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2017年5月

2017年5月31日 (水)

Skype会議で金銭解決を論じる

 解雇の金銭解決について,東京大学の川口大司さんたちと進めている共同研究は,なかなか終結にまで至らないのですが,ずっと継続して頑張っています。昨日の新聞報道によると,厚生労働省の検討会の報告書では,金銭解決の導入は見送りになったようです。個人的には,いまは見送りでいいと思います。私たちの問題提起をみてからでいいと思います。いつ公表できるかというと,これは私たちの原稿のとりまとめと出版社の都合もあり何ともいえませんが,年内には刊行したいですね。この成果については,シンポジウムをやって広く公表すべきだと思っていますので,出版社には刊行記念シンポを開催してもらうよう働きかけたいと思っています。
 それはさておき,この本の担当編集者のOさんは,今日で元の職場から別の職場へと移籍します。華麗なる転身となるか,惨敗するかは,本人の力量次第ですが,目先の成功失敗は関係ありません。彼が転職力を十分につけて,より希望する職場に転職できる力(先方が採用したいと考えるだけの力)を見つけていたという事実が大切です。常日頃,自分のキャリアを切り拓くために転職力をつけろと学生たちにも常に呼びかけている私は,これを拙著『君の働き方に未来はあるか』(光文社新書)のメインテーマにしたくらいですが,あの本を読んだ人は,おそらくほとんどが転職力の重要性を感じたはずです。私は,Oさんのような働き方を,学生たちにも身近な例として紹介していければと思っています(まだ時期尚早ですが)。
 それで元の話に戻ると,Oさんの元の職場での最後の日,解雇の金銭解決に関する本の打ち合わせをしました。Skype会議でした。Oさん,川口先生,私の3人での打ち合わせは,実際に会議室で集まるのと,まったく変わりがありませんでした。私は自宅の机の上にノートパソコン2台を並べて,1台には今回の本に関する資料や原稿を出し,もう一台はSkypeの画面を出して,手前においたスマホは緊急の連絡用,もう一つiPad はネットで調べたいことが出てきたときに使うといった感じで,それほどスペースのないわが部屋でも(机は多少大きめです),十分に濃密でレベルの高い議論ができる環境が整いました。ファイルはdropbox で共有しているので,その場の修正があったファイルもすぐに確認できます。
 おそらくテレワークをやっている企業は,こうした形で打ち合わせをしているのでしょう。研究者も,こうした方法をとれば,世界中の人と自宅や研究室にいながらプロジェクトの打ち合わせができるはずです。
 私の仕事との関係では,やはりファイルの共有が重要です。dropboxでも,google drive でもいいのですが,この共有さえできれば,私のやる程度の仕事であれば,Skypeで十分で,出張の必要はなくなります。ちなみに,今年の判例六法(有斐閣)の編集会議も,Skypeでやらせてもらうことになりました。ここ2年間は有斐閣の京都のオフィスのほうへ「出張」してのテレビ会議だったのですが,京都までは結構遠くて,東京出張をしないメリットがあまりありませんでした。今回は自宅か大学の研究室からの参加なのでずいぶんと楽になりそうです(その分,しっかり仕事をしなければならないと考えているところが,まだ日本人的ですね)。
 仕事の性質にもよるのでしょうが,テレワークはこれを始めると止められないかもしれませんよ。

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2017年5月30日 (火)

藤井四段19連勝もすごいですが……

 先週のことになりますが,藤井聡太四段の連勝記録は19に伸びました。前の対局では,それほど切れ味がなかったので,そろそろ負けるかなと思っていたのですが,相居飛車となると強いですね。若手ですが実績のある近藤誠也五段に対して圧勝でした。どこも危ないところがなく,これで竜王戦挑戦トーナメントに進出を決め,棋界最高峰の竜王挑戦への道が広がりました。いきなりトーナメントを勝ち抜くとは思いませんが,棋界ではすでにどよめきが起きつつあるでしょう。
 そんななか,佐藤天彦名人が,ソフトに負けたという話もありました。大きなニュースではありますが,もはや誰も驚かないニュースでもありました。名人は序盤から必死にがんばりましたが,途中からはソフトの圧勝でした。名人が機械に頭を下げる姿には辛いものがります。これで2連敗で,もうソフト(開発者)は人間と戦うことに情熱を燃やすことはないでしょう。あとは余興的に,羽生対ソフト,藤井対ソフトの対局があるくらいではないでしょうか。
 おりしも囲碁でも再びソフトが人間より強いことが証明されたというニュースが飛び込んできました。負けた人間が涙したということでしたが,もう仕方がないのです。こういうソフトを作ったのも人間なので。素人が機械を使って,プロに勝ったと思えばいいのです。人間の敗北でありません。
 ただ,これをしょせんゲームの世界の話だろうと侮ってはいけません。囲碁ソフトは,AIどうしの対戦で強くなっていきました。昨日の日経新聞の電子版には,「2つのAI,技競う 深層学習の次『敵対的生成』」という記事が出ていましたが,これはたんにゲームだけの話ではなく,新たなAIの可能性を示すものなのです。「敵対的生成ネットワーク(GAN:Generative Adversarial Network)」と言うそうです。なにか弁証法による止揚という感じもしますが,機械が向かい合って対抗しながら,新たなものを自生的に作り出すというのは,とてもすごいことで,かつおそろしいことです。実際,アルファ碁は,ソフトどうしで対局をした結果,飛躍的に強くなりました。多くの人間がとりくんで,そのなかの天才が,何十年かに1度発見するような戦術を,短時間で見つけ出すことが可能になったようなものです。
 知的労働に従事していると思っているあなた。たいへんな時代に,あなたも私も生きているのです。

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2017年5月29日 (月)

日本労働法学会(龍谷大学)

 昨日は日本労働法学会に行って,菅野和夫先生のご講演「労働政策の時代に思うこと」を拝聴してきました。先生のお話をゆっくりお聴きする機会というのは,学生時代以来で,もしかしたら30年ぶりかもしれません。
 先生のご講演の内容は,タイトルどおり,現在が「労働政策の時代」であるととらえ,労働法学は何ができるかということについてでした(このテーマについては,拙著『AI時代の働き方と法』(弘文堂)の63頁「労働法学の課題」も参照)。ただ後半は,労働政策の研究においてJILPTが頑張っているというお話になり,これが先生の学問のお話なのか,現在のJILPTでのお立場に基づいたお話なのか,よくわからなくなってしまいました。おそらく先生の学問の到達点を,JILPTで実現されようとしているから,こういうお話になったのだと理解することにしました。
 結論は,労働政策については,まずは日本の雇用システムがどう変化しているかを,「科学的観察,歴史的照査,国際比較によって見据えること,そして,現場で対応している方策について,労使を加えて良く議論することが肝要」というもので,それはそのとおりとしか言い様がありません。おそらく,言うは易いが,行うは難しで,JILPTはそれを実行するのだということでしょう。
 実は,この「労使を加えてよく議論する」というのは,労働法の議論では当然そうなりそうですが,午後のミニシンポ「女性活躍推進と労働法」では,このことが冒頭から問題となりました。要するに,女性活躍推進というテーマにおいて「労使」の労側はどういう役割をはたすべきなのか,ということです(中央大学の唐津博さんが口火を切りました)。この点について,私は横から入って発言をしました。この「労」(労働組合)を入れるという共同決定的発想は,たしかに労働者の意見集約,具体的な制度設計,実行のモニタリングという観点から有用で,企業別組合の力が発揮できるところです。しかし,女性の活用というのは,基本的には人事管理マターで,今日の問題は,企業がまずこれに着手しようとしていないところにあります。だから労使でどう取り組むべきかというのもいいのですが,本気で政策を進めるなら,まずは経営者の意識改革をどう進めるかが重要だ,という発言をしました。
  この点で,菅野先生のご講演に戻ると,気になったのが,労働法が政策立案面で共同作業をすべき相手として産業社会学と労働経済学だけが挙げられていた点です。エビデンスには関心があるが法制度に関心のない産業社会学,抽象的な理論的問題にしか関心のない労働経済学と,具体的な問題を扱う労働法学は補完的な関係にあるというお話だったと思いますが,HRMへの言及はありませんでした(先生の頭では,HRMは労働経済学に含まれていたのかもしれませんが)。
 企業の人事管理のあり方を視野に入れなければ,政策は先に進まないことに誰も異論はないでしょう。日本の政策や雇用システムが,どのような歴史から発展し今日に至ったかということも大切ですが,日本型といわれる雇用システムが,政策とは別に,経営の論理でいわば「現場」のニーズに基づき形成されてきたという視点も大切です。男女雇用均等政策も,このような点から総括する必要があるはずです。
 それと労働経済学においても,近年は,ゲーム理論や契約理論の発達などで,個別労働関係の問題について分析するツールが急速に発達し,抽象性は下がっています(もちろん学問の性質からくる相対的な抽象性はあるのですが)。実証分析も,企業内の動きを明らかにしようとする流れが強まっています。こうした労働経済学と前記のHRMとこそ,労働法学は共同作業が必要だと考えています。
 それでミニシンポの話に戻るのですが,政府は,女性問題やWLB問題で,法律でできることについて過信をしているような印象をもっています。労働法学でも規制の論理が幅を利かし,経営を規範的に縛るこそこと,労働法学の役割とされてきました。だから,HRMの観点からは,法律は外的な制約要因となるのですが,法律の過剰な効果は企業の合理的な行動をゆがめ,ひいては従業員にもマイナスとなります。ここで重要なのは,規制すべき対象のなかには,どうしても強制的に守らなければならないような労働者の基本的な権利や利益に関するもの(労働安全,健康など)とそうでないものとがあるという視角です。女性活躍推進やWLBなどのテーマは,後者ではないかというのが私の認識です。だから差別禁止規制といった強い介入は不要なのです。こうしたテーマは企業内で労使(労は労働組合とは限らない)が話し合って実現していけばいいことです。ミニシンポで紹介された資生堂さんの例は,まさにそうした努力の歴史です。
 つまり,こうしたテーマである以上,HRMとの折り合いが大切で,そういう観点から,今回の女性活躍推進法の規制手法がたとえ権力的規制は使っていないとしても,なお強すぎないかが検討されるべきなのです。という趣旨のことを最後に述べました(つもりです)。なお,同様のことを規制の正当性という観点から,育児介護休業法との関係で述べたことがあります(拙著『雇用改革の真実』(日経プレミアシリーズ)の第7章「育児休業の充実は女性にとって朗報か」のなかで少し言及したことがあります)。
 ということで,ミニシンポには,報告者ではないにもかかわらず,事前にコメンテータをするよう求められていたこともあり,フルに参加してきました。ネタに使った斎藤美奈子さんの『モダンガール論』(文春文庫)から借用した「社長になるか」と「社長夫人になるか」はウケるのはわかっていた鉄板ネタですが,案の定でした(たぶん)。学会で発言するのは久しぶりですが,こういうワークショップ型だったら,また行ってもいいかなという気になりました(周りは迷惑かもしれませんが)。
  菅野先生の講演のなかで,もう一つ気になったことがあったのですが,それはまた後日書くことにします。こういう刺激を与えてくださるのが,師の有り難さなのでしょう。

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2017年5月28日 (日)

Taormina

G7の会議が行われているシチリアのタオルミーナはとても良いところです。私もかつて行ったことがありますが、風光明媚で、夏のバカンスには最高です。小さな船を1時間ほど貸し切って、洞窟にまで行ってもらったり、海の真ん中で途中で止めてもらって、映画グランブルーの撮影で使ったホテルを正面に見ながら泳がせてもらったりしたことが懐かしい思い出です。
シチリアはまさに人種のるつぼで、ギリシャ、アラブ、ノルマンの文化が融合した奥深さがあります。難民もやってきます。自国主義を唱え文化の香りもしない野蛮な国から来た大統領を、もちろん欧州のエリートたちは表面的には最大限の笑顔で出迎えますが、腹の中でどう思っているかは想像に難くありません。
それにしてもこのような国際舞台においては、出席回数が多いということは、やはり大切なことだと思います。主催国のイタリア首相は新人ですし、おまけに前首相の復帰までの暫定政権であると言われています。イギリスもフランスもアメリカも新人です。長期政権は国内的には問題がいろいろありそうですが、少なくとも国際的な舞台においては強みとなるはずです。日本の首相はこのアドバンテージをうまく生かすことができたでしょうか。

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2017年5月27日 (土)

連城三紀彦『処刑までの十章』

 連城三紀彦『処刑までの十章』(光文社文庫)を読みました。長編で,読むのにかなり疲れるミステリー作品でした。以下ネタバレありです。  国分寺に住む平凡な夫婦。あるとき,真面目一筋だった夫(靖彦)が,出勤のために自宅を出たあと行方不明となります。それを知った妻の純子(専業主婦)は,銀座で音楽教室の講師をしている夫の弟の直行に助けを求めます。会社からは,経理課で働いていた夫が取引先への請求書を改ざんして,200万円ほど着服した疑いがあるということも知らされます。  ところで,10月28日に,夫婦の住んでいた国分寺からはるかに遠い土佐清水において火災事故(一人焼死)があります。一見関係のなさそうな2つの出来事ですが,土佐清水の火災には「5時71分」に事件が起こるという予告がありました。「5時71分」という奇妙な言い回しは,以前に靖彦が使っていたものであり,そして直行がこの日会う予定になっていた,兄から紹介された女性は,土佐清水出身でした。火災現場では,そこから逃げていく一人の女性が目撃されています。こうして,この二つの出来事はつながります。直行は,兄の靖彦と土佐清水の女性(萩原勝美)が落ち合って失踪したのだと推理します。萩原勝美は,靖彦の唯一の趣味であったアサギマダラという青く美しい翅をもった蝶の愛好者つながりの人でした。  直行の推理を中心に話は展開していきますが,これが真相かと思うと,裏切られ,というのが連続します。直行は兄の妻である純子にもともと惹かれているのですが,姉が殺したのではないかという疑いも捨てていません。ここではとても書き切れない錯綜したストーリーが展開していくのですが,萩原勝美は実は男性であったとか,純子の家の周りにいるストーカーのような男が,実は私立探偵であったとか,靖彦らしき人が事件後に純子らしき人と会っているとか,純子らしき人が土佐清水で目撃されているとか,直行が真相究明のために頼りにしていた土佐の新聞記者が殺されてしまうとか,バラバラ死体が少しずつ発見されて,それが靖彦の死体のように思えるとか,かなり読者は引きずりまわされます。  伏線がきちんと回収されているかは疑問が残るのですが,著者の遺作であり,たいへんな力作であることは間違いないでしょう。  ★★★(仕掛けが大きすぎて,途中で中だるみ感もありました)

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2017年5月26日 (金)

大学教育無償化について考える

 昨日の日本経済新聞の「大機小機」のタイトルは「憲法もポピュリズム」です。かなり厳しい論調で,安倍政府の大学無償化を批判していましたね。私も大学教育無償化や出世払いのような案には,大いに違和感をおぼえています。憲法改正が必要かどうかという点もそうですが,そもそも大学教育の無償化の必要があるのか,というところから疑問があるのです。
    同新聞では,「教育政策 データで読む」で,冷静な分析をしています。「(上)「無償化」一人歩き」では,4年制大学進学率は両親の年収1000万円超なら62%,400万円以下なら31%という格差があるとします。現在は,大学は選ばなければ誰でも入れる時代なので,この格差は子の勉強の能力よりも,親の学費負担能力によると分析されてもおかしくはありません。
 教育の重要性は政府も唱えているし,私も述べています。教育には正の外部性があるので(産政研フォーラム113号で,大阪大学の大竹文雄さんが,正の外部性のことを論じておられましたね),政府が公費を投入することには合理性があるともいえます。
 一方で,日本経済新聞の記事では,「財務省は大学無償化について『自己投資の性格が強い』と否定的だ」となっていました。教育を自己投資にゆだねていると,投資が過小になるということなので,これだけでは否定論としては十分でないでしょう。むしろ,学生時代だけでなく,就職後の労働者の職業教育にも,もっと公的費用をつぎこむという考え方もありえます。
 それにもかかわらず,大学教育の無償化に賛成できないのは,今日の日経新聞の「(下)『人への投資』の虚実」にも出ていたように,大学教育の内容や質に問題があると感じているからです。記事では,「今の日本の大学にタダで行かせることが,将来を担う人材を育てることにつながるのかに疑念をはさむ向きもある」となっていました。無償にしたとしても,現在の大学教育では,人材育成に貢献できないので,無駄金になる可能性があるということです。
 私が唱えるAI時代に備えた人材教育をどこが主として担うかというとき,本来,大学も候補には入っているはずなのです。しかし,大学研究者が多数集まっていた会合で,この話をしたときに,私が大学も候補に入ると述べたとたん失笑がおきました。大学で,そんな人材育成なんてできるわけがないと,大学関係者たちがわかっているのです。
 現実的な政策として,私は,義務教育段階でもっとやるべきことがあると考えています。大学教育の無償化は,実は,現在の義務教育のカリキュラムを見直して,AI時代における人材育成に必要な基礎教育をするということで,実質的にはかなり実現できるのです。
 現在の大学は高等教育機関の役割をはたしていないという印象をもっています。自分自身の経験でいっても,私の奉職している大学で,私が本気で自分の研究水準に合った授業をしたら,学生のほとんどがついてこれないでしょう。本来,教授の研究成果を伝える授業についてこれる人が入試で選抜されているはずなのですが,それは幻想にすぎません。現実の大学の授業は,頭脳労働の要素3,肉体労働の要素7という感じです。教授の本気のレベルに接した勉強をしたい人は大学院に来るのでしょうが,すでにそこで本来のスタートより4年遅れているともいえるのです。
 私の働いている大学の学生は,全国レベルでみるとかなり優秀なのですが,それでもこういう状況です。全国の大学でどういうことが起こっているかと想像すると背筋が寒くなります。学部の授業は,わかりやすさが重要で,教科書もわかりやすさを競い合っています。(少なくとも法学では)全国の大学で,学問的な刺激のない薄味の教科書を使いながら,教育がなされているのではないでしょうか。大学がこんな状況であることを考えて,無償化の議論をすべきです。
 それならお前たち大学関係者が何とかしろよ,と言われそうです。実は,大学の授業のレベルを上げることは簡単です(もちろん,研究をほとんどやっておらず,高いレベルの授業ができない教員も少なからずいるでしょうが,そういう教員は本来大学で教えるべきではありません。御用学者として役人にいいように使われるだけで,社会に有害です)。試験を厳しくすることも簡単です。でも,それをやることがほんとうに求められているのでしょうか。企業も,文部科学省も,学生も,その親も,本気でそれを望んでいるのでしょうか。無償化の前に考えるべきことがあるのです。

*後で本日の経済教室でも,このテーマについての立派な論考があることに気づきました。ぜひ読んでみてください。

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2017年5月25日 (木)

雅楽

 NHKの教育テレビのイタリア語講座「旅するイタリア語」に登場していた東儀秀樹さんは,雅楽師でした。これをきっかけに,雅楽に興味をもちました。耳にしたことはあったはずですが,意識はしていなかった雅楽は,とくに管楽器が印象的です。笙(しょう),篳篥(ひちりき),龍笛は,それぞれ西洋のパイプオルガン,アコーディオン,ハーモニカのルーツだそうです。
 ということで,東儀さんの2015年に出された「日本の歌」というアルバムをitune に取りこみました。懐かしい日本の心といえるような歌を雅楽+オーケストラで聴くのは素晴らしいです。幻想的なムードになります。これをバックグランドに赤ワイン(vino rosso)がぴったりときます。東儀さんを,イタリア語講座に登場させたのは,すばらしいキャスティングでしたね。たしか12月くらいだったと思いますが,NHKの番組のなかで,Coba さん(アコーディオン),古澤巌さん(バイオリン),それに東儀さんがイタリアのVerdiゆかりの地で共演したところなどは感動しました(古澤巌さんは,どこかで生で演奏を聴いたことがある気がするのですが,それがどこだか思い出せません)。再放送をしているようですから,みなさんも東儀さんの演奏を楽しみながら,イタリア語を学んでみてください(演奏のシーンも結構あったと思います)。
 NHKの語学を聴いて(ただしフランス,スペイン,イタリアだけ。フランスは常盤貴子,スペインは誰か忘れたけどバスク旅行がいい),テレビ体操をして,テレビ東京の経済ニュースを見てから,阪神が勝ったときは朝日系を,そうじゃないときは夏目三久というのが,朝の日課です。でも最近は寝坊をして,日課をこなせないことが増えていますが。

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2017年5月24日 (水)

規制改革推進会議の答申に思う

 規制改革推進会議の安倍晋三首相への答申の内容について,昨日からマスコミ報道されています。
 今朝の日経新聞では,「企業の労働環境を監視する労働基準監督署の業務の民間開放や行政手続[き]コストの削減など一定の成果を上げたが,新味に乏しいと言わざるを得ない面も多い」というコメントが出ていました。
 労働基準監督署の業務の民間開放は,評価するということのようですが,民間開放の内容は,昨日の記事によると,「アンケート調査の送付や回収など立ち入り前の業務を認める方針」となっていました。私は監督署の業務の詳細はよく知りませんが,これでどのぐらいの業務軽減になり,監督業務の生産性があがるのでしょうか。また,通常,こうした調査は企業側の顧問をやる社会保険労務士が対処するものでしょうから,監督する側の業務にも社会保険労務士に任せるということに違和感があります。監督する側と監督される側がきちんと区別されないと,監督の実効性は期しがたいでしょう(と,少なくとも国民は思うでしょう)。どうせなら,労基署がもっているはずの膨大なデータを活用して,AIを取り入れて監督業務を効率化するといった改革案を出してもらいたかったところです。私が厚労相になれば,すぐに命じます。
 他の分野の規制緩和のことについては私はわかりませんが,これが最大の目玉の一つとなると,ちょっとずっこけるような内容です。とりまとめに苦労されたであろう大田さんには申し訳ありませんが。おそらく,ものすごい抵抗勢力があったのでしょうね。
 それと限定正社員に関する雇用ルールが先送りになったことも記事で書かれていましたが,その雇用ルールというのは,私にはまったく見えてこないので,先送りも何も,最初から空虚なものを議論していたのではないかと思います。限定正社員については,少なくとも正面からの労働法上の規制は何もないので,規制改革ということ自体になじまないのです。これは,私が第2次安倍政権誕生後の規制改革会議の雇用ワーキングで,限定正社員がテーマに採りあげられたときから思っていたことです(拙稿「限定正社員」法学教室398号(2013年,有斐閣)45-51頁も参照)。
 限定正社員というのは,日本型雇用システムの下における正社員のアンチテーゼのようなもので,それを本気で推進するということをもし考えているのなら,職務は限定しなければならない,残業は不可である,転勤は本人の個別的同意がなければできない,なんていう規制を新たに設けることになるのでしょう。しかし,そんなことを法律がやってよいのでしょうか。そうした余計な規制をしないことこそ,規制改革推進会議の方向性に合うように思います。
 要するに,限定正社員というのは,日本型雇用システムを見直したらどうかというスローガンにすぎないのです。法規制として扱うようなものではありません。規制改革推進会議は,このテーマから手を引いたほうがいいです。引きずっていたら,いつまで経っても先送りせざるをえず,そのたびにネガティブに評価を受けることになるでしょう。

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2017年5月23日 (火)

共同規制とは?

 昨日の日本経済新聞で,シェア経済の拡大に対応し,法規制と自主規制との中間として「共同規制」を作ろうとする動きがあることが紹介されていました。業界団体による自主ルールということですが,そこに官も入っているということで,官と民が「共同」で作るから「共同規制」ということのようです。
  共同規制というのは,私は使ったことがない言葉ですが,解雇規制について私が提案したガイドライン構想は,まさにこのようなものでした。すなわち,法令で解雇についてのガイドラインを作り,労使でそれを具体化したルールを就業規則に定め,裁判所は,そのルールのガイドライン該当性と,具体的になされた解雇のルール該当性のみを判断するというものです。これも,ある種の共同規制でしょう。私は分権型規制と呼んでいました(詳細は,拙著『解雇改革』(中央経済社)を参照)。
 基本的な価値は法令で定めるが,それ以上のことは情報面でも能力面でも,政府は当事者に劣後するので,それは当事者にまかせるというのが基本的な発想です。
 シェア経済の場合,ガイドラインとの適格性を判断するのは,裁判所ではなく,外部の有識者委員会のようですね。ここには弁護士などが入るのでしょう。それにより認証の信頼性を高めるということでしょう。
 ここで終わっておけばいいのだと思いますが,認証を受けた事業者に補助金を与えるとか(新聞では何の保険か知りませんが,保険料の減額があげられていました),そういう国費の投入はやめたほうがいいように思います。厚生労働省の「くるみん」程度のものでよく,適格マークの使用を事業者に認めるくらいでいいのではないでしょうか。
 政府が助成しようとすると,やはり助成の正当化のために,何らかの規制をする必要性が出てきて(不祥事とかがいったん起こると,国民からそういう要望がでる可能性もある),そして外部の有識者委員会のメンバーにも,役所関係の人が入ってきて,そのうち事業者団体にも役所からの天下りがやってきたりという,いつもの話が起こるというのは,心配しすぎでしょうか。
 業界の発展のためには,利用者が安心して利用できるようにすることが何より大切というのが出発点です。そのために必要なのが業界団体での自主的ルールであり,そのルールが妥当な内容で,そしてきちんと遵守されていることを利用者に知らせるために認証制度があるということでしょう。これは「共同規制」といった政府が何か深く関与しているような表現を使うのではなく,「自主規制」と呼んだほうがよいのでしょう。逆に「共同規制」と呼ぶような実態が,ガイドラインを作ること以上に存在するのなら,それには警戒の目を向けなければならないでしょう。
  ところで,業界団体というとギルドを想起させます。中世のギルドは,営業の自由を抑圧するものとなり,市民革命では敵視されました(フランス革命における中間団体否認の思想)。
 しかし,ギルド的なものは,欧州にはずっと残っているのだと思います。自分たちの職業的利益を守るために,自主的にルールを作り,それを遵守しない者には営業を認めないというのは,それほど突飛な発想ではありません。実は(産業別)労働組合もそのようなものであり,労働者として働く(営業する)以上は,労働組合が使用者団体と決めた労働協約を遵守しなければならず,抜け駆けは許さないこととしたのです(それが労働協約の「規範的効力(normative Wirkung)」です)。その意味でこうした中間団体は,カルテル的な機能ももちます。
 シェア経済の共同規制は,市場vs政府という点からみると,ルール形成能力は政府よりも市場のほうにあるといえそうなので,政府は出しゃばるなというのであれば,よく理解できるところです。前述のように,市場のオペレータの情報や判断能力のほうが高く,政府の失敗の危険性が大きそうな分野でもあります。
 それに,新しいビジネスについて,自主ルールからスタートするというのは,私は健全なことだと思っています。国が乗り出してくるのは,欧州的なsubsidiarity の発想からしても,最後のものであるべきです。今回の試みがどのように進展していくか,私も注目していきたいと思います。

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2017年5月22日 (月)

第134回神戸労働法研究会その2

 もう一人は,JILPT の山本陽大君が,山元事件・大阪地判平成28年11月25日を報告してくれました。アルバイト従業員が過重労働が原因で死亡したケースでの民事損害賠償請求事件です。山本君は今回も周到な評釈をしてくれて,大学院生たちにも良い模範となったことでしょう。今回の報告も,ぜひに活字にしてもらえればと思っていますので,詳細はそこにゆだねます。判決への若干のコメントだけしておきます。
 この事案の特徴は,商品陳列用の什器などの搬入と販売を業とする会社で,15年近く断続的にアルバイトをしていた「ベテラン」アルバイトの「過労死」について,使用者に安全配慮義務違反が認められた点にあります。この労働者の働き方は,現場ごとにアルバイト従業員を募って契約をするというもので,作業単位ごとの労働契約という変わったものでした。それぞれの作業をする際には,労働者から事前に登録がなされるので,日々雇用ないし時間雇用的なものが,反復継続されていたわけです。これは,広い意味での有期契約の一種であり,「一定の事業の完了に必要な期間を定めるもの」(労働基準法14条1項を参照)に近いといえるかもしれません。
 契約の性質はともかく,一つひとつが独立した契約であるとすれば,業務の過重性をどのように判断するのか,またそれにともなう使用者の安全配慮義務をどのように判断するのかが問題となります。裁判所は,形式的には現場ごとに個別の労働契約が成立しているとみざるをえないとしながら,本件の被告会社は,無期雇用契約の使用者と同様に,業務にともなう疲労等の過度の蓄積により心身の健康を損なうことのないよう注意すべき義務を負っていたとし,結論として,使用者の損害賠償責任を肯定しました(過失相殺は3割)。
 判決では,単発契約の繰り返しの場合でも,会社は,労働時間数やその他の労働形態等を把握し,労働時間数等で過度の負担とならないよう調整するための措置をとるべき義務を負っていたとし,具体的には,労働者からの仕事の申込みの前には労働時間数等を適切に調整するよう,また,申込みの後においても他の日時,時間帯に変更等をするよう指導するなど,労働者の労働状況を適切なものとするための措置を採るべき義務を負っていたとしました。
 会社としては,アルバイトがたくさん仕事を入れて過労になっていそうだったら,本人がやると申し込んでいても,あまり仕事を入れすぎないように配慮する必要があるということです。
 労災の場合には,事故当時の視点ではなく,後からの視点で義務が追加されてしまうようなことが多く,結果責任的なものとなりがちです(「後知恵バイアス」の一種でしょう)。本件も,そのような印象を否めません。たしかに使用者にそのような措置を採るべきことはおよそ期待可能で(zumutbar[独])でなかったとはいえませんが,そう期待することが適切であったかどうかについては疑問が残ります。バイトをがんがん入れて稼ぎたいという労働者がいるときに,具体的な病気の前兆もないのに,仕事を減らすべきと使用者に要求するのは,どうかと思うのです。そこは労働者の自己責任としておかなければ,バイトで働く人に不利に働くこともあるでしょう。  裁判所は,この労働者は単なるバイトではなく,反復継続されて実質的に無期雇用に近いような労働者とみていた可能性もあります(こうしたバイトを活用することによって,不当に人件費を安くあげていたという評価もあったのかもしれません)。もし本件のようなケースで労働者が仕事を申し込んだのに使用者が拒否したら雇止め制限法理(労働契約法19条)が適用されるのか(更新申込みを労働者の健康のために使用者が拒否したときには,雇止めの正当理由として認められるのか),労働契約法18条が適用されることはあるのか,労働基準法との関係でも労働時間を全部通算すべきなのか,などといった問題も出てきます。
 こうした問題にすべて肯定的に考えるのなら,理論的には一貫していますが,実質的妥当性には疑問が出てきます(裁判所も,損害額の算定のところでは,割増賃金は算定基礎に入れておらず,実は一貫性を欠いているともいえます)。
 むしろ,こういう労働者は,雇用労働者ではなく,請負的なものではないか,という気もします(イギリスでは,本件のような場合には,mutuality of obligationがないとしてemployee ではない[workerにはなりうる]と性質決定される可能性もあるでしょう)。そうなると一転して,雇用関係から離れた一般的な安全配慮義務の問題となり,発注者側に多くの義務を肯定することは困難となるでしょう。
 さらに,本件は継続的な契約関係により特定の発注者との間で経済的な依存関係が生じた「準従属労働者」の問題ということもできそうです(ドイツでの「労働者類似の者」の問題)。雇用労働者でもなく,真正なる自営的就労者でもない,中間的な就労者の問題とみるならば,この事件は多くの示唆的な検討課題を提供してくれているようにも思います。

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2017年5月21日 (日)

第134回神戸労働法研究会その1

 今回は,特別ゲストで,京都大学の小畑史子先生に来ていただきました。本研究会には初登場です。O公立大学法人事件・京都地判平成28年3月29日をご報告いただきました。
 大学の准教授が,アスペルガー症候群によりトラブルを起こしていたことから,適格性の欠如という解雇事由に該当するとして解雇された事件で,適格性欠如という解雇事由には該当せず,労働契約法16条の客観的な合理的な理由がないとして,解雇は無効とされました。精神障害という点をまったく考慮しないならば,この准教授の行動には多いに問題があり(生協の職員に土下座をさせたり,校内での学生とのトラブルで学生を告訴したりするなど),解雇されても仕方がないようなところもありました。しかし,大学側は,アスペルガー症候群であることを採用時には知らなかったが,事後的には知るようになっていたので,適切な配慮をすべきとされたのです。この判断では,障害者基本法19条2項や,事件当時は施行前でしたが,障害者雇用促進法36条の3(アメリカのADAをモデルに導入された規定です)も考慮されていました。
 この36条の3は,「障害者である労働者の有する能力の有効な発揮の支障となつている事情を改善するため,その雇用する障害者である労働者の障害の特性に配慮した職務の円滑な遂行に必要な施設の整備,援助を行う者の配置その他の必要な措置を講じなければならない」と定めているので(reasonable accommodation条項),そのような措置を講じなければ解雇はできないという解釈は可能なのかもしれません。これはまさに解雇権が濫用かどうかを判断する文脈での考慮要素です。
 一方で,本件は,就業規則上の「適格性の欠如」という解雇事由の該当性が問題となっています。この労働者の教員としての適格性をそのままみるならば,相当に疑わしいものであり,解雇事由に該当するともいえそうです。そこで判決は両者をミックスして,必要な措置を講じていれば,適格性をもつことができたので,就業規則の解雇事由には該当しないとしたのでしょう。
 ただここで問題となるのは,同条ただし書にもある「ただし,事業主に対して過重な負担を及ぼすこととなるときは,この限りでない」というundue hardship 条項についてです。アスペルガー症候群には,ジョブコーチをつけるなどの措置が有効であるとしても,たとえば校内でのトラブルの予防のために随時コーチをつけることは,まさに「過重な負担」といえなくもありません。判決は,障害者に関連する法令の理念に沿うような具体的方策を検討した形跡すらないとし,「配慮が限界を超える状態に達していた」とは認められないとしていますが,ストレッサーとなる教員との接触では,配慮をしているので,全体的にみると,使用者に厳しい判断のように思えなくもありません。ただ,大学側にも,主治医への問い合わせをしていない(問い合わせをしたからといって,答えてもらえる保証はないのですが)など,もう少しやるべきことがあったのかもしれず,そのため結論の妥当性はかなり微妙です。
 いずれにせよ,「必要な措置」と「過度の負担」の適切な解釈がなされなければ,使用者はこうした精神的な障害をもつ人の採用にいっそう慎重となるでしょう。36条の2は,募集・採用時にそういうことがないように要請した規定ですが,「採用の自由」を正面から否定する解釈はとれないので(要するに,労働者のほうから,使用者に対して必要な措置をとって採用するよう請求する権利はない),その効果には限界があります。
 必要な措置の限界を適切に設定し,使用者がそこまでの措置は講じていて,それでも適格性がないとなれば解雇できるということにしておいたほうが,使用者は安心して採用できて,障害者雇用の促進という趣旨に沿ったものとなると思います。法の趣旨がそのようなものであるとすると,それに適合的な解釈をすべき裁判官の責任は非常に大きいものとなります。

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2017年5月20日 (土)

フリーランスの契約保護

 昨日の日本経済新聞で,「厚生労働省はネット経由で仕事を受発注する『クラウドソーシング』の広がりを受け,フリーランスと契約する事業者向けのガイドラインを今年度中に改定する」と出ていました。
 自営的就労者に対する法的なサポートの必要性は,たびたびこのブログでも紹介していますし,昨年の経済産業省の「雇われない働き方」に関する会合でも政策提言をしました。もちろん拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える-』(弘文堂)でも取り上げています(185頁以下)。
 自営的就労者に対する法的サポートは,経済的従属性のある「準従属労働者」とそのような従属性のない「真正な自営的就労者」とを分けて考えなければならないのですが,厚生労働省は「準従属労働者」のほうに着目しているのかもしれません。それはそれで大切とは思いますが,本丸は「真正な自営的就労者」であることは忘れてはなりません。ただそれを厚生労働省で対応できるかどうかはなんとも言えません。従属性のない労働者をどう扱うかは,放っておくと経済産業省のほうでルール化を進めていく可能性もあります。両省がしっかり協力してくれればいいのですが,そうなるでしょうか。
 記事では,「新たに仲介業者を対象に加え,フリーランスが仲介業者に払う手数料のルールを明確にする」とされています。仲介業者の規制についても,前掲書では言及しています(197-198頁以下)。雇用労働者の仲介では「募集に応じた求職者からの報酬受領の禁止」(職業安定法39条)や有料職業紹介における求職者への手数料の規制(同法32条の3第2項)がありますが,自営業者については,自営業の仲介に適合的な手数料のあり方を検討していくことが必要でしょう。そもそも雇用労働者における仲介ビジネスに対する手数料規制の妥当性については議論もあるところであり,そうした点もふまえた検討が進められていく必要があるでしょう。

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2017年5月19日 (金)

藤井聡太四段18連勝

 ついに表題は名人戦よりも藤井四段のほうを選択することとしました。
 まずは名人戦から。第4局が終わり,後手の佐藤天彦名人が,稲葉陽八段に勝ちました。これで2勝2敗のタイです(後手番の4連勝)。素人には難しすぎる戦型の将棋でした。稲葉八段の穴熊,佐藤名人の右玉となりましたが,稲葉八段の遠見の角が結局不発だったようです。名人は玉飛接近の悪形で素人がやると叱られますが,名人に定跡なしです。佐藤名人は20日にソフトのチャンピオンのPonanzaと第2局がありますが,盛り上がりは今一つですね。ここで負けると,名人がAIに完敗となって,本来は「事件」なのですが,名人が勝つと予想している人はほとんどいないのではないでしょうか。
 いまの話題はやはり藤井四段です。若手が出場する加古川青流戦(トーナメント)で,竹内雄悟四段との初戦がありました。先手の竹内四段が振り飛車,後手の藤井四段の居飛車でした。3四角を突かない最新先方のようです。途中では竹内四段に勝ち筋が何度かあったようですが,最後は藤井四段が勝ちきりました。すでに藤井四段は相手に信用されているので,相手が自分で転んでくれるというところもあるようです。
 勝負の世界は信用が大切で,相手になめられると,相手が最善手を指しやすくなります。藤井四段はまだデビューして18戦です(公式戦)が,1度も負けていないということで,すでに対戦相手は藤井四段の指す手を信用して怖がるという現象が起きているのではないかと思います。
 次の近藤誠也五段は強敵です。藤井四段の真価が問われるところでしょう。

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2017年5月18日 (木)

菊池寛『真珠夫人』

 菊池寛の『真珠夫人』を読みました。Kindleの青空文庫です。1920年の作品です。瑠璃子という女性の短くも波乱にみちた悲劇的人生が,ドラマ化されやすい原因でしょうか。15年くらい前にもテレビドラマで流行しましたね。
 まだ古い女性観が支配的な時代において,貞節と妖婦という二面性をもった女性を描いた作品は,100年前の当時は驚きをもって迎えられたでしょう。
 ところで,この小説では「処女」という言葉が頻繁に出てきます。この当時,女性の貞節は美徳であり,処女であるということそのものに大変神秘的で崇高な価値があったことがうかがわれます。ちなみに,三田寛子のデビュー曲は,「駈けてきた処女(おとめ)」でしたね。処女は,乙女で,未婚なのです。いまは未婚=処女という等式はあてはまりませんが。
 さて作品に戻ると……。西洋的な美しさをもった瑠璃子は,父の政治活動から生じた借金を返すために,恋人の直也と別れて,下品な成金の荘田勝平に嫁ぐことになります。しかし,瑠璃子は,結婚後も処女を守り続けることを決心していました。必死に「初夜」を迎えようとする勝平との攻防は喜劇的で,ちょっと勝平が可愛そうにもなります。いよいよ瑠璃子の貞節が危なくなったとき,勝平は知的障害のある長男の種彦に殺されてしまいます。こうして未亡人となった瑠璃子は,男をたぶらかす妖婦に変身し,後半(および最初の部分)は,この瑠璃子と青木兄弟(淳と稔)との恋が見せ場になってきています(小説は,青木淳が事故死するところから始まります)。瑠璃子は,自分の周りにたくさんの男をはべらせ,淫蕩な雰囲気をただよわせる女を演じています。青木淳の事故死のときに偶然言わせた渥美信一郎は,淳の死ぬ間際に残した「瑠璃子」という言葉を頼りに,彼が託した時計を返しに瑠璃子のところに来ます。信一郎も,瑠璃子の美貌に惑われますが,彼の残した日記から瑠璃子が青木をたぶらかしていたことを知り,瑠璃子に対して,せめて弟には手を出すなと忠告します。
 ところがこの言葉が瑠璃子の心に火をつけてしまいました。瑠璃子は,青木の弟の稔を誘惑するのです。しかし,勝平が残した娘の美奈子も,また稔に初恋の感情をもちます。稔は瑠璃子に求婚し,それを知った美奈子は絶望のどん底に突き落とされます。美奈子の気持ちを知った瑠璃子は稔の求婚を拒否します。もともと瑠璃子は稔を恋愛対象とはみていなかったのです。稔は瑠璃子にもてあそばれたとわかり,激高して瑠璃子を刺殺してしまいます。
 美奈子は,自分の父によって恋人の直也と引き裂かれた瑠璃子が,直也のことをずっと思い続けて貞節を守っていたことを知ります。瑠璃子の男たちに対する態度は,自分に悲劇的な人生を強いた男性全体への復讐だったのです。瑠璃子が幼いころ慕っていた画家志望の兄は,芸術を理解しない父と喧嘩をして飛び出して音信不通となっていました。瑠璃子の死後,その兄が描き二科展に出品された「真珠夫人」というタイトルの絵の若い女性は,清麗高雅で,真珠のごとき美貌を漂わせていました。
 菊池寛は,瑠璃子を処女のまま死なせていることからわかるように,女性の近代性を性の自己決定というようなものには求めていません。彼が,真珠夫人のことを,「近代女性に特有な,理知的な,精神的な,表情の輝きである」と表現していることからもわかるように,女性の近代性を理知性に求めていたようです。おそらく当時は理知的なのは男性で,女性はもっと感情的な存在だという考え方が支配的だったのでしょう。前近代的な道徳観は当然の美徳で,その枠のなかでも,自分なりの考えをもって妖婦を演じたりもできる(そして,男性に復讐する)ところに,菊池寛の考える女性の近代性があり,そうした女性像が前述のように,当時は驚きをもって迎えられたのでしょう。
 100年後の現在,美貌面はともかく,「近代女性に特有な,理知的な,精神的な,表情の輝きである」女性はいくらでもいるでしょうが,それに瑠璃子のような貞淑さを加えた女性はどれだけいるでしょうか。いま演じるとすればどの女優が適切でしょうかね(テレビの真珠夫人は,横山めぐみでした)。

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2017年5月17日 (水)

大学新テスト

 今朝の日本経済新聞に,文部科学省が発表した大学新テストの問題例が掲載されていました。国語の問題例を見たのですが,なかなか面白いと思いました。第2問は,駐車場の賃貸借契約書の条文をしっかり読ませるもので,こういう試験に備えた教育を高等学校でやるようになると,ずいぶん日本人も変わるのではないかと思います。
 実は多くの日本人は,契約書をきちんと読んでいないのではないか,という疑問があります。私は一応法律屋ですので,自分に関係する比較的大きな契約については,しっかりと契約書(通常は約款)の条文を読むようにしており,その文言を確認し,特記事項を追加してもらったり,文言そのものを修正してもらったりしたこともありました。あたりまえのことのようですが,契約書をきちんと読んで内容を確認してくる客はほとんどいなかったと言われることもあり,そういうものかと思ったものでした。
 私たちは消費者契約法でかなり守られているので,契約締結時点での緊張感をそれほどもたなくても悲惨なことにはならないのでしょう。しかし同法の3条2項は,消費者の努力する義務についても規定されており,私はこの文言は,場合によっては裁判所によって重く解釈される可能性もあるのではないかと思っています(この条文を参考に,労働契約の場面でいかして,使用者の情報提供・説明義務について,労働者のほうでも理解するよう努力する義務があるとした論文を書いたことがあります。「労働契約における対等性の条件-私的自治と労働者保護」『西谷敏先生古稀記念 労働法と現代法の理論(上)』日本評論社415頁以下を参照)。
 ところで,また拙著『AI時代の働き方と法』(弘文堂)の話になりますが,同書の第7章で,自営的就労のことを扱っていますが,そこで,このような働き方をする上での基礎となる教育が必要であるとし,その項目として,契約書を理解したり,自分で作成されすることができるようなリーガルリテラシーの教育が大切だということを書いています(196頁)。まさに今回の国語の問題は,リーガルリテラシー教育という観点からも注目されます。難しい法律の知識は必ずしも必要ではなく,まずは文書を論理的に読んで,自分たちの権利や義務というものをしっかりと確保するということが,これからは必要なのです。雇用労働者であるならば,労働条件は就業規則で定められていて,個人ではどうしようもないところがあります(もちろん,個人で交渉して特約を結ぶことは,労働契約法上も想定はされているのですが[7条ただし書])。しかし個人自営業者になると,自分の契約条件は,自分で考えて判断して行かなければなりません。弁護士に頼るだけではなく,自分でも最低限のリーガルリテラシーをもっていることは,来たるべき自営業の時代にとって非常に重要なこととなります。
 そしてこれは実は日本人には,とても苦手なことでもあったのです。契約できっちりと決めていこうとする意識が希薄で,何かあれば事後的になあなあで処理していこうとうする姿勢が強いからです(就業規則の不利益変更も,合理性があればいいといういい加減な法理が支持されてきて,いまでは法律上の条文[労働契約法10条]にもなってしまっていますが,こういう曖昧性は,日本的な契約文化の延長線上にあるものだと思っています)。
 国立情報学研究所の新井紀子先生は,人工知能登載のロボット(東ロボ君)が偏差値57まで行ったのは,問題文をきちんと読解できていない人が多いことが原因であるということを指摘されていました。私も,弘文堂スクエアのエッセイ「絶望と希望の労働革命」のなかで,現行のセンター試験の現代国語の試験は,よく理解できていなくても,テクニックで解けてしまうことの問題点を指摘したことがありました。こうしたことが,いま改善されようとしているのならば,これは喜ばしいことだと思っています。
 大学入試の今後のあり方について,引き続き注目していきたいです

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2017年5月16日 (火)

自民党案でもよいかも?

 店に喫煙マークをつけることを義務づけたらどうかという提案を前にやったところ,自民党は小規模の飲食店において,そのような案を出していましたね。でも塩崎厚生労働大臣は強硬に反対しているようです。店舗面積30平方メートル以内のバーやスナックは喫煙可で,それ以外は専有室内でのみ喫煙できるというのが厚生労働省の案のようです。
 専有室というのが,どの程度のものかわかりませんが,タバコの煙はかなり漏れてくるので,実はこの措置は半端な感じがします。それくらいなら,私は自民党案でよいのでは,という気もしています。喫煙か禁煙かの掲示を義務づけたうえで,もし禁煙と掲示しておきながら,客の喫煙行動を容認した場合には,営業停止などの厳罰に処すことが条件です。また,禁煙の掲示をしたところは,喫煙専有室を置くことも認めないほうがいいでしょう。
 もちろん,健康増進法25条であげられている公共施設(学校,体育館,病院,劇場,観覧場,集会場,展示場,百貨店,事務所,官公庁施設,飲食店その他の多数の者が利用する施設)は全面禁煙にするという法改正ができるなら,それがベストの解決です。東京都は条例でそれを目指しているのかもしれません。ほんとうに家の外で喫煙したいなら,会員制喫煙レストランといったようなものが誕生するはずで,それは許容すればいいのです。
 要するに喫煙者と禁煙者とを隔離してほしいのです。せっかく綺麗な空気で飲食していたのに,あとから一人の客がやってきて1本タバコを吸っただけで,こちらの全身に匂いが残るといった暴力的なことが起こらないようにしてくれれば,とりあえず私は満足です。もちろん煙の健康被害もあり,それも気になりますが,個人的には,店でショパンの生演奏を聴きながらワインを飲んでいるのに,横で一人の客が演歌をくちずさんでいるような不快感といったら,わかってもらえるでしょうか。だから本当はバーも例外扱いにしてほしくないですね。

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2017年5月15日 (月)

テレワーク成功の条件

 今朝の日本経済新聞の「エコノミクストレンド」では,慶応大学の鶴光太郎さんが,テレワークを取り上げていました。ようやく広がりつつあるようにみえるテレワークですが,またまた掛け声倒れになりそうな悪い予感もしています。多くの企業が本気でテレワークの効用を感じることができていないことも,その一因です。労働者も,テレワークでは調子がでないということもあるでしょう。古い頭の上司が,テレワークなんて勝手なことをするんだったら,しっかり成果を出してもらうよ,といった圧迫的な態度に出ることもあるでしょう。上司たちにとっては,自分がやったことがない働き方なので,これを理解しろというのは難しいのかもしれません。ワーク・ライフ・バランスもそうですが,テレワークなんて女性のやることだと考えている昭和の発想の人もいるでしょう。
 テレワークの定義にもよりますが,私はテレワーカーに含まれるのかもしれません。最近では,原稿は大学の研究室ではなく,自宅で書くことが多くなっています。VPNのおかげで,自宅にいながら大学のパソコンと同じ状況を実現できていることが大きいです(大学の仕事も,授業や会議等は別として,もちろん自宅からできます)。ワークとライフの混在となる危険性はあるのですが,幸い,私のような仕事は,半分自営業のようなところもあるので,完全に自己責任です。このような仕事の仕方にとって1番問題となるのは,どうしても面会をしてほしいという要求です。遠方から来られる方も多いのですが,できるだけSkypeでとお願いしています。テレワーク時代は,面会や会議はWEBを通してやることになるでしょう。
 個人的にも,大学でも,会議や授業や学生指導をwebを通してやることを認めてくれれば,完全にテレワーカーになることができます。これは技術的には可能です。大学こそ,教員のテレワーカー化に先進的に取り組んでもらいたいと思います(理科系のような実験が必要なところでは難しいので,まずは文科系学部からやりましょう)。
 もちろん私のような働き方ができるのは,いろんな条件にとても恵まれているからです。しかしその恩恵を実際に感じている者でなければ,テレワークの良さを伝えることはできないとも思っています。だからお前は恵まれているからできるだけだと思わずに,むしろ,どうしたらできるようになるかを考えていってほしいのです。もちろん,現在の働き方のままではテレワークの広がりは難しいでしょう。しかし仕事のさせ方を少しずつ変えていけば,テレワークの活用可能性はぐんと広がると確信しています。
 問題点はたくさんあるのですが,利点もたくさんあるのです。利点を生かすために,問題点を解決していくというアプローチを取っていてもらいたいものです。昨年9月に徳島の社会保険労務士の会議でテレワークの推進がテーマになっていて,私も基調講演をさせてもらいました。社会保険労務士は,テレワークを使った人材活用というものを積極的に学び,企業にアドバイスをしていけば,大きくビジネスチャンスが広がると思います。
 ところで本日の鶴さんの原稿で気になったことがあります。テレワークにおける健康配慮の重要性を唱えるのはいいのですが,「ICTを活用した労働時間の正確な把握が過重労働を避けるために必要不可欠な工夫だ」とされていることです。一見,何も問題がなさそうですが,法律家としては一言口をはさみたいところです。
 たしかに,私も,テレワークの導入を渋る経営者が,労務管理が難しくなるという理由を挙げるとき,最新技術の活用によって勤怠管理などは容易にできます,と説明します。実際そのような方法で労務管理をしている企業もありますし,それに対応するようなソフトなども開発されています。これはHIM的観点からの議論です。しかし労働法的観点からすると,これは指揮監督手法の拡大です。現在のひとつの大きな問題点は,ICTの活用によって,自宅で勤務していても,非常に精密な労務管理が可能となってしまうことです。これは最近別のところに書いた原稿で論じていることなのでここでは詳しくは書きません(いつ刊行されるか不明ですが年内でしょう)が,IoTの発達は,労働者にセンサー装着を義務づけることにより,どこにいても,機械によって行動を制御することを技術的に可能とするのです。企業にとってみれば,むしろ在宅勤務であろうとモバイルワークであろうと何でも来いで,どこにいてもコントロール可能だということです(そのコントロールはAIがやるのですが)。このことは労働法的には,事業場外労働のみなし制を適用する前提要件を欠くということでもあります(労働基準法38条の2)。「労働時間を算定し難い」という要件を充足しないからです。
 労働時間は,法律上の定義はありませんが,判例上「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間」と定義されています(三菱重工長崎造船所事件・最1小判平成12年3月9日。拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第98事件)。このことは,使用者の指揮命令(監督)下に置かれるような時間こそが,労働者の健康に有害であって,だからその時間をカウントして上限規制をしようとするのが法の趣旨ということです。企業が,労働時間を把握しようとすることによって,最新技術を用いるというのは,どこか指揮監督を強化せよといっているような感じがして,健康配慮の趣旨と逆行する気もします。
 経営者には,そういう方法もあるよとは伝えますが,法律家としての立場から推薦するのは,最新技術をあまり労働者の指揮監督には活用せず,逆に健康面は,もっと労働者の自己責任にするということであり,そして,そうした自己責任に適しない労働者には,テレワークを導入しないほうがよいということです。
 テレワークをめぐっては,ICTの指揮命令の強化と自由な働き方の実現という功罪二面性をしっかり意識したうえで,政策論議をする必要があると思っています。
  AI時代のテレワークのあり方については,拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)の159頁以下に,比較的詳しく書いているので,ご関心のある方は参照してみてください。

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2017年5月14日 (日)

藤井聡太四段NHK杯登場

 藤井聡太四段の17連勝は,王将戦第1次予選の西川和宏六段との戦いによるものでした。西川六段には申し訳ないのですが,手合い違いという感じで,藤井四段の圧勝でした。このクラスの棋士では止められないでしょう。次は18日で加古川青流戦の竹内雄吾四段戦です。おそらく山場は,竜王戦6組のランキング戦の決勝の近藤誠也五段との対戦あたりでしょうか。近藤五段は,先日のNHK杯でも,加藤桃子女王に快勝でしたし,この前の王将戦もリーグ入りして,結果は2勝4敗でしたが,豊島将之七段や羽生善治三冠に勝つなどの実力者です。おそらく公式戦でこれまで当たった棋士のなかでは,今日の千田翔太六段に次ぐ人でしょう。
 その豊島七段は,非公式戦でしたが,先日,藤井四段に勝ったのですが,それがテレビのニュースに流れるくらいですから,藤井ブームはすごいです。
 それで今日のNHK杯戦です。異例のことなのですが,藤井四段の勝利はすでに報道されていました。でもどのように勝つかに多くの人は関心をもったはずです。視聴率はすごかったのではないでしょうか。
 内容は先手の千田六段が攻めていくなか,藤井四段が自陣の底に4一角と打ち,また飛車も1四に押しこまれて素人目には窮屈な感じで,先手優勢のようでしたが,途中で千田六段が,7六歩の銀取りを放置して,攻め合いにいったのが暴発気味で,最後は少し早めと思いましたが,千田六段が潔く投了しました。
 千田六段は昨年のNHK杯にベスト8に進出していますし,先日の棋王戦でも渡辺明棋王に挑戦して,あと1勝まで追い込んだ若手最強豪の一人です。コンピュータ将棋にも精通している新感覚棋士ですが,それでも藤井四段に勝てませんでした。感想戦でも,千田六段が,藤井四段をリスペクトしている感じがよく伝わってきました。千田六段は悔しかったでしょうが,それを超えるほどに藤井四段の強さを感じたのでしょう。
 千田六段は,どうみても好形にみえない1四飛について,彼のデータには入っていなかったことを正直に語っていました。
 実は,ここがAIの限界も示唆しています。これまでのデータにない局面が登場したとき,コンピュータは弱点をみせます。千田六段にとっては,時間さえあればなんとかなったのかもしれませんが,時間の制限のないなかで,過去にない局面が出てくると,いくらコンピュータ仕込みの精密な頭脳をもっていても,判断が狂うことがあるということです。そして,逆にここに藤井四段のスケールの大きさを感じます。
 いつか負けるときも来るでしょうが,かつての年間最高勝率である中原誠16世永世名人の50年前の記録(47勝8敗で0.8545)が破られることは,ほぼ確実ではないかという気もしてきました。

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2017年5月13日 (土)

仕事の未来

12日は、ILOの事務局長のガイ・ライダー氏が来日されて講演されるということで、そのあとに開催されたパネルディスカッションに、コーディネータとして参加してきました。このフォーラムは、JILPTもILOとの共同主催で、濱口桂一郎所長の基調報告もありました。パネルディスカッションでは、濱口さんに加えて、NIRA総研理事の神田玲子氏、経団連から徳丸洋氏、連合から安永貴夫をパネリストにお迎えしました。メンバーからして、個々の企業でどういう取り組みをしているかといった実践的な話をするのではなく、労使が人工知能やデジタライゼーションといった技術革新に対して、どのようなスタンスで臨むのか、政策的に何が課題となるかといったことを中心に議論してもらいました。私の今回の仕事は、ライダーさんと濱口さんのプレゼンを受けて、論点整理しながら、パネリストに思うところを語ってもらえるようにすることで、まあ最低限の責任は果たせたと思っています。労使ともに技術革新に前向きに向かっていくことのようで心強く思いました。なかでも、使側に日本型雇用システムの堅持の自信がうかがえたこと、労側は、変化の中でも公正さの追求には引き続きこだわっていくと強調されていたところが、個人的には印象的でした。それに加えて、強い労働者論、自営的就労者の議論、これからの団結といった、かなり最先端の議論ができたのは望外でした。最初はそういうことまで議論できないだろうと思っていただけに、濱口さんと神田さんがコーディネーターの好みそうな論点を出してくれたおかげでした。
今回はILOが主役なので、最後の締めは、新しい形での社会的正義の追求が必要だという穏当なものにしましたが、そこから先の具体的な政策が大切であるのは言うまでもありません。私個人の政策提言は拙著『AI時代の働き方と法ー2035年の労働法を考える』(弘文堂)を参照してください。
それにしても、菅野和夫先生が最前列にすわっておられたので、そのことが一番気になりました。いくつになっても指導教員の前では緊張するものですね。

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28度は困る

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2017年5月11日 (木)

労働基準法違反の企業名公表

 日本経済新聞の記事に,「厚生労働省は11日までに,違法な長時間労働や労災につながる瑕疵(かし),賃金不払いなど労働関係法令に違反した疑いで書類送検した334件に関し,関与した企業名を同省のホームページで公開した。各労働局の発表内容を初めて一覧表にまとめ,一括して掲載した」とあったので,HPで確認しました。
 これは面白いデータですね。面白がってはいけないのでしょうが,世間でどのような労働法令違反がなされているのかを知るうえでの貴重なデータです。送検事案と局長指導事案のリストです(労働基準法違反よりも,労働安全衛生法違反や最低賃金法違反のケースが多かったですね)。これで送検かと思うようなケースもありましたが,おそらく同種の違反行動を繰り返していたのでしょう。要するにすでにイエローカードを発せられていた会社が,最後のファールでレッドカードを発せられたということだと推察しました。
 ただ,送検事案の公表は,「無罪の推定」という観点から問題がないかも,気になりました。企業相手だから,人権は関係なしということではないでしょう(法人の人権享有主体性という憲法の著名論点とも関係します)。
 労働局が厳選して送検しているので,公表しても問題はないということかもしれません。ただ,これは労働局が単にそう判断したということの公表にとどまらず,結果として,送検して犯罪の疑いがあったということの公表となってしまっていることが,ちょっとひっかかります(検察が起訴したわけでもありませんし)。労働局が送検するほどの悪質な事案に厳選したということで,企業側の利益に配慮したという理屈かもしれませんが,公表されたほうは,まだ有罪とは決まってもいないのに,強制的に公表されたという反発が出てこないでしょうか(1年が経過するか,掲載する必要がなくなれば,ただちに削除されるそうですが)。これは労働局の判断が疑わしいといっているのではなく,手続的な適正さの問題です。
 局長指導事案は,送検よりも軽い措置として公表という措置をとっているのだと思います。ただ,送検事案まで公表となると,いまのような疑問が出てくるのです。みなさんは,どう思われるでしょうか。

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紙の雑誌は打ち切らざるを得ない

 紙媒体のものを減らすということで,今年度から,大学院時代からずっと購入していた「労働判例」を止めることにしました(バックナンバーも古本屋から買っていました)。就職してからも,最重要の資料として,研究費で購入し続けていた雑誌でした。ただ今年度は資金が潤沢ではなく,それでもこれまでならリストラの対象から一番にはずれていた雑誌ですが,今回リストラ対象としたのは,高額であること,前から判例の選別にやや疑問をもっていたこと,そして一番の問題は研究室のキャパシティがきつくなってきたこと,オンラインで判例情報を入手することが簡単になったこと,大学の図書館でみることができること,という理由で,打ち切ることにしたのです。産労さん,申し訳ありません。まあ,随分昔には執筆したこともありましたが,ここ20年くらいは執筆もなく,とくに義理を感じる理由もないので,あっさり打ち切りました。
 ということで,これまで以上に判例情報の収集は,積極的にしなければならなくなりました。せめて別冊ジュリストの重要判例解説はしっかり読もうと思ったところ,いきなりびっくりする判例に遭遇しました。東京高裁の平成27年10月7日の判決です(平成27年(ネ)3329号,平成27年(ネ)4260号)。判例時報2287号に掲載のものです。
 この事件は,簡単にいうと,ある医師について,病院との間で時間外手当の一部を年俸(1700万円)に含める合意をしていたとし,それを有効として,追加の時間外手当の支払請求を認めなかったのです。かつてモルガン・スタンレー・ジャパン事件(東京地判平成17年10月19日)というのがあって,同種の判断をしていましたが,学説からは批判されていました。私は『雇用社会の25の疑問-労働法再入門-(第2版)』(弘文堂)の255頁以下に,比較的詳しく,この判決のことを紹介しています。社員の自己決定をどこまで認めるべきか,という観点からの紹介です。従来の判例からすると,本件は年俸において割増賃金部分とその他の部分との分別性がない事案なので,LS生がこの判決のような答案を書くと不可となるでしょう。
 私としては,個別的デロゲーションの肯定例として注目したいのですが,年俸が高いからよしとするような単純な議論にしてはなりません。医師の特殊性も実は無視できず,最近,実質的にではありますが,業種や職種に着目した判断をしている裁判例が増えているのではないかという気もしています(たとえば,雇止めは,アルバイトなら簡単に認めるとか)。
 こういう判決を見落とさないように判例の随時チェックをする必要があります。まだ使っていませんが,「労働法EX+」も良さそうなので,こちらに切り替えることも検討しようかなと思っています。

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2017年5月10日 (水)

外国の大統領選をみて思う

 大統領選は,アメリカ,フランス,韓国のいずれも,国民が直接選ぶことができます(アメリカはやや複雑な仕組みですが)。ですから熱狂しますし,ポピュリズムが生まれやすいように思えます。こうした選挙では,雇用問題,格差問題,貧困問題などが主要なテーマになりやすいようです。
 パレートの法則では,国民の2割が,8割の利益を生み出すとされます。国の富がなかなか平等に配分されにくいとなると,多くの国民から直接支持を得ることが必要な大統領選では,国民の所得に直結するテーマが争点となりやすいのでしょう。そうなると右も左もなくなります。政治思想がどうであろうと,国民を食べさせるにはどちらがいいかという選択になるからです。フランス大統領選の決選投票でのMacronとLe Penは究極の選択と言われましたが,社会党や共和党では,どうやって自分たちを食べさせてくれるかわからないからそうなったのであって,今回,新たな対抗軸が誕生したとみるべきなのかもしれません。フランス人にとって有利なのが,親EUや欧州的価値観の共有か,自国主義かという軸です。そこには歴史観や思想などももちろん関係しますが,それよりも,経済や雇用面でプラスかどうかのほうが重要となってきているのでしょう。Brexitは,イギリスの国民の多くが,反EUのほうが,自分たちの経済や雇用に有利だという判断をしたのでしょう。こうした経済優先主義の傾向は,若い層ではいっそう強まっていくのではないかと思います。
 日本では,国民が国のトップを直接選ぶ選挙がないので,こうした国民の本音がストレートには現れにくいように思います。ただ自民党の支持率が高いことからうかがえるのは,国民は現状にそれほど不満はなく(もちろん,突っ込んでいけば,不満がゼロということはないのですが),むしろ現状を大きく変える要因(北朝鮮の動向,トランプ政権の政策,中国の軍拡など)に関心があるのだと思います。安倍政権が支持されるのは,経済政策や雇用政策よりも,外的な環境変化のなかで日本を守るのに相対的に一番信頼できるということなのでしょう。雇用政策については残念なことが多い現政権ですが,それでもビクともしないのは,実はそこは国民の主たる関心となっていないからかもしれないのです。国民は将来の「安心」が欲しいのです。雇用はもちろん大切なのですが,北朝鮮から核ミサイルが飛んできたら,雇用の問題などは吹っ飛びますし,アメリカの通商政策いかんで日本の産業は打撃を受けて雇用にも影響するし,こうした基本的なところの「安心」が大切なのです。
 東京都知事の小池百合子さんが,豊洲問題を利用して,都民の「安心」を一番考えているのは自分だと主張しているのは,豊かな東京都民にとってプライオリティの高い,食の「安心」に訴えかける巧みな戦術だったのかもしれません(小池さんも,豊洲が「安全」ということは,すでにわかっているのでしょうが,「安心」が大切だというポーズが政治的には大切なのです)。

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2017年5月 8日 (月)

奥田英朗『ナオミとカナコ』

 奥田英朗『ナオミとカナコ』(幻冬舎文庫)を読みました。やっぱり私には,村上春樹よりも,こっちのタイプの本のほうがいいかもしれません。
 夫のDVに悩む主婦と加奈子を助けるために,立ち上がった親友でOLの直美。毎日の仕事への不満や実家との問題(父が母にDVをしていたなど)で鬱屈としていた直美のちょっとゆがんだ正義感が暴走し,なんと加奈子をけしかけて二人で夫を殺してしまうのです(前半のナオミ編)。完全な計画を立てたつもりだったのですが,次々とボロが出てきてしまいます。夫の妹の必死の追及に耐えながら,加奈子は強くたくましく変わっていきます(後半のカナコ編)。二人は無事に逃げ切れるでしょうか。それにしても,殺人をクリアランスと言い換えて納得してしまったあとの女性の強さは,女性のことを良く知る著者ならではのリアルさがあります。
 連休の最後の日に仕事の合間に読んでいたら,予想以上に面白く,最後はハラハラドキドキで,お風呂のなかで読み終えてしまいました。良い半身浴ができました。
 ★★★(面白かったです)

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村上春樹『騎士団長殺し』

 阪神タイガースが,歴史的な大逆転で,昨年の覇者の広島に勝って,その翌日もうかれることなく,完封勝ちで3タテにして,首位をがっちり守ったことに,とても幸福を感じている私は,自分でも非常に平凡な人間だなと思います。
 ゴールデンウイークは,昨年も今年も地元にいるだけで,遠出はしませんでした。唯一,出かけたのは,神戸北野のInfiorata を見に行ったときでした。その近くのVieniで遅いランチをとりましたが,相変わらず完璧なvino,pasta,dolceでした。
 これを除くと,せっかくの休みでしたが,ほとんど家で執筆をしていました。その合間に読み終えたのが,村上春樹『騎士団長殺し』(新潮社)です。2巻ものの長編で,読み終わるのに随分と時間がかかりました。春樹ワールドは,私には基本的にはよく理解できていませんが,嫌いではありません。今回は,読んでいるとすぐに眠くなってしまい,そのため全然進まなかったのです。でも前作『色彩を持たない多崎つくると,彼の巡礼の年』と同様,読者にとって,いろんなことを考えさせる小説と思います。
 妻から別れを切り出されて,センチメンタルジャーニーに出て,帰ってきて行くところのなかった主人公の私(肖像画家)は,友人の父である著名な画家,雨田具彦がアトリエとして使用していた家に仮住まいをすることになります。その家の屋根裏には,雨田が隠していた「騎士団長殺し」という絵がありました。わたしが,その絵の封印をといたときから,近くの石室から夜中に鈴の音が聞こえるようになり,その正体をつきとめるために,近くに住んでいて知り会いになった免色という男の手により石室が開けられて,鈴が取り出されます。そののち,絵のなかにあるのと同じ騎士団長が現れます。騎士団長は実態のないイデアであり,主人公にしかその姿がみえません。
 主人公は,死期が近い雨田を見舞いにいったとき,騎士団長を刺し殺し,「顔なが」に導かれるようにして地下の世界に迷い込みます。そしていつしか石室に閉じ込められ,そこを免色に救出されます。絵は再び封印され,雨田は亡くなり,そして雨田が住んでいた絵は焼失します。
 というようにまとめてしまうと,何のことだかわからないでしょうから,ぜひ読んで確認してください。最後は,主人公は,別れたはずの妻と元の鞘におさまるところは,ちょっと平凡で意外な感じもしましたが,ここのどのようなメッセージが込められているのでしょうかね。
 ★★★(世界で多くの人が読む本でしょうから,とりあえず読んでおきましょう)

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2017年5月 6日 (土)

所有しないライフスタイル

 今朝の日本経済新聞で,経団連の榊原会長が,最近の若者について,「1番が節約,2番が貯蓄。海外旅行やテレビ,車を買うとは誰も言わない」と嘆いているという記事が出ていました。
 たしかに,最近,若者が車を買わなくなっているそうです。レンタルでいいと思う人が増えたみたいです。自動車には移動,所有,体感という価値があるそうですが,所有は別にいらないということでしょう。所有権のもつ,使用,収益,処分のうち,使用できれば十分だということです。
 ちなみに私は運転免許すらもっていないので,レンタルもできません(免許証がないので本人確認の証明はパスポートか健康保険証です。せっかく”苦労して”マイナンバーカードを取得したのに,本人確認で使えない場合が多いのは困りものです。パスポートの住所なんて手書きですし,健康保険証は写真もないのに,どうして証明力があるのでしょうかね)。
  マイカーはなくても,タクシーに乗ることによって,自動車のもつ移動と体感の価値は味わえます。所有にともなうコストや運転にともなうリスクを考えれば,タクシーで十分です。最近は健康のことを考えて,できるだけ歩くことも考えていますので,自動車はますます不要です。そうなると轢かれる危険だけがあるということで,早く自動運転を実用化してもらいたいものです。
 不動産となると,もっとこのことがあてはまるでしょう。所有することを夢だと思う人も多いでしょうが,所有することのリスクやコストを冷静に考えると,ほんとうに得かどうか難しいところです。無収入になったときに備えて不動産をもっておくと安心でしょうが,それならうちの父のように介護ケアつきシニアマンションを購入しておいたほうがいいでしょう。
 若者と違い,私は海外旅行など「コト」消費には関心がありますが,そのための節約というか,無駄な出費の抑制はしています。最近も携帯電話の契約の抜本的な見直しをしました。地元のAUショップが,店内に3分も居られないくらいの最悪の環境で(音楽が3曲くらい大音量で同時に流されていて気分が悪くなるのです),ついに愛想をつかしました。長い待ち時間は本を読みながら過ごしたいのですが,それがかなわないようなショップを放置している会社はダメです。ショップを使わないならネットの格安Simで十分です。ということでFreetelにあっさり乗り換えました(AUのMNPの担当者はさわやかで感じがよかったですが,携帯ショップの改善のほうこそ必要でしょうね)。電話の節約も考えて,Smartalkにも加入しましたが,これだって親しい人の間では無料のLine電話で十分なので,実際にはほとんど使わないでしょう(固定費はありません)。その分,端末には金をかけるという選択です。良い端末のほうが,アプリも使いやすくなり,コト消費が充実します。
 オジサン世代でもこうですから,若い人はもっとそうなのでしょう。
 ちなみに,リアル世界での所有に関心をどんどん失っている私は,昨年から大規模な断捨離も断行しました。それでも,邪魔になっているのは,紙です。膨大な量の無駄な紙が研究室では積み上がっています。だから,最近の紙媒体廃止の動きに大賛成です。書類大好きの役人さんも,トップのほうから意識を変えてもらう必要があります。紙で送られてもスグに捨てますし,送らないように頼んでいます。どうしても必要なものは,PDFファイルの電子メールでお願いしますと頼んでいます。新聞も今年から紙媒体のものはやめて電子版だけで,それで何も不便はありません。本もKindleで買えるものは,Kindleで買っています。もちろん確定申告もe-taxです。銀行の通帳もありません。それでも片付け下手な私は,まだモノにあふれているのですが……。

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2017年5月 5日 (金)

名人戦第3局

  藤井聡太四段の快進撃はどこまで続くでしょうか。新人王戦でアマチュアの横山さんに勝ち16連勝です。アマチュア相手でも公式戦です(初戦は大橋貴洸四段に勝利)。このほかに藤井四段が参加しているのが,NHK杯(すでに初戦で千田翔太六段に勝ったことは報道されていて,来週にオンエア)です(予選では,浦野真彦七段,北浜健介八段,竹内雄吾四段に買っての本戦入りでした)。また棋王戦は予選通過まで,あと1勝で,次は関西の若手の澤田真吾六段です(ここまで豊川孝弘七段,大橋四段,平藤真吾七段に勝っています)。王将戦は1次予選が進行中で,ここまで有森浩三七段,小林裕士名七段に勝っています。次の西川和宏六段との対戦で17連勝がかかります。竜王戦も6組のランキング戦で,加藤一二三九段,浦野七段,所司和晴七段,星野良生四段,金井恒太六段に連勝し,次は近藤誠也五段と6組の優勝をかけて対戦します。すでに昇級は決定していて,6組で優勝すると本戦出場となります。
 非公式戦の炎の七番勝負では羽生善治三冠に勝ったりと話題になっていますが,公式戦ではほんとうの強豪とはまだ当たっていません。おそらく一番早くあたりそうなのは竜王戦の本戦か,NHK杯でしょうかね。
  藤井聡太ブームで影がうすい感じですが,地味に名人戦も進行中です。第3局は5月1日と2日に行われ,挑戦者の稲葉陽八段が勝ち2勝1敗となりました。稲葉八段は後手番でしたが,この名人戦はすべて後手番が勝つという展開です。将棋は先手の佐藤天彦名人が,早い段階で交換した角を5六に打ち,角が激しく動く戦いとなりました。稲葉八段の玉は中段に引っ張り出されて不安定な状況のようにみえましたが,最後はきれいに先手の龍を抜いて交換することができ,稲葉八段が勝ちを決めました。ソフトによると途中で名人のほうが優勢だったようですが,名人が飛車を見捨てて攻めたあたりから,稲葉八段に形勢が逆転し,最後は大差になりました。激しい戦いで見応えがありました。

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2017年5月 4日 (木)

憲法の日に(広義の)刑法を思う

  安倍晋三首相が悲願の憲法改正に向けて国民に訴えかけていましたね。私は,現政権の労働政策におけるポピュリスティックな面(これに一部の官僚が悪のりしている)も,実は安倍首相の憲法改正を実現するという最終目的のための手段にすぎないとみているので,どこで本音を出して本丸の憲法改正に本腰を入れてくるかを注目していました。憲法改正の発議ができる3分の2の議席(日本国憲法96条1項を参照)を衆参両院で確保している現在,いよいよ安倍首相は動き出す可能性があります。
 国民はじっくりその動きをみて,自分たちの憲法のあり方を考えていく必要があります。たとえば,維新を味方にするためと言われている教育の無償化などは,憲法改正がなくても可能なことなのに,あたかも憲法改正が必要かのような説明をしているところなどを含め,私たちは騙されないようにしなければなりません。今後も次々とそういう餌がまかれるかもしれないので要注意です。個人的には,9条を変えたいのなら,堂々とやればよいと思っています。
 いずれにせよ,社会契約としての憲法については,主権者である国民が直接内容に関与してこそ真の正統性が得られると思います。憲法改正の国民投票は,私たちの憲法に,真の正統性を付与するための重要な機会となるでしょう。野党は逃げずに堂々と勝負したらよいと思います。国民投票となると,ひょっとしたら日本は大きく生まれ変わるかもしれません。みんなが本当に国のあり方を考えなければならなくなるからです。
 ところで,憲法よりも,ひょっとすると私たちにとって身近な問題となるかもしれないのが,テロ等準備罪(組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律)の改正論義です。こちらは担当大臣の無能ぶりが情けなくて,どうしてもっとまともな大臣を任命しなかったのだろう,と思いますよね(復興大臣もどうしようもない人で,天皇にも失礼です。高齢多忙ということで退位論も出ている天皇に,大臣更迭のたびにお出ましいただくていることにこそ,バカ大臣たちは深く反省すべきところです。これなら首相の任命はともかく,大臣の認証を国事行為とすること[日本国憲法7条5号]こそ改正して,任務軽減してもいいと言いたくなるくらいです)。
 さてテロ等準備罪の注目ポイントは,6条の2(見出しは,「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団による実行準備行為を伴う重大犯罪遂行の計画」)です。そこでは,「次の各号に掲げる罪に当たる行為で,テロリズム集団その他の組織的犯罪集団(団体のうち,その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第3に掲げる罪を実行することにあるものをいう……)の団体の活動として,当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を2人以上で計画した者は,その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配,関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは,当該各号に定める刑に処する」と定められています。
 この犯罪では実行に着手せず,さらに予備にもなっていない準備行為の段階でも,犯罪として処罰される可能性があるということです。単なる計画だけでは処罰されないので,危険思想もっているだけで処罰されるわけではありませんが,準備行為の内容をどのように定義するかが気になるところです(「花見か下見か」論争)。
 本条の主体は,「組織的犯罪集団」の構成員であり,一般市民や労働組合の組合員は対象となっていません。「組織的犯罪集団」とは,その共同の目的が,一定の犯罪(別表3に列挙)を実行することにある団体と定義されており,たしかに,普通の人には関係がないようにも思います。ちなみに,別表第3の犯罪には,労働基準法5条も含まれています。同条では「暴行,脅迫,監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によって,労働者の意思に反して労働を強制」することが禁止されており,このようなことを共同目的としている団体がかりに存在し,その団体が別表4記載のテロ犯罪の準備行為を企てていれば,そこで検挙できるということです。
 労働基準法5条は悪質性の高い犯罪とされているので,ここに列挙されていてもそれほど違和感はありませんが,その他の分野の法律のなかには,列挙されていることに疑問があるものもあるようです。おそらくさまざまな分野の法律家が自分たちの専門に関係する法律が含まれていないかチェックしていることでしょう。もっとも別表3の法律にリストアップされているかどうかよりも,そもそも準備行為段階での処罰が妥当であるのかということが,法律家にとっては大きな関心となっているのですが。
 そもそも犯罪は既遂でなければ処罰でなきない,という見解が最もリベラルな立場にはあり,さすがにそれでは不十分ということで,少なくとも実行に着手していれば未遂犯も処罰するということになり(刑法43条,44条),さらには特に重大な犯罪については,予備も処罰せよ,という形で処罰対象が広がってきているのです。もっとも未遂も予備も法律の定めがなければならず,たとえば殺人罪では既遂犯は199条ですが,未遂犯は203条,予備は201条で特別に処罰可能性が定められています。テロ等準備罪は,これをいわば一括した形で,別表4の犯罪(別表3ほどではありませんが,かなり多くの犯罪が列挙されています。内乱や外患誘致から,爆破物使用,不法入国,不法滞在まで)について,準備行為が処罰対象とされています(6条の2)。
 法律家は限界的な事例を想定して,そこで犯罪が成立するか(とくに構成要件に該当するか)を気にします(そうした検討が理論的に重要であることは言うまでもありません)が,おそらく国民へは,この規定の本来の狙いや標準的な適用範囲といったところを,まずはしっかり説明することが必要でしょう(花見か下見かは,証拠によって判断するということで仕方ないでしょう)。
 天皇の仕事を増やして申し訳ないのですが,首相は,法相も更迭し,しっかりこの法律を理解し,咀嚼したうえで,国民に説明できる人を新たに任命すべきでしょう。法相も理解できていないような法律を,強引に成立させようとするのはやめてほしいです。刑罰というのは,国家権力のもつ最も危険な武器なのですから,そのことの重みをしっかり認識したうえで,この法律の必要性を私たちに説得してもらいたいです。

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2017年5月 3日 (水)

第133回神戸労働法研究会と第24回文献研究会

 4月22日に開催された神戸労働法研究会は,新年度で新人が4人入ってきて(日本人1人,中国人2人,台湾人1人),フレッシュな感じとなりました。神戸大学での新人というのは,社会人を除くと久しぶりです。私も,若手の育成の仕方をすっかり忘れてしまっています。私は,これからはどんな仕事でも真のプロを目指してもらわなければならないと考えており,緩めることなく,プロの基礎トレーニングをしてもらおうと思っています。ついてこれなければ落伍するのも仕方ないと思っています。
 ところで研究会の報告者は,前にも紹介したように,JILPTの山本陽大君が,ドイツのデジタライゼーションなどをめぐる政策課題を扱った白書についての報告を,次いで,オランゲレルさんが「中国法における『同一労働同一賃金』原則の現状と課題」というテーマの報告をしてくれました。混乱をきわめる「同一労働同一賃金」ですが,中国の議論もまたかなり複雑でした。
 その前に開催された文献研究では,所属が変わって,世界人権問題研究センター専任研究員となった河野尚子さんが「兼業・副業」をテーマに報告してくれました。ちょうど本日の日本経済新聞で,厚生労働省が複数企業で働く労働者が労災にあった場合の給付基礎日額を合算する方向での検討をするという記事が出ていました。厚生労働省は,かつて検討対象としていたものですが,昨今の副業ブームのなかで,ようやく厚生労働省も重い腰を上げたというところでしょうか。モデル就業規則の見直しに続いて,昨年の中小企業庁の研究会で指摘していた法改正が,次々と実現していくのは,私にもやや驚きです。
 ところで,この文献研究会で,河野さんの指摘を受けて気づいたのですが,菅野先生が,労働基準法38条1項の解釈について,表現をかなりマイルドに修正されていました(『労働法(第11版補正板)』464頁)。異なる企業で働く場合の通算について,行政解釈は肯定,菅野説は否定ということで,私も否定説(同一使用者内での通算はするが,異なる使用者間では通算しないという見解)を支持していたのですが,教科書では「両論ありうる条文」とトーンダウンし,また先生ご自身の説としても,同一使用者の下での異なる事業場での労働時間の通算規定である「と解してもよかったと思っている」という語尾が追加されています。先生は依然として否定説ではあるのですが,あまり否定説の論拠に自分の名前を持ち出すのは困るというメッセージが含まれているのでしょうか。
 こういうところの発見が文献研究の面白さでもあるのですが,それはさておき,個人的には,複業時代における今日的な法政策としては,こういう実効性のない通算はやめて,別のアプローチで労働者の健康配慮を実現していくべきだと思っています。
 いずれにせよ,もし労災保険の法改正があれば,次は雇用保険や社会保険も視野に入ってくるでしょう。まだまだ,この分野の立法政策論にはやるべきことがあり,若い河野さんに,議論を引っ張っていってもらえればと思います。

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2017年5月 2日 (火)

労働政策審議会の新委員

 昨年の「働き方に関する政策決定プロセス有識者会議」は,労働政策審議会のメンバー構成のあり方を主として検討する目的があると聞いていたので,新しい委員のメンバー構成には関心をもっていました。公益委員のほとんどは知っている人ですが,労使委員はほとんど知らない人です。
 厚生労働省は,有識者会議の構成員には,最終報告書との関係で,今回の委員選考についての何らかの説明をしてくれるものだと信じていますが,私はもっと思い切った見直しをやる予定だと,この有識者会議の立ち上がりのときの事前説明で聞いていたので,若干の拍子抜けでもあります(慶應大学系に偏っている気もしますね)。いずれにせよ委員になった方は,大改革の時代ですから,日本の将来にコミットする重責をぜひ果たしてもらいたいと思います。
 ところで,前にブログで書いたかもしれませんが,上記有識者会議の途中で,個人的に事務局のほうに,まとめの方向性についてのメモを提出していました。取扱いは事務局にゆだねたので,厚生労働省のなかでどのように扱われたのかわかりませんが,当時の議論を受けて,かなり尖った意見を書いていました。最終報告書は,ずいぶんと丸くなっており,それは仕方ないことですし,私も了承したので,特に異論はありません。ただ,個人としての意見としてはあるし,せっかく時間をかけて考えたものでもありますので,以下にそのまま貼り付けて公開します(当初の原文どおりです)。
 今後の労働政策決定プロセスのあり方についてのたたき台として,アカデミックな場で議論をしてもらえれば幸いです。

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働き方に関する政策決定プロセス有識者会議
                     大内メモ(2016年11月8日時点のもの)

Ⅰ 前提的考察(5つの論点)

 ① 労働政策は,経済,産業,教育など多くの分野にまたがる政策である。戦略的な議論をする場合には,たとえそれが労働にかかわるものであっても,労働政策という限定された視野で議論をするのには適さない。つまり,労政審が適切な場とは言い切れない。

 ② 労働者と使用者に直接的な影響を及ぼす政策を,労使抜きで検討することも適切ではない。労使の意見を反映させることは,とくに次の点からみて望ましい。
  (1)立法プロセスの民主的正統性を強化しうるし,結果として,国会での審議時間を短縮できるというメリットも想定できる。
  (2)制定された立法の納得性(遵法への心理的態度)を高め,実効性(実際に法が遵守される状況)も高まる。法律のエンフォースメントは,つねにその実現に向けた努力が必要ではある(労働基準監督官の増員など)が,コストもかかることからすると,立法制定プロセスで,あらかじめ法の実効性が高まるような仕組みを設けておくことが望ましい。そうした仕組みの代表例が,事前の労使の関与である。

 ただし,(1)の民主的正統性をいう以上,労使の委員の代表性は厳格に判断すべきである。たとえば労働者委員でいえば,推薦の際の労働組合の優越を認めるか(たとえば,相対的に多数の組合員を組織している労働組合が推薦権をもつ),選挙による民主的正統性を重視するか(たとえば,労働組合とは無関係に労働者の選挙で委員を選ぶ,あるいは労働組合の推薦した者から労働者が選挙で委員を選ぶ)などの考え方がありうる。ただ,労使委員ともに,これまでどおりに事務局に選出をゆだねたうえで,その選考理由を公開するという方法で,代表性を担保するほうが現実的ともいえる。

 ③ 労政審で多様な働き方を反映させるべきという意見があり,その問題意識は共有できるが,そのための手法として,労働者や使用者のなかで細かくカテゴリーを分けて,それぞれから代表者を出すという発想は賛成できない。審議会としての意思決定が著しく困難となることが予想されるし,カテゴリーの設定や適切な代表者の選出は現実的には不可能に近い(たとえば若者の代表という場合,若者とは誰を指すのか,代表者をどういうように選ぶのか)。
 ただし,実情を知るという意味での情報収集(実態調査など)は広く行われるべきである。また専門性が高いテーマについては,専門家の知見を積極的に収集すべきである。これらは,エビデンスに基づく議論にもつながる。

 ④ 労働政策を審議するうえでの労使の関与という点については,労政審という場においても,理念的には,労使交渉をさせる労使交渉型の場合(公益委員はいわば行司役)と公益委員主導で労使は参考人という位置づけとなる労使参考人型(公聴会型)の場合とがありうる。規範の設定など技術性や専門性の高いものは後者で,労働条件に直結するものは前者で,という一応の基準は示すことができるが,実際に両者を分類することは容易ではない。しかし,審議すべき内容と労使関与の仕方とのミスマッチが生じると,適切な審議がなされない危険性が高くなることにも留意する必要がある。

  ⑤ 労使は利害が対立することが前提なので(その善悪は別として),労使が関与する意思決定には時間がかかることはやむを得ないし,それは納得性を高めるために必要なコストといえる。しかし,時間制限のない審議も問題がある。事前に審議の期限を設定し(議題の難しさに応じた審議の時間が設定されるべきである),その期限が来たときは公益委員が審議会としての最終決定(諮問案の確定など)をするという方法がとられるべきである(ただし,労使委員も公益委員も,反対意見を付けることはできるようにしたほうがよいであろう)。

Ⅱ Ⅰの前提的考察をふまえて,労政審の委員選出に関する改革案のたたき台を提示したい(上記5つの論点と対応)。
 ① 政府には,さまざまな会議体があり,労政審以外の場でも労働政策について議論されている。そこで示される労働政策の方針は,必ずしも一貫したものにはなっていない。こうした状況を解消するため,労政審とは別に,厚生労働省内に「将来構想委員会」(仮称)のような常設の機関を設けて,中長期的な政策を検討すると同時に,政府に設けられる労働に関係するさまざまな会議体での政策論議の場に,この委員会の委員が参加できるようにすべきである。
 「将来構想委員会」は三者構成である必要はない。むしろ,日本の社会や経済の将来を展望しながら,広い視野で多角的に議論できる高い識見をもつ人材を委員に選出すべきである。労政審の委員が兼ねることがあってよいが,労働組合や使用者団体の現役のメンバーが委員につくことは避けたほうがよい。

 ②  労政審の「労働者を代表する者」,「使用者を代表する者」でいう「労働者」「使用者」は,労働者全体,使用者全体を意味すると解すべきである(労使の代表者は同数が望ましい)。自らの所属する組織の利害を代表する行動は禁じられる。特定の労働者団体,使用者団体に所属する者を選出する場合には,その団体からの脱退を条件とすることも検討されるべきである。いずれにせよ選出された代表者の発言は,すべて個人のものであり,その責任も個人が負うこととし,出身母体から切り離すことが望ましい。

 ③  ②とも関係するが,「労働者を代表する者」,「使用者を代表する者」は,それぞれ,労働者全体,使用者全体の利害を考慮にいれながらも,日本の社会や経済にとって,どのような政策が必要かについての知見をもつ高い識見と専門性をもった人材が選出されるべきである。厚生労働省は,労働組合や使用者団体の推薦を求めてもよいが,最終的な選考の権限と責任を負い,人選の理由についてHPで公開すべきである。また,選出された者は,その所信をHPで公表するようにすることが望ましい。

 ④および⑤ 議事の運用を,労使交渉型にするか,労使参考人型にするかの区別は,事前に一義的に決めるのは困難であるので,公益委員の判断にゆだねるべきである。また⑤でみたように,審議期間の設定や時間切れの場合の最終決定も,公益委員が担当する。したがって,公益委員には,こうした任務を的確に遂行できるだけの労働政策に精通した高い専門性をもち,労使の代表者からも信頼が置かれている人物が望ましい。厚生労働省は,ここでも最終的な選考の権限と責任を負い,人選の理由についてHPで公開すべきである。また,選出された者は,その所信をHPで公表すべきである。なお公益委員は,労使の委員と同数である必要はない。

Ⅲ その他
 1 上記の提案については,ILO条約との関係は,ひとまず考慮外とした。
  2 労政審(および将来構想委員会)は,最新の機器を利用してWEB会議などができるようにし,東京への移動が困難な人材(地方在住者も含む)も委員に登用できるようにすべきである(役所こそ,テレワークの流れに一早く対応すべきである)。
 3 2とも関係して,労政審(および将来構想委員会)の委員は,会議に少なくとも3分の2以上の出席ができる人であることが望ましい。常勤委員がいれば,なおよい。
 4 事務局の担当職員(とくに幹部クラス)は,一つの政策案件について,最初から最後まで担当すべきであり,人事異動の際にはその点が配慮されるべきである。
 5 分科会の位置づけは,労政審の機能強化のなかで,その必要性や権限なども含め再検再検討していくべきである。

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2017年5月 1日 (月)

ルールとスタンダード-著作権と解雇権

 先日,同僚の知的財産法の専門である島並良教授から,「著作権法におけるルールとスタンダード・再論-フェアユース規定の導入に向けて-」(中山信弘他編『しなやかな著作権制度に向けて』(信山社)の抜刷をいただきました。専門外ですが,面白そうだったので読んでみました。明快で,たいへん勉強になりました。
 島並さんの論文の骨子は,著作権について,その制限規定が,現行法ではあまりにも個別的・具体的であり,相互に矛盾があったり,立法当初に想定されていなかったような利用に対する規範として不適切であったりすることから,一般条項としての「フェアユース規定」を導入すべきであるというものです。その論証において,法と経済学でよく使われる「ルールとスタンダード」という分析手法を使いながら,そのメリットとデメリットを論じています。
 このルールとスタンダードは,解雇権の文脈でも言われることがあります。解雇権では,著作権とは逆に,労働契約法16条で一般条項が用いられていてスタンダード型ですが,個人的にはその弊害があると考えています。島並さんは逆にスタンダード型のメリットを,著作権の文脈ではありますが強調しているところが興味深いです。
 島並さんによると,スタンダード型がルール型よりも柔軟であるとは言い切れず,むしろスタンダード型の特徴は,その適用範囲の開放性にあると指摘します。さらに著作権の文脈におけるスタンダード型(フェアユース規定)のメリットとして,イノベーションの促進,市場の失敗の治癒をあげます。他方,デメリットとして言われる,保護水準の低下,当事者負担の増加,予測可能性の減少には十分な理由がないと指摘します。
 ここで気になるのは,予測可能性の減少についてです。島並さんは,予測可能性が減少しても,具体的妥当性がそれを上回るものであれば,それは問題とならないとします。具体的妥当性をみると,創作前の創作者にとっては,予測可能性にはメリットがあることは認めます。一方,創作後かつ利用前の段階は,創作者にとっては予想可能性は意味がなく,利用者にとっては予測可能性が高いほうがよいものの,そこで最も重要となる著作物の類似性については,利用者は十分に情報をもっているので,スタンダード型の規制であっても,不当に予測可能性を減少させることはないとします。
  この論文の趣旨は,創作者にとっての創作前の予測可能性の欠如は,それほど深刻な問題ではなく,したがって予測可能性の減少を過大に考慮してはならないということなのでしょう。
 これを解雇の問題にひきつけて考えると,解雇権の制限におけるスタンダード型の規制は,解雇前では,企業にとって解雇するかどうかの判断を逡巡させる可能性があり,それはそれでよいという考えもありますが,本当に必要な解雇ができなくなるという点は,弊害としてとらえるべきでしょう。また解雇後は,労働者にとって,労働審判や訴訟など費用のかかる手続によって権利行使をするに値するものであるかどうかの判断を困難ならしめるという点でも,問題があるということができます。
 ということで,解雇規制については予測可能性の低いスタンダード型ではなく,できるだけルール型を志向しなければならないと考えています。拙著『解雇規制を考える』(中央経済社)は,この分類によると,スタンダード型の規制の中で,ルール型の要素をできる限り注入すること(ガイドライン方式,分権型規制,労使主導の金銭解決など)を目指したものといえます(金銭解決のほうは,職務発明の報酬の議論とも似ているところがあり,そこでも知財法との関連性がありそうですね)。

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