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2018年6月 9日 (土)

弥永真生・宍戸常寿編『ロボット・AIと法』

 弥永真生・宍戸常寿編『ロボット・AIと法』(有斐閣)を編者の宍戸さんと著者の一人の工藤郁子さんからいただきました。御礼が遅くなり申し訳ありません。総務省の会議でよくお見かけするメンバーが数多く執筆しています。
 きちんと読んでから紹介しようと思っていましたが,ちょうど来週から他学部向けの法学の授業が始まり,AIのこともやろうと思っていたので,授業の前に勉強をしようと考え,読んでみました。たいへん面白かったです。私自身が関心をもっているからかもしれませんが,これからの法学は,ロボティクスやAI抜きで語ることは不可能だと思います。まだ「AI系法学者(?)」は一部だと思いますが,これからの法学の議論でロボットやAIに言及しないのは,ありえないことではないかと思っています。そういうなか,本書は,実に適切でタイムリーな入門書だと思いました。以下,簡単な感想です。
 まずAI時代と法について,てっとり早く情報を得たい人は,宍戸さんのChapter1「ロボット・AIと法をめぐる動き」を読めば,それで十分です。総論として必要な情報がすべて入っていると言っても過言ではありません。工藤さんのChapter2「ロボット・AIと法政策の国際動向」と合わせてよめば,いまロボット・AIについて,どのような法的な課題があるのかが,よくわかります。
 Chapter3以降は,各論となります。気になった点をピックアップしたいと思います。一つは,新派刑法学への言及です。Chapter3の「ロボット・AIと自己決定する個人」(大屋雄裕)は,ロボット・AIの登場で,近代の法システムが前提としていた「意思-行為-責任」という連関が揺らいでいるとし,新たな選択肢として純粋結果責任の可能性を提示しています(大屋さん自身,積極的にこれを支持しているかどうかは不明ですが)。大屋さんの『自由か,さもなくば幸福か?』(筑摩書房)でも論じられているテーマですが,自由やプライバシーのない「ハイパー・パノプティコン」社会では,純粋結果責任を基礎とする新派刑法学に基づく刑事政策がとられ,あらゆる危険が未然に徹底的に防止される「幸福な社会」が到来するのでしょうか。その問いかけは重く深いものだと思います。
 新派刑法学については,Chapter10の「AIと刑事司法」(笹倉宏紀)でも言及されています。笹倉さんは,AIによる相当な制度の予測が可能となったときに,それでも旧派理論や保安処分反対論を維持するためには,相応の理論武装を要することになる(250頁)と述べています。
 ところで,笹倉さんは,「AIによる裁判」の可能性についても検討しており,事実認定などではある程度AIは実用性があることを指摘しています。おそらく部分的にはAIを活用できるところもあるし,そうでないところもあるのでしょう。AIは「分析的視点」はもてても,「総合的視点」は人間にもてないのかもしれません。ただ「総合的視点」とは,いったい何なのかです。「総合的」という言語化できない領域において,実は人間ならではの偏見や非合理性が混入していないかが気になります。職人の「匠の技」にもデジタル化が進んでいます。裁判官の「巧みの技」だけ,例外であるとは言えないかもしれません。
 法律家がAIとロボットを論じるときの典型論点の一つが,責任論です。本書では,Chapter6の「AIと契約」(木村真生子)で契約責任が論じられています。木村さんは,基本的には人間に責任を負わせる議論を展開されています。私は,個人的には,AIに法人格を付与する議論は出てこないものかと思っているのですが。刑事責任については,Chapter9で「ロボット・AIと刑事責任」(深町晋也)のなかで,レベル4(高度運転自動化)以上の自動運転の刑事責任について検討されています。そこではAIの犯罪に対して,AIに国家が法的非難を伝達することにどれだけの意味があるのか,刑罰を与えなくてもAIに不利益処分が可能ではないかと指摘し,「AIが真の意味での我々の社会の対等なメンバーであるとの認識が共有されない限り,AIに独自の刑事責任を問うという方向性は,否定されるべきと言える」と述べています(220頁)。
 同じ自動運転について,民事責任に関しては,Chaper7で後藤元さんの「自動運転車と民事責任」が解釈論および立法論上の問題を検討しています。私は,個人的には,自動運転は,交通事故をいまよりはるかに減少させることができ,国家の富を増大させる効果があるという点で,まさに公益性が高いものなので,国庫(税金)だけで運用する補償システム(ノーフォルト保険の一種)を考えるべきではないかと思うのですが,筋は悪いのでしょうかね。また,責任論だけでなく,行政的な規制の可能性も重要です。本書では,Chapter5「ロボット・AIの行政規制」(横田明美)という章もあります。
 Chapter8の弥永さん執筆の「ロボットによる手術と法的責任」では,誰もが思い浮かぶ「ダ・ヴィンチ」などのロボット手術について,これをめぐる法的問題について包括的に論じています。個人的に興味をもったのは,「インフォームド・コンセント」のところです。企業によるデータ利用などとの関係でも問題となる「個人の同意」のありかたは,古くて新しい論点ではありますが,とくに技術の発達にともない,その面についての情報量が圧倒的に少ない一般市民にとって,この問題は重要となってきています。「ダ・ヴィンチ」的ロボットを使った手術を受けることの同意(あるいは医師が使わないとしたときの,そのことへの同意)や「危険の引受け」をともなう同意の有効要件をどう考えるかは,実務にも重要な課題でしょう(AIロボットによる情報提供・説明でよいというわけにはいかないでしょうね)。
 本書のなかで労働法と最も近いのがChapter4の「ロボット・AIは人間の尊厳を奪うか?」(山本龍彦)かもしれません。山本さんは日経新聞の経済教室などでも書かれていて,積極的に発言されています。そのエッセンスは,AIネットワーク化の進展が憲法の設けた「天井」を超えて行くことの警告であり,とくにプライバシー権の行使を実質的に可能とするための制度的環境の整備の重要性を指摘されています。総論的にはまったく異論はないですし,これをおそらく労働問題であてはめると,会社がもつ個人のデータに基づく予測評価の危険性(データの不確実性,誤ったプロファイリングなど)などへの配慮が必要であるという話になるのだと思います。もっとも労働関係においては,AIによる自動的処理のほうが,人事部による評価よりも危険かというと,そうとはならないような気もします。欧州では,労働関係でも,先月発効されたGDPRのような個人の権利保護というアプローチがとられるでしょうし,日本もそれを参考にすべきものでしょうが,ただ現時点でより大切なのは,労働市場の流動化を高め,納得できない評価をする会社から退職するというオプションを現実的なものにする政策かなと思っています。もちろん個人のネガティブな評価が企業に共有されてどこにいっても採用されないことになっては社会的排除という人権問題となるので,現代版のブラックリスト禁止(労働基準法22条4項)のような対策は必要でしょうが。
 このほか第11章の「ロボット・AIと知的財産権」(福井健策)は,AIと法的問題となると必ず出てくる知的財産権の問題を扱うものです。いろんな論点がありますが,個人的には,将来において,AIが創作した著作物をAI自身が権利をもつ可能性がないのか(前述の法人格の問題とも関係しますが)が気になります。まあ荒唐無稽な議論なのでしょうね(これが認められれば,AIのエージェントをするビジネスが出てくるかもしれませんね。AIが人間に代理権を付与することができるか,という問題も出てくるでしょうが)。
 最後の第12章の「ロボット兵器と国際法」(岩本誠吾)は,内容は難しかったですが,「LAWs」という言葉が出てきて,ちょっと反応してしまいました。さすがに「法律」とは関係なく,「Lethal Autonomous Weapon Systems」(致死性自律兵器システム)の略語でした。
 入門書と書きましたが,すでにある程度の知識がなければ,この本の面白さは味わえないでしょう。また何か具体的な結論が提示されているわけではなく,問題提起型の本です。だから安易に結論を求めたい人には向いていませんが,これからの法学の行く末をしっかり考えたいという人には,ぜひ手に取ってもらいたい本です。

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