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2017年2月10日 (金)

フランチャイジーの労働者性

 フランチャイジーの労働者性をめぐる論点は,理論的に重要な問題を含んでいるように思います。
 拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)や昨年12月に出た拙稿「労働法のニューフロンティア?-高度ICT社会における自営的就労と労働法」季刊労働法255号(これと同じタイトルの論文を,Venezia大学のPerulli教授も書いていることを,今日,偶然知りました。"Le nuove frontieri del diritto del lavoro" in Rivista giuridica del diritto del lavoro 1/2016)でもふれたように,従属労働論でいう従属には,人的従属性と経済的従属性があり,どちらも要保護性を根拠づけますが,実定法上の労働者概念は,労働基準法9条では人的従属性(使用従属性)が判断基準に用いられています。経済的従属性は,基準としてはあまりにあいまいです。行政監督の対象とするかどうかを区別する基準には適さないのです。
 ところで労働組合法3条の労働者概念については,「使用され」という文言が使われていないことから,人的従属性ではなく,経済的従属性が判断基準となっているという解釈を示す見解もあります。しかし,労働基準法と労働組合法は,要保護性のある労働者について,一方で国家の法律により労働者保護のために契約内容に介入し,他方で労働者が自助のために団結することを助成するというように,いわば労働者の保護のやり方が違うというだけで,労働者の範囲が違うというのは,本来おかしいはずです。原則として,労働組合法3条の労働者概念は,ことの性質上明らかに違う場合を除き(たとえば失業者を含むかどうか),基本的には同一であると考えるべきなのです。
 このようにみると,新国立劇場運営財団事件,INAXメンテナンス事件(拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第138事件)などで示された個人事業主的な働き方をしている人について,最高裁が,労組法上の労働者性を認めたという結論をどう考えるのかが問題となります。最高裁は,労働者性の判断について6つの判断要素を示していますが,これは「要件」を定立したものではありません。最高裁(あるいは中労委)がどのような理論的根拠に基づいて,この6つの判断要素を示したかについてはよくわかりません。
 しかし,私は,この判断は,実質的には,準従属労働者に対して,労働法の保護を一部拡張するという立法をしたとみるべきではないかと考えています。準従属労働者は,ここでは,人的従属性はないが,特定の相手との間で継続的に契約関係にあることにより,経済的依存関係が生じている労務提供者を意味します。人的従属性がないので,労働基準法上の労働者ではなく,上記の私の考えからすると,労働組合法上の労働者でもないのですが,経済的な従属性は認められることから,立法論として,労働組合の結成による自助は認められるとする考え方はありえるので,これを最高裁は解釈でやったとみるのです。6つの判断要素のうち,「事業の遂行に不可欠な労働力として組織に組み入れられている」という第1の判断要素は,まさに継続的に労務を提供しているという状況を示すものといえるのです。
 このようにみると,労働組合法3条の労働者概念は,労働基準法9条と同一に解して,人的従属性の基準を採用すべきですが,立法論としては,準従属労働者の類型については,いくつかの保護は(従属)労働者に準じて認めてもよく,そうした保護のカテゴリーの一つが労働組合の結成や活動であり,それを最高裁は解釈でやってしまったということです。このことは,理論的には,あくまで労働組合法3条は人的従属性を基準とすべきものであり,経済的従属性を例外的に考慮してよいのは,本来の労働者ではないが,特別に保護を拡張する必要性がある場合に限られるとしなければならないのです。
 今後は,より自覚的に準従属労働者の保護をどうすべきかということを検討して行く必要があります。実務的には,最高裁がやったように,一部の保護規定については,解釈によって労働者概念を拡張するという方法もありますが,特定の保護規定のみ拡張するつもりでも,それをたとえば労働基準法9条の解釈としてやってしまえば,法的に同条9条の「労働者」と性質決定されることによって,包括的に他の保護規定も適用されてしまう恐れがあります。
 立法による対処の必要性があるのは,こうした包括的な保護のパッケージが及ぶことを避け,準従属労働者に拡張してよい保護規定を選別する必要があるからです。
 フランチャイズの話に戻ると,ではフランチャイジーは,準従属労働者のカテゴリーに入るのでしょうか。準従属労働者は,たしかに労働契約を締結してはいないのですが,労務そのものではなくても,労務の結果を取引するという面があります。この労務的側面があるがゆえに準従属「労働者」と呼ぶことができるのです。フランチャイジーは,フランチャイザーに対して労務の結果を取引しているといえるでしょうか。これは実態によるとは思います。ただ,フランチャイザーからの細かい指示が,有能な経営コンサルタントからの指示とどれほど違うのでしょうか。そこになお疑問が残るため,フランチャイジーの労働者性は,よほどの例外的な事情がなければ認められるべきではないというのが,今のところの私の暫定的結論です。
 フランチャイジーは,誰かに従属しているというのではなく,真正な自営的就労者であるとみたうえで,そこになんらかの政策的介入の可能性がないかということを考えていくべきであるというのが,『AI時代の働き方と法』(弘文堂)や「労働法のニューフロンティア?」のなかで書いたような,これからの法政策で取り組むべきことなのです。
 これはブログで書くようなネタではありませんので,研究会で改めて報告し,検討を深めたうえで,論文としてまとめることにします。

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