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2016年12月 5日 (月)

天皇退位論に思う

 天皇退位論が話題になっています。天皇が国民に向かって直接退位について語るということにも違和感がありましたが,天皇の仕事が大変だから譲位を認めたほうがよい,天皇は摂政には反対とおっしゃっている,というようなことを,天皇のご学友なる方がマスコミでペラペラ語るのは,いかがなものかと思いますね。
 天皇の発言は,たんに仕事がたいへんだから辞めたいということではなく,高齢で健康面のこともあり,きちんと公務を遂行することが難しくなっているから,という真面目な理由からなのでしょう。ただ,そういう一見もっともらしい理由のときこそ危うさがひそんでいます。
 天皇も人間なのだから高齢になり,体力的にたいへんだというのは,よく考えると当然のこととはいえ,昭和20年8月15日より前の日本人が聞くと,びっくりするような話でしょう。そういう話ができるようになったのが,戦後憲法のよいところなのですが,そうはいえ,国民が簡単に高齢で可愛そうだから仕事から解放してあげてというようなノリで論じるようなものではないと思います(もちろん論じることそのものは重要です。天皇は国民の総意に基づくものですから[日本国憲法1条]。だから私もいま語っているのですが)。
 天皇制度をどうするかは,いまの平成天皇の個人の意向を超えた問題です。譲位ということであっても,個人としての天皇が,制度としての天皇について意見を言い,それが具体的な制度改正論に影響するとなると,後々に禍根を残すでしょう(それが憲法改正に絡むことなのか,特別法でよいのかどうかという法解釈論だけの話ではありません)。天皇制度を論じてよいのは,主権者である国民だけなのです。天皇の意向というものは,それがご本人から発せられると重い意味があり,主権者の判断をゆがめる危険があります。天皇に敬意を払わない政治家が出てきて,たとえばその意向で,天皇に譲位させるなんてことが起こらない保証はありません。
 私は天皇制度へのとくに深い思いはありませんし,存続してもしなくてもかまわないという立場ですが,象徴天皇制はうまいアイデアだと思っています。歴史的には,第2次世界大戦時に天皇制度が危機にあり,かろうじて象徴天皇制として残ったという事実があります。天皇主権ではなく,国民主権であるということが大切で,天皇から政治的な権能を奪って象徴としての機能に限定したからこそ,天皇制度は存続することができたともいえるのです。
 天皇をはじめ皇族をみると,現代的な感覚からは,きわめて不自由であり,気の毒な感じもします。皇族の生の声をきいてみたいという気持ちは国民の多くがもっているかもしれません。
 でも天皇はやはり天皇制について語ってはならないのです。天皇のご学友なるものの意見をとおして天皇の意向を紹介するマスコミは,憲法の理念に抵触する行為をしているような気がします。天皇の意向に関係なく,摂政制度(憲法5条)のあり方は皇室典範で規定できることなので,国会で議論していくべきでしょう。
 個人としての天皇のことを慮るのならば,それは天皇周辺の役人が,天皇制度のこととして問題提起すべきであったのではないでしょうか。陛下が高齢で過重労働になっているということは,想像はできたものの,今回の天皇の発言を受けて,ようやくその詳細が明らかになったという面があります。天皇の業務の過重性をタブー視して情報を出さず,そのため天皇自らが発言せざるをえなくなったことは,周辺の大きな落ち度であったと思います。
 これこそが,今回の退位論において最も反省すべきことではなかったか。皇族を単なるゴシップの対象とすることが多く,天皇制度のあり方そのものの議論はタブー視して,まじめに論じることをしてこなかったマスコミや私たち国民自身も,反省をすべきところがあると思いました。

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