« 伊岡瞬『もしも俺たちが天使なら』 | トップページ | 第130回神戸労働法研究会 »

2017年2月16日 (木)

政府の残業規制案に欠けているもの

 働き方改革実現会議に出された労働時間規制の見直し案(事務局案)が話題になっています。三六協定による時間外労働についての上限規制を厳格にするという内容になっています。
 一見,結構なことのように思えますが,経営側はこれをそのまま受け入れるのでしょうかね。私が『労働時間制度改革-ホワイトカラー・エグゼンプションはなぜ必要なのか』(中央経済社)で論じたのは,労働時間規制の仕組みとして,三六協定をなくし,割増賃金の脱強行法規化(水準は労使の合意にゆだねる)をおこなうことでした。それは三六協定と割増賃金が長時間労働の抑制手段として十分に機能していないという認識によるものです。そして,それに代わって,絶対的上限を定めるというのが私の提案でした(直接規制方式)。ところが,現在の提案では,私の見落としがなければ,割増賃金については触れられておらず,三六協定を維持したうえでの,上限規制です。事務局案のタイトルも「時間外労働の上限規制について」という限定的なものです。ここが大いに問題なのです。
 この提案は確かに規制の強化であり,部分的にみれば良さそうですが,労働時間規制のあり方全体としてみるという視点が欠けています。問題の土俵をはじめに限定して,議論をそちらに誘導してしまっている感があり,これではダメです。土俵の設定の仕方そのものが大切なのです。
 三六協定に特別条項がつけば,時間外労働の上限がなくなるという現行の規制方式に問題があるということは,多くの人が指摘しています(私も指摘していました)。それじゃ特別条項の場合にも上限を設ければいいのか,というとそう単純な話ではありません。
 事務局案では,時間外労働の上限を1カ月で45時間,1年で360時間とし,それを超えれば罰則,さらに特別条項に相当する部分は,臨時的な特別の事情があれば,労使協定の締結を条件に,時間外労働の合計を年間720時間まで引き上げることを認めるというものです。そして,この上限の水準で労使の交渉が始まってしまいました。現在,限度時間の適用除外になっている業種・職種への規制も検討するという規制強化の匂いだけかがせる「目くらまし」もあります。
 労働基準法の法定労働時間は,最低基準であり,それを超えると健康に支障があるなどの重大な影響があるから罰則が定められています。三六協定による時間外労働の許容は,法定労働時間(当初は1週48時間,1日8時間,現在は1週40時間,1日8時間)では厳しすぎるので,各事業場の事情もあるだろうから,過半数代表の同意があれば,法定労働時間の超過を認めるというものです。つまり,厳格な規制に弾力性の要素を入れたものです。
 事務局案は,法定労働時間に弾力性を入れた部分(三六協定)について,今度は限度時間を超えるとやっぱり健康に支障があるから罰則を科そうということでしょう(たんに限度基準に違反したという形式犯で罰則まで科そうとするのは過剰ですから,健康という重大な法益侵害という説明が必要なのです)。そうだとすると,実は法定労働時間で罰則を科すということに疑問が出てくるのです。かりに法定労働時間を罰則を科さないとすると,三六協定の存在意義も大きく減殺されるでしょう。
 絶対的上限とは,法定労働時間と限度時間という二元的基準をやめて,一元化しようとすることでもあります。そうすることによって,いったいどこまで働かせれば法的に問題なのかを,経営者にシンプルに示し,労働者にもわかりやすくすることが大切なのです。そこに臨時的に特別な事情による例外を認めるのでは,意味がありません。しかも年間トータル720時間というのは,基準としては緩すぎるでしょう。1週あたり14時間くらいの残業はいいだろうという発想かもしれませんが,私はこの発想や感覚が,もはや働き方改革という名に値しないものだと思っています。この程度の数字で議論するのなら,別にあの場で論じるほどのものではありません。
 絶対的上限は月の時間外労働45時間,年360時間とだけしておけばよいのです。あるいは年360時間だけとして弾力性をもたせたうえで,月の上限を60時間とすることでもよいでしょう(この程度のことは経済界は受け入れるべきです)。例外は,事務局案のような労使協定と総枠規制ではなく(労使協定が時間外労働のチェックとして機能していないというのが,改革論義の出発点です),業種や職種の特殊性によるものだけに留めるべきです。非常時の対応は労働基準法33条があるので,それで十分です。
 実は業種や職種の特殊性の例外を認めるという発想は,本格的なホワイトカラー・エグゼンプションの議論とつながるのです。創造性のある仕事など,本人の裁量にゆだねてよい職種や業種などについて適用除外を認める方式を考えていくということも同時にしなければならないのです。ホワイトカラー・エグゼンプションは,日経新聞に「脱時間給」などという変てこりんな名称を与えられて,賃金の問題のように思われがちですが,これは基本的には労働時間規制の問題であることを忘れてはなりません。
 労働時間制度改革が,上限の数字をめぐる議論に集中してしまっているのは,まさに木を見て森を見ない議論であり,こういうことにならないように,働き方改革実現会議の委員が適切に議論の土俵を設定する識見が問われると思います。政治家や役所の思惑に左右されず,落としどころなどを考えず,望ましい労働時間規制は何かということについて,真に国民の利益を考え,後世の批判に耐えうる責任ある議論を戦わせてもらいたいと思います。

|

« 伊岡瞬『もしも俺たちが天使なら』 | トップページ | 第130回神戸労働法研究会 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事