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2018年3月12日 (月)

昭和史の教訓

  半藤一利『昭和史-1926~1945』(平凡社)の続きです。この本は,最後に,昭和史の教訓を5つあげています。
 第1に,国民的熱狂をつくってはならない,時の勢いに駆り立てられてはいけない,ということです。日本人は熱狂したがゆえに,誤った戦争に突入してしまいました。第二次世界大戦のとき,当初,良識ある海外軍人のほとんどがアメリカとの戦争に反対だったそうです。それが国内の勢いから参戦賛成に変わってしまいました。理性が熱狂に破れたのです。戦争は軍の独走によるだけではできないものでした。国民も支持してしまっていたという事実を忘れてはなりません。
 第2に,「最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み,具体的な理性的な方法論をまったく検討しようとしないということです。自分にとって望ましい目標をまず設定し,実に上手な作文で壮大な空中楼閣を描くのが得意なんです」。
 ソ連が参戦したら困るということから,ソ連は参戦しないという思い込みになり,それに基づき戦略を進めてしまいました。ドイツが欧州で勝つから,そうなるとアメリカは戦争を続けていく意思を失うので,日本とも講和に導けると考えてしまいました。囲碁や将棋でいう「勝手読み」です。
 現在の日本人も,対北朝鮮などで,自分に都合のよい構想を描いていないか反省することが必要です。冷静に国際情勢を考えたときに,荒唐無稽な夢想になっていないかを絶えずチェックすることが必要です。
 第3に,「日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害がある」ということです。これはエリートが国を誤らせるということと同義です。現在でも,省益で動く官僚をみていると,この欠点はまったく変わっていない感じもします。財務省という日本の超エリートたちの独善の弊害が,現在の森友問題に現れているようにも思えます。
 第4に,「ポツダム宣言の受諾が意思の表明でしかなく,終戦はきちんと降伏文書の調印をしなければ完璧なものにならないという国際的常識を,日本人はまったく理解していなかったこと」にわかるように,「国際社会のなかの日本の位置づけを客観的に把握していなかった,これまた常に主観的思考による独善に陥っていたのです」。
 グローバル化が進んだいまこそ,国際社会のなかの日本の位置づけや国際常識の正確な理解が重要であることは論を待たないことです。
 第5に,「何かことが起こったときに,対症療法的な,すぐに成果を求める短兵急な発想です」。「大局観がまったくない,複眼的な考え方がほとんど不在であったというのが,昭和史を通しての日本人のありかたでした」。
 現在の森友問題も,政治家たちは,そこだけをみないで,これからの日本のあり方という大きな視点で解決に取り組んでもらいたいです。
 半藤氏は,最後に,「昭和史全体を見てきて結論としてひとことでいえば,政治的指導者も軍事的指導者も,日本をリードしてきた人びとは,なんと根拠なき自己過信に陥っていたことか,ということでしょうか」と結んでいます。
 日本の周りに次々と独裁国家が生まれつつあります。北朝鮮だけでなく,中国も習近平の独裁国家に変わろうとしています。ロシアも選挙によるとはいえ,プーチン独裁国家がすでに存在しているといってよいでしょう。アメリカのトランプも選挙により選ばれた王国といってよいでしょう。独裁となると,憲法のしばりなど吹っ飛びます。独裁を生まないための知恵は,民主主義ではありません。民主主義が合法的な独裁を有む危険性があることは,歴史が証明しています。
  日本は同じ轍をふんではいけません。上述のように国民の熱狂が民主主義に融合すると危険です。民主主義を守るだけでは不十分で,それを通してどのような国家を作り上げるか,そこに日本国民のほんとうの力が問われることになるでしょう。

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