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2017年11月

2017年11月29日 (水)

日馬富士の引退は当然

 日馬富士の引退が,北朝鮮のミサイル並の取扱いになっています。たしかに大きなニュースではありますが,横綱の傷害事件など論外で,引退は当然です。ワイドショーネタにしないほうがいいです。森友・加計問題や北朝鮮問題にもっと時間をかけましょう。
 日馬富士は,引退により起訴は免れるかもしれませんが,もしそうなら甘い気もします。世間では日馬富士に同情的な声もあるようで,貴乃花親方の態度に問題があると議論をすり替える人さえいます。しかし,はたしてそうでしょうか。
 横綱は理事ではありませんが,興行団体としては最大のスターです。スターは,相撲協会にとって,理事なみ,あるいはそれ以上の権力がある可能性があります。民間会社の例でいえば,役員と同様の地位といえるかもしれません。今回の事件は,そんな役員が,ある部長が大事に育成していた部下に対して傷害を与えたようなものです。このとき,その部長は,どういう態度をとるべきでしょうか。部下を差し出せば,会社ぐるみで説得されて,真相がうやむやにされる可能性があります。傷害はもちろん犯罪で,本来,社内のルールで対処されるべきものではありません。法治国家である以上,法律に従って裁かれる必要があります。しかも,その部長は,会社の主流派に属さない少数派でした。そして,主流派は暴力にやや甘く,その部長は暴力に厳しい姿勢で臨んでいました。
 というように置き換えた場合,貴乃花親方が相撲協会からの協力を拒否したのは,組織の上下関係に屈して部長が部下を会社に差し出すというような行為はしなかったとみることもできます。これがベストであったかどうかはともかく,理解できないものではありません。
 むしろ,もしあっさり貴乃花親方が,相撲協会の理事であるので,協会の指示に従うのは当然として,あっさり貴ノ岩を差し出していて,それで事件がうやむやになっていたら,世間は貴乃花親方を批判していなかったでしょうか。
 日本人は組織人が多いので,組織に従えという人が多いのですが,組織のやろうとしていることが正義に反する疑いがあると考えた場合,敢然と組織に反旗を翻して,市民としての正義を貫く(ここでは司直にまかせる)というのは,むしろ賞賛されるべきだと思います。
 ところで,日馬富士の今日の会見で,気になったことがあります。彼は,礼儀がなっていない弟弟子に対する教育的な意味での行為であったという趣旨の言い訳をしていました。私は,これに少し驚いたのです。日馬富士と貴ノ岩は所属部屋が違います。だから弟弟子ではありません。モンゴル人どうしだから兄弟弟子関係にあるということでしょうか。
 噂によると,貴乃花親方は,こういう力士間の交流を禁止していたといいます。本場所での相撲がなれ合いになる危険性があるからでしょう。部屋によっては出稽古すら禁止するところもあるようです(貴乃花部屋がそうであったかはわかりません)。同部屋の力士同士が本場所(優勝決定戦を除く)で対戦しないのも,八百長やなれ合いを防ぐ趣旨があるはずです。部屋をまたがっていて本場所での対戦もあるのに,暴力もありというような「兄弟」関係があることは,本来あってはならないことなのです。そもそもモンゴル人どうしが飲み会をしているというのも,どうかと思います。横綱三人がいっしょに二次会で飲んでいるというのは,非常に違和感があります。
 横綱になると,絶大なる権力が手に入ります。しかし,それだけ普通ではない責任がかぶってきます。その責任がいやなら横綱推挙を断ればいいのです。引き受けた以上,社会の目が著しく厳しくなるのは当然のことです。
 おそらく現役当時,横綱の責任というものを最も自覚していた横綱の一人である貴乃花親方の毅然とした態度が,日馬富士を引退に追い込んだのであれば,貴乃花親方の行動はこの点でも賞賛されるべきものでしょう(双羽黒の引退のときよりも,行為は悪質でしょう)。
 もちろん日馬富士はなぜ俺だけが,という気持ちがあるかもしれません。これをきっかけに相撲がもっと面白く楽しめるようになってくれればと思います。そうなれば,日馬富士の不名誉も,少しは回復されるのではないか,と思いますが,どうでしょうか。  

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2017年11月28日 (火)

労基法38条1項は改正不要

 今朝の日経新聞で「副業しやすくルール修正- 厚労省,本業との労働時間合算など検討 「働き方」整合性も課題」という見出しの記事が出ており,労基法38条1項のことが扱われていました(条文は出てこなかったですが)。明治大学の小西康之君が「ルールが有効に機能していない」とコメントしているように(なお,小西君を「労働法に詳しい」と形容するのは,日経新聞のいつもの言い方ですが,何か変で,労働法研究者とか,労働法学者とか呼んでほしいです。労働法の詳しさにも,いろいろなレベルがあるので,専門に研究している人にはそれなりのリスペクトがほしいものです),38条1項があるがゆえに副業を禁止しているという例や,副業先が本業がある人を受け入れないという例が,それほどあるとは思えません。したがって,38条1項の規定を変えても,副業との関係では,実態にほとんど影響がないのではないでしょうか。
 理論的にも問題があります。副業を命じられてするような場合なら別ですが,普通は,副業は自分で選択してやります。その場合,たとえばA社で6時間働く場合,その6時間はA社に時間管理責任があります。同じ労働者がB社で5時間働く場合,その5時間はB社に時間管理責任があります。しかし,6時間と5時間を加えて11時間(3時間は法定労働時間を超過),働くというところには,労働者の自発的意思が介入しているのです。そこを飛び越えて通算して,「使用者」側の責任にしようとする発想に,そもそも無理があるのです。
 使用者が労働法上の責任を負うのは,基本的には,自らが指揮命令した範囲においてです。理論的には,その範囲を超えるところまでは責任が及ばないはずです。38条1項は「事業場を異にする」場合にも労働時間を通算するという規定ですが,それを同一使用者における複数事業場のことを指していると解しても,文言上はまったく問題ありませんし,理論的にも正しいのです。むしろ,異なる事業主にまたがった場合にも通算するという行政解釈(昭和23年5月14日基発769号)のほうに無理があります(複数の派遣先に派遣するという場合の通算は,使用者としての派遣元の管理範囲内のことで,認められるのは当然です)。労働者を基準にして判断するという発想はわからないわけではないですが,使用者の責任を過大に認める理論的根拠は薄弱です。しかも行政は,実際上は,複数事業主にまたがる労働時間の通算について取締りなど出来ていないのです。その意味で無責任な行政解釈といえるでしょう。
 労基法38条1項は,行政が誤りを認めて,行政解釈を修正すればよいだけです。これだけのことなら,別に労政審に諮る必要などないのではないでしょうか。
 もっと大事なことに時間を使ってもらいたいものです。たとえば,労働時間規制で健康確保を図るということそのものの妥当性の検討です。自発的に副業をしようとする人について,健康確保が必要であるとすれば,それはどのような方法によるのか,です。これは法律屋がいくら集まっても,その知恵には限界があるかもしれません。  

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2017年11月25日 (土)

『〆切り本』

 『〆切り本』(左右社)を読みました。〆切りは,作家の人たちにとっては,逃れられない宿命的なものですが,〆切りがあればこそ,おまんまが食えるということで,ありがたいものでもあります(〆切りのないような作品は商業的価値がないことが多いでしょうから)。私のような研究者においても原稿の締切はもちろんあり,そこだけみれば作家と同じような状況ですが,これで生計を立てているわけではなく,切実性は違うでしょう。雑誌や新聞で自分が穴をあけたらどうしようという悪夢にうなされる作家が多いということを知り、少し安心しました。
 この本は,あの谷崎潤一郎や夏目漱石などを始め,多くの著名作家が〆切りに追われて呻吟している生の気持ちを表したものを収録したものです。〆切りを過ぎてから書き出す人たち,〆切りを守ろうと悪戦苦闘している人たち,〆切りに追われるのをおそれて〆切りより早くにきちんと書き上げている人たちなど,〆切り一つをとっても,いろいろ性格が出てきます。これだけ一斉に並べられると,どこかに自分と同じタイプの作家がいそうです。
 それで私はどうかというと,まず私自身,おそらく15年くらい以上,締切が1カ月以内にないという状況になったことはありません。大きな論文や書物の締切がまずポツポツとあって,さらにそれらの初校,再校の締切があって(私は初校や再校でもかなり手を入れるタイプです)というのが基本にあり,そのほかに依頼された雑誌原稿,そして連載原稿がありということで,このスケジュール管理がとても重要です。いちおう毎日プチ締切を作っており(今日は原稿のここまでを書くための締切とか,今日は構想を固めるための締切とか),それを現在ではTodoistで管理していて,朝起きたときにみる最初のメールは,Todoistからの,今日のプチ締切についてのものです。プチ締切をきちんと守っていけば,全体の締切に間に合うということで,この最初のプチ締切の設定がとても大切です。もちろん,予定どおりにいかないのは世の常であり(とくに酒を飲むとグダグダになり,これは作家の方も同様のようで安心しました),たえずプチ締切の再設定はやっています。こういうスケジュール管理にかなりの時間を費やしているので,これも人工知能にやってもらったらという気もしますが,実は自分でやることに楽しみもあるのです。無事にノルマがこなせたら,そのプチ締切を削除するのです。これがとても快感なのです。プチ締切が次々と消えていくところが,マラソンの残り距離が減っていくのと同じような感じで快感なのです。そしてその快感の行く末が原稿の完成ということで,このおかげで,私は幸い原稿を落としたことがないはずです(落としてほしいと頼んだのに,落とすことを認めてくれなかったものが,昨年1件ありましたが,これは主観的には,締切を守らなかった例には分類されていません)。
 もちろんこれは私が律儀だからではありません。追い込まれてしまうと原稿が書けないという気の弱さがあることを自覚しているからです。弱い者は自衛しなければなりません。締切なんてなんぼのものと言えるような豪の人はうらやましいですが,自分に合わない生き方はダメですよね。一番困るのは,自分で自分の後始末をつけれずに,他人に原稿の遅延や不執筆の後始末を押しつける輩ですが,こういう人とはできるだけ付き合わないようにしようと思っています。

 ということで締切にうなされることのある方々は,この本を読んで勇気づけられましょう。それにしても,一番最後の谷崎潤一郎のお詫び文にはぶっとびました。さすが大作家です。       ★★★☆☆(この企画の面白さに★三つという感じです)

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2017年11月21日 (火)

カタカナ英語

 ずいぶん前に書いたことがあるネタです。
 英語教育の強化をいうまえに,まずカタカナ表記について改善をする必要があるのでは,という話です。とくにLとRの違いが問題です。
 次のカタカナのラ行の言葉のうち,元の単語でRを使っているものはどれでしょうか(正解は一つとは限りません)。   

 リンダ=グラットン Life Shiftなどが,ベストセラー
 カフェラッテ       森永乳業は正しく表記
 クラウドワーク      新たな働き方
  シチリア          ゴッドファーザーをみれば行きたくなる
 シュレッダー     最近は,これでは不十分ということで機密書類は溶解
 モナ・リザ       ご存じダビンチの名作。

 正解は,クラウドワーク(crowdwork)とシュレッダー(shredder)です。その他の言葉は,Lynda Gratton, caffè latte,Sicilia,Mona Lisa で,L使用です。でも,多くの日本人は,このLをRで発音してしまっているようです。私だって,油断していれば,Milanoをきちんと発音できていないかもしれません。カタカナから思い出して外国語を発音すると,ただちにはLかRかわからなくなります。元の外国単語が思い浮かべばいいですが,なかなかそうはいかないこともあります。
 そこで提言です(誰かがすでにしているでしょうが)。日本人は,どうしてもカタカナから想起してしまうことが多いので,それをふまえて,Lのときには,カタカナに下線をつけるというのはどうでしょうか。たとえばシチリアは,「シチア」とするのです。あるいは丸で囲むのでもいいです。それをカタカナの正式の表記にするのです。
 スマホのソフトで英語を音声入力するとき,普通にカタカナでやると意味不明か,Rになってしまいます。Lは意識して発音しなければならないのです。カタカナから想起するときも,下線がついていたということが記憶されていれば,多少は,発音の正確化につながることにならないでしょうか。

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2017年11月20日 (月)

テレワークの効用

 今朝の日本経済新聞に「総務省の2016年度の調査ではテレワーク導入企業の労働生産性は導入していない企業の1.6倍になるという。実際,導入企業の9割が効果が実感できたとしている。」という記事が出ていました。
 やっぱりそうだろう,という気持ちです。このブログでもたびたびテレワークを取り上げている,テレワーク推進論者の私は『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)のなかでも,テレワークのことに10頁も割いています(159頁以下)。テレワークの効用は,自分も身をもって感じています。政策的にも,テレワークの普及はフリーランスの増加につながり,雇用政策,労働法に激変をもたらすでしょう。
 現在ではまだテレワークは雇用労働者の働き方の一つという位置づけにすぎませんが,それでもテレワークの効果は抜群のようです。テレワークをめぐる消極論について十分に根拠がないのではないかということは拙著で書いていますので,参考にしてください。
 これまでの作業態勢を想定すればテレワークはなかなか難しいでしょう。ただ,PCを使うことが業務の大半であるという社員ならば,純粋に仕事の成果だけにフォーカスすれば,本人が好きな場所で好きな時間に仕事をすることができて,通勤による無駄な時間と体力の費消を取り除くことができるテレワークのほうがよいのです(VPNも活用できるはずです)。テレワークに向かないのは,成果にあまりつながらないような働き方で時間を使っている人たちです。そういう人は在宅勤務をすれば,サボってしまうでしょう。でも,これからの日本企業は,そんな人を雇用している余裕はないのではないでしょうか。
 対面が大事なら,いつも言っているように,WEB会議で十分なはずです。そうすると,出張も不要となります。現在メンバーに入っている役所系の会議は,WEB会議があまりうまく行かず困っているのですが,昨年の別の会議では,WEB会議の質が高く,まったく問題がありませんでした。政府もWEB会議の重要性をほんとうに理解して,省庁ごとの縦割りではなく,横断的に技術開発をして,WEB会議用の部屋をもっと多く用意すべきでしょう。東京まで出てこい,という姿勢では,そのうち地方の人間から背を向けられるでしょう。
 そもそもテレワークは,東京一極集中を解消するためにも必要なことだと思っています。このことは,妄想エッセイ「変わる雇用環境と労働法-2025年にタイムスリップしたら」のなかでも書いていますので,ご関心のある方はどうぞ(総務省の研究会のメンバーが寄稿した,福田雅樹他編『AIがつなげる社会-AIネットワーク代の法・政策』(弘文堂)に所収)。なお,総務省の会議では,なぜかWEB参加ができないので,出席率はゼロに近いのですが……。 

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2017年11月19日 (日)

障害者雇用について-長谷川珠子先生からのコメントとリプライ-

 福島大学の長谷川珠子さんから,拙著『雇用社会の25の疑問-労働法再入門-(第3版)』(弘文堂)についてコメントをいただきました。第2版のときにも,全体にわたりコメントをいただいていましたし,前に有斐閣から刊行した『労働の正義を考えよう-労働判例からみえるもの』は,事前に目を通してもらいコメントをいただいていました(同書の「はしがき」を参照)。
 今回は,新たに障害者をテーマにした章を設けたので(「第16話 障害者の雇用促進は,どのようにすれば実現できるか」),さっそくの専門家の長谷川さんに目を通してもらいました(本当は刊行前に読んでもらうほうがよかったのですが,多忙な若手研究者に迷惑を掛けるのは悪いと思い,事後的なコメントをいただくのにとどめました)。

 まず,「こういうふうに書けば読者にわかりやすく伝わるのか,と感動しています。」という気を遣ったコメントのあとに,「細かい点なのですが、気になったところをいくつか。」ときて,次の3点を指摘してくださいました。とくに②はきわめて重要な指摘です。

 ① 「209頁9~10行目にかけて「障害者からの申し出を受けて」とありますが,障害者の申し出が必要なのは,募集・採用時のみで,採用後は,使用者の側から障害による職場での支障を確認することが求められます。次の段落が採用後の合理的配慮について書かれているので,その上の部分は募集・採用時のこととして書いていらっしゃるのかなとも思いましたが,少し気になりました。」

 私からのリプライは,次のようなものです。おっしゃるように,該当箇所の記述は,36条の2の募集・採用時のことだけを書いたもので,「労働者からの申出」に言及しているのは,この条文の文言からとったものです。したがって,採用後の話ではありません。
 ただ,採用後においても,労使で話し合いをして,労働者の希望を考慮して合理的配慮の内容を特定していく必要はあるので,本書で書いた質的アプローチの議論それ自体は,採用後にも及びうると考えています。
 つまり,私が意識していたのは,義務の成立要件という観点からのものではなく,義務の内容である合理的配慮とは,「障害の特性に配慮した必要な措置」のことなので,障害者側の意見や希望をふまえたものでなければならず,その点で,通常の使用者の配慮義務とはやや違うということを,多少強調したかったということです。
 でも,長谷川さんの指摘の根底にある問題意識は,おそらく,使用者の採用後の合理的配慮義務(36条の3)は,障害者である労働者が何も言わなければ,何もしなくてもよいというような受動的な義務ではないことを強調すべきということであり,それはとても重要なポイントだと思います。

 ② 「210頁「真のノーマライゼーション」の4行目差別解消法によって,「重ねて」規定されているとありますが,促進法が雇用分野についての規定で,差別解消法はそれ以外の分野についての規定なので,重なっているわけではないのでは,と感じました。また 障害者への配慮は,老人や妊婦に席をゆずるということと果たして同じなのか,議論の余地があるように思います。」

   ここの箇所は,真のノーマライゼーションとは,障害者を特別視せず,まず人々の道徳意識に訴えかけるほうがよく,法的介入で,あれをせよ,これをするな,とやっていくことでは,いつまでも障害者は特別な存在で,ノーマルな存在にならない,という問題意識で書いています。かなり強烈な主張で,法的な介入によって障害者の差別是正を図ろうと考えている人にとっては受け入れがたいものかもしれません。私は,障害者が隣りにいることが普通である社会にするためには,差別禁止法をあまり使わないほうがよいのでは,と考えていますが,このあたりは長谷川さんのコメントにあるように,十分に「議論の余地がある」と思います。
  それはともかく,障害者差別禁止法(拙著では,略称を「障害差別解消法」としましたが,政府のHPをみたら「障害者差別解消法」が公式の(?)略称のようです)の8条で禁止されているのは,「事業者」(拙著では,「事業主」となっており,訂正します)の行う差別であり,そこで対象として想定されているのは,従業員ではなく,消費者などのサービスの提供先であるようです。そして13条では,「行政機関等及び事業者が事業主としての立場で労働者に対して行う障害を理由とする差別を解消するための措置については,障害者の雇用の促進等に関する法律(昭和三十五年法律第百二十三号)の定めるところによる。」となっています。したがって,理論的には,事業者の8条による義務は従業員も含まれえますが,従業員との関係では,特別法である障害者雇用促進法が適用されるのだと思います。そうすると「重ねて規制があることに少し違和感をおぼえる」という私の指摘はおかしいのではないかという,長谷川さんの指摘はまさにそのとおりといえるでしょう。
 ただ,いずれにせよ,障害者差別解消法は,雇用という従属労働論が適用される場面以外の通常の私人間の取引にも,差別禁止法が適用されるということであり,これはやはり道徳規範と法規範との線引きという観点から気になるところが残ります(私は,もちろん,道徳的な観点からは,障害者差別は到底許しがたい行為だと考えています)。事業者は妊婦を差別するな,老人を差別するな,といった法的介入はしなくてもよいのか,というのが私の問題提起です。障害はこれとは違う特別なものであるというならば,なぜ特別なのかを,理論的に詰めていく作業は,残っているような気がしています。

 ③「中川先生のお名前は,中川純ですね。」  

 214頁の一番下の行で,中川さんのお名前を間違えてしまいました。たいへん失礼いたしました。お詫びと同時に,訂正をお願いいたします。

 ④「除外率の廃止の部分,引用してくださってありがとうございます(214頁)!細かいところも読んでくださっているんだなとうれしくなりました。」

   障害者雇用促進法そのものは,これまでも学部ゼミでよく扱っていたので,多少の勉強をしていましたが,改正法はまったく不勉強だったので,永野仁美・長谷川珠子・富永晃一『詳説 障害者雇用促進法―新たな平等社会の実現に向けて』(弘文堂)で,勉強させてもらいました。

 さて拙著では,技術革新によって,障害という概念も変わっていくのではないか,という問題提起もしています。障害とは本来,相対的,可変的な概念だと思っています。そのため,定義が非常に難しく,それゆえ強い法的介入になじまないのではないかと考えてきました。保護的な法的介入をするためには,保護対象者の定義が必要ですが,定義から外れた者と定義に含まれた者とのギャップが,法的介入の程度が強いほど,大きなものになるので,かえって不公平を助長しないかという懸念もあります。  
 一方,現実の障害者を雇用の場面で保護するという観点からは,誰もがいつでも障害者となる可能性があるという想像力をもって「共感」の輪を広げることこそが大切だと考えています。法律が,事業主や事業者に対して障害者に対する責任を増やしていくことは,たしかに人権意識を高め社会意識を変えるきっかけとなるかもしれませんが,他方で,かえって,障害者を規制との関係でのみとらえて,特別なカテゴリーとする発想を高めることにならないか,という懸念を拭い去れないのです。
 障害者を雇用したり,障害者と取引したりするのを,困ったな,面倒だな,でも人間として障害者に対して平等な態度で臨むのは当然だよな,それにいつ俺も障害者になるかわからないしな,という気持ちをもった国民を増やすにはどういうアプローチがあるかを,私なりに今後も考えていきたいです。
 長谷川さんには貴重なコメントを,心より感謝しています。

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2017年11月17日 (金)

第4次産業革命に挑む

 表記のようなタイトルで,NIRAの「わたしの構想」32号が出されています。企画は,現在,最も政府に近いところで活躍されている経済人の一人,金丸恭文さん(NIRA総研理事長,フューチャーCEO)です。
 金丸さんに加え,他の5人の識者がコンパクトに提言をしています(「わたしの構想」は短くて読みやすいので,書く方は,私も一度書く側に回ったことがありますが,かなり大変です)。日本社会全体のイノベーション志向の弱さなどから閉塞感を感じていた私にとって,こういう企画のものを読むとファイトが湧いてきます。金丸さんは,「すさまじい勢いで技術革新が進む現在は,ゲームチェンジを起こしやすい。いまからGoogleは作れないかもしれないが,異なる競争ドメインならいくらでも勝ち目はある。ひらめきをもった世界中の個人にとって,久々に巡ってきたビッグチャンスだ」と言われていますが,まさに我が意を得たりです。
 企業も個人も創意に富んだ発想が実を結ぶ時代です。そうした発想をはぐくむのは,本来は大学のはずです。金丸さんは,大学改革として,社外取締役のような仕組みを入れることを提言されますが,人材がどれだけいますでしょうか。ほんとうに優秀な大学研究者は,過去の成功体験から脱却できない大企業の経営者などよりも,はるかにイノベーティブです。大学改革の本丸は,文科省支配からの脱却なのです。そこのところは,ぜひ金丸さんのような影響力をある方に,発言してもらいたいものです。
 早稲田大学ビジネススクールの根来龍之教授の「日本の得意を生かすプラットフォームビジネス」も,金丸さんと同様,日本企業が強みを発揮できる分野はまだまだ存在するとしています。そして「厳しすぎる規制と,問題の事前解決を重視しすぎる文化が壁となる」とし,「レギュラトリー・サンドボックス」の活用を提言されています。
 これを労働の分野でいえば,イノベーティブな仕事をする人にも及びうる厳格な労働時間規制(法改正で導入される可能性の高い高度プロフェッショナル制も要件が厳しい)などは,まずはサンドボックスの対象としてよいのではないかと思います。
 企業業績が好調で,株価も順調に上がっている現在の日本経済において,次にやるべき課題はイノベーティブな人材が活躍しやすい社会をつくることであり,労働法の面でもやることはたくさんあるように思います。労働時間制度改革や解雇改革ができないようでは,どうしようもありません。刊行したばかりの『雇用社会の25の疑問-労働法再入門-(第3版)』(弘文堂)でも,第24話で「第4次産業革命後の労働法はどうなるのか」として,政策的な提言を盛り込んでいるので,ぜひ参考にしてください。

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2017年11月16日 (木)

東野圭吾『毒笑小説』

 東野圭吾『毒笑小説』(集英社文庫)を読みました。短編集です。タイトルどおり,毒の入った笑いといったところですが,収録されているのは,そういう小説ばかりではありません。巻末には京極夏彦との対談が入っていて,ファンには楽しめます。そこで二人は,笑いをとるギャグの難しさを語っています。私も,労働法関係のことを書いていても,クスっと笑ってもらったり,エロスを感じてもらったりというようなことを,書く媒体によっては,それが必ずしも求められていないときにも狙ってしまうことがありますが,最初から,面白いものを書けと言われると,ハードルが高くなってしまい,すべってしまいそうです。
 収録されている小説は必ずしも「笑い」ばかりではなく,「手作りマダム」のように,ちょっとくだらないけれど,これでもかこれでもかとたたみかける吉本的ノリがある小説もあれば,「エンジェル」のような風刺的な作品もあります。「つぐない」は,シュールなオチの作品ですが,実はこれがその後の名作「秘密」の原型だと聞いて(巻末の対談),驚いてしまいました。なるほど,基となるネタがあれば,それは滑稽なものにも,悲劇的なものにもなるということですね。まさに笑いと切なさは紙一重なのかな,という気がしました。
  前に「大学教授の辞めさせ方」という作品を書いたことがあるのですが(ジュリスト1476号),あれを思い切って喜劇で書くか,逆に悲劇で書くか,ということが出来ていれば,私も一皮むけていたかもしれませんが。  ★★★☆☆(東野作品はやはり長編のほうが好きなので,★三つ)

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2017年11月15日 (水)

泣くなazzurri

   衝撃的でした。昨日のLa Repubblica の一面は,「Italia-Svezia, gli azzurri fuori dai Mondiali del 2018: le lacrime dei giocatori(イタリア対スエーデン。2018年のワールドカップ出場を逃したアッズーリ。選手の目に涙)」。アッズーリ(青)は,イタリアのサッカーチームのユニフォームの色から付いた愛称です。
 今回の予選はスペインと同じ組に入ってしまい,勝ち点が同じで迎えた9月2日にスペインに0-3で完敗して2位となりプレーオフに回りました。前年にあった初戦は引き分けでした。予選では,結局スペインに負けただけでした(スペインは9勝1分け,イタリアは7勝1敗2分け)。ただスペイン戦後,10月6日のマケドニア戦で引き分けて,9日のアルバニア戦も1-0での勝利で,攻撃力不足が言われ,暗雲が垂れ込めていました。それでもプレーオフで勝ち抜けるだろうと思っていたら,初戦はアウエーで0-1で敗れ,ホームでスコアレスドローで敗退です。
 そもそも欧州予選でスペインと同じ組に入ってしまったことが,つまづきの始まりでした。2015年7月時点のFIFAランキングで第1シードが決まったようです。欧州予選はA組からI組までの9組で,上位9国は予選では対戦しません。イタリアは,この当時の上位9国に入れなかったということですね。ちなみに最新の10月時点ではFIFAランキング15位で,欧州では10位でした。実力の低下が影響しましたね。
 最近はセリアAの動きもフォローしていませんでした(長友はいますが,もうかつてのような輝きはありませんし,本田もいなくなりました)が,ワールドカップとなると別です。毎回楽しみにしていて,イタリアの戦いぶりにいつもハラハラしていました。ワールドカップが来るたびに,より鮮明な画像のテレビに買い換えたい気持ちにもなっていました。
 イタリア人はさぞかし意気消沈していることでしょう。日本くらいのレベル(FIFAランキング44位)でワールドカップに出ることができて,イタリアが出れないというのは,おかしい気もしますが,仕方ないことですね。ワールドカップは,スペインと日本を応援することにしましょう。 

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2017年11月14日 (火)

特区の効用を国民にもっと説明すべきでは?

 加計学園問題については,多くの国民は,首相が逃げている,あるいは側近達がかばっているとみていると思います。でも,「人の噂も75日」ですので,風化が徐々に起きつつあるようでもあります。そもそも説明をすると言っても,きちんと説明することなんてできないのだと思います。首相の本音は明白で,それを周りが忖度したというのが真相でしょう。首相としては自分は何もしていないというのは真実なのでしょう。あとは良心の問題ですが,こんなことで良心の痛みを感じるような繊細な人では政治家になることはできていないでしょう。周辺の者は首相のために動いた忠義心があり,やはり良心は痛まないでしょう。国民目線をもたない忖度役人は,組織防衛という大義には絶対服従であり,役人をつついても,これ以上は何も出てこないでしょう。
 ところで,文部科学相の諮問機関である大学設置・学校法人審議会が設置を認める答申を出し,どうも林芳正文科相は認可する方向のようです。審議会が答申を出してしまった以上,大臣は認可しないことが難しくなるでしょう。その意味で,この審議会の答申は重かったですね。
 日本社会では,いったん動き始めたことをご破算にするということには,すさまじい抵抗があります。おそらくここまで手続が進んでいるのだから,いまさらゼロにすることは無理でしょう,と言われると,日本では分別のある人ほど説得されてしまいます。日本人には,これまで使った費用は,無駄に埋没させてはならず,必ず活用しきらなければならないというDNAがあるのかもしれません(「もったいない」意識)。でも,サンクコストをめぐる議論は,こうした発想が,非効率である場合があることを教えてくれます。戻ってこないコストにこだわることによって,より大きなコストを生む可能性があるのです。損切りの発想が必要です。だから審議会では,いまこれから認可することが,ほんとうに国民にとって必要かを,これまでのコストを忘れて議論をすべきだったのですが,そういう議論がなされたのでしょうか。
 日経新聞の一昨日の社説のタイトルは,「「加計」乗り越え特区の再起動を」となっていました。官僚が牛耳る岩盤規制を打ち破るのが特区であり,その効用は大なので,加計問題にとらわれて,その本質を見誤るな,ということでしょう。気持ちはわからないではないのですが,現時点では,特区により国民にどんな利益が生じているのかが,国民によく伝わっていないのではないか,という点が気になります。 
   特区による効用を感じている人は,岩盤規制に阻まれてきた特定の業界や業種の人たちです。こうした人たちが参入して競争が促進されることによって,実は国民にも利益が及ぶはずなのですが,それまでにはもう少し時間がかかります。残念ながら,獣医学部の新設についても,日経新聞の社説では,「獣医学部をめぐっては,法的根拠なしに新設を阻んできた文科省の行政指導にこそ問題がある。教育と研究の質を高め,食の安全や感染症対策で消費者に恩恵をゆき渡らせるには,意欲ある大学経営者に広く参入を認めるべきだ」と書いていますが,ちょっとこじつけ感があります。
 加計問題で,特区には味噌がついた気がします。特区の効用について,もっと明確に説明する責任が政府にはあると思います。前掛かりで次々とやってしまうと,国民の支持を得られなくなるでしょう。労働法規制などで,わかりやすい特区があればいいのですが(外国人労働の特区は若干地味です。福岡の雇用創出特区はもともと効用が疑わしかったのですが,あれはどうなったのでしょうね?)。

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2017年11月 9日 (木)

転勤

 前に裁判官のことを書いたときに,転勤法理についての裁判所の態度が厳しいと書いたところでしたが,11月6日の日経新聞の「法務」の欄で,ちょうど田中浩司記者(日経新聞では数少ない労働法のことをきちんと書ける記者です)が,転勤のことをとりあげていました。
 このブログでもときどき取り上げているように,転勤がほんとうに必要なのかが,いまホットイシューになりつつあります。さらにパートの無期転換と転勤というのも,実務上は重要な問題であり,その点も記事では取り上げられていました。
 法的には,無期転換と転勤についてはやっかいな問題がありそうです。たとえば,勤務地限定社員が,無期転換したとき,労働契約法18条によれば労働条件は同一ですが,もし正社員就業規則が適用されれば転勤があるということなので(同条の「別段の定め」にあたる),そこでの調整が必要となります。無期転換組は,従来の勤務地限定の合意(勤務地限定特約)が無期転換後も継続するので,転勤命令付きの就業規則が適用されても,有利な勤務地限定特約が適用されつづけるということになるのか(労働契約法7条ただし書参照。そもそも無期転換後の就業規則の適用が労働契約法7条の問題となるかどうかも議論があります),といった形で問題となります。転勤のない無期転換組専用の「第3の就業規則」を作成すれば問題はないのですが。
 実務上は,企業が,無期転換した以上は,転勤をしてもらわなければ困るといって,正社員就業規則を適用してきたときにトラブルが起こりそうですね。
 ところで,記事の図表のなかに,「業務上の必要性」の説明について,これは不当な動機・目的がなければほとんど認められる,と書かれていましたが,東亜ペイント事件の最高裁判決(拙著『最新重要判例200(第4版)』(弘文堂)の35事件])は,「業務上の必要性が存する場合であっても,当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもってなされた場合」には,権利濫用となると述べているので,不当な動機・目的があっても,業務上の必要性がある場合はありえることになります。もっとも,実務上は,転勤の理由という括りのなかで,業務上の必要性と転勤の動機・目的を,同一次元の話として,どちらが優越するかというレベルで考えているのかもしれません(要件事実論とも関係します)。
 それと記事の最後に,「多様な働き方が増え,専門家の間では,最高裁が示した『通常甘受すべき程度を著しく超える不利益』かの線引きも変わってくるとの声もある」とありますが,最高裁がほんとうにそうなるかは疑問もあります。
 むしろ,多様な働き方が増えれば,勤務地限定の合意がなされるケースが増えてくるので,それだけで転勤命令権がないと判断される可能性が増えるのではないでしょうか。そして,これがさらに進むと,勤務地限定の合意の存否が厳密に審査されて,そこで勤務地限定がないとされれば,転勤命令が権利濫用となる可能性が(いまよりいっそう)下がるということが考えられます(権利濫用は,本来は例外的な救済法理です)。
 現在の裁判実務においては,勤務地限定の合意のチェックが緩いために,労働者の利益の考慮は権利濫用論に頼らざるを得ないのに,その肝心の権利濫用論でのチェックが緩いというところに問題がありました(たとえば,ケンウッド事件・最高裁判決[前掲拙著の36事件]は,勤務地限定の黙示の合意があったとする余地もあり,そうであれば,そこで転勤命令無効ということで話は終わっていました。ところが,事実認定レベルで,勤務地限定の合意がないとされたので,そうなると,権利濫用論で救うべきでなのでしょうが,そこは「通常甘受すべき利益を著しく超える不利益」についての従来の厳格な判断が壁になり,労働者は敗訴したのです[労働者側の対応にも問題があったのですが……])。勤務地限定の合意の有無というところで厳密に審査し,そうした合意があれば転勤は無効,そうした合意がなく転勤に同意していたという認定があれば,「通常甘受すべき利益……」とか言わずに,転勤は有効というすっきりした枠組みでやるべきなのです(それでも,ぎりぎりいっぱいのところで権利濫用論は残るでしょうが)。少しややこしい話ですが,LS生レベルであれば,理解してくれなければいけません。

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2017年11月 7日 (火)

宮部みゆき『火車』

 ずいぶん昔の本です。古い本の整理は随時やっていて,不要な本は片っ端から捨てているのですが,この本は捨てずにもう一度読もうと思いました。幸いなことに(後述のように本当は幸いではないのですが),ストーリーは完全に忘れていましたので,楽しめました。長編で,細かい話なので,速読せず,じっくりゆっくり読みました。クレジットカードからくる自己破産が関係したストーリーです。あまりにも有名な作品なので紹介する必要はないと思いますが,これだけの長編を,きちんと伏線を張り巡らせて,きちんとそれを回収してまとめあげる力量は,改めて感服です。松本清張的なものとは違う,宮部みゆき流の社会経済ミステリーは,何度読んでも面白いですね(今回は,手元に残さず,古本屋に1円くらいで買ってもらうことになるでしょう)。
 それにしても,ストーリーを完全に忘れていたことは,ショックでした。最後のシーンに,少しだけ覚えがあるような気がしますが,でも記憶があるとまでは言えません。
 まったく違う話ですが,先日,労働委員会で,審査事件の申立てがあり,それが,1年前にあっせん申請があった会社の事件であるということを聞いて,そのときの担当者にどのような事件であったか聞こうとしたら,あなたが担当していた事件だと言われて愕然としてしまいました。事務方から事件の概要の説明を受けても,記憶が戻ってきません。あっせん成立なので,いい加減にやっていたわけではなく(自慢ではないですが,私は,会議はあまり好きではありませんが,事件処理はいつも全力投球です),それなのに記憶がないのです。時間が経つと思い出すかと思いましたが,あれから2週間ちかく経っても,やはり思い出せません。たしかに,私は研究以外のことは,労働委員会関係だけでなく,およそ何でも,終わったらすぐに忘れることにしているので(そうしなければ,限られたキャパの私の脳が次に向かってくれないのです),こういうことになるのでしょう。別に誰かに迷惑をかけているわけではないと思いますが,認知症の始まりであればどうしようと不安にもなっています。記憶が消しゴムで消されてしまったような気持ち悪さがありますね。もし病気でないのなら,こういう老化現象に耐えることも,人生修業なのかもしれません。 

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2017年11月 6日 (月)

雇用社会の25の疑問(第3版)

 本日,弘文堂から,『雇用社会の25の疑問-労働法再入門-(第3版)』が届きました。今年2冊目です。著者による本書の簡単な紹介は,私のHPに載せています(http://www2.kobe-u.ac.jp/~souchi/book.html#book2017)。  当初は,第3版とせずに,『新・雇用社会の25の疑問』のような新たな書名にして,完全リニューアルをしようかとも思っていました。そうしたほうが,書評などでも取り上げてもらえる可能性が高まりますし,本屋でも新作扱いになりますし,営業的にはよいことが多そうです。ただ,著者側の立場としては,『新・雇用社会の25の疑問』としてリニューアルすると,ただでさえ執筆速度が鈍ってきている私ですから,いつ完成するかわからないということもあり,プチ修正の第3版にしようということになりました。これなら5月くらいには作業を終えて,秋前に刊行といったスケジュールになるのではと予想されたのですが,全くそうはなりませんでした。作業を始め,もう一度,自分の本を読み直してみると,まったく違っていました。7年も間があいてしまうと,改訂といっても簡単ではなかったのです。結局,章のテーマだけでも3分の1は新規であり,またテーマが同じでも,ほとんどの章でかなりの手を入れました。それと,少し気分を変えたかったこともあり,文体も「新聞調」に変え,「データから雇用社会」という新コーナーも作りました。判例索引では,掲載誌を載せるのをやめて,ネットでの検索に必要な事件番号だけを載せることにしました。  おかげで新しい気持ちで新しい本を書いたという気分になれました。  第4版は,もうないでしょう。やはり本には本の型というものがあり,初版の10年前と同じ型を維持しながら本を改訂していくことは,辛くもありました。作業中も,もっと違うスタイルの本を書ければという気持ちが高まってもいました。もっとも,実際にそれをやれるだけの気力を維持できるか,より根本的には,能力があるか,という問題はありますが……。  最近は,できるだけ神戸に引きこもり,マイペースで研究や執筆をやっていますが,本書は私の生の声がそのまま出ているような本ですので,私の話を聞きたいと思ってくれる方がもしいらっしゃれば,まずは本書を読んでみていただければと思います。帯のピンクも,私のことをよく知っている人であれば,私っぽいと言ってくれるでしょうね(今回,この色を選んだのは,私ではなく,サクランボさんですが)。

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2017年11月 5日 (日)

神大おめでとう

 といってもこれは神戸大学のことではありません。全日本大学駅伝で優勝した神奈川大学の神大(じんだい)です。東京にいると,神大というのは,紙で書くと神奈川大学のことになってしまいますね。神戸大学は「しんだい」と読むので発音すると区別できます。
 出雲では東海大学が優勝して,王者の青山学院大学に土をつけたので,二強時代と言われていましたが,全日本では,神奈川大学が強かったです。青学は,第1区で出遅れたのが大きくて,その後もなかなか追いつけず,絶対エースがいないことがチームを不安定化させたのかもしれません。神奈川大学は,最終の第8区に絶対エースがいたことで,無理のないレースが出来ました。第7区で必死に神奈川大学と差をつけようと東海大学の選手が頑張りましたが,ここを神奈川大学のランナーが17秒差で辛抱したことが勝負の分かれ目でしたね。1分くらい差が付いていると,いくら絶対エースでも焦るでしょうが,17秒差であれば力の差がそのまま出てしまうので,波乱は起こりませんでした。箱根は,二強にこの神奈川大学を加えた争いになるのでしょう。
 駒澤大学は順位は4位ですが,前のほうで善戦できたのが2区までということで,箱根に向けて不安を残しました(5区の区間賞の快走がなければどうなっていたか)。むしろ最後は失速しましたが,序盤を引っ張った東洋大学のほうに可能性を感じました。
 高校駅伝のほうは,男子は須磨学園が勝ちました。かつての西脇工業と報徳との戦いから,現在では須磨学園と西脇工業の二強時代に変わりつつあります。報徳が下降してきて,三強ではなくなっています。報徳ファンの私としては,残念です。全国大会では,かつて駅伝王国であった兵庫県勢も,外国人選手がいる高校(世羅や仙台育英など)に勝てなくなっています(福岡は,大牟田が,外国人選手を使った東海大福岡に負けましたね)。昨年の西脇工業の6位は善戦でしょう。ただ,一昨年は兵庫代表で須磨学園,記念大会の近畿代表枠で西脇工業の二校が出ましたが,ともに入賞できませんでした。須磨学園には,まずは入賞を目指してもらいたいです。
 兵庫の女子は西脇工業が代表となりまいた。兵庫の女子といえば,かつては須磨学園でしたが,最近は逆転して,西脇工業が連続出場しています。昨年は2位でしたので,久しぶりの兵庫県勢優勝を期待しています。

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2017年11月 4日 (土)

裁判官の廉潔性

   11月2日の日本経済新聞朝刊で,裁判官のアパート経営について,最高裁が認めなかったという記事が出ていました。夫婦で賃貸アパートを新築して賃料収入を得ようとした男性裁判官に対して,賃料収入が年間約1100万円に上り,「最も公正かつ廉潔であることが求められる裁判官には認められない」と判断したそうです(詳しい事実関係はわからないので,以下のことは,普通に市民が銀行から借金をしてアパートを経営しようとしたのと同じようなことを裁判官がしようとしたという前提で書きます)。
 裁判官の兼業は,公務員の兼業規制とは違う趣旨がありそうです。記事によると,「私的な争いを審理・判断する職務の性質上,一般の国家公務員以上に公正さが求められることが理由とされる。」となっていました。裁判官に廉潔性や公正さが求められるのは当然です。国によっては裁判官の買収なんて当たり前というところもあるようです(友人の外国人に聞きました)。裁判官が妙に政治的な考慮をする国もたくさんあります。それに比べれば日本の裁判官は格段に信頼できる存在でしょう。
 もっとも裁判官にも,ある程度の私的自由が保障されてしかるべきです。憲法76条3項は,「すべて裁判官は,その良心に従ひ独立してその職権を行ひ,この憲法及び法律にのみ拘束される。」と定めており,裁判の公正さは,裁判官が良心に従い,憲法と法律のみにしたがって裁判をするということにあるのです。アパート経営がそれとどう関係があるかははっきりしません。アパート経営をしている裁判官に裁かれたらといって,国民は裁判の公正さへの疑念をもつでしょうか。むしろそういう普通の市民が合法的にできることができないような窮屈な世界で生きている裁判官が,現実から遊離した裁判をすることへの懸念のほうが大きくないでしょうか。
 以前にここでも書いたかもしれませんが,私は,転勤命令に対する裁判所の判断が使用者に甘いのは,彼らが転勤を普通に経験しているからではないか,という仮説(?)を提示してきています。東亜ペイント事件・最高裁判決(拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第35事件)では,転勤命令は,「労働者に対して通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるもの」であるときは,権利濫用となるとしていますが,これがめったに肯定されないのは,「通常甘受すべき」の判断や「著しく超える」の尺度が,裁判官に任されていて,法律が何も縛っていないからです。だから世間を知らない裁判官が,正社員に転勤はつきものという常識にしばられ,そこに規範的なメスを入れる発想をもたないということが起こりうるのです。法律にしたがった裁判というのは,権利濫用法理など一般条項が活用されるケースでは,裁判官の社会通念にしたがった裁判に置き換わり,その社会通念がゆがんでいると,たいへん困ったことになるのです。
 だからといって,裁判官に遠山の金さんのように市井の暮らしを実地でみろと言うつもりはありません。裁判官は,あくまで法律にしたがって裁判をする存在です。そこにちょっとした裁判官のもつ社会通念の改善があれば,国民は満足するのです。そう考えると,アパート経営も悪くないのではないでしょうか。
 裁判官の公正さをどのように担保するかは大きな問題であり,これまでの日本の裁判官はおそらく国際レベルでみても信頼性はきわめて高いものであったのですが,あまりにも過度に廉潔性を追求することは,副作用のほうを心配すべきなのかもしれません。世間から遊離すると,偏った独善的思考をもつ同質的な集団となりかねず,ひいては,その集団内部の評価で出世が決まっていくことから,裁判官の独立性という憲法上の要請と矛盾することにもなりかねません。
 今回のケースをきっかけに,裁判官の独立性や裁判の公正さは,どういうものかを,みんなで考えていくことが大切であると思いました。

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2017年11月 2日 (木)

ブラジル労働法と金銭解決

 11月1日の日経新聞の朝刊で,「過度の労働者保護修正へ アルゼンチンとブラジル 企業に雇用・投資増促す」という記事が小さく出ていました。ちょうど先日の神戸労働法研究会で,信州大学の島村暁代さんに,ブラジル労働法について報告していただいたこともあり,ちょっと気になりました。島村さんの報告のときにも思ったことですが,ブラジル労働法は,たいへん労働者に有利であり,記事のタイトルにもあるように「過度の労働者保護」という表現がぴったりです。これではブラジル人を雇用した経営はたいへんだろうなと思いました。
 ブラジル労働法は,イタリア労働法の影響も強く受けているようであり,その点も興味深いところでした。ただイタリア労働法は,とくに1990年代からその見直しを進めてきているところですが,ブラジル労働法は,まだ緒に就いたばかりというところのようです。ただ,国内の反対は大変でしょうね。一度,労働者に有利な制度を設ければ,それを引き下げるのには大変なコストと努力が必要です。法律ではなく,できるだけ労使自治にゆだねたほうが,弾力的な調整ができるのであり,日本も労働者のゴキゲン取りのような法律を無責任に作ると,あとあと困ることになるということを知っておく必要があります。
 そんなブラジルでも,解雇については,金銭解決制度です。不当な解雇とそうでない解雇では,コスト面に違いがあるだけです。ブラジルにはFGTSという個人の所得保障基金のようなものがあり,そこから労働者がお金を引き出すことができる事由は限定されているのですが,不当な解雇の場合には労働者は引き出し可能です。一方で不当な解雇をした使用者は重い罰金をFGTSに拠出しなければなりません。そのほかにも,労働者は正当な解雇のときよりも,不当な解雇のときには金銭面で優遇されます(一定の賃金や手当の支払の優遇)。
 いつも述べているように,金銭解決だから解雇規制が弱いということではありません。ブラジルのような労働者保護が進んでいる(進みすぎている?)国でも,解雇については金銭解決ルールで対処しているのです。問題は額ということです。スペインでむこうの学者にインタビューをしたときも同じような答えでした。金銭解決の規制は,額次第では,十分に使用者に重くなりうるのです。しかも,ブラジルで最も重要なのが,FGTSからの引出金であるという点も面白いです。FGTS方式では,使用者から直接お金が支払われるのではなく,労働者に基金からの引出し権を与えるという形のものであり(労働者は引き出さず,将来のために残しておいてもいい),そして不当な解雇をした使用者は,この基金への積み立てを強化させられることにより,一種のメリット制のようになっています。これが使用者に不当な解雇への抑止的効果となっていますし,労働者の生活保障も配慮されています。ここだけをとればアメリカの失業保険と似たような構造ともいえます(ブラジルでは,FGTS以外に別途に失業保険もある)。このような分析は,明治大学の小西康之さんから教わったもので,彼の研究領域であり,私たちの解雇の金銭解決本にも,寄稿していだいています。

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2017年11月 1日 (水)

11月ですね

 ハロウィーンなんて,つい最近までなかったものに,みんな踊らされていますね。やはり小さいときに経験していないものには,なかなかなじめません。10月末に特別な思いはありません。
 むしろ今年の10月末は,いろんなものの締切日という意味しかありませんでした。新規原稿が3本(1本は非公刊),頭出し的に出していた原稿のリバイズの締切が2本です。かなり多忙で,なかなかBlogの更新にまで手が回りませんでした。ほんとうは今月はもう少し落ち着いているはずで,長く滞ってい仕事を進めるはずだったのですが,これは今月からとします。今月は,いまのところ業界用の新聞の新連載の準備くらいで,執筆関係のものは先月よりは時間がとれそうです。
 それと,ずっと作業が滞っていた解雇の金銭解決本も,いよいよ原稿が出そろい,ゲラが出てくる段階になっています。2月刊行予定ですので,楽しみにしてください。この最後の仕上げ作業も,頑張らなければなりません。先日は厚生労働省から「透明かつ公正な・・・<長いので中略>・・・検討会」の担当者の方が意見交換をするということで神戸に来られたので,その際に,私たちの研究成果のエッセンスを伝えておきました。要するに,あの検討会の報告書はゼロから見直したほうがよいということなのですが,そもそも労働契約法16条には触らない,労働者申立てしか検討しない,というのでは話になりません。あのような検討会に巻き込まれなくてよかったです。書籍が刊行されれば,目先の利害にしか目が向かない労使の団体は置いておいて,改革魂のある官僚の若手有志を集めて意見交換会をやってみてもよいと思っています。
 そうそう私の『雇用社会の25の疑問』の第3版も,もうすぐ弘文堂から出ます。Amazonにも出ていますね。今年の夏前から,9月くらいまで,ずっとこの作業を中心にしており大変でした。本の宣伝は,また後日します。

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