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2017年3月 9日 (木)

説明義務

 今朝の日経新聞において,「同一労働同一賃金」をめぐる厚生労働省の案で,説明義務と立証責任に関する記事が出ていました。記事の中で,立証責任のところで説明という言葉が使われていたりして,誤解を招かないか心配です。厚生労働省がどのような説明をしたのかわかりませんが,専門家でも法律家以外であれば少し誤解がありそうな用語なので,若干,説明しておきます(それこそ法律家の世間への「説明義務」です)。
 まず企業が労働者に対して,労働条件の格差の合理性について説明する義務を課すべきかどうかという論点は,本来,格差の合理性そのものを法的に争うことができないが,合理性の存在についての相当な説明をしたかどうかは法的に争えるという文脈で出てくるべきものです。これは実体規制と手続規制の違いと言い換えることもできます。類似の論点は,従業員の査定について,企業に公正査定義務があるかどうか,あるとすればどのような義務かという文脈で登場することがあり,この場合,公正さそのものは争えないが,公正であることの説明義務は企業にあるといった形で議論されます。査定の公正さは裁判官が判断できるのかという問題があるので,手続的な義務にとどめるということで,緩やかな規制にするという意味があります。そもそも査定の公正さを客観的に論じることは難しいという理解も根底にあります。
 格差の合理性についても,同様に,合理性そのものを法的に争うことはできないので,これを実体要件として課すべきではなく,説明という手続的な要件にとどめるべきという主張があります(これは現在のパート労働法14条の定める事業主の説明義務を強化して,その発展上に位置づけるという発想によるものです)。説明義務も規制の一種ですが,人事管理にもプラスになるということも,この義務を肯定する論拠の一つとなります。なお,このことは,私は,前にブログで書いたこともありますし,ビジネスガイドに連載中の「キーワードからみた労働法」の第106回「同一労働同一賃金」でも書いています。
 経済学者のなかでも説明義務を論じる人はいますが,法的な説明義務論は,実体規制との違いを意識したもので,広い意味では規制緩和論の系譜に位置づけられる独特なものともいえます(就業規則の不利益変更の合理性などで,実体要件よりも手続要件を重視する同志社大学の土田道夫先生や私などの議論は,この手続規制論の当初からの積極的な主唱者です)。
 しかし,こうした立場とは異なり,もし実体要件に加えて,説明義務も追加して課すということであれば,これは全く異なった議論であり,規制強化論です。ただ,こうした重畳的な規制は,アイデアとしてはありえますが,実体要件を課すのなら,説明という手続を法的義務として課す必要性は小さくなるのではないかという感想をもたざるをえません。
 この中間的なものとして,不合理性の判断において,説明義務をどれだけ果たしたかを考慮するという立場があります。おそらく現在の労働法学の主流はこの立場ではないかと思っています。就業規則の不利益変更の合理性においても,こうした考え方がとられており,これは現在では労働契約法10条の条文でも確認できます。
 労働条件の格差の合理性も,こういう実体規制をメインにして,これに手続面を考慮するというハイブリッド型でいくべきなのかもしれませんが,そうしたことを分かったうえで,どこまで議論をされているのか,議論の参加者はよく意味がわかっているのかが心配ではあります。杞憂であればよいのですが。
 さらに立証責任となると,より法技術的な面がからんでいるやっかいな論点です。これは裁判で,事実認定において真偽不明となった場合に,どちらの当事者が不利になるのかということに関するものです。ここで「責任」というのはミスリーディングで,どちらの当事者が裁判官を納得させる「負担」をすべきなのかをめぐる問題と呼んだ方が,普通の人にはわかりやすいと思います。
 労働条件の格差については,その合理性を根拠づける事実を企業側が裁判官に納得させる負担をするのか,不合理性を根拠づける事実を労働者側が裁判官に納得させる負担をするのかが争点となります。さらに,労働者が一定の立証をすれば,企業側に反証責任があるとか,立証責任の所在を変えないまま,立証の負担を軽減する(労働委員会の実務において,組合員差別の立証における「大量観察方式」などがその例です)とか,いろいろなバリエーションがあるので,議論はかなり複雑です。。
 原則としては,訴訟を提起する原告側である労働者が,自らの法的主張を根拠づける事実について立証責任を負うことになりますが,たとえば,未払残業請求をする場合に,労働者が,自らの権利が時効にかかってはいないということまで主張し立証する責任は負わないなどの細かいルールがあります。もちろん,このあたりの詳細は,弁護士ら実務法曹にまかせておけばよく,普通の人は知らなくても大丈夫ですが,今回のように立証責任が問題になるとすると,議論に参加する人はこの面の知識なしではすまないでしょうね。
 また,こうした細かいことはさておいても,立証責任の問題が純然たる訴訟手続上の問題にとどまらないということは知っておいてもらう必要があります。つまり,労働条件の格差の合理性を根拠づける事実について,企業側に立証責任があるとするならば,そこには,原則として,企業には,労働条件の格差をつけてはならない義務があるという規範があることが前提となっていなければならないでしょう。だからこそ,格差の合理性について裁判官を説得できなかった企業は,同一労働条件にしなければならないということを正当化することができるのです。
 問題は,一般的な形で,労働条件の格差をつけてはならないというような規範を認めるべきかです。ある企業が雇用しているベテラン正社員と,簡単な手続で雇い入れたアルバイト社員の間に賃金の格差があった場合,なぜ格差があるのかについての合理性を企業は立証しなければならないのでしょうか。これはどう考えてもおかしいわけです。もしそんな規範があるのなら,少なくとも,どのような場合であれば格差が合理的であるかの基準を定める規範が示されることが必要でしょう。経験年数,仕事の内容,本人の能力などの違いの立証ができれば合理的と裁判官は判断してくれるのでしょうか。格差が2割であればいいけれど,3割があればダメといったことは,どのように決められるのでしょうか。こうした点がクリアにされなければ,当事者からすると,裁判官がどのように合理性の判断をするか事前に予測することができず,訴訟リスクを考える企業であれば,実際上格差を設けることはできなくなるでしょう。政府の狙いはこれなのでしょうか。

 この点については,就業規則の不利益変更であっても合理性が要件となっていて,これまで長年,労働法は,そういうことを経験してきているという反論もあるかもしれません。しかし,労働条件の格差は,これとは違うのです。就業規則の不利益変更であれば,企業は,多数組合や従業員の納得を得てしまえば,実際上,訴訟の可能性がなくなります(しかも,個々の従業員の同意が明確に存在すれば,通説によると,もはや合理性がなくても変更は可能となります[労働契約法9条の反対解釈])。しかし既存の従業員の労働条件の不利益変更の場合と異なり,新規採用の非正社員の採用においては,その非正社員はいままで会ったこともない労働者であるわけで,その納得を得て合意したからといって,訴訟リスクが軽減するとは企業には思えないでしょう。
 手続規制論は,そもそも使用者から労働者に情報提供をし,説明を十分にしたうえでの同意であれば,その同意の効力を認めてよいという考え方です。私は,こうした発想で訴訟リスクの軽減と労働者の納得性の向上との両立を図ろうとする立場ですが,少なくとも労働法において,こうした立場に明示的に賛成してくれる人はほとんどいません。みんな労働者の同意があっても,何らかの実体要件(合理的理由など)は必要としています。ましてや交渉力が弱いとみられる非正社員の労働条件の合意であれば,よりいっそう実体審査が必要と考えるでしょう。そうなると,どんなに合意があっても,訴訟に巻き込まれ,そして敗訴するリスクが高まるのです。就業規則の不利益変更であれば,多数組合の同意があれば,訴訟となるリスクが減るし,また万が一訴訟となったとしても,変更の合理性が認められる可能性が高い(労働契約法10条では,「労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情」が合理性審査において考慮される)のに対して,労働条件の格差問題については,こうした事情がないのです(この点では,たとえば労働契約法20条の不合理性の判断における「その他」の要素に手続的要素を組み込むことができるかどうかが解釈論上の一つの争点となるでしょう)。
  ということで,訴訟リスクがある以上,企業は労働条件の格差をつけにくくなり,そうなると企業は,これまでなら非正社員として雇っていた人を正社員として雇うようになるだろうというのが,政府の狙いとする非正規改革なのかもしれません。しかし,それは,ずいぶんと乱暴なものではないでしょうか。

 パート労働法の9条は,職務内容が同一であり,全雇用期間において人材活用の範囲が同一であれば,差別的待遇を禁止しています。この規定のように,正社員と比較されるパート社員について厳格な要件が課されていれば,原則として両者は同一に扱わなければならず,格差を設ける場合には,企業の方がその合理性を立証しなければならないとするのは,まだ理解できるところです。
 しかしいま議論されているのは,そういうことではないのではないでしょうか。欧州でも,正社員と非正社員(有期,パート)の比較をする場合には,「比較可能性」があるかどうかがまずチェックされます。日本で議論する場合にも,どのような非正社員が,正社員と比較可能となるかについての要件設定をしないまま(パート労働法9条だけはそのような設定をしている),企業の方に格差の合理性についての立証責任を課すと,前記のベテラン正社員と新人のアルバイト社員との比較のうえで,合理性を論じるというようなむちゃくちゃなことになります。
 もちろん狭義の「同一労働同一賃金」は,同一労働をしている労働者間での比較をするだけであるということかもしれません。たしかに,それならば比較可能性があるという考え方もありえます(同一労働だけで十分かは議論の余地がありますが)。それでも日本の正社員の多くは職務給ではないので,やはり比較可能性はないということになりますし,政府の「同一労働同一賃金」は,そもそも同一労働を問題としない日本型同一労働同一賃金です(このあたりは,ビジネスガイド835号の拙稿「(日本型)同一労働同一賃金は正しい政策か?」も参照してください)。
 最後にもう一つ,合理性の基準があればまだまし,という趣旨のことを前述しましたが,日本型雇用システムにおいて,正社員と非正社員との間で,格差の合理性の基準を設けることは現実には不可能でしょう。正社員を含め全員を職務給にしてしまうというような改革をすれば別ですが,そういうことを政府はやるべきではありません。ただ,これをやってもよいという人もいるので,そうした人と私との価値観の違いは深刻です。つまり,政府のイニシアチブで,正社員の賃金制度改革をしてもよいという点に賛同するかどうかが,この議論対立の根幹にあるところなのです。
 非正社員という存在は,正社員制度から生まれてくるものです。日本の正社員制度をどう考えるかが問題の根幹にあるのです(「正社員制度」については,拙著『AI時代の働き方と法』(弘文堂)の第4章を参照してください)。
 正社員制度を軸とする日本型雇用システムの今後は,まずは労使がしっかり考えていくべきであり,とりわけ賃金などの処遇については,政府は過剰な介入をすべきではありません。もちろん個別の「病理」的ケース(長期的にパートで働いていて,正社員と自主的に同じような仕事をしているにもかかわらず,賃金の格差があるような場合)が存在しないとはいいませんが,そうしたケースに対処するための法的ツールをブラッシュアップしていくことこそ,法律家がやるべきことです。
 通常の手術のレベルをアップするだけで対処できる症状に対して,成功したときの評判に目がくらんで,誰もやったことがないような最先端の大手術で挑もうとされては,患者である国民はたまったものではありません。

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