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2017年5月18日 (木)

菊池寛『真珠夫人』

 菊池寛の『真珠夫人』を読みました。Kindleの青空文庫です。1920年の作品です。瑠璃子という女性の短くも波乱にみちた悲劇的人生が,ドラマ化されやすい原因でしょうか。15年くらい前にもテレビドラマで流行しましたね。
 まだ古い女性観が支配的な時代において,貞節と妖婦という二面性をもった女性を描いた作品は,100年前の当時は驚きをもって迎えられたでしょう。
 ところで,この小説では「処女」という言葉が頻繁に出てきます。この当時,女性の貞節は美徳であり,処女であるということそのものに大変神秘的で崇高な価値があったことがうかがわれます。ちなみに,三田寛子のデビュー曲は,「駈けてきた処女(おとめ)」でしたね。処女は,乙女で,未婚なのです。いまは未婚=処女という等式はあてはまりませんが。
 さて作品に戻ると……。西洋的な美しさをもった瑠璃子は,父の政治活動から生じた借金を返すために,恋人の直也と別れて,下品な成金の荘田勝平に嫁ぐことになります。しかし,瑠璃子は,結婚後も処女を守り続けることを決心していました。必死に「初夜」を迎えようとする勝平との攻防は喜劇的で,ちょっと勝平が可愛そうにもなります。いよいよ瑠璃子の貞節が危なくなったとき,勝平は知的障害のある長男の種彦に殺されてしまいます。こうして未亡人となった瑠璃子は,男をたぶらかす妖婦に変身し,後半(および最初の部分)は,この瑠璃子と青木兄弟(淳と稔)との恋が見せ場になってきています(小説は,青木淳が事故死するところから始まります)。瑠璃子は,自分の周りにたくさんの男をはべらせ,淫蕩な雰囲気をただよわせる女を演じています。青木淳の事故死のときに偶然言わせた渥美信一郎は,淳の死ぬ間際に残した「瑠璃子」という言葉を頼りに,彼が託した時計を返しに瑠璃子のところに来ます。信一郎も,瑠璃子の美貌に惑われますが,彼の残した日記から瑠璃子が青木をたぶらかしていたことを知り,瑠璃子に対して,せめて弟には手を出すなと忠告します。
 ところがこの言葉が瑠璃子の心に火をつけてしまいました。瑠璃子は,青木の弟の稔を誘惑するのです。しかし,勝平が残した娘の美奈子も,また稔に初恋の感情をもちます。稔は瑠璃子に求婚し,それを知った美奈子は絶望のどん底に突き落とされます。美奈子の気持ちを知った瑠璃子は稔の求婚を拒否します。もともと瑠璃子は稔を恋愛対象とはみていなかったのです。稔は瑠璃子にもてあそばれたとわかり,激高して瑠璃子を刺殺してしまいます。
 美奈子は,自分の父によって恋人の直也と引き裂かれた瑠璃子が,直也のことをずっと思い続けて貞節を守っていたことを知ります。瑠璃子の男たちに対する態度は,自分に悲劇的な人生を強いた男性全体への復讐だったのです。瑠璃子が幼いころ慕っていた画家志望の兄は,芸術を理解しない父と喧嘩をして飛び出して音信不通となっていました。瑠璃子の死後,その兄が描き二科展に出品された「真珠夫人」というタイトルの絵の若い女性は,清麗高雅で,真珠のごとき美貌を漂わせていました。
 菊池寛は,瑠璃子を処女のまま死なせていることからわかるように,女性の近代性を性の自己決定というようなものには求めていません。彼が,真珠夫人のことを,「近代女性に特有な,理知的な,精神的な,表情の輝きである」と表現していることからもわかるように,女性の近代性を理知性に求めていたようです。おそらく当時は理知的なのは男性で,女性はもっと感情的な存在だという考え方が支配的だったのでしょう。前近代的な道徳観は当然の美徳で,その枠のなかでも,自分なりの考えをもって妖婦を演じたりもできる(そして,男性に復讐する)ところに,菊池寛の考える女性の近代性があり,そうした女性像が前述のように,当時は驚きをもって迎えられたのでしょう。
 100年後の現在,美貌面はともかく,「近代女性に特有な,理知的な,精神的な,表情の輝きである」女性はいくらでもいるでしょうが,それに瑠璃子のような貞淑さを加えた女性はどれだけいるでしょうか。いま演じるとすればどの女優が適切でしょうかね(テレビの真珠夫人は,横山めぐみでした)。

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