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2017年2月

2017年2月28日 (火)

濱口桂一郎『EUの労働法政策』

 濱口桂一郎さんから,『EUの労働法政策』(独立行政法人労働政策研究・研修機構)をいただきました。いつもどうもありがとうございます。前著の『EU労働法の形成』の全面改訂版だそうです。EU労働法は,指令(directive)などの条文そのものは,ネットから得られるので,内容は確認はできますが,その体系的な理解というのは容易ではありません。これまでも,EU・ECの労働法について,実務的に解説している文献はありましたが,濱口さんが出てきて,この面で精力的に活動されるようになってからは,ずいぶんと状況が改善され,全体の見通しがよい正確で良質の情報が入ってくるようになりました。私たち研究者は,論文を書く必要性とも関係して,どうしても個別の国を専門としてしまい,EU法は付随的な位置づけになってしまっているのですが,実務上はEU法が重要ですし,EU指令による各国の労働法の「接近」が続くなか,EU法についての知識は欧州各国との比較法をするうえでも不可欠なものとなってきています。労働時間指令などは,各国の法制をみるのも大切ですが,EU指令をみることにより,EUの基本方針を知ることが非常に有益なのです。
 本書も,さっそく活用させてもらっています。この分野はいまや濱口さんの独壇場ですが,そろそろ後継者も必要でしょうね(どなたかいるのでしょうか)。英語だけでなく,複数の欧州言語を操る若きcomparatist に出てきてもらいたいものです。
 いただいた本はISBNがついていなかったので,市販されていないのは問題だと書こうと思って,念のためにJILPTのHPをみると,購入できそうなので安心しました。多くの人に活用してもらいたいです。

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2017年2月27日 (月)

日本経済新聞の「法トーク」に登場

 日本経済新聞の月曜の「法務」面に「法トーク」というコーナーがあるということは知りませんでした。インタビュー自体は,実は,昨年7月に受けており,当初はAI関係の特集号であったと記憶していますが,特集号にまではふくらまなかったのか,私のコメントを使いにくかったのかわかりませんが,結局,今回の単独での登場となりました。
 すでに私の具体的な提言は『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える-』(弘文堂)で書いていますので,そこを参照してください。ちょうど昨年7月は,内閣府の懇談会でのプレゼン資料を作ってから,それほど時間が経っていないくらいのころで(実際にはこれを使ったプレゼンは内閣府の会議ではせず,別の場でのプレゼンで使っていたのですが),その資料が『AI時代の働き方と法』書籍の骨格となっていますが,インタビューの時も1時間くらいAIと労働法に広い論点で話したように記憶しています。今回は,そのときおそらくとくに強調した自営業のところにフォーカスがあたっています。
 自営業者の「保護」は,『AI時代の働き方と法』や論文ではこだわって「サポート」という表現を使って区別をしていますが,新聞では一般の方向けであるし,字数の制限もあるということでしたから,あまり専門的なこだわりはせず,あえて記事の原案にあった表現を直すようには要請しませんでした。ただほんとうは「保護」と「サポート」は,区別して使いたいところではあります。「保護」は弱い労働者を前提としたもの,「サポート」は自立への支援というニュアンスを込めています。
 今後の政策議論においても,自営業者を弱い労働者に近づけて論じるのではなく,自立の実現のためにどうすればよいかという観点を中心に据えるべきであると思っています(より細かい点は『AI時代の働き方と法』の第7章,あるいは季刊労働法255号の論文「労働法のニューフロンティア?ー高度ICT社会における自営的就労と労働法」を参照してください)。

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2017年2月26日 (日)

将棋界の一番ながい日

 A級順位戦の最終局の結果は次のようになりました。
 まず名人挑戦者争いについては,羽生善治三冠が,これまでカモにしていた屋敷伸之九段に敗れて,挑戦者争いから脱落しました。佐藤康光九段(新会長)は,広瀬章人八段との熱戦を制しました。これで,広瀬八段も挑戦者争いから脱落して,稲葉陽八段の挑戦が決定しました。この稲葉八段は,森内俊之九段と千日手で指直しとなっています。森内九段は勝てば残留で,佐藤九段が降級,森内九段が敗れれば,そこで降級です。森内九段は指直し局では粘ることができず無念の投了となりました。いつかは来るかもしれないことでしたが,第18世永世名人で,2013年には竜王と名人という最強タイトルの2冠であったことを考えると,早すぎる降級になってしまいました。それにしても来年のB級1組は,今年以上にたいへんなメンバーで戦われることになりそうです。佐藤九段は,最近のNHK杯でも若手を撃破するなど調子が上がってきていて,今期はかろうじて残留となりました。
 4月からの名人戦は,佐藤天彦名人と稲葉陽八段というフレッシュな対決です。稲葉八段は,初タイトル挑戦が名人戦ということになりましたが,関西の大先輩の谷川浩司九段と同じように,A級1期で一気に名人位に駆け上がれるでしょうか。数年前のNHK杯では,天彦名人が勝っていたと思いますが,それほど対戦はしていないはずです。天彦名人としては,ベテラン相手のほうがかえって戦いやすかったかもしれません(天敵の深浦康市九段は除く)が,どうなるでしょうね。
 女流名人戦は,里見香奈女流5冠が,上田初美女流三段(数日前のブログで女流初段と書いて失礼しました)を200手に及ぶ激戦の末に下して防衛しました。最終局はお互いの執念がぶつかりました。途中で上田さんにも勝ち筋があったようですが,最後は里見さんがうまくかわして,玉を安全地帯に逃がすことができました。
 ところで先日,初の外国人の女流プロが誕生したということがテレビのニュースでも話題になっていました。これを見た人は,プロ棋士が誕生したように誤解してしまいそうな報道の仕方だった気がします。里見さんたちは女流プロではあっても,正式な意味でのプロ棋士ではありません。女流プロをプロ棋士と呼んで間違いとまでは言えませんが,まさに現在里見さんがプロ棋士を目指して三段リーグで奮闘していることからもわかるように,女流プロのトップ棋士でも,本当の意味でのプロ棋士である四段になるのは至難の業なのです。
 女流プロというのは,いわば女性枠だけのもので,将棋のレベルということから考えると,現在は男性しかいないプロ棋士のレベルと格段の違いがあります(ときどき女流が男性プロ棋士に勝つことはありますが。稲葉八段も里見さんに負けたことがあります)。
 外国人が女流プロになるということは,グローバル化という点では良い話のようですし,暗い話が多かった将棋界にとっては明るいニュースでしょうが,それだけのことです。里見さんが四段になったとき,そしていつか男女に関係なく外国人がプロ棋士になったときこそ,ほんとうの価値あるニュースとなるでしょう(日本将棋連盟が外国人に入会を認めているかどうかは勉強不足でよく知りません)。

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浦賀和宏『彼女は存在しない』

 前に読んだ『緋い猫』が少し気持ち悪かったのですが,この作家に興味を持ったので,出世作である『彼女は存在しない』(幻冬舎文庫)を読んでみました。面白かったです。多重人格者の話というのは,ミステリーとしてはちょっとずるいのですが,それでも十分に楽しめました。
 あるとき,彼氏である貴治と待ち合わせをせいていた香奈子は,「アヤコ」さんではないですかと声をかけられます。香奈子は,由子という女性から「アヤコ」と間違えられたことに違和感をおぼえます。
 亜矢子の兄である根本有希は,両親をなくし,妹と二人で住んでいますが,妹が多重人格になったことに苦しんでいます。有希の恋人の恵も,亜矢子のことを心配していました。
 そんなとき貴治が殺され,また根本兄妹の父の弟であった叔父も殺され,そして恵も惨殺されます。有希は,その犯人がすべて亜矢子であると考えています。この三つの殺人には,すべて共通の動機があったのです……。
 貴治と香奈子には,作家である共通の知人がいました。それが作家の「浦田先生」です。香奈子は,貴治の死後,浦田に対して,自分が幼少期から,父親にレイプされ続けていたという話をします。ところが,そんな香奈子に浦田先生は冷たい反応をします。
 ・・・というように話が進むのですが,浦田は身近な人を素材に小説を書く傾向にあり,香奈子は浦田の新刊に,自分が浦田に話したことがそのまま書かれていて愕然とします。
 しかし真相は違っていました。香奈子は実在していなかったのです。それはなぜでしょうか。
 グロテスクなシーンは,前の『緋い猫』にもありましたが,やっぱり気持ち悪いですが,『緋い猫』よりもミステリーぽくて面白かったです。 ★★★(この作家の本は,もう少し読んでみたいです)

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2017年2月24日 (金)

まさきとしか『完璧な母親』

   まさきとしか『完璧な母親』(幻冬舎文庫)を読みました。ちょっと角田光代っぽい出だしに思えましたが,それはともかく,途中から止まらなくなるサスペンスです。これも半身浴2時間コースですね。
 自分の不注意で6歳の男児(波琉)を溺死させてしまった知可子は,その後,ちょうど同じ誕生日に生まれた女の子を,亡くした男の子の生まれ変わりと思います。この女の子は波琉子と名付けられ,そして知可子は波琉子を死んだ兄の生まれ変わりと信じて育てます。知可子は,息子への贖罪の意識からでしょうが,波琉子には完璧な母親になろうとします。波琉子も,兄の生まれ変わりと信じるようになるのです(母親に刷り込まれる)が,どうしても事故のときの記憶がありません。
 話は変わって,母に虐待されて育てられた成彦。姉の秋絵は大事にされるのに,息子の自分は毛嫌いされて育てられました。成彦にはその理由がわかりません。その後,母は事件を起こし,父母は離婚し,姉は母に引き取れていました。それから何年か経って,婚約者ができた成彦は,自分の家族である母と姉に会いにいこうとします。そしてそこで姉から,自分は男の子の生まれ変わりなの,という話を聞きます。
 というように,まったく違った家庭で二人の女性(波琉子と秋絵)が,男の子の生まれ変わりだというのです。これが実は同じ男の子のことだったのです。
 徐々に男の子の死の真相が浮かびあがってきます。二つの家庭はもともと近所に住んでいたという接点がありました。そして,なぜ波琉子に事故の記憶がないのか,秋絵はなぜ自分を溺死した男児の生まれ変わりと思い込んだのか,成彦はなぜ母親に嫌われたのかが明らかにされていきます。
 波瑠子の母も秋絵の母もそれぞれ必死に自分の子を愛していました。しかし,それぞれどこか狂った,あるいは偏ったものだったのです。母の愛のことを,ふと命日(厳密にいえば死亡時は零時を過ぎていたので,その前日ですが)に思ってしまいました。       

    ★★★★(母の子に対する愛を素材にしたちょっと切ないミステリー)

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2017年2月23日 (木)

労働組合の役割とは?

 「働き方改革実現会議」は労使のトップがメンバーになっているので,その重要性たるや半端ではありません。その動向について,私もこのブログにしつこく書いていますが,今朝の日経新聞に掲載されていたヤマト運輸の記事と連合の会長のコメントとのギャップに考えさせられるものがありました。
 連合の会長は,日経新聞の記事によると,記者団に対して,「上限時間を罰則付きで決めることは労働基準法70年の歴史にも極めて大きな改革だ」と述べたそうです。前後の文脈がわからないので,この発言の真意はよく分かりませんが,文字どおりにとらえると,首をかしげたくなるところがあります。
 もともと労働基準法はその制定のときから,週の労働時間の上限を48時間(現在は40時間)として罰則付きで強制していたのです。個々の事業場において,労働組合(過半数代表であればということですが)は,三六協定の締結を拒否すれば,企業がそれを超える労働時間を合法的にさせることを阻止することができました。あるいは三六協定を締結して,企業が合法的に時間外労働をさせる範囲を設定することもできました。法は,労働組合の力を信用して,労働組合が自力で労働時間の範囲を限定できるようにしており,これは企業側からすると,きわめて強力な規制であったのです。
 それなのに,今回のように三六協定で締結する時間外労働の上限を罰則付きで決めてもらうということになると,自分たちでは労働者を十分に代表できない,あるいは代表できる場合でも自分たちでは十分に時間外労働の長さをコントロールできないということを正面から認めるものであって,「歴史的にも極めて大きな改革」という意味は,労働組合の歴史的敗北であるとみるのが正しいのです。
 労働組合にもっと権限を与えるべきとして,分権型規制を提唱してきた私としては,国家の規制に依存することに抵抗感を見せない日本の労働組合には,労働組合という名を付与することそれ自体にためらいを感じてしまいます。結果がよければそれでよいというのは,敗北へのプロローグです。
 結局,労働政策審議会レベルでは時間がかかるとして,トップが交渉の場に引きずり出され,そして屈辱的な条件を飲まされ,後はそれはどう屈辱的でないかを粉飾しようとしているという感じで,見事に政府の戦略にはまったような気がしてなりません。 
 これは相当きびしいコメントになっていますが,私がずっと労働組合の応援団であったことは,私のこれまで書いてきたものを見てもらうとよくおわかりかと思います。愛情からくる叱咤激励であるということをよくご理解いただければと思います(ダメ虎を叱咤激励する阪神ファンのようなものです)。もちろん,すべて分かった上での深い大人の戦略があったが上での今回の行動であるとするならば,それは私の理解不足ということでお許し頂ければと思います。
  一方,今朝のヤマト運輸の労働組合のニュースは,逆に労働組合の将来に希望を持たせるものでした。長時間労働の元凶である過重サービスの解消について労働組合が要求をし,経営陣がこれに応える姿勢を示したということのようです。人手不足のいまだからこそ,労働組合にとっては千載一遇のチャンスです。労働環境の改善は,企業にとっても受け入れやすい状況にあります。とくにサービス業においては,企業が顧客に提供するサービス内容を抑制するという姿勢がなければ,労働環境の改善につながりません。労働者の論理と消費者(生活者)の論理の対立を直視し,ようやく前者の論理を優先しようとする動きが出てきたということでもあります。こうした動きの担い手は,現場にいる労働組合がもっとも適任でしょう。
 私自身もamazonをよく利用していて,こんなに便利でいいのだろうかと不安を抱くこともありました。よく顧客が悪い(モンスター化している)ということも言われますが,どんどんサービスを向上させて,顧客のサービス意識を高めてしまった企業側にも責任があると思います。たとえば,私の最近の例でいうと,ワインをまとめて注文したとき,宅配ボックスに入れられては困るし(腰痛なので重い荷物を宅配ボックスから部屋に運ぶのが大変),また再配達になっては申し訳ないと思って,18時以降の時間指定をしていたので,必死に時間に間に合うように17時50分くらいに帰ってくると,実はその日は別の便(書籍)があって,すでに午前中に宅配ボックスに一緒に入れられていたというようなことがあったとき,思わずクレームもつけたくなります(よく来てくれる人なので,迷惑になったら可愛そうと思い,結局,クレームの電話は入れませんでしたが)。
  サービスがあれば,それを前提に行動するし,そうしたサービスがなければ,ないなりに別の方法を考えるのです(近くの酒屋に頼んでの配達という方法もあるのです)。無理なサービスは最初からやめておいてくださいというのが,消費者のニーズであり,消費者のニーズが過剰であるだけではないのです。
 背景には,もっと込み入ったビジネスの仕組み(amazonの横暴?)が影響しているのかもしれませんが,私たちは消費者でもあり労働者でもあるので,これからは労働者のほうの論理をもっと考えていきたいと思います。労働組合がその担い手になってくれるというのは,たいへん心強いです。
 そして,良いサービスにはしっかり料金の上乗せをしてもらったほうが,消費者としてもかえってそのサービスを使いやすいということになるのではないでしょうか(料金の追加があると,かえって消費者の要求がきつくなるという話もあるのですが)。

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2017年2月22日 (水)

学校法人専修大学事件

  渡辺章先生から,「労災保険法上の補償給付の基本的性格と機能―打切補償の支払いと解雇の適法性をめぐる問題に焦点をあてて―」(専修ロージャーナルNo.12 (2016年))の抜き刷りをいただきました。有名な学校法人専修大学事件(拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』の第57事件)で突然注目されるようになった,打切補償と解雇制限の解除をめぐる論点について,最終的には最高裁で妥当な結論になったものの,第1審では,悪名高い(?)伊良原判決により,渡辺先生の意見書が正面から批判されていたこともあり,ここは先生自身しっかり自説を論文として発表しておこうと思われたのでしょう。
 とくにポイントとなったのが,1976年の法改正で長期傷病者補償給付に代わって傷病補償年金が導入されたとき,労働省の「解雇制限との関係は従来のまま引き継ぐとの考え」の趣旨がどのようなものであったかです。
 長期傷病者補償は1960年の法改正で新設されたもので,療養補償を受ける労働者が療養開始から3年経過しても治らない場合に,労災保険法上の「打切補償費」(労働基準法上の打切補償に相当)に代わる,新たな保険給付として設けられたものです。このときの療養は,「療養保障給付」とは異なる「傷病給付」とされ,通常の療養とは別制度となりました。その後,1965年に,長期傷病者補償は,長期傷病保障給付に改められ,そこでの療養は「療養の給付」となりましたが,実質は「傷病給付」と変わっていませんでした(通常の療養補償給付とは別制度)。
 解雇制限との関係では,1960年以降,長期傷病者補償(その後の長期傷病補償給付)が支払われれば,労働基準法81条により打切補償をしたものとみなすという規定になりました。これは長期傷病者補償が,打切補償費に代わる制度であったことから,当然の規定でしょう。
 1976年の傷病補償年金への改正の際,重要な制度変更がありました。それは療養開始から3年を待たずに1年6カ月後に支給されること,ただし対象者は傷病等級が3級以上の重度のものに限定されたことです。そして,解雇制限との関係では,傷病補償年金の支給を受け,かつ療養開始から3年経過していれば,労働基準法81条により打切補償をしたものとみなすということになりました。文言上は労働基準法19条の解雇制限がはずれる労働者は,療養開始後3年という年数要件は同じものの,傷病補償年金の支給対象者が重度の障害のある者に限定されることになったのです。
 伊良原裁判官は,このことについて,一定の給付があれば解雇制限が解除されるという効果は,たしかに従前の規定を引き継いだものではあるが,傷病補償年金の傷病等級に至らない場合の療養保障給付についてまで,解雇制限の解除の効果が及ぶものではないという解釈を展開し(労災保険法の文言だけみれば,そうした解釈もありえそうです),さらに実質論として,傷病補償年金を受けている重度の障害がある者とそうでない者については雇用維持の必要性に大きな差があるので,後者の者について労働基準法上の打切補償によって解雇制限を解除するのは適切でないとしたのです。
 伊良原判決(それと同内容の高裁判決)を覆した最高裁判所に対して,根本到氏は「労災保険と労基法上の災害補償制度について十分な検討を行っておらず,明文の規定がない解釈論を正当化する論拠に欠けている」(法学セミナー727号「労基法19条1項の解雇制限と労災保険給付」)という批判や,中窪裕也氏の「労働者の復職の可能性を重視して,あくまで解雇制限の解除を否定するのか,それとも,みなし規定とのバランスや雇用維持による使用者の負担を考慮して,それを肯定するのか,という検討がなされるべきだったのではないだろうか」(法学教室422号「業務上疾病による休業者に関する労基法19条の解雇制限と打切補償」)という意見が出されていることもあり,渡辺先生はこれらの学説への批判も試みられました。
 渡辺先生は,1976年に傷病補償年金に改正されたとき,受給者になされる療養が,これまでの長期傷病者補償や長期傷病補償給付においては別制度であったのが,療養補償給付に一本化され,休業補償給付のみこれを行わないという規定に改められている点に注目されます(労災保険法18条2項)。このことから,「制度」論的には,労基法の打切補償の系譜を引く打切補償費と等価のものとされた労災保険法19条のみなし規定(解雇制限の解除との関係で労基法81条の打切補償があったものとみなすとする規定)との関係で,長期傷病者補償や長期傷病者給付における療養は,労基法75条の規定(療養補償の規定)によって療養を受ける場合と区別する余地があったのに対して,1976年以降は,そのような解釈の余地がなくなっていることを指摘されます。
 したがって,問題は,文言ではなく,労基法上の療養補償と労災保険法上の療養補償給付を同一視してよいかということになるとします。これは,まさに制度趣旨の問題です。そして,傷病補償年金制度をめぐる上記の歴史的な変遷をみていくと,「明文の規定のない解釈論」という批判は説得力がないことが明らかになります。制度趣旨という点からみると,労基法の療養補償と労災保険の療養補償給付が同質・同一であるということを否定する余地はまずないと思われます。
 もう一つ復職可能性の点についても,渡辺先生は,傷病補償年金の対象者を重度障害者に限定したことについて,復職可能性とは無関係であることを,立法趣旨に照らして論証しています。傷病等級の認定が,1年6カ月経過時点で,6カ月以上の期間にわたって存する障害の状態により認定するものとするという規定(労災保険法施行規則18条2項)の意味について,第3級は6カ月以上にわたって完全労働不能が続く場合をさし,したがって3級以上の傷病等級ではないということは,6カ月以内に常態としての労働不能から脱することができる(つまり復職可能性がある)という理解を示した岩永昌晃氏(民商法雑誌149巻3号「療養補償給付支給中の打切補償支払による解雇禁止解除」)を批判し,障害の程度をどのように判断するかということと復職の可能性とは別であると論じています。復職の可能性は,労契法16条の枠内で考えればよいということです。
 要するに,労働能力を完全に失っていて復職の可能性がないから,傷病補償年金に移行し,それゆえ解雇制限が解除されても仕方がないが,そうでない場合は解雇制限を解除されるべきではないというロジックは,法律を根拠なく読み込み過ぎたものであって,立法趣旨から乖離しているということなのでしょう。
 おそらく,法律を素直に読めば,傷病等級の点は,休業補償給付から傷病補償年金への移行をするのに適切かどうかということに関するものであるのに対して,労災保険法19条による打切補償のみなしは,傷病補償年金が打切補償費から引き継がれて設けられたという沿革によるものであり,両者をごちゃごちゃにして議論してはいけないというのが,渡辺先生のメッセージなのだと思います。
 「老いて」(すみません)なお迫力のある論文を書かれる渡辺先生には,心より敬意を払いたいと思います。

 *お詫びと訂正 
 上記引用の『最新重要判例200労働法(第4版)』の57事件の右段の解説の上から11行目の「支給される場合には,」のあとに,「療養開始から3年が経過していれば」という文言を補充していただければと思います。労災保険法19条を確認してもらえれば3年要件は当然のことなのですが,この文章のあとに傷病補償年金の1年半の要件に言及しているので,誤解を招く内容になっていました。お詫びとともに,訂正をお願いします。

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2017年2月21日 (火)

五十嵐貴久『リバース』

 どうもシリーズものらしいのですが,よくわからず,amazonのリコメンドにしたがって買ってしまいました。最近は幻冬舎文庫ばかりです。amazonのコンピュータに,幻冬舎文庫好きとインプットされてしまったのでしょうかね。
 この本はホラーサスペンスというジャンルでしょうか。ゆっくりお風呂で半身浴をして,ほどよく汗が出切るくらいのところで読み終えることができました。
 長野から出てきた幸子が,東京で夫が医師をやっているセレブの雨宮家の家政婦をすることになり,そこでの日常の出来事を書いた日記のような手紙を,長野でお世話になった神父に送る,という形で話を展開します。明るく優しい旦那様,綺麗で品のよい奥様,そして美しい双子の娘(梨花と結花)という,絵に描いたような幸福そうな雨宮家でした。しかし,ときが経過すると少しずつ違和感が生まれ,それが徐々に膨らんでいき,最後は恐ろしい結末につながるというものです。
 だいたいこんな筋になるだろうとは思いながらも,それでもやっぱり違うかなと思ったりして,ここがサスペンスとして巧いところなのでしょう。
 ただ実は読み終えたあと,最初はオチを正しく理解しておらず,なぜ「リバース」というタイトルだったのかなと思いながら風呂から上がったのです。そのときはのぼせていて呆けていました。でも,あとでわかりました(それで梨花はどうなったのでしょうかね)。
 リカ(結花?)が大きくなってからのことは,すでに小説になっているみたいなので,今度はお風呂ではなく,暑い夏にプールサイドで読んでみたいですね。  ★★★(一気に読めます) 

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2017年2月20日 (月)

プレミアムフライデーについて考える

 2月24日はプレミアムフライデーだそうで,午後3時に仕事を終えようということのようです。人々は休息をとり,消費活動への時間に回してもらうということでしょう。実際,企業のなかには,これに呼応して,3時終業というところにしようとするところが出てきているようです。
 まずこの2月24日という日は,少なくとも今年は,あまりよい日ではないのです。ご存じのように2月25日は国立大学の前期日程の入学試験(2次試験)がある日です。これに影響を受ける人が全国にどれぐらいいるのかわかりませんが,入試前日は大学の教職員は多忙ですし,受験生やその家族は,とても悠長に買い物などしている余裕はないでしょう。どうせなら国民全体がもっと盛り上がる日にスタートしてもらいたかったものです。国立大学関係者は2月25日は入試の日というのは常識ですが,世間ではそうではないのでしょうね。こちらは皆さんの楽しそうな週末を横目で見ているしかないようです。
 それはともかく,少し気になるのは,午後3時に終業というのはいいのですが,企業側は所定労働時間までの時間(短縮した時間)を有給にするといっている点です。これは,まさか年次有給休暇の取得を強要するということではないでしょうね。言うまでもなく,年次有給休暇の時季指定は,労働者が自由にできるものであり,計画年休協定があるような例外を除くと,この自由は不可侵です。年次有給休暇の取得を促すといったことであっても,やり方によっては違法となる可能性があります。したがって各企業は,年次有給休暇をもし使うというのであれば,過半数代表との間で計画年休協定を締結しておく必要があるでしょう。計画年休協定は,三六協定と異なって,免罰的効力にとどまらない私法上の効力をもっています(この意味がわからない方は,拙著『いまさら聞けない!?雇用社会のルール』(日本労務研究会)の282頁以下を参照)。
 どうせ年休なんてフルに活用していないのだから,多少,企業が強く取得を促す程度のことがあってもよいというのは,わからないわけではありません。実際私は,年次有給休暇の企業主導での取得を提言していますし(拙著『労働時間制度改革』(中央経済社)の200頁以下を参照),労働基準法の改正案においても,年休の一部を使用者主導で取得させることが提案されています。ただ,これはあくまで立法論であって,現段階では年次有給休暇の取得に関して企業が労働者の意思決定に介入することは許されてはいません。
 実際に耳にする話として,企業が自己の都合で,従業員を早く帰らせるようなとき,年次有給休暇の取得を求めるということがあるようです。これは,給料を減らさないようにするための配慮なのかもしれませんが,違法な取扱いです。企業の都合で従業員を早く帰らせるのであれば,それは労働基準法26条の休業手当の適用問題となり,労働者は年次有給休暇日数を減らすことなく,平均賃金の6割を企業に請求することができるのです(民法の規定を適用すれば,100%請求できる可能性もあります。前掲『いまさら聞けない!?雇用社会のルール』のTheme14「働かなくても,給料がもらえることはあるの?」を参照)。
 理由に関係なく休むときには年休でね,と求める経営者がいることを考えると,いくら年次有給休暇の取得率が低いからといって,プレミアムフライデーにその充当を促すことは望ましいことではないでしょう。まさか大企業がそんなことをやるとは考えられませんが,新聞の報道においては「有給」としか書かれていないので,これは年次有給休暇か,労働基準法26条の休業手当か,あるいは特別なプレミアムフライデー手当のようなものなのかはっきりしないので,念のために書いておきました。
 とくに月給の人は賃金を減額しないとしてくれればいいだけですが,時給の人にとっては,この点はとても重要になってくると思います。
  プレミアムフライデーは,ビジネスガイド(日本法令)の「キーワードからみた労働法」でも採りあげるつもりです(ちなみに次号のテーマは「介護離職ゼロ」です)。

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2017年2月19日 (日)

ハッシー強し

 今日のNHK杯は,王将奪取に王手を掛け,先日,A級復帰を決めたばかりの久保利明九段とハッシー八段の対局。先手の振り飛車穴熊の久保九段が,ダイヤモンド美濃のハッシーを完全に封じ込めたように思えましたが,劣勢のなか,決死の馬切りで活路を見いだし,金を犠牲にして龍と飛車を交換します。しかし攻めは,龍とと金の細いもので,一方,久保九段は1段目に飛車を打って,下段からハッシーの玉を追いつめます。久保九段完勝の流れでしたが,ハッシーが玉の逃げ道を作ると同時に攻めも睨んでいた7筋の歩突きで,ついに詰めろがかかる局面まで挽回し,そして最後は入玉もにらみながら,気づけば逆転していました。まさに大逆転ですが,劣勢のときは早指しで相手を調子づかせてミスを誘い,優勢になってからは,ハッシーの正確な指し回しが光りました。最後の大事なところで1分を残していて,万が一にもミスはしないという用意周到さも,ハッシーのプロ棋士としての能力の高さを示すものでした。前回の深浦康市九段相手にも大逆転でしたが,大物相手の連勝で,初優勝も視野に入ってきましたね。あとは昨年のように二歩はしないでくださいね。
  久保九段が昇級を決めたB級1組(ラス前)で,もう一人の昇級者の決定は,最終局に持ち越しとなりました。谷川浩司九段に勝った山崎隆之八段は8勝3敗で,次の阿久津主税八段に勝てば自力で昇級です。阿久津八段は,郷田真隆王将に勝っていれば,久保九段に次ぐ昇級候補の一番手になっていたのですが,敗れて7勝4敗となり,逆に3勝の郷田王将に残留の目が出てきました。ただ最終局で,阿久津八段が山崎八段に勝てば8勝4敗で星がならび,あとは同じ7勝4敗の豊島将之七段と糸谷哲郎八段(6勝5敗)との対局次第となります。順位の関係では,豊島七段,阿久津八段,山崎八段の順番なので,3人が8勝で並べば豊島七段の昇級となります(頭ハネ)。糸谷八段はライバルの豊島七段の昇級を阻止するでしょうが。山崎八段と豊島七段は,昇級すれば初のA級です。高い実力が評価されながら,B級1組で足踏みしている豊島七段,魅せる将棋で天才の誉れ高い山崎八段のどちらが昇級しても関西勢なので,嬉しいところです。阿久津八段も前は1期で全敗して陥落したので雪辱をねらっているところでしょう。
 ハッシーは木村一基八段に勝ち(6勝5敗),木村八段に残っていたA級復帰の可能性を絶ちました(木村八段は,7勝5敗で今期終了)。
 降級候補は,ともに3勝8敗である飯島栄治七段と郷田王将で,最終局で激突します。どちらも,負けた時点で即降級となります。飯島七段は勝っても,畠山鎮七段が勝てば降級です。畠山七段は,敗れれば即降級ですし,勝っても,郷田王将が勝っていれば降級となります。つまり郷田王将は勝てば残留,負ければ降級で,他人の対局結果に関係しない状況です。
 B級1組も,今期の最終局(3月9日)は,A級と同じくらいに盛り上がりそうです。
 タイトル戦は,佳境に入った王将戦(7番勝負)は,郷田王将が一矢を報いましたが,防衛には3連勝しなければならず厳しい状況が続いています。久保九段は王将奪回目前です。
 棋王戦(5番勝負)は,渡辺明棋王(竜王)が,千田翔太六段に勝って,1勝1敗です。勝負はこれからです。千田六段は,NHK杯でも,先週,佐藤康光九段(新会長)に敗れており,調子が下降線にあるのでしょうか。
 来週は,女流名人戦(5番勝負)の最終局もあり,里見香奈さんが女流五冠を守るかが注目されています。上田初美女流3段が2連勝し,里見さんが2連勝して星が並んでいます。ちなみに里見さんはプロ棋士(現在は女流棋士)をめざす三段リーグ(年2期)にも在籍しており,昨日まで7勝7敗です。今日も対局があります。三段リーグは上位2名が四段昇段(プロ棋士になる)で,3位の次点が2回であってもプロ棋士になれます(ただし,その場合は,順位戦のないフリークラスへの編入)。里見さんの今期の成績は厳しいですが,少しでも順位を上げておいて,次期以降の昇段の可能性を残しておいてほしいですね。三段リーグは26歳の年齢制限があり,もうすぐ25歳になる里見さんに残されているのは,時間との戦いになります(勝ち越せば29歳まで延長可)。
 そういえば,三浦弘行九段の復帰戦は,羽生善治三冠との一戦で,因縁の竜王戦の予選でしたが,羽生三冠の勝利でした。メディアでも大きく報道されましたね。

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2017年2月18日 (土)

百田尚樹『影法師』

 藤沢周平の『蝉しぐれ』もよかったですが,わりと似たような展開(江戸時代で,若いときに父を失い,苦労して出世していく話)で,この作品もよかったです。ずいぶん前に話題になった本ですが,まだ読んでいなかったと思うので読んでみました。ラストで,主人公の勘一がこれえきれず泣くシーンでは,読者も涙をこらえることは難しいでしょう。
 話は,勘一の刎頸の友,彦四郎が死んだという知らせが飛び込んできたところから始まります。彦四郎は剣の達人で,優秀で,将来を嘱望されていた好漢ですが,昔からどこか恬淡としたところがあります。そんな彦四郎が,どうして徐々に人生のレールから脱線し,不遇の晩年を送ったのか。下士の家に生まれながら,主君に見込まれて異例の出世をとげた勘一が,彦四郎の過去を振り返っていく話です。
 勘一が筆頭家老として,22年ぶりに江戸から帰藩したとき,勘一の前に島貫という男が現れました。勘一は,新田開発の手柄で藩を財政窮乏から脱却させ,その功績で出世していったのですが,当初,それを妨害していたのが,藩政を牛耳っていた滝本家でした。勘一は,自分の事業を妨害する滝本の息子を討ち,後に滝本家の不正も暴いていますが,島貫は,その当時,滝本家から江戸への道中にある勘一を討つように依頼されていた刺客でした。
 しかし勘一は島貫によって討たれませんでした。それはなぜか。勘一を藩のために役立つ存在だと見込んだ彦四郎が,自分の人生を投げ打って,勘一を影から助けていたのです。
 武士の間でも身分の違いで人生の可能性が大きく変わり,また男性でも長男とそれ以外では運命が変わる江戸時代の男たち。そんな時代の男の生き様や友情を,見事に描いた傑作です(彦四郎の家にいた下女のみねと勘一,そして彦四郎の間の恋の物語もあり,文庫版の付録でその部分も追加されていますが,この付録はなくてもよかったのではないかという気もします)。 ★★★★(心が洗われます)

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2017年2月17日 (金)

第130回神戸労働法研究会

 一人目は,大阪経済法科大学のオランゲレルさんのテーマ報告で,「中国法における『事実上の労働関係』に関する判断と問題点」でした。中国における事実上の労働関係をめぐる議論は,日本でなされているものとは異なり,主として,書面性が労働契約成立の有効要件となっている関係で,書面によらない労働契約の効力についての問題として論じられているなどがわかりました(日本の議論については,拙著『労働法実務講義(第3版)』(2015年,日本法令)の590頁以下を参照。ドイツでは,「faktisches Arbeitsverhältnis」の議論です)。
 二人目は,弁護士の千野博之さんが,ツクイほか事件・福岡地裁小倉支部判平成28年4月19日労判1140号39頁とファイザー事件・東京地判平成28年5月31日労経速2288号3頁について報告してくださいました。ファイザー事件のほうは,後日,季刊労働法に掲載してもらう予定ですので,そちらにゆだねます。
 ツクイほか事件は,介護職員に対するマタニティ・ハラスメントの存否等が問題となりました。具体的にみると,原告の労働者は,被告会社の経営する営業所のデイサービスで介護職員として働いていましたところ,妊娠したため,業務の軽減を希望しました。しかし,会社側にすぐに対応してもらえず,その間の対応に問題があったのではないかということが争われました。
  2012年8月1日に原告は上司の営業所長(女性のようです)に妊娠の報告をし,9月13日の面談の際に業務の軽減を求めました。しかし会社のほうは何も対応しなかったため,原告はその夫とともに12月3日に,より上の管理職と面談し,業務の軽減を求め,その後は実際に業務の軽減がなされています。
 9月面談の際の営業所長による原告への発言が認定されていますが,その内容は相当に酷いもので,それだけをみると,少なくとも言われたほうが萎縮するようなものであると言えそうです。もっとも,裁判所は,この発言には,原告への配慮不足はあるものの,営業所長が嫌がらせの意図をもって発言したとは認められないとしています。
 また健康配慮義務という観点からは,営業所長の発言は,「原告の勤務態度につき,真摯な姿勢とはいえず,妊娠によりできない業務があることはやむを得ないにしても,できる範囲で創意工夫する必要あるのではないかという指導をすることにあったのであり,また,従前の原告の執務態度から見てその必要性が認められること……からすれば,その目的に違法があるということはできない」としたうえで,「妊娠をした者(原告)に対する業務軽減の内容を定めようとする機会において,業務態度等における問題点を指摘し,これを改める意識があるかを強く問う姿勢に終始しており,受け手(原告)に対し,妊娠していることを理由にすることなく。従前以上に勤務に精励するよう求めているとの印象,ひいては,妊娠していることについての業務軽減等の要望をすることは許されないとの認識を与えかねないもので,相当性を欠き,また,速やかに原告のできる業務とできない業務を区分して,その業務の軽減を図るとの目的からしても,配慮不足の点を否定することはできず,全体として社会通念上許容される範囲を超えているものであって,使用者側の立場にある者として妊産婦労働者(原告)の人格権を害するものと言わざるを得ない」としました。
 そして,「原告に対する言動には違法なものがあり,これにより原告が萎縮していることをも勘案すると,指示をしてから一月を経過しても原告から何ら申告がないような場合には,被告において原告に状況を再度確認したり,医師に確認したりして原告の職場環境を整える義務を負っていたというべきである。そして,被告は,同年10月13日以降も拱手傍観し,何らの対応していないところ,被告が,原告に対して負う職場環境を整え,妊婦であった原告の健康に配慮する義務に違反したものといえる」として,営業所長の損害賠償責任を認めました。また,会社のほうの責任についても,職場環境配慮義務違反を肯定しました。
  ここでは,職場環境配慮義務,健康配慮義務,人格権などの概念が入り乱れていて,十分に理論的に整理されていない印象を受けます。業務軽減の申出に対して,会社が1カ月放置していたことまでは問題ではないが,1カ月経過した10月13日以降も放置していたことは問題であるとして,それに発言の若干の行き過ぎが「合わせ技一本」となり35万円の慰謝料となったという感じです。
 端的に発言内容からしてハラスメントの意図があって違法であったとなっていればすっきりしたのですが,そういう事案ではないということのようです。会社側は,営業所長は,原告にできる業務を具体的にあげるように求めたのに,その申告がなかったから,配慮できなかったという趣旨の主張をしています。判決は,その場合でも,営業所長のほうから面談を呼びかけるべきであったと述べていますが,この判断の適否は議論のあるところでしょう。使用者のほうがコミュニケーションをもっとしっかり取って,労働者のニーズにあった対処をすべきやったということなのかもしれませんし,それが労働基準法65条3項で権利とし認められている女性の業務軽減に対応する使用者の義務ということなのかもしれませんが,これまでの解釈からするとやや行き過ぎのような気もします。
 以前に神戸大学で行ったマタニティ・ハラスメントに関するシンポジウムにおいて,広島中央保健生活協同組合事件(最高裁判所第1小法廷判決平成26年10月23日平成24年(受)2231号。拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第134事件も参照)が,妊娠による業務軽減に伴う降格について,労働者の自由意思による同意を得て行う場合は例外的に有効とするという判旨があり,これはコミュニケーションの促進という観点からは望ましいという議論をしていましたが,これはコミュニケーションをしっかりとっていれば,労働者も納得して降格となるので人事管理上望ましいという意味であって,コミュニケーションをしっかりとらなければ,それだけでハラスメントになるとか,配慮義務違反となるとか,そういう意味ではありません。
 介護労働者の離職を防ぐのは,今日における重要な政策課題の一つであり,そのことは私も強く認識していますが,それを意識しすぎて,理論的に不十分なまま介護サービス業者に対する負担を重くすることは,副作用の方が大きいと思います。これは最近ときどきみられる世論迎合的判決の一つといえるかもしれません。
 控訴審においてもう一度理論的に整理して,妊娠中の女性に対する業務軽減に関して,本件のような対応において,どのような義務が使用者に対して課され,どのような場合にその違反となるのかについて,説得力のある判決が出ることを期待したいと思います。

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2017年2月16日 (木)

政府の残業規制案に欠けているもの

 働き方改革実現会議に出された労働時間規制の見直し案(事務局案)が話題になっています。三六協定による時間外労働についての上限規制を厳格にするという内容になっています。
 一見,結構なことのように思えますが,経営側はこれをそのまま受け入れるのでしょうかね。私が『労働時間制度改革-ホワイトカラー・エグゼンプションはなぜ必要なのか』(中央経済社)で論じたのは,労働時間規制の仕組みとして,三六協定をなくし,割増賃金の脱強行法規化(水準は労使の合意にゆだねる)をおこなうことでした。それは三六協定と割増賃金が長時間労働の抑制手段として十分に機能していないという認識によるものです。そして,それに代わって,絶対的上限を定めるというのが私の提案でした(直接規制方式)。ところが,現在の提案では,私の見落としがなければ,割増賃金については触れられておらず,三六協定を維持したうえでの,上限規制です。事務局案のタイトルも「時間外労働の上限規制について」という限定的なものです。ここが大いに問題なのです。
 この提案は確かに規制の強化であり,部分的にみれば良さそうですが,労働時間規制のあり方全体としてみるという視点が欠けています。問題の土俵をはじめに限定して,議論をそちらに誘導してしまっている感があり,これではダメです。土俵の設定の仕方そのものが大切なのです。
 三六協定に特別条項がつけば,時間外労働の上限がなくなるという現行の規制方式に問題があるということは,多くの人が指摘しています(私も指摘していました)。それじゃ特別条項の場合にも上限を設ければいいのか,というとそう単純な話ではありません。
 事務局案では,時間外労働の上限を1カ月で45時間,1年で360時間とし,それを超えれば罰則,さらに特別条項に相当する部分は,臨時的な特別の事情があれば,労使協定の締結を条件に,時間外労働の合計を年間720時間まで引き上げることを認めるというものです。そして,この上限の水準で労使の交渉が始まってしまいました。現在,限度時間の適用除外になっている業種・職種への規制も検討するという規制強化の匂いだけかがせる「目くらまし」もあります。
 労働基準法の法定労働時間は,最低基準であり,それを超えると健康に支障があるなどの重大な影響があるから罰則が定められています。三六協定による時間外労働の許容は,法定労働時間(当初は1週48時間,1日8時間,現在は1週40時間,1日8時間)では厳しすぎるので,各事業場の事情もあるだろうから,過半数代表の同意があれば,法定労働時間の超過を認めるというものです。つまり,厳格な規制に弾力性の要素を入れたものです。
 事務局案は,法定労働時間に弾力性を入れた部分(三六協定)について,今度は限度時間を超えるとやっぱり健康に支障があるから罰則を科そうということでしょう(たんに限度基準に違反したという形式犯で罰則まで科そうとするのは過剰ですから,健康という重大な法益侵害という説明が必要なのです)。そうだとすると,実は法定労働時間で罰則を科すということに疑問が出てくるのです。かりに法定労働時間を罰則を科さないとすると,三六協定の存在意義も大きく減殺されるでしょう。
 絶対的上限とは,法定労働時間と限度時間という二元的基準をやめて,一元化しようとすることでもあります。そうすることによって,いったいどこまで働かせれば法的に問題なのかを,経営者にシンプルに示し,労働者にもわかりやすくすることが大切なのです。そこに臨時的に特別な事情による例外を認めるのでは,意味がありません。しかも年間トータル720時間というのは,基準としては緩すぎるでしょう。1週あたり14時間くらいの残業はいいだろうという発想かもしれませんが,私はこの発想や感覚が,もはや働き方改革という名に値しないものだと思っています。この程度の数字で議論するのなら,別にあの場で論じるほどのものではありません。
 絶対的上限は月の時間外労働45時間,年360時間とだけしておけばよいのです。あるいは年360時間だけとして弾力性をもたせたうえで,月の上限を60時間とすることでもよいでしょう(この程度のことは経済界は受け入れるべきです)。例外は,事務局案のような労使協定と総枠規制ではなく(労使協定が時間外労働のチェックとして機能していないというのが,改革論義の出発点です),業種や職種の特殊性によるものだけに留めるべきです。非常時の対応は労働基準法33条があるので,それで十分です。
 実は業種や職種の特殊性の例外を認めるという発想は,本格的なホワイトカラー・エグゼンプションの議論とつながるのです。創造性のある仕事など,本人の裁量にゆだねてよい職種や業種などについて適用除外を認める方式を考えていくということも同時にしなければならないのです。ホワイトカラー・エグゼンプションは,日経新聞に「脱時間給」などという変てこりんな名称を与えられて,賃金の問題のように思われがちですが,これは基本的には労働時間規制の問題であることを忘れてはなりません。
 労働時間制度改革が,上限の数字をめぐる議論に集中してしまっているのは,まさに木を見て森を見ない議論であり,こういうことにならないように,働き方改革実現会議の委員が適切に議論の土俵を設定する識見が問われると思います。政治家や役所の思惑に左右されず,落としどころなどを考えず,望ましい労働時間規制は何かということについて,真に国民の利益を考え,後世の批判に耐えうる責任ある議論を戦わせてもらいたいと思います。

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2017年2月15日 (水)

伊岡瞬『もしも俺たちが天使なら』

   伊岡瞬『もしも俺たちが天使なら』(幻冬舎文庫)を読みました。前に紹介した『代償』で気になっていた著者だったので,もう1冊買ってみました。『代償』は,救いようのない悪人の話だったのですが,今回の主人公の詐欺師,谷川涼一は,ネズミ小僧的な,ちょっといい悪人で,この人が,喧嘩が強いが女にもてるヒモや元刑事(どの登場人物も,どうみても私の回りにはいそうにない人たち)と組んで,ヒモの実家のぶどう園を乗っ取ろうとした悪い詐欺師の青木に立ち向かってやっつけるというエンターテインメント小説です。
 ぶどう園を敬遠するヒモの父は,後妻をもらっていて,その女性が美人でちょっと色っぽくて,その夫が癌で死にそうになっていて,そこにぶどう園の仕事を手伝うために青木が現れるのですが,その青木は仕事ぶりは熱心で,しかも後妻に色目をまったく使わないために遺産目的ということでもなさそうで,どうみても善良な人のようなのですが,この青木が実は詐欺師集団の幹部であり,その親分と衆道の関係にあり,でも後妻には(性的ではない)愛情をもっていて,詐欺師を引退してぶどう園で静かに暮らそうとしていたといった凝った仕掛けがされています。青木は主人公ではないのですが,この小説の良いスパイスになっています。
 私のような善良で臆病な一市民は,どこかに悪人願望があって,そういう願望を適度に満たしてくれる知的なピカレスク小説は,頭のリフレッシュにぴったりですね。
 ★★★(悪漢小説をお好きな方はどうぞ)

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2017年2月14日 (火)

日本法令から3本

 年末から年始にかけて,日本法令関係で原稿をせっせと3本書いていました。一つはいつものビジネスガイドの「キーワードからみた労働法」です。今回は「インディペンデント・コントラクター」です。もう1本は,同じ号における「同一労働同一賃金ガイドライン案」の特集への寄稿です。八代尚宏先生や実務家の方と並んで,私もガイドライン案について,やや長目のコメントをしています。
 このガイドライン案については,北海道新聞にも12月20日に私のコメントが掲載されています(どういうわけか,北海道新聞は昨年からあわせて3度登場しています)。ガイドライン案は直前に見せられたので,たいしたコメントになっていませんが,そのときにとくに困ったのは,ガイドラインというのは,すでに法律があって,その規定の解釈や運用方針を明確にするために出されるものなのに,今回は法律ができる前のガイドラインなので意味不明という点でした。労働契約法20条やパート労働法8条の不合理性をクリアにするためのガイドラインということならまだしも,労働契約法20条等とは別の法律(あるいは規定)を作るということですので,ますます意味不明でした。何か法律(あるいは規定)を作るということが先にあって,あとは何とかつじつまを合わせるという感じで,これがガイドライン先行という前代未聞のことにつながっているともいえます。というような表現は,ちょっと激しすぎるので,ビジネスガイドの原稿ではもっと内容はマイルドですが,ご関心のある方はぜひ読んでみてください。
 ついでに新刊の『AI時代の働き方と法』(弘文堂)でも,同一労働同一賃金の悪口(?)を書いていますが,これについては下井隆史先生から「わが意を得たり」というコメントをいただきました。
 さらに非正社員の格差問題については,以前に派遣関係の本を書くつもりで準備いていましたが,より戦線を拡大して非正社員一般を扱う構想で執筆中です。いつ完成するかわかりませんが,それほど長い時間をかけるつもりはありません。
 日本法令関係では,もう一つ,社会保険労務士向けの雑誌であるSRの「社労士と『働き方改革』」という特集の総論的なところで,「『働き方改革』のなかで,社労士に求められている役割は何か」という論考を寄稿しています。この雑誌への寄稿はおそらく初めてだと思います(「社労士V」という雑誌には書いたことがありますが)。
 目先の働き方改革もありますが,中期的な観点からAI時代の到来を見越して,より戦略的に今後のビジネス展開を考えていくことが必要ではないか,という問題意識から,書いてみました。これは総論的なことなので,具体的な話は,この雑誌に掲載されている別の方の書かれた各論の諸論考を参考にしていただければと思います。

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2017年2月13日 (月)

労働法で人事に新風を

 1年以上前に刊行していた『労働法で人事に新風を』(商事法務)が,昨日の日経新聞の日曜版の読書欄(今を読み解く)で,早稲田大学の川本裕子教授に紹介されていて,びっくりしました。そもそも,この本が,川本先生の目に留まっていたこと自体驚きでした(たぶんお会いしことはなかったと思います)。
 この本は,「労働法」と「人事」というキーワードが,書名に入っているので,キーワードでヒットしやすいようになっていますが(それを狙ったわけではなかったのですが),あまり多くの人に読まれている本ではなさそうなので(担当編集者がすでに退職しているので,本の売れ行き情報などは入ってきません),そろそろ忘れられた本になっているのではと心配していました。そのようななか,川本先生にしっかり読んでいただいたことは,ほんとうに有り難く思っています。
 一見,軽い本のようなのですが,全部をとおして読でんもらうと(意外に早く読めると思いますよ),労働法のちょっと変わった入門書になっていることをわかっていただけると思います。個人的には自信作であり,できれば電子書籍にしてぐっと値段を下げて売り出してもらいたいですね。

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2017年2月12日 (日)

内藤了『ON猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子』

 内藤了『ON猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子』(角川ホラー文庫)を読みました。いきなり女児の惨殺シーンが出てきて,読む気が失せそうになりました。抜群の記憶をもつ猟奇犯罪捜査班の藤堂比奈子は,異常な死に方をした何人かの被害者に,共通点があることをみつけだします。犯罪者であった者が,自分がかつてやった方法で死んでいるのです。自殺か,それとも被害者の復讐か。しかし,どうもそのどちらでもありません。一方,冒頭の女児殺人は未解決のままになっています。そんなとき,比奈子の同僚の仁美が殺されます。捜査のなかで一人の男が浮かびあがってきます。その男は,母親を殺した過去があり,精神科のクリニックに通って治療をしていました。そのクリニックでは,恐ろしい研究がなされていました。人工的に脳腫瘍を起こし,脳内のスイッチをオンにすると……。複数の殺人事件が交錯するミステリーでもあります。
 こうした殺人方法が医学的に可能かどうかわかりません。この作品はドラマ化されているみたいであり(私は観ていませんが),たしかに視覚化してみたほうが面白い作品なのかもしれませんね。エグいですが。     ★★★(ちょっと甘い評価かも)

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2017年2月11日 (土)

深水黎一郎『最後のトリック』

 つい先日読んだ『美人薄命』が面白かったので,今度はこの著者の代表作と呼ばれる『最後のトリック』(河出文庫)を読んでみました。
 単行本では「ウルチモ・トルッコ」というイタリア語のタイトルだったようです。Ultimo Trucco ですね。犯人は読者である,というトリックは,最後のトリック(イコールあり得ないトリック)なのです。この難題に取りんだ作品ですが,見事なものでした。ここで本書で使われたトリックを書いたら怒られますので,読んでのお楽しみです。
 途中で,超能力の話がどう関係するのかというところが気になっていたのですが,ここは見事に結論につながっています。
 ただ,あえて言うと,読者である個々人(私も含めて)は,厳密にいえば犯人ではありません。故意犯ではないからです。解説でも書いてありましたが,動機がないのです。むしろ自殺幇助という感じです。この点で「読者が犯人」ということについては,半分割引かなければなりません。
 この部分をどうみるかによって,本書への評価は分かれるでしょうが,厳密な意味での犯人ではなくても,このトリックに果敢にチャレンジしたことについて,私は評価したいと思っています。 ★★★★(深水ファンになりそうです)

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2017年2月10日 (金)

フランチャイジーの労働者性

 フランチャイジーの労働者性をめぐる論点は,理論的に重要な問題を含んでいるように思います。
 拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)や昨年12月に出た拙稿「労働法のニューフロンティア?-高度ICT社会における自営的就労と労働法」季刊労働法255号(これと同じタイトルの論文を,Venezia大学のPerulli教授も書いていることを,今日,偶然知りました。"Le nuove frontieri del diritto del lavoro" in Rivista giuridica del diritto del lavoro 1/2016)でもふれたように,従属労働論でいう従属には,人的従属性と経済的従属性があり,どちらも要保護性を根拠づけますが,実定法上の労働者概念は,労働基準法9条では人的従属性(使用従属性)が判断基準に用いられています。経済的従属性は,基準としてはあまりにあいまいです。行政監督の対象とするかどうかを区別する基準には適さないのです。
 ところで労働組合法3条の労働者概念については,「使用され」という文言が使われていないことから,人的従属性ではなく,経済的従属性が判断基準となっているという解釈を示す見解もあります。しかし,労働基準法と労働組合法は,要保護性のある労働者について,一方で国家の法律により労働者保護のために契約内容に介入し,他方で労働者が自助のために団結することを助成するというように,いわば労働者の保護のやり方が違うというだけで,労働者の範囲が違うというのは,本来おかしいはずです。原則として,労働組合法3条の労働者概念は,ことの性質上明らかに違う場合を除き(たとえば失業者を含むかどうか),基本的には同一であると考えるべきなのです。
 このようにみると,新国立劇場運営財団事件,INAXメンテナンス事件(拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第138事件)などで示された個人事業主的な働き方をしている人について,最高裁が,労組法上の労働者性を認めたという結論をどう考えるのかが問題となります。最高裁は,労働者性の判断について6つの判断要素を示していますが,これは「要件」を定立したものではありません。最高裁(あるいは中労委)がどのような理論的根拠に基づいて,この6つの判断要素を示したかについてはよくわかりません。
 しかし,私は,この判断は,実質的には,準従属労働者に対して,労働法の保護を一部拡張するという立法をしたとみるべきではないかと考えています。準従属労働者は,ここでは,人的従属性はないが,特定の相手との間で継続的に契約関係にあることにより,経済的依存関係が生じている労務提供者を意味します。人的従属性がないので,労働基準法上の労働者ではなく,上記の私の考えからすると,労働組合法上の労働者でもないのですが,経済的な従属性は認められることから,立法論として,労働組合の結成による自助は認められるとする考え方はありえるので,これを最高裁は解釈でやったとみるのです。6つの判断要素のうち,「事業の遂行に不可欠な労働力として組織に組み入れられている」という第1の判断要素は,まさに継続的に労務を提供しているという状況を示すものといえるのです。
 このようにみると,労働組合法3条の労働者概念は,労働基準法9条と同一に解して,人的従属性の基準を採用すべきですが,立法論としては,準従属労働者の類型については,いくつかの保護は(従属)労働者に準じて認めてもよく,そうした保護のカテゴリーの一つが労働組合の結成や活動であり,それを最高裁は解釈でやってしまったということです。このことは,理論的には,あくまで労働組合法3条は人的従属性を基準とすべきものであり,経済的従属性を例外的に考慮してよいのは,本来の労働者ではないが,特別に保護を拡張する必要性がある場合に限られるとしなければならないのです。
 今後は,より自覚的に準従属労働者の保護をどうすべきかということを検討して行く必要があります。実務的には,最高裁がやったように,一部の保護規定については,解釈によって労働者概念を拡張するという方法もありますが,特定の保護規定のみ拡張するつもりでも,それをたとえば労働基準法9条の解釈としてやってしまえば,法的に同条9条の「労働者」と性質決定されることによって,包括的に他の保護規定も適用されてしまう恐れがあります。
 立法による対処の必要性があるのは,こうした包括的な保護のパッケージが及ぶことを避け,準従属労働者に拡張してよい保護規定を選別する必要があるからです。
 フランチャイズの話に戻ると,ではフランチャイジーは,準従属労働者のカテゴリーに入るのでしょうか。準従属労働者は,たしかに労働契約を締結してはいないのですが,労務そのものではなくても,労務の結果を取引するという面があります。この労務的側面があるがゆえに準従属「労働者」と呼ぶことができるのです。フランチャイジーは,フランチャイザーに対して労務の結果を取引しているといえるでしょうか。これは実態によるとは思います。ただ,フランチャイザーからの細かい指示が,有能な経営コンサルタントからの指示とどれほど違うのでしょうか。そこになお疑問が残るため,フランチャイジーの労働者性は,よほどの例外的な事情がなければ認められるべきではないというのが,今のところの私の暫定的結論です。
 フランチャイジーは,誰かに従属しているというのではなく,真正な自営的就労者であるとみたうえで,そこになんらかの政策的介入の可能性がないかということを考えていくべきであるというのが,『AI時代の働き方と法』(弘文堂)や「労働法のニューフロンティア?」のなかで書いたような,これからの法政策で取り組むべきことなのです。
 これはブログで書くようなネタではありませんので,研究会で改めて報告し,検討を深めたうえで,論文としてまとめることにします。

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2017年2月 9日 (木)

労働基準法違反の制裁について考える

 今朝の日経新聞の「大機小機」で,労働基準法違反に対する制裁を工夫せよという意見が掲載されていました。個人責任を前提とした規定が問題であるのか,刑事制裁が問題であるのか,その両方なのか,いまひとつ論旨が明確ではありませんが,その主張は,法人だけを名宛人として,しかも刑事責任ではなく,「業務改善命令といった行政処分もあれば,交通違反の反則金制度,独禁法違反や金融商品取引法違反に適用されている課徴金制度も存在する」ということで,腹鼓氏は,そうした方法を検討せよとしています。
 これは傾聴に値する見解ですが,若干の基礎的考察が必要です。
  まず,現在の労働基準法の制裁が機能していないかどうかです。殺人事件が起きたからといって,刑法の殺人罪の規定が機能していないというわけではなく,違法残業があったからといって,法定労働時間を定める労働基準法32条の刑罰規定が機能していないとは言い切れません。起訴の件数が少ないからといって,全窃盗件数のなかで,いったいどれだけのものが起訴されているのかということを考えてみれば,話は簡単ではありません。むしろ,労働基準法の刑事罰は,予防機能としては効果をもっており,それはとくに行政指導をする際に威力があるという意見もあります。司法警察権をもつ労働基準監督官だから行政監督の実効性が高まるという面があるのです。
 とはいえ,私も,労働基準法の刑罰規定がよいと考えているわけではありません。腹鼓氏のいうように,個人責任をベースとした両罰規定とするのではなく,端的に法人を行政処分の対象とすべきということも一理ありますが,そもそも制裁は何のために課すかということから考えていく必要があると思っています。そうすると,制裁には,違法に対する応報ではなく,違法の予防という観点もあるのであり,そして後者の観点から,労働基準法が遵守されるようにするためには,制裁的手法がほんとうに適切か,という問題意識も出てくるのです。
 かりに応報という点からみても,刑罰は最も重い制裁であり,それは違法行為との釣り合いがとれていないという面があります。自殺するような長時間労働をさせたことは刑罰に値するということかもしれませんが,労働基準法の構成要件は,法定労働時間を超えて,三六協定の締結・届出なしに働かせることであり,それだけで刑罰を発動できるという規定は,かなり重いものといえるでしょう。もっとも,これが刑罰になっていることの意味は,歴史的には,法定労働時間を超える労働が,労働者の健康に重大な支障があるということと関係しており,そのようにみると,長時間労働は刑事罰で制裁するにふさわしいといえそうです。
 ただ,そのように考えて,労働者の健康という点から刑事罰を維持するとしても,ほんとうに健康に重大な支障が生じるような働かせ方をした場合を構成要件とするという方向で改める必要があるかもしれません。たとえば,月の時間外労働の絶対的上限を45時間や60時間として,それを超えてはじめて刑事罰を課すということなどが考えられます。
 しかし,予防という点まで考えると,そもそも刑事罰でよいかは,なお検討の余地があります。殺人,放火,強盗,強姦などは,それをしないことは道徳的に当然であり,何か特別なプラスの意味があることではありません。しかし長時間労働をさせないことは,企業にとってプラスとなる行為であり,ここに通常の道徳や倫理と結びついている刑法犯との違いがあります。このことは,長時間労働をさせない行為は,違反行為に対する制裁ではなく,インセンティブの手法をとることによっても実現できる可能性があることを意味しています。こうした長時間労働の特徴も考慮して,どのような予防手法がいちばん企業が反応するかを議論をしていくことが必要なのです。
 これは企業倫理,刑事学,法社会学などの知見もとりいれながら研究していくべきテーマではないかと思います。

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2017年2月 8日 (水)

À la sueur de leur front

 Japon infos.comというフランス語で日本の記事を流しているサイトの記者の方からメールで取材があり,それに答えた内容が,「À la sueur de leur front」というタイトルで掲載されています。残念ながら,abonné (購読申込者)に限定なので,普通の方は,さわりの部分しか読むことができません。
 取材のきっかけは,突然来た,フランス人の記者からのメールで,そこに具体的な質問事項が書かれていました。日本語でのやりとりでもよいということでしたが,質問事項はフランス語でしてもらい,日本語で答えるというやり方にしました。そのほうが誤解が生じにくいと思ったからです。記者の問題意識は,電通問題をきっかけとした日本の労働者の過労という状況について,日本の労働時間法制がどのようなものであるかを知りたいということにありました。タイトルの「À la sueur de leur front」は「額に汗して」という意味でしょうが,もちろんポジティブなニュアンスではなく,むしろ這いつくばって土をなめながらでも働けという感じで,あの「鬼十則」をイメージさせる表現だと思います。
 私は法学的な面からの説明をすると同時に,過労は悪いことばかりではなく,仕事を覚えるために必要な面もあるという最近よくやっている説明もしておきました。
 フランス語の媒体への登場は初めてなので,良い思い出になりそうです。

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2017年2月 7日 (火)

日経新聞からもう一つ

 一昨日の日経新聞日曜版の「創論 外国人材受け入れ,機は熟したか」での経営共創基盤CEOの冨山和彦氏の意見はよかったです(この方は,よく日経新聞に出てきていますね)。冨山氏とは,昨年,厚生労働省関係の仕事で一緒になることがあり,労働・雇用政策については,ちょっと乱暴な意見を言う困った人だなと思っていたのですが,今回の外国人政策に関する内容は,すみからすみまでほぼ賛成です。
 私は移民の経験はありませんが,2年弱+1年弱の留学経験があります。移住というほどではありませんが,外国人との共生の難しさは,少しは肌で感じています。
 以前からブログで書いていることですが,人々の内心にある差別意識というのはそう簡単にはなくならないのであり(それを露骨に表面化させることが良くないのは当然ですが),たんに多文化共生がよいとかそんな綺麗ごとではなく,国益を考えて必要な人材は来てもらうことが必要なのです。ほんの数%のトップエリートを除き,真の意味での共生は難しく受け入れると社会的コンフリクトは避けられないのであり,グローバル化といった抽象的な理念だけで移民政策を進めれば子孫に禍根を残します。労働力不足の問題については冷静な戦略に基づき,代替策(機械化の推進等)のほうを優先すべきで,(とくに単純労働を)外国人に頼るのは最後の手段にすべきです。
 Trump政権の移民への対応が話題になっていますが,これは安倍首相が言うように国内問題という面もあり,日本には日本独自の,アメリカにはアメリカ独自の移民政策があるのです(ただアメリカは,国内問題とはいえ,世界への影響が大きすぎるので,その観点からなら,安倍首相はアメリカの移民政策についてもっと発言してもよいし,そうすべきなのでしょう)。
 日経新聞に戻ると,冨山氏以外にもう一人登場したのが,サントリーホールディングス社長の新浪剛史氏でした(この方も日経新聞の常連ですね)。新浪氏の意見は,多少甘いような気がしました。たとえば,技能実習制度について,「言いたいことは,手に職を持っている人材,手に職を持てるだけの技術を持っている人材,もしくは持てるようになる人材を受け入れるということだ。スキルを身につけたい人材に来てもらい,そういう人材に社会として報いていく。定義的には移民ではないと思う。研修だ。ただ,既存の制度は不十分であることは理解しているので,直すべきものは直していくべきだ。」と述べています。この理想の重要性は否定しませんが,日本にはチープレイバーを必要とする中小企業が多数あり,一方で,少しでも生活を楽にしたいと思っているアジアの人々がたくさんいて,その両者を結びつける単純労働の労働市場(ヤミ市場といってよいでしょう)があるということを考えた場合,技能実習制度は,実態にあわせてそういう制度と割り切ってしまうか,そうでなければ廃止してしまうか,しかないような気がしています。冨山氏の立場は後者のようであり,私もそのほうがよいのではないかという気がしています(牡蠣の殻むきをやる人がいなくなっても,それこそ機械化で対応すべきでしょう)。この制度において,日本人が外国人を奴隷のようにこき使っているという濫用事例があることは事実なのであり,これは現在の日本社会の最大の恥部の一つかもしれないのです。新浪氏の「直すべきは直す」というのは,どこをどう直すのかを提示しなければ説得力がないような気がします。むしろ技能実習制度のもつ途上国の人材育成や基礎技能の移転という目的は,日本企業の海外進出にともなう現地の若年者の採用の助成といった形でやっていくべきではないでしょうか(もうやっているのでしょうが)。 

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2017年2月 6日 (月)

受難の正社員

  昨日の日経新聞の中外時評で,論説副委員長の水野裕司さんが,「AI時代の働き方改革 受難の『なんでもやる』正社員」という記事を執筆しておられました。拙著の書いているようなことだなと思って読んでいると,拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)が登場してきたので驚きました。
 私が昨年から,ことあるごとに主張してきていたのが,正社員受難の時代が来るということであり,もっというとジェネラリスト型の正社員の需要が減っていき,正社員を軸とした労働法や雇用政策が転換点を迎えるということです。拙著は,まさに,そうした問題意識から新たな労働法や雇用政策の構築の必要性を説いたものです。
 日本の企業も労働者も,AI時代の到来にむけて,なんとかなるという楽観論が多いのではないか,という危機感をもっています。そのうち発表されるでしょうが,ある調査では,企業には,AIを使って何をしてよいかわからないというところも多く,これでは世界の最先端からみると周回遅れという感じでしょう。企業がこんな状況なので,労働者はもっと厳しいです。これまで,日本の労働者は,正社員にならなければ十分な教育訓練の機会が得られなかったのですが,その正社員が減っていきますし,企業も周回遅れたのところが淘汰されて新陳代謝により,新技術を中心に使って事業を営む企業が中心になってくると,それに備えた教育訓練をどこがどのようにやるかがとても重要となります。
 というようなことを,NIRAのオピニオン・ペーパーでも発表し,また拙著『AI時代の働き方と法』でも書いています。産業政策はすでに変わろうとしているので,これからは企業が変わり,労働者も意識を変え,そして政府の雇用政策・教育政策も変わる,ということが必要です。変革も,正しい方向に向かわなければ破滅的になります。拙著は,そうした時代の転換において,政策の方向性についての試論を投げかけたものです。国民がもっと危機感をもって,この問題に関心をもってもらえればと思います。
 

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2017年2月 4日 (土)

新津きよみ『夫以外』

 新津きよみ『夫以外』(実業之日本社文庫)を読みました。この作家の作品は,たしか2作目です。夫以外の男性と関わりがある女性たちを扱った短編集ですが,遺産相続,定年退職,腎臓移植,夫婦別姓,姻族関係終了届などのテーマが扱われています。  「夢の中」は,今まで夢中になったものが何もなく,夫にもとくに夢中になることもなく結婚した女性。そんなとき夫が急逝して,現れたのが,法定相続人の甥。彼女はこの甥に夢中になるのですが,あるときその甥は姿を消してしまいます。そして彼と一緒だったのは……。びっくりのラストですが,彼女は,甥に「フラれた」とき,自分に夢中になってくれた人が夫だったのだと気づくのです。  「元凶」は,定年後の夫のモラルハラスメントに苦しむ妻,訓子。夫さえいなければ,といつも考えている毎日です。そんな義母の様子を心配した訓子の次男隼人の嫁郁美は,自分の父が再婚した義母とは相性があわないが,訓子とのほうは相性が合うと感じていました。そんなとき,訓子が自転車事故で頭を打って一時的に記憶障害におちいって,夫のことも認識できなくなるという事態がおこります。郁美はかけつけて,訓子を自分の家に引き取ります。こうして訓子の夫は一人で生活し始め,隼人夫婦と訓子が一緒に暮らし始めます。郁美は,しばらくして訓子の記憶が戻っているかもしれないと感じ始めますが,あえてそのままにしておこうとします。  モラハラ夫から逃げられない妻と,その妻を救出したいと考えていた嫁の話です。  「寿命」は,最後に驚きのオチがありました。とても上手な作品ですので,読んで楽しんでみてください。妻子ある男性を好きになった母と娘の話なのですが。  「ベターハーフ」は臓器移植の話です。離婚をしたけれど,その後に良い関係になった女性が,腎移植が必要な元夫への移植について相談しにきたとき,臓器移植コーディネータの山根に,腎移植をしたあと離婚した例はありますか,という質問をしました。その女性は,男性とは結婚しないほうが良い関係を継続できると考えていましたが,配偶者間でなければ腎移植ができない,そのためにだけ結婚して,そのあと離婚できないかと考えていたのです。山根は「あります」と答えたのですが,実は山根自身がそのような経験をしていたのでした。自分の臓器のプレゼントというと,これ以上ない贈り物のようですが,実はそれがかえって相手にとって精神的な負担となってしまい関係がうまくいかなるのです。そして再婚後も,妻は夫の身体のなかに前妻の臓器があると思い続けなければならないのです。臓器移植と夫婦や男女の愛を扱った秀作でしょう。  「セカンドパートナー」は,異性の友人の話です。夫を膵臓ガンで亡くした57歳の母が,夫婦の共通の友人であった田村と結婚するいうと聞いて,娘の美砂はびっくりします。田村は妻をなくしていました。田村の家には,娘の亜由美が離婚して帰ってきていました。亜由美の離婚の原因は,夫以外で趣味を同じくする男の友人のいることを夫に理解されなかったことにありました。  「紙上の真実」は,夫婦別姓を貫いている夫婦(真弓と信矢)の話と,姑を餓死させた嫁と報道されて批判された女性の話が絡まったものです。後者は,夫が夭折したあと,夫の両親の面倒をみていたものの,夫の姉にいじめられて,最後は姻族関係終了届を出して家を出たあと,義姉の怠慢で義母が亡くなったことが,間違って報道されていたのでした。そういう話を雑誌に書いていたライターの真弓なのですが,真弓は信矢の母から「田中さん」と呼ばれています。下の名前の「真弓さん」とは呼んでもらえず,夫婦別姓を選択した真弓への当てつけのようでもあったのですが,最後にサプライズがあります。  家庭に関する法律がたっぷりでてくるので,ひょっとしたら法学部1年生の教材にできるかもしれないですが,ただ18歳には濃すぎる内容かもしれませんね。  ★★★★

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2017年2月 3日 (金)

谷川会長入院を案ずる

 もう1日,将棋の話を。谷川浩司九段が,入院という気になる記事が出ていました。病名はわかりませんし,政治家の入院のように,マスコミからの隔離のためのものかもしれません。後者ならいいのですが。静かに休んでほしいです。5日に始まる棋王戦の前夜祭が4日にあるということで,そこに登場して混乱を生むのは適切でないと考えたのかもしれません。棋王が,三浦騒動のきっかけとなった渡辺明竜王であること,挑戦者の千田翔太六段も,三浦不正疑惑の検証に駆り出されていたということもあって,これに谷川会長までそろうと,マスコミはいっそう騒ぐかもしれませんからね。それに谷川会長自身,6日に会長を辞職することになっているので,もはや会長として発言すべきではないという判断をしたことも考えられます。
 何よりも健康第一です。棋士は将棋を指すことが何よりです。谷川九段も1月26日の順位戦(B級1組)では木村一基八段に快勝して星を5勝5敗に戻し,残留を確定させています。谷川九段の症状が悪いとしても,それは会長職のような雑務をやるときだけで,将棋を指しているときには元気になれるというようなものであってくれればと願うばかりです。
 それにしても,三浦不正疑惑の採りあげられ方は少し異常です。これを日本将棋連盟の対応のまずさとして扱うのなら,まず次のような例を考えてみてください。

 A出版社が,著名なフリーライターBに月刊誌の連載記事の依頼をしていた。ところが,Bの連載記事には,一部の同業者から,この連載にネットからの盗用の疑いを指摘されていた。次号の出版時期までの時間的余裕がなかったため,A社はあわてて専門家を集めて検討したが,そこでは盗用の疑惑を払拭できなかった。そのため,やむなく次号ではBの連載記事を掲載せず別の原稿をあて,その理由も掲載し,Bの連載を3カ月間停止することとした。Bはライター人生に影響する措置だとして猛烈に抗議し,A出版社は検証のための第三者委員会を設置した。第三者委員会は盗用の疑惑は確認できなかったが,連載の3カ月間停止はやむなしとの判断を下した。そこでA出版社はBの名誉回復の措置をはかり,連載の再開も約束した。

 Bはとても気の毒ですが,だからといってA出版社の対応はどこまで非難されるべきでしょうか。いろいろな意見があるでしょうが,誰かを悪者にせよという話ならA出版社のほうになるでしょう。しかし悪者(あるいは加害者)を無理に作らなくてもいいのではないでしょうか。誰も悪くないということだってありうるのです。善(被害者)vs悪(加害者)という図式はわかりやすく面白いのでしょうが,それは当事者にとっては迷惑なことです。三浦九段だって,もっと静かな環境で将棋を指したいでしょう。
 ちなみに雇用労働者でいえば,懲戒事由の疑いがある労働者を,しばらく(懲戒ではない)出勤停止(自宅待機)にすることは,通常,有効と認められます。ただ,その場合には賃金は支払われなければなりません。ここが自営業者である棋士と違うところですね。
 プロの将棋は興行であると割り切れば,私なら,三浦九段名誉回復棋戦と銘打って,渡辺明竜王とのリベンジマッチ3番勝負なるものを企画するかもしれません。それこそ棋士を馬鹿にするなと怒られそうですが,どうせマスコミに騒がれるのなら,プロ棋士らしく将棋で決着をつけるというのは悪くないと思います。スポンサーもつくと思いますが。
 さて昨日の王将戦ですが,途中まで先手の郷田真隆王将が優勢でした。3三に成った,と金が,大移動して最終的には後手の久保利明九段の6三の飛車との交換になりました。一方,と金から逃れて2五に飛んだ桂馬は全然働いていません。先手の飛車は1六で攻撃にはまったく参加していませんが,六筋の受けに効いています。先手が101手目に3二飛を打って遠くの8二玉をにらんでいるところでは先手有利と思えました。しかし後手4二歩,先手同飛成りと飛車を4二に移動したところで,後手の2四角が飛車あたりになり少し怪しくなってきました。先手は3三歩と角あたりを止めましたが,ここから後手の猛攻が始まります。118手目に後手が6六の飛車取りに5七銀と打ったところがポイントでした。この手は詰めろ(守られなければ詰んでしまう状況)ではなく,飛車には6七金のヒモがついているので,ここは後手の攻撃の先端にいた7九銀を先手の8九金で払っておけば,先手は飛車はとられますが,後手は2四の角と飛車1枚だけしかないのでなかなか攻めきれないのではないか,と思われました。ここを受け切りさえすれば,先手は5二歩成りといった横からの確実な攻めがあります。ところが,郷田王将は,飛車を6五に逃げてしまったのです。「ヘボ将棋,玉より飛車を可愛がり」という格言もありますが,郷田王将のことですから,そういうことではなく,なにか錯覚があったのでしょう。すかさず久保九段は6六歩と打ち,勝負は決まってしまいました。ここで同飛なら3手前と同じ局面ですが,先後が入れ替わっています。一手パスと同じなのです。しかも,これは詰めろとなっています。
  これは素人にもわかるような凡ミスを終盤の肝腎なところで郷田王将ほどの人がやってしまったということです。とはいえ,119手目でどういう手をさすのかは難しいところですが,いずれにせよ飛車を見捨てて受けを固めて,確実な攻めに期待するしかなかったのでしょう。
 久保九段はこれで3連勝で,王将復位まであと1勝となりました。実は1月26日のB級1組の順位戦でもこの両者は対戦して久保九段の勝利となっています。B級1組では郷田王将は順位は1位ですが,成績は2勝8敗で現在最下位で,明暗が分かれています。それになんと次の2月5日のNHK杯でも両者は対局するのです(こちらは録画なので,すでに対局は終わっているでしょうが)。
 これまで両者の対局は郷田王将のほうがかなり分が良かったのですが,ここにきて久保九段が盛り返しています。いまちょうど郷田王将の不調と久保九段の好調がぶつかってしまって,ここで対局が集中してしまったのは,郷田王将にとっては不運ですね。王将戦はもう厳しいですが,せめて順位戦は残りを連勝して陥落は免れてほしいです。次の阿久津主税八段戦に負けて,現在3勝7敗の畠山鎮七段か飯島栄治七段のどちらかが勝てば,郷田王将のB級2組への陥落が決まってしまうのですが・・・。

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2017年2月 2日 (木)

A級順位戦第9局

 Google の最高裁判決は,AIの問題とも関係してくるので,また後日コメントをしてみようと思っていますが,個人的により大きな関心は将棋です(平和ですね)。少し前のこのブログで,「次の第9局で佐藤九段が深浦九段に勝ち,森内九段が屋敷九段に勝てば,最終局は血みどろの戦いになる可能性がありますね。このとき,もし第9局で,稲葉八段が渡辺竜王に負けて,広瀬八段が行方八段に勝っていれば,最終局は,降級にかかわる3人が,全員,挑戦にかかわる3人と対局することになり,近年まれにみるドラマティックな「将棋界のいちばん長い日」になる可能性があります。」と書いていたのですが,ほんとうにそういうことになりました。驚きです。稲葉陽八段は,渡辺明竜王と激戦でしたが,右玉戦法を採用した渡辺竜王が稲葉八段の猛攻を耐え抜き160手で勝利。負けると降級の可能性が高まる佐藤康光九段は,途中,捨て身の銀捨てなどをするなど鬼手を放ち,それでも必敗の情勢でしたが,大逆転で深浦康市九段に勝ち,最終戦に期待を残しました。こちらは179手です。27手目に指していた1五歩が最後に佐藤玉の逃げ場を作り勝ちをもたらしました。やはり端歩は受けよ,ですね。森内俊之九段は,佐藤九段の結果次第ではまだ降級の可能性があるなか,なんとゴキゲン中飛車を採用しました。私はこの単純な戦法はよく理解できていないのですが,どうも森内九段が終始有利な展開だったようで快勝し,最終戦に残留の可能性を残しました。
  広瀬章人八段は,先日のNHK杯で,永瀬拓也六段に敗れていて心配していましたが,この勝負は行方尚史八段に勝って,三浦弘行九段戦に不戦勝であった羽生善治三冠とともに,プレーオフ進出の可能性を残しました。
 稲葉八段は,最終戦で森内九段に勝てば,挑戦確定。負けると,羽生三冠と広瀬八段がともに負けないかぎりプレーオフ。逆に羽生三冠と広瀬八段は,それぞれ勝って,稲葉八段が負ければプレーオフということです。最大3人のプレーオフの可能性があります。3人のプレーオフになると順位が上の羽生三冠が有利になります。
 それで気になる相手ですが,羽生三冠は屋敷九段,広瀬八段は佐藤康光九段なのです。最終局は渡辺・行方戦以外は,すべて挑戦か降級にかかわる対局となります。屋敷九段は羽生三冠を大の苦手にしていて,たしか17連敗くらいしていたと思います(プロの世界でこれだけの連敗は普通考えられないことです)。名人経験者の森内九段と佐藤九段は,挑戦権をかける若手を相手に底力を出す可能性もあり,現時点では実は屋敷九段が降級候補の筆頭かもしれません。終わってみれば,羽生が挑戦で,森内,佐藤が残留という羽生世代の強さが目立ったということになる可能性もありそうです。最終局(将棋界のいちばん長い日)は2月25日です。
 将棋界はAIの問題などで騒がれていますが,この星取り表と激戦の人間ドラマをみているだけで,ファンは十分に楽しむことができます。

 

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2017年2月 1日 (水)

弘文堂スクエアでの連載終了

 半年以上,止まっていましたが,久しぶりに弘文堂スクエアで連載中であった「絶望と希望の労働革命」を更新しました。今回で最終回です。すでに前回の第8回を書いたときに,第9回の構想は定まっていたのですが,本の執筆のほうにエネルギーを注入していたので,こちらの更新には手が回りませんでした。ようやく本も刊行されたので(すでに1カ月以上前に私の手からは離れていましたが),連載を完結させることにしました。もう少し書き続けてみたいという欲求もあったのですが,限られたエネルギーを分散すべきではないと思い,今回で終わりにしました。
 飲み会の席でよく言っているイギリス嫌いをついにネット媒体で書いてしまったのですが,もちろん反発もあるでしょうね。植民地支配への嫌悪をいうと,日本の朝鮮半島,台湾はどうか,満州国はどうかという批判もあるでしょう。いまごろ大東亜共栄圏なんて言葉を持ち出すのはどうか,という批判もあるでしょう。それについては,私なりの考えもありますが,今回の原稿はあくまで西洋的正義の胡散臭さを批判するということがメインなので,それを中心に書いています。Trump新大統領への警戒感ということも背景にあります。歴史からみて,アングロサクソンを信用するな(たとえば,タスマニアの歴史を知ろう),その身勝手さに振り回されたくないというのが主題です。    
   二項対立の克服ということも,もう一つのテーマです。こちらのほうが,今回のエッセイのメインでもあります。Hegelにせよ,Marxにせよ,観念論,唯物論の違いはあるものの,弁証法的思考をとっています。そのダイナミズムにはひかれるものの,根源的な二項対立論に問題はないか,というような問題意識を,労使関係や人工知能vs人類というものにあてはめてみたのですが,成功しているかどうかは,読者のみなさんのご判断にゆだねることにしましょう。
 歴史という点では,定番の山川出版の日本史と世界史の教科書を横に置きながら,少し変わった本も参照しました。とくにイタリア研究仲間(大先輩)であった堺憲一さんの本『あなたが歴史と出会うとき』は,とても良い本だと思いますので,みなさんに推薦します。専門の歴史家ではなくても,歴史を自分なりに再構成していくというアプローチに引かれています。
 大学院に入り,留学も経験し,ずっと欧州かぶれであった私も,年齢を重ね,ずいぶんと前から欧州コンプレックスはなくなり,いまではむしろ日本のほうが社会システムとしてうまくいっているのではないかという意識をもっています(もちろん日本に問題がないと言っているわけではありません)。別に欧州が嫌いというわけではなく,いまでも機会があれば行きたい大好きな地域ですが,ときに盲目的に,あるいは意識的に欧州礼賛をする(後者の多くは,日本では自分の活躍の機会がないなどの満たされないもののある半エリートたちが,腹いせの日本批判のために欧州礼賛をしている)人をみると,ちょっと違うんじゃないかと言いたくなるのです。
 とはいえ,そんな国とでも,うまくやっていかなければなりません。それに欧米よりも,やはり近隣のアジアの国々とうまくやっていくことがとても大切です。日本的なreconciliation こそが,世界を変える原動力となってくれればと願わずにはいられません。
 最後に,弘文堂スクエアに,こういう乱暴なエッセイを書く機会を与えてくださった「さくらんぼ」さんと,素敵なレイアウトでネット作業を担当してくださった方に感謝です。また短い間ですが,御愛読くださった方にも感謝申し上げます。
 弘文堂関係では,いよいよ『雇用社会の25の疑問』の改訂作業が始まりますので,頑張っていきたいと思います。

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