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2017年4月17日 (月)

多文化主義と国際都市

 前にこのブログで日本経済新聞の朝刊のオピニオン欄は充実していると褒めたばかりなのですが,今日のオピニオンはあまり良くなかったですね。イギリスはBrexitなどで孤立化を進めているようだが,多文化主義の先進国であり,日本企業もイギリスの本質を見誤らず,イギリスとの付き合い方を考えた方がよい,という趣旨のメッセージが込められていました。それは全然問題ないのですが,冒頭で,日本では受付嬢が多いがロンドンでは男性の受付もいるといったところから話が始まり,イギリスのほうがあたかも平等が進んでいて,多文化主義もそれとつながっているという論調のようにも読めます。こういう余計なことが書かれているので素直にこの記事を読むことができなかったですね。
 イギリスが多文化主義といっても,みんながイギリスの言語である英語を話すので,自国語を話す者に寛大な姿勢をとるのは当たり前です。イギリスにかぎらず,どの国でも,自国語を話してくれる外国人には,もちろん程度の差はありますけれども,親切なものです(フランスは少し違うかもしれませんが)。そもそも英語という辺境の国の言語が世界中の人によって話されるようになったのは,植民地支配の影響です。イギリスが世界を遠慮なく軍事的に征服してきたために,たとえば高い文明を誇ってきたインド人も英語を話さざるを得なくなったのです。つまりイギリスの多文化主義というのは,侵略の歴史と密接に関係しているのです(イギリスのほうは,途上国の発展に貢献したというのでしょうが)。いろんな国にちょっかいを出して植民地化していた以上,それらの国から来る人たちなど移民に対して寛大になるのは当然のことといえます。現在のロンドン市長は,両親が旧植民地パキスタンからの移民です。これを多文化主義の象徴と,単純に評価する気にはなりません(もちろん,移民の子孫が,市長になれないよりも,なれたほうがいいのですが)。いずれにせよ,こうした侵略の歴史が,今日においても,イギリスの経済の強みと関係しているとなると,非常に複雑な気持ちがします。
 ロンドンにはもう長い間行っていませんが,かつてイタリアのミラノからパリ経由でロンドンに行ったとき,たしかにロンドンは,ミラノよりもパリよりも都会であるという印象を受けました。いろんな国の人がいて,それだけ外国人にとって(物価は高いものの)文化的には溶け込みやすく,住みやすいところだろうなと思いました。そしてそのことがロンドンの大きな魅力にもなっていました。真の国際都市というのはこういうものなのかもしれません。だから,ロンドンから帰ってきた日本人が,日本はとても視野の狭い遅れた国であるという印象を持つのも理解できないわけではありません。
 しかし尺度を変えると,国際都市になることが,ただちに良いといえるかには留保が必要です。都市の価値は,ビジネスだけではないからです。同じように外国人があふれているイタリアのローマでは,ロンドンのようにみんなが英語を話すというような状況ではありません。ローマにいても,イタリア語を話すことは求められません。ただイタリア語を話さない外国人は,しょせんよそ者であり,ロンドンほどビジネス環境はよくないでしょうが,同調圧力はないのです。グローバル化の波に媚びず,それでも外国人を文化的に魅了するという点に,ローマの奥深さがあります。ここに侵略の歴史とは無縁の真の国際都市の姿があるように思えます(もちろん,イタリアもアフリカの一部の国を侵略した歴史がありますが,イギリスとは比べものになりません)。
 ローマでは,受付はおそらく女性でしょうね。

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