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2016年9月29日 (木)

二刀流に思う

 前例にはないので・・・。これは新しい提案を拒否するときに用いられる典型的な理由です。私は,「前例にはないので」と言われると,「ではやろう」と思うし,むしろ前例にないことしかしたくないのですが,世の中の多くの人はそうではないようです。
 仕事の場面では,前例にないことをやりはじめると,ノウハウがないので,周りの人がたいへんなのでしょう。面倒くさいからやりたくないのです。それに失敗したら叩かれるけれど,成功してもそれほど誉められない,あるいは誉められたとしても,その確率が低いとなると,前例踏襲が合理的な選択となります。
 それはわかるのですが,前例にないことをやっていると,自分の人生がつまらなく思えないでしょうか。何か自分らしいことをやってみたいと思わないでしょうか。私が『勤勉は美徳か?』という光文社新書の本で,仕事の過程に主体性を,ということを書いたのは,何か自分らしさを仕事のなかで発揮するためには,前例どおりではダメだということを書きたかったからです。仕事で充実感や幸福を感じなくても,仕事以外で充実して幸福感があればよいという人も多いでしょうが,仕事で充実感や幸福感があったほうが,はるかによいのです。そのためには,どんな小さいことでもいいから,仕事のなかで自分の創意工夫を試してみるということが大切です。
 若いころから,そういうことをやっていると,年齢を重ねて,それなりのポジションについたときに,より大きな創造性を生むことができるようになるでしょう。
 これからの日本経済において重要なのは,知的創造性です。これは理科系だけの話ではありません。理科系・文科系に関係なく,仕事や生活のあらゆる局面にあてはまります。
 前例踏襲が蔓延する日本社会においては,これは大きなチャレンジです。年長者が前例にないので,と言ったとき,若者は前例にないからやるんだと「起業家精神」をもって反論できるようなカルチャーが日本に浸透するまでには,残念ながらまだかなり時間がかかるかもしれません。
 それでも学問の世界では,知的創造が重視されているはずですが,とくに社会科学では,必ずしもそうではないのが情けないところです。たとえば若者の新たな発想を,年長者が価値観の押しつけをしていて「残念」と嘆息するなど,老害の極地なのですが,そうしたことが普通に起きています。新しい発想や価値観をぶつけあうのが創造重視の社会です。強い立場にある年長者が新しい価値観を積極的に拾い上げ,むしろ自分のほうが間違っているのではないかを自省する,というような謙虚な姿勢がなければ,(学問においてはもちろんそうですし,学問以外においても)発展はないでしょう。
 日本ハムの優勝試合を見ていました。大谷投手はすごかったです。交流戦でも阪神戦ですごい投球を見せられていました。とにかく規格外の逸材です。この投手は,打者としてもすごいということはご存じのとおりです。二刀流です。これくらいのクラスの選手での二刀流など前代未聞で,まさに前例がないことです。栗山監督は,それをやって,みごとに成功しました。
 すぐれた才能をもつ部下がいて,そこに上司の前例を恐れない独創性があったために,二刀流は開花したのです。上司がリスクを嫌い,そして的確に部下の才能を評価していなければ,こういうことはできなかったでしょう。大谷のような球界の宝を,もし二刀流で潰してはと思うと無難に投手か打者に専念させたくなるところ(他の監督なら,誰も二刀流はさせなかったでしょう)を,あえて二刀流に踏み切った栗山監督の勇気は賞賛に値します。それだけ彼は自分の目と育成方法に自信があったのでしょう。
 大谷の二刀流は,日本の人材育成においても参考になるところが多いと思います。

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