照すべきものとしては自営業者の男女平等待遇に関するEU指令2010/41があり,EUではより広く「social protection」という観点から疾病の場合の補償などと合わせて,この問題に取り組まれています。
 今回のインタビューでは,理論的なことと同時に,実践的なことも述べています。たんに雇用労働者との格差是正を求めて運動するだけでは支持が広がないということです。フランスの著名な労働法学者であるAlan Supiotの議論(早稲田大学の島田陽一先生らが紹介されています)にもあったように,今後は国民すべてのリスクに対応した保障,働く人すべて(自営,雇用を問わない)に共通するリスクに対応した保障,雇用労働者に固有のリスクに対応した保障などに分けて議論をしていく必要があります。個人事業者と雇用労働者との格差を問題とするのなら,働く人すべてに共通するリスクであるにもかかわらず,雇用労働者にしか保障がされていないのはおかしいという論法をとるほうがよく,そうなると説得力が高まると思います。母性保護問題が,たんなる女性問題というようにみられてしまえば,それは女性運動という点からは重要なことかもしれませんが,フリーランス全般の地位向上という視点からみると逆効果になりかねません。だから,きちんとした理論武装が必要なのです。
 いずれにせよ,研究者の立場からは,どのリスクが,働く人すべてに共通するリスクかをしっかり分析・検討していくことが,大切な作業だと考えています。
 9月初めに東京で弁護士会主催のシンポジウムで講演をする予定ですので,この問題についてさらに勉強して理論的な強化をしたうえで,政策提言をできればと考えています。
 

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2018年6月 4日 (月)

法律時報に登場

 法律時報の最新号に私の論文が掲載されています。この雑誌に論文を書いたのは,たぶん初めてだと思います。学会展望や座談会や巻頭言に出ただけではないでしょうか(そもそも日本評論社とはあまり縁がありません)。今回は野川先生と土田先生が企画ということでしたので,私に声がかかったのでしょう。ただ,実際に私が書いた論文は,期待されていたような内容ではなかったのだろうと思います。労働契約の締結強制の問題は,すでに菅野和夫先生の古希記念の論文集に書いたものがあるので,同じようなものを書く気にはなれませんでした。
 労働契約法18条・19条,労働者派遣法40条の6のような労働契約締結強制規定を批判的に検討する場合,何か新たな方法論的アプローチはないかということを,私なりに考えてみました。論文のタイトルに「覚え書き」と書いているのは謙遜でも何でもなくて,ほんとうにまだプリミティブな思考の段階にすぎないことを示したものです。

 使用者の経済的自由を制限する法律について,憲法では二重の基準論により,精神的自由を規制する場合には厳格な違憲審査が適用されますが,経済的自由の規制となると,とたんに緊張感(?)がなくなります。憲法上問題はなくても,憲法が経済的自由の立法裁量を認めている根拠となる立法の専門性と民主的プロセス論は,もう少し抉ってみてもよいのではないか,というのが私の問題意識でした。とくに民主主義と専門性をどう両立させるのかが私の関心事です。議院内閣制の下での政治主導と行政主導は,前者に分がありそうですが,これに専門性を加味すると政治家よりはエリート官僚のほうが上というのが,これまでの常識でしょう。しかし,現時点でもほんとうにそうでしょうか。行政のほうの専門性に懸念がでてくれば,やはり政治主導でよいことになりそうです。いずれにせよ大事なのは,どうすれば良い政策を作れるかであり,その作業をするためには政策の良さ(妥当性)の評価基準を明確にする必要があります。このような問題意識をもってみたとき,現在,労政審という仕組みも含め,労働政策形成のあり方を根本的に問い直す必要があるのではないか。これが本論文の根底にあるモチーフです。民主主義やコーポラティズムの限界が見え始めたときに,次の手法は何でしょうか。これもまた機会があれば,エッセイから始めて,世に問うことができればと考えています。
 

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2018年6月 3日 (日)

中山七里『テミスの剣』

 アマゾンからの推薦にしたがい,中山七里『テミスの剣』(文春文庫)を買ってみました。どんでん返しがあると帯に書いてあったので注意しながら読んでいきましたが,最後になるまでわかりませんでしたね。最後は急展開でした。ドラマ化されたそうですが,そう言われればドラマ向きだなと思いました。以下,ネタばれあり。
 不動産業者とその妻を殺し金品を奪った強盗殺人事件で,ある若者が逮捕されました。この業者は闇の副業があり,それが高利貸しでした。高利貸しリストの中から当日のアリバイがない者を探したところ,楠木明大という青年だけが残りました。乱暴な捜査で有名な鳴海は供述調書を強引に作成し起訴しました。本人は無実を主張しましたが,本人のジャンパーに,殺された業者の血痕が付着しており,それが決定的な証拠となりました。地裁判決は死刑,高裁の女性判事も悩んだ末に地裁判決を維持し,最高裁も上告を棄却して死刑が確定しました。楠木は刑務所で自殺しました。
 その後数年経ち,鳴海(すでに定年退職)とコンビを組んで楠木の事件を担当していた渡瀬は,ある殺人事件を追うなかで,犯人がこの事件と似た殺し方をする事件にぶつかりました。犯人の迫水は逮捕されて自供したのですが,渡瀬がさらに追及したところ,この迫水から,不動産業者の事件についても,自分が犯人であったと自供したのです。迫水は,不動産業者からは金を借りていなかったので捜査線上には浮上していませんでした。彼はカギの修理工をしていて,以前にその不動産業者のカギを修理したことがあったので,家の中のこともわかっていたのです。さらに血痕の付着していたジャンパーは,実は鳴海がねつ造したものであることも明らかになります。鳴海は楠木が犯人であることについて全く疑っていませんでした。だから証拠のねつ造は,犯人を適切に処罰するための方便くらいに考えていたのです。
 こうして,過去の死刑判決が冤罪であったことが明らかになり,警察はこれを隠蔽しようとします。渡瀬は周りに迷惑をかけることにためらいながらも,正義をつらぬくためにどうすればよいか悩みます。その末に,信頼する恩田という検事に相談します。迫水の供述調書を恩田に渡したところ,恩田が週刊誌にリークし,マスコミが事件を担当した刑事,検事,裁判官を徹底的に糾弾します。関係者はすべて追放されています。
 迫水は優秀な弁護士のおかげで無期懲役ですみます。そして,模範囚であったため23年後に仮出所しますが,出所後すぐに刺殺されてしまいます。
 迫水を殺した犯人を探すなかで,迫水の出所前の奇妙な行動がわかります。また渡瀬の捜査から,迫水が不動産業者の殺人事件のときに,ある人物に目撃されていたことをつかみます。それが裁判では出てきませんでした。
 楠木の裁判は,無気力な国選弁護人,検挙率が高いために多少の行き過ぎを大目にみられていた警察官による証拠のねつ造,雑な事件さばきをした検察,被告人の無罪という叫びに心をゆさぶれながらも,証拠を信じて死刑判決を書いた裁判官という諸要素がからまり,おそるべき冤罪が生まれてしまいました。
 しかし楠木の死刑は,避けることができるものでした。上記の目撃者の証言があったならばです。鳴海と渡瀬たち警察が丁寧に捜査をしていたら,証言が得られていたかもしれません。この目撃者は決して自分からは証言できない事情がありました。そして,その目撃者は,他人の手を借りて,迫水を抹殺させていたのです。その目撃者が誰かは読んでのお楽しみです。
 冤罪つぶしの組織の圧力と個人の正義感の相克というのは,よくあるテーマのような気がします。ただ,そういう本人の葛藤というよりも,純粋にストーリー展開に楽しめました。この作者の本はもう少し読んでみましょう。これもお風呂の友です。 ☆☆☆(☆三つ。五が満点)。

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2018年6月 2日 (土)

イタリアの混乱と大統領の存在感

 長澤運輸事件とハマキョウレックス事件の最高裁判決が出て,これから少し労働法業界は騒がしくなるかもしれません。両判決とも,労働契約法20条に私法上の効力を認めるべきではないという私の立場からは,そもそも理論的に受け入れられない面がありますが,それはさておき最高裁の判断がこういうものになるだろうということは十分に予想されたものであり,むしろ長澤運輸事件の高裁判決の判断がほぼ維持されたことは,実務的な混乱を回避できたことで,まずまずの結果だったのかもしれません。詳しくは別の機会に書きますので,ここではこの程度にとどめておきます。

  イタリアの首相選びが混乱していることをブログで書こうと思っていたら,破棄され,また戻るといった大混乱で,書くタイミングを失っていました。個人的には,大学教授が首相になると言われていたので,友人のDel Conteがなってくれたら,「友達にイタリアの首相がいて家に来たこともあるぞ」と周りに自慢できるのではないかとミーハーなことを思ったりもしていたのですが,新首相はちょっとだけ苗字が違っていて Conte 氏でした。彼はフィレンツェ大学のcivilista(民法学者)で,M5S(五つ星運動)の法律関係のブレーンだっだようです。先の選挙で勝ったM5SとLega(同盟)が連立協定を結び,Conteを首相に選びました。当初の組閣名簿は,Sergio Mattarella大統領から,経済・財務大臣の候補としていたPaolo Savona(なんと81歳のエコノミスト)がイタリアをユーロから離脱させる政策を進める懸念がありイタリアにとって望ましくないということから難色を示され,Conteは組閣をやめることになりました。そこでMattarella大統領は,IMFの高官の経験もあるエコノミストCarlo Cottarelli氏に実務家政権の組閣を命じたものの,最終的に必要となる国会の承認が得られる見通しはなく,再度の選挙が必要となるなど,混乱が続くことが必至の状況となりました。ここにいたりイタリアの国債は暴落し,ユーロ高が進み,その反動でドルと円は上がって,ニューヨークダウも日経平均も大きく下がるということで世界中に大混乱を引き起こしました。最近は有事の円ということでもなく,アメリカが混乱しても円高になびくことは少なくなっていたのですが,まさかイタリアの政局混乱が円高懸念を引き起こし,輸出産業主体の日本株の下落を引き起こすとは驚きです。イタリアの経済規模の大きさとグローバルな経済の結びつきを再確認できました。
 結局,Mattarella大統領は,国会で承認される可能性が高い(それは,直近の選挙で示された民意に忠実ということでもあります)M5SとLegaが支持するConteに首相指名をし直し,Conteも,経済・財務大臣を,Giovanni Triaという経済学者にし,Savonaは欧州担当大臣(Ministro per gli Affari Europei)に起用し直しました。Savonaの起用は,この連立政権が反EUである以上仕方ないことであり,大統領は経済・財務大臣につけるよりは,まだ欧州担当大臣のほうがマシだと考えたのでしょう。
 労働大臣は誰だろうとみてみると,なんとM5Sのリーダーで副首相にもなっているDe Maioが,そのポストについています(経済成長・労働・社会政策大臣)。Legaの党首であるMatteo Salviniは,副首相兼内務大臣です。これで大丈夫かと不安になる布陣です。
 Conte新首相は,海外経験豊富とされていますが,留学歴があやしいと早速マスコミにたたかれているようです。ただ研究者としての実績は十分で,さらに学外の公職の経験もきわめて豊富です。もっとも性格は物静かということで,すでにDe MaioとSalviniの操り人形という噂も出ています。EU内でMerkelやMacronと対峙してうまくやっていけるのかと不安をもつ国民も多いようですが,そもそも両党とも反EUですので,うまくやっていけなくもてかまわないということかもしれません。
 まあお手並み拝見というところですが,そんな悠長なことを言っている余裕はないかもしれません。サッカーのワールドカップに出場できなかったイタリア人の関心は,いっそう政治に向かうかもしれません。
 とはいえ,今朝の日経新聞の大機小機であったように,イタリアのことよりも日本こそ危機であるという自覚が必要かもしれません。日本はイタリアよりも財政状況が悪いにもかかわらず,イタリアの大統領のような,国の未来を考えて危機感をもって警鐘を鳴らす存在がいないのです。もちろん大統領が,選挙で選ばれた上位2党の連立政権の推す首相候補をリジェクトするのは,民主主義という観点からは問題があったのでしょうが,いわば高次の観点からイタリアの行く末を考えて,せめて経済・財務大臣は変えろという指示をし,それを受け入れさせたところに,イタリア的な民主主義の奥深さをみたような気がします。

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