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2017年6月

2017年6月28日 (水)

鎌田耕一・諏訪康雄編『労働者派遣法』

   鎌田耕一・諏訪康雄編『労働者派遣法』(三省堂)をいただきました。どうもありがとうございます。労働者派遣法の入門書です。非常に分かりやすいつくりになっており,厚生労働省での政策立案に関わった著者たちが,いわば啓蒙活動のために執筆したものと言えるのでしょう。
 忙しい方は,諏訪先生が執筆された序編「労働者派遣法の道しるべ-構造・機能・歴史」と第1編「労働者派遣法の歴史」を読むだけでも,労働者派遣法の全体像がよくわかると思います。
 第2編以下は,「法の目的と労働者派遣の概念」,「労働者派遣事業の許可」,「労働者派遣事業の規制」,「派遣元・派遣先間の法律関係」,「派遣元・派遣労働者間の法律関係」,「派遣労働者・派遣先間の法律関係」,「労働基準法等の適用の特例」,「紹介予定派遣」,「労働者派遣法の実効性確保」となっています。
 理論的には,「派遣労働者・派遣先間の法律関係」の編が,労働者派遣における難所であり,そこは山川隆一先生というエースが投入されています。
 三省堂出版の労働法の本というのはあまり知らなかったのです(コンパクト型の六法は知っていましたが)が,一般人向けの本に,これだけの執筆者を集めて,面白い本を刊行したのはやや驚きです。
 専門家はともかく,派遣とは何かを,少ししっかりと学びたい人にはお勧めです。そのうえで,もっと理論的に踏み込んで学びたいと思えば,本庄淳志『労働市場における労働者派遣法の現代的役割』(弘文堂)を手に取ってください。

 

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2017年6月27日 (火)

藤井聡太四段29連勝

 報道がすごかったですね。NHKの19時のニュースでもとりあげられ(そこで永瀬拓矢六段は藤井勝ちを予想),実際21時のニュースのころは,すでに藤井四段が優勢になっていましたが,番組は藤井特集という感じで,しかも番組中に投了シーンがあったので,映像的には最高だったことでしょう。
 私は,この将棋は,夕方くらいから,スマホの将棋アプリで棋譜を追い,iPad,ノートパソコンを使って,AbemaTVとniconcoの解説をみていました。夕方くらいでは,藤井四段が不利だと思っていました。藤井四段の飛車が3六にいて,増田四段が2七角と打ち,4九の金との飛金両取りをかけていました。増田四段は飛車の入手が確実な状況で,藤井四段の玉はそれほど堅くなく,8筋の飛車が藤井陣をにらんでいるし,なんと言っても,藤井四段は2枚の角をもっても,打つところがなく,また2四に出た銀は浮いていて,おまけに1五角などの攻防手の邪魔になっているなど,どうみても藤井四段は劣勢でした。もっとも,niconico動画の解説をしていた谷川浩司九段は,必ずしもそうはみていなかったようであり,2枚の角をうまく使えれば,先手もやれると考えていたようです(Abemaのほうの若手の解説は軽くて,解説対決では,谷川九段を登板させたniconicoの勝ちでしたね)。
 ここで2一桂の頭に打った2二歩が絶妙手だったようです。その手を指す前に藤井四段は長考していました。その途中で夕食のメニューを店員らしき人が聞きにきて,しばらくしてそれが品切れで,また聞きに来るというハプニングもありました。聴衆は藤井四段の思考を邪魔するなと突っ込んだと思います。品切れは縁起が悪い,なんて思っていたのですが,勝負には関係なかったですね。
 2二歩を同金と払った増田四段ですが,そこからの藤井四段の攻撃が凄かったです。増田陣の欠点は,居玉であり,7一銀も好守に参加していないこと(ただし本局ではそれほど悪形ではないとのこと),8五の飛車が不安定な位置にあることでした。藤井四段は,このタイミングで7七桂と跳んで8五の飛車にあて,飛車が逃げたところで,今度は6五と二段跳びをしたのです。素人なら桂馬の高飛び歩の餌食ですが,これで一挙に局面が変わりました。たった2手で,景色を変えてしまったところが凄かったのです。
 ここでは前に増田陣の金を2二に追いやっていたことが効いていて,7五角が絶好手となりました。かなり攻め込んでいたと思っていた増田四段ですが,このあたりから防戦一方となります。そして1五角で攻防の金取りをかけ,増田四段は飛金交換を強要され,藤井四段は金を入手して一挙に勝勢になりました。
 とくに5三桂といった重い攻めをしながら,最後はその桂を成り捨てるなど,詰め将棋の名手ならではの華麗な手筋もみせました。最後は一発逆転を狙って放った2八角に対して,その望みを絶つ3八飛で,増田四段は戦意喪失しました(3八飛は素人が指しそうな手で,俗に友達をなくすというような辛い手でしたが,これが決め手となりました)。
  本局の桂馬の活用は,中原誠第16世永世名人のようであり,角の活用は,谷川九段(第17世永世名人)のようでもあります。そして勝負術は,羽生善治三冠(第19世永世名人)のようでもあります。
 人間がソフトに勝てないということがほぼ確実になった将棋界です(佐藤天彦名人が2連敗)が,それでも将棋をこれだけ楽しむことができるのです。いまや藤井四段の連勝は社会現象となっています。AI時代において,AIをうまく使って成長した若い天才の頭脳に,私たちは夢を託しているのかもしれません。本局でも,人間では指しそうにない桂馬の活用は,いかにもソフト好みの手だと評されていました(藤井四段が5三桂を打った局面は,プロでもみたことのないような異様な局面だったようで,Abemaの解説者は困惑していましたね。ただ谷川九段は5三桂を予想していましたが)。AIは,棋士の仕事を奪うのではなく,棋士の可能性を広げるのでしょう。ただ通常の天才では太刀打ちできなくなる厳しい時代の到来でもあります。
 竜王戦決勝トーナメントは,旬の棋士が集まります。初戦で勝った藤井四段の次の対局は,佐々木勇気五段です。若手の実力者です。佐々木五段は,NHK杯のときのように,和服の正装で対局するかもしれません。7月2日の対局は,都議会選挙よりも,兵庫県知事選よりも,藤井四段の30連勝なるかという報道で盛り上がる可能性がありますね。

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2017年6月26日 (月)

野川先生の書評に多謝

 拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える-』(弘文堂)について,日本労働研究雑誌の最新号(7月号)で明治大学の野川忍先生に書評をしていただきました。弘文堂のさくらんぼさん経由で,PDFファイルを送ってもらいました。日本労働研究雑誌のほうから,本書の英文タイトルの問い合わせがあったと聞いていたので,書評に取り上げていただけることは事前に知っていましたが,どなたが担当されるのかは知りませんでした。すでに経済学や経営学の専門家の方からは書評をいただいていたのですが,法学者がどのような反応をするのかは興味あるところでした。もちろん,ある意味で(?)労働法学を挑発した本なので,まともに相手にされない危険性もある,と思っていたのですが,野川先生はよく引き受けてくださいました。書評の内容は,本書の意図を十分に汲んでいただいており,たいへん感謝しています。
 限られた字数なので,野川先生の本音は十分に書かれていないかもしれませんが,「突っ込みどころ満載」とされていることから,言いたいことは山ほどあったのでしょう。いつか,どこかで論文で発表していただけるのかもしれません。そして,それは「おそらくこれこそ著者のねらい」と書かれているとおりなのです。既存の枠内にとどまらず冒険をして議論を喚起するということをしなければ,学問は発展しないというのは,学者修行を始めた当初から,山口浩一郎先生や諏訪康雄先生にたたき込まれていたことであり,私はそれを愚直に実践してきたつもりです。たとえ菅野シューレのなかでは異端になってしまっても,それはそれで存在価値があれば自分の人生としては満足行くものです。
 野川先生に最後に書いていただいた「高度に知的鍛錬に裏打ちされた重厚な学問的産出を中断することのないよう,切に願わずにはいられない」というのは,こんな軽薄な本を書いているようではいけないという先輩からの叱咤激励なのかもしれません。もっといえば,野川先生自身の書かれている『労働協約法』(弘文堂)のような本を書かなければならないということかもしれません。実は山口先生からも,本書には好意的な反応をいただきましたが,少し前までは,もっとしっかりしたものを書かなければならないというお叱りを受け続けていました。
 研究者としての私のことを心配してくださる先輩諸賢のアドバイスは,ありがたいことなのですが,私の考えは少し違うのです。たしかに,法学の本というのは,既存の文献や判例を詳細に紹介・分析し,外国法も参照しながら,これらとしっかり「対話」をし,慎重に一歩を踏み出す(解釈論や立法論を提起する)というスタイルのものを書けば手堅く重厚感が出てきます。学問的貢献度も大きいでしょう。拙著でいえば『労働条件変更法理の再構成』(有斐閣)は,それに近いスタイルです(慎重さは希薄かもしれませんが)。私も後輩にはそういうものを書けとアドバイスします。
 ただ現在の私の考え方では,本書のようなものこそ,高度かどうかはともかく「知的鍛錬に裏打ちされた……学問的産出」だと思っているのです。あえて「重厚感」をもたせないスタイルにしていますが,日常的な知的鍛錬は誰にも負けないつもりでやっています。既存の労働法学の議論の定跡は,だいたいわかったつもりです。実はそこから多くの知的刺激を受けなくなっているところが問題なのです。むしろ,定跡を崩して,何を作るかこそが大切だと考えています。そこに知的創造性が重視されるAI社会に共通の課題があると思っているのです。本のスタイルの重厚性や軽薄性は,知的産物の発信方法の違いによるものです。広く発信して理解者を広げていけば,社会的発言力は高まるでしょう。たとえ軽薄感があっても,そのなかに本当の知創造性があれば,それでよいと割り切っています。その意味で,本書の発信方法は,若干中途半端なのかもしれません。新書よりは難しく,プロ向けには軽薄感があるのでしょう。ただ,そうした点も本書の個性であり,それはそれで面白いのではと思っています。……という軽薄さがいけないということかもしれませんが。

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2017年6月25日 (日)

定年制廃止?

 6月23日の日本経済新聞の経済教室で,早稲田大学の谷内満教授という方が,定年制の廃止に言及していました。労働力人口の減少のなか,高齢者就労の増加が必要で,そのためには定年制を廃止する必要があるという議論です(それ自体はとくに珍しいものではありません)。論考のなかでは,定年制を廃止すると,年功型賃金が修正されて,労働力の流動性が高まるとし,また,厳しい解雇法制を残したまま,定年制のもつ雇用終了機能のみ廃止するのは問題なので,解雇の金銭解決を導入する必要があり,そして解雇規制が緩和されると非正規雇用問題も解消していくという結びになっています。限られた字数で,印象的なトピックを並べたという感じなので,その相互がどうつながるかは,よく考えなければ理解しづらいかもしれません。
 ところで定年制廃止は,具体的には,どういう規制となるのでしょうか。現行法では,高年齢者雇用安定法によって,定年制が合法であることを前提に定年年齢は60歳以上でなければならないという規制のみなされています。また,この定年(年齢)規制に加えて,65歳までの高年齢者雇用確保措置を事業主に義務づけており(年齢は経過措置あり),高年齢者雇用確保措置のオプションの一つに定年制廃止もあります(他のオプションは,定年引上げと継続雇用制度)。多くの企業は,定年制廃止ではなく,継続雇用制度を導入し,なかでも再雇用という制度を導入しています。そして,この年齢を70歳までに引き上げようという議論もされています。高年齢者雇用確保措置を70歳まで義務づけたとすると,実際上は定年制がない状況に近づいていきます。多少,法律を知っている人ならば,高年齢者の就労促進を考えるならば,定年制廃止ではなく,高年齢者雇用確保措置の対象年齢を引き上げるということをまず考えるでしょう。前述のように,高年齢者雇用確保措置の一つに定年制廃止も含まれいるのです。定年制廃止論に対しては,再雇用などの方法で高齢者を就労させることではいけないというメッセージになりそうな懸念も出てきそうです。
 ところで,谷内氏は,70歳までの雇用を義務づけるのは企業の負担が重いとし,そのため,労働市場の弾力化をしなければならないとします。定年制を廃止して,年功賃金がなくなれば,長期雇用へのインセンティブがなくなり,労働市場が弾力的となるということです。
 ここで私は,一瞬,谷内氏が,どのような方法で高齢者の就労を促進しようとしているのかわからなくなりました。定年制の廃止論というのは,本来,同じ会社での継続就労をするためのものだからです。ところが,谷内氏は,それは企業の重荷となるので,労働市場の流動化で対処しろと言い,それは要するに別の企業で雇用継続を進めたらいいということのようです。これを私なりに理解すると,人材のミスマッチが労働市場で起こっているはずなので,どこかに高齢者労働の需要があるはずだし,またそうした需要を生むためには,現在過剰に解雇から守られている相対的に若い層の雇用を弾力化するため解雇規制を緩和する必要がある,そして他社に移籍した能力ある高齢者がいつまでも働き続けるようにするためには定年制がないほうがよい,こういうロジックなのかもしれません。
 ただ,企業は,高年齢者雇用安定法の改正で,高年齢者を活用する人事システムに関わりつつあります。さらに労働力人口の減少のなか,いかにして人材を集めるかが重要となるので(とくに中小企業),優秀な人材を定年だから放出するという行動をとる余裕はないでしょう。だとすると,定年制廃止を政策的に進める必要はないともいえそうです。よけいな政策的介入をしなくても,現存の高年齢者雇用安定法の慎重な規制手法で十分ではないでしょうか(企業の利益,労働者の利益を調整しながら,年金の支給開始年齢の引き上げにも対応しています)。
 むしろ高齢者就労をめぐる現在の最大の問題は,高年齢者雇用安定法の高年齢者雇用確保措置の趣旨が拡大解釈され,たとえば再雇用後の処遇の低下について,労働法のほうから厳しい規制をかけようとしていることです。たとえば仕事を変えて,賃金が大幅に低下するような形での雇用継続であれば,実質的に高年齢者雇用確保措置をしたことにならないという議論があります。他方で,同じ仕事をさせていれば,同一労働同一賃金にせよという議論もあります。
 後者については,ガイドラインでは,定年後の高齢者はひとまず対象外としていますが,今後,最高裁の判断も出てきそうなので,その結果次第では,大きな争点となる可能性もあります。長澤運輸事件における地裁と高裁の対立は,エコノミストの方も耳にしたことがあると思いますが,同じ労働契約法20条を適用していても,解釈がまったく異なっているので,最高裁の判断が待たれているのです。これまでは,定年でいったん退職し再雇用されたときは,労働契約はリセットされるので,従来と同じ労働条件を保障する必要はないという原則論(契約の自由論)が比較的強かったのですが,正社員と非正社員との格差是正という観点から,この原則論がどこまで修正されるかが原理的に重要な問題となっています(格差が,定年後の嘱託社員と定年前の一般正社員との間でも問題とされるべきかという論点です)。
 定年後の処遇はやっぱりそれまでとは違うよね,という常識が通じなくなりつつあります。定年制がなくなると,いっそう処遇格差は難しくなるでしょう。たしかに谷内氏が予想するように年功型賃金は徐々になくなるしょうし,そうなると成果型処遇が貫徹されるようになり,格差問題は基本的には解決されていくかもしれません。これは理想的な形かもしれませんが,そのとき,高齢者の就労可能性がほんとうに高まるかどうか。新しい技術の発達のなかでの,高齢者の転職力(employability)が問われることになります。AI時代の到来は,高齢者に必ず有利となるわけではありません。
 定年廃止論は,アメリカのADEA(年齢差別禁止法)が40歳以上の定年を禁止していることを参考にした議論が10年以上前に流行しました。私は,定年制は日本の雇用システムの本質にかかわることなので,高齢者雇用促進という観点だけから論じることには慎重であるべきだという論考を書いていますので,ご関心がある方はどうぞ(『雇用社会の25の疑問-労働法最入門-(第2版)』(2010年,弘文堂)の第19話「定年制は,年齢による差別といえるであろうか。」)。

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2017年6月24日 (土)

前川氏の記者会見の感想

  小林麻央さんの訃報に涙し,豊田とかいう女性議員の「ハゲ~」という言葉におそらく多くの男性と同様強い憤りを感じながら,あまりに馬鹿馬鹿しい低レベルの暴力パワハラに失笑を禁じ得ないという「怒哀楽」の一日のなか,感情をおさえ冷静にみたのが,前川喜平元文部科学事務次官の日本記者クラブでの会見をYoutubeでした(前川氏の名前の「喜」で,喜怒哀楽が完結しました)。
 行政の決定プロセスの歪みについての衝撃的な告発だと思います。内容は生々しくかつ理路整然としています。もちろん,前川氏の証言は,あくまで文科省側からの認識によるものです。組織防衛の匂いがまったく感じられなかったわけではありません。実名をどんどん出したのは,相手が逃げられないようにするためで,文科省に圧力をかけた官僚への恨みは深いものだとも思いました。いずれにせよ,この告発を,官邸側は黙殺することはできないでしょう。
 それにしても国家戦略特区は,特定の人に恩恵を与えるものであるから,その対象決定プロセスはそれだけ透明性が必要だという趣旨のことが語られていたのは,非常に説得的でした。もちろんそれをあまり言い過ぎると既得権益を守ることにつながりかねないのですが,そこは前川氏もしっかり説明しています。つまり獣医学部新設について,特区の趣旨に合致しているかどうかを示すのは,専門的知見のある農林水産省と厚生労働省のほうの責任なのに,それが示されないまま手続が進められたということです。前川氏は,そこに怒りと憤りを感じていたことがよくわかりました。「加計」が先に決まっているので,あとはどう辻褄を合わせるかという,というような行政ではダメだということです。これを行政プロセスの歪みと呼んでいるのでしょう。文科省は,3省庁の連携ができるよう萩生田副長官に調整を託したようですが,それも功を奏せず,あとは「敗戦処理」をするだけになったという生々しい証言もしていました。
 最後に,恒例の署名のところで,「個人の尊厳」と「国民主権」という言葉を書かれていました。これは公務員として働く場合の国民への姿勢ということではなく,公務員にも尊厳をもった個人としての面があり,また一主権者なのだという気持ちをもって働いてほしいという後輩国家公務員へのメッセージのようです。これはまさに前川氏が,政治権力によって,強い圧力を受け,また文科省全体が,「黒を白と言わされる」ような状況に置かれたなか,良心の自由は重要だ,自分たちも主権者なのだということを強調したかったのでしょう。そこには,国民の知る権利にこたえるために,内部告発した自分の行為を正当化したいという気持ちも表れているように思います。もとより,私は公務員がこういう気持ちをもって仕事をすることは望ましいと考えており,逆にいうと,こういうことをあえて座右の銘のようなものにしなければならないほど,国家公務員は,たとえ高級幹部のような存在であっても(逆にそうだからこそかもしれませんが),政治家との関係ではhumilatingな立場に置かれているということが残念です。
 一方で,前川氏は,自分たちの行政が,どのように一般の国民のためになっているのかということを,それほど強く訴えた感じはありませんでした。自分たちのprofessionへの誇りはよくわかりましたし,加計や森友の問題点もよくわかってきました。しかし,官邸との関係で,蛇ににらまれたカエルであると述べて,自分たちの無力ぶりを強調していたところには,違和感もありました。国民にとっては,蛇ににらまれたカエルも,蛇にすりよっているカエルも,同じカエルです。加計をめぐる行政内の問題は,首相とお友達ではない圧倒的多数の国民にとっては,同じ穴のむじな(カエル)たちのやりとりであったように思えたのは,私だけでしょうか。

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2017年6月23日 (金)

学会講座第6巻

 日本労働法学会編の『講座労働法の再生第6巻』(日本評論社)のタイトルは「労働法のフロンティア」だったのですね。水曜日に受け取りました。私は第2章の「雇用社会の変化と労働法学の課題」という平凡なタイトルの論文を執筆しています(当初は「法と経済学」に関するテーマの依頼でしたが,変えてもらいましたので,タイトルに悪口を言ってはいけませんね)。もともと町内会で何かイベントをやるので強制参加というノリだったので,気が進まず,何度もイベントメンバーから外してほしいとお願いしていたのですが,脱落を許してもらえませんでした。なんとか昨年末に書きましたが,半年も経過しており,何を書いたか忘れてかけていました。
 論文の内容は,「労働法の再生」というのがこの講座の共通テーマだと思ったので,労働法学は再生のために何をしなければならないかということを書いたつもりです。拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)と内容的には重複しているところもありますが,私は同じモチーフのものを書くことにはファイトがわかないので,前著ではメインにしていない労働法学そのもののあり方を意識した論考にしたつもりです。そういうこともあり,最初に諏訪康雄先生を,最後に西谷敏先生に登場していただきました(著作からの引用という形の登場です)。
 本が届いたので,まずは私の論文を確認しようとすると,右頁から始まる論文のすぐ左の頁が東大の水町さんの論文の最後のページでした。そこに「jurisprudence」という言葉があったので,おやおやと思いました。この言葉は,私が以前に論文の末尾に使ったことがあったからです。それが大竹文雄他編『解雇法制を考える-法学と経済学の視点』(勁草書房)に寄稿した論文「解雇法制の"pro veritate"」です。そこでは,私は「法的賢慮(Jurisprudence)」という表現にしていました。経済学との対話を意識した論文集でしたので,経済学の議論との違いを説明するために,法的(juris)な知恵(prudence)も大切だよと言ったつもりでした。
 経済学において原理主義的な主張がまだ強かった時代に,法学の独自性を示すという意味込みで,少し気取って外国語を使ったのです。論文のタイトルの「pro veritate」(真理のために)と並び,気負った感じのみられる論文ですが,論文の内容そのものについては,けっこう満足していました。
 ところで,今回の学会講座の論文については,続編(?)を書く機会がありました。総務省のAIネットワーク化に関する会合のメンバーを中心とした出版企画で,私の論文は一番最後の目立たないところに,ひっそり収録されるはずです。タイトルは「変わる雇用環境と労働法-2025年にタイムスリップしたら」です。未来予測エッセイのようなもので,労働法学の未来についても少しだけ言及しています(それが「続編」の意味です)。現在,ゲラのチェックの段階ですが,未来予測をするのは楽しいですね。経産省の若手官僚の「不安な個人,たちすくむ国家」が話題となっていますが,不安ばかりではつらいです。未来は豊かでチャンスがたくさん。国家に頼らず,したたかに生き抜いていこうというメッセージを今後も出し続けたいと思います。

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2017年6月22日 (木)

藤井聡太四段28連勝(歴代記録タイ)

 将棋ネタの頻度が高まりました。藤井四段が勝ち続けるからです。
 プロの将棋は勝てば勝つほど対局が増えます。強い人ほどたくさん対局をして,収入も増えます(あたりまえですね)。
 ですので年間最多対局という記録もあり,過去最高は,羽生善治三冠が2000年に達成した89勝です。連勝記録は対戦相手次第で勢いということもあり偶然性もないわけではありません。それでも28連勝はすごいのですが,記録保持者の神谷広志八段の場合は,狂い咲きといったら失礼ですが,人生の運をすべて使ったという感じかもしれません。神谷八段は記録男ではありますが,順位戦のA級経験もないですし,タイトルもとっていないので,トッププロ棋士ではありません(神谷八段,申し訳ありません)。
 そこで,棋士の強さを示す記録としては,年間対局というのが出てくるのです。もっとも,この記録も,ある程度強くなって,予選免除で本戦から登場するとか,いわゆるシード棋士になったりすると対局数もそれだけ減るので,ある時点での最強を示す記録ではありません。ただ,若いときに年間最多対局数の記録をとっている棋士はすべて大成しています。歴代ベスト10をみると,過去最多は,羽生三冠の2000年の89局です(この年の年間68勝も,年間勝数歴代1位です)。ついで故米長邦夫の88局(1980年),谷川浩司九段(1985年)と佐藤康光九段の86局(2006年),中原誠永世名人の82局(1982年),羽生三冠の80局(1988年),森内俊之九段の79局(1981年),森下卓九段(1991年)と羽生三冠(1992年,2004年)と谷川九段の78局(2000年)です。
 ここに中原,谷川,森内,羽生という永世名人がそろっていることがすべてを物語っています。それに米長も佐藤も名人経験者です。森下九段は無冠の帝王ですが,若い頃は羽生と何度もタイトル戦を戦った元A級棋士で,その実力は折り紙付きでした。
 ところで現在,藤井四段は,今年度だけでみても,昨日の対局の前までに17連勝ということで,どこまでこの記録に迫れるかも注目です。もちろん最多勝利(羽生の68勝),最高勝率(中原の0.8545)も狙えるでしょう。
 そこで,澤田真吾六段との対局でしたが,藤井四段の完勝でした。これで今年度18勝0敗(対局18,勝数18,勝率1.0000)です。無敗の28連勝も異次元ですが,対局数や勝数などの地味な記録も注目したいところです。
 澤田戦では,先手藤井四段の駒が前半から伸びていき,澤田陣の飛車や金が押し込まれているような感じですが,プロ的にはどうも,こういうのは指しすぎで,逆襲をくらいやすい形のようです。実際,澤田六段は逆襲して,途中で飛車・銀両取りに角をうち,銀をとって馬を作ったあたりは互角の印象もありました。そのあと,藤井四段は銀で馬を追ったのですが,澤田六段の6六馬が香取りで,しかも玉に迫るというので,呼び込みすぎかと思ったのですが,5五角と打ち返して馬を消しました。その後,澤田六段から飛車,桂,香のどれかが取れる位置に味のよい角打ちがあったのですが,藤井四段はいったん飛車を逃げた上で,6四に角をうち,これが攻防の好守で,あとは4四歩から4筋を攻めて一気に寄せてしまいました。澤田六段としては,せっかく馬を作ったのですが,それが窮屈で働かず,働かせようとして飛車にあてたために,飛車が4筋に移動し,攻撃に参加してしまいました。4七に歩を打てば飛車を止めることができたのですが,その順が回ってこない鋭い寄せでした。谷川九段の高速のきれいな寄せとはまた違う,ライフル銃のようだが,鋭利な刃物でもあるといった感じの寄せに思えました(プロはどう評価しているのでしょうかね)。負けたほうはショックが大きいのではないでしょうか。この相手には,もう勝てないと思ったでしょう。
 澤田六段とは,前の対局では激戦をしていて実力は互角という感じでしたが,たった数日のうちに藤井四段は格段に強くなっていた感じです。育ち盛りのころの力士は,「一晩寝るたびに強くなる」なんてことをいいますが,将棋の世界の藤井四段も,そういう感じですね。
 次は竜王戦の決勝トーナメントの初戦です。相手の増田康宏四段は,非公式戦の炎の七番勝負の初戦の相手で,藤井四段が勝っています。藤井四段が入るまでは現役最年少棋士だった19歳です。増田四段の竜王戦決勝トーナメント進出も,棋界では十分に大きなニュースになる快挙なのですが,藤井フィーバーでかき消されています(テレビのほとんどすべての報道番組でとりあげています)。心中おだやかではないでしょう。増田四段の雪辱はなるでしょうか。ひふみんは,藤井四段はあと5連勝はすると無責任な予言をしていましたが……。

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2017年6月21日 (水)

ビッグデータの海外流出?

 一昨日の日本経済新聞のオピニオンのなかで,「介護サービス大手のセントケア・ホールディングは3月,人工知能(AI)を活用してケアプランを提供する新会社を設立した」とあり,この新会社CDI社には,「セントケアのほか介護分野に力を入れだした日揮,介護施設を運営するツクイや社会福祉法人こうほうえん(鳥取県米子市),産業革新機構も出資している」と紹介されていました。成長産業に,日本の企業が取り組んでいくことはビジネス的の面でも,さらに日本の高齢者の受ける健康や介護に関するサービスの質の向上という面でも,とても大事なことです。
 ただ,一つだけ気になったのが,「『データをAIでふるいにかけ,ケアプランの有効性を高められないか』。そう思い立って,担当者は米西海岸の有力大学のAI研究所の門をたたいた。『おもしろい』。研究者は目を輝かせた」。「研究者は学内でベンチャー企業を立ち上げ,セントケアに分析結果を伝えると約束した」という部分です。研究者がとびついたのは,「要介護者の見守りなど現場へのAIの応用に取り組む米国の研究者にとって,3万件ものデータは深層学習を進めるうえで宝の山だから」です。
 CDIは,うまく契約したのでしょうが,日本の高齢者の貴重なデータが,アメリカのベンチャー企業の手に渡ってしまい,ビジネスで活用されそうな感じがしてしまったので,気になったのです。
 どんなに優秀な人工知能があっても,ビッグデータがなければ宝の持ち腐れとなります。ビッグデータこそ,多くの企業が喉から手が出るほど求めているものです。GoogleもAmazonもデータ集めに余念がありません。あっさり外国に提供するのは,ちょっともったいないのでは,と思ってしまいました。
 たぶん日本でこういう分析をしてくれるAI研究者が見つからなかったのでしょうね。そうだとすると,なぜこうしたベンチャー企業が日本の研究者によって立ち上がらなかったかということを,もっと真剣に考えなければなりません。
 個々人の健康データは,その管理がデリケートである(プライバーがとくに関係するセンシティブデータである)という点でも重要ですし,高齢社会においては大きなビジネスチャンスを生むという点でも重要です。政府が戦略的にかかわるべきことでしょう。
 健康データをめぐる権利関係についての議論はどこまで進んでいるのでしょうか。今後,医療現場でIoTが進むと,外国製の機器を使えば,日本人の患者のデータがそのまま簡単に海外流出してしまうことにもなるでしょう(すでに起きているのかもしれません)。そこに懸念すべきところはないのでしょうか。
 新聞記事には何もこの点が出ていなかったので,気になってしまいました。たぶん私が知らないだけで,きちんと対策はとられているものだと信じています。

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独禁法と労働組合(おわびと修正あり)

 先日,私がこのブログで,独禁法と労働組合の関係で,間違った条文を参照していました。申し訳ありませんでした。素人がうっかり手を出すと危ないということですね。独禁法の適用除外規定のうち23条5項は,「この法律の規定は,公正取引委員会の指定する商品であつて,その品質が一様であることを容易に識別することができるものを生産し,又は販売する事業者が,当該商品の販売の相手方たる事業者とその商品の再販売価格(その相手方たる事業者又はその相手方たる事業者の販売する当該商品を買い受けて販売する事業者がその商品を販売する価格をいう。以下同じ。)を決定し,これを維持するためにする正当な行為については,これを適用しない」という規定で,その販売の相手方たる事業者との関係で,消費者や勤労者の互助を目的とする消費生活協同組合や労働組合等の団体に対して販売する場合には適用除外の対象とならないという趣旨のものであり,独禁法そのものの適用除外とは無関係の規定でした。おわびし,訂正します。ブログのなかの該当部分は削除しました。

 中小企業協同組合に独禁法が適用されないのは,独禁法22条1項で適用除外される組合との関係で,中小企業等協同組合法7条の規定があるからです(労働金庫法にも同様の規定があります[9条])。中小事業主の結成した「労働組合」についても,こうした適用除外規定の趣旨に照らして,独禁法上どのような議論が可能かが重要となるのでしょう。この適用除外は,公正かつ自由な競争を促進するものだから認められるという説明がされているようであり,交渉力のない中小企業の保護というロジックは使われていません。ただ,この二つのロジックはコインの裏表のようなところもあり,実質的に内容が異ならないとすると,労働組合も,実は公正かつ自由な競争を促進する(そしてそれが労働者保護の機能もはたす)から独禁法の適用除外となるというロジックも原理的に立ちうるかもしれません。こうした議論が可能かどうか,引き続き勉強していきたいと思います(労働者が事業者ではないとすれば,そこでおしまいの話ではありますが,そこで思考を停止すると,前に書いたように労働者と自営的就労者の中間的な人の扱いをどうするかが難しくなり,強引に二分法を貫徹するという無理をしなければならなくなります)。

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2017年6月20日 (火)

インタビュー記事

   「人材ビジネス」という雑誌の370号の「著者に聞く 『AI時代の働き方と法ー2035年の労働法を考える』」に登場しました。フリーのライターからインタビューを受けたものです。拙著をよく読んでくださっていました。この雑誌の存在は知らなかったのですが,人材ビジネス関係者の方にも,ぜひ拙著を読んで,今後のビジネス戦略の参考にしてもらえればと思います。
 もう一つ,「RMS Message」という雑誌の第46号にも登場しました。こちらは,長時間労働に関するインタビューでした。拙著の『労働時間制度改革-ホワイトカラー・エグゼンプションはなぜ必要か』(中央経済社)を読んだ方がインタビュアーでした。
 この二つのインタビューは対照的でした。前者のほうは,私が東京出張のときに,ライターの人に宿泊ホテルの近くに来てもらい,喫茶店でのインタビューとなりました。この方が,インタビュー欄を請け負っていて,質問,写真,原稿とりまとめのすべてを担当していました。原稿はほとんど手に入れるところはなかったので助かりました。
 後者のほうは,神戸大学まで来られました。インタビューをセッティングした仲介(?)会社(出版社?),インタビューをした質問者,それをまとめるライター,カメラマンがすべて異なっている分業体制でした。残念ながら,こちらのほうの原稿は,私がかなり手を入れなければなりませんでした。 
   一般的にいって,法律の話の取材は,ライターが,法律家が語った内容をどこまで理解したうえでまとめてくれるかが,とりわけ重要です。何度も取材を受けたことはありますが,個人的には,ライターを使うなら,最初から私に依頼してくれたほうが,自分で原稿を書いてお渡しできて早いように思っています。それだと先方は私に原稿料を払わなければならないと考えて,躊躇されるのでしょうかね(取材だけなら,無償ですませることができますし,ライターへの支払はそれほど高くないのでしょう)。
   どこのマスコミの取材か忘れましたが,そのときは,事前に質問票をもらい,それに対して詳細なレジュメを用意して答えたため,それがほぼそのままインタビュー記事になっていました。そういうやり方であれば,事後に手直しする手間がはぶけるので,助かります(レジュメ作成のほうが,他人の書いた文章の直しより,はるかに楽です)。それに,話し言葉は,どうしても論理的ではないので(人によりますが),法律の厳密な議論をやるには向いていない気もします。論理的でない会話を,素人のライターが正確に文章にまとめるのは,よほどしっかり勉強していなければ無理ではないしょうかね。

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2017年6月19日 (月)

藤井聡太四段27連勝

 藤井四段のことは,負けるまで追い続けたいと思います。アマの藤岡隼太さんとの対局は,強さを見せつけましたね。藤岡さんは先手でしたが,勝てるチャンスはない圧勝でした。最後は藤井玉に迫ったようにみえましたが,藤井四段からの角捨ての妙手があり,見事に藤岡玉を詰ましてしまいました。プレッシャーも感じず,そして実力がどんどんついている感じです。水泳で中学生や高校生がレースごとにどんどん強くなって記録をあげていくという状況に似ています。水泳なら一気に世界記録を出すという感じでしょう。これを将棋でいえば,一気に竜王にまで上り詰めるということなのですが,どうなるでしょうか。次の28連勝目がかかる相手は,先日も激戦を繰り広げた澤田真吾六段です。予想は互角でしょう。澤田六段もこれから何度もやるべき相手に,こんな目立つところで2連敗するわけにはいかないので必死だと思います。
 その横で静かに進行している棋聖戦第2局は,先手の羽生善治三冠が,挑戦者の斉藤慎太郎七段に連勝し,防衛に王手となりました。斉藤七段の攻めと受けの呼吸がちぐはぐだったようで,最後は羽生三冠の猛攻を受けて勝負どころを作ることもできなかった感じです。これまでの若手の挑戦者は,まずは羽生三冠から先勝し追い詰めて,それでも逆転されるというパターンだったので,羽生三冠に先行されてしまうときついですね。斉藤七段は開き直って,大胆に攻めていくことができるでしょうか。

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2017年6月18日 (日)

北原恵海『ちょっと今から仕事やめてくる』

 北原恵海『ちょっと今から仕事やめてくる』 (メディアワークス文庫) を読んでみました。つらい会社員生活をしている人には,身につまされる小説でしょう。
 青山隆は,中堅の印刷会社の新入社員でした。別に入りたくて入ったわけではない会社ではありましたが,自分を採用してくれた会社のために頑張ろうと当初は前向きでした。
 ところが現実は厳しかったのです。新入社員ならばミスがあって当たり前なのに,怒鳴り散らしてばかりの部長。部長がなかなか退社しないために,連日残業。おまけに休日でも平気で携帯電話をかけてきて,取引先のクレームの責任をとるようにヒステリックに電話の向こうで叫ぶ。
 こんな毎日で,青山は,自分の時間などなく,いつしか笑うことも忘れてしまっていました。満員社員にゆられて,こんなはずではなかったと思いながらも,まだ半年しか勤務していない会社を辞めることもできず,徐々に追い込まれ,駅のホームでふらふらとしていた彼の前に,突然「ヤマモト」という男が現れました。小学校の同級生だったということで話が盛り上がります。ヤマモトと話しているうちに,青山は人生に前向きになれそうになっていたのですが,そんなヤマモトに疑惑が生じてきます。ヤマモトのことについて記憶がなかった青山が,小学校のときの友人に問い合わせるなかで,小学校時代に山本という同級生はいたものの,その同級生は海外にいることがわかったのです。そのことをヤマモトに問い詰めると,彼は自分の名は山本だが,別人であるとあっさり白状したのです。さらに彼は自分は山本純という名であると明かしたのですが,青山が山本純を調べていると3年前に死んでいることがわかりました。目の前にいるのは幽霊の山本なのでしょうか。
 ということで話が展開するのですが,もちろん山本は幽霊ではなかったのです・・・。
 山本は親身になって青山の仕事ぶりを心配し,会社を辞めることを勧めます。そして自殺をしようとしていた彼に,そんな早まったことはせず,自分を大切に育ててくれた親のことを思い出せといいます。このアドバイスが青山を変えていきます。そして,ついに青山は,部長に啖呵を切って会社を辞めます。ヤマモトにそれを報告しようとしたとき,彼はすでに姿を消していました。山本はいったい何者だったのでしょうか。その後,青山は無事転職します。
 就職前の若者にも,就職して悩んでいる人にも,ぜひ読んでもらいたいですね。先週火曜の労働法の講義は「労働契約の終了」がテーマだったのですが,そこで私は「いつでも辞めていい」という知識が大切だと,力説しました。一般の人に労働法で教えるべきことを一つ選べと言われたら,期間の定めのない契約においては「辞職の自由があること」だ(民法627条)とも,授業中に述べました。
 この小説は,まさに辞職していいんだよ,ということを伝えてくれています。たしかに,誰にでも山本のような人が近くにいるわけではありません。でも,たとえ彼女がいなくても,友達がいなくても,いつも自分の味方になってくれる人がいるということを思い起こしてほしいのです。それが母親であり,父親なのです。青山はそれを知って,人生をリセットできました。みんな幸福をめざして,少しは自分勝手になってもいいのです。会社に人生を捧げる必要はありません。

 今日は,法政大学でJIRRAの研究会がありましたが,移動中や総会の合間や休憩中に時間をみつけて,スマホのKindleで,読み終えることができました。研究会のまじめなアカデミックな議論と,この小説は,私の頭のなかでは奇妙に共鳴していました。 ★★★(軽く読めるが,メッセージは重く,ちょっとミステリー的要素もあって味わい深いです)

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2017年6月17日 (土)

折原一『異人たちの館』

  折原一『異人たちの館』(文春文庫)を読みました。3度目の文庫化だそうです。手の込んだ力作でしたね。600頁くらいありますが,一気に読めます。ただ速読はできず,じっくりと読む必要があります。
 小笠原淳という樹海で失踪した男性の母親妙子から,息子の伝記の執筆を依頼された島崎潤一。彼は売れない小説家でしたが,いまはゴーストライターをしながら糊口をしのいでいます。妙子から,息子の部屋にあるファイルをみながら伝記を書くよう指示されたため,潤一は小笠原家のある洋館のような屋敷に日参するようになります。
 淳にはユキという美しい妹がいますが,妙子はユキが島崎と接触することを嫌がります。どうも妙子はユキを嫌っているようです。
 島崎は,淳の出生前からたどっていくのですが,実は妙子は未婚の母であること,その後,再婚し,その相手の連れ子がユキであること,再婚相手は失踪して行方不明であること,淳は小説家としては大成しなかったことなどがわかります。そのほかにも淳が早熟の天才であることなど,次々といろんなエピソードが出てきます。ユキも小さいときに幼女連続殺人事件に巻き込まれたが彼女だけ無事であったことなど,波乱万丈な人生を送ってきています。
 潤一は,いろんな関係者へのインタビューをしながら淳の生い立ちをだとっていきます。淳がそのときどきに書いていたミステリー小説(実際にあったことをモデルにして書いていた)も,淳がどういう経験をしてきたかを示しています。こうして,淳の人生が明らかにされていくのですが,その間,淳とユキとの関係,淳と潤一の関係,ユキと潤一の関係などが,次々と展開してきます。また,随所に挿入されている,洞窟で取り残されている者の助けを求める声なども不気味感を高めています(でもこの小説はホラーではありません)。
 とても簡単にはまとめれないのですが,多くの多層的に展開するストーリーは,見事に最後に集結します。
 個人的には,ユキが幼い頃から美人だがセクシーであるのはなぜか,淳が8歳のときに児童文学賞をとるが,アメリカで類似の物語の盗作疑惑があったことがどういう意味をもっているのかが,読んでいるときから気になっていたのですが,このことはタイトルにもある「異人」と関係していました。しかも,「異人」は,本書のBGMといえる「赤い靴」に出てくる「異人さん」であると同時に,まさに洋館に住むいろんな意味での異人だったのです。
 折原一の最高傑作と言われるだけのことはあります。★★★★(ミステリーの傑作)

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2017年6月16日 (金)

藤井聡太四段26連勝

 藤井四段が,順位戦に登場しました。C級2組の初戦で,瀬川晶司五段と対局しました。これで藤井四段も,いわば名人への道を歩み始めました。どんなに天才でも名人に挑戦するには,C級2組からC級1組,B級2組,B級1組,A級へとの昇級する必要があります。1年に1昇級です。だから長い道のりなのです。いまとは少し名称が違いますが,そこを最短でかけあがって(最初の1期だけ停滞しただけ),名人にたどりついたのが,藤井四段と同じ中学生プロで,史上最年少名人(21歳)になったわが谷川浩司九段です。藤井四段は,年齢的にみて,現時点で谷川九段の不滅と思われる記録を破って最年少名人になる可能性のある唯一の人です。
 昨日の瀬川五段戦は,素人目には完勝ではありませんでしたが,プロの目にはそうでもなかったようです。藤井四段が負けるとすると,実は相手がプレッシャーを感じていない,次の勝負ではないでしょうか。その相手とは東大生のアマ藤岡隼太さんです。朝日杯将棋オープン戦で対戦します。この棋戦はアマチュアのトップクラスも参加できる公式戦で,藤岡さんは学生名人になったので,この棋戦に参加する資格を得ています。
 普通はアマはなかなかプロに勝てませんが,瀬川五段も,アマのときにプロを次々と破って,プロ編入試験がなされることになり,それを突破してプロになったという経緯がありました。アマでも奨励会経験者のなかには,プロと遜色ない実力がある人もいるのです。瀬川五段もそうですが,藤岡さんもそういう人です。対局が楽しみです。
 それにしても26連勝というのは,ちょっとありえない数字です。しかも,デビューして無敗というのがすごいです。こうなってくると,相手のプレッシャーが大変なことになります。今後の最大の難関は,昨日,棋王戦の挑戦者決定トーナメントで,苦手の阿久津主税八段に勝った豊島将之八段との対局でしょう。バリバリの若手A級棋士で,しかも非公式戦で1回負けている豊島八段に勝つのは簡単ではないと思います。そこまで藤井四段は勝ち続けるでしょうか。

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2017年6月15日 (木)

小嶌典明「労働組合法を越えて」を読み直す

 私が研究者として駆け出しだったころ,学界で最も独創的な研究成果を発表されていたのは,小嶌典明さんでした。とくに憲法28条をめぐる解釈に正面からとりくんだ二つの業績は,いまなお輝いているように思います。一つは,日本労働研究雑誌333号の「労使自治とその法理」(1987年)です。この論文は,多数決主義の観点から,複数組合主義に疑問を提起したもので,今日でも,なおこの論点はまだ解決しているわけではありません(たとえば奥野寿「少数組合の団体交渉権について」日本労働研究雑誌573号(2008年)も参照)。これについては,私は小嶌説には反対の立場で,小嶌説は,アメリカンな香りが強い論文かなという印象をもっていました。
 もう一つが同雑誌の391号の「労働組合法を越えて」(1992年)です。当時,この論文が出たときに大きな衝撃を受けたことを覚えています。
 この論文は一体何だ???,という感じでした。最後の結論は,「憲法28条はプログラム規定だ」ということで,憲法28条の団結権から,さまざまな労働組合の法的権利を導き出そうとしてきたプロレイバー的労働法学にとって,その言い方は気にくわなかったことでしょう。しかも従属労働者の権利の牙城である憲法28条が,事業主も享有主体となるとはありえない!,ということだったでしょう。
 小嶌さんの主張の骨格は,簡単にいうと,憲法28条の「勤労者」概念を見直そうよ,ということでした。戦後の農業協同組合法,中小企業等協同組合法などの立法における団体協約規定,さらに,団体交渉規定を確認しながら,「経済上の弱者がその取引において実質的平等の立場を確保するために団体交渉という方法がとられている」という立法の流れを確認し,憲法28条は,典型的な労働者以外にも,農民,漁民,中小企業者なども視野に入れて,団体交渉法制を立法化していくという壮大なプログラムをもつ規定だったのだと指摘しているのです。論文の最後は,「憲法28条がかりにプログラム規定にとどまるにしても,その少なきを補って余りある夢とロマンが,このプログラムにはある。筆者はそう信じてやまない。」で結んであります。そのとおりです。ロマンある解釈です。
 そして,このロマンを,私も含めほとんどすべての労働法研究者は共有していなかったところに問題がありました。ところが,いまこのロマンある解釈は,再び表舞台に立とうとしています(というか,そういう議論をしたいと思っています)。
 いま,フリーランスの団結,インディペンデント・コントラクターの団体は,法的にどう扱われるか,という問題が浮上しています。2011年4月12日の最高裁2判決(拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第138事件を参照)が,個人業務委託契約のような類型の就労者を労働組合法上の労働者と認めたことから(もともとその解釈には無理はありませんでしたが,高裁が違う判断をしていたのです),経済的に弱者である事業者の団結を,どう理論的に位置づけるべきかへの関心が高まってきました。労働法サイドでは,労働者概念の話ですが,独禁法(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律)サイドからは,事業者概念の話になります(荒木尚志「労働組合法上の労働者と独占禁止法上の事業者-労働法と経済法の交錯問題に関する一考察」菅野和夫他編『労働法が目指すべきもの』(2011年,信山社)も参照)。
 ところで,アメリカの労働法の歴史をみると,反トラスト法(独禁法)の歴史(シャーマン法,クレイトン法)と労働組合とは密接な関係があったのですが,少なくとも日本法では,憲法28条により,労働組合は承認されている(と解されている)ので,独禁法の問題は出てこないし,出てきたとしても,いわば合憲的例外とする解釈が可能だと思っています。では,協同組合はどうなのか,です。小嶌説をベースにすると,同様に合憲的例外論によることができます。そもそも,たとえば中小企業協同組合は団体協約を締結することができ,相手方は誠意をもって交渉に応じなければならないので(9条の2),まさに労働組合と同じような扱いです。小嶌論文は,憲法次元では労働組合と協同組合の違いはないとみているのです。同論文では,独禁法との関係は正面からは扱われていませんが,交渉力格差の是正による実質的平等の実現ということでいえば,自営業者の団結を独禁法の例外とすることは憲法によって根拠づけられるという論法は十分に立ちそうです。
 もっとも独禁法のほうでは,労働者は事業者ではないというところで,整理がついているようです(前述のように適用除外規定の存在の説明は難しいのですが)。ただ,現実には,労働者か事業者かが明確でなくなってきており,2011年の2判決もそういう事例でした(楽団のオペラ歌手,カスタマーエンジニア)。そうなると,この二分法で白黒を無理矢理決するのではなく,より実質的にみて,独禁法の例外とすべき(広義の)勤労者の団結とはどういうものかを正面から論じる必要があるように思います。そのとき,あくまで競争法のロジックに則って,競争を制限しない,あるいは競争を促進するということから例外扱いとするのか,それとも交渉力の弱い者は例外的にカルテルを認めるという保護法的発想で対処するのかは,理論的に大きく異なるところです。小嶌説だと後者になりそうですが,競争法学者はどういうでしょうか。こうみると,これは独禁法の問題ではありますが,労働法学が乗り出して議論すべきテーマにも思えます。
 最近,労働組合法の研究者は激減していますが,私はまだまだやることがあると考えていて,院生にこのテーマで研究しないかと呼びかけているところです。「文献研究」をし,昔の優れた論文を見つけ出し,新たなインスピレーションを得るということの重要性を,若い研究者にはぜひ再確認してもらいたいです。

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2017年6月14日 (水)

厚生労働省の報告書を読み,日経の社説を読み,金銭解決を考える

 厚生労働省が先月出した「透明かつ公正な労働紛争解決システム等の在り方に関する検討会」報告書を読んでみました。とくに後半の解雇の金銭解決をめぐっては,肝心のところは,対立する意見がそのまま掲載されていて,議論が難航し,統一的な方向性をなかなか打ち出しにくかったことがうかがえます。とりまとめは大変だったでしょうね(座長の荒木先生,ご苦労様でした)。委員のメンバーの数が多く,これだけの人が集まれば,仕方ないところでしょう。ということは,こういうメンバー体制で検討すること自体に問題があったのかもしれません(あるいは暗礁に乗り上げることを見こしていたのでしょうか?)。
 報告書の内容をみてみると,実は出発点で自分の手を縛っていることがわかります。検討事項は,「解雇無効時における金銭救済制度の在り方(雇用終了の原因,補償金の性質・水準等)とその必要性」でした。不当解雇を無効とするという出発点を固定してしまうと,手続的な問題をはじめ,細かい法技術論に入り込んでいきます。本報告書では,そのような論点にもかなり紙幅が割かれています。この出発点は動かせなかったのでしょうね(もともとは,この検討会は,「「日本再興戦略」改訂2015」の指示で始まったもので,政府の縛りが強かったことがうかがえます)。したがって,いわゆる事後型の規制にしたときにどういう設計が可能かのシミュレーション作業がメインとなり,これならば法律家中心に若干の実務家を入れてやればよかったのかもしれません(訴訟手続,バックペイ,労働契約終了時などは,法律家が好みそうな論点ですが,その他の分野の人にとっては退屈ではなかったでしょうか)。
 本報告書では,労働者申立てだけでなく,使用者申立ての可能性についても一応検討されています。一つ気になったのは,意見の一つとして出ていたもので,それは差別的解雇のような場合には,労働者申立ても本来認めるべきではない(法規範的にどう正当化するは非常に重要な問題である)という指摘です。ただ,これをいうと,差別的解雇をするような会社にこそいたくないと考えている労働者もいるでしょうから,結局,自らの意思による辞職となって,金銭的な代償を得られなくなる(自力で交渉して得るしかない)ので,かえって酷な結果にならないかという懸念が残ります。 
 報告書で興味深いのは,制度設計の議論をしたうえで,最後に前提となる「解雇無効時における金銭救済制度の必要性」を論じている点です(論理的には順番は逆ですよね。必要性がないという結論になれば,制度設計の部分は議論する必要はないので)。報告書では,この「必要性」について,「解雇紛争についての労働者の多様な選択肢の確保等の観点からは一定程度認められ得る」として,慎重ながらも積極説に立っていることに注目したいです(最後の1段落では,消極派の意見をとりあげて,これも十分に考慮することが適当であると結んでいますが,これは消極派の顔を立てた「リップサービス」だと私はみています。ただ,消極派のいう労使の合意の重要性については,私も否定しませんが)。この表現のなかに,使用者申立ての可能性を含んでいるのかはよくわかりませんが,個人的には,いつも書いているように,使用者申立てがなければ意味がないと思っています。
 ところで6月4日の日本経済新聞の社説は,「解雇の金銭解決制度は必要だ」と述べ,金銭解決の応援団として登場してきたのですが,その内容がちょっと悩ましいところです。悩ましいというのは,社説では,労働者申立ての金銭解決を,不当解雇で困っている労働者を助けて,再出発を促すものとして評価する視点を前面に出しているからです。
 労働者申立てを認めるというのは,不当解雇のときに,労働者のほうが,解雇無効(原職復帰)か,金銭補償を選択できるということです。企業としては,解雇をした労働者が解雇無効を主張してくるか,金銭解決をしてくるか予想がつきません。解雇により信頼関係が破壊されているときでも,なお労働者が解雇無効を求めてくる可能性があります。そうなると結局は金銭解決に向けた交渉となり,そのコストは大きなものとなるので,企業は必要以上に解雇回避的に行動するでしょう。また法律で補償額を高く設定すると,労働者は金銭補償を選択してくる可能性が高くなりますが,それだとやはり,企業のほうが容易には解雇をせず,人材を抱え込むようになるでしょう。どっちにしても解雇が起こりにくくなります。もちろん,それでいいのだという見解はたくさんあるでしょうが,日経新聞の社説はそういう立場ではないと思います。報告書は労働者の選択肢が増えればいいというスタンスですが,日経新聞もほんとうにそれと同じでしょうか。
 解雇の金銭解決をみるときの重要な視点の一つは,第4次産業革命をにらんで今後の労働市場の大改革が進むなか(もちろん労働力人口の減少という問題が背景にあります),人材が衰退部門で滞留することを防がなければならないということなのです(この視点は,以前にWedgeで書いたことがありますし,拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)の第5章も参照してください)。そのためには,ある人材を抱え込むか,それとも別の仕事で再出発してもらうかは,企業のほうで判断できるようにしなければならないのです。もちろん解雇された労働者の再出発は大変なので,政府の雇用流動型政策のいっそうの推進は必要ですし,企業の支払う金銭補償も十分なものとしなければなりません。その意味で,金銭解決は,企業にも痛みを負担してもらう制度としなければなりません。ただ,労働者の選択肢の多様化については,制度導入のメリットの一つではあり,世間を説得するうえでの論拠とはなりますが,そこを軸として制度を考えていく,この制度が本来もつべき本質的なメリットを発揮できなくなるおそれがあります(もちろん差別的解雇のような場合には,使用者申立てはダメで,労働者申立てのみ認めるべきというように,解雇のタイプにあった細かい議論をする必要はあります)。
 労働者申立てしか認めないという制度(労働者選択制)と,使用者申立ても認めるという制度(不要と判断した人材には,たとえ解雇が不当とされても,しかるべき金銭補償をしたうえでやめてもらえるようにする制度)とでは,金銭解決の意味はまったく異なるのです。ほんとうは,ここから先の議論があるのですが,それは私たちの研究成果の発表を待っていてください。

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2017年6月13日 (火)

拙著への書評御礼

  「改革者」(政策研究フォーラム)という雑誌の2017年6月号で,東海学園大学経営学部准教授の南雲智映氏が,拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』の書評をしてくださりました(この雑誌の名を聞くのは初めてでした)。法学系以外の方がどのような感想をもつかは気になるところでしたが,とても良い書評をしてもらったと思っています。
 評者は,「著者はAI・ロボットに置き換わることを前提に議論を進めるが,本当にそうなのか」と疑問をなげかけます。評者の考えでは,代替があっても,同時に「正社員業務がより高度化・複雑化していくシナリオも考えられる」し,「担当者が明確でない仕事が常に生じる」ので,「このような仕事は正社員がカバーすることになる」と指摘されます。また機械が担当する仕事も,「つねに人間がカバーすべき職務が生じ続けてしまう可能性が高い」ので,そうした作業をするのは正社員ということになるし,しかも中長期的には,ロボットの担当職務を再設計するというような高度な職務を行う必要が出てくるので,そのためにも正社員は必要だとされます。
 基本的な認識に異論はありません。ただ,それが正社員なのか,というところは疑問が残ります。私の描くシナリオは,高度化・複雑化する仕事は,人間がやる必要があったとしても,それをやれる人材が社内にいるかが問題ですし,職務の再設計のような仕事を担当するのはマネージャーであり,多くの普通の一般正社員ではないでしょうし,機械をカバーする人間の仕事というのは常にあるでしょう(事故対応的なものなど)が,そのために長期雇用の正社員を多く抱え込む必要がどれだけあるかが疑問なのです。
 これからは事業そのものがスリム化し,水平的ネットワークで仕事をすることになるので(これはデジタライゼーションのインパクトと言えます),長期雇用の正社員ではなく,その都度のプロジェクトに結集したプロのマネージャーたちが,社外の人材やAIなどの先端技術を活用しながら事業を営んでいくということになるのではないかと思っています。
 また,日本型雇用システムが変わっていくというのが,私の議論のベースにあります。「正社員」は,日本型雇用システムの産物です。それがAIやロボットの急速な技術革新によりスキル形成の仕組みがかわり,長期的に企業が雇うべき人材が減ることにより,日本型雇用システムととおに,その性格を変えていくと考えています。悲観的シナリオですが,多少悲観的であったほうが,政策を考えていくほうがよいのではないか,と居直って(?)います。

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2017年6月12日 (月)

湊かなえ『リバース』

 湊かなえ『リバース』(講談社文庫)は,彼女の作品にしては珍しく男性が主人公のミステリーです。やや屈折した男性心理の細かい描き方には,違和感が残るところもありましたが,小説自体は,精密で無理のない構成に,いつもながら感心しました。以下,ネタバレあり。  「深瀬は人殺しだ」という言葉から始まります。深瀬と大学の同期である村井,谷原,浅見の4人の間には,墓場までもっていかなければならない秘密がありました。それは村井の別荘での夜,同じ仲間であった広沢が車の事故で死んだのですが,問題はその原因でした。実は,別荘に遅れてきた村井が,最寄りの駅に迎えにきてくれないかと頼んできました。タクシーはすぐには来そうになく,村井の別荘に来させてもらっているという負い目もあった4人は,すでに酒宴が始まっていましたが,つきあいでいやいや飲まされていた広沢に運転するように頼みます(酒の飲めない深瀬は運転免許がありませんでした)。そして,その途中で広沢は事故死するのです。広沢が飲酒していた事実こそ,4人の秘密でした。飲みたくもない酒を飲まされた広沢に,運転に無理に行かせたこと(村井は車で迎えにきてもらうことにこだわったこと)に,彼らは負い目を感じていました。  そんななか,「深瀬は人殺しだ」という手紙が,深瀬が付き合い始めたばかりの美穂子の職場に届きます。深瀬は,ひょっとして広沢の事故の真相を知っている者が脅迫状を送ってきたのだと思います。深瀬は自分は人殺しではないということを説明するために,美穂子にありのままを伝えます。しかし,美穂子は深瀬を人殺しと断じました。そして二人は別れることになりました。  その後,浅見は社宅の駐車場の車に「人殺し」とする紙を貼られ,谷原は職場に,村井は父親の選挙事務所に同様の手紙が送られてきました。いずれも悪質ないたずらとして扱われましたが,当事者たちは,広沢の事故の真相を知る誰かが復讐しているのではないかと考えます。そんななか,谷原が駅のホームから突き落とされるという事件が起きました。幸い,命は大丈夫でしたが,4人は恐怖におののきます。  深瀬は,広沢の一番の親友であったという思いから,広沢の故郷にまで行き,誰が手紙を送ってきているのかを探しだそうとします。少しずつ手がかりが出てきます。そして,最後に驚くべき真相が明らかになります。  美穂子が受け取った「深瀬は人殺しだ」は,美穂子のストーカーがやった単なる嫌がらせにすぎませんでした。しかし,残りの3人への嫌がらせは,広沢の事故に関係していました。ところが,広沢を(結果として)殺したのは深瀬だったのです。たとえ故意によるものではないとしても。ここが巧いところでしたね。  この本を読むと,コーヒーが飲みたくなります。でも蜂蜜はパスかも。 ★★★(ミステリーの秀作でしょう)

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2017年6月11日 (日)

ジャーナリストに惑わされてはならない

 5月28日の日本労働法学会での菅野和夫先生のご講演についてのコメントの三つ目です。私の記憶違いでなければ,先生は,ご講演のなかで,リーマンショック後などの「派遣切り」などの報道が,派遣労働の事実を客観的に伝えていなかったのではないかという趣旨のことをおっしゃったと思います(ほんのさらりと触れただけだったのですが)。
 私も前バージョンのブログでも書いていたのですが,かつて朝日新聞やNHKなどの派遣労働に関する報道が,派遣のダーティな面ばかりを強調しており,技術者派遣など専門派遣では,派遣のもつマッチング機能が発揮されているのに,そういうことが十分に伝えられず,派遣イコール悪というイメージを世間に植え付けていたことに強い憤りを感じていました。
 菅野先生は,そういう具体的なことはおっしゃっていませんでしたが,エヴィデンスを強調される文脈で,(私の表現を使うと)一部の事実を誇張して全体の「印象操作」をすることを批判されたのだと思います。事実の「代表性」の問題といってもいいと思います。代表性のない事実に基づいて,政策論をやることは危険だということでしょう。 
  労働者派遣法を,政争の道具とし,趣旨不明のグチャグチャな法律にしてしまったことについては,2012年改正のときの民主党政権にも責任はあるし,2015年改正は自民党政権の下でなされたもので,自民党もきちんと落とし前をつける必要があると思っています。たとえば40条の6の直用強制についての弊害がどれだけ生じているのか,私は情報をもっていませんが,理論的には問題が多いものであることを政府はよく理解しておいてもらいたいです(拙稿「雇用強制についての法理論的検討-採用の自由の制約をめぐる考察-」『菅野和夫先生古稀記念論集 労働法学の展望』(2013年,有斐閣)93-114頁も参照)。 もちろん,労働者派遣イコール悪ということを,必死に理屈をこねて正当化し,世間を惑わしてきた労働法学者にも責任があります。
 現在,景気が良くなり,人手不足もあって,派遣労働者の労働条件も改善されているようです。だから,あまり議論されなくなっていますが,もともと景気の変動はあるのです。景気が良くないときの,しかも一部の労働者の事情のみに着目して,法制度をいじるのはやめにしてもらいたいものです。ところで,6月9日の日本経済新聞の報道で,労政審の部会(3分科会)が,「同一労働同一賃金」に関する報告書で,「派遣労働者の待遇を決める手法として,同じ仕事をする派遣先企業の社員の待遇と合わせるか,派遣会社が労使協定で決めた水準にするかの選択制が適当とした」とありました。報告者には派遣以外のことも書かれていたのですが,どうして派遣だけ書いたのでしょうかね。実は,現在の派遣先との均衡をめざす労働者派遣法30条の3以外に,派遣先との均衡を放棄して労使協定で決めていくというのでは,いっそう趣旨不明のものとなっています(理論的にはどう説明がつくのでしょうか)。どうして,こういうことになってしまうのでしょうか。いまや労政審は下請け機関ですから,問題の根幹は,より上位で決められた「同一労働同一賃金ガイドライン案」にあるのですが。後生ですから,派遣法に半端に手を入れないでください。

   それはさておき,マスコミは「病理現象」を好んでとりあげる傾向にあると思っています。ただ,その病理現象が,その現象の本質的なものなのかを見極める必要があります。その背景にある制度的,経済的なメカニズムに目を向けないまま,エピソード的な事実を垂れ流し,同情的なコメントをつけるというのでは,ジャーナリスト失格となります。ときにはそれが政策にも影響してしまうことがあるのが情けないのですが。
 菅野先生が講演で派遣のことについてふれられたのは,JILPTは,マスコミに惑わされず,事実を直視して政策立案をしていく宣言であるとすれば,それは素晴らしいことです。それは同時に,JILPTの「本社」ともいえる厚生労働省に,ポピュリズムに左右されがちな内閣府に対抗するために,自分たちがしっかりした政策研究をするから,君たちも頑張れという激励に思えたのですが,それこそ事実とは違う直感的な思い込みにすぎないでしょうか。

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2017年6月10日 (土)

藤井聡太四段25連勝

 藤井聡太四段が,6月7日に3連勝し,本日2連勝して,あっというまに25連勝となりました。いよいよ28という大記録が視野に入ってきました。これは対局する相手も責任重大ですね。都成竜馬四段は21連勝目の相手であり,そして本日25連勝目の相手にもなってしまいました。都成四段としては2回も負けるのは悔しかったでしょうが,どちらの対局も完敗でしたね。とくに本日のほうは,途中で形勢は明らかに悪く,最後は無駄な抵抗をしていたようにみえたのは,ちょっと痛々しかったです。それだけ藤井四段が強かったということです。
 ただ22連勝目の坂口悟五段戦は,危なかったです。途中まで藤井四段が優勢でしたが,攻め損なって形勢が逆転し,最後は必敗となっていました。ところが138手目に坂口五段の大悪手があり,そのまま坂口五段の玉が詰んでしまいました。簡単な3手詰めです。壮絶な頓死です。素人でもわかるミスでした。残り時間がなかったからでしょうが,藤井四段には運も味方しました。この対局以外は,ほぼ完勝です。
 テレビでも,藤井四段や将棋のことをとりあげる番組が増えてきました。経済効果も生んでいるようです。多くの人が将棋に関心をもってくれればうれしいです。加藤一二三のようなテレビ向きの強烈なキャラクターの人もいますしね。それに,AIブームにも乗っています。もはやAIとプロは対決するのではなく,プロもAIをどうとりこみながら,私たちに将棋を楽しませてくれるかという次元に変わりつつあると思います。
 それでも人間同士の対局はやはり面白いです。名人戦が終わり(佐藤天彦名人の4勝2敗での防衛),A級順位戦が始まりました。久保利明王将と三浦弘行九段という因縁の対局ですが(三浦事件のきっかけとなったのが三浦・久保戦でした),久保王将が勝ちました。こういう対局って久保王将にはやりにくいのではないかと思うのですが,実際に対局が始まると関係ないようですね。 そのほか,佐藤康光九段と渡辺明竜王は渡辺勝ち,羽生善治三冠と広瀬章人八段は羽生勝ちでした。大本命の渡辺竜王と羽生三冠が好発進です。

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2017年6月 9日 (金)

辻井さんのコンサート

 辻井伸行さんと服部百音さんのコンサートを聴くために,大阪のフェスティバルホールに行ってきました。前日に地元の西宮の兵庫県立芸術文化センターでもコンサートがあったのですが,今学期は水曜夜に授業が入っていたので,ちょっと遠かったのですが大阪まで行ってきました(東京の人は大阪と神戸は同一地域圏と思っているかもしれませんが,私たち神戸人にとっては梅田よりむこうは文化圏も違うし,ちょっとした遠足気分です)。フェスティバルホールは,昔は何度か行ったことがありました(妹のバレエの発表会やピアノの発表会で行ったような記憶があります)が,改装後は初めてでした。とても立派なホールでしたね。
 演奏は,前半は服部百音さんのヴァイオリン。1曲目がソロで,2曲目はオーケストラバックの協奏曲でした。熱演でしたし,スポットライトのために暑そうで,その意味でも熱演でした。
 後半に辻井さんが登場しました。私にとっては,半年ぶりくらいでしょうか。1曲目は,ショパンの英雄ポロネーズ。見事な演奏でした。2曲目は,こちらもオーケストラの協奏曲です。ショパンのピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11でした。約40分の熱演でした。
 いつも思うのですが,「英雄」は,最初に両手でジャンと入る(表現が稚拙ですみません)ので,目が見えない辻井さんは,鍵盤の位置とかが大丈夫かなと思うのですが,演奏に入る前に鍵盤を少し触るだけで,距離感とかはつかめるのでしょうね。ただ協奏曲のほうは,指揮者とのアイコンタクトができないわけで,入るタイミングが難しくないのかなと思ってしまうのですが,これは辻井さんクラスにははなはだ失礼な,素人の余計な心配ですね。
 アンコールは,再び服部百音さんが登場して,辻井さんと二人の演奏になったのですが,そこで選ばれた曲は,なんとNHK大河ドラマで使われた「真田丸のテーマ」でした。意外なアンコール曲でしたが,これもまたよかったです。こちらはヴァイオリンが主役で,辻井さんがピアノで支えるという感じになりましたが,二人の息はぴったりで,辻井さんがお兄ちゃん的にみえてきて,微笑ましかったです。
 個人的には,オーケストラバックよりも,ピアノソロか,ピアノとバイオリンだけというほうが,辻井さんの優しいピアノ演奏がより引き立つのではないかと思いました。
 今度はどこで聞くことができるでしょうか。チケット入手が困難な辻井さんですが,かつては長崎まで追いかけたこともあるくらいですので,日本のどこまでも行きますよ。
 帰りは久しぶりに新地の「わかな」に行って,ごうやちゃんぷるときんきの塩焼きを食べて帰ってきました。長い1日でした。

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2017年6月 8日 (木)

観光と年休

 昨日の日本経済新聞で,「休み方改革官民総合推進会議」(仮称)を新設するという記事が出ていました。そこでは,「企業への有休取得促進では,政府は16年に発表した『明日の日本を支える観光ビジョン』に『子どもの休みに合わせて年次有休取得3日増を目指す』と明記。18年度の有休日数を17年度比で3日増やす目標を掲げている。さらに取得日数を増やすため,18年度予算案の概算要求に有休を増やす企業への助成を盛り込むことも検討している。」となっていました。
  年次有給休暇(年休)の日数というとき,次の3つの意味がありそうです。第1が,労働基準法39条に基づいて,労働者の権利として与えられている年次有給休暇の日数。第2が,労働者が実際に取得している年次有給休暇の日数。第3が,企業に法律上付与が義務づけられている年次有給休暇の日数に上乗せして付与する日数(法定外年休)。
 日本以外の国では,おそらく,第1の意味の日数,または第1と第3を合算した日数と,第2の意味を日数とは一致しているでしょう。年休の取得日数を3日増やすという目標は,第1の意味の年休の日数を増やすのではなく,第2の意味の年休の日数を増やすということなのでしょうね。そして,第3の意味の年休を増やす企業を助成するということなのでしょう。第2の意味の年休は,3日ではなく,完全取得(消化)を目標にしたほうがよいでしょう。実現性を重視した数値目標を掲げるほうが現実的なのかもしれませんが,ただ半数も取得していない日本で3日増は志が低いような気もします。
 ところで,観光という観点からの休暇取得促進は,意外な感じがしています。たしかに欧米のバカンスは,旅行と密接に関係しています。年休をバカンス的な長期休暇に結びつける発想は,ごく普通のことです。でも,日本の年休制度というのは,分割取得できると法律で明記されています。これが問題だということは,私も『勤勉は美徳か?-幸福に働き,生きるヒント』(光文社新書)の第6章「休まない労働者に幸福はない-日本人とバカンス」で指摘しています。フランスとかイタリアの法律をみると,日本の単発年休(しかも時間単位年休も可能)は,奇異に映ることでしょう(少し古くなりましたが,野田進・和田肇『休み方の知恵』(有斐閣)も参照)。
 ところで,キッズウイークが導入されたとして,子供は連続休暇は可能ですが,親はそうはいきません。キッズウイークで子供の連続休暇日を移動させても,意味がないと言われているのも,親が連続休暇がとりにくいことを考えると,そのとおりです。ただ,もし企業がこれに協力して,たとえばキーズウイークに親の労働者の年休取得を義務づけるとか,時季変更権を行使しないとか,そういうルールをつくればどうでしょうか。ちょっとやりすぎのような気がしますが,それくらいしなければ日本人は年休をとらないかもしれません。ただそれでも,繁忙期を分散させて,順番に家族ごとに連続休暇を取得して,しかも観光に行くというようなことが起こるとはちょっと考えにくいです。国が考えて国民を誘導しようとしても,なかなかうまくいかないのは,プレミアムフライデーの失敗(?)からもわかるでしょう(国民には好みがあるのです。海好きは夏に休みたいのです。スキー好きは冬に休みたいのです。海外旅行好きは,渡航先の天気のよい時期に行きたいのです。いつでもいいわけではありません)。
 それに,もう少し戦略的後押しが必要です。たとえば,テレワークは,多少役立つかもしれません。子供が6月に9連休があるので,親もそれにあわせて沖縄に行く。でも,親はやはり仕事があるから,沖縄でちょこっと仕事はする。これって半端な休暇の取り方かもしれませんし,保養やリフレッシュの効果は半減しそうですが,こういうほうが,現実的だともいえます。これもある種のワークライフバランスです。問題は,自分の仕事が沖縄でちょこっとやれるようなものかどうかです。そこは難しいのですが,働き方改革の目標は,労働時間を短くするという方法もありますが,たとえ労働しているときでも,できるだけ自分の好きな場所と時間に働けるようにするという方法もあります。それは簡単なことではありませんが,こういう目標をかかげて前進することによって,少しでも日本の貧弱な休暇文化を改善していくようにすればどうでしょうか。
 ところで年休の話に戻ると,労働基準法改正をやるのなら,ぜひ現在の法案のような半端なものではなく(5日分だけ使用者付与義務),完全取得を実現する方向性でやってほしいです。私も,いろいろ提案をしていますので,参考にしてください(上記の本でもふれているし,『労働時間制度改革』(中央経済社)の200頁にも書いています)。

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2017年6月 7日 (水)

東野圭吾『虚ろな十字架』

  東野圭吾『虚ろな十字架』(光文社文庫)を読みました。死刑廃止論が根底にある小説です。以下,少しネタバレあり。
 中原家の8歳の愛娘を惨殺した男は,かつて無期懲役を受けた後,仮出所していた男でした。夫婦は死刑を望んでいました。1審は無期懲役でしたが,控訴審で死刑判決となりました。しかし,その後,夫婦は事件のことをひきずってしまい,結局,離婚しました。その離婚した妻の小夜子が,あるとき殺されました。殺害したのは,町村という男であり,通り魔殺人として警察では処理されたのですが,少し不可解なところがありました。事件の起きた場所,時間,そして町村が自首してきたことなど,通り魔には思えないところがあったのです。
 孫も娘も理不尽に殺されてしまった小夜子の両親は,小夜子の事件では死刑は難しそうでしたが,死刑判決を望みます。実は小夜子は,死刑賛成論者でした。離婚後,被害者の会に参加し,殺人をおかした者は,誰もが死刑になるべきという考えをいっそう強くもつようになっていました。もっとも,自分の娘の事件で加害者側の弁護士にインタビューしたとき,娘を殺した犯人は死刑が決まると反省や謝罪の気持ちをもたなくなったという話を聞き,そして,事件にはそれに応じた終結方法があると聞いて,死刑賛成論に迷いが生じていました。その迷いは,小夜子が書いていた未刊行の原稿のなかでも現れていました。
 離婚していたとはいえ,けんかをしたわけではなかった中原は,妻の遺志をひきついで出版にとりくもうとします。そして,その過程で小夜子殺人の真相に近づいていくのです。
 加害者の町村は,娘の花恵と疎遠でしたが,花恵の夫で小児科医の仁科史也の金銭的な援助を受けながら一人で生活していました。史也の母親は,殺人者の娘をもつ花恵との離婚をしつこくせまります。しかも花恵の息子が,史也の子でないことも突き止めます。しかし,史也は母の要求に頑として応じません。そこには恐ろしく悲しい第3の殺人の話があったのです。
 史也と花恵が出会ったのは,富士の樹海でした。花恵は,男にだまされて,身ごもってしまい,自殺場所を探しているところを史也に助けられます。そして,二人は付き合うようになり,結婚します。史也は,その子の父になり,花恵と疎遠であった町村の面倒までもみたのです。
 史也のこうした態度には理由がありました。それは高校時代に遡ります。史也は1年年下の沙織と恋愛関係にありました(プロローグ)。21年後,沙織は万引き常習犯となり,離婚後,社会問題を扱うルポライターとなっていた小夜子からインタビューを受けます。沙織は,小夜子の葬儀にも来ていました。
 史也は小夜子の書いていた雑誌記事を読み,沙織に関心をもち,そして彼女から重要な事実を聞き出します。沙織と史也は同じ中学を卒業している先輩,後輩であったことです。史也,町村,沙織,そして小夜子の4人がつながります。
 町村はなぜ小夜子が殺したのか。それには明確な動機があったのです。通り魔ではありませんでした。あとは読んでのお楽しみです。  ★★★★(罪を償うとはどういうことか。死刑問題を考える材料となる本です)

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2017年6月 6日 (火)

「IoT・ビッグデータ・AI等が雇用・労働に与える影響に関する研究会」報告書

 厚生労働省からの受託研究である,三菱UFJリサーチ&コンサルティングでの「IoT・ビッグデータ・AI等が雇用・労働に与える影響に関する研究会」の報告書が発表されました(座長は佐藤博樹)。http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000089555.html私も委員として参加しておりました。
 報告者は,豊富なアンケート,インタビュー調査に基づいており,今後の政策の参考にしてもらいたいです。同時に,デジタライゼーションのインパクトの可能性を,各企業が情報共有していく際の資料に使ってもらえればと思います。
  AIについては,日本経済新聞の先日の日曜版で,あのアルファ碁で有名なDeep Mindのデミス・ハサビス(Demis Hassabis)氏が登場し,「あらゆる企業が『AIを使っている』と吹聴するが,9割はその意味を理解せず,マーケティング用語として使っている。まさにAIバブルだ」と述べたとしたうえで,記事では,彼とのインタビュー内容を,「『アルファ碁』の勝利は世間のAIに対する関心を一段と高めたが,手放しでは喜べないという。AIは70年代と90年代の2度,『冬』を経験している。いずれも期待先行で成果が伴わず失望を買ったためだ。過剰な期待は修正されるとみるが,一方で「『正しいはしご』を登り始めた今回は過去のような『冬』は来ない」と予言する」とまとめています。
 バブルが起きているが,今回のAIブームは過去2回のブームとは違い,社会実装と結びつき,マーケット的にも成果につながるということでしょう。ただ,これは「正しいはしご」を登るということが条件ですが。
 今回の調査報告書の話に戻ると,今回の調査で,現在の日本企業で,イノベーティブな形でAIに対応しようとしているところは,ほとんどなかったように思います。AI人材不足もあり,それが経営者マインドに火をつけていない,という悪循環が起きているように思えることも問題です。
 経営者は,早く社会実装の道筋を示してほしいという受け身ではなく,積極的に人材をかき集めて,AIを活用したビジネスモデルの構築にむけた研究投資をもっとすべきでしょう。Hassabisが揶揄するように,AIをマーケティング用語としてしか使っていない企業には未来がないのです。だから,労働者のほうも,そうした未来のない企業をみながら将来の準備をしていてはいけないという,いつもの話につながります。
 厚生労働省が,こうした研究を自前であれ外注であれ推進することはとても大切ですが,問題はそれをどう政策にいかすかです。首相官邸側のややこしい動きから距離を置き,着々と政策を立案し実行していくことがAI時代に向けて求められる厚生労働省の役割でしょう。

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2017年6月 5日 (月)

高田屋嘉兵衛

 高田屋嘉兵衛のことを,以前このブログで取り上げたことがありました。今朝の日本経済新聞で,高田屋嘉兵衛のことが紹介されていて驚きました。私の地元に近い淡路島出身の高田屋嘉兵衛は,私の手元にある山川出版の日本史の教科書には,ゴローウニン事件のあおりで,ロシアに抑留された商人ということが注で小さく出てくる存在にすぎないのですが,彼のことを教科書に書くとすれば,北前船での成功を通して広げていったネットワークでしょう。あの窮屈な江戸時代に,努力と独創性で必死にもがき,はばたき,そして成功をおさめた彼の人生は,浪漫にあふれたものであり,司馬遼太郎の『菜の花の沖』における思い入れたっぷりの描写には,心をゆさぶられるものがあります(ただ彼の私生活は,それほど幸福ではなかったような感じもうかがえますが)。
 この司馬遼太郎の本は,たんなる高田屋嘉兵衛の伝記ではなく,内容が豊富です。ブログで紹介しようにも,あまりにも書きたいことがありすぎて,書く機会を逸してしまいました。個人的には,嘉兵衛が受けた「いじめ」というものが,東アジア独特のものであるという司馬遼太郎の説明や,第5巻くらいだったと思いますが,当時のロシアの皇帝のことや地政学上の位置づけなどが詳しく書かれていて,ロシアから日本史をみるという視点を与えてくれたことなど,学ぶことが多かった本です(あまりよくわかりませんでしたが,船舶や航海の説明も詳しかったですね)。
 日経新聞の記事のタイトルは,「いでよ高田屋嘉兵衛 荒波越える開拓精神を」です。高田屋嘉兵衛のような人物は,そう簡単には出てこないでしょうが,この商人のもつスケールの大きさは,もっと知られていいでしょうね。そして,彼が日本の近代史に与えた大きな影響こそ,日本史の授業で教えてもらいたいです。そのなかから,一人でも彼のような人物が出てきてくれればと思います。『菜の花の沖』は,日本人にとって必読の本でしょう。  ★★★★(二度目ですね)

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2017年6月 4日 (日)

藤井聡太四段20連勝

 将棋の棋士は3回に2回勝つと大変な優秀な成績と言われます。5回で3回勝つだけでも,それをコンスタントに続ければ一流棋士です。天才集団のなかでの戦いなので,6割勝つというだけですごいことなのです。そんななか14歳の藤井四段は20連勝です。デビュー以来という条件をつけると,すでに歴史を大きく塗り替えています。神谷広志八段の前人未踏の28連勝まではまだ遠いですが。
 20連勝をかけた相手は,澤田真吾六段。関西の若手の成長株です。棋王戦の予選をここまで勝ち上がってきて好調です。ちなみに今年度だけをみても,藤井四段は9連勝ですが,澤田六段も7連勝です。藤井四段にとって大きな試練でした。澤田六段が先手でしたが,千日手になり,先後が入れ替わりました(将棋は,通常,先手のほうが有利です)。先手になった藤井四段ですが,途中で詰めろ(放っておけば詰みの状況)をかけられて,ほぼ敗戦に近い場面になりました。しかし,王手をかけ続け,コンピュータからみると悪手であった7六桂という手の対応を澤田六段が間違えて詰めろが消えたところで逆転し,最後は藤井四段がきちんと寄せきりました。終盤の腕力で相手に悪手を指させて逆転するということがあるのが,人間の将棋の面白いところですが,なかなかそれで勝てる棋士はいないのです。これで棋王戦の本戦トーナメントに進出です。予選から勝ち上がった8名とシード棋士で,渡辺明棋王(竜王)への挑戦に向けて戦います。
 この間に,羽生善治3冠と挑戦者の斉藤慎太郎七段との棋聖戦も始まりました。初戦は最新形ではなく,古典的な矢倉戦になりましたが,斉藤七段が,飛車取りに歩を打たれたところで,角切りからの必死の猛攻を仕掛けましたが,かろうじて羽生棋聖の玉がつかまらず,無念の投了となりました。羽生棋聖が初戦をとると,そのまま行ってしまいそうな予感がしますが,斉藤七段は巻き返すことができるでしょうか。
 女流のほうでは,里見香奈5冠が,伊藤沙恵女流二段と,女流王位戦を戦っています。その第3局は里見女流王位が勝って2勝1敗です。相変わらず,攻めっ気の強い面白い将棋で快勝でした。
 このほかタイトル戦は名人戦が進行中です。どの棋戦も王者の防衛という流れになっていますが,挑戦者の奮起を期待したいところです。

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2017年6月 3日 (土)

官僚をなめたらいけない

  おごれる平家は久しからず。先週の日本経済新聞のコラム「春秋」に,前川前文部事務次官のプライベートな記事が出たことについて,「まさか,平清盛が都に放ったという『かむろ』のごとき密偵が,東京の盛り場をうろついているわけでもあるまい」とありました。清盛を例に出したことから,暗に,安倍政権をおごれる平家になぞらえたことがうかがわれます。露骨な批判は避けていますが,それだけにこのコラムは強烈なインパクトがありました。
 官邸の前川つぶしは完全に失敗しました。折しも「共謀罪」が監視社会を生むという不安が高まっているなか,いくら官僚とはいえ,その私生活を暴き,官房長官がそれをネタに敵意むき出しで攻撃するというのはいけませんね。イメージ戦略をとろうとしたのでしょうが,そんなことで国民をごまかせると考えていることが,非常に不愉快ですね。
 案の定,前川さんの良い人エピソードが続出です。私は,信頼できる方から,前川さんはとても良い人だということを聞いています。どうも前川さんは嘘をつくような人ではなさそうです。「法廷」では,証人の信用性を失わせる証拠を提出するということはあるのですが,今回の全世界に公開されている「法廷」では,一方当事者である権力者が,白を黒にしようと強引な立証方法をとっているという印象を与えてしまい,しかも証人の信用性を高める証拠が次々出てきたのですから,みっともないことです。
 背景には,内閣府とその他の省庁との争いというのもあるのでしょう。岩盤規制が崩されていくことについては,良い面もあり,官庁がこれに抵抗することには問題もあります。しかし,このブログでも書いたように,規制改革推進のメニューのなかにはおかしなものもあります。やたらと迅速性を求め,乱暴で拙速な議論が進められていくなかに,実は首相のお友達案件まですべりこんでいる,となると,これは国民としては看過できません。
 文科省に対しては,大学教員としては複雑な気持ちがありますし,それほど応援したい気もしませんが,それと前川氏の問題は別です。正論をつらぬく前川氏が昨年6月に事務次官となったことが,官邸にとっては目障りな存在だったのでしょうか。今年はじめの天下り問題発覚・引責辞任が,あのタイミングで出てきたことも,実は前川潰しの一環であったのでは,と疑いたくもあります。
 官房長官は,真実はどうかはさておき,まずは個人攻撃をしたことの行き過ぎを謝罪すべきでしょう。そして,森友にしても,加計にしても,首相は,直接的な責任はなかったとしても,周りの「忖度」が行き過ぎたことの管理不行届きについては謝罪を検討すべきでしょう。そうでもしなければ,おさまりがつかないです。自民党一強を支えてきた支持率が急降下する可能性もあります。そして事実の解明は,国会の証人喚問でやるべきでしょう。自民党は反対しているようですが,これを認めないかぎり,自民党に分が悪くなることは避けられないでしょう。
 もう一つ,安倍首相推奨の読売新聞の週刊誌並みの品のない記事も困ったものです(いまはWEB上は削除されているようです)し,実はある関西ローカルのテレビ番組で,コメンテータとして出ていた産経新聞の人が,前川氏の問題は政治に関係ないのであまり国会で取り上げないでいいという趣旨の発言をしていたことも気になりました。別に政策面で安倍政権びいきでもいいですが,権力にすり寄っているような印象を与えるのは,マスコミとしては自殺行為でしょう。

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2017年6月 2日 (金)

北朝鮮リスクにどう立ち向かうか

 Trump大統領が,北朝鮮の金正恩を「smart cookie」と呼んだことが話題になったことがありました。金正恩を軍事オタクの狂者と思っている人からすると,なんという発言かと驚いたと思います。私もそうです。相変わらずミサイルも飛ばすし,日本人の忍耐も限界に来つつあります。斬首作戦などという穏やかならぬ表現も使われていて,日本人が過激化しつつあることも心配です。ただ,ここは冷静に考えてみる必要もありそうです。まず,金正恩をマッドとか,バカ者とかと想定することは,危険だということです。Trumpが述べたように「smart cookie」なのではないか,と考えて対処をとったほうがいいのです。
 あの極貧国をここまで存続させていること自体,たいへんな手腕ともいえます。ミサイル発射など絶望的な軍事戦略に頼っていて,合理性のかけらもないという見方もありますが,よく考えると日本人だって,第2次世界大戦のときは,あのアメリカ相手に無謀な戦争をしたのです。国内では,天皇は現人神と考えられていたのです。外国からみれば,当時の日本人は不合理の極みだったことでしょう。あの戦争は,日本に原爆を落とされて悲劇的な終結となりました。金正恩は,日本が核をもっていれば,あのような終結にならなかったと思っているかもしれません。
 統治者であるならば,国民の経済水準を上げることが大切です。それは北朝鮮も同じでしょう。精神的な統治や思想統制だけでは,もたないはずです。大砲よりバターでしょう。これまでは,アメリカの経済制裁をなんとかかいくぐってきたのでしょうが,やはり正面から解除を求めたいのかもしれません。その対話のテーブルにつかせるためには,アメリカ本土に着弾できる核ミサイルが必要だと,金正恩が考えていても不思議ではないのです。
 まったく次元が違いますが,労使交渉も,労働組合にストライキ権があるからこそ,対等な交渉が実現するという面があります。実際,欧州の労働法の文献では,交渉が妥結して締結される労働協約を「休戦協定」と呼ぶこともあります。労働協約の締結中にストライキをしない義務を「平和義務」といいます(平和義務は教科書でも使われている言葉です)。ストライキは,それ自体が目的ではありません。交渉を有利にするための手段です。ストライキの威嚇は,対等な交渉を進めるために必要だというのが,労働法的な思考です。
 それと北朝鮮の問題は次元が違うといえばそうなのですが,いずれにせよ交渉こそがメインで,軍事力はその手段にすぎないとするならば,軍事力ばかりに目を向けていては対応を誤ることになりかねません。北朝鮮にとっては,拉致問題も,核も,外国から経済援助を引き出すためのカードです。中国に石油供給を止めるように圧力をかけることは,かつての日本のABCD包囲網を想起させ,それこそ日本がやってしまったような絶望な戦争に北朝鮮を駆り立てる可能性があります。戦争をしたら国が滅びるかもしれないという場合には,戦争を仕掛けたりしないという合理的な想定があてはまらないのは,日本の経験からもわかるのではないでしょうか。
 北朝鮮リスクをなくす方法には,金正恩に花をもたせるような徹底した経済援助(バターの供給)をして,北朝鮮国民(国民に罪はない)の経済状況を改善し,その手柄は金正恩に帰着させるというディールをもちかけるという戦略もありそうです。そうすることによって,北朝鮮が核爆弾などの危険な外交カードを使わなくてよくなり,拉致問題を人質にする必要もなくなれば,一番いいのです。これは楽観的すぎるシナリオでしょうか。
 強硬な軍事オプションしかないのでは,という世論が高まってきているのが怖いです。金正恩を殺してしまえという乱暴な議論も耳にします。もし,あの戦争で,昭和天皇が敵国に暗殺されたり,処刑されていたりしたら,日本人はどう思っていたでしょうか。金正恩が北朝鮮で神格化されつつあるということに留意しておかなければなりません。それに,金正恩を暗殺して,ほんとうに拉致被害者が帰ってくるとも思えません。
 怖いのは軍の暴走です。これも日本の経験からいえることです。北朝鮮軍を抑えることができるのは,金正恩しかいないとするならば,いかにして彼を利用するかを考えるべきです。ストライキ権を背景とした敵対的な団体交渉よりも,協調的な労使協議のほうが,効率性が高いのです。こうした知見を北朝鮮外交においても活かしてほしいです。パリ協定離脱といった愚かなことをしたTrumpですが,経済的合理性に徹した交渉なら得意でしょう。北朝鮮リスクを小さくできるのは,この方法しかないと思っています。今朝の日経新聞のオピニオンでは,制裁と圧力による「非核化」を追求せよという意見が出されていました。「非核化」は重要ですが,それを「制裁と圧力」によって実現するのは無理だと考えるのが,現実的ではないでしょうか。
 外交や軍事の素人の一つのオピニオンにすぎません。お前のような甘い考えではダメと叱られるかもしれません。しかし,日本国民として,真剣にこの北朝鮮リスクに向き合わなければならないと思っています。外交や軍事の専門家に任せきっていてよいということではないでしょう。

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2017年6月 1日 (木)

エビデンスとイマジネーション

 先日の日本労働法学会での菅野和夫先生のご講演のなかで,JILPTの調査から,長期雇用はまだ維持されているが,年功賃金は崩れつつあるという実態が明らかにされつつあるという趣旨の話が出てきました。
 賃金と雇用の問題は密接不可分で,賃金での調整ができれば,雇用に手をつける必要性は小さくなります。賃金には下方硬直性があると言われますが,フレキシビリティの要素が高まるほど,解雇の必要性も小さくなります。これは理論的に導かれる帰結です。ところで,現実において年功賃金が崩れつつあるということは,労働者に対するインセンティブが,年功賃金という長期的な約束によるのではなく,短期的な成果に結びつけられやすくなっているということなのでしょう。そのことは解雇は減るものの,日本型雇用システムという観点からは,年功賃金と密接にかかわる長期雇用を揺るがすものとなることを意味しています。
 個人的には,長期雇用に対する幻想をもっている世代が会社のなかにはまだ残っていることと,若者もできれば長期雇用のほうが有り難いと考える安定志向派が多いことが心配です。データからは長期雇用の衰退がうかがえなくても,そのことがかえって私には危うく感じます。長期雇用慣行はいつか必ず崩れるでしょう。結果として長期雇用となる人はいるでしょうが,これをシステムとして維持する合理性は急速に低下するでしょう。政策の基礎となるデータは,現状分析から得る必要はあるのですが,将来のことを合理的に想像するという作業も同時に大切です。私の『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える-』(弘文堂)は,そういう想像力を加味した未来予想図を基礎にした政策提言なのです。
 ちょうど1年前くらいに厚生労働省の有識者会議でプレゼンをしたとき,カール・ポパー(Karl Popper)の言葉を引用したことがありました。「未来予測的な研究は,学術的な手法では難しい」というものです。正確には,「There can be no prediction of the course of human history by scientific or any other rational method.」です。とりわけ,社会科学的手法にはなじまないでしょう。だから人文的手法も必要なのです。左脳だけでなく,右脳を使う研究が,これからいっそう重要となっていくのではないかと思います。

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