2017年5月22日 (月)

第134回神戸労働法研究会その2

 もう一人は,JILPT の山本陽大君が,山元事件・大阪地判平成28年11月25日を報告してくれました。アルバイト従業員が過重労働が原因で死亡したケースでの民事損害賠償請求事件です。山本君は今回も周到な評釈をしてくれて,大学院生たちにも良い模範となったことでしょう。今回の報告も,ぜひに活字にしてもらえればと思っていますので,詳細はそこにゆだねます。判決への若干のコメントだけしておきます。
 この事案の特徴は,商品陳列用の什器などの搬入と販売を業とする会社で,15年近く断続的にアルバイトをしていた「ベテラン」アルバイトの「過労死」について,使用者に安全配慮義務違反が認められた点にあります。この労働者の働き方は,現場ごとにアルバイト従業員を募って契約をするというもので,作業単位ごとの労働契約という変わったものでした。それぞれの作業をする際には,労働者から事前に登録がなされるので,日々雇用ないし時間雇用的なものが,反復継続されていたわけです。これは,広い意味での有期契約の一種であり,「一定の事業の完了に必要な期間を定めるもの」(労働基準法14条1項を参照)に近いといえるかもしれません。
 契約の性質はともかく,一つひとつが独立した契約であるとすれば,業務の過重性をどのように判断するのか,またそれにともなう使用者の安全配慮義務をどのように判断するのかが問題となります。裁判所は,形式的には現場ごとに個別の労働契約が成立しているとみざるをえないとしながら,本件の被告会社は,無期雇用契約の使用者と同様に,業務にともなう疲労等の過度の蓄積により心身の健康を損なうことのないよう注意すべき義務を負っていたとし,結論として,使用者の損害賠償責任を肯定しました(過失相殺は3割)。
 判決では,単発契約の繰り返しの場合でも,会社は,労働時間数やその他の労働形態等を把握し,労働時間数等で過度の負担とならないよう調整するための措置をとるべき義務を負っていたとし,具体的には,労働者からの仕事の申込みの前には労働時間数等を適切に調整するよう,また,申込みの後においても他の日時,時間帯に変更等をするよう指導するなど,労働者の労働状況を適切なものとするための措置を採るべき義務を負っていたとしました。
 会社としては,アルバイトがたくさん仕事を入れて過労になっていそうだったら,本人がやると申し込んでいても,あまり仕事を入れすぎないように配慮する必要があるということです。
 労災の場合には,事故当時の視点ではなく,後からの視点で義務が追加されてしまうようなことが多く,結果責任的なものとなりがちです(「後知恵バイアス」の一種でしょう)。本件も,そのような印象を否めません。たしかに使用者にそのような措置を採るべきことはおよそ期待可能で(zumutbar[独])でなかったとはいえませんが,そう期待することが適切であったかどうかについては疑問が残ります。バイトをがんがん入れて稼ぎたいという労働者がいるときに,具体的な病気の前兆もないのに,仕事を減らすべきと使用者に要求するのは,どうかと思うのです。そこは労働者の自己責任としておかなければ,バイトで働く人に不利に働くこともあるでしょう。  裁判所は,この労働者は単なるバイトではなく,反復継続されて実質的に無期雇用に近いような労働者とみていた可能性もあります(こうしたバイトを活用することによって,不当に人件費を安くあげていたという評価もあったのかもしれません)。もし本件のようなケースで労働者が仕事を申し込んだのに使用者が拒否したら雇止め制限法理(労働契約法19条)が適用されるのか(更新申込みを労働者の健康のために使用者が拒否したときには,雇止めの正当理由として認められるのか),労働契約法18条が適用されることはあるのか,労働基準法との関係でも労働時間を全部通算すべきなのか,などといった問題も出てきます。
 こうした問題にすべて肯定的に考えるのなら,理論的には一貫していますが,実質的妥当性には疑問が出てきます(裁判所も,損害額の算定のところでは,割増賃金は算定基礎に入れておらず,実は一貫性を欠いているともいえます)。
 むしろ,こういう労働者は,雇用労働者ではなく,請負的なものではないか,という気もします(イギリスでは,本件のような場合には,mutuality of obligationがないとしてemployee ではない[workerにはなりうる]と性質決定される可能性もあるでしょう)。そうなると一転して,雇用関係から離れた一般的な安全配慮義務の問題となり,発注者側に多くの義務を肯定することは困難となるでしょう。
 さらに,本件は継続的な契約関係により特定の発注者との間で経済的な依存関係が生じた「準従属労働者」の問題ということもできそうです(ドイツでの「労働者類似の者」の問題)。雇用労働者でもなく,真正なる自営的就労者でもない,中間的な就労者の問題とみるならば,この事件は多くの示唆的な検討課題を提供してくれているようにも思います。

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2017年5月21日 (日)

第134回神戸労働法研究会その1

 今回は,特別ゲストで,京都大学の小畑史子先生に来ていただきました。本研究会には初登場です。O公立大学法人事件・京都地判平成28年3月29日をご報告いただきました。
 大学の准教授が,アスペルガー症候群によりトラブルを起こしていたことから,適格性の欠如という解雇事由に該当するとして解雇された事件で,適格性欠如という解雇事由には該当せず,労働契約法16条の客観的な合理的な理由がないとして,解雇は無効とされました。精神障害という点をまったく考慮しないならば,この准教授の行動には多いに問題があり(生協の職員に土下座をさせたり,校内での学生とのトラブルで学生を告訴したりするなど),解雇されても仕方がないようなところもありました。しかし,大学側は,アスペルガー症候群であることを採用時には知らなかったが,事後的には知るようになっていたので,適切な配慮をすべきとされたのです。この判断では,障害者基本法19条2項や,事件当時は施行前でしたが,障害者雇用促進法36条の3(アメリカのADAをモデルに導入された規定です)も考慮されていました。
 この36条の3は,「障害者である労働者の有する能力の有効な発揮の支障となつている事情を改善するため,その雇用する障害者である労働者の障害の特性に配慮した職務の円滑な遂行に必要な施設の整備,援助を行う者の配置その他の必要な措置を講じなければならない」と定めているので(reasonable accommodation条項),そのような措置を講じなければ解雇はできないという解釈は可能なのかもしれません。これはまさに解雇権が濫用かどうかを判断する文脈での考慮要素です。
 一方で,本件は,就業規則上の「適格性の欠如」という解雇事由の該当性が問題となっています。この労働者の教員としての適格性をそのままみるならば,相当に疑わしいものであり,解雇事由に該当するともいえそうです。そこで判決は両者をミックスして,必要な措置を講じていれば,適格性をもつことができたので,就業規則の解雇事由には該当しないとしたのでしょう。
 ただここで問題となるのは,同条ただし書にもある「ただし,事業主に対して過重な負担を及ぼすこととなるときは,この限りでない」というundue hardship 条項についてです。アスペルガー症候群には,ジョブコーチをつけるなどの措置が有効であるとしても,たとえば校内でのトラブルの予防のために随時コーチをつけることは,まさに「過重な負担」といえなくもありません。判決は,障害者に関連する法令の理念に沿うような具体的方策を検討した形跡すらないとし,「配慮が限界を超える状態に達していた」とは認められないとしていますが,ストレッサーとなる教員との接触では,配慮をしているので,全体的にみると,使用者に厳しい判断のように思えなくもありません。ただ,大学側にも,主治医への問い合わせをしていない(問い合わせをしたからといって,答えてもらえる保証はないのですが)など,もう少しやるべきことがあったのかもしれず,そのため結論の妥当性はかなり微妙です。
 いずれにせよ,「必要な措置」と「過度の負担」の適切な解釈がなされなければ,使用者はこうした精神的な障害をもつ人の採用にいっそう慎重となるでしょう。36条の2は,募集・採用時にそういうことがないように要請した規定ですが,「採用の自由」を正面から否定する解釈はとれないので(要するに,労働者のほうから,使用者に対して必要な措置をとって採用するよう請求する権利はない),その効果には限界があります。
 必要な措置の限界を適切に設定し,使用者がそこまでの措置は講じていて,それでも適格性がないとなれば解雇できるということにしておいたほうが,使用者は安心して採用できて,障害者雇用の促進という趣旨に沿ったものとなると思います。法の趣旨がそのようなものであるとすると,それに適合的な解釈をすべき裁判官の責任は非常に大きいものとなります。

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2017年5月20日 (土)

フリーランスの契約保護

 昨日の日本経済新聞で,「厚生労働省はネット経由で仕事を受発注する『クラウドソーシング』の広がりを受け,フリーランスと契約する事業者向けのガイドラインを今年度中に改定する」と出ていました。
 自営的就労者に対する法的なサポートの必要性は,たびたびこのブログでも紹介していますし,昨年の経済産業省の「雇われない働き方」に関する会合でも政策提言をしました。もちろん拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える-』(弘文堂)でも取り上げています(185頁以下)。
 自営的就労者に対する法的サポートは,経済的従属性のある「準従属労働者」とそのような従属性のない「真正な自営的就労者」とを分けて考えなければならないのですが,厚生労働省は「準従属労働者」のほうに着目しているのかもしれません。それはそれで大切とは思いますが,本丸は「真正な自営的就労者」であることは忘れてはなりません。ただそれを厚生労働省で対応できるかどうかはなんとも言えません。従属性のない労働者をどう扱うかは,放っておくと経済産業省のほうでルール化を進めていく可能性もあります。両省がしっかり協力してくれればいいのですが,そうなるでしょうか。
 記事では,「新たに仲介業者を対象に加え,フリーランスが仲介業者に払う手数料のルールを明確にする」とされています。仲介業者の規制についても,前掲書では言及しています(197-198頁以下)。雇用労働者の仲介では「募集に応じた求職者からの報酬受領の禁止」(職業安定法39条)や有料職業紹介における求職者への手数料の規制(同法32条の3第2項)がありますが,自営業者については,自営業の仲介に適合的な手数料のあり方を検討していくことが必要でしょう。そもそも雇用労働者における仲介ビジネスに対する手数料規制の妥当性については議論もあるところであり,そうした点もふまえた検討が進められていく必要があるでしょう。

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2017年5月19日 (金)

藤井聡太四段18連勝

 ついに表題は名人戦よりも藤井四段のほうを選択することとしました。
 まずは名人戦から。第4局が終わり,後手の佐藤天彦名人が,稲葉陽八段に勝ちました。これで2勝2敗のタイです(後手番の4連勝)。素人には難しすぎる戦型の将棋でした。稲葉八段の穴熊,佐藤名人の右玉となりましたが,稲葉八段の遠見の角が結局不発だったようです。名人は玉飛接近の悪形で素人がやると叱られますが,名人に定跡なしです。佐藤名人は20日にソフトのチャンピオンのPonanzaと第2局がありますが,盛り上がりは今一つですね。ここで負けると,名人がAIに完敗となって,本来は「事件」なのですが,名人が勝つと予想している人はほとんどいないのではないでしょうか。
 いまの話題はやはり藤井四段です。若手が出場する加古川青流戦(トーナメント)で,竹内雄悟四段との初戦がありました。先手の竹内四段が振り飛車,後手の藤井四段の居飛車でした。3四角を突かない最新先方のようです。途中では竹内四段に勝ち筋が何度かあったようですが,最後は藤井四段が勝ちきりました。すでに藤井四段は相手に信用されているので,相手が自分で転んでくれるというところもあるようです。
 勝負の世界は信用が大切で,相手になめられると,相手が最善手を指しやすくなります。藤井四段はまだデビューして18戦です(公式戦)が,1度も負けていないということで,すでに対戦相手は藤井四段の指す手を信用して怖がるという現象が起きているのではないかと思います。
 次の近藤誠也五段は強敵です。藤井四段の真価が問われるところでしょう。

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2017年5月18日 (木)

菊池寛『真珠夫人』

 菊池寛の『真珠夫人』を読みました。Kindleの青空文庫です。1920年の作品です。瑠璃子という女性の短くも波乱にみちた悲劇的人生が,ドラマ化されやすい原因でしょうか。15年くらい前にもテレビドラマで流行しましたね。
 まだ古い女性観が支配的な時代において,貞節と妖婦という二面性をもった女性を描いた作品は,100年前の当時は驚きをもって迎えられたでしょう。
 ところで,この小説では「処女」という言葉が頻繁に出てきます。この当時,女性の貞節は美徳であり,処女であるということそのものに大変神秘的で崇高な価値があったことがうかがわれます。ちなみに,三田寛子のデビュー曲は,「駈けてきた処女(おとめ)」でしたね。処女は,乙女で,未婚なのです。いまは未婚=処女という等式はあてはまりませんが。
 さて作品に戻ると……。西洋的な美しさをもった瑠璃子は,父の政治活動から生じた借金を返すために,恋人の直也と別れて,下品な成金の荘田勝平に嫁ぐことになります。しかし,瑠璃子は,結婚後も処女を守り続けることを決心していました。必死に「初夜」を迎えようとする勝平との攻防は喜劇的で,ちょっと勝平が可愛そうにもなります。いよいよ瑠璃子の貞節が危なくなったとき,勝平は知的障害のある長男の種彦に殺されてしまいます。こうして未亡人となった瑠璃子は,男をたぶらかす妖婦に変身し,後半(および最初の部分)は,この瑠璃子と青木兄弟(淳と稔)との恋が見せ場になってきています(小説は,青木淳が事故死するところから始まります)。瑠璃子は,自分の周りにたくさんの男をはべらせ,淫蕩な雰囲気をただよわせる女を演じています。青木淳の事故死のときに偶然言わせた渥美信一郎は,淳の死ぬ間際に残した「瑠璃子」という言葉を頼りに,彼が託した時計を返しに瑠璃子のところに来ます。信一郎も,瑠璃子の美貌に惑われますが,彼の残した日記から瑠璃子が青木をたぶらかしていたことを知り,瑠璃子に対して,せめて弟には手を出すなと忠告します。
 ところがこの言葉が瑠璃子の心に火をつけてしまいました。瑠璃子は,青木の弟の稔を誘惑するのです。しかし,勝平が残した娘の美奈子も,また稔に初恋の感情をもちます。稔は瑠璃子に求婚し,それを知った美奈子は絶望のどん底に突き落とされます。美奈子の気持ちを知った瑠璃子は稔の求婚を拒否します。もともと瑠璃子は稔を恋愛対象とはみていなかったのです。稔は瑠璃子にもてあそばれたとわかり,激高して瑠璃子を刺殺してしまいます。
 美奈子は,自分の父によって恋人の直也と引き裂かれた瑠璃子が,直也のことをずっと思い続けて貞節を守っていたことを知ります。瑠璃子の男たちに対する態度は,自分に悲劇的な人生を強いた男性全体への復讐だったのです。瑠璃子が幼いころ慕っていた画家志望の兄は,芸術を理解しない父と喧嘩をして飛び出して音信不通となっていました。瑠璃子の死後,その兄が描き二科展に出品された「真珠夫人」というタイトルの絵の若い女性は,清麗高雅で,真珠のごとき美貌を漂わせていました。
 菊池寛は,瑠璃子を処女のまま死なせていることからわかるように,女性の近代性を性の自己決定というようなものには求めていません。彼が,真珠夫人のことを,「近代女性に特有な,理知的な,精神的な,表情の輝きである」と表現していることからもわかるように,女性の近代性を理知性に求めていたようです。おそらく当時は理知的なのは男性で,女性はもっと感情的な存在だという考え方が支配的だったのでしょう。前近代的な道徳観は当然の美徳で,その枠のなかでも,自分なりの考えをもって妖婦を演じたりもできる(そして,男性に復讐する)ところに,菊池寛の考える女性の近代性があり,そうした女性像が前述のように,当時は驚きをもって迎えられたのでしょう。
 100年後の現在,美貌面はともかく,「近代女性に特有な,理知的な,精神的な,表情の輝きである」女性はいくらでもいるでしょうが,それに瑠璃子のような貞淑さを加えた女性はどれだけいるでしょうか。いま演じるとすればどの女優が適切でしょうかね(テレビの真珠夫人は,横山めぐみでした)。

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2017年5月17日 (水)

大学新テスト

 今朝の日本経済新聞に,文部科学省が発表した大学新テストの問題例が掲載されていました。国語の問題例を見たのですが,なかなか面白いと思いました。第2問は,駐車場の賃貸借契約書の条文をしっかり読ませるもので,こういう試験に備えた教育を高等学校でやるようになると,ずいぶん日本人も変わるのではないかと思います。
 実は多くの日本人は,契約書をきちんと読んでいないのではないか,という疑問があります。私は一応法律屋ですので,自分に関係する比較的大きな契約については,しっかりと契約書(通常は約款)の条文を読むようにしており,その文言を確認し,特記事項を追加してもらったり,文言そのものを修正してもらったりしたこともありました。あたりまえのことのようですが,契約書をきちんと読んで内容を確認してくる客はほとんどいなかったと言われることもあり,そういうものかと思ったものでした。
 私たちは消費者契約法でかなり守られているので,契約締結時点での緊張感をそれほどもたなくても悲惨なことにはならないのでしょう。しかし同法の3条2項は,消費者の努力する義務についても規定されており,私はこの文言は,場合によっては裁判所によって重く解釈される可能性もあるのではないかと思っています(この条文を参考に,労働契約の場面でいかして,使用者の情報提供・説明義務について,労働者のほうでも理解するよう努力する義務があるとした論文を書いたことがあります。「労働契約における対等性の条件-私的自治と労働者保護」『西谷敏先生古稀記念 労働法と現代法の理論(上)』日本評論社415頁以下を参照)。
 ところで,また拙著『AI時代の働き方と法』(弘文堂)の話になりますが,同書の第7章で,自営的就労のことを扱っていますが,そこで,このような働き方をする上での基礎となる教育が必要であるとし,その項目として,契約書を理解したり,自分で作成されすることができるようなリーガルリテラシーの教育が大切だということを書いています(196頁)。まさに今回の国語の問題は,リーガルリテラシー教育という観点からも注目されます。難しい法律の知識は必ずしも必要ではなく,まずは文書を論理的に読んで,自分たちの権利や義務というものをしっかりと確保するということが,これからは必要なのです。雇用労働者であるならば,労働条件は就業規則で定められていて,個人ではどうしようもないところがあります(もちろん,個人で交渉して特約を結ぶことは,労働契約法上も想定はされているのですが[7条ただし書])。しかし個人自営業者になると,自分の契約条件は,自分で考えて判断して行かなければなりません。弁護士に頼るだけではなく,自分でも最低限のリーガルリテラシーをもっていることは,来たるべき自営業の時代にとって非常に重要なこととなります。
 そしてこれは実は日本人には,とても苦手なことでもあったのです。契約できっちりと決めていこうとする意識が希薄で,何かあれば事後的になあなあで処理していこうとうする姿勢が強いからです(就業規則の不利益変更も,合理性があればいいといういい加減な法理が支持されてきて,いまでは法律上の条文[労働契約法10条]にもなってしまっていますが,こういう曖昧性は,日本的な契約文化の延長線上にあるものだと思っています)。
 国立情報学研究所の新井紀子先生は,人工知能登載のロボット(東ロボ君)が偏差値57まで行ったのは,問題文をきちんと読解できていない人が多いことが原因であるということを指摘されていました。私も,弘文堂スクエアのエッセイ「絶望と希望の労働革命」のなかで,現行のセンター試験の現代国語の試験は,よく理解できていなくても,テクニックで解けてしまうことの問題点を指摘したことがありました。こうしたことが,いま改善されようとしているのならば,これは喜ばしいことだと思っています。
 大学入試の今後のあり方について,引き続き注目していきたいです

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2017年5月16日 (火)

自民党案でもよいかも?

 店に喫煙マークをつけることを義務づけたらどうかという提案を前にやったところ,自民党は小規模の飲食店において,そのような案を出していましたね。でも塩崎厚生労働大臣は強硬に反対しているようです。店舗面積30平方メートル以内のバーやスナックは喫煙可で,それ以外は専有室内でのみ喫煙できるというのが厚生労働省の案のようです。
 専有室というのが,どの程度のものかわかりませんが,タバコの煙はかなり漏れてくるので,実はこの措置は半端な感じがします。それくらいなら,私は自民党案でよいのでは,という気もしています。喫煙か禁煙かの掲示を義務づけたうえで,もし禁煙と掲示しておきながら,客の喫煙行動を容認した場合には,営業停止などの厳罰に処すことが条件です。また,禁煙の掲示をしたところは,喫煙専有室を置くことも認めないほうがいいでしょう。
 もちろん,健康増進法25条であげられている公共施設(学校,体育館,病院,劇場,観覧場,集会場,展示場,百貨店,事務所,官公庁施設,飲食店その他の多数の者が利用する施設)は全面禁煙にするという法改正ができるなら,それがベストの解決です。東京都は条例でそれを目指しているのかもしれません。ほんとうに家の外で喫煙したいなら,会員制喫煙レストランといったようなものが誕生するはずで,それは許容すればいいのです。
 要するに喫煙者と禁煙者とを隔離してほしいのです。せっかく綺麗な空気で飲食していたのに,あとから一人の客がやってきて1本タバコを吸っただけで,こちらの全身に匂いが残るといった暴力的なことが起こらないようにしてくれれば,とりあえず私は満足です。もちろん煙の健康被害もあり,それも気になりますが,個人的には,店でショパンの生演奏を聴きながらワインを飲んでいるのに,横で一人の客が演歌をくちずさんでいるような不快感といったら,わかってもらえるでしょうか。だから本当はバーも例外扱いにしてほしくないですね。

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2017年5月15日 (月)

テレワーク成功の条件

 今朝の日本経済新聞の「エコノミクストレンド」では,慶応大学の鶴光太郎さんが,テレワークを取り上げていました。ようやく広がりつつあるようにみえるテレワークですが,またまた掛け声倒れになりそうな悪い予感もしています。多くの企業が本気でテレワークの効用を感じることができていないことも,その一因です。労働者も,テレワークでは調子がでないということもあるでしょう。古い頭の上司が,テレワークなんて勝手なことをするんだったら,しっかり成果を出してもらうよ,といった圧迫的な態度に出ることもあるでしょう。上司たちにとっては,自分がやったことがない働き方なので,これを理解しろというのは難しいのかもしれません。ワーク・ライフ・バランスもそうですが,テレワークなんて女性のやることだと考えている昭和の発想の人もいるでしょう。
 テレワークの定義にもよりますが,私はテレワーカーに含まれるのかもしれません。最近では,原稿は大学の研究室ではなく,自宅で書くことが多くなっています。VPNのおかげで,自宅にいながら大学のパソコンと同じ状況を実現できていることが大きいです(大学の仕事も,授業や会議等は別として,もちろん自宅からできます)。ワークとライフの混在となる危険性はあるのですが,幸い,私のような仕事は,半分自営業のようなところもあるので,完全に自己責任です。このような仕事の仕方にとって1番問題となるのは,どうしても面会をしてほしいという要求です。遠方から来られる方も多いのですが,できるだけSkypeでとお願いしています。テレワーク時代は,面会や会議はWEBを通してやることになるでしょう。
 個人的にも,大学でも,会議や授業や学生指導をwebを通してやることを認めてくれれば,完全にテレワーカーになることができます。これは技術的には可能です。大学こそ,教員のテレワーカー化に先進的に取り組んでもらいたいと思います(理科系のような実験が必要なところでは難しいので,まずは文科系学部からやりましょう)。
 もちろん私のような働き方ができるのは,いろんな条件にとても恵まれているからです。しかしその恩恵を実際に感じている者でなければ,テレワークの良さを伝えることはできないとも思っています。だからお前は恵まれているからできるだけだと思わずに,むしろ,どうしたらできるようになるかを考えていってほしいのです。もちろん,現在の働き方のままではテレワークの広がりは難しいでしょう。しかし仕事のさせ方を少しずつ変えていけば,テレワークの活用可能性はぐんと広がると確信しています。
 問題点はたくさんあるのですが,利点もたくさんあるのです。利点を生かすために,問題点を解決していくというアプローチを取っていてもらいたいものです。昨年9月に徳島の社会保険労務士の会議でテレワークの推進がテーマになっていて,私も基調講演をさせてもらいました。社会保険労務士は,テレワークを使った人材活用というものを積極的に学び,企業にアドバイスをしていけば,大きくビジネスチャンスが広がると思います。
 ところで本日の鶴さんの原稿で気になったことがあります。テレワークにおける健康配慮の重要性を唱えるのはいいのですが,「ICTを活用した労働時間の正確な把握が過重労働を避けるために必要不可欠な工夫だ」とされていることです。一見,何も問題がなさそうですが,法律家としては一言口をはさみたいところです。
 たしかに,私も,テレワークの導入を渋る経営者が,労務管理が難しくなるという理由を挙げるとき,最新技術の活用によって勤怠管理などは容易にできます,と説明します。実際そのような方法で労務管理をしている企業もありますし,それに対応するようなソフトなども開発されています。これはHIM的観点からの議論です。しかし労働法的観点からすると,これは指揮監督手法の拡大です。現在のひとつの大きな問題点は,ICTの活用によって,自宅で勤務していても,非常に精密な労務管理が可能となってしまうことです。これは最近別のところに書いた原稿で論じていることなのでここでは詳しくは書きません(いつ刊行されるか不明ですが年内でしょう)が,IoTの発達は,労働者にセンサー装着を義務づけることにより,どこにいても,機械によって行動を制御することを技術的に可能とするのです。企業にとってみれば,むしろ在宅勤務であろうとモバイルワークであろうと何でも来いで,どこにいてもコントロール可能だということです(そのコントロールはAIがやるのですが)。このことは労働法的には,事業場外労働のみなし制を適用する前提要件を欠くということでもあります(労働基準法38条の2)。「労働時間を算定し難い」という要件を充足しないからです。
 労働時間は,法律上の定義はありませんが,判例上「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間」と定義されています(三菱重工長崎造船所事件・最1小判平成12年3月9日。拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第98事件)。このことは,使用者の指揮命令(監督)下に置かれるような時間こそが,労働者の健康に有害であって,だからその時間をカウントして上限規制をしようとするのが法の趣旨ということです。企業が,労働時間を把握しようとすることによって,最新技術を用いるというのは,どこか指揮監督を強化せよといっているような感じがして,健康配慮の趣旨と逆行する気もします。
 経営者には,そういう方法もあるよとは伝えますが,法律家としての立場から推薦するのは,最新技術をあまり労働者の指揮監督には活用せず,逆に健康面は,もっと労働者の自己責任にするということであり,そして,そうした自己責任に適しない労働者には,テレワークを導入しないほうがよいということです。
 テレワークをめぐっては,ICTの指揮命令の強化と自由な働き方の実現という功罪二面性をしっかり意識したうえで,政策論議をする必要があると思っています。
  AI時代のテレワークのあり方については,拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)の159頁以下に,比較的詳しく書いているので,ご関心のある方は参照してみてください。

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2017年5月14日 (日)

藤井聡太四段NHK杯登場

 藤井聡太四段の17連勝は,王将戦第1次予選の西川和宏六段との戦いによるものでした。西川六段には申し訳ないのですが,手合い違いという感じで,藤井四段の圧勝でした。このクラスの棋士では止められないでしょう。次は18日で加古川青流戦の竹内雄吾四段戦です。おそらく山場は,竜王戦6組のランキング戦の決勝の近藤誠也五段との対戦あたりでしょうか。近藤五段は,先日のNHK杯でも,加藤桃子女王に快勝でしたし,この前の王将戦もリーグ入りして,結果は2勝4敗でしたが,豊島将之七段や羽生善治三冠に勝つなどの実力者です。おそらく公式戦でこれまで当たった棋士のなかでは,今日の千田翔太六段に次ぐ人でしょう。
 その豊島七段は,非公式戦でしたが,先日,藤井四段に勝ったのですが,それがテレビのニュースに流れるくらいですから,藤井ブームはすごいです。
 それで今日のNHK杯戦です。異例のことなのですが,藤井四段の勝利はすでに報道されていました。でもどのように勝つかに多くの人は関心をもったはずです。視聴率はすごかったのではないでしょうか。
 内容は先手の千田六段が攻めていくなか,藤井四段が自陣の底に4一角と打ち,また飛車も1四に押しこまれて素人目には窮屈な感じで,先手優勢のようでしたが,途中で千田六段が,7六歩の銀取りを放置して,攻め合いにいったのが暴発気味で,最後は少し早めと思いましたが,千田六段が潔く投了しました。
 千田六段は昨年のNHK杯にベスト8に進出していますし,先日の棋王戦でも渡辺明棋王に挑戦して,あと1勝まで追い込んだ若手最強豪の一人です。コンピュータ将棋にも精通している新感覚棋士ですが,それでも藤井四段に勝てませんでした。感想戦でも,千田六段が,藤井四段をリスペクトしている感じがよく伝わってきました。千田六段は悔しかったでしょうが,それを超えるほどに藤井四段の強さを感じたのでしょう。
 千田六段は,どうみても好形にみえない1四飛について,彼のデータには入っていなかったことを正直に語っていました。
 実は,ここがAIの限界も示唆しています。これまでのデータにない局面が登場したとき,コンピュータは弱点をみせます。千田六段にとっては,時間さえあればなんとかなったのかもしれませんが,時間の制限のないなかで,過去にない局面が出てくると,いくらコンピュータ仕込みの精密な頭脳をもっていても,判断が狂うことがあるということです。そして,逆にここに藤井四段のスケールの大きさを感じます。
 いつか負けるときも来るでしょうが,かつての年間最高勝率である中原誠16世永世名人の50年前の記録(47勝8敗で0.8545)が破られることは,ほぼ確実ではないかという気もしてきました。

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2017年5月13日 (土)

仕事の未来

12日は、ILOの事務局長のガイ・ライダー氏が来日されて講演されるということで、そのあとに開催されたパネルディスカッションに、コーディネータとして参加してきました。このフォーラムは、JILPTもILOとの共同主催で、濱口桂一郎所長の基調報告もありました。パネルディスカッションでは、濱口さんに加えて、NIRA総研理事の神田玲子氏、経団連から徳丸洋氏、連合から安永貴夫をパネリストにお迎えしました。メンバーからして、個々の企業でどういう取り組みをしているかといった実践的な話をするのではなく、労使が人工知能やデジタライゼーションといった技術革新に対して、どのようなスタンスで臨むのか、政策的に何が課題となるかといったことを中心に議論してもらいました。私の今回の仕事は、ライダーさんと濱口さんのプレゼンを受けて、論点整理しながら、パネリストに思うところを語ってもらえるようにすることで、まあ最低限の責任は果たせたと思っています。労使ともに技術革新に前向きに向かっていくことのようで心強く思いました。なかでも、使側に日本型雇用システムの堅持の自信がうかがえたこと、労側は、変化の中でも公正さの追求には引き続きこだわっていくと強調されていたところが、個人的には印象的でした。それに加えて、強い労働者論、自営的就労者の議論、これからの団結といった、かなり最先端の議論ができたのは望外でした。最初はそういうことまで議論できないだろうと思っていただけに、濱口さんと神田さんがコーディネーターの好みそうな論点を出してくれたおかげでした。
今回はILOが主役なので、最後の締めは、新しい形での社会的正義の追求が必要だという穏当なものにしましたが、そこから先の具体的な政策が大切であるのは言うまでもありません。私個人の政策提言は拙著『AI時代の働き方と法ー2035年の労働法を考える』(弘文堂)を参照してください。
それにしても、菅野和夫先生が最前列にすわっておられたので、そのことが一番気になりました。いくつになっても指導教員の前では緊張するものですね。

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