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2017年4月21日 (金)

中窪裕也・野田進『労働法の世界(第12版)』

 中窪裕也・野田進『労働法の世界(第12版)』(有斐閣)をいただきました。いつも,どうもありがとうございます。ついこの前にいただいたばかりだと思っていましたが,もう2年経過していたのですね。
 まずはコラムに目が行きました。
 48頁のコラムは,「フランスの労働法改革」というタイトルです。季刊労働法の最新号(256号)でも,野田さんが大学院生と執筆されていたので,このコラムも野田さんの執筆でしょう。フランスの改革は,規範のヒエラルヒーを逆転させ,現場に近いところの合意を優先させようとする試みのようであり,まさに分権型規制です(条文のあるHPを開きましたが,あまりに大部なので読むのは諦めました)。
 日本の解雇や労働時間などについて,私は分権型規制をすべきと述べてきています(中央経済社の『解雇改革』,『労働時間制度改革』)が,これについては批判的な意見もあります。野田さんも,フランスの動向について「危うさ」を指摘されています。
 そのとおり危うさはあるのです。ただ,この危うさを乗り越えなければ未来がないと思うのですが,どうでしょうか。
 分権型規制は,広義の労働条件の不利益変更の問題でもあります。そこには,個別レベルにおける合意の問題だけでなく,規範の階層構造論からみた労働条件不利益変更の扱い方もあるのです(拙著の『労働条件変更法理の再構成』(有斐閣)の比較法の部分は,規範の階層構造論とも関わっていました)。フランスの動向がどうかはさておき,分権型を実質化するためにも,労働者代表法制のあり方の根本的な議論が必要でしょう(私は従業員代表の立法化に反対の立場ですが,濱口桂一郎さんは,労働判例1147号の遊筆で,非正社員の組織化という観点から従業員代表法制に賛成していました。非正社員の労働組合の組織化については,ビジネスガイドの「キーワードからみた労働法」の次号では,オリエンタルランドの最近の事例を紹介しながら,その難しさについて論じています。だからといって,従業員代表法制の導入ということにはならないのですが)。
 86頁のコラムは,「大学教員の労働契約と解雇」というタイトルです。どきっとするものです。私もジュリストの連載「労働法なう。」で,「大学教員の辞めさせ方」というものを書いたことがありました(1476号)が,こちらのコラムは,大学教員の雇用保障に肯定的な考え方です。学問の自由,優秀な人材の育成という公的要素が根拠とされています。人材育成という点をあまり強調すると,人材育成に成果を出していない教員は解雇してよいという話になりかねないので,むしろ根拠とすべきなのは学問の自由(憲法23条)だと思います。私立大学であっても,大学教員の学問の自由は保障されていて,ある種の私人間効力があると解すべきでしょう。その意味で,かりに労働契約法16条がなくても,大学教員の解雇は,制限されるべきなのだと思います(解雇自由の国のアメリカも,おそらく同様ではないでしょうか)。
 他方,これからの大学は,研究専従教員と教育専従教員を区別していくようになるかもしれません。大学の大衆化により,教育には中学や高校の先生のような有資格者並みのスキルが必要となると同時に,研究はいっそう高度化していくので,教育負担を重く抱えながら研究することが難しくなっていくことが予想されるからです。もしこのような教員の区分がされるとすると,学問の自由が保障される研究専従教員とそうでない教育専従教員との間で雇用保障の程度が違うということはありうるかもしれません。
 ICTの発達により,高度専門教育は,一部の研究専従教員によってオンラインで発信されるようになり(これにより世界中の優秀な研究者の講義を聴くことができるようになる),教育専従教員は学生に対するチューターや補習に従事するという分業も起きていくでしょう。
 大学教員の雇用保障も大切ですが,今後の大きな大学改革のうねりの中で,教員はいかにして自力で生き残るか(研究で勝負するか,教育スキルを磨いて生き残るかなど)を考えることもまた必要です。コラムで「教員がそれに甘えてはならないのは当然である」と釘を刺していたのは,上に述べたような意味で賛成できるものです。

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