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2017年3月23日 (木)

岩木一麻『がん消滅の罠』

  「このミステリーがすごい」大賞の受賞作品である,岩木一麻『がん消滅の罠-完全寛解の謎』(宝島社)を読みました。評判通りの素晴らしいミステリーでした。以下,ネタバレあり。  余命数ヶ月の末期がんの患者のがんが完全寛解するということは,およそありえないことではないそうです。しかし,これが立て続けに起こると,どこかおかしいという疑いが出てきます。  この作品の最初は,単純な詐欺事件から始まります。双子の姉妹のうち末期がんとなった1人がまず診断を受け,健康なもう1人がその後に診断を受け,その間に,何らかの薬を飲んだことにすると,その薬の効用でがんが消えたという宣伝となります。  やっぱり,がんが消滅するなんてないよね,というイントロから始まるのですが,ほんとうに詐欺でもなんでもなく,末期ガンとなった人のがんが消滅するという出来事が起こりました。小暮という中年女性の患者は,日本がんセンター研究所の夏目医師から,余命数ヶ月の宣告をされ,生命保険のリビングニーズ特約に基づき多額の保険金を受け取っていました。その後に,ガンが完全寛解したため,保険詐欺の疑惑が生じました。保険会社の森川は部下と一緒に調査を始めますが,怪しいところがまったくありません。むしろこの患者は,障害を抱えた娘を抱えていて,保険金を有効に使おうとする普通の善良な市民でした。  夏目の大学時代の恩師は,突然,東都大学の教授を退職して行方がわからなかったのですが,実は湾岸医療センターに移っていました。夏目は,恩師が,辞職する前に,「医師にはできず,医師でなければできず,そしてどんな医師にも成し遂げられなかったこと」をすると述べていたことが気になっています。  夏目と友人の羽島は,保険会社の情報などから,湾岸医療センターにおいて,西條が弱者の救済のために,ある種の保険金詐欺をしているのではないかという疑いを持ちます。それは,次のような仮説によるものでした。このセンターで画期的ながんの治療方法を見出したとします。そして小暮のような弱者に対して保険金を得ることができるようにするために,生命保険に加入させてリビングニーズ特約をつけさせたうえで,一旦末期がんの宣告を受けさせて保険金を受け取らせ,その後,その画期的な治療方法によってがんを寛解させるというのです(救済者仮説)。  ところが,湾岸医療センターでは,小暮たちとは異なり,富裕層など社会的な有力者に対してもがん治療を行って成果をあげていました。特別な救済をする必要もないような人たちに対してです。  そんなとき,湾岸医療センターに肺がんで通院していた柳沢という厚生労働官僚が,夏目のところにやってきます。   そのころ,夏目と羽島は,新たに,出来レース仮説というものをもっていました。それは,早期ガンを発見した患者に対して,手術で切除し(転移の可能性はこの時点では低い),切除したがんを培養して既存の抗がん剤の効果を確認し,よく効く抗がん剤が見つかった場合にだけ,がん細胞を患者に注射して人工的に転移させ,その後,効果が分かっている抗がん剤を投与して,がんを消滅させる,というものです。  抗がん剤の投与を条件に,西條たちが,患者に何か要求をしているのではないか,という疑惑が出てきたのです。夏目と羽島は,柳沢を味方につけようとしますが,失敗します。柳沢は,自分の命を守るために,西條の要求に屈したからです。  西條には大きな野望がありました。日本をよくするために,社会的に影響力のある人を支配しようとしていたのです。   夏目と羽島は西條と対決することになります。実は,その前に,夏目たちは,小暮の体内にあったがん細胞が,小暮のものではないということを確認していました。小暮には,他人のがん細胞が注入されていたのです。通常は,がん細胞を注入しても,免疫機能が働いて死んでしまいます。しかし小暮はちょうど湾岸医療センターでアレルギーの治療をしていて,免疫を抑制する薬が投与されていました。そのため,がん細胞が増殖したのです。この場合の治療は簡単です。免疫抑制の薬を止めるなど,本人の免疫機能を元に戻せばよいのです。  西條は,夏目たちの仮説を認めはしませんでしたが,別のことを言い始めました。羽島のDNAが,西條の亡くなった娘の体内から出てきたということを明かしたのです。西條は,娘の恵理香が乱暴されたという告白を信じていたため,娘の体内に残されたDNAをもつ者をみつけて復讐しようとしていたのです。ところが,DNAが一致した羽島は,暴行犯でありました。羽島と恵理香は恋人同士でした。  夏目たち3人の会談が終わったあと,西條は拉致され,バラバラ死体で発見されます。頭などは見つかっていませんが,DNA鑑定から恵理香との親子関係が一致したので,西條の死が確認されました。  夏目は,いったい恩師の西條がなぜこんなことを企んだのか,ということを不思議に思っています。娘の仇討ちのために力をもちたいという理由だけだったのでしょうか。夏目は次のように考えています。「先生は弱者を救済し,有力者の運命を支配していた。榊原[患者の一人]は先生を悪魔と評したが,先生が目指していたものは悪魔というより神であるように夏目には感じられた。人はどんな時に神に近づこうとするのか。……人は虚無感にとらわれると,神に近づき全能感を得るために宗教の熱心な信者になることがある。西条先生は自らが神のように振る舞うことで,巨大な虚無を満たすための全能感を得ていたとは考えられないだろうか。そうだとすると,それほどの虚無を先生にもたらしたものは何だったのか」(304~305頁)。  ここから残り10ページ弱で驚く展開が待っています。ほんとうのネタバレになります。  まず,がん完全寛解の謎は,一つは小暮たちにやったような手法です。これに対して有力者たちにやったのは,早期がんを発見できたとき,その早期がんに自殺遺伝子を組み込むという方法でした。柳沢たちには,出来レース仮説ではなく,本人の切除したがん細胞自殺するような遺伝子を組み込んで本人の体内に戻し,あとはこの遺伝子を作用させるホルモンを投与するという治療をするということでした。そのホルモン投与料を調整することによって,がんが進行したり,減ったりするということが可能となるというものです。死の淵に瀕した有力者は,ホルモン投与を求めて,西條たちの要求を飲むのです。患者にしてみればまさに「悪魔」でしょう。  西條が,これを始めたのは,実は,妻への復讐のためでした。恵理香のDNAは,西條のDNAと一致していませんでした。妻は不倫をしていたのです。西條は,不倫相手をつきとめ,その男に復讐をします。がんを移植し,末期がんの苦しみと完全寛解とを繰り返すという拷問をしたのです。これが湾岸医療センターでの試みの始まりでした。  西條のやっていることは,その秘密を守ることが何よりも大切です。治療を実際に行っていたのは,宇垣という女性の医師です。西條の妻が不倫をしていたのは,西條が学生時代にボランティアで精子バンクに登録したことに不満をもったことがきっかけでした。どこかに夫の子がいることに耐えられなかったのでしょう。宇垣こそが,西條の実の娘であることが最後のページで明かされます。  それでは,西條の死体の一部のDNAは,なぜ恵理香と一致したのでしょうか。それは,そこで採集されたDNAは,妻の不倫相手であった男(つまり恵理香)のDNAだったのです。ということで,西條は生きていたことになります。  夏目が疑問に思っていた西條の大きな虚無は,妻の不倫,娘がその不倫相手の子であったという絶望からきたものなのでしょう。  最後に,この本を読むと,がんのことを身近に感じることができます。がんというのは,そう簡単になるものではないということが,夏目と妻との会話のところに出てきます(100頁以下)。要するに,細胞には本来寿命があって自然に死んでいくはずなのに(アポトーシス),突然変異で死ななくなってしまうというところが,がんの原因なのです。がん細胞にアポトーシス機能を付与することができればいいということです。今回のこの本で紹介された自殺遺伝子が実用されているかどうか不明ですが,夢のがん治療薬となるはずです。  アポトーシスは,そもそも人間はなぜ死ぬかということと関係していて,1年ほど前に田沼靖一『人はどうして死ぬのか-死の遺伝子の謎』(2010年,幻冬舎新書)という本を読んで勉強したことがあります(ブログで消化したかどうか忘れましたが)。きっかけは,人間とロボットとの違いから,人間はなぜ死ぬのか,という問題意識をもっていたからです。その本では,まだがん細胞とアポトーシスとをつなげる薬はできていないとなっていました。  長く紹介しましたが,素晴らしい本でした。多くの人に勧めたいです(★★★★ ただミステリーとしては,まだ改善点があるかもしれません)。

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