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2017年6月29日 (木)

応援するつもりが,足を引っ張る?

 今朝の日経新聞の大機小機での夢風氏の「頑張れ特区」というエッセイは,立証責任が文科省にあるということを強調して,政府や内閣府を擁護していました。
 特区に一定の効果があることは,私も否定しません。岩盤規制は,何が岩盤かということの判断が難しいのですが,何が規制として必要かを,時代の変化とともに常に検証していくことは大切で,これまで規制をしてきたというだけで,今後も同じようにするということではいけません。また役所というところが,規制を好む体質があり,それが省益に結びつき,国益と相容れないケースが少なくないということもよく耳にします。そういうところに切り込んでいくためには,かなりの突破力がなければなりません。その意味で,特区構想は面白いものだと思っています。もっとも,労働法の分野の特区は意味不明のものに終わっていますし,私も少しだけ議論に関与しましたが,スピードが強く求められていて,地に足がついていないという印象を受けました。
 ところで立証責任のことなのですが,この訴訟法上の用語がとびかう背景には,文科省が立証責任を負い,それを果たしていないから,総理や内閣府は無実だ,と言う意図があるようです。ただ,それはちょっと甘いのではないでしょうか。これがどういう「訴訟」のたとえであるのかよくわかりませんが,夢風氏は,首相や内閣府が刑事裁判にかけられていると想定しているようです。
 ところで,最高裁のHPでは,刑事裁判での立証責任は,次のように説明されています(http://www.courts.go.jp/saiban/qa_keizi/qa_keizi_22/index.html)。

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「疑わしきは罰せず」とか「疑わしきは被告人の利益に」という言葉は聞いたことがあると思いますが,刑事裁判では,被告人の有罪を確実な証拠で,合理的な疑いを入れない程度にまで立証することについては,検察官がその責任を負います。これが立証責任です。そして,検察官の方で立証を尽くしても,被告人を有罪とするために必要なある事実が存在するかどうかが立証できなかった場合には,その事実は存在しなかったものとして,被告人に有利な判断をしなければなりません。つまり,「疑わしきは罰せず」の原則により,無罪の判決を言い渡すことになります。
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  民事訴訟でも同じですが,事実の存在について立証が成功せず真偽不明となった場合,その事実がなかったものとして扱われる当事者が立証責任を負うと言われるのです。通常,それは原告です。刑事裁判であれば,検察官です。とくに刑事裁判では,被告人が一般国民で,そして有罪となると,刑罰という最大級の国家権力の発動がなされるので,かつて国家権力が濫用的に行使された歴史を反省して,立証責任は被告人にあるとし,また証明の程度が「合理的な疑いを入れない程度の立証」と高く設定するといった厳格なルールが設けられているのです(さらに使える証拠も制限されています)。しかし,民事訴訟では,このような事情はないので,求められる証明の程度はもう少し低く「高度の蓋然性」でよいとされ,提出される証拠にも制限がありません。
 さて加計問題ですが,刑事裁判になぞらえて,立証のハードルを上げようとするのには疑問があります。たしかに首相や内閣府やその周辺の人からすると,今回の一連の追及は,刑事責任の追及と変わらないくらい厳しいものと感じているのかもしれません。しかし国民目線でいえば,裁かれようとしているのが,一般国民ではなく,国の最高権力者であり,しかも追及されているのが本当の刑事責任ではなく,政治的ないし道義的な責任にすぎないということになると,国家権力の濫用という観点からの保護のルールを適用することは適切とは思えませんし(首相が個人として背任罪などの本当の刑事責任が問われているというのであれば話は別ですが),むしろ「疑わしきは罰せず」ではなく,「李下に冠を正さず」という話であり,首相側は進んで疑惑を晴らすべきである,ということになりそうです。
 こう考えると,裁判になぞらえるとしても,それはせいぜい民事裁判であり,したがって証拠能力を制限する必要はありませんし(「怪文書」の証明力も国民が判断する),また前川証言に対しては,堂々と証人喚問をして,国民という「裁判官」の前で,その証明力を下げるために「反対尋問」をすればいいのです。
 ただ,証明の程度は,「合理的な疑いを入れない程度の立証」がなされていなければ「シロ」ということではなく,民事裁判と同様の「高度の蓋然性」もないという程度であってはじめて「シロ」とすべきでしょう。
 現時点では,首相サイドはあえて証人喚問をしようとしていないので,前川証言の信憑性はかえって高くなり,国民の心証では不利に働いています。もし前川証言が立証として十分であり,すでに真偽不明ではないレベルに到達していると国民が判断していれば,これが裁判なら,証明度を下げる反論をしないかぎり首相側が敗れることになります。
 立証責任は,しょせんは比喩ですが,不用意な発言をすると,落とし穴にはまることを論者はよく考えたほうがいいです。刑事裁判になぞらえる論法は巧みですが,それにだまされてはいけません。刑事裁判と同様の被告人保護の発想が,ここでは必要ないのではないか,という視点で見ておかなければなりません。立証うんぬんというのなら,前述のように,堂々と証明度を引き下げる「反対尋問」をすればいいのです。籠池氏のことで懲りているのかもしれませんが,立証責任などと口走ると,そういう話につながります。
 国民は,前川証言を公益通報に近いものとみているのではないでしょうか。組織内部の違法行為を国民に知らせるため,その勇気ある行動をとった人をできるだけ守るというのが公益通報者保護法の精神です。その精神をここにあてはめると,いわば上級管理職が社長の不適切な行動を告発したという本件では,守られるのは前川氏となります。たしかに,公益通報者保護法には,内部通報を優先すべきという考え方が基本にありますが,内部通報をすればもみ消されるおそれがある場合には外部通報も可能という仕組みになっています。そういえば,公益通報者保護法は,内閣府所管の法律でしたね。もちろん,前川証言は,公益通報者保護法の適用事例ではないのですが,なぞらえるのなら刑事裁判ではなく,公益通報ではないでしょうか。
 夢風氏は,特区は必要と言うだけで十分だったのです。それは加計問題とは別なのです。加計問題でも,特区でもと欲張ると,二兎を追う者は・・・ということになりかねません。特区を守るためにも,加計問題で余計な援軍を出さないほうがよいです。

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