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2016年10月

2016年10月30日 (日)

誉田哲也『Qrosの女』

 誉田哲也『Qrosの女』(講談社文庫)を読みました。芸能界の裏事情をネタにした小説で,それなりに面白かったです。あるCMに出ていた謎の女性「Qrosの女」。美人で,人気絶頂のイケメン俳優の藤井涼介にハグされたシーンが出てくるこの女性は,いったい誰なのか。それがはっきりしないことから,いろんな話題が出てきます。外国人説,オカマ説などがとびかうなか,週刊誌のライターの栗山は,この女性の素性を探り当てます。それは芸能プロダクションで働く事務員の真澄でした。CMに出演する女優のマネージャーとして,たまたま撮影現場にいたところ,出演することになってしまったのです。
 もっとも本人は一般人で,芸能人になったり,有名になったりすることなどまったく望んでいない,普通の女の子でした。そのため,この出演は極秘中の極秘とされました。しかし,世間はそれを許しませんでした。ネット上に,あたかも芸能人のように,「Qrosの女」はたいへんな話題となります。
 栗山は,真澄を尾行して自宅をつきとめました。そんなあるとき,同業者である園田が彼女を連れて出ていくところを偶然目撃します。彼女は園田の自宅に連れて行かれるのですが,その後,ヤクザっぽい者が園田の自宅を襲撃し,そこから逃げてきた真澄を栗山は妹と住んでいる自宅にかくまうことにします。真澄は,ネットであげられている彼女の情報から自宅がわかっていて,ストーカーされている可能性が高いと考えて,自宅から離れて生活することにしたのです。
 実は園田は,アキヤマという男から頼まれて,真澄の日常について調べて情報を提供していました。アキヤマは,その情報を,勝手にネットにあげていました。真澄をストーカーしていたのは園田,それをネットに書き込んでいたのはアキヤマだったのです。ただ,園田は,自分の情報がそのような個人攻撃に使われることは了承しておらず,アキヤマに対して憤りを感じていました。そこで今度は,自分でアキヤマが誰かを明らかにしようと考えます。   最後は,アキヤマの正体がわかります。思わぬ人間で,思わぬ動機で,そして思わぬことから正体がわかります。なんとなく緩くて,怖くて,でも厳しい芸能人の社会。でも,プロダクションも,そして日頃は芸能人のプライバシーを暴いているライターたちも,素人の真澄のことは,必死に守ろうとしてくれます(そんななか冒頭に出てくる矢口の役割は,売れないライターの辛さが出ています)。
 最後はいい感じで終わるのですが,私が好きなタイプのエンタメ系の小説です。★★★(暇つぶしにいい)

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2016年10月29日 (土)

個人HP

  最近,個人的には大きなことであったのが,HPの立ち上げです。すでに1週間ぐらいが経ちました。写真を嫌っていた私も,もはや観念して開き直りました。これだけ写真が出回ると(といっても知れていますが),もうどうでもいいです。失うものもありません。ということで思い切って顔を出したHPです。
 ただ,今回の主たる狙いは,英語版で,科研の成果の一部を掲載したかったことです。  そもそものきっかけは,外国出張のときに,日本の解雇法制について説明を求められることが多く,お前はどう考えているのかと聞かれることが多かったため,HPに英語で載せておくと話が早いと思ったことです。といっても,私の英語の業績は貧弱ですが,とにかく彼ら,彼女らが私の書いたものを英語で読める機会があったほうがよいということで,ちょうど現在の科研の研究費での出張のときの成果を英語でまとめる機会があったので,それを掲載しておこうと思ったのです。
 日本語のHPはおまけのようなものですが,せっかくなので,これを機会に成果発表の場として設けてみました。
 HPの作成は,業者に頼みましたが,更新は自分でやりはじめています。それほど難しくはありませんが,いままでやれなかったことが,やれるようになるというのは,脳に良い刺激になっているでしょう。
 大学がVPNを導入していることも,今回初めて知りました。すばらしいです。これは研究の生産性をあげることに大きく貢献するでしょう。どこでいても,ネットさえあれば,大学のパソコンと同じ環境を立ち上げることができるので助かります。HPも大学のサーバーに置いているので,VPNのおかげで自宅からも,また休日でも,更新可能です。
 HPについては改良の余地は多々あるとすでに感じていますが,あせらずゆっくりと進めていきたいと思います。

http://www2.kobe-u.ac.jp/~souchi/en/index.html

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2016年10月28日 (金)

労働法ゼミ

 久しぶりに労働法ゼミのことを書きましょう。今年は夏のイベントはあまりなく,9月初めにOB会を開いたぐらいです。OB会には,それほど多数の人が集まったわけではありませんでしたが,とても楽しかったです。外国に行かなければならない人,労働基準監督官になったけれど辞めようと思っている人など,みんなの近況を聞きながら,私も刺激をもらいました。
 さて後期のゼミは,例年どおり,最初の3回は夏休みの課題図書の報告会です。今回は,トーマス・H・ダベンポート『AI時代の勝者と敗者』(日経BP社),マーティン・フォード『テクノロジーが雇用の75%を奪う』(朝日新聞出版),濱口桂一郎『働く女子の運命』(文春新書),服部泰宏『採用学』 (新潮選書),楠木新『左遷論 - 組織の論理,個人の心理』 (中公新書),マーティン・フォード『ロボットの脅威-人の仕事がなくなる日』(日本経済新聞出版社)の6冊をとりあげました(毎年違う本を指定しています)。
 先々週は,『AI時代の勝者と敗者』と『テクノロジーが雇用の75%を奪う』でした。両者は,結論の方向性が違うので,議論するのに面白かったです。前者はAI時代の勝者になるための戦略,後者は雇用がなくなり9割が失業する時代を想定して,どのような社会構築が必要かを論じたものです。
 先週とりあげた二つの本はともに学生の評判がよかったです。とくに『採用学』は,これから就職活動をしようとする学生にとって,必読の本かもしれません。このゼミでも,就職活動についていろいろな検討をしてきましたが,これを学問的な知見で分析してくれているところが良かったです。採用は,法学においては企業の裁量の領域で十分に分析ができていないところですが,本書ではそこを経営学の観点からアカデミックに切り込んでいるところがとても興味深かったです。「採用学」というのが,これから一つの学問領域になっていくかもしれませんね。
 もう一つ,『働く女子の運命』はタイトルからすると女子のことばかりが論じられるような印象もありますが,むしろ女子という軸を通して,日本型雇用システムを論じたもので,学生には勉強になったと思います。濱口さんは,若者,女子と来たのですが,次は何でしょうね。  
 本日は,まず『左遷論』で,就職してからの厳しさを学んでもらいました。本書で紹介されていた,池上彰の成功例は,学生にも勉強になったのではないでしょうか。
 『テクノロジーが雇用の75%を奪う』と同一著者の『ロボットの脅威』は,内容は重なっていますが,AIのことを考えるうえで参考にしている本で,一連の人工知能・ロボット研究の総括となりました。もちろん本書の内容に全面的に賛成ではないのですが,重要な論点のほとんどにふれられていて,いろいろ考えさせられることが多いです。
 今年はついに普通の労働法の本を指定することがなくなりましたが,それはゼミの目的がいつからか実務志向に変わっていたからでしょうね。

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2016年10月26日 (水)

神様の思し召し

   原題は「Se dio vuole」(神様が望むなら)。
 Tommasoは,評判の高い心臓外科医ですが,傲慢で,イヤな感じの男です。家はローマにある豪邸。ただし家庭はちょっと複雑です。奥さんのCarlaは,南米系のお手伝いの女性がいる専業主婦で,養子をとっている上流婦人です。二人の子供がいて,姉がBianca。不動産事業を営むGianniと結婚していますが,料理ができないので,両親の隣に住んで夕食はともにしています。もう一人はAndrea。大学の医学部に通っています。
 このAndrea の様子が最近おかしいのです。部屋にこもっていたり,行き先も言わずに夜出かけたりしていました。Tommasoは,Andreaが若い男と一緒に出かけてるのをみて,ある疑惑を覚えます。あるとき,Andreaがみんなに話したいことがあると宣言したので,TommasoはAndreaがゲイであることをカミングアウトすると思い込んで,家族に覚悟を促して,Andreaに理解を示すように伝えます。ところが,予想に反してAndreaの告白は,神父になりたいということでした。息子が医師になることを期待していたTommasoは,この告白にゲイであることよりも悪いとショックを受けます。合理主義者のTomassoは,宗教の世界を最も忌み嫌っていたからです。しかしAndreaの前では,Andreaに理解を示した態度をとっていました。
 あるとき,TommasoaはGianni と一緒にAndreaが夜にどこに出かけているのかを突き止めようとします。そこで出会ったのがPietroという神父でした。Pietroは,若者たちを集めて集会を開き,説法をしていました。それをみたTommasoは,AndreaがPietroに洗脳されていると考え,宗教家のPietroの化けの皮をはがすために,Pietroに身分を偽って接近していきます。
 そこからドタバタが始まるのですが,その間も,実はキッチンドランカーであったCarlaは学生運動に参加して逮捕されてしまったり,BiancaはAndreaの影響で福音書を読み始め,生殖目的のセックスはしないと宣言したり・・・。そんななか,TommasoとPietroの間には友情が徐々に芽生えてきます。そしてGianniは,神父になることをやめて,医学の道に戻るですが。
 最後のシーンは難解です。Pietroが車にはねられてTommasoの病院に運び込まれます。担当する医師は,Tommasoに対して,奇跡でもなければ助からない,と伝えます。Tommasoは,この映画の冒頭に,命を助けた患者の家族から「奇跡的だ」と感謝されたとき,「奇跡ではない。俺が優秀だったからだ」と感じの悪いことを言っていたことが想起されます。Tommasoは,奇跡を信じない男でした。
 翌朝Tommasoのところに電話がかかってきます。おそらくPietroの手術の結果を伝える電話でしょう。しかし,彼はそこにおらず,かつてPietroがTommasoに自分の過去を語ってくれた場所で一人座っていました。そこではTommasoに神を信じるようになった話をしたPietroを,Tommasoは少しからかって「梨が木から落下するのも,神の思し召し?」と言い,Pietroは「Bravo」(そのとおり)と答えていました。その思い出の場所で,実際に梨が木が落ちるシーンで映画は終わります。
 Pietroが助かったのかどうかはわからないので,私もそうですが,映画を見ていた人はみなびっくりしたでしょう。「おいおい,オチはないのか」と。しかし,このシーンは,私たちが解釈すべきなのでしょう。私は,この映画は,奇跡などは起きない,すべては神の望むとおりである,ということで,Pietroが助かったかどうかは大切なことではない,というメッセージを伝えたかったのかなという気もしますが,自信はありません。
 この映画では,健常者が,知的障害者や身体障害者のまねをして,不幸な家族であることを演じるというシーンが出てきます。これは笑いを誘うシーンなのですが,私はドキッとしました。日本ではこういうシーンを入れると抗議が殺到するでしょう。ゲイや外国人に対するある種の差別的な態度も出てきます。
 イタリア映画では,私の経験では,障害者をからかうようなシーンがときたま出てきます。そこには,人間にはそういう心理があるのは当然であり,妙にそういうことに触れないほうが不自然だということかもしれません。そして,そのことと実際に差別的な行動をとること(それはやってはならない)とは別の問題だという割り切りがあるような気がします。
 もう一つ驚いたのが,Tommasoがカトリックのことをボロカスにいうシーンです。でも,この映画は,最後は宗教的なところに帰るという意味もありそうなので,これはカトリックにとって悪い映画ではないのでしょうね。  ★★★(観る価値はあると思います)

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第127回神戸労働法研究会

 今回は,河野尚子さんが,在職中の守秘義務に関する日独比較の報告をしてくれたあと,関西外国語大学の篠原信貴君が,市進事件・東京高判平成27年12月3日労判1134号5頁の報告をしてくれました。
 議論はかなり盛り上がりました。学習塾の嘱託専任教務社員(嘱託専任講師)が,1年間の有期労働契約を多数更新していたところ,平成15年に塾側が更新の上限を50歳とするという就業規則の規定を新たに導入しました。当初は10年間の経過措置を設けてその間の更新上限は60歳とされていましたが,経過期間が終了して,52歳であったために雇止めとなりました。なお最後の更新時には,不更新条項(今回が最後の更新である旨の条項)が挿入されていました。
 裁判所は,50歳を更新上限とすることは年齢差別であるという労働者側の主張に対して,これを就業規則の不利益変更の問題ととらえ,10年前の50歳定年制(プラス10年の経過措置)の挿入は合理性がないとし,既存の経過措置(特嘱制度)にあった60歳までの更新を,年齢のみを理由として拒絶しない扱いにする限りにおいて有効であるとする微妙な判断を行い,それを前提に,契約更新への合理的な期待があるとしました(労契法19条2号該当性を肯定)。そして客観的合理的理由,社会的相当性もないとして,特嘱と同等の職務での雇用契約上の権利を有する地位にあるとしました。
 有期雇用の更新の年齢制限は,そもそも労働条件なのでしょうか。年齢制限は更新時までの雇用を保障したものではなく,雇用の終了は,一回ごとの契約の期間満了で生じているのであり,年齢制限は,その年齢を超えて使用者は契約の更新のオファーをしないという意味にすぎないのです。これを労働条件と呼ぶかどうかは微妙なところであり,したがって就業規則の不利益変更の法理に載せることが適しているかどうかは微妙なところです(実は判決は,就業規則の不利益変更とは言っていますが,労働条件の不利益変更とは言っていませんし,労働契約法10条の問題とも言っていません)。もちろん,更新の上限設定は,一般論としては,雇用継続の合理的期待に影響はすると解すべきであり,したがって契約当初から更新上限を3回とするとか,トータルの期間を4年とするという特約があれば,その特約の存在が雇用継続の期待の合理性に影響することは否定できないでしょう。 問題は,上限を特定の年齢にした場合には,どうなるかです。この判決は,上限が新たに挿入されたということから,これを不利益変更の問題としています。就業規則そのものを抽象的にみれば不利益変更かもしれませんが,個々の労働者との関係で,不利益変更というためには,当該労働者について,50歳を超えて更新を継続されるということについての期待がすでに発生しているということが少なくとも必要ではないかという気もしますが,判決はそのことは何も述べていません。理論的には,就業規則の不利益変更という法律構成はおかしいと思えます。
 また,雇用継続の期待の合理性は,年齢差別とかそういう規範的な評価ではなく,実態ベースで判断すべきであり,たとえば50歳上限が実際上は形骸化している,経過措置が時限的ではなく永続的なものであるとみられるような実態がある,最後の更新の不更新条項もきちんと情報提供や説明がなされているわけではない,といったところに注目して判断すべきであったのではないかと思います。そうすると,本件は,このような観点から雇用継続の合理的期待を肯定できたかもしれません(篠原君はそのような趣旨の報告だったと思います)。  とはいえ,本判決のような判断が出てくることは,別の観点からみると,想定しうることかもしれませんでした。高年法が60歳定年を保障していることから(8条),有期の更新の上限も年齢で設定するなら60歳以上にすべきではないのか(本判決は高年法には言及してはいませんが),雇用対策法(10条)の精神からすると,一定の年齢以上の人との有期契約を更新しないというのは問題ではないのか,ということも研究会では議論されました。しかも,本件は,その上限を継続中の更新の途中で挿入したために,就業規則の不利益変更という発想も混入してきたのであり,そして就業規則の不利益変更の合理性の問題として実質的には決着をつけています。
 では,たとえば有期雇用の更新上限を30歳とする契約が当初から結ばれていたらどうなるでしょうか。この場合は正面から年齢要素が問われることになります。そうすると,今度は労働契約法7条の合理性という発想で処理するのでしょうか。それとも,その場合は公序良俗(民法90条)の法理で処理するのでしょうか。これは今後の課題でしょう。
 いずれにせよ,今後は,有期労働契約を5年を超えて更新していると,無期転換となるので,本件のような問題はあまり生じないかもしれません。とはいえ,有期契約の更新拒絶と年齢の関係は,古くからある論点とはいえ,高年法や雇用対策法の観点もふまえながら,年齢差別が現行の公序良俗法理や就業規則の不利益変更の合理性法理にどのように影響するのかは改めてきちんと検討すべき論点であるように思えます。  

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2016年10月24日 (月)

三浦九段事件その3

 しつこいようですが・・・。一昨日の将棋のNHK杯は,なんと1億%クロ発言のハッシーと三浦九段の対戦でした。しつこく9月19日の対局であるというテロップが出ていましたので,あの事件が起こる前の対局だということを,NHKも強調しておきたかったのでしょう。
 そして勝負はというと,ハッシーの完勝でした。解説の飯島七段が,わりと三浦寄りだったので,三浦九段有利な展開を,ハッシーが逆転したようにもとれましたが,そうだったのでしょうか。勝負としては思い切った攻め合いで素人目には面白かったですが,プロ的には,橋本八段が文句なく完勝したというところでしょう。こういうところから三浦九段クロ説が出てくるのでしょうね。 もっとも早指し戦は特別で,強い棋士でも時間の短い将棋では,あっさり負けることもあるので,これだけでは何ともいえないのですが。
 三浦九段以外のネタにもふれておくと,羽生三冠が復活して,王位戦を最後2連勝で逆転防衛し,糸谷哲郎八段との王座戦は,おおかたの予想を覆して3連勝防衛ということで,一時の不調を脱してすっかり勢いが戻ってきました。A級順位戦も初戦は負けましたが,まだまだ挑戦者候補の本命であることに変わりはないでしょう。ということだったのですが,A級1年目でここまで全勝の稲葉陽八段と,本日激突して,稲葉八段が勝ったようです(3日前の叡王戦は,羽生三冠が勝っていましたす)。稲葉八段,名人へまっしぐらですが,そう簡単にはいかないでしょう。
 その他の棋戦をみると,棋王戦(棋王は渡辺明竜王)のトーナメントもベスト4がそろそろ出揃うところで,佐藤名人の挑戦なるかが注目です。王将戦(王将は郷田真隆九段)は挑戦者決定リーグ戦が始っており,豊島将之七段が3連勝と好調です。しかし,リーグには羽生三冠,渡辺竜王も入っていて,大混戦が予想されます。
 話題の竜王戦は,現在,渡辺竜王の1勝のままです。

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吉田修一『怒り(上・下)』

 吉田修一『怒り(上・下)』(中公文庫)を読みました。この芥川賞作家の本は初めて読みました。以下,ネタバレあり。
 八王子で起きた夫婦惨殺事件。血まみれの部屋に書かれていた「怒 」という血の文字。犯人は強い怒りをもっていたようです。犯人はす ぐに判明します。山神一也という男です。しかし,その男の行方はわ かりません。そんななかテレビで情報提供を求めたところ,有力な情報が次々と出てきました。
 精神が不安定な娘の愛子がやっと好きになった田代という男性。ゲイの勇馬が同居を始めた直人という男性。性的にだらしない母親のせいで次々と転居し,沖縄の離島の波留間島にやってきた泉が,島で会った男友達の辰哉がよく行くという無人島に行ったときに偶然出会った田中という男性。三人とも,これまでどういうことをしてきた人間かよくわからない男性で,どことなく犯人の写真に似ています。 犯人が整形手術をしていることはすでにわかっています。
 田代も,直人も,良い青年であるものの,どこか影があります。ひ ょっとして殺人犯では,と周りの人間が疑心暗鬼になっていきます。 そして田代も,直人も,疑惑をもたれたときから姿を消します。それが ,ますます疑惑をかきたてました。
 話の途中で,田中が山神であることはわかっていきます。しかし, 田中と,田代と直人の関係がどうかは,最後のほうになるまでわかり ません。結局,無関係でした。田代と直人は濡れ衣でした。
 田中は,波留間島で殺されます。そこにはもう一つの悲しい物語が ありました。そこには,もう一つの怒りがあったのです。
 前歴がよくわからない若い男性たちをとりまく人間を描いた作品です。山神がなぜ殺人をしたかとか,そういう謎解きの作品ではありません。ただ田代や直人が山神だったらという怖さをずっともたせたところにサスペンスとしてのハラハラ感がありました。
 映画化されたことからもわかるように,映画にはぴったりの作品という感じがします 。★★★★(この著者の作品をもう少し読んでみたいです)

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2016年10月23日 (日)

藤沢周平『蝉しぐれ』

   かつて映画でみた「武士の一分」に感動して藤沢作品を読んでいたこともあります。この『蝉しぐれ』(文春文庫)も映画化やドラマ化されているようですが,私は読んだことはありませんでした。すばらしい作品でしたね。
 牧文四郎とその友人二人との青春物語というと,何だか気の利かない紹介となるのですが,理不尽なことに巻き込まれながら,大人に成長していく姿に,とても感動を与えます。
 ことの発端は,藩のお家騒動に巻き込まれて義父が理不尽な切腹を命じられたこと。義父の遺体を一人で運びながら,文四郎はまだ子供ながらも一家の将来のことを考えます。家禄は減らされ,世間からは白い目でみられて,母と辛い毎日を送り続けた文四郎は,その鬱憤を道場での剣の修業で晴らしてきました。そしてめきめきと腕を上げ,師匠の秘伝を伝授されるまでに成長します。彼の周りには二人の親友がいて,3人の友情物語も良いです。
 文四郎が最初に住んでいた家の隣にはお福という少女がいました。お福とはまだ恋をするような年齢ではなかったのですが,その後,成長して江戸に行き,殿の側女となり,寵愛を受けて出世していきます。しかし,それにより奥の女性達との権力闘争に巻き込まれることになり,お福もまた辛い人生を送ることになります。窮屈な時代における,お福と文四郎とのかなわぬ悲恋も泣けてきます。
 若い人にぜひ読んでもらいたい小説です。現在の私たちの社会が,いかに自由であるかということを感じ取ることができます。もちろん大人が読んでも感動するでしょう。それに男であれば,爽やかな文四郎の成長ぶりを見ながら,自分の少年時代を思い出し,懐かしく感じることでしょう。 ★★★★(有名な本のようですが,さらに多くの人に読んでもらいたいです)

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2016年10月21日 (金)

三浦九段事件その2

 谷川浩司会長が,こんなことで煩わされるのは気の毒なのですが,困ったことです。三浦 九段の処分を訴えかけたのは,どうも渡辺明竜王だったようですね。日本将棋連盟は,おそらくですが現名人や永世名人,名人経験者で話し合ったのでしょう。そこで集まった者で,わかっているのは,佐藤天彦名人と羽生善治三冠。それに谷川九段。それにおそらく森内俊之九段と佐藤康光九段でしょう。あとは当事者の渡辺竜王もいたのでしょう。もう一人は,郷田真隆王将でしょうか。それとも常務の島朗九段でしょうか。いずれにしても三浦処分に異議がなかったということのようです。ただ羽生三冠は,灰色とは言ったが,黒とは言っていないということを表明しています。
 日本将棋連盟は,三浦九段にスマホの提出を求めて,通信履歴などを解析するとしていま す。でも厳密にいうと,そこでOKでもシロとなるわけではありません。共犯がいた可能性も ありますから。誰かに聞くのはクロではないのでしょうか。そこまでやってはいないと信じ たいですが,証拠の有無ということをいいだすと,そこまで行ってしまいます。  竜王戦決勝トーナメントの準決勝での三浦九段・久保利明九段戦がとくに疑惑をもたれて います(7月26日)。62手目の後手三浦九段の6七歩成が,プロの常識にはない手のようです。たしかに,この手は飛車取りに角を打った手で,飛車を逃げると,成ったばかりの歩がすぐに取られてしまいます。他方,後手はこれを放置して攻め合ってもとても届かなそうだからです。三浦九段は6七歩成を指す前に席を外して24分かけています。その後,三浦九段は,飛車取りを放置して,成ったと金で一直線で攻めていき,勝利をおさめます。ソフトは先手の5六飛を悪手とし(その数手前の6七歩から先手の評価値が下がっています),三浦九段のその後の指し手はソフトの指すとおりになっています。
 おそらくプロの感覚では,飛車取りで,後手にすぐにでも詰めろがかかりそうな局面で,それを放置して,ほとんど紛れもない一直線の戦いをするのは,ものすごく勇気のいることであり,その時点で勝ちまで読み切っていなければ指せない手なのです。しかも後1勝で,竜王戦という将棋界最大のビッグタイトルの挑戦者決定戦に出れるという大勝負で,まだ局面にそれほど差がついていない状況で,背水の陣とならなければ指せないような手(しかし ソフトがみれば正しい手)を指したことに,疑惑が出たのでしょう。これはおそらくプロであれば9割以上クロというような将棋だったようです。
 そして問題の10月3日の渡辺竜王と三浦九段のA級順位戦です。渡辺竜王は悲願の名人奪取を狙っているなか,落とせない勝負でしたが,まさかの一方的な敗退でした。ソフトの評価値では,先手の三浦九段が一回もマイナスとならず,完勝でした。とくに4五桂と早々に飛び,5三桂不成からの攻め(「桂馬の高飛び歩の餌食」という格言そのものの局面のようだったのですが)。それ以降も攻撃の手を休めず,駒損(角と銀桂の二枚替え)も気にせず攻め倒したところで,疑惑が高まったようです。勝負がつくと感想戦があるのですが,そこでだいたい相手の読み筋などを確認します。竜王はそこで何かを感じたのでしょう。  もっとも三浦九段が実力で勝った可能性もあります。これまでにも三浦九段が大胆な攻めで勝ったという勝負もあります。もっとも大勝負でここまで大胆に攻めるかというと,そういう棋風ではなかったというのがプロ同士の認識なのでしょう。ソフトで正解を知っていたから大胆に攻められたのではないか,というふうに考えてしまったのです。  疑わしきは罰せずと羽生三冠は言ったそうです。渡辺竜王は,疑惑のある棋士とは指したくないと言い,もし指せというなら竜王を返上すると言ったそうです。谷川会長も困ったのでしょうね。不幸だったのは,10月3日の対局が,竜王戦の直前だったことです。十分な調査をする時間がありませんでした。
 今後の動向に注目です。どう転んでも,よい方向には進みそうにもないのですが。いま勢いがあり,ソフトを使って勉強していると広言している千田翔太五段あたりが同じような手を指せば,誰も疑問をもたなかったかもしれません。この道で長年やっている三浦九段だからこそ,「おまえそんなに強かったっけ」と思われてしまったのでしょうね(もちろん三浦九段は現役A級棋士で十分に実績がある強豪なのですが)。

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2016年10月20日 (木)

Wedgeと日経新聞に登場

 Wedge2016年11月号に,「『解雇の金銭解決』働き方改革とセットで実現を」という記事が掲載されました。解雇の金銭解決については,どうも政府は本腰を入れていないのではないか,ということで,これをきっかけにいまいちど議論が盛り上がればと思います。もっとも,この企画は私が提案したものではなく,Wedgeの編集者の方からの提案です。この論点に着目して,私のところにまで企画の相談をしに来てくださった編集者の情熱には驚きでした。よく勉強している編集者で,複雑な話なのに飲み込みも早かったです。  Wedgeは,昨年の10月号で初登場したのですが,今年になって5月号,9月号,11月号と立て続けに登場です。テーマは,労働時間,ワークライフバランス,副業,そして今回は解雇です。偶然なのでしょうが……。最近は,法学系以外の雑誌への寄稿が中心となりつつあります。解雇の金銭解決に関する本の刊行準備は牛歩の歩みとはいえなんとか進行中で,いよいよ来週あたりが作業のヤマとなります(共著者の進捗状況しだいですが)。
 もう一つ,本日の日本経済新聞朝刊の「ニュース複眼 働き方改革,生産性高めるには」にも登場しました。4人のなかで唯一私が法学系研究者で,制度的な話をするという役割でした。2日前の火曜夕方に神戸大学に来られて1時間くらいインタビューに応じたのですが,その1日半後には掲載されていて驚きです。よくまとめていただきました。まあ分量が少ないので十分に言いたいことが伝わっているわけではありませんが,世間の人に私の見解への関心をもってもらえるきっかけとなれば幸いです。ホワイトカラー・エグゼンプションに「脱時間給」と注をつける日経新聞方式はやめてほしかったのですが,原稿の事前チェックの機会はなかったので,仕方ありませんね。

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2016年10月19日 (水)

Roger Blanpain の思い出

 Roger Blanpainが10月11日に亡くなりました。ベルギーの著名な労働法学者で,私も何度かお世話になったことがあります。比較労働法学会の巨人といってよいでしょう。
 Blanpain以前の労働法分野の比較法学者(comparatist)の代表といえば,Otto Kahn-Freundでしたが,1980年代ごろからは,Leuven 大学のBlanpainが台頭しました。Blanpain は,日本の労働法学者を大切にしてくれて,お世話になった人も多かったと思います。Blanpainの盟友であった花見忠先生のおかげでしょう。
 Blanpainは,欧州では,ドイツのManfred Weiss,イタリアのTiziano Treu, Marco Biagi らと一緒に,あちらこちらでコンファレンスを開いていました。旅一座というような感じもありましたし,グループをつくってもっぱら比較法を中心に活動していくところは,当時はかなり異彩をはなっていたと思われます。
 私の1990年代初めのイタリア留学の時に感じたのは,欧州における比較法に対する関心の低さでした。労働法はdomestic な法分野なので,国内法への関心が中心であったのです。そのようななかでBlanpain一派は,比較法に目を向け続けた点に特徴があり,その意味で比較法研究が若手の「必修」であった日本とは相性がよかったように思います。  
 1993年にECは市場統合し,まさに一体化が進んでいきます。少なくともEC域内加盟国への関心は徐々に高まっていきます。また日本の経済プレゼンスが大きくなるなかで,日本法への関心も徐々に高まります。労働法の分野では,アメリカ法は異端中の異端で,欧州ではあまりアメリカ法への関心は高まっていませんでしたが,それでもアメリカのJanice Bellaceあたりも,Blanpain一派に入り,グループはいっそう強化されました。日本も花見先生の世代から,菅野和夫・諏訪康雄先生の世代に,そして荒木尚志先生の世代へと,国際的なcomparatistの伝統は引き継がれています(次の日本の後継者は誰なのでしょうね?)。
 Blanpain が編者をした本は,日本でも数多く出版されています。ブランパン・花見『労働問題の国際比較』(日本労働協会)は,かつてはよく参照されていました。
 私がBlanpainと最後に会ったのは,10年くらい前になると思います。イタリアのモデナ大学でMichele Tiraboschi に招待されて,年齢差別に関する国際セミナーに参加したときのことです(Micheleは私がイタリアにいたとき,ちょうどBlanpainのところに留学していました)。そのセミナーではBlanpainがチェアマンで,私のプレゼンのときに彼に途中で打ち切られてしまったことを今でもよく覚えています。時間切れと言われたのですが,時間は残っていました。私が日本の制度について,聴衆がわかりにくいだろうと思って,少しくどくどと説明していたので,冗長になっていたのは自覚していたのですが,それを彼はいやがったのでしょう。まあBlanpain一派ではないくせに,イタリアでの国際セミナーでちょこちょこ特別枠で登場してくる若僧に少し権力をふるってみたというところかもしれませんが,失礼だなと感じた記憶は鮮明に残っています。
 でもBlanpainは親分肌の人で,何かあったときには頼りになる人でした。私もその恩恵をたくさん受けています。いろんな意味で大きな存在でした。
 もっとも,私はBlanpainのことを,ごく断片的にしか知りません。世界の比較法への貢献,日本への影響などは,おそらく花見先生や荒木先生あたりから,しっかりした追悼文が発表されることになるでしょう。

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2016年10月18日 (火)

阿刀田高他『七つの怖い扉』

 阿刀田高他『七つの怖い扉』(新潮文庫)は, 7人の作家によるホラー小説の短編集です。ずいぶん昔の本ですが。
  阿刀田高「迷路」。小さいときから昌司は,何度も井戸に死体を投げ入れるとその死体が消えてしまうという体験をしていました。そんなとき母親をその嘱託で殺して井戸に投げ入れたところ,いつまで経っても母親の死体は消えないので,待ち続けていた。「母ちゃんが死んでしまったら,誰も体を張ってまで昌司の不始末を救ってくれる人などあろうはずもないのに……」というオチでした。
 宮部みゆき「布団部屋」は,時代物で,たたりのある家に奉公にでた女性(おゆう)の話です。姉も働いていた酒屋でしたが,姉は原因不明の頓死をとげていました。実は,その酒屋には奉公に入ると,夜に布団部屋に連れ込まれ一晩明かすというしきたりがありました。あるとき,おゆうも女中頭の光子に連れて行かれたのですが……。先祖のたたりと,姉妹の愛の物語ですが,テレビなどでみたらとても怖い話でしょうね。
 高橋克彦「母の死んだ家」。山の中に迷い込んだライターと山崎という編集者。そこは,ライターの祖父の別荘の近くでした。彼の父は事業に失敗して失踪し,母はこの別荘で自殺していました。嫌な思い出がある別荘でしたが,引き込まれるようにして行った男が見たものは……。母が彼を導いたのです。そこで母は,ベッドに横たわる父と女をみてしまい,二人を殺して,自分も自殺したのです。母に乗り移られて,その幻影をみたあと,ベッドの上には一人の男が死んでいました。山崎です。彼はライターの妻と不倫をしていたのです。  
 乃南アサ「夕がすみ」。あるとき家にやってきた親戚の女の子。母の妹の子です。かすみちゃんというこの子には,妹がいたけれど死んでしまい,かすみちゃんの両親も死んでいました。身寄りがないので,引き取ることになったのです。しかし,兄は,この子を不気味がって嫌っていました。そんなとき,その兄が交通事故で亡くなります。かすみちゃんの両親の一周忌が近づくとき,かすみちゃんは思わぬ告白をします。「うんと強く思うと,思った通りになるんだ」。かすみちゃんは,妹ができて両親が妹を可愛がり始めたために・・・。そして私の兄までを。
 鈴木光司「空に浮かぶ棺」。呪いのビデオを見てしまった女性が,出産するという作品です。私には意味がよくわかりませんでしたが,ただ不気味で気持ち悪い作品でした。
 夢枕獏「安義橋の鬼,人をくらふ語」は,今昔物語集にある安義橋(滋賀県)にまつわる怪談を素材としたものです。つまらぬ意地の張り合いから命を落としてしまったということです。鬼なんているわけないと思いながら,やっぱり鬼は怖いですね。今昔物語集では,最後に鬼が弟に変装してやってくるのですが,この作品では,そこをさらにひねってあります。
 小池真理子「康平の背中」。これもちょっと不気味な話です。妻子ある男,康平を愛していた私。あるとき,偶然に,康平が妻子と3人でいるところに出くわします。息子の克也は,その母の昭代に似て醜く,手をのばして「まんじゅうくれえ」と下品なことを言っていました。そんな康平が然交通事故で亡くなります。その後,ある初老の男性と付き合うようになり,料亭で食事中に結婚を迫られていたとき,康平が現れるのです。事故でからだの前半分がぐしゃぐしゃにへしゃげた康平は,背中を向けているだけです。そんなとき,突然,康平が振り返り,克也の顔で「まんじゅう」といって手をのばしてきました・・・,という話なのですが,このオチが今一つよくわかりませんでした。
 ずいぶん前に読んでいたもので,季節外れの夏向きの短編集です。  ★★★(実力派作家のいろんな作品が楽しめます)  

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2016年10月17日 (月)

三浦九段事件

 渡辺明竜王への挑戦権を得ていた三浦弘行九段が,ソフトを使って対局していた疑惑で挑戦権が取り消され,年内の棋戦は出場停止となりました。将棋界にとって衝撃的な大事件です。
 労働法屋としては,こうした処分についての明確なルールが事前に定められていたのかが気になります。これは部分社会内部の問題なので,自治的な決定でやってよいということなのか,それともやはり一般的な法秩序の下におかれるべき問題なのか,も気になります。そもそも棋士の契約は雇用契約なのか,個人事業主なのか。実務上,後者として扱っていても,労働法は,就労の実態をみますので,労働者(労働基準法9条)と判断される可能性がゼロではありません。3段以下の奨励会員(記録係などをやる)となると,よけい労働者的性格が強くなりそうです。修業中や見習いといっても,日本法では,特別な地位には置かれませんので。三浦九段が地域の労働組合に加入して,日本将棋連盟に団体交渉を申し込んできたらどうなりましょうか。労働組合法3条の労働者とならないという保証はありません。
 ただ,こうした労働法上の論点は興味深いとはいえ,より重要なのは,将棋界の今後です。もはやスマホアプリのほうが強いということが常識になっています。対戦相手が,どうも三浦九段が,いつもより強いと思ったのでしょう。ソフトのほうが弱ければ,まったく問題とならないのに,強いソフトを使ったほうが勝てるということになって,こういう問題が起きてしまったのです。でも,これは対局中に強い棋士に助言を求めるのと同じようなことかもしれません。こちらのほうは職業倫理上問題でしょうが,禁止されていないですよね。
 だからといってスマホアプリを使うとなると,もはやプロ棋士の存在意義はなくなってしまいます。プロ棋士の対局は,どちらが致命的なミスをするかで勝負が決まるので,そこで終盤はまずミスをしないソフトを使うとなるとおもしろみがなくなります。誰もプロ棋士の勝負をみなくなり,そうなると棋戦がなくなり(スポンサーがつかなくなり),プロ棋士の主たる収入の道が絶たれます。
 もちろん三浦九段が黒という証拠はなさそうです。だから処分すべきではないというのも,そのとおりという気もします。法的な正義という点では,そう解すべきところでしょう。犯罪に対する処罰とか,懲戒処分とかは,当然,そのとおりです。疑わしきは罰せず,です。一方で,関連する論点として,労働組合の内部の統制処分について,司法審査が可能かというものがあり,一般市民法秩序と直結する処分(除名が典型)は司法審査できるが,それより軽い処分となると司法審査は及ばないという見解もあるところです。司法審査はともかく,処分の法的正義を論じる場合には,これが部分社会の内部の問題で,外部の人間が容喙できるものかどうかも考えておく必要があります(ただ処分が名誉毀損であるという主張であれば,一般市民法秩序と直結することなので,裁判で争うことは可能となります)。
 そこで気になるのが,自分たちの職業がかかっているプロ棋士たちの発言です。ハッシーが一億パーセント黒だと過激に言っていますが,この発言は重い気もします。プロ棋士の世界は,同じ相手と何度も戦うということで,狭いものです。挙動不審とか,突然の指し手の傾向の変化には,相手は敏感に気づくでしょう。もとより三浦九段が黒であるという立証はほぼ不可能ですし,白であるという立証も不可能です。立証不能な問題については,その組織が責任をもって対処していくしかないような気もします。
 これはある部分社会の規律維持のためのものという点では,労働組合の統制処分と同じレベルで論じることができるものであり,そうみると,専門職業集団内における自分たちの職業の存続がかかるような大きな問題であること,および,除名処分ではなく3カ月弱の出場停止処分をしたことからすると外部の規範で法的正義を論じることは難しいという考え方もありえるように思います。
 竜王戦は,現在の将棋界の最高棋戦です。最も大きい賞金がかかっており,スポンサーも力を入れているものです。スポンサーへの配慮として,疑惑がある棋士を出さないようにすることは,規律維持の必要性から正当化できないこともないように思います。黒と認定したからではなく,休業届を出さなかったという理由での処分は,三浦九段の今後を考えた温情処分であったとみる余地もあります。
 もし三浦九段が無実であれば悔しくて眠れないでしょう。名誉毀損として法廷闘争になるのか。あるいは前述のように労働問題となるのか。
 将棋ファンとしては,三浦九段はA級の実力者であることは将棋ファンならみんな知っていることです。あの羽生善治の七冠を崩した男として歴史にも名を残しています。復帰して実力であの事件はシロだったんだよと立証してくれたらいいなという気がしています。

 最後に将棋界はやはり実力と顔が大切です。少々のA級棋士程度では顔にならないのです。渡辺明竜王は名人経験こそないですが,永世竜王(初代)の実績から名人経験者に匹敵する顔であり,現時点では,佐藤天彦名人よりも格は上で,将棋界での位置づけも形式的にはナンバーワン,過去の実績をふまえても羽生三冠に次ぐ存在です。そんな渡辺竜王に対して,数日前のA級順位戦で,三浦九段が圧勝をしたことが,この問題の背景にあるように思えます。非常に強引な無理攻めを通して一方的に勝ってしまったのです。あの渡辺竜王が三浦九段にあんな負け方をするのはおかしいということで,とうの渡辺竜王は黙っていましたが,周りが黙っていられなかったということでしょう。そして,竜王戦という最高の舞台で,ソフト疑惑を残したまま三浦九段が勝ってしまう(2日制で時間はたっぷりあるので,席の退出はしやすい状況にある)となると,おそらく将棋界の最大の悪夢だったのでしょう。
 昨日,三浦九段と挑戦者決定戦で敗れていたが,繰り上げで挑戦者になった丸山忠久九段が,渡辺竜王に短手数で完敗でした(はじめて所持品検査が導入されたようです)。丸山九段は,三浦九段が渡辺竜王に圧勝したのと似たような戦法で臨みましたが,勝負になりませんでした。今回の竜王戦は違った意味で目が話せません(渡辺防衛は動かないでしょうが)。

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2016年10月15日 (土)

武石恵美子『キャリア開発論』

  武石恵美子先生から,キャリア開発論のテキストである『キャリア開発論』(中央経済社)をいただきました。たいへん勉強になりました。キーワードは自律性と多様性です。労働法と隣接領域というか,ほぼ重なっている分野であり,この教科書を使って労働法のゼミをやれば面白いだろうと思いました。そもそも私のゼミは,この本で採りあげられているような分野を中心にやってきているのです。もちろんキャリア論や人事管理の議論の専門的なところは私には教える能力はないのですが,教科書ではポイントがわかりやすく解説されており,これをベースに労働法の議論を組みあわせて議論すると,非常に実り豊かな授業になるような気がします。
 「人事と法の対話」は,有斐閣で出した本のタイトルでもありますが,これからの労働法にとってどうしても必要なことです。こういう優れた入門書が出てくると,私たちにとってキャリアや人事の研究領域との敷居が低くなり,ますます交流を深めたい気になります。
 武石先生には,2年前に神戸大学でやった,広島のマタハラ事件の最高裁判決をテーマにしたシンポジウムにご参加いただき,非常に有益な貢献をしてくださりました。今後も,こういう交流を続けることができればと願っています。

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2016年10月13日 (木)

安西愈・木村恵子『実務の疑問に答える労働者派遣のトラブル防止と活用のポイント』

  安西愈・木村恵子『実務の疑問に答える労働者派遣のトラブル防止と活用のポイント』(日本法令)をいただきました。いつも,どうもありがとうございます。
 改正労働者派遣法については,中山慈夫先生監修の経団連出版の本を紹介したことがありましたが,それに次ぐ実務において信頼に足る解説本が出ました。私などがあまり思いつかないような実務的な論点も多数扱われており,研究者にも参考になる本だと思います。

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2016年10月12日 (水)

湊かなえ『山女日記』

 神戸労働法研究会の夏の合宿はいつも海です。淡路島,小豆島,沖縄,牛窓,宮崎,唐津,鳥羽,賢島,白浜,夕日ヶ浦。そこにはいつも海がありました。大学院の時代の夏の思い出も,菅野和夫先生たちと行った戸田(へた)です。東大の戸田寮で,朝から夕方まで泳いだ記憶があります。いまでも夏は海で泳ぐということを欠かしません。
 そんな海派の私は,山はどうもダメなのです。山ってしんどいし,面倒くさそうです(そもそも山登りの格好がダサいです。と言うと,山女で,山がきっかけで結婚相手をみつけた妹に怒られそうですが)。山を登った爽快感はあるのでしょうが,海で泳ぐ爽快感も負けないほどあります。海にはクラゲがいても,山の虫よりマシです。
  先日,天気が良かったので,近くの摩耶山にケーブルカーとロープウエイで登ってきましたが,これはとても良かったです。山登りというより,ちょっとした散歩ですね。紅葉シーズンに入ると最高でしょう。ちなみにオテル・ド・摩耶のなかにあるイタリアンのRistorante Erbetta は,ロケーションもよく,味もまずまずでしたが,コップがあまり綺麗ではなく,そこが大幅な減点です。
 そこで本題ですが,湊かなえ『山女人気』(幻冬舎文庫)を読みました。短編集ですが,登場人物の話が作品間でつながってきます。それはいいのですが,湊かなえ一流の毒がありません。普通の良い小説という感じです。いろいろな悩みをかかえた女性が,年齢に関係なく,山に登って,何か前向きな気分になる,というパターンのほぼ繰り返しです。山登り好きにはたまらないのかもしれませんが,私にとってはあまり面白くなかったです。他の作品が好きなだけに残念でした。著者の責任というより,山嫌いの私の責任でしょう。  ★(久しぶりの星一つ)

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2016年10月11日 (火)

故郷で働こう

 10日の日経新聞の「地域総合」で紹介されていた内閣府の「プロフェッショナル人材事業」に,たいへん興味をもちました。不勉強にも,こうした事業のことを知らなかったので,これから少し情報を集めたいと思っています。
 私たちはよく(大)都市と地方という分類をしますが,こういう分類は徐々に意味がなくなっていくと思っています。東京が立身出世をはたすところというのは,もはや過去の話です。
 たしかに東京のメリットは人脈や情報が豊富なところにあります。私の業界でも,東京に行けば良い情報があり,研究に役立つという人はたくさんいます。たしかに霞ヶ関には多くの情報があるのですが,情報過多となっている可能性もあります。情報は分析できなければ意味がありません。たとえ情報を迅速に収集できなくても,いつかは地方にも届きます。しかもネット社会ですので,delayはなくなりつつあります。むしろ地方にいくと,選別されてほんとうに必要な情報が入ってくるということもあるような気がします。
 業界によって違うのかもしれませんが,アナログ思考で対面の重要性を強調しているようではいけません。アナログの良さは否定はしませんが,それにこだわってデジタルの活用をおろそかにしてはいけません。地方こそデジタルを活用すべきなのです。
 先日,徳島で社労士会の中部・四国地区のフォーラムがあり,私は基調講演とパネルディスカッションへの参加のために呼んでいただきました。テーマはテレワークです。県知事の挨拶があって,最初はこういう挨拶というのは形式的だけでつまらないことが多いのではないかと思っていたのですが,それがまったく違っていて,実にすばらしい挨拶でした。知事は,徳島をICTの先進地域にし,真の地方の創世をめざす意気込みを語ってくれました。こういう首長がいる県は実に頼もしいです。
 徳島の神山地区は,人口が少ない田舎の町ですが,そこに大容量の光ファイバーを引き込んで,テレワークのやりやすい環境が実現しています。消費者庁の徳島移転の試行は成功したかどうかは微妙ですが,技術的には,徳島にサテライトオフィスを設けて仕事をするということは簡単であり,パネルでは,そういうことに成功している企業の関係者や県の担当者が来られて話をしてくださいました。テレワークの可能性を体感することができ,個人的にもたいへん影響を受けて帰ってきました。
 故郷で仕事をしたい,都会の喧噪を離れて自然に囲まれたオフィスで働きたい,といったことを希望する人は想像以上に多いのではないかと思います。徳島にいても,世界をまたにかけて仕事はできるのです。いまや日本の隅から隅まで物流は可能です。注文はネットでOK。地方の良さを最大限にいかせる環境を作ったのがICTです。  今後ICTはもっと発達します。WiFi環境は日本のいたるところで向上し,携帯の通信も5G 時代に突入しようとしています。この環境をいかさない手はないでしょう。東京や大阪といった大都市がどうしても好きという人はもちろん都会でがんばっていただいて結構ですが,私はこれからは地方の時代だと思っています。地方においても,創意工夫で成長の可能性は大きく広がっています。山口の獺祭の大成功は,そのわかりやすい例でしょう。
 新しい発想は,これまでの枠組みや分類を壊すなかから生まれてきます。分類というのは,私たちの思考を効率化し,認識や分析の力を高めますが,同じ分類のなかにずっといれば,新たなものが生まれにくくなります。分類を変えるというのが重要なのです。人間が分類を指示して対象データを与えると,人工知能はものの見事にやってのけます。しかし,どういう分類をするかの主導権は人間にあります。分類を変えるということは,とても知的な事柄なのです。
 都市と地方という分類をやめてみましょう。多様な都市が全国中に分立し,人々ができるだけ故郷でやりたい仕事をできるようにすること,これが真の地方創世です。政府も,企業も,そして国民も,そうした意識改革をしてみたらどうでしょうか。

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明智憲三郎『本能寺の変 431年目の真実』

 このブログでもよく出てくる(消滅前のバージョンでかもしれませんが),サンテレビの深夜番組「カツヤマサヒコShow」で著者本人が登場していて興味をもって買ったのが,明智憲三郎『本能寺の変 431年目の真実』(文芸社文庫)です。とにかく面白かったです。速読せず,熟読しました。
 明智光秀の子孫である著者が,光秀の汚名を殺ぐために書いたという感じですが,論文を読んでいるような精緻の論証がなされています。私は一次資料を読んだことがないので,歴史の専門家が本書をどう評価するかわかりませんが(おそらくネガティブでしょうが),きわめて説得的であり,物語として読んだとしても面白いです。
 私は,「本能寺の変」に関する本は結構読んでいて,いろんな説があるなと面白がっていたのですが,明智家の子孫としては,面白がって読んでられるものではないでしょう。歴史家の権威ある文献にも難があるというのが,著者の見解です。
 明智光秀が,天正10年(1582年)6月2日に,本能寺で織田信長を殺したことは事実です。光秀は織田信長の家臣であったので,謀反です。では,光秀はなぜ謀反を起こしたのでしょうか。よく言われているのは,個人的な怨恨です。信長に虐げられていた光秀は,信長を恨んでいた。ちょうどこの夜,信長はごく少数の近習だけを連れて本能寺にいた。そこで,光秀はこの機会に乗じて謀反を決行した,というものでしょう。
 しかし,優れた戦略家であったことは誰も否定していない光秀が,失敗したら一族滅亡につながるような無謀な謀反を簡単にするというのは信じがたいことでもある,と著者に言われると,そうだなと思います。そして,今日の本能寺の変に関するイメージは,実は秀吉の御伽衆である大村由己の書いた「惟任退治記」による部分が大きいと聞くと,なおさらそう思います。歴史は勝者によって書き換えられるわけで,そうした文書は参考にはならないのです。
 ここから著者の「歴史捜査」が始まります。説明のつかないところを,偶然とか,忍者の仕業などと言って逃げずに,徹底的に信用性が高い歴史文書から論理的に検討していこうとするのです。
 なぜ光秀は謀反を行ったのか。信長は光秀を非常に買っていました。それは将軍義昭側にいた光秀が,信長の家臣となって異例の出世をしたことからわかります。では,なぜ謀反か。詳細はじっくり読んでもらいたいのですが,斎藤道三の時代に一家離散した土岐氏の再興がねらいであった光秀は,信長の明攻め(唐入り)計画(それにより予想される領地の海外移転)と土佐の長宗我部征伐により光秀の同盟者がいなくなることを恐れていました。そんなとき,信長から,本能寺での徳川家康の暗殺を命じられます。信長は家康を油断させるために,あえて少人数で本能寺に入り,そこに家康を来させたところを,光秀,筒井順慶,細川藤孝に暗殺するよう命じていたのです。ところが光秀は,逆にこの機会に乗じて家康,順慶,藤孝らと組んで,信長暗殺を企てました。光秀は信長を討ち,家康は東国の織田領(旧武田領)を攻撃して,織田方を壊滅させようとしたのです。
 しかし,6月2日,筒井順慶は動かず,藤孝も動きませんでした。孤立した光秀は,予想以上に早いスピードで戻ってきた秀吉に山崎の戦いで殺されてしまいます。
 信長は家康を誅殺するつもりであったのを,その計画を打ち明けられていた光秀が裏切ったというのが,本能寺の変の真相です。光秀は本能寺の変のあと,朝廷からも支持を受け,途中まで謀反は成功していました。しかし,最後は,秀吉にやられてしまいます。どうして藤孝は動かなかったのか,筒井順慶も動かなかったのか。秀吉は,なぜ「大返し」ができたのか。
 とくに秀吉の「大返し」の謎ときは秀逸で,ぜひ読んでてみてください。また,秀吉,家康,藤孝の密約も驚きです。三者それぞれに負い目がありました。藤孝は光秀を裏切り秀吉に情報を流していました。秀吉は謀反の計画を知りながら,信長をはじめ誰にも告げずにだまっていたのです(秀吉は,光秀に信長を殺させて,自分が光秀を討って天下をとるという計画をもっていたということです)。また家康は謀反に加担していたという負い目があります。秀吉が,家康への扱いが寛大だったのは,秘密を共有していたからです(ただ家康を生かしたことが豊臣家の滅亡につながるのですが)。秀吉と,その後に政権をとった家康が,ともに細川家に寛大であったのも,そのためです。三者は談合して,すべて光秀の責任としたことにより,三者は生き残り,光秀一人が悪者になったのです。
 しかし,家康が光秀との同盟を忘れていなかったという話も興味深いです。光秀の重臣の斎藤利三の娘の福が,のちに春日の局となり,家光の乳母となって権力をふるっていきます(生母というのが,本書の立場)。また,家康は土岐氏の再興も実現しています。そして,明智家は,現在でも著者のように子孫が残っているのです。
 著者には,細川家に対する複雑な気持ちがあるでしょう。光秀は細川家を信頼しきっていたからです。明智の娘で,細川藤孝の長男の忠興に嫁いだガラシャがキリシタンになったのは,細川親子の父への裏切りにショックを受けたからだということも本書で書かれています。細川家が江戸時代以降も肥後で繁栄し,平成には首相まで出していることなども,明智家の子孫にとっては,複雑な気分でしょう。ただ著書は,もとは藤孝の家来であった光秀の異例の出世に対する細川家の複雑な心情にも理解を示しています。
 本書は,明治政府による豊臣秀吉神話の再興にもふれています。「唐入り」という愚行を信長がやることを光秀は阻止したものの,秀吉がやることは誰も阻止できませんでした(本書では,千利休,豊臣秀次の悲劇も,唐入り阻止に起因するものだと論証しています)。明治政府の「唐入り」を正当化するために,秀吉は再評価され,光秀は秀吉とは違い主君の恩を忘れた悪者だというように仕立てられていったのです。
 光秀の謀反は事実です。しかしそれは信長の間違った海外征服の野心を正す意味があったという正当化は著者のうまいところです。ただそれだけなら,著者の巧みな説明にすぎないで終わりそうですが,著者は,戦国時代における海外征服の必然性も見事に説明しています。信長も秀吉も狂ったから「唐入り」をしたのではないのです。国内が統一されてしまうと,新たに恩賞として与える土地がなくなってしまいます。土地を媒介とする主従関係で成立していた武家社会では,朝鮮,中国を征服し,その土地を家来に与えるということをしてかざるをえなかったのです。大航海時代で,日本にもキリシタンがやってきて,信長が海外への視線をもったということもポイントです。家康は,信長,秀吉の失敗をみて,国内で土地をやりくりする方法で対処します。そのために江戸時代は多くの家が取りつぶされて,土地を捻出していたのです。ところが明治政府は,海外征服の愚行を繰り返し,秀吉礼賛に戻ったことの愚かさを著者は指摘しています。 
  これと関連して,著者が引用したビスマルクのメッセージ「賢者は歴史に学び,愚者は経験に学ぶ」も意義深いです。著者は,歴史を学ぶ際に,個人的経験から空白を埋めてしまっては危険と考えています。私たちのこれまでの知見は,過去の勝者や現在の権力者の意向によってすでにゆがめられている可能性があります。それに基づいて自分の経験から想像をして,空白を埋めようとしても,的外れになる可能性が大きいのです。空白をエビデンスと論理で埋めていくということに徹底したのが本書です。
 秀吉の「惟任退治記」があてにならないのは当然としても,さらに細川家の正史である「綿考輯録」(今日の学界の通説である高柳光寿『明智光秀』も,この文書に依拠しているというのが著者の指摘です)について,細川家も光秀謀反に密接に関係し,かつ光秀を裏切っているので,ほんとうのことが書けなかったということです。文書の信用性の徹底した検証の重要性を再認識させられる話です。
 細川家からすると,大いに異論はあるかもしれませんが,これほどスリリングで知的興味を喚起させられる本はなかなかないでしょう。
 ★★★★★(戦国ファンではなくても,ぜひ読むべき) 

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2016年10月10日 (月)

真田幸村

 大河ドラマの「真田丸」も,いよいよ大阪の陣に入っていきます。関ヶ原の戦いが一瞬で終わったところは唖然としましたし,今回はなんと「幸村」の「村」を,くじで決めるという,たぶん絶対にありえない展開も驚きでした。
 史実はひとまずおいて,信繁が幸村になって,人生の大勝負とかけていくというところに,男として魂が大きく揺さぶられるところがあり ます。今日の「きり」(長澤まさみ)のセリフは,かなり感動しました。
 人生において何かを成し遂げろ,あなたはこんなところで安穏としたちっぽけな幸せに満足して人生を終えるような人ではない,と鼓舞するところがいいですね。
 人生に大事なのは,一度かぎりの人生で,自分で主体的に決定して何かを創り出し,残すことなのだと思います(これは達成感と言い換えてもいいでしょう)。何か不完全燃焼のまま人生を終えるのは悔しいのです。幸村の人生に多くの人が感動するのが,彼が不遇の時代を経て,最後,人生に一度の大決戦を,これ以上ない大敵相手に行い,あわやというところまで追い込んで,最後に散っていったところです(散ってほしくはないですが,戦国時代の武士の生き方は,死に方が大切なのです)。
 私が『勤勉は美徳か?』(光文社文書)で書いたのも,会社に使われて,受け身のままの人生でよいのか,という問題提起をしたかったからです。勤勉に生きていると(ここでは会社の秩序にただ忠実にしたがって受動的に生きるということ),そこそこの幸せを得ることができるかもしれませんが,もっと大きな幸せをつかむチャンスを逃している感じもあります。私は主体的な創造性や達成感というなかにこそ幸福があると感じて,この本を書きました。
 大阪の陣で登場する幸村の「真田丸」は,非常に独創的な戦術だ ったと思います。これもある種の知的創造性です。幸村のこれからの 人生のドラマについて,三谷幸喜がどう描いていくのかが,とても楽 しみです。もう「くじ」は使わないでほしいのですが。

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2016年10月 9日 (日)

私の著作

 産政研フォーラム111号の「働き方改革」特集に,佐藤博樹さんと,黒田祥子さんと並んで,私の原稿も掲載されています。タイトルは,「働き方改革と労働時間規制」です。労働時間規制のことは,すでにいろいろなところで書いていますが,労働時間の上限規制が再び問題となっていて,この雑誌でも採りあげるということなので,依頼がきたのでしょう。この雑誌には,6年前に「契約の自由をめぐる一考察」というタイトルの原稿を書いたことがありましたので,久しぶりの登場です。ひごろは,大竹文雄さんの「社会を見る眼」という連載をいつも楽しみに読んでいます。
 ビジネスガイドで連載中の「キーワードからみた労働法」の112回は,人工知能による雇用の代替をテーマとしています。これも最近の講演でいつもやるものですが,ビジネスガイドでもしっかり書き込みました。
 中央労働時報で連載中の「講座 労使関係と労働委員会」の「基礎から学ぶ不当労働行為法と労働委員会」は10月号で,ついに最終回です。私が労働委員会制度,不当労働行為制度に込めた思いを書いていますので,ご覧になってください。もっと私の本音を知りたい方は,今年の春に出た季刊労働法252号「労働委員会制度に未来はあるか?」で,かなり踏み込んだ改革案を提示しています。
 よく考えると,最近は立法論ばかりをやっているような気がします。制度の最終的な細かいところまでは,あまり考えても生産的でないと思っていて,グランドデザインを提示するということが中心です。解雇,労働時間,労働委員会とやってきたので,次は何になるでしょうか。ご期待いただければと思います。

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2016年10月 7日 (金)

同一労働同一賃金ブーム

 愛知県経営者協会から,「同一労働同一賃金に関する本会の意見」という文書が送られてきました。 この6月に同協会の「労働法制委員会」で各企業の人事担当者向けに「同一労働同一賃金」のことをテーマに話をしたことがあります。実は,そのときの依頼は,この原則が法制化されればどういう対応が必要か,ということだったのですが,私は反対論者なので,なぜこの原則がダメかということを説明する話が中心になってしまいました。依頼に応えていなかったのですが,講演後はそれなりに理解していただいたのではないか,という感触がありました。それと直接関係はないでしょうが,経営者の方はこの原則の法制化に諦め気味だったのが,抵抗する余地があると考えられたのかしれませんね。
 8月にも大阪弁護士会館で,同一労働同一賃金についての話をしたのも,このブログで紹介していたと思います。このときは大きな会場でしたが,たいへん多くの人が集まり熱心に聞いてくださり,私の消極論を聞いてもらいました。
 そして再び名古屋です。今年は3月には愛知労働協会でも講演をしていて,名古屋づいています。10月14日は社会保険労務士会の中部地域の研修で,再び名古屋に行きます。ここでも非正規雇用のことが中心で,同一労働同一賃金のことは当然テーマになるでしょう。
 さらに11月には,兵庫県の経営法曹や労働委員会の使用者委員の方向けに,このテーマで講演することになりそうです(これはおそらく非公開)し,12月2日には,神戸大学ジャンモネ・ワークショップで,ジャーナリスト向けに,このテーマで講演します(場所は大阪梅田にある神戸大学のオフィス)。近いうちにプレスリリースがあるはずです。
 こう書き出しただけでも,いろんなところから依頼があって,さらにまだあるかもしれません。ただ私は反対論者なので,もしほんとうに法律が通れば(考えにくいですし,通ったとしても尻抜けになっている可能性が大でしょうが),このテーマでの依頼は来なくなるでしょうね。
 ところで,日経新聞の経済教室は,一昨日から,このテーマで3人の連載があり,水町さんが入っているのはいいのですが,あとの経済学者2人の方はともに肯定論者であり,これはバランスが悪くないでしょうか。やはり否定論者もしっかり入れておかなければ,偏っていることになります。やはり日経新聞は,経産省寄りなのでしょうか。

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2016年10月 4日 (火)

和田竜『村上海賊の娘』

 和田竜『村上海賊の娘(1)~(4)』(新潮文庫)を読みました。村上水軍というのは,戦国物,とりわけ瀬戸内海の毛利や黒田などの話が好きな私にとって,とても関心が高いものでした。単行本で話題になっていたときから買いたいと思っていましたが,ぐっと我慢して文庫本化を待って購入しました。
 主人公は景(きょう)という架空の女性です。悍婦にして醜女というさんざんな言われ方です(なぜか泉州ではモテまくります)。私は,この女性はバタ臭い顔(イメージとしては,道端アンジェリカ)だったと勝手に想像しています。だから南蛮からの渡来人も多かったであろう泉州ではモテたという想像です。
 それはともかく,村上海賊の頭領の武吉の娘の景が,信長の兵糧攻めで窮地に陥った本願寺からの救援申請に逡巡する毛利家(とくに小早川隆景)と村上武吉を横目に,敢然と救援に立ち向かい,そこで泉州の海賊の真鍋家の七五三兵衛(しめのひょうえ)と出会います。彼と景との出会い,訣別,戦い,友情などが,本書の基本にある筋ですが,最後に大決闘となり劇的な幕切れとなります。
 第一次木津川口の合戦がテーマで,信長,雑賀衆,真鍋海賊,毛利一族や家臣たち,そして村上海賊が入り乱れる一大エンターテイメントです。最初はちょっと退屈だったのですが,景が泉州にわたってからの話はとても面白かったです。とくに景がいったんは男の戦いの世界に軽々しく入ったことを反省して故郷に戻り女らしい生活に戻りながら,しかしやはり彼女をまつ本願寺の門徒たちのことを思い,ふたたび戦いの場に戻ったときからは圧巻です。女性が戦場に出たことにより「鬼手」が出たのです。詳しくは,本を読んで楽しんでください。
 この著者の作品は,  『忍びの国』も,『のぼうの城』も面白かったです。次の作品も楽しみです。  ★★★★(他の歴史ものにはない独特の味わいです)

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2016年10月 2日 (日)

兼業・副業解禁論

 今朝の日経新聞の「けいざい解読」でこういうタイトルの記事がありました。いささか苦し紛れの記事という感じがします。解禁というのは,誰かが禁止していることで,記事では中小企業で多くの企業で解禁されていると出ていました。文脈からすると,多様な働き方の実現のためには,中小企業でも兼業を解禁せよということなのでしょう。
 しかし残念ながら,なぜ兼業が制限されてきたのかという肝心の部分の分析がありません。兼業制限は,民間企業なら,やるもやらぬも自由です。法律上の制限ではないので,そこには企業の経済的な論理があるはずです。そこに目を向けない記事ではまったく不十分だと思います。この点についてはWedgeの2016年9月号の私の論考をみてください。
 ちなみにこの号はかなり売れたそうです。これはいまの会社に閉塞感を感じている若者が,どうも副業という言葉に敏感だからだそうです。私もそこで書いたように,副業というのは,正社員と企業との関係の変化という文脈でとらえるべきです。多様な働き方と関係はしているのですが,より深い流れをつかまえなければなりません。経済界の上のほうが述べているのは,実は違った文脈です。人材をもっとシェアしたいということで,これは若者の希望と必ずしもマッチするものではなく,むしろ同床異夢といったほうがよいでしょう。
 日経新聞の記事では,続いて,ウーバーの話が出てきます。個人事業主のことです。これについては私が「働き方の未来2035」で最も力説したテーマであり,何らかの法的介入が必要ではないかということですが,記事で紹介しているアメリカの文脈とは必ずしも同じではありませんし,副業と結びつけるのはどうかと思います(なお企業の兼業規制が,自営業まで制限しているかは,法的に争いとなると微妙な解釈問題となる可能性があります)。
 自営業者と労働法制との関係をいうならば,もっと詰めた議論をする必要があります。これも「働き方の未来2035」のなかで私が発言したなかにありますが,個人事業主の問題については,拘束性がある(「人的」従属性がある)ために,形式的には自営業であっても,労働法上も社会保険法上も労働者として扱わなければならないという類型のもの(仮装自営業者など)があり,実際にトラブルとなっているものは,日本ではこのタイプのものが多いでしょう。これと区別されるべきなのは,ほんとうに自営業で独立して働いている(真正自営業者)けれど,経済的にみると自立できないような人がいて,その人にどう対処するかです。独立したけれど,失敗して稼げない人をどうすればいいか,です。記事では「失業時の安全網も再構築が必要になるだろう」とありますが,ほんとうに自営業であるとすると,自己責任やモラルハザードの回避といった点が出てくるので,そう軽々しく議論できない問題です。私自身は,失業保障はともかく,セーフティネットは必要という立場ですが。
 こういう議論をしっかりふまえて,たんに労働法制の問題というのではなく,どこまでが現行の労働法制で解決可能で,どこからが現行労働法制では対処できない立法論かの区別をして,(限られた字数とはいえ)そこをしっかり紹介してもらいたいものです。いずにれせよ兼業と一緒に記事にしてもらいたくはないな,というのが率直な感想ですが,新聞ですから仕方ないのでしょうね。

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