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2016年12月

2016年12月31日 (土)

この1年を振り返って

 いろんなことがあった1年でした(ブログが不注意でいったん廃止されるというアクシデントもありました)。2016年は忘れられない1年になるでしょう。
 嬉しかったことは,静岡大学の本庄淳志が,労働問題図書優秀賞をとってくれたことです。労働関係の本を出す以上,受賞できるような本を書いて欲しいと思っていましたが,まさかほんとうに受賞してくれるとは思っていませんでした。選考委員の方がよくこの本の価値を理解してくれたと思います。この本には厳しい書評もありますし,改善すべきところも多々あるでしょうが,それでも,若いときに一つのテーマで必死に考えてもがき苦しむという経験をするだけでも十分に意義があるのに,それが受賞という形で他人に認めてもらえるというのは,たいへん有り難いことです。私も17年前に本庄君と同じくらいの年に賞をいただきました。やはり受賞はとても自信になりました。もちろん,受賞はときの運ということもあります。今回,惜しくも受賞を逃した業績にも,すばらしいものがたくさんありました。若い人たちが競い合って,労働法学をもりあげてくれることを祈ります。
  悲しかったことは,やはりいろんな人との別離です。人間はいつか死ぬものですし,その早い遅いがあるだけです。とはいえ,せっかく生を受けた以上,しつこく生きたほうが勝ちだとも思っています。先日,作詞家として有名で,精神科医でもある北山修氏が,テレビで「ダラダラ生きること」の効用を説いていました。潔い生き方ではなく,りりしくなくてもいい,と言われるとホッとしますね。ダラダラ生きることを肯定することこそ,「生」の意味をかみしめることなのかもしれません。
 今年刊行した『勤勉は美徳か?-幸福に働き,生きるためのヒント』(光文社新書)は,また変な本を出したと思った人も多いでしょうが,私自身,日頃,学生や周りに語っていることをそのまままとめたようなものでした。「そんなにまじめに働かなくてもいいのでは」という問いかけです。もっと自己実現にこだわろうというメッセージでもあります。それを私の専門の労働法や人事の問題に結びつけて書いたのが,この本です。前著の『君の働き方に未来はあるか?-労働法の限界と,これからの雇用社会』(光文社新書)では,より労働法的な話をしていましたが,人生について,そろそろ語りたいということもあったのです。
 これまた先日みていたテレビで,古稀を迎えた吉田拓郎が,自分のベストソングのトップに「人生を語らず」をあげていました。これは拓郎が28歳のときの作品です。司会の人は「いまは人生を語れますか」との問いに,拓郎は「語れます」と答えていました。53歳の私は「人生を語れるか」と言われると,古稀の人からみると若すぎると言われるかもしれませんが,それでも「語っていかなければならない」年齢に来ているのだろうと思っています。
 今年の1月には『労働法で人事に新風を』(商事法務)を出しました。担当編集者の方が残念ながら退職されて,ちょっと宙ぶらりんの感じですが,小説仕立ての本で,自分で言うのもなんですが,結構楽しめるし,もちろん労働法も学べる本です。若くて志の高いの女性社労士が主人公で,こんな社労士もいいよね,というメッセージでもあります。
 しかし本書の最も重要なメッセージは,経営者に労働法の重要性をわかってほしいということです。ブラック企業の問題が言われているいまこそ,役員や人事担当者に読んでほしいのですが,商事法務には,ここでもう1回,きちんと宣伝活動してほしいですね。
 4月には『最新重要判例200労働法』(弘文堂)の第4版を出しました。こちらは順調のようです。今年の終わりには『労働判例百選(第9版)』(有斐閣)も出ましたが,こちらは巨像で,私の本は蟻のようなものなので,踏みつぶされないように頑張るだけです。
  今年刊行した著書はこの3冊だけでした。論文は,季刊労働法252号に,「労働委員会制度に未来はあるか?」と「文献研究労働法学(第18回)採用・試用・採用内定(2)」を,また同誌の255号に,「労働法のニューフロンティア?高度ICT社会における自営的就労と労働法」を発表しました。
 労働委員会関係では,季労の論文以外に,2年間続いていた中央労働時報での連載が終了しました。労働委員会については,私なりの改革論を唱えているつもりです。労働委員会で実務を行っている人にどれだけ主張が届いているのか,よくわかりませんが。これは,本にまとめる予定はありませんが,連載は終了しましたが,引き続き関心をもって研究していきたいテーマです。
 今年の活動の一番の特徴は,政府やシンクタンクの研究会に多数参加したことです。厚労省の「働き方の未来2035」や労政審改革の有識者会議に加え,人工知能関係のものが多く,普通の労働法研究者がやらないような仕事に多数タッチできたことは,たいへん有り難い経験でした。しかも,WEB会議での参加が多く,体力的にもそれほど疲弊しなかったことも大きかったです。自分の人生の残り時間を逆算して「時間を大切にしたい」という気持ちが,とくに強まったのも,この1年の特徴でした。
 今年のもう一つの変化は,マスメディアへの露出です。新聞への登場は,最も多い年になったのではないでしょうか。そのほかにも,Wedgeをはじめ,雑誌にも出ました。年末にはYahooニュースに出て,そしてテレビ出演です。
 このほか,講演もいろいろやりました。とくに社労士関係では,埼玉,山口,徳島,名古屋,横浜など,いろいろなところに呼んでいただき,楽しい経験をしました。学会報告では,日本労務学会での報告もありました。
 外国では2月にイタリアのミラノで,ミラノ大学とボッコーニ大学での国際セミナーに参加し報告をしました。3月には台湾で世新大学を訪問し,台湾大学と中正大学で講演をしました。
 来年は,単著,共著を含め,もう少し本を出す予定です。肩の力をぬいてダラダラ生きながらも,ときどきピリッとするようなものを書くというような1年になればいいですね。

 最後に,この1年で最大の感動は,オリンピックで日本男子が400メートルで銀メダルをとったことでした。

 みなさん,よいお年をお迎えください。

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2016年12月30日 (金)

電通問題に思う

 電通の社長が来月辞任することになったそうです。電通では,これからの雇用社会をテーマに講演させてもらう機会があり,石井社長とも面識があっただけに,非常に残念です。電通だけが不当に厳しい扱いを受けている印象がまったくないわけではありません。東京労働局の担当者が,自殺した労働者の命日にあわせて書類送検したという趣旨のことを述べていたのも問題です。書類送検はされた側にとって大きなことです。公平性がなければ,労働行政への信頼が失われます。もし,世論の感情的な動向を意識しすぎたとするイメージを与えてしまうのは,一見,正義の味方になってよさそうですが,長い目でみれば副作用のほうが大きいでしょう。当局はそういう発言をすべきではありませんでした。本件の取扱いは,他の同種案件にはない例外的な悪質性があったからだということで通すべきだったのです。
 ただ,この電通問題は,労働基準法違反があると,経営者が刑事責任を問われる可能性があるし(実際に今回も起訴されるかどうかはわかりません),少なくとも経営トップが経営責任を問われるかもしれないということを世に知らしめた点で,重要な意義があることは確かです。これは私が日頃よく言っている話ですが,経営者は労働基準法を甘くみてはいけないのです。労基署が本気になれば,こういうことが起こりうるのです。どの程度のことで書類送検になるかの基準はよくわからないのですが,法的には,いわゆるサービス残業などは,労働基準法違反として,犯罪の構成要件に該当するので,裁判となるといつ有罪判決が下されてもおかしくありません。
 経営者は意識を変えなければなりません。労働基準法などの労働保護法規に反するような形で社員を働かせることは,労働力の不当利用であり,それは法違反であるというだけでなく,そもそも経営のあり方として間違っているということです。日本のホワイトカラーの生産性の低さが,そのことを証明しています。 
 懸念されるのは,こういうことがあると,表面的に帰社時間を早くするなどといった対応だけですまされることです。これでは,問題の解決につながりません。労働者にとって精神的な健康を一番害するのは,実は労働時間の長さではありません。労働時間の長さに加えて,人間関係などのストレス(とくに問題は上司のパワハラ)が合わさってはじめて,非常に精神的に危険な状況となるのです。職場の人間関係の改善こそが重要で,パワハラを一掃するなどの対策をとらなければならないのです。たんなる労働時間の長さだけに議論が集中してはいけません。
 しかし実は最も重要なのは,クライアント至上主義という働き方の見直しです。クライアント,消費者,生活者などの論理が,労働者の論理を上回っていることが,最も本質的な問題なのです。先日のカツヤマサヒコshow でも,このことを語ってきました(拙著『雇用がなぜ壊れたのか』(ちくま新書)も参照)。アマゾンの過剰サービスによる労働強化などもそうですが,私たち生活者は過剰に便利な生活を送ってしまっているのです。競争のなかで企業は生活者やクライアントの論理を優先し,それが労働者としての私たちを追い込んでいるのです。労働者の論理の復権がないかぎり,労働者の過労はなくなりません(霞ヶ関の役人の労働の論理より,国会議員の論理に上回っていること,学校の先生の論理より,モンスターペアレントの論理が上回っていること,等々も問題です)。
 労働者が声を上げるのは大変でしょうが,そこに行政の存在意義があります。今回の労働局の積極的な介入もこうした視点からは肯定的に評価することができます。
 もちろん,ほんとうは行政の介入などなくても,経営者が自ら意識改革しなければならないのです。労働者を過労(精神的な圧迫を含む)に追い込んでいるような企業の経営者は失格という意識をもって社内を本気で点検し,そして場合によっては,これ以上のサービスは無理ということをしっかりと発信して,消費者や生活者やクライアントの意識改革を促すことが必要なのです。
 東京オリンピック招致で日本人の「おもてなし」が有名になりましたが,これは実は危険なことです(滝クリに罪はありませんが)。過剰な「おもてなし」で,日本の労働者にストレスを生むとなると,それはやってはならないことなのです。東京オリンピックの成功にばかり目を奪われ,外国人に喜んでもらうことが国是となり,外国人に特別なおもてなしなど必要なんてないというと,非国民と言われるような風潮が起こることを私はおそれています。
 労働組合も,政府や行政が動く前に,しっかり声をあげるべきです。
 現在の過剰サービスをなくすだけで,ずいぶんと無駄な労働がなくなり,ストレスも減り,ワーク・ライフ・バランスも充実します。長い目でみれば,そのほうが日本経済にとっって良いことなのです。

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2016年12月29日 (木)

池波正太郎『真田騒動』

  1年間ずっと見ていた大河ドラマが終わり「真田ロス」というほどのことではないですが,やっぱり日曜8時は寂しくなるかも。本棚にどういうわけか,池波正太郎『真田騒動ー恩田木工ー』(新潮文庫)があったので(おそらく母が,むかし買っていたのでしょう),読んでみました。話の多くは,真田幸村の兄の伸幸(伸之)と彼が藩祖となった松代藩の騒動に関するものです。
  伸幸は,父と弟と袂を分かって徳川方につき,家康の信頼も厚かったようですが,家康没後は,警戒されていたようで,真田家の故郷の上田藩から松代藩への転封を命じられるなど,苦労がありました。
 「信濃大名記」は3部構成で,伸幸と小野お通の恋が描かれた小説です。第1部の「大坂夏の陣」は,お通の手引きで,伸幸と幸村との最後の別れが描かれます。夏の陣のあと,幸村の遺髪が,お通を通して,伸幸のところに届きます。第2部の「上田城にて」は,家康没後,真田家に厳しい目が向けられるようになる窮屈な毎日を伸幸は送っています。そんな伸幸は,私生活では,しっかり者の賢妻であった正妻の小松姫(稲)がいながら,魅力あふれる才人,お通に会いに行きたくてしかたがありません。そんな伸幸の秘めた思いは遂げられないのですが,小松姫が息を引き取るとき,「もう,京の女(かた)を,お呼びになっても構いませぬ」とささやきました(ちなみに伸幸は92歳まで生きています)。妻はすべてお見通しだったのです。第3部の「青磁の茶碗」は,小松姫亡きあと,伸幸は気兼ねなく上田に京都のお通を呼び寄せることができるようになったのですが,その申出をお通は断ります。そのようななか,国替えが命じられ,伸幸は松代に引っ越すことになります。出発の日,お通から箱が届きます。そこには8年前に幸村と語り合った日,お通が茶を点てたときの青磁の茶碗が入っていました。箱の表には「大空」という銘が,懐かしいお通の筆でしたためられていました。そして,古今集からとった「大空は恋しき人の形見かは物思ふごとに眺めらるらむ」と書かれた紙が入っていました。
 この句は,「大空は恋しい人の形見だろうか。そんなはずもないが,恋しい思いがするたびに,空を眺めてしまう」という意味で,大空と茶碗をかけて,お通は幸村と伸幸の大事な思い出の品を伸幸に贈り,自分の思いを伝えたのでしょう。
 次の「碁盤の首」は,真田家の家来の馬場主水と,その囲碁仲間であった小川治郎右衛門の二人を中心にした小説です。百姓の娘を犯した馬場主水が,信幸に役職を免じるなどの厳罰に処されたことを逆恨みして,幕府に真田家の大阪の陣での裏切り行為があったなどの事実を訴え出ました。ときの将軍の秀忠は,真田家を警戒していましたが,伸幸は隙をみせず,結局,馬場主水の訴えは認められず,幕府から追放されました。治郎右衛門はそんな主水の命乞いをして伸幸の勘気を受け,蟄居を命じられました。数年が経ち,主水はひょっこり治郎右衛門宅に現れます。囲碁の決着をつけたかったからですが,主水は治郎右衛門に斬られてしまいます。治郎右衛門の蟄居は,カムフラージュで,主水をおびき寄せるためだったの伸幸の策略だったのです。
 「錯乱」はとても面白かったです。幕府と真田家のスパイ合戦みたいな作品で最後のドンデン返しは,時代小説の枠を超えており,なるほどこれは直木賞受賞もわかるな,というものでした。これはネタバレになってしまうと面白くないので,ぜひみなさんで味わってください。
 表題作「真田騒動-恩田木工-」は,かつては豊富な財産があった真田家が,幕府からの嫌がらせのようにお金を使わされ窮乏するなか,第5代藩主の信安の信任を得た原八郎五郎が古参の家老を追いやって権力を握り,藩主とつるんで私利私欲のためただでさえ枯渇しそうな藩の金を乱費し,足軽がストライキをしたりするなどの騒動が起きました。原失脚後に後をついだ田村半右衛門も農民の反発を招くなどして松代藩は危機に陥りました。その窮地を救ったのが,次の藩主の幸弘から抜擢された恩田木工。他人にやさしく自分に厳しい誠実で克己心が強い木工の生き方が印象に残る長編小説です。
 「この父その子」は,50をすぎてようやく家督を継いだ第4代藩主の信弘の話。藩の財政は窮乏し,贅沢をしたことがない信弘に対して,あまりにも倹約してみすぼらしい生活をしている藩主を不憫に思った商人の三倉屋徳兵衛は,それまで正夫人しか女を知らない信弘に,若い芸者をあてがいます。そこで信弘は妙という芸者に夢中になり,たびたびお忍びで出かけているうちに,妙は妊娠します。さすがに藩主の子が芸者に子を産ませたことをおおっぴらにすることはできず,二人は別れます。そして,その子は徳兵衛の養子になり,七代目となります。七代目徳兵衛も自分の父が信弘で,第5代藩主の信安が兄弟であることは知らないまま,藩の財政を支えることになっていきます。
 真田信幸から幸弘までの真田物ばかりを集めた池波作品。池波正太郎の本をこれまで読んだ記憶はなかったので新鮮な発見でした。真田ロスで悲しんでいる人にお薦めかも。幸村は「信濃大名記」以外には出てきませんが,幸村が真田家を託した伸幸の子孫たちの物語を味わうことができます。          ★★★

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2016年12月28日 (水)

副業がこれほど話題になるとは?

 12月26日の日経新聞の朝刊の第1面で,「正社員の副業後押し」という見出しの記事が大きく出ていましたね。いま中小企業庁で兼業・副業に関する研究会をやっていて,私もそれに参加しているのですが,たぶんもう研究会の検討結果がどうなろうと,結論は決まっているという感じで,それだったら私がいる意味がないのでは,という気にもなってきました。最近は,やる気がなくなると,とたんに堪え性がなくなるので,自分が心配です。
 ちょうど26日の午後に,この兼業・副業に関する研究会の会合があったので,WEBで参加しました。そこで何か新聞記事について説明があるかなと思ったのですが何もなく,1時間の会議で時間が限られており,WEBだと空気が読めないこともあったので,その点について質問をするのはやめました。
 新聞記事によると,副業の後押しは3段階でやるそうです。第1段階は,就業規則レベルで副業の原則解禁,第2段階は,社会保険料負担のあり方などを示した政府指針(ガイドライン)を来年度以降につくる方向ということで,第3段階は,人材育成のあり方を改革,となっていました。
 原則解禁というのは記者が使った言葉でしょうが,解禁といっても,別に法律で禁止されているわけではないので,「解禁」という言い方は少しおかしいですね。また第3段階となると,副業とあまり関係ない気がします。
 副業と人材育成との関係は,相当に説明しなければ結びついてこないので,中小企業庁のどなたかが新聞記者に話しているのでしょうが,あまり軽々しく言わないほうがいいと思います。記者に書かせるのならしっかり書かせる,半端に書かせるのなら黙っておけ,という気がします。役所が余計なことを言って,政策の方向性がねじれていくことは困るのです。それにしても日経新聞は経産省と仲良しのようですね。
 その日の午後は,ちょうど神戸労働法研究会があり,河野尚子さんに,兼業・副業をめぐる法的問題について報告をしてもらいました。これまで労働法学からみて,副業の問題というのは,あまり面白い論点はなかったと思いますが,パラレルキャリア論とか,自営的就労とか,日本型雇用システムの変容とか,そういう広い視点でみていくと面白いですよね。私もWedgeやWorksからの取材では,そういう視点で話しましたし,『勤勉は美徳か』(光文社新書)でも,同様の視点でパラレルキャリアのことを扱っています。
 比較法的観点もふまえた,法的なしっかりした議論は河野さんの論文にゆだねることとしますが,とにかく来年は副業は今年以上にホットイシューになるかもしれません。
 研究会終了後は,恒例の忘年会でした。今年は六甲一(おそらく神戸でも有数)の中華の名店「アムアムホウ」でやりました(以前に高校時代の同窓生とも行って,このブログ[中断前のもの]でも紹介しています)。私はよく行っている店ですが,いつもと同様パーフェクトな味でした。予約はなかなかできませんが,六甲に来られたら,ぜひ足を運んでみてください。

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2016年12月25日 (日)

加藤一二三九段の強さ

 話題の加藤・藤井(聡)戦は,藤井新四段が勝って,デビュー戦を白星で飾りました。加藤一二三九段は1323勝で歴代3位(現役最多で歴代2位が羽生善治の1362勝。歴代1位は大山康晴15世永世名人の1433勝)。現役では,羽生三冠,加藤九段に続いて谷川浩司九段が1268勝で,歴代では,中原誠16世永世名人の1308勝に続いて5位です。藤井四段の1勝は,この限りなく遠い勝利数に向けた第1歩くとなるのでしょう。棋士は好調な年であっても40勝くらいが精一杯で,1000勝をするにもそれを25年間続けなければならず,そんな棋士は羽生三冠クラスくらいしか考えられません。でも,藤井四段はまだ14歳です。未来は限りなく広がっています(将棋界の行く末に懸念もありますが)。彼にできないということは誰もできません。
 この対局は加藤九段が先手で相矢倉でした。加藤九段の得意の戦法で,それに挑んだ藤井四段の志の高さはさすがです。勝負は5筋の歩を突いて後手の金が5四に引っ張り出されたあと,加藤九段が金取りに指した6三銀に,藤井四段が4三銀と切り返した手がよかったようで,その後先手は5筋の位をとりますが,先手が4六角と飛車あたりに出たのを8三飛とかわして受けたのがよかったようで,あとは6六桂の反撃から薄くなっていった加藤陣を一気に8筋の上部から攻め倒しました。
 ベテランと堂々と渡り合った藤井四段もよかったですが,逆に矢倉で果敢に攻めていって散った加藤九段のファイトも感動ものです。76歳です。持ち時間5時間の長丁場の将棋は知力,体力ともに76歳にとってはきついはずです。でもファイティングスピリットは全然衰えていませんでしたね。その姿勢は,多くのシニア層に感動を与えたのではないでしょうか(ニコニコ動画で中継をしていたので,見た人も多かったと思います)。盤面に倒れかかるようにして読みに没頭する藤井四段の前で,得意のポーズ(異様に長いネクタイをなんども締め直す仕草)をとりながら,でもあの体重できついだろう正座をしながら必死に盤面をみつめる加藤九段。バラエティなどでに出ているので軽いキャラと思われがちですが,将棋は正攻法の本格派。ちょっと変わった行動をとることで有名で,「待った」事件などプロとしてはありえないこともあるのですが,愛すべきキャラです。それにクリスチャンです。
 神武以来の天才と呼ばれた中学生棋士第1号の加藤九段も,当時の王者であった大山名人などとの間では戦績が悪く,いくつかのタイトルはとっていましたが,その後に現れた中原名人に先を越されて,加藤九段は強豪ではありますが,普通の強豪棋士という評価でした。ところが,1982年,42歳のとき,当時名人9連覇中の絶頂にあった中原誠名人(当時)との間で,将棋界の歴史に残る死闘10局を戦って初めての名人位を奪取したのです(中原名人には,8年前に挑戦してストレート負けでした)。その名人位も谷川浩司九段(当時の八段)に翌年あっさり奪われて,史上最年少名人の誕生の舞台を作ってしまったのも加藤九段でした。
  その後,中原は名人に復位し,また谷川も名人を取り返すなどしますが,加藤九段が脚光を浴びる場に出てくることは,その後ほとんどなくなりました(1984~5年の王位が最後のタイトル)。
 でも加藤九段の世代,あるいはそれより若い世代(中原名人は引退,大山名人や米長邦男は死去)も次々といなくなるなか,なお現役最高齢として活躍し,歴代3位の勝ち星数を誇る加藤九段に真の強さをみたファンも多かったのではないでしょうか。ソフトとの対戦にないこの面白さがあるかぎり,将棋ファンはプロ棋士についていくでしょう。

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2016年12月24日 (土)

伊坂幸太郎『首折り男のための協奏曲』

 伊坂幸太郎『首折り男のための協奏曲』(新潮文庫)を読みました。7つの短編からなるのですが,それぞれが「協奏曲」のようにつながっているようなのですが。
 時間のズレというのが本書のなかでいろんなところで出てきます(以下,ネタバレ少々あり)。
 「月曜から逃げろ」は,カメラの逆回しの技術を使って,気に入らないテレビ番組の制作担当者を嵌めるという話です。でも,この小説の構成自体も逆回しになっているという仕掛けです。
 その登場人物の黒澤は空き巣を本業としていますが,探偵もやっていて,「僕の舟」では,ある老女から50年前の銀座で出会い少しだけデートした男の調査を依頼されました。そしてその男の正体は実は,いま死の床に伏せている夫だったという話です。結婚とは,男女が同じ舟に乗るようなもの,というセリフが印象的です。もし別の舟に乗っていたらどうなるのだろうと,年を取ると振り返るのですが,やっぱり誰と乗るかは運命で決まっているのかも,という話です。
 冒頭の小説は,「首折り男の周辺」。これも感想を書きにくい小説です。「僕の舟」に出てくる夫婦が登場する「疑う夫婦」,それに「間違われた男」と「いじめられている少年」の三つの筋が進んでいて,とんでもない殺人鬼がいい奴だったり,殺人鬼に見間違われた男が,殺人鬼のいい奴ぶりが伝染したり,幽霊はいない発言をきっかけにいじめられている中学生を助けたのは,殺人鬼に似ていた男だったけれど,実はその殺人鬼が自分を助けてくれていたときにはすでに死んでいたことを知った中学生は幽霊の存在を信じたり……という話です。
 「濡れ衣の話」は,交通事故で息子を失った丸岡という男が,偶然,加害者である女性に出会い,その加害者を殺してしまいます。丸岡はその後に警官に出会って,なぜ殺してしまったのかについて語るのですが,その警官は実は首折り男で,15年先の世界からやってきたのでした。首折り男は自分が罪を背負ってやると言ってくれました。丸岡が警察につかまらなければ,当時孤独だった少年時代の首折り男と出会ってキャッチボールをしていたはずで,そうすると,少年は首折り男にならなかったかもしれず,しかしそうすると丸岡の罪を背負ってくれる首折り男もいないので,そうすると丸岡は警察に捕まってやはり少年のときの首折り男に会えない,といったことになるのです。殺人は偶然か,それでも必然的な因果か。
 「人間らしく」は,黒澤の知人でクワガタのブリーダーをしている窪田という男の話です。この小説のなかで印象的なのは,クワガタの運命を握っている窪田のもらすセリフです。「神様はいつもこっちを見ているわけではない。その点はがっかりきますけれど,ただ,見ているときには,ルールを適用してくれるんです。ルール違反があれば,不公平や理不尽な偏りがあれば,それを直してくれる」。窪田は神様と人間の関係は,自分とクワガタと同じようなものだというのです。人間の運なんて,神様がときどき自分の辛い状況を見てくれるかどうかにかかっているものです。でも神は見てくれさえすれば,辛い自分を助けてくれるのです。
 「相談役の話」は,ホラー小説ですので,読んでお楽しみを。
 最後の「合コンの話」は,ちょっと凝った構成になっています。最初に「物語のあらすじ」があって,「肉付けをしたあらすじ」があって,さらにもう少し詳しい「肉付けしたあらすじ(氏名は省略し,性別+アルファベットとする)」があって,そこから物語が始まります。男女6人の合コンですが,いろんなことが起こり,途中で首折り男が出てきたりするのですが,結局,何も世界は変わらないのです。合コンの参加者に関して,ちょっとしたオチがあるのですが,それを劇的なオチとせずに,最後の「自明だ」で終わるところが,よいオチであったと思いました。
 この著者の本の登場人物のセリフには好きなものとそうでないものとがあるのですが,この本ではメモにとっておきたいようなセリフがいくつも出てきました。  ★★★(だんだん伊坂ワールドにはまってきたかも)

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2016年12月23日 (金)

谷川光速の寄せ炸裂

 順位戦B級1組で,谷川浩司九段は郷田真隆王将,糸谷哲郎八段に勝ったとはいえ,まだ安心できない3勝5敗という星勘定のなか,昨日は,強敵の豊島将之七段との対戦でした。過去の対戦成績は1勝7敗で勝負になっていません。順位戦でも昨年敗れています。今年も豊島七段は好調で,JT杯(日本シリーズ)では,渡辺明竜王や佐藤天彦名人に勝って優勝しています。ということで豊島勝ちと誰もが予想していたでしょうが,なんと谷川九段の快勝でした。私も指すような序盤の展開後,豊島七段が角を打って馬をつくり,谷川陣の飛車を追いますが,タダでとれる6三銀打ちあたりから谷川九段の猛攻が始まり,最後は1一に華麗に龍を捨てて豊島七段を投了に追い込みました。これで4勝5敗となり,残留の可能性が見えてきました。まだ3戦ありますので,油断はできませんが。
 豊島七段は敗れて5勝4敗となり,A級昇級候補1番手だったのですが,残念ながらほぼ脱落ですね。どうも豊島七段は,ここというときに勝てないですね。
 トップを走っていた久保利明九段は,糸谷八段との壮絶な戦いの末に敗れて,6勝3敗。糸谷八段は5勝4敗。トップを併走していた山崎隆之八段は松尾歩八段に勝って7勝2敗で単独トップに。松尾八段は5勝5敗。阿久津主税八段は飯島栄治七段に勝って6勝3敗。飯島七段は3勝6敗。木村一基八段は畠山鎮七段に勝って7勝3敗。畠山七段は3勝7敗。
今回ハッシーは休み。竜王戦を戦っている丸山忠久九段と郷田王将の対局は後日です。丸山八段と郷田王将は現在最下位を争っていて,負けると降級の可能性が広がる重要な一戦となっています。
 それにしても今期のB級1組は,永世名人の谷川九段,元名人で竜王戦挑戦者にもなった丸山九段,現役の王将の郷田九段,その王将戦の挑戦者である久保九段,王位戦の挑戦者だった木村八段,王座戦の挑戦者だった糸谷八段,それに初代叡王の山崎八段,JT杯優勝者の豊島七段と,タイトルホルダーやタイトル挑戦者がそろっていて,これに天彦名人,渡辺竜王,羽生善治三冠を入れると,今年の最強リーグとなりそうなメンバーです。まさにA級以上がそろっていています。谷川九段も著書で,A級とB級1組とでは実力的には変わらないという趣旨のことを言っておられたと思います。
 昇級候補は,山崎八段,久保九段,木村八段,それに阿久津八段にも可能性が出てきました。山崎八段は念願のA級昇級となりますでしょうか。残りの3人はA級復帰がかかっています。
 ところで丸山九段が戦っていた竜王戦も昨日終わり,渡辺竜王の防衛となりました。最終局までもつれこんで丸山九段にとって大チャンスが到来したのですが,渡辺竜王が最後は貫禄をみせました。後手の丸山九段は棒銀で9筋を突破し,龍も馬もできて渡辺玉に迫っていきましたが,渡辺竜王の頑強な受けの前に次第に形勢は逆転し,最後は渡辺竜王が攻め勝ちました。終わってみれば渡辺竜王の圧勝でしたね。
 三浦問題でケチがついてしまった竜王戦ですが,結果としてかなり盛り上がったのではないでしょうか。
 その竜王戦は第29期が終わり,すでに第30期のトーナメントが始まっています。その6組に明日,最年少でプロになった藤井聡太新四段が,それまでの最年少記録をもっていた加藤一二三九段と対戦します(そのように対戦を仕組んだかのような偶然ですね)。14歳の中学生プロは,加藤九段以外に,谷川九段,羽生三冠,渡辺竜王しかこれまでいません。藤井四段にも輝かしい未来が約束されているようですが,まずは初戦,どんな勝負となりましょうか。普通は若いほうが勝つのですが,加藤九段のベテランの意地が出るでしょうか。

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2016年12月20日 (火)

真田丸最終回

 今年のNHKの大河ドラマの「真田丸」は,50回すべて見ました。すべてみたのは,2年前の「軍師官兵衛」に続いてです。歴史を楽しむというより,真田幸村を素材とした三谷幸喜さんの創作を楽しんだという感じですが,俳優の熱演が光りましたね。主演の堺雅人は当然ですが,ときにはそれを上回る存在感をみせた俳優陣も良かったです。真田昌幸を演じた草刈正雄,家康を演じた内野聖陽,秀吉を演じた小日向文世,石田三成を演じた山本耕史はさすがの名演です。北条氏政を怪演した高嶋政伸,いつも涙目の上杉景勝を演じた遠藤憲一,稲(小松姫)を演じた吉田羊も良かったです。
 何と言っても,50回のほぼすべてに登場する俳優は,三谷監督の厳選によるものだったのでしょう。幸村の兄,真田伸幸を演じた大泉洋は,三谷監督のお気に入りなのでしょうね。映画「清須会議」では秀吉を演じていました。きりの長澤まさみも,このような半端な役をよく引き受けたと思います。佐助の藤井隆も,いい味を出していました。
 後半話題になったのは大蔵卿を演じる峯村リエでしょう。この女優のことをこれまで知りませんでしたが,豊臣家を滅亡に導く張本人という位置づけで,嫌われ者役をうまく演じていました。秀頼役の中川大志も,母の淀と幸村の間で苦悩する役を熱演していました。これに比べ半端であったのは淀の竹内結子で,いつまで経っても老けていかない不自然さはちょっとどうかと思いましたね。
  真田家は,父と次男が豊臣に,兄は徳川にと別れ,どちらが勝っても一族の家は守るという戦略をとりました。どっちがどうなっても,勝った方は,負けた方を助命するという戦略でした。関ヶ原では,昌幸と幸村は秀忠の大軍を足止めにして,小早川の裏切りがなければ,最大の功労者になったかもしれませんでした。現実には,東軍の勝利で,伸幸の助命嘆願により,昌幸と幸村は九度山に送られるものの,かろうじて生き延び,それが大阪冬の陣の真田丸につながるのです。
 戦場での戦略もすごかったですが,真田家の生き延びる戦略もすごかったですね。真田家は,家康の死後,松代藩に転封されますが,そのまま幕末を迎えます。華々しく散った幸村ですが,家を守ってくれる堅実な兄がいたからこその人生だったのでしょう。最終回で家康が幸村に,これからいくさのない時代がくるので,お前の生きるところはないと言うのに対して,幸村は,そんなことは関係ない,という趣旨のやりとりがありました(正確なセリフは忘れましたが)。幸村の死とともに,戦国時代の真の終わりを迎えたのでしょうね。
 こういう男の生き方(表現が古いか?)というものを考えさせてくれるドラマは,やはりいいです。1年間楽しませてくれてありがとうございました。

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2016年12月19日 (月)

橋本崇載『棋士の一分』

 橋本崇載(ハッシー)の本が刊行されました。『棋士の一分-将棋界が変わるには』(角川新書)です。将棋ファン以外には,あまり興味がもてそうにない本ですが,将棋ファンにとっても,ちょっと複雑な気分のする本です。
 ある意味では告発本です。日本将棋連盟の前会長の米長邦雄(2012年に死去)は将棋のみならず,会長としての豪腕ぶりも有名でした(どうでもいいですが,米長の悪行を次々と告発した桐谷広人七段(すでに棋士は引退)は,バラエティでは投資家としてよく出ていますね)。ハッシーによると,コンピュータとプロとの対戦という悪い先例を作ったのは米長氏だということです。本書には,米長が私利私欲のために将棋界を間違った方向に誘導したという怒りに満ちています。そして怒りの矛先は,さらに米長の暴走をとめられず,現在はその後継者となった谷川浩司九段が率いる現在の日本将棋連盟にも向けられます。さらに理事選に出て落選してしまったことから,自分を落選させた棋士たちにも怒りの矛先が向いているように思います。
 ハッシーは,なぜコンピュータとプロ棋士が対戦することに反対しているのでしょうか。
彼はプロ棋士の仕事を,有限の手しかない将棋において,それが無限であるかのように,新たな手を模索しながら対局していく姿勢をみせていくことにあると考えているようです。これはファンがプロ棋士に期待していることと同じでしょう。
 ハッシーおよび将棋界がいま抱えている問題は,AI時代における雇用代替の問題の一つとみることもできます。プロ棋士としては,コンピュータソフトのほうが強いとは口が裂けても認めたくないのでしょうが,でも実際は強いのです。最強者の決定ということになると,プロ棋士の仕事はなくなってしまいます。そういう時代において,プロ棋士はプロとしてどうして食べていくのかが問われているのです。そのことをまだ33歳の彼が一所懸命に考えているのが,私個人としては興味深いところです。まじめに自分の職業を愛し,でも周りには,自分たちの職業への愛の足りない先輩,同輩,後輩がいて,それにもどかしさを感じ,もっと智恵を絞って自分たちの生き方を考えようという若者の必死の叫びが伝わってきます。これは将棋の話ではありません。日本で有数の頭脳集団の仕事が危機に瀕していることは,その他の知的労働も危ないのです。将棋はゲームだから違うと思っていると,たいへんなことになりますよ。
 この本ではスポンサーである新聞社に対する気兼ねが出てきますが,実はプロ棋士が食べていけるのはファンがいるからです。ハッシーがファン投票による棋戦などという提案をしているのも,その視点でしょう。ハッシーは批判的ですが,評価点などが盤面に出てくるのも実は悪くありません。たとえばNHK杯で解説のプロ棋士が形勢を語るのは,局面ごとのプロの評価点を聞きたいというファン心理に応えているのです。評価点を出されるのは一手一手に成績をつけられているようでプロ棋士としては辛いでしょうし,ハッシーも評価点には批判的ですが,プロはそれに耐えるべきです。むしろ現在のファンは,なぜ評価点が高い手をプロは指さないのか,指せないのかというプロがミスをするところが興味深いのです。
 昨日のNHK杯で,佐藤和俊六段が,羽生善治三冠に勝ちました。佐藤六段は順位戦は最も低いC級2組(そのなかの21位)の棋士です。相撲でいえば,横綱対序の口くらいの格差があります(ちょっと言い過ぎか?)。もっとも佐藤六段も竜王戦は2組にいるので,横綱対十両くらいと言ってもいいかもしれません。その佐藤六段が,三間飛車というアマチュアでも普通にやる戦法を使って,羽生三冠に勝ったのです。ポーカーフェイスの佐藤六段が,途中で馬を二枚捨てるなど,大駒をすべて相手に渡しながら,まさに決死の攻撃をし,羽生三冠が苦渋に満ちた表情を出して考え込んでいるところに,まさに人間ドラマがありました。これはコンピュータ将棋にはみられないものです。あとでネットでみると,コンピュータの評価点では,羽生三冠は後半で悪手を指したということを指摘していますが,テレビ解説の戸部誠七段は悪手がどこにあったかわからないと語っていました。稀代の大棋士でも時間に追われて,苦しむなかで,実はコンピュータによると優勢な将棋であったのに悪手を指して負けることがあるというドラマをみてファンは喜ぶのです。そして佐藤六段の勝利に深い感動を覚えたファンは多かったと思います。久しぶりに良いものをみせてもらいました。
  ハッシーの日本将棋連盟批判は強烈です。でもこれを理由に処分などをすべきではありません。組織に対する建設的な批判は,組織のためにも必要なことです。実は,前にプロ棋士は労働者かどうか不明と書いていましたが,本書でプロ棋士は個人自営業者であることがわかりました。自営業者の組織なので,実態が雇用関係にあると評価できないかぎり,労働法の法理は適用されず,懲戒処分の制限法理などをあてはまることはできませんが,まさに連盟の良心として,そのようなことはしてほしくありませんね。

 将棋ファンの私としては★★★★(将棋ファン以外の人には★★くらいでしょうか)。

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2016年12月18日 (日)

カツヤマサヒコShow登場

 昨日オンエアされました。トークショーですが,ほとんど私が話していましたね。勝谷さんはもうちょっと話されていたと思いますが,編集上,私の発言をほとんど使ってくださっていて驚きでした。アルコールを飲みながらの番組なので,緊張感もあって,何を話したかあまり覚えておらず,どんな内容になっているか心配でしたが,意外にしっかり話しているのがわかって安心しました。
 服装をもっと派手にしていけばよかったかなという反省をしたり,実物も太っている顔が,テレビではそれ以上に丸々としていて,自分の顔とはいえ,それを見るのが辛かったりということはありましたが,私の話をこれだけテレビで流してもらえるなんてことは,後にも先にもこの機会しかないでしょうから,素直に喜んでいます。
 今回は,勝谷さんが,私の光文社新書の2冊の本(『君の働き方に未来はあるか?』『勤勉は美徳か?』)に関心をもってくださったことがきっかけで,結果として,光文社のための宣伝番組みたいになってしまいました。ただ,番組のなかでは,『雇用はなぜ壊れたのか』(ちくま新書),『労働時間制度改革』(中央経済社)で書いたようなこともかなり話しています。   テレビ番組としては,やや難しめの内容となってしまっているかもしれません。とくに労働時間制度の特徴や改革論,また人工知能と雇用といった最新の話もしています。ほんとうは,もっとかみ砕いて話せればよかったのですが,さすがにそれだけの余裕はありませんでした。なんといってもリハーサルなしのぶっつけ本番なので,あれは完全に自分の地が出てしまいますね。いちおう事前にアンケートがあり,それに回答したものは送っていますし,当日も10分程度の簡単な打ち合わせはありました。榎木アナウンサーはしっかり予習をしてこられていましたが,勝谷さんとの打ち合わせはなく,本番になると,もう流れのままで,勝谷さんの進行に応じて,調子に乗ってどんどん話していきました。
    以前にテレビに出るとすれば,「クローズアップ現代」か「カツヤマサヒコshow」だと周りには言っていました。どちらもある程度しっかりと自分の意見を話す時間があるからで,演出のための余計なつっこみのようなものがないからです。ただ,まさかほんとうにオファーがくるとは思っていませんでした。良い思い出になりました。勝谷さんとサンテレビに感謝です。榎木さんは実物はテレビでみるよりももっと綺麗で,とても知的で感じの良い女性でした。驚いたのは,サンテレビがあんな地味なところにあったということですが……
 私にネグローニを作ってくださったのは,宮本賢治さんという本物のバーテンダーで,「Elixir de Longue Vie」というBarをやっておられます。まさにプロ中のプロの方です。三宮駅から北方向で阪急からはそれほど遠くありません。番組収録後,2度行ってきました。とてもよい店でしたね。隠れ家にしたいところですが,こっそり教えます。
 この番組は,神戸近辺の飲食店の紹介もしていて,私の行きつけの店である「ポジティブ・アンバランス」(昨年の神戸労働法研究会の忘年会で使用)や「きらく寿司」(本庄君の就職祝いの会で使用。先週は毎年恒例の天然クエもいただいてきました)も登場していました。ようやく私も仲間入りです。お店探しはたいへんそうです。私で164回目で(百田尚樹のように2回登場している方もいます)で,スタッフの方はさすがにたいへんだと言っておられました。
  誰がアップしたのかわかりませんが,Youtube でみることができるようなので,ご関心のある方はどうぞ。

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2016年12月17日 (土)

「働き方に関する政策決定プロセス有識者会議」に思う

 「働き方に関する政策決定プロセス」というのは,まず名前が何を言っているのかよくわかりませんし,テーマが専門性が高い玄人的なものということもあってか,この有識者会議への世間の関心はあまり高くないようですね。労働政策審議会や労政審という言葉を使っても,「それって何?」というのが一般の人の反応でしょう。
 今回第5回目の会議で報告書がまとまったのですが,ここに至るまではかなり迷走していたと思います。なかなか会議の予定日が決まらなかったり,第5回はなんと30分で終わったりです。迷走の原因の一つは,「働き方に関する政策決定プロセス」を検討するといいながら,その一方で,9月に首相直轄の「働き方改革実現会議」を作ってしまい,そういうのでやるのなら,この有識者会議で何を議論するのか,ということになってしまったことでしょう。「働き方改革実現会議」は一過性のもので,首相の政治的パフォーマンスにすぎないのに対して,労政審はもっと地に足の着いたものであり,だからこそしっかり議論をしなければならないということで,この会議に臨んだのですが,すっきりしりないところが残っているのは,いまも変わりありません。
 今回の報告書に対しては,会議の場でも肯定的な意見がほとんどでしたが,個人的には60点くらい(可で,ぎりぎり合格)だと思っています。文言のなかに含みが多すぎて,運用にゆだねられている部分が多く,現時点ではきちんと評価しきれないからです。私は会議の場でどういう政策プロセスにすべきかという方向性は語ってきたつもりなので,あとは具体的にどのように運用がなされていくかに注目していきたいと思います。まずは,新たに設置されるはずの「基本部会(仮称)」に誰が選任されるのか,また労政審の本審や分科会にもどういう人が選任されるのか,そして基本部会ではどのようなテーマをどのように議論して成果を出していくか,です。
 おそらく委員の人選はかなり難しいでしょう。たとえば今回の有識者会議にしても,なぜ私が選ばれているのか,自分でもよくわかっていません。いちおう,かつて神林龍さんと労働政策決定プロセスについての論文を書いているので,そのときの主張などをベースに議論に参加する責任があると考えてやってきたつもりですが,実際は,厚生労働省の役人は,私のこの論文を読んで私を選任したわけではありませんでした。
 今回の会議では,政策決定の場に出てくる者は,組織の単なる利害代表者であってはならないということを,しつこく強調してきたつもりです。それは現状に問題があると考えていたからです。ただそれ以上に,個人で発言をする人を入れることもリスキーです。このことを知ったのが,この1年いろいろな政府関係の仕事の委員として参加したことの最大の収穫でした。個人のパフォーマンスを重視して,やたらと世間受けをねらうような発言をする人は,組織の操り人形よりもっと問題があるという印象を受けました。組織人はつまらないけれど安定している。非組織人は当たればいいが,はずれも多い。
 もう一つ思うことがあります。この1年,厚生労働省,経済産業省,内閣府,総務省の会議に参加してきました。大臣や副大臣がどこかで参加するものがほとんどでしたが,厚生労働省が,いちばん大臣の存在感が大きかったと思います。ただそれは,あまりよいことのように思えません。大臣がくると,それを中心にスケジュールが組まれ,周りもそれに気を遣うなど,無駄が出てきます。いずれにせよ,大臣の発言時間が一番長いというのは,望ましくありません。大臣が専門家で,実質的な議論に参加するのならともかく,挨拶だけならば不要だと思います。忙しい大臣には,もっと他のことで頑張ってもらいたいです。私たちは大臣の話を聞くために来ているのではなく,プロとしての自分が発言するために時間を使って霞ヶ関に来ているのです(その意味で第4回のフリートーキングは,2時間のほとんどを使って委員が議論をすることができたので,これはとても良かったと思っています。もっとも,それがどこまで報告書に活かされたかは不明で,たんなるガス抜きになったにすぎないという見方もできますが……)。
 基本部会(仮称)やもちろん労政審も含め,それらがほんとうのプロによる政策論議をする場になってもらえることを,心より祈っています。そこでは,虚礼も政治的パフォーマンスも不要です。

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2016年12月16日 (金)

Yahooニュース特集に登場

 2年前くらいに韓国の新聞のインタビューを受けたときのことがYahooにアップされたことがありましたが,今回は,正面からYahooのインタビューを受けて,昨日アップされました(http://news.yahoo.co.jp/feature/460)。「『過労自殺』どうすればなくなるか」というテーマです。私以外に,全国過労死を考える家族の会の代表の寺西笑子さん,直木賞作家の石田衣良さんと並んで登場しています。
 私は労働時間についてはマスコミ的には二つの顔があるのでしょう。一方では労働時間の規制強化派,他方ではエグゼンプション派です。前者のほうでは,かなり強硬な規制強化論者のつもりで,今回のような企画に登場しても個人的に違和感がありません。
 私に声をかけてくれたライターの方は,私の見解の両面性をよく理解していたようで,そのうちの規制強化を,今回のテーマ(第2電通事件がきっかけ)に合わせて紹介してくれました。ほんとうは,もっと多くのことを語っていたのですが,字数の制限上カットされたのは少し残念でしたが,個人的にはインタビューの時点では,話したいことは十分に話すことができたので,そこですでに満足しています。
 それにしても,最近,プロのカメラマンに撮ってもらうことが増えてきて,写真嫌いであった私にも変化があります。以前はかなりいやがっていたのですが,今年は大きな転換点となりました。自分のHPにも写真を載せました(プロの方の撮影です)し,今回もそうです。実物が悪くても,プロの技量でそこそこ改善できると知り,面白くなってきたのです。ただ,雑誌などで,編集者がスマホで写真撮影したものが載せられてしまったこともあって,これは困ります。今後はこうしたもの強く断ることにします。ちなみにマイナンバーカード用には面倒なので自撮りした写真を使いましたが,これは最悪でした。刑務所で撮影したような写真(刑務所に入ったことはないですが)で,誰にも見せられません。
 ところで話を戻すと,新聞情報では,自民党の働き方改革特命委員会が,中間報告を発表し,絶対的上限やインターバル規制を提言しているとのことでした。誰か良いブレインがいるのかわかりませんが,この情報をみるかぎりは,よく頑張っている感じがします。
 一方,今朝の朝刊で大きく出ていた同一労働同一賃金のガイドラインはダメですね。新聞では,「深夜・休日手当は同じ割増率に」となっていましたが,これは正社員が法定率より高い割増率をもらっているということが前提になっているはずで,そうすると正社員の割増率を法定の率に引き下げるということが増えるのは容易に想像できます。まともな企業はそんなことはしないということかもしれませんが,政府の場で意見を発するような経営者は優良経営者であって,その相場感で労働法のことを考えていくと,とんでもないことになります。同一労働同一賃金なんて本気でやっていくと,正社員と非正社員をより隔絶した業務に区分けして同一労働とならないようにすることが増え,格差はより広がるでしょう。優秀なパートであれば,景気がよく人手不足になれば,ほおっておいても処遇が上がります。法的介入は,そういう市場メカニズムが働かないところに強制的に作用するものなので,そうなると経済界はこれに反発して,法の趣旨とは異なる影響が生じてしまうのです(ガイドラインだから強制力がないということかもしれませんが,何らかの強制を働かそうとするかぎり同じことです)。格差是正にしろ,景気浮揚にしろ,やろうとすることは正しくても,やり方を間違うと失敗します。賃金への介入は劇薬であり,そして労使自治を崩壊させかねない危険な遊戯ですね。こちらは誰かよいブレインをつけてあげなければと思いますね。

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2016年12月15日 (木)

キーワードはAIとICとICT

 季刊労働法の最新号に,「労働法のニューフロンティア?-高度ICT社会における自営的就労と労働法」という拙稿が掲載されています。来年刊行される『AI時代の働き方と法』(弘文堂)のなかの1章の一部を,論文にしてまとめたものです。自営的就労を正面から労働法の議論に取り組むべきという主張は,いままで断片的にやってきてはいましたが,厚生労働省の懇談会「働き方の未来2035」への参加をきっかけとして,より積極的に主張する場が与えられて,振り返るとこの1年はこのことばかり言ってきたような気がします(ちょうど来週,経済産業省の会議でも,WEBを通してですがプレゼンをします)。自営的就労に対しては,ちょうどいまクラウドソーシングのライターたちの問題などがあり,逆風が吹きかけていますが,季労論文で論じたのは,自営的就労にも3つのタイプがあり,それぞれについてとるべき政策的な対応が異なるので,これらをごっちゃにしてはならないということです。そして将来はICTなどを活用した自営的就労者が増加することになると予想され,この働き方を健全なものとするために,政府がいかなる理念,手法で,介入していくべきかかを検討することが重要と主張し,そのための私論も一部展開しています。
 来年度は,AI,ICTと並んで,テレワーカー,個人事業主(IC:independent contractor)をめぐる政策が重要な課題となっていくでしょう。また欧州でみられる個人事業主に対する法制度のあり方なども比較法観点から研究していきたいと思っています。そこには豊かな研究領域が横たわっているように思えてなりません。そのようなことから論文のタイトルに「ニューフロンティア」という言葉を使ってみました。クエスチョンマークを付けているのは,それが「労働法の」といえるかが疑問であるからです。
 いずれにせよ,これからの若い研究者はこの新領域に積極的に取り組んでいってもらえればと思います。私は開拓していくことには関心がありますが,そこから堅牢な理論的構造物を作り上げていくことについては,自分ではあまりやる気もないし,それをするだけの力量はもはやありません。是非若い人たちにやってもらいたいと思っています。
 NIRA総研からは,先日の柳川先生と新井先生との共著による総論的なオピニオン・ペーパーに続いて,今度は各論でまずは私がトップバッターで「AI時代の雇用の流動化に備えよ」というオピニオン・ペーパーを発表しています。来年は,AIがらみでの私の主張が,アカデミックなものというより,国民に向けた政策綱領というような形で,みなさんの目に触れることが多くなるかもしれません。
 AIとICは必ずしも直結しているわけではありませんが,私の頭の中では,これまでの企業組織・正社員中心主義の崩壊という点で両者は深く結び付いています。この点の詳細な説明は,上記の弘文堂から刊行される本に委ねますが,来年も引き続き,これにICTを加えて,私の研究のキーワードになるでしょう。それと同時に,政府においても,AI・IC・ICTは政策のキーワードになるのではないかと思います。

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2016年12月13日 (火)

ルミナリエ

 ルミナリエは,おとといの11日が最終日でした。神戸では,ルミナリエをもう止めようという声が徐々に高まっています。
 実は,今年はルミナリエが2日に始まることが事前にわかっていませんでした。地元では,それだけ盛り上がりに欠けていたと思います。どうも規模も予算も縮小傾向にあり,要するに「ショボく」なってきているのです。それにルミナリエ開催中は,地元の商店は客が入らなくなるので,ルミナリエに隣接する商店などはあまり喜んでいないという声も聞こえてきています。鎮魂という趣旨があるので,大きな声で反対論を出にしくいでしょうし,神戸の名所になっているので,ネガティブなことを言うと,非国民ならぬ非市民と言われそうなムードもあります。たしかに,懸命にこのイベントを支えている人の努力は頭が下がりますが,ただ,もうそろそろ限界ではないでしょうか。
 まず鎮魂というのなら1月17日前後にやればいいのであって,12月にやる必然性はありません。現在では,クリスマス前のたんなるイベントになってしまい,鎮魂の気持ちをもった人たちがどれだけ集まっているか疑問になってきています。そうなると,周辺の人が困っているような状況のなかで,規模も縮小しながらやるほどのことでしょうか。それでも多くの人が来ているイベントなので,一部の商業施設や鉄道会社としてはウエルカムなのかもしれませんが,協賛企業が減ってきていることもあり,収益的にも厳しくなってきています。
 観光客が多くて事故防止のためであることはわかるのですが,ものものしい警備や,窮屈な歩行も,あまりいい気分はしません。震災後の暗闇を経験した者にとって,あの電飾の素晴らしさに感動するということはありますが,だからといってこの行事をいつまでも続ける必要があるかは疑問です。地震は日本全国で起きています。そのたびに停電もあり,別に神戸だけのことではなくなっています。
  私たちは,もっとお金がかからず(税金も投入されているのです),地元にも迷惑がかからない形で,シンプルな鎮魂のあり方を模索すべきです。地震からの教訓は,こんな派手なものではなく,生きていてよかったという実感を感じることの素晴らしさであり,そうしたものはもっと静寂な場所のなかから生まれるのではないでしょうか。ものものしい警備のもとで,バリケードに囲まれながら歩行するというのとは,ちょっと違う感じがします。
 神戸の名所になったのでもったいない気もしますが,今年で最後にして,新たな発想で企画を考え直したほうがいいでしょう。

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2016年12月12日 (月)

名人とソフトの対戦が決定

 竜王戦は最終局にまでもつれこみました。第6局は,渡辺明竜王が強引に攻めていき,最後は微妙となりましたが,ぎりぎり丸山九段が残して勝ちました。タイトルの行方はこれでまったくわからなくなりました。渡辺竜王が好調とはいえないので,丸山九段にとっては初の竜王というビッグチャンスが訪れました。カンニング騒動の三浦弘行九段の代役だったのですが,大善戦です。もちろんもともと名人2期の実力者であり,別に竜王になってもまったくおかしくありません。
 佐藤天彦名人はNHK戦では山崎隆之八段に辛勝で,なんと棋王戦で佐々木勇気五段に2連敗という悔しい結果になりました。棋王戦は,ベスト4に残ると,敗者復活があり,1回負けても大丈夫なのです。ベスト4で佐藤名人は佐々木五段に敗れ,話題の千田翔太五段は森内俊之九段に勝ち,ついで千田五段が佐々木五段に勝って挑戦者決定戦に進出を確定させ,敗者復活戦で佐藤名人はまず森内九段に勝ちましたが,佐々木五段に再び敗れて,佐々木五段が挑戦者決定戦に進出を決めました。渡辺明棋王への挑戦は,千田,佐々木という若き五段同志で争われることになります。
 ただ佐藤名人は,その千田五段には,第2期叡王戦の決勝3番勝負で2連勝して優勝しました。これで電王戦への出場を決め,来年春にコンピュータソフトの側の優勝者「Ponanza」と対戦することになります。名人戦防衛戦の時期に重なると,ちょっとたいへんかもしれませんね。いずれにせよ,ソフト対現役名人という夢のような対戦が実現することになります。佐藤名人は,たいへんなプレッシャーがかかることになると思いますが,どこまで勝てるでしょうか。佐藤名人がどんなに強いとはいえ,1勝するのも難しいと予想されます。
 王将戦は,久保利明九段が挑戦者決定リーグを1位で勝ち抜け,郷田真隆王将への挑戦を決めました。羽生善治三冠,渡辺明竜王,糸谷哲郎八段,豊島将之七段など強豪が集まった今期のリーグですが,みごとに勝ち抜けました。羽生三冠は2勝4敗でまさかのリーグからの陥落(7人中,下位3人が陥落)となりました。 
 その郷田王将ですが,順位戦は昨年A級からB級1組に陥落して,先日は谷川浩司九段と対戦して敗れ,ついで木村一基八段にも敗れて2勝6敗と,まさかのB級2組への陥落危機です。谷川九段は,出だし4連敗で,B級2組陥落確定(同時に引退決定)かと思われましたが,そこから郷田王将,糸谷八段に連勝して3勝5敗まで盛り返してきました。とはいえ残り4戦は,昇級がかかっている久保九段,木村八段,豊島七段との対戦になり,危ない状況には変わりありません。降級争いは,現在2勝の郷田王将,丸山九段,3勝の畠山鎮七段,飯島栄治七段,そして谷川九段です。
 A級は,稲葉陽八段が5連勝でトップ,先日,羽生三冠が広瀬章人八段に勝ち,両者ともに4勝2敗で,この3人のなかから名人挑戦者が出る可能性が高そうです。降級争いにおいては,不戦敗がからむ三浦九段に加え,森内九段と佐藤康光九段という元名人が1勝4敗と苦しんでいます。佐藤康光九段は,先週のNHK杯では,若手有望の斎藤慎太郎六段に逆転勝ちで底力を見せつけました。森内九段は昨年に続き苦しい降級争いですが,このピンチを切り抜けることができるでしょうか。
 女流は,里見香奈4冠が,女流王座戦で加藤桃子2冠から3連勝でタイトルを奪取して5冠となりました。残す一つのマイナビ女子オープン(加藤桃子女王)も勝ち上がっています。里見さんは今期は1敗しかしておらず,勝率9割5分という驚異的な強さを誇っています。攻めの切れ味が鋭く,女流クラスでは敵無しの状況です。三段リーグも4勝2敗でまずまずの出だしですね。史上初の女性棋士が誕生するとすれば,里見さんしかいないでしょう。加藤桃子さんも奨励会でがんばっていますが,初段から1級に降級となり,年齢の関係もあり,奨励会退会の瀬戸際に立たされています。

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2016年12月11日 (日)

阪神タイガース契約更改

 ここ数年やっていた阪神タイガース選手の成績評価は今年はやっていません。あまりにも多くの選手が使われたので,全部,きちんと評価できないというのがその理由の一つです。
 ただ今シーズン一番活躍したのが,福留と原口と高山であることは間違いないでしょう。この3人がいなければ4位にとどまってもいられなかったでしょう。西岡のケガ,ゴメスの期待外れ(そこそこホームランは打ちましたが),ヘイグは論外。そして鳥谷です。鳥谷の拙守,低打率。これがチーム最高年俸の4億をもらうというのは,5年契約の途中なので仕方ないとはいえ,困ったものです。
 来期は糸井が来て,外野がようやく固まりそうです(福留,高山,糸井)。原口は捕手だと,彼の価値が半減以下となるので1塁で使い,福留が疲れて1塁に回るときだけ,原口を捕手で使うということになるのではないでしょうか。また福留はケガや疲労の可能性もあるので,江越,横田,中谷,板山,伊藤,緒方らも外野のチャンスを狙ってほしいです。江越はこれだけ使ってもらったのですし3番も打ったのですから,来年は勝負の年でしょう。ただ金本監督が糸井を獲得したということは,これらの若手は今年1年間の試験に合格しなかったということです。奮起を期待します。
 遊撃は今季これだけ使ったのですから来年も北條でしょう。鳥谷を使うのなら3塁でしょうが,西岡が復帰したら,西岡との競争です。監督も連続試合出場にはこだわらないでもらいたいですね。2塁は大和,上本あたりの競争でしょう(上本はバッティング・フォームを変えたほうがいいような気がするのですが)。ただ陽川,荒木ら新しい選手に出てきてほしいです。
 阪神の弱点は捕手,2塁,センターという中心ラインが定まらなかったことにありました。センターに糸井が入ってくれて,2塁がもう少し強化されれば,残すは捕手です。梅野も来季がダメなら戦力外です。岡崎は今シ-ズン最初のような活躍をもう一回やってくれればと思います。捕手は肩とリードがよければ,2割2分打ってくれれば十分です。打力向上を期待します。
 投手は,岩崎をセットアッパーにするかもしれません。岩崎は1イニングなら,かなり使えそうです。今シーズン終盤も予行演習をしていました。1985年の福間のような活躍ができればと思いますね。先発は苦しいですね。メッセ,藤浪,岩貞に加えて,青柳は来年ブレイクして欲しいです。能見は負けが多いのでどうかと思いますが,まだ頼らざるを得ないでしょう。藤川も,抑えよりも5回限定の先発のほうがいいかもしれません。ストッパーは,来年もマテオしかいません。2年目に入り安定してもらいたいです。望月には大きな期待が集まっていますが,どうなるでしょうか。
 新人選手はよくわかりませんが,新人王をとった高山クラスはなかなか出てこないでしょうね。しかも糸井の人的補償で抜かれる選手が出てきます。投手の岩田あたりかという噂もありますが,岩田はプロテクトしておいてほしいですね……。

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2016年12月10日 (土)

第128回神戸労働法研究会その2

 もう一人は,大阪経済法科大学のオランゲレルさんで,長澤運輸事件の東京高裁判決を報告してもらいました。第1審は,JILPTの山本陽大君が担当してくれて,すでにその報告内容は季刊労働法に掲載されています。
 この事件については,私は別の機会に検討するつもりなので,詳細はそこに譲りますが,研究会では,労働契約法20条をめぐる解釈論的課題(とくに不合理性の解釈,20条の効力など)について議論をしたことに加え,興味深かったのは,この条文が,正社員の労働条件の切り下げも狙ったものなのか,という政策的意図をめぐる議論です。
 同条が有期雇用労働者の労働条件の引上げをねらった規定であることは,この規定を私のように理念規定と解す立場であれ,同条を強行規定とみる立場であれ,さらには補充的効力まで認める立場であれ(なお,長澤運輸事件の第1審判決は補充的効力を認めたとする理解もあるようですが,同判決は労働契約法20条の効力としては補充的効力を認めているわけではなく,解釈的操作により正社員就業規則の適用を拡張したことにより結果として補充的効力と「類似」のものを認めているにすぎません。したがって,もしそうした解釈的操作ができる就業規則がなければ,労働契約法20条だけで,正社員と同じ労働条件が保障されるわけではありません。その意味で,同条は厳密な意味では補充的効力を認めたものではないというべきだと思います)共通です。ただ,そのうえで,正社員の労働条件の引下げもやむをえないということまで内包しているかについては,私はそこまで考えた規定ではないだろうという懐疑説ですが,研究会の議論のなかでは,そこまで内包しているという見解もありました。かりに後者だとすると,たとえば正社員向けの就業規則が不利益変更されたときに,変更の必要性の判断で,労働契約法20条の適用により有期雇用労働者の賃金が上昇して経営を圧迫したことが,非常に重く考慮されるというようなことにもなりそうですが,さてどうでしょう。
 立法者(それが誰かは問題ですが)が,正社員の労働条件の引下げまで考えて,労働契約法20条をあえて設けて,両者の格差を縮小しようとしたとするならば,それはそれで興味深い規定となるように思えますが,私はむしろ,同条による正社員の労働条件引下げは事実上の影響(反射的効力)にすぎないのではないか,そして,そうした方法での格差是正はあまり望ましいことではないのではないか,と考えています。政策的には正社員の労働条件のあり方は,正社員の問題として正面から論じるべきで,非正社員の処遇改善から進め,それを通して正社員の労働条件の見直しを促すというのは,セカンド,いやサードベストくらいの策ではないかと思うのですが……。

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2016年12月 9日 (金)

第128回神戸労働法研究会その1

 一人目は高橋聡子さんによる判例報告(富士運輸事件・東京高判平成27年12月24日労働判例1137号42頁)でした。割増賃金の定額制について,法所定の方式をとっていなかったものの,実時間外労働時間数に基づく計算をした額を上回っているので問題なしとしたものでした。
 法的な判断はこれでよいのですが,私自身が関心をもったのは,割増賃金の定額制をめぐる実務のあり方です。定額制であっても,法定の割増賃金の支給額を上回っていればもちろん適法だし(計算方法については法は縛りを設けていない),下回っている場合には差額分を支払うということにしていれば,法的には問題はありません。またかりに差額分を支払わないという完全定額制の場合であっても,労働基準法37条,13条により,差額分の請求権は法的には認められるので,完全定額制の合意を貫徹させることはできません。
 ただ,だからといって,差額があるときは支払うということを契約に明示していなくてもよいのかは,一つの論点です。定額制の有効要件として,差額分の支払の合意をすることをあげているものもあります。
 たとえば,テックジャパン事件・最高裁判決(大内伸哉『最新重要判例200労働法(第4版)』の第104事件)における櫻井裁判官の補足意見は,次のように述べています。
 「便宜的に毎月の給与の中にあらかじめ一定時間(例えば10時間分)の残業手当が算入されているものとして給与が支払われている事例もみられるが,その場合は,その旨が雇用契約上も明確にされていなければならないと同時に支給時に支給対象の時間外労働の時間数と残業手当の額が労働者に明示されていなければならないであろう。さらには10時間を超えて残業が行われた場合には当然その所定の支給日に別途上乗せして残業手当を支給する旨もあらかじめ明らかにされていなければならないと解すべきと思われる。本件の場合,そのようなあらかじめの合意も支給実態も認められない。」
 この趣旨は,差額分の支払いの合意も明示的になすべきことを述べたものと解されます。これは割増賃金の合意の明確性の要請は,たんに通常の労働に対する賃金と割増賃金との判別性だけでなく,差額支払いの合意にも及ぶということです。
 私は,これまでは,そこまで言う必要はないのでは,と考えていたのですが,少し考え直す必要があると思いはじめています。
 労働者に権利があるので,使用者のほうからわざわざそれを明示してやらなくてもいいとなると,使用者としては黙っておいたほうがよいと考えがちで,そして多くの労働者は無知なので,結局,完全定額制が実務上は貫徹されてしまうのです。年次有給休暇にせよ,育児休業や介護休業にせよ,理論的には,契約や就業規則で定めなくても,法律上,権利が発生するので,わざわざ使用者としては契約や就業規則に書かなくてもいいとなりそうですが,それはやはり望ましくないでしょう。法律上の権利であっても,できるだけ契約や就業規則で明示したほうがよいのです(就業規則の必要記載事項と解すことはできないとしてもです)。
 そもそも自分で時間外労働時間数に基づく割増賃金を算定して,時間外賃金からもらう額より下であると主張できるような労働者がどれだけいるのか疑問です。
 加えて,割増賃金定額制は,通常,一定の時間外労働を前提としており,しばしばその時間は長いものとなっていることがあります。時間外労働が予定時間数よりも少なければ労働者にとっては得となりますが,実際には,そうではなく,その時間までの時間外労働をすることが当初から想定された働き方であるという意味合いのほうが強いことが多いのです。とくに限度時間(1カ月で45時間)を超えるような時間外労働を想定したものとなっている場合には,違法とまではいえないまでも,法の趣旨には反する望ましくないものです。おまけにそれを超えても労働者は差額分を請求してこない可能性が高い(定額制を誤解している,あるいは使用者から誤解させようとする)となると,問題はより深刻です。
 また定額残業を基本給に組み入れていると,たとえ判別要件を充足していても,賃金が高く見えることにもなります(判別要件を満たしていなければ,前記のように違法です)。
 つまり割増賃金定額制は,一定の長時間労働を想定したものとしたうえで,賃金の見栄えがよくなり,賃金計算上も便利で,しかも差額分を支払わなくても労働者は文句を言わないかもしれない,というようにきわめて経営側に都合のよいものだとするならば,かりに違法ではなくても,やはり放置すべきではないでしょう。
 割増賃金は実時間外労働に応じて支払われるもので,それは可変的なものなので,定額制のような誤解をまねきやすい形の労働条件の明示方式は,それこそ行政指導の対象とすべきではないでしょうか。ましてや最初から1カ月45時間を超える時間外労働が想定されている定額制(労働時間がその時間を超えなければ労働者に有利な面があるにせよ)は,労働基準法36条に違反しないまでも,そこに法の潜脱の姿勢があれば,公序良俗違反で無効とするという解釈論も考えられてよいかもしれません。
 労働基準法は,法にふれないぎりぎりのところでやっておけば問題ないのだというのは,労働基準法が企業に対して公法的な規制をするものというとらえ方をしていれば,出てきそうな発想です。厳しい規制があれば,それをかいくぐることを指南するビジネスが出てきてしまうものです。しかし,労働基準法は私法的な規制でもあり,そこでは法の理念に照らした法の解釈や運用が要請されていると解すべきです。公法的な規制に抵触しなかったからといって,法の理念に反するような実務に何もサンクションがないということであってはいけないと思います。
 これが,西谷敏先生がおっしゃっていた労働基準法の二面的解釈(公法の側面と私法の側面とを分けて考えるべきとするもの)のねらいであったのだとすると(「労働基準法の二面性と解釈の方法」『外尾健一先生古稀記念 労働保護法の研究』(1994年,有斐閣),それはまさに慧眼であったといわざるをえません。

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2016年12月 7日 (水)

カジノ法に思う

  カジノ解禁法案などと呼ばれている「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案」が,衆議院を可決しました。議員立法なのですが,民進党の人が,議員立法はけしからんと言っていたのをみて,違和感を覚えました。国会議員の仕事で最も重要なのは立法なので,議員立法の何が悪いのでしょうか。
 もっとも,この発言は,政府のなかでも見解が割れているような法案を,議員立法という形で出してくるな,ということなのでしょう。自民党のなかでも賛否は分かれているようで,これはカジノが解禁されると得をする人と損をする人がいて,それぞれ自民党の支持母体にいるからではないか,と推測ができますが,細かい事情はよくわかりません。
 カジノ解禁に関する上記の法律は,それができたからといって,ただちにカジノ解禁ということではなく,これを実施する法律が必要となります。そこでの規制のあり方については,この法案自体でかなり細かい内容の注文をつけています。たとえば,次のような規定があります。

(カジノ施設の設置及び運営に関する規制)
第十条 政府は,カジノ施設の設置及び運営に関し,カジノ施設における不正行為の防止並びにカジノ施設の設置及び運営に伴う有害な影響の排除を適切に行う観点から,次に掲げる事項について必要な措置を講ずるものとする。
 一 カジノ施設において行われるゲームの公正性の確保のために必要な基準に関する事項
 二 カジノ施設において用いられるチップその他の金銭の代替物の適正な利用に関する事項
 三 カジノ施設関係者及びカジノ施設の入場者から暴力団員その他カジノ施設に対する関与が不適当な者を排除するために必要な規制に関する事項
 四 犯罪の発生の予防及び通報のためのカジノ施設の設置及び運営をする者による監視及び防犯に係る設備,組織その他の体制の整備に関する事項
 五 風俗環境の保持等のために必要な規制に関する事項
 六 広告及び宣伝の規制に関する事項
 七 青少年の保護のために必要な知識の普及その他の青少年の健全育成のために必要な措置に関する事項
 八 カジノ施設の入場者がカジノ施設を利用したことに伴い悪影響を受けることを防止するために必要な措置に関する事項

 この第8号は,おそらくギャンブル依存症のことをいっているのかなと思っています。
ギャンブル依存症が問題であることは,いうまでもありません。
 ところで,私は自分がギャンブルをしないので,朝の10時前からパチンコ店に並んでいる人の気持ちが,なかなか理解できません。あそこに並んでいる人のなかにはギャンブル依存症の人も多いのではないでしょうか。駅前にあって,大きな音をならしている迷惑施設だと思うのですが,パチンコ店のことは,いろいろな歴史的背景もあって,口に出してはいけないという風潮があるような気もします。ただカジノをめぐるギャンブル依存症のことをいうのならば,まずパチンコのことについてどう考えているのかということを整理したほうがよいと思います。
 パチンコですでに依存症が起きているから,カジノで起きてもいいという話ではありません。むしろ,その逆です。駅前の誰にでも入れるようなところにパチンコ店が多数あるという現状について,どう考えるのか。
 阪神競馬場は,阪急今津線の仁川駅のすぐ東にあります。最近は仁川のあたりに行くことはありませんが,私が高校の時は仁川駅を利用して通学しており,平日は関係ないのですが,ときどき日曜に駅に行ったときは,異様な雰囲気になり,多少の恐怖を感じることもありました。この競馬場はちょっと駅に近すぎないでしょうかね(園田競馬場は,阪急神戸線の園田駅からかなり遠いです)。
 いずれにせよ,簡単にギャンブルができるところが,すぐ近くにあるということが依存症の主たる原因の一つではないでしょうか。
  かつて東京都知事の美濃部達吉は,公営ギャンブル廃止を唱えたことがありました。有名な「走れコータロー」で皮肉られていますが,でも公営ギャンブル廃止は理念的にはあってよく,カジノ解禁がダメというのなら,そこから議論を始めるということもあったはずです。カジノはダメ,パチンコ(これも景品と換金)も禁止,公営ギャンブルもやめるというようなことを,正面から打ち出すのなら,私はそちらのほうがよいと思いますが,現実にはそれは無理なのでしょう。そうなると,むしろギャンブルを認めたうえで,きちんと規制をすることに全力を傾注すべきことになります。今回のカジノ法案について,パチンコや公益ギャンブルのことを度外視して,問題点をあげつらうよりも,パチンコなども含めて,どうしたら依存症問題を解決できるか(とくに依存症にならないようにするための方策について)を考えていったほうがよいと思います。カジノ法が今後もし成立しても,大事なのは,具体的な実施法のレベルで,いかにして適切な規制を入れるかです。
 とはいえカジノを語るためには,まずは,モナコにでも行って実際に体験しておく必要があるでしょうか。いやいや,ギャンブルは勝てば運の無駄遣い,負ければ金の無駄遣いですよね。

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2016年12月 6日 (火)

Renzi 敗れる

 イタリアの憲法改正(Revisione della Costituzione)に関する国民投票(Referendum popolare)は,仕掛けた首相Renzi側の敗北となりました。大敗です。投票前から劣勢が伝えられていました。経済状況の悪さは,首相に不利となります。無責任ではあるが,変化を訴える政治勢力に,これまた無責任に国民の多数が乗っかってしまったというとイタリア国民に失礼でしょうか。
 今回の国民投票について,私もよくわかっていなかったのですが,よく調べると,憲法を改正する法律について,上下院で可決されても,50万人以上の選挙民の請求があるなど,一定の場合には,国民投票に付すことになっていました(138条2項)。今回はその国民投票で否決されたため,憲法改正はできなくなりました。
 イタリアの議会は上院と下院の差がほとんどなく,与野党が接近するなかで,迅速な審議の妨げとなっているという意見が以前からありました。Renziは上院の権限を縮小し,議員選出の方法も変え,さらに中央集権化を進めるということで,改革のスピードをあげようとしたようです。ラディカルな改革は,国民に不安感を与えたのかもしれません。
 一方,親EU派のRenzi率いるイタリアは,イギリスのEU離脱の影響で,欧州でのプレゼンスを高めていました。しかし,そこが逆に反EU派にとっての格好の攻撃対象となったのでしょう。
 Renziは,国民投票の結果と自己の進退とを重ねる必要はなかったのでしょうが,政治的には,まだこの政権の民主的正統性は十分ではありませんでした。Firenze 首相から,2013年4月にPD(民主党)の党首に,2014年2月に一挙に首相に上り詰めましたが,欧州議会選挙での勝利はあるが,国内での総選挙の洗礼を受けていなかったのです。今回の国民投票で勝利することは,信任投票の意味もあったのです。
 Renziは今回は敗北しましたが,まだ41歳です。再起のチャンスはあるでしょう。反EU派はいつか自分たちの失敗に気づくでしょう。ただ,これからの政治的混乱・危機(crisi politica)は,イタリアのみならず欧州にも大きな影響を及ぼす危険性があります。私の関心からは,労働市場改革がどうなるのかも心配です。ばらまき政治が戻ってしまうと,ほんとうにイタリアはギリシャのようになりかねません。
 イタリアの経済からするとausterità(英語のausterity)は不可欠であり,これは少なくとも知識層においては共通認識のようです。しかし,その政策の影響をより強く受けるのは庶民であり,そこに不満がうずまいてます。ISのテロの危険,移民増大といった流れも,国民の不安感を高めます。政府の責任ではないといえ,地震の頻発も人身を不安にさせます。そして,トランプ現象です。こういうなかで国民投票がなされると,冷静な理性的判断ではなく,感情的な部分がダイレクトに現れやすくなるのではないでしょうか。
 コメディアンの Beppe Grilloが率いるM5S(Movimento 5 Stelle)の動きは,私自身,十分に把握しているわけではありませんが,たいへん勢いがあるようです。ポピュリズムの代表のように言われている,この政党を中心とする政権ができるとどうなるのでしょうか。
 政治のプロにNoをつきつけた点ではアメリカの大統領選挙の結果に似ています。また,EUへの嫌悪という点では,イギリスのEU離脱の国民投票の結果と似ています。Hillary もCameron もRenzi も,まさかの敗北だったでしょう。
  Renziは,若くて行動力もあります。それが国民に期待と不安を与えているのかもしれません。イタリア国民の多数は,この改革者にまだ賭けたくはなかったのでしょう。ひょっとすると,同じような改革者であったMussoliniとRenziを重ね合わせたのかもしれませんね。

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2016年12月 5日 (月)

天皇退位論に思う

 天皇退位論が話題になっています。天皇が国民に向かって直接退位について語るということにも違和感がありましたが,天皇の仕事が大変だから譲位を認めたほうがよい,天皇は摂政には反対とおっしゃっている,というようなことを,天皇のご学友なる方がマスコミでペラペラ語るのは,いかがなものかと思いますね。
 天皇の発言は,たんに仕事がたいへんだから辞めたいということではなく,高齢で健康面のこともあり,きちんと公務を遂行することが難しくなっているから,という真面目な理由からなのでしょう。ただ,そういう一見もっともらしい理由のときこそ危うさがひそんでいます。
 天皇も人間なのだから高齢になり,体力的にたいへんだというのは,よく考えると当然のこととはいえ,昭和20年8月15日より前の日本人が聞くと,びっくりするような話でしょう。そういう話ができるようになったのが,戦後憲法のよいところなのですが,そうはいえ,国民が簡単に高齢で可愛そうだから仕事から解放してあげてというようなノリで論じるようなものではないと思います(もちろん論じることそのものは重要です。天皇は国民の総意に基づくものですから[日本国憲法1条]。だから私もいま語っているのですが)。
 天皇制度をどうするかは,いまの平成天皇の個人の意向を超えた問題です。譲位ということであっても,個人としての天皇が,制度としての天皇について意見を言い,それが具体的な制度改正論に影響するとなると,後々に禍根を残すでしょう(それが憲法改正に絡むことなのか,特別法でよいのかどうかという法解釈論だけの話ではありません)。天皇制度を論じてよいのは,主権者である国民だけなのです。天皇の意向というものは,それがご本人から発せられると重い意味があり,主権者の判断をゆがめる危険があります。天皇に敬意を払わない政治家が出てきて,たとえばその意向で,天皇に譲位させるなんてことが起こらない保証はありません。
 私は天皇制度へのとくに深い思いはありませんし,存続してもしなくてもかまわないという立場ですが,象徴天皇制はうまいアイデアだと思っています。歴史的には,第2次世界大戦時に天皇制度が危機にあり,かろうじて象徴天皇制として残ったという事実があります。天皇主権ではなく,国民主権であるということが大切で,天皇から政治的な権能を奪って象徴としての機能に限定したからこそ,天皇制度は存続することができたともいえるのです。
 天皇をはじめ皇族をみると,現代的な感覚からは,きわめて不自由であり,気の毒な感じもします。皇族の生の声をきいてみたいという気持ちは国民の多くがもっているかもしれません。
 でも天皇はやはり天皇制について語ってはならないのです。天皇のご学友なるものの意見をとおして天皇の意向を紹介するマスコミは,憲法の理念に抵触する行為をしているような気がします。天皇の意向に関係なく,摂政制度(憲法5条)のあり方は皇室典範で規定できることなので,国会で議論していくべきでしょう。
 個人としての天皇のことを慮るのならば,それは天皇周辺の役人が,天皇制度のこととして問題提起すべきであったのではないでしょうか。陛下が高齢で過重労働になっているということは,想像はできたものの,今回の天皇の発言を受けて,ようやくその詳細が明らかになったという面があります。天皇の業務の過重性をタブー視して情報を出さず,そのため天皇自らが発言せざるをえなくなったことは,周辺の大きな落ち度であったと思います。
 これこそが,今回の退位論において最も反省すべきことではなかったか。皇族を単なるゴシップの対象とすることが多く,天皇制度のあり方そのものの議論はタブー視して,まじめに論じることをしてこなかったマスコミや私たち国民自身も,反省をすべきところがあると思いました。

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2016年12月 4日 (日)

伊坂幸太郎『ガソリン生活』

 伊坂幸太郎『ガソリン生活』(朝日文庫)を読みました。独特な伊坂ワールドには,読者の好き嫌いがかなり分かれるでしょうね。私も微妙なのですが,本書もずるずると最後まで読んで,それなりに楽しめました。
 自動車が互いに会話をできるという驚くような設定ですが,自動車の視点で,さまざまな人間たちが登場します。どうしようもない極悪人,普通の幸せな家庭の人(でもやはりそれなりに普通に不幸なことも押し寄せてきます),きわめて高貴な家庭の娘(それが幸せにつながるとは限りません),親の財産のおかげで仕事をしなくても食べて生きていける男,有名人の不幸をネタにして食べているジャーナリスト(でもどこかで贖罪したいと思っている)といった人間たち・・・
 望月家の息子二人は,ひょんなことから有名人の荒木翠を車に乗せることになります。彼女は,親の著作権で生活している丹羽という男性と不倫をしていると噂されていました。翠は,その後,車から降りますが,そのあと,丹羽と乗っていた車の事故でトンネル内で焼死します。
 望月家にはもう一人娘(まどか)がいて,江口という男と付き合っています。江口は,トガシという極悪人の手下に脅されて,死体運びを手伝わされそうになります。まどかは助けにいこうとして事件に巻き込まれ,さらに望月家の母と息子二人も巻き込まれます。 この窮地からなんとか逃れることができたのですが,実はトガシはすでに死んでいるということを,ジャーナリストの玉田が話し始めます。玉田は,荒木と丹羽の事故のことを記事にしたジャーナリストでした。実はダイアナ妃も生存説があるように,荒木と丹羽も生存しているのかもしれない。そんな感じで話が展開していきます。
 自動車好きであれば,結構楽しめるのかもしれません。自動車たち情報交換を通した進んでいくストーリーと,それを知ることができないなかでの,人間達のストーリーの展開とが併行していくところ(もちろん自動車と人間は会話ができないという設定)が,本書の面白さです。とてつもなく賢い小学生の亨(望月家の次男坊)がいい味を出しています。  ★★★(私が自動車に詳しければもっと良かったかもしれません)

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2016年12月 3日 (土)

真山仁『プライド』

 真山仁『プライド』(新潮文庫)を読みました。新刊書ではありませんが,なんとなく手にとって読んでみました。さまざまな職業に従事する者の仕事へのプライドが関係する短編集です。
 「一俵の重み」は,農水マン(官僚)のプライドの話。なんだかんだ言って結局は選挙目当てのポピュリズムで行動する政治家と,日本の農業の未来を考えて正論をいう官僚との戦いが緊迫感があります。志しのある官僚はすてきですが,現実にはどれほどいるでしょうか。
 「医は……」は,腕がいいが,教授に嫌われて,ずっと冷や飯を食わされていた医師が,かつてのライバルで実力者になっていた男からの引きで,日の目のあたるポストに就くことになりました。どうしてライバルは,自分に良いポストを与えたのか。そこには屈折した男の嫉妬がありました。自分よりも実力のある者を,自分の配下において支配したかったのです。
 「絹の道」は,世界一の絹織物を作りたいと考える女性研究者のプライドの話。大学でのカイコの遺伝子研究で人工的な稀少シルクを作りだすことに成功した女性研究者が,その遺伝子の危険性から,その研究成果のデータをすべて持ち出してしました。大学側はカンカンに怒ったのですが,彼女はノーベル賞級の成果を捨てて,自分の理想のシルク作りをしようとします。彼女がやってきた村では,村おこしのために,彼女しかもっていないデータを使って稀少シルクを作って欲しいのですが,役所の担当職員は最後は断念して,彼女の希望を尊重します。
 表題作の「プライド」は,菓子職員のプライドの話です。利益優先で品質を無視するプリン製造会社の蛮行に,耐えきれなくなったベテラン職人は,そうまでしなければプリンを作れないようなら,会社を潰したほうがよいという決死の内部告発を行いました。それは会社の命令で,その蛮行の片棒を担がされていた娘婿を苦悩から解放するためでもありました。
 「暴言大臣」は,驚くようなストーリー展開で,この短編集のなかで一番面白かったです。自分の正義感に基づきながら,暴言を繰り返した政治家の真の意図は,正義でも,愛国心でも,妻の愛情でもなく,自分の利己心だけだったという話です。
 「ミツバチが消えた夏」は,ミツバチが突然死んでいくなか,その原因が農薬であるとわかったにもかかわらず,農薬はJAが撒いていて,村の有力者がJAの幹部にいるために,文句が言えなくなっているなか,なんとか立ち向かおうとしている男たちの話です。目の前でミツバチが死んでいこうとしているところを,証拠としての写真を撮るしかできなかった男の空しさが余韻として残ります。
 「歴史的瞬間」は,3頁の超短編(掌編)小説です。北朝鮮からのミサイルを迎撃して,発の愛国総理となろうともくろんだ総理大臣に起きた運命とは……。
 農業・食品・政治が中心で,これが筆者の得意分野なのでしょう。★★★(ストーリーのオチがワンパターンでないところがいいです)

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2016年12月 1日 (木)

労働判例百選第9版  

 労働判例百選第9版(有斐閣)が刊行されました。私もパナソニックプラズマディスプレイ事件の最高裁判決を担当していますが,私はこの判決はジュリストの労働判例解説で扱っているので,同じようなことを書いてもしかたないと思い,また,そもそも判例百選は自説を書くところではないので,あえて自説と逆の立場から書いてみて,私の以前に書いたものと照らし合わせて,読者に考えてもらいたいということにしました。
 世間では,労働判例百選で書かれているものが代表的な学説であると誤解している人がいて,これは困ったものです。労働判例百選は,執筆者の名前は入っていますが,いわば誰でも書けるような中立的なものを担当して書くものだと理解しています。したがって,とんがっている自説が,通説と違うと自覚すれば,通説ベースに書くべきなのでしょう。パナソニックプラズマディスプレイ事件については,私は本年では,高裁には反対,最高裁には条件付き賛成の立場ですが,それとは逆に,高裁賛成,最高裁反対という見解も,違った理論体系の下では理論的には十分にありうると思っています。そして,それが通説(あるいは多数説)であるとみられる以上,私としても,それを尊重して書いたほうが百選の趣旨に合うと思ったのです。ちょっと自分が二重人格になったような気分で不思議な感覚ですが,これまでも二重人格で書いた経験もあり,これはこれで自分の視野を広げるためにもよいことだと思っています(ただし若い研究者の方はマネをしないように。まあ,マネをするような人はいないでしょうが)。
 いずれにせよ,今回の私の解説が,私の自説であると決して誤解なきようお願いします。

 今回,判例百選の執筆者110名の一人に選ばれたことは,労働法学の世界で,まだ私が現役であるということを認めてもらったということでしょうから,そのことには感謝しています。ただ,大勢の研究者が寄り集まって書くというこの企画自体に疑問をもっており,私自身は,この第9版をもって判例百選からは卒業したいと思っています。この種のものについては,私自身は,単著でやっている『最新重要判例200労働法』(弘文堂)に専念したいと思います。

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