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2016年7月29日 (金)

自前主義の限界-協力と独創の重要性-

 日経新聞で,「孤高のファナック,つながり求める」という記事がありました。ファナックがIoTシステムの開発に関してNTTと組むという内容です。これまで自前主義でやってきたファナックも,ついに他社との「つながり」をしていかなければ,競争に勝てなくなってきたということでしょう。

 最近,オープンイノベーションという言葉を良く耳にします。たとえば基礎研究から商品開発まで,すべて自社のなかでやり遂げようとする自前主義とは違い,他社と協力していこうというものです。

 日本企業には,自前主義が多いようです。たしかに,これまでの日本の製造業では,多くの会社が自前で高い技術力をもち,それに基づき高い生産性と競争力をもっていたのかもしれません。しかし,昨今の技術の開発速度の速さからすると,自前主義は危険です。標準的な技術やシステムが自分たちと異なったものとなると,あっという間に取り残されてしまうおそれがあるのです。

 最近では,自前主義を放棄する日本企業も増えているようです。ただオープンイノベーションの時代になると,何で稼ぐのかは難しい問題となります。みんなで共通の技術やシステムを使いながら,さらなる付加価値をどのようにつけるかという創造性が勝負となるのでしょう。そのため,知的創造的な働き方をする人材が必要となるわけです。こうした働き方ができるのは,理系人材だけではないかという見方もありそうですが,必ずしもそうではありません。いろんなバックグラウンドがある人が集まって智恵を出しあうなかで,その企業独自のイノベーションが起こる可能性もあります(製造業以外に,サービス産業こそイノベーションの余地があると思います)。いずにれせよ労働法制は,こうした知的創造的な働き方に抑制的であってはならないというのが,私のホワイトカラー・エグゼンプション論の前提にある考え方です。

 よく考えると,私たちの労働法研究も,オープンイノベーション的な感じでやっているといえます。研究会は,そのメンバーが知見やアイデアを出し合う,いわば智のプラットフォームであり,いろんなメンバーがその場にやってきて新たな知見やアイデアを披露し議論してその内容を共有財産とし,それを各自が吸収して,自分のところに持ち帰り,独自の成果を追求していくという感じです。それと同時に研究会は,まだ自分では何も貢献できないような人の修業(教育)の場でもあります。そうした人を育成し,将来的に大きな貢献ができるようにすることによって,智のプラットフォームは持続できるのです。

 研究者のなかには,自前主義でやっている人もいます。そのほうが独創的な研究ができる可能性もありますが,これからはどうでしょうか。あるいは均質的な人だけが集まっている研究会もあります。しかし,そこから独創的な研究が生まれるでしょうか。研究者のプラットフォームは,その人と組んで自分は刺激を受けるかという基準により,できるだけ異質なメンバーで構成されていたほうが強いと思います。

 もっともだ労働法の場合はそこが少し難しくて,あまり異質であると議論がかみあわないことがあります(運動論的な労働法をやる人は,神戸労働法研究会には合わない可能性が高いです)。その意味で,異質性は,いろんな研究会に出ていって他流試合をすることによって実現すべきなのでしょう。私がいろんな分野の研究者とのコラボが必要だと言っているのも,そのためです。


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