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2018年5月 3日 (木)

憲法記念日に民主主義と請願権を考える

 昨日,イタリアの刑法のことにふれたので,そのついでに,ぜひ紹介しておきたい本があります。それがBeccariaの『Dei Delitti e delle Pene(犯罪と刑罰について)』です。大学で法律を勉強したことがある人なら,誰でも名前くらいは知っているものですが,有りがたいことに,この本の訳書があります。ずいぶん前にいただいて,たぶん紹介をしていなかったと思うのですが,それがお茶の水大学の小谷眞男さんの翻訳したチェーザレ・ベッカリーア『犯罪と刑罰』(東京大学出版会)です。小谷さんには心より御礼を申し上げたいです。素晴らしい訳であり,解説もきわめて充実しています。
 ところで,この本のなかにBeccariaが死刑について語ったところがあります(第28章)。彼は死刑反対論者です。終身刑の支持者です(ちなみにイタリアでは死刑は憲法で禁止されています[27条4項])。なぜ死刑がダメなのかということが,実に説得的に論じられています。ここですべてを紹介しきれませんが,最も有力な論拠としているのは,死刑では,犯罪抑止につながらないということです。
 死刑というものを,犯罪の予防という観点から考えた場合,死刑という手段のもつデメリットと,死刑により解決されるべき政策課題(犯罪抑止)との間の関係を検証するというアプローチが必要となります(Beccaria は旧派の代表的論者ですが,ここは新派的発想ではないかとも思えますが,自信はありません)。Beccariaは,終身刑で長期間隷属的な状況が続くほうが,犯人には過酷なものとなり,それだけ市民に対して抑止力が働くというのです。死刑に処されてこの世から消えることができるというのでは,本人の犯罪抑止力は弱い,ということです。
 Beccariaは,懸命なる君主は死刑廃止論のもつ真理性に気づくはずだけれど,それを妨害するのが中間的特権層だと述べています。君主のなかには,ローマ時代の五賢帝のような人も出てくるが,おそらく中間的特権層は徳も見識もなく,権力をほしいままにした存在とみているということでしょう。特権層は変化を望まず,先例を踏襲するものであり,新しい提案に耳を傾けないものです。Beccariaは,「もし王座にまで届くようなことがあれば,つねに傾聴されたであろう人々の率直な請願を,さえぎり押し殺してきたのは,中間層の専制なのだ!」,「だからこそ,光で照らされた市民たちは,ますます熱心に君主たちの権威の継続的増大を求めているのだ」(小谷訳,100頁)。
  君主の権威の増大をいうのは現代の感覚からはおかしいような気もしますが,当時を考えるとそうおかしいことではありません(1764年の本です)。国家の統治を社会契約的に考えた場合,ボッズブ(Hobbes)的にいうと「リバイアサン(Leviathan)」が生まれますが,それをプラトン的な哲人政治に変えるためにも,中間的な権力を排除し,権力をもつ君主を教化していくことが必要だということでしょう(この本が出てから25年後にフランス革命が起きていますが,そこでも中間団体の否認思想が重要な意味をもっています)。
 その意味で請願権というものは,ひょっとするともっと注目されてもいいのかもしれません。実は日本国憲法にも請願権の規定があります。それが16条です。長谷部恭男『憲法(第7版)』(新世社)によると,「請願は,議会制度が十分に発達していなかった過去においては,被治者の意見を為政者に伝える一つの経路として機能したが,国民主権が確立し,国民の参政権が十分に保障された現代社会においては,もはや意義は有しないと考えられている」と書かれています(305頁)。
 しかし,アメリカでTrumpが登場して民主主義のプロセスに十分な信用がおけなくなりつつある現在,Beccariaのいう「光に照らされた市民たち」による請願のプロセスというのは,もっと考えられてもいいのかもしれません。CNNでアメリカの元国務長官Albrightが,Trump政権を暗に批判するために,HitlerもMussoliniも民主主義から生まれたと言っていました。民主主義は手段ではありますが,唯一絶対的なものではないというのは,Churhillに言われるまでもなく,多くの人がわかっていることです。間違った人が選ばれたときの対策を,暗殺やクーデターのような暴力的な方法に頼るべきではないでしょう。これでは民主主義の正面からの否定です。民主主義から生まれた強大な権力を抑制するのは,最後は「知の力」であると信じたいものです。Albrightは,ある種の請願をしたのかもしれません。 
 振り返って日本はどうでしょうか。現在の首相は,直近の選挙でも大勝し,民主的なプロセスで大きな権力をもつようになっています。側近や忖度する官僚が中間的専制者になって賢政を妨げているとすれば,懸命な市民が立ち上がらなければなりません。Beccariaが現在に生きているなら,打倒安倍にエネルギーをかけるよりも,中間的専制者を排除して,いかにして首相を,知の力で賢政に導くかを考えるべきだと言ってくれるかもしれません。憲法学者は,こうしたことは非民主的として否定するでしょうか。憲法記念日にみんなで考えてもらいたいことです。

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