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2016年9月25日 (日)

東野圭吾『祈りの幕が下りる時』

 東野圭吾『祈りの幕が下りる時』(講談社文庫)を読みました(以下,ネタバレあり)。
 滋賀県に在住の押谷という女性が,東京のあるアパートの一室で腐乱死体で見つかりました。押谷は,ハウスクリーニング会社の営業をしていた人で,ちょっとお節介なところもありますが,他人に恨まれるようなところのない善人でした。実は,彼女が東京に行ったのは,滋賀の老人施設で,中学のときの同級生であった浅居博美の母親と思われる老女を偶然に目撃したからでした。この老女は無銭飲食のトラブルを起こしていたのですが,身よりがないため,施設に収容されていました。老女は,押谷に対して博美の母親であることを否定しましたが,押谷は確信していました。そこで,いまは有名な演出家になっていた博美に会いにいったのです。しかし博美は,母親を引き取ることを拒否します。博美は,その母親が男を作り,多額の借金を残して逃げたために,父親と二人残され,そして父が自殺することになったことから母を恨んでいるという話を押谷にします。 押谷はその日に帰るはずだったのですが,博美の公演の初日が翌日だったので,それをみてから帰るために一泊しました。そして,公演をみた後,殺されるのです。
 押谷の死体が見つかったアパートの居住者である越川の行方もみつかっていませんでした。近くで,ホームレスの男性の焼死事件もあったのですが,この二つの不審死は関連性がなさそうでした。焼死体と,アパート内の歯ブラシなどのDNAが一致しなかったからです。ところが,その後,焼死したと考えられていたホームレスが生存しており,越川のアパートにあった歯ブラシなどは,そのホームレスのものであることがわかりました。そして,改めて別の残置物を使ってDNA鑑定をしたところ,焼死体は越川だったことがわかったのです。押谷と越川の殺害が同一犯かどうかわかりませんが,殺された越川の家から押谷が見つかったことは偶然ではなさそうです。
 そんなとき越川は,綿部という男性と同一人物であることがわかります。実は綿部は,加賀恭太郎刑事の生き別れとなった母と付き合いがありました。恭太郎の母の百合子は,夫と息子の恭太郎を残し,遠く仙台に行き,そこで水商売のホステスをしていました。綿部はその客でした。百合子が病死したあと,母の遺品を引き取った恭太郎は,越川の部屋に残されていた奇妙なカレンダー(月めくりカレンダーに,毎月,橋の名前が書かれていました)が,母の遺品のなかにあったメモと似ていることに気づきました。そして筆跡鑑定の結果,カレンダーのメモと遺品にあったメモの筆跡が同一人物のものであることがわかったのです。母の遺品にあったメモは綿部のものである可能性が高いので,綿部は越川と同一人物である可能性が高まりました。
 ところで恭太郎は,ひょんなことから浅居博美と面識がありました(これは偶然ではなかったのですが)。浅居の依頼で,子役に剣道を教える機会があったのです。その恭太郎が,押谷らの殺人事件は管轄外でしたが,少しずつ事件の真相に迫っていきます。
 博美は,母の家出,父の自殺(?)で一家離散となり,中学校を辞めて施設に送られることになるのですが,そこで親身になってくれていた苗村教諭が,その後,学校を辞め,離婚をし,そして行方不明になっていることがわかります。また恭太郎の母の遺品で,おそらく綿部が残したであろう時刻表の指紋から,綿部が女川に頻繁に行っていたことがわかり,綿部が原発作業員である可能性が出てきます。そして,そんななか越川の似顔絵に良く似た原発作業員である横山が行方不明であることもわかってきます。さらに,博美の同級生たちは,博美が学校を辞めたときの経緯について記憶があまりないという事実もわかってきます。博美は,父が近所のビルで自殺したというのですが,同級生らは誰も記憶していないのです。
 越川=綿部と横山は同一人物なのか。そして,どうして殺されてしまったのか。 
 押谷は,博美に会った日に一泊して,翌日の「異聞・曾根崎心中」の初日の公演をみていました。そこで,博美の父親のほうも目撃してしまうのです。博美は父は自殺したと言っていたのですが,どうしてその父が劇場にいたのでしょうか。そこで押谷は,博美父子の秘密を知ってしまったのです。苗村も同じでした。
 博美の父はやはり生きていたのです。死んだことになっていたのですが,実際には,横山・越川・綿部になりすまして生きていました。そして,娘の成功を,こっそりと見守っていたのです。月に1度,橋で出会うということにして。では,どうして博美の父は焼死したのでしょうか。それを解く鍵は「異聞・曾根崎心中」のストーリーにありました。娘は,父の死を助けたのです。
 まったくつながりそうにない話が,どんどんつながっていくところが,いつもながら見事です。恭太郎の母の話も自然に取りこまれており,最後は泣かされます。   

  ★★★★(いつものように,一気に読めます)。

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