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2017年4月 6日 (木)

役所との付き合い方

 少し前になりますが,4月2日の日本経済新聞の「検証・働き方改革」の内容をみると,今回の改革は,非常に情けない結果になってしまったようです。 
 昨年,私も参加した労働政策決定プロセスの改革の議論はどうなったのでしょうか。せっかく一所懸命にやり,いろいろ考えたのに,政府が働き方改革実現会議なる別ルートを作ってしまい,労政審改革はどこかに吹き飛んでしまった感じです。いま,労働政策決定プロセスは,どうなっているのでしょうか。残業をめぐる労使間の矮小な協議に,どれだけの意味があるのでしょうか。現状では,労働政策決定プロセスは無茶苦茶です。やっぱり2035年を考えたほうがいいですね。
 個人的には,昨年,厚労省のために費やした時間は,それほど多くはないものの,それでも多少は費やしたのであって,むなしさを感じています。やはり私はこういうことに関わってはいけないということを学びました。
 人生50年をすぎると,もっと「やらないこと」を増やしていかなければ,時間がもったいないです。やれることや,やったら意味がありそうなことは沢山ありそうですが,後でむなしさが残るような時間の使い方はしたくありません。もっと若いときなら,それも勉強だと思える余裕がありましたが,いまは違います。勉強するなら,もっと違うことでしたいです。
 若い人には,将来の人生の計画をすっかりもって,今を過ごせと言っているのですが,それは私くらいの年齢で残されている時間が減っていて,若干意味合いが違うとはいえ,基本的にはあてはまります。
 役所関係の仕事に無駄が多いのは,目的がはっきりしていないからです。目的がはっきりしていれば,そのための効率的な「手法」を考えていくという思考が働きます。しかし,役所の「手法」は基本的には先例踏襲で,「目的」も不明確(あるいは本来とは違う省益や,さらに政治的な目的が背後にある)ということであり,そんなところに政治や行政の素人が巻き込まれれば,湯水のごとく時間が奪われ,使い捨てられるだけです。
 役所に時間をとられないようにすることが,普通の国民にとっては大切です。大学関係者からすれば,文科省に時間をとられないすることが大切です(同じ日の社説の「元凶は文科省の大学支配だ」に溜飲を下げた大学関係者も多かったでしょうね)。

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