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2017年1月20日 (金)

生活者の論理と労働者の論理

  「働き方改革」のなかで,労働時間の絶対的上限を設けることが,いよいよ「働き方改革実現会議」で検討されるという記事が今朝の日経新聞に出ていました。罰則付きの絶対的上限は必要かと思いますが,時間数や変形制の内容などがどうなるかまで見極めなければ評価は難しいですね。1日単位の上限を設定する機能をもつインターバル規制も議論してもらいたいです(過労の問題を考える際には,こちらのほうが大切です)。三六協定や割増賃金のあり方にまで踏み込めるかも注目です。それと同時にエグゼンプションの話もすべきです。たぶんエグゼンプションはやらないでしょうが,ほんとうはそこまで提言してもらわなければ,真の労働時間制度改革にはなりません。中途半端な改革論は,将来に禍根を残します。
 そもそも労働時間の規制改革は,労政審でやるはずですが,この動きをみると,実現会議で大筋を決めてしまい,その後始末(条文化という技術的作業)を労政審にやらせるということになりそうですね。これでいいのか,というのが,昨年やった有識者会議のテーマなのですが,政府はあまりそこでの提言を考慮するつもりはないのでしょうかね。もともと実現会議と労政審の関係ははっきりしていないので,政策提言は実現会議でやるというのであれば,それはそれで結構なのです。ただ,あちらこちらでいろんな会議を立ち上げて官僚を無意味に走り回らせるのはどうかと思います。働き方改革のために,役人が過労で倒れたなんてことになると,悪い冗談にもなりません。
 それはさておき長時間労働の本丸は,日本社会の過剰な「おもてなし」ではないかという議論が,日経新聞の経済教室あたりで,ぽつぽつと現れています。今朝の刈谷剛彦氏も,高学歴化で「高まったはずの人的資本が生み出す価値はどこに消えたのか。ここからは実証データを提示できない仮説に基づく議論となるが,それは価格(さらには報酬)に転嫁されない,他の先進国以上に行き届いたサービスを消費者が受け取ることで使い果たされていると考えられる。」というのは,興味深い指摘です。
 私はもっと俗に,便利すぎる社会が,労働者の論理を損なっていると言っています。カツヤマサヒコShowで,勝谷氏と意気投合したのも,まさにこのテーマです。日本人よ,もっと不便でもいいじゃないか,ということです。
 Amazonで注文した本が翌日届かなくてもいい。細かい時間指定などなくてもいい。企業は,そういう過剰なサービスをしなくていい。こういうことを言うべきなのが労働法なのです。不払い残業がなくなり,最低賃金が遵守されれば,どうしてもサービス価格は上昇します。労働者を自営業者にして労働法の規制を免れようとする偽装自営業者問題もきちんと摘発する。どの企業も労働法から逃げられないようにすれば(不正競争を許さないようにすれば),賃金は上昇し,それはサービス価格に転嫁されます。そのとき,消費者はそれだけの対価を払うのに適したサービスか考えるようになり,過剰サービスは自ずから減少していくのだと思います。それに過剰サービスはエコにも反するでしょう。低賃金・高サービスが温存されると,ITやAIなどの技術の導入も遅れてしまい,国際競争に取り残されます。
 労働時間の絶対的上限の設定は法律家としては関心がありますが,本気で日本社会をよくしようと考えるならば,国民が生活者の論理を振りかざさないことが大切なのです。労働法は,労働者の敵は企業だとみてきました。それは間違ってはいないのですが,根本的には,消費者や生活者の意識が変わらなければ,それに答えようとする企業がどうしてもでてきて(それ自体は悪いことではないのですが),企業の競争激化により労働法が危険にさらされ,長時間労働体質や低賃金体質が温存されるということになるのを知っておく必要があります。

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