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2017年12月

2017年12月31日 (日)

1年を振り返り

 今年1年,私は何をやったでしょうか。
 著書としては,新作の『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』と,大幅リニューアルの『雇用社会の25の疑問-労働法再入門』の第3版を,いずれも弘文堂から刊行しました。またこれも弘文堂ですが,福田雅樹他編著『AIがつなげる社会』への寄稿もしました。例年より少ない感じもしますが,それは来年に向けた準備作業が多かったからでもあります。
 来年は,いよいよ解雇規制に関する本が出そうです(現在,再校段階)。解雇関係では,このほか私が編者の一人になっている英文のもの(日台比較)も出る予定です(原稿はほぼそろっています)。3年越しになっている非正社員関係の単著もできるだけ早く仕上げるつもりです。弘文堂からは『最新重要判例200』の第5版も出ます(初校段階)。そのほか,いくつかの企画が進行中で,来年も執筆に忙しそうです。
 その反面,今年は論文はめぼしいものは書いていませんでした。『雇用社会の25の疑問』の第3版の執筆でエネルギーがかなり吸い取られたからでもあります(この本は,自分で言うのはどうかと言われそうですが,内容に賛成するにせよ反対するにせよ,若い研究者には必読ではないかと思っています)。
 結局,論文としては,日本労働法学会の『講座労働法』に寄稿したものや「自由と正義」に寄稿したものくらいで,あとは,日経新聞の経済教室やWedgeなど目立つ媒体への寄稿,それと,割とマニアック(?)な雑誌(A2Z,TOYRO・Business,RMS Message,税務弘報TASCなど)への寄稿やインタビューというところでしょうか。
 来年は,労働法の本格論文として書きたいテーマがあるので,なんとか時間をみつけて書くことができればと思っています。また,それ以上にやりたいのは,労働法を枠を超えるような新領域の研究です。エッセイ的なものの多くは,次の研究への布石でもあります。自営的就労(+労働者概念),AI,デジタライゼーション,教育・学習などを,新しい視点で分析する研究の準備を今後も進めていこうと思っています。
  さらに視野に入れているのは海外での活動です。デジタライゼーションのようなテーマは世界共通ですし,とくに途上国に多くの可能性があるように思っています。既存の労働法の枠内の議論に拘泥していてはダメで,それを打ち破るような新たな知のパラダイムをどう国際的に作っていくか(とくにアジア諸国を巻き込むことが必要),いま改めて新たな比較法の重要性を感じているところです。
 来年2月3日(土)の神戸労働法研究会では,Independent Contractor(クラウドワーカー,フリーランス,Uber乗務員など)をテーマに,イタリア・欧州(Del Conte),韓国(李ジョン),台湾(李玉春)から先生をお招きして比較法セミナーを開催します。今回は一般の方にも公開しますので,もしご関心があればぜひお越しください(詳細は,年明けに告知)。
 まずはこのシンポジウムを皮切りに,ICの研究を深めることが,来年の当面の目標となりそうです。

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2017年12月30日 (土)

法律の実効性

 今年のアメリカは,外国人からみると興味深いことが多々あったのですが,とくに「Silence Breakers」 がTime誌の2017年の「Person of the Year」に選ばれたことが示すように,最も注目されたニュースは,大統領をはじめ,エスタブリッシュメント層のセクシュアル・ハラスメントの告発が次々と行われたことでした。
 アメリカは,差別禁止法(Civil Rights Actなど)が発達している国で,とくに性差別などは論外という「進んだ」国であると思い込んでいる日本人は多いと思います。しかし法律があるから,きちんと現実が法律に則してコントロールされているとは言い切れないことは,私たち日本の社会をみても,すぐにわかることです。欧米人だから,とくに遵法意識が強いというものではありません。差別禁止法が発達しているのは,それだけ差別がひどい国であったという可能性は高いのです。そして法がいかにそれを抑圧しようとも,それには限界があるのです。
 日本の男女雇用機会均等法(1985年制定)のように,規制手法としては,それほど実効性がないところから始まって,徐々に社会に浸透し,それにともない規制手法を強めていくというやり方もあります。しかし,問題がcivil rightsやhuman rights にかかわるようなものとなると,強力な規制手法を最初から望む人も出てきます(社会運動的な観点からも)。ただ,そこで規制手法を強力にすると,実態との齟齬が生じてしまい,法の実効性がしぼんでくるおそれがでてきます。実効性を高めようとして,法律を何が何でも履行させようとすると,たいへんなコストがかかります。たとえば刑事罰は強力な規制ですが,それで犯罪者がどんどん増えたらどうなるでしょうか。裁判所も刑務所もパンクします。そうなると,結局,不起訴が増えて,実効性がなくなっていくのです。もちろん強力な規制の威嚇的効果で,人々がそれに従うという効果も期待できますが,そういうのは一時的なもので,人間の意識や行動はそう簡単には変わりません(差別行為を無期懲役と定めたとしても,差別を完全に撲滅することはできないでしょう)。
 そもそも何が人権や市民(公民)権かは,憲法や法律でそう定めればそうだということかもしれませんが,原理的に考えるとはっきりしないところがあります。嫌煙権は健康に生存するという人権にかかわるものなので,喫煙者を厳罰にすべきだという議論は可能でしょうか。健康は非常に高い価値であるので,これこそ人権だという気もしますが,喫煙という行為による幸福追求の権利もあるという反対論もあるでしょう。決め手はありません。
 人権を侵害する行為だから,これを厳しく規制する法律を設けようという議論は,実は根拠が脆弱な面があり,むしろ逆効果を生むおそれのあることなのです。できれば法律などを使わずに,教育により改革をしていくほうが効果的です。あるいは法律を使うとしても,ソフトロー的アプローチ(たとえば初期の男女雇用機会均等法のような努力義務,行政指導を活用する手法)で,徐々に意識改革を促していくほうがよいこともあるのです。
 差別禁止法が発達しているというのは,それだけ法律で規制しなければならない差別が根深いということであり,それだけ根深いのなら,法律で規制しても,そんな簡単には抑止できないのではないか,ということを,今回のアメリカのセクシュアル・ハラスメント騒動から,考えさせられます。
 法律は万能ではありません。法律を含むさまざまな手法をどう活用して,社会を統制していくかという技術論の重要性を再認識したような気がします。 

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2017年12月29日 (金)

副業容認はOKだが,副業勧奨は危険

 最近はすっかり筆無精になった私ですが,文章を読んだり書いたりすることに追われていて,リラックスしてブログを書く気になかなかなれませんでした。

 ところで昨日の日本経済新聞朝刊で副業を容認する企業が出てきたという記事が載っていましたが,これが1面トップか?,という気もしました。副業は全面禁止という企業よりも,許可制の企業のほうが多かったと思われるので,いまさら許可制に変えたからといって,大したニュースではないように思えます。もっとも,禁止していた企業が許可制に変えるようになったことが,解禁に向けた「トレンド」の例として重要だということなら,ニュースバリューはあるのかもしれません。 また,社員のなかに副業を認めてほしいという声があって,それに応えるために副業容認となったということであれば,方向性としては正しいものです。人材のシェアという観点からも副業容認は必要です。
 労働法的にはあくまで原則は,勤務時間外の時間帯は,労働者の自由です。副業(勤務時間外のもの。以下,同じ)というのは労働者にとって自由である私生活の時間帯の利用法の一つです。それゆえ,副業は,それを規制する企業側に,その正当化のための「立証責任」が必要となります(その点で,副業許可をデフォルトとしていた厚生労働省のモデル就業規則は問題でした)。
 これまで副業規制が一般的であったのは,日本の正社員は,雇用と賃金の安定の代償としての,「いつでも」「どこでも」「何でも」するという働き方を受け入れてきており,そうした拘束の一つとして副業規制も受け入れてきたからです。つまり,副業は労働者が自由にしてよいはずのものだが,その規制を受けることを労働者の方も了承していたというのが,これまでの状況です。
 いずれにせよ労働法上は,副業規制は社員の自由をどこまで制限することができるかという問題でした。ところが昨今の副業容認論の背景には,労働者の自由を尊重するという視点は希薄で,企業にとって副業のメリットがあるということが強調される傾向にあります。たしかに企業に副業容認を勧める場合には,企業にとってのメリットを強調することになるのですが,労働法的には,これが行き過ぎて,副業強要につながらないかという懸念があります。副業はプライベートタイムの利用方法に関する話なので,企業が副業をしたほうがよいのでは,というような緩やかな形で社員に促したとしても,要注意です。やりすぎると,副業時間帯にも黙示の指揮命令があったなどということになりかねません。そうすると労働時間にカウントされるし,負傷・疾病の場合の労災になったり安全配慮義務の対象となったりします。
  企業は,副業について,これが労働者の私生活の自由や職業選択の自由の問題であるということを理解して,慎重な態度をとらなければ,落とし穴が待っているかもしれません(つまり規制も,強い勧奨も危険ということ)。
 副業については,拙著『雇用社会の25の疑問-労働法再入門-(第3版)』(2017年,弘文堂)の第3話「社員の副業は,どこまで制限されるのか。」も参照してください。

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2017年12月18日 (月)

生放送は楽しかったです

 先週木曜のテレビ出演は,はじめての生放送で,貴重な経験でした。本番では,ちょっと気合いを入れて話をしてしまうと,あっというまに時間が減ってしまい,台本の予定が狂ってしまいました。MCの岩田さんが台本に×をいれて話す予定だった部分をカットして,進行を修正していることがわかりました。岩田さんは大ベテランの方だったので,臨機応変に対応してくださり,たいへん助かりました。
 私の話が台本に書かれていることと違っていたり,その関係でフリップを出すタイミングが変わってしまったり,さらにCM中に,あとの進行を変えようということになって,本来,話す予定であったフリーランスの部分が飛んでしまったりとか,ハプニングもありましたが,横の毎日新聞の阿部さんが安定したお話を続けてくださったこともあり,私が多少気ままにやっても,なんとかおさまったと思います。それにしても40分なんてあっという間でしたね。  
 この日は朝早くから労働委員会のあっせんの仕事があり,それから新幹線で移動で夜の仕事となって,実は出演時点では,すでにバテバテでした。おまけに新幹線のなかでは喉が痛くて,声がかれたらどうしようと思っていました。宿泊先のホテルで白ワインを少し飲んだら,喉がずいぶんと楽になりましたが,今度はアルコールが入ってどっと疲れが出てきました。まあ最後は気合いで乗り切りました。
 もっともその反動もあり,金曜からは体調がすぐれませんでしたが,今年もあと2週間なので,なんとか頑張って乗り切りたいと思います。

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2017年12月13日 (水)

1年ぶりのテレビ出演

 明日,BS11の「報道ライブINsideOUT」に出演します(労働委員会の忘年会は,急遽欠席となり申し訳ありません)。テーマは,いつものようにAIと雇用です。昨年もちょうどいまごろサンテレビの「カツヤマサヒコShow」に出演しました(収録は11月でしたが)が,テレビはそれ以来で1年ぶりです。生放送なので,変な発言をしないように気をつけます。といっても拙著『AI時代の働き方と法』(弘文堂)を読んだことがある方はいつもの話をしていると思うかもしれません。ただ今回は少し時間もあるので,しっかり話をすることができるのではないかと期待しています。もちろん,将来の働き方と関連させて,解雇の金銭解決とか,ホワイトカラー・エグゼンプションとか,インディペンデント・コントラクターとか,そういった労働法のコアの話までできたらいいのですが,台本をみたかぎりでは,少し難しそうです。ただ話題の流れによっては話せるかもしれません。
 とにかく日頃見ていない番組なので,今日は予習のつもりで見ました。番組最後に明日の予告編が出て,自分の写真が映し出されていたので,ちょっと緊張してきましたね。関心のある方は,緊張して話をしているであろう私をみて,楽しんでください。
 年末は,こういう用事だけでなく,バタバタといろんな仕事が入ってきて落ち着きません。とくに役所関係の仕事が11月あたりから始まるものが多く,もうちょっとうまく時期的に分散してくれたらいいのですが。

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2017年12月12日 (火)

AIに過大評価も過小評価もいけない

 AI時代の教育の続きです。人工知能によって何がどこまでできるかについては,期待するところがどこにあるかによって議論がかなり変わってくることに注意する必要があります。汎用AIを想定すれば,そんなものは出てこないという話になり,それと特化型AIを比較すると,やれることは限られているということになります。しかし,特化型AIでも,人間の仕事を代替していくことは十分にあるので,そうすると意外にいろんなことができるな,ということになります。
 人工知能の専門家の方の間で,人工知能はたいしたことがないという意見と,結構,いろんなことができるという意見があるのは,見解の違いというより,視点の違いなのかなという気がしないわけではありません。
 また人工知能を使った雇用代替の可能性でも,たとえば「教師付き学習」をさせるときには,データがたくさんなければコンピュータの学習の精度が高まらない(現実と推論との誤差を小さくできない)ことから,データの収集にコストがかかると考えれば,なかなか人工知能の実用性が高まらないということになりますし,またどのように学習するかの設定(たとえば誤差関数の設定)そのものは,人間がやらざるをえないことから,その設定作業のコストをどう見積もるか(ここは私にはよくわかりません)も関係してくるでしょう。ただコストの問題であれば,かなりの部分が克服可能なような気もします。そこのあたりの評価は,技術レベルの問題であると同時に,どれだけの資源を投入するかという政策判断(企業でいえば経営判断)の問題でもあるでしょう。
 ただ,ビッグデータ時代なので,データはそろいやすい環境にあり,さらにコンピュータに指示する人間側のやるべき作業が減っていくと,人工知能の機械学習効果はかなりのインパクトがあるのではないか,あるいはそう予想して政策を進めておくべきではないか,というのがいまの私のスタンスです。
 もう一つ重要なのは,機械の学習能力はたいしたことがないとみても,安心はできないということです。それは現に人間が機械に負けているということがあるからです。たとえばGoogle 翻訳は,文章を理解できず,統計的に処理しているだけで,細かいニュアンスのある表現などは翻訳できないなどといって,馬鹿にしていてはいけないのです。通常の文章について,人間がGoogle翻訳を上回る翻訳ができないかぎり,やはり馬鹿にできないところがあるのです(機械が80点しかとれなくても,人間が70点しかとれなければ意味がないのです)。AI時代の学習のあり方とは,機械がどうこういう前に,そもそも人間のレベルが問われているということでもあり,雇用への影響はこういう相対的な優劣から生じるということを知っておく必要があります。
 

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2017年12月11日 (月)

教育を語る資格はないけれど

 今学期はLSの労働法を担当していて,当初はソクラティック・メソッドに戻すと宣言したものの,実際には授業のかなりの部分は私が一方的に講義をしていて,いつも喉がカラカラになってしまいます。ただ私が話せば話すほど,学生の学習が受動的なものになってしまい,よくないということは自覚しています。受動的な学習は,聞いているだけですむので楽そうだと思っている学生もいるのですが,それはとんでもない誤りです。ソクラティック・メソッドで対話することこそが,知的な学習であり,そういうことができる人間しか,法曹にかぎらず,これからのAI時代には生き残れないのです。
 一方,研究者の世界は,比較的,創造志向が強い人が集まっていて,それは受動的な学習では論文は書けないので,当然のことなのですが,それでも最近は他人のいうことをうまく整理することだけが得意な評論家的な研究者が意外に評価されたりして,私のもつ尺度とは違ってきています。だからといって,おまえのようにゴーイング・マイ・ウエイでいいのかと言われると,そういう生き方は他人にはお勧めできず,学会で評価されるためには,やめたほうがよいと若手にはアドバイスしています。
 ところで,「TASC Monthly」というJT関係の公益財団法人(たばこ総合研究センター)が出している雑誌の504号(2017年12月)に,「AI時代における仕事と学習」というタイトルの拙稿が掲載されました。この雑誌も,以前には名前すら聞いたことがないものでした。大の嫌煙家の私がJT関係の雑誌に寄稿するというのも奇縁ですね。内容は,労働法の話というよりも職業訓練の話で,それが教育・学習の話になっており,最近はこの系統のことを話したり,書いたりすることが増えています。
 さらに先週は,文部科学省の「Society5.0に向けた人材育成に係る大臣懇談会」の初回のゲストスピーカーに呼んでいただき,そこでも「AI時代における雇用と職業教育」というテーマでプレゼンをしました。林芳正大臣が,拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)を読んで(日本経済新聞の書評で目にされたそうです),直々にご指名をしてくださったそうで,これでは出不精の私も参上せざるをえないということで,上京しました。もともと,これからの時代は,まず義務教育の段階から教育内容を見直す必要があると強く考えていたので,文部科学省の会合でのプレゼンは,自分の考えを伝える絶好の機会だと思ったのです。
 もちろん私の話など,政策に影響はないでしょうが,大臣が熱心に聞いてくださり,懇親会でも,他分野の委員の方々や役人の方々と意見を交わすことができて,個人的にはとても有益な会合でした。
 そのように教育のことを語りながらも,自分自身は教育者としては出来が悪いということは自覚しています。ただ出来が悪いなりに出来ることは,学生たちに,これからは日本社会のルールが変わっていき,なかでも人材育成のあり方が大きく変わり,自学意識をもつことがとても重要となるということを伝えることだと思っています。
 文科省のプレゼンでは,教養教育,職業基礎教育,実践的職業教育を分けて,前2者の早期教育の必要性を語ってきました。私はもちろん教育学の専門家ではありませんが,日本型の雇用システムが変わってくるなかで,職業教育が変容し,自営的就労の時代が到来すると,企業に頼らず自学できるようにするための前提条件を整備することが公的教育の使命となるという文脈で,私論を述べたつもりです。
 法科大学院の学生には,職業基礎教育をしていることになるのでしょうが,ほんとうに彼らに必要なのは教養教育なのかもしれません。さらに一般の大学院生の場合には適性にばらつきがあるので,まずはほんとうに大学院での研究に向いているかどうかの適性を見極めてあげる必要があり(入学試験だけでは判断できません),もし向いていないときには,若いときの時間を無駄に過ごさないためにも,早めに別の途に誘導してあげるのが,教師としては,大切なことだと考えています(業種や職種によっては何年か粘らなければ真の適性は見えてこないということもあるでしょうが,研究者の世界はだいたいすぐにわかります。もちろん,こちらの常識を超えるような天才が出てくると,評価を間違ってしまうでしょうか。土井監督とイチローの例を参照?)。

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2017年12月 5日 (火)

永世七冠

 将棋界が注目を浴びた今年,最後を飾るビッグニュースが飛び込んできました。羽生善治棋聖が,竜王の渡辺明を破って,タイトルを奪取して,これで通算7期目となり,永世竜王の資格を獲得しました。七大タイトルすべてで永世資格をとるのは前人未踏ですし,今後,まずそんな人は現れないでしょう。そもそも永世タイトルを一つでも取っている棋士でさえ,ほとんどいません。それを7つ全部とるなんてことは,普通ではとても想像もできないことなのです。
 もっとも羽生新竜王のこれまでの活躍からすれば,もっと早く永世七冠が実現してもおかしくありませんでした。それを阻んできたのが,若きライバルの渡辺永世竜王でした。ここ10年以上,竜王というと渡辺明でした。2001年に初奪取してから9期連続という強さで,一度,森内俊之九段に一度取られ,それが糸谷哲郎八段に渡った空白期がありましたが,2年前にその糸谷八段からあっさり取り返して指定席に戻った感じでした。昨年は三浦問題がありましたが,代わりの挑戦者の丸山忠久九段をなんとか退けて防衛でした。そんななか今期の竜王戦の挑戦権を得たのは,ことしタイトルを二つ若手に奪われている羽生棋聖だったのです。
 渡辺竜王は,たとえ不調であっても竜王戦に調子を合わせてくるので有名で,今年も,いくら羽生棋聖が相手であっても,渡辺防衛は堅いのではないか,というように思っていました。ただ渡辺竜王は,今シーズン不調で,負け越し状況でした。
 竜王戦が始まっても,渡辺竜王の調子は上がってきませんでした。竜王戦の途中にあったA級順位戦でも羽生棋王に敗れていました。羽生棋王も,今年はタイトルを失っただけでなく,全体的にもかなり負けていて,勝率も低迷していました。しかし,この竜王戦は別でした。思い切った攻め将棋で,渡辺竜王を圧倒しました。
  羽生世代を押しやって王者として君臨しようとしていた渡辺竜王も,ここ数年は伸び悩んでいる感じがします。名人に挑戦できていないという点も,マイナスポイントです。しかも今年,得意の竜王戦で,何度も挑戦をはねのけていた羽生棋王に,いま敗れてしまうというのは意外です。いろんなところで世代交代が起こっていますが,将棋界だけは,世代交代がなかなか起きないのは,この羽生と渡辺の関係がまさに象徴的です。
 羽生新竜王は,渡辺棋王に最近かなり勝っていて,苦手意識を克服できている感じがあります。いったんやっつけたと思った年長棋士が,不死鳥のように蘇ってくるのは,若手にとっては脅威でしょう。というより羽生新竜王は,今年自分からタイトルをとった中村太地王座や菅井竜也王位の果敢な攻めの棋風を吸収してパワーアップして,それを渡辺竜王にぶつけたというような感じもします。
 さて今年の将棋界は,ほかにも話題があります。もちろん藤井聡太の快進撃もそうですが,目の肥えたファンは,おそらく豊島将之八段に目が離せないでしょう。すでに王将挑戦を決め,A級順位戦でも5連勝で,名人戦挑戦に近いところにいます。現時点ではナンバー1の呼び声が高いが,まだ無冠の豊島八段が,王将,名人を両方奪取するのかが,現在の棋界の注目なのです。もちろんA級順位戦は,まだ中盤で,二冠(竜王・棋聖)に復帰した羽生新竜王も実は5勝2敗で,いい位置につけています。終わってみれば,羽生が竜王・名人という二大タイトルを手に収めていたなんてことになるのでしょうか。

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2017年12月 4日 (月)

税務弘報に執筆

 今年は,いままで書いたことのない雑誌に書く機会がよくありました。自然総研の「Toyro-Business」や第一法規の「会社法務A2Z」のように,それまで存在も知らなかった雑誌に執筆する機会がありました。日本弁護士連合会の「自由と正義」は,もちろんその存在は知っていましたが,初めての執筆でした。
 そして,今回,中央経済社の「税務弘報」1月号に,「AI時代における士業の未来-税理士のキャリア戦略」を執筆しました。この雑誌も,専門外ということもあり,聞いたこともないものでした。内容的には,弁護士に関して「自由と正義」に執筆したものの姉妹編という感じで,最近,よく言われてきている士業の危機がなぜ起こるのか,とくに税理士の方は,そこをどう乗り越えていくべきなのか,ということを,思いつくままに書いてみました。「自由と正義」のほうは,少し堅い感じで書いたつもりですが,今回は,少し軽めのタッチで,読みやすさを意識して書きましたが,いかがでしょうか。
 税理士の業務が,ちまたで言われているようにほんとうになくなるかどうかは,なんとも言えません。ただコンサルティング業務は機械に出来ないであろうというようなところで思考停止していては危険でしょう。必要なのはビジネスモデルの再構築です。AI時代というのは,AIそのものがどうかということもありますが,実はそこから危機感をもつことが大切なのではないかと思っています。業務独占は,その業務がある限りは,安泰ですが,もしその業務がなくなればどうなるか,です。自分の専門的な能力を新時代の基準に照らして再評価しながら,独占業務に安住せず,どう創造的に自分の業務を展開していくかが大切ではなかろうかというメッセージを込めて書いてみました。といっても,この雑誌の読者は,そんなことは百も承知で,私に言われるまでもなく十分にわかっておられるだろうし,またこの号では専門家も交えたしっかりした座談会も掲載されているので,私の論考などなくてもよかったのかもしれないのですが……。 
   ところで,現時点ですでに脱稿して掲載待ちの雑誌原稿が,あと二つあります。どちらもいままで掲載したことのない(というか名前も知らなかった)雑誌なので,楽しみにしています。それにしても,最近は外から依頼のくる仕事のほとんどが,これからの労働や雇用ということに関係しています。労働法屋の業務も,士業の人たちと同様,大きくモデルチェンジしていかなければならないのかもしれませんね。

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2017年12月 1日 (金)

辻井伸行さんの「音楽と絵画コンサート」

 よく行く兵庫県立芸術文化センター(西宮市)に辻井さんが来られるということで,辻井さんの(プチ)追っかけとしては,当然のことですが,チケットを買って,昨日聞きに行ってきました。
 感想は微妙というところです。スクリーンに辻井さんが弾く曲に合わせた絵画やフォトが映し出されるという趣向ですが,個人的には,スクリーンは余分でした。
 前半は自作の曲で,その曲にちなんだ,辻井さんの本人の写真や思い出の写真が映し出されました。後半は,クラシックで,曲ごとに異なる絵画が次々と映し出されました。クラシックの演奏曲は,まずドビュッシーの「2つのアラベスク」,「夢」,「月の光」,次いで,ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」,「水の戯れ」,そしてショパンの「バラード第1番」,「英雄ポロネーズ」でした。静かな曲から,ショパンの激しい曲へと,徐々に盛り上がっていく構成で,「バラード第1番」と「英雄ポロネーズ」の後では,Bravo の声もかかっていました。たしかに迫力満点で,やっぱり辻井さんのショパンは凄かったです。
 アンコールは,ショパンの「別れの曲」,次いで,東日本の大震災の鎮魂と激励の曲でもある「それでも,生きていく」で,ここで終わりかと思っていたら,最後にショパンの「革命のエチュード」を弾いてくれました。観客はもちろん大喜びでした。最終的にはショパンが4曲,その他,人気曲も弾いてくれて,ミーハーなクラシックファンとしては,十分に堪能できました。
 皮肉なことですが,アンコールは,スクリーンが使われなかったので(絵画が用意されていなかった),曲に集中できてよかったです。
 人によっては,有名絵画と演奏を両方楽しめてよいということかもしれませんが,辻井さんの演奏には,絵画は不要だと思いました。それが上記の「感想は微妙」というコメントにつながります。
 昨日のコンサートのチケット入手は容易でしたが,S席は通常は正規ルートではなかなか手に入りません(以前は大阪のチケットが入手できないので,長崎まで聞きに行ったことがあるくらいです)。大阪で来年3月にあるデビュー10周年コンサートに行きたいのですが……。ネット上では値段を吊り上げたチケットは売りに出されています。そんなとき,大竹文雄さんの新刊『競争社会の歩き方』(中公新書)の冒頭の「チケット転売問題を考える」を思い出してしまいました。

 

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