2017年11月21日 (火)

カタカナ英語

 ずいぶん前に書いたことがあるネタです。
 英語教育の強化をいうまえに,まずカタカナ表記について改善をする必要があるのでは,という話です。とくにLとRの違いが問題です。
 次のカタカナのラ行の言葉のうち,元の単語でRを使っているものはどれでしょうか(正解は一つとは限りません)。   

 リンダ=グラットン Life Shiftなどが,ベストセラー
 カフェラッテ       森永乳業は正しく表記
 クラウドワーク      新たな働き方
  シチリア          ゴッドファーザーをみれば行きたくなる
 シュレッダー     最近は,これでは不十分ということで機密書類は溶解
 モナ・リザ       ご存じダビンチの名作。

 正解は,クラウドワーク(crowdwork)とシュレッダー(shredder)です。その他の言葉は,Lynda Gratton, caffè latte,Sicilia,Mona Lisa で,L使用です。でも,多くの日本人は,このLをRで発音してしまっているようです。私だって,油断していれば,Milanoをきちんと発音できていないかもしれません。カタカナから思い出して外国語を発音すると,ただちにはLかRかわからなくなります。元の外国単語が思い浮かべばいいですが,なかなかそうはいかないこともあります。
 そこで提言です(誰かがすでにしているでしょうが)。日本人は,どうしてもカタカナから想起してしまうことが多いので,それをふまえて,Lのときには,カタカナに下線をつけるというのはどうでしょうか。たとえばシチリアは,「シチア」とするのです。あるいは丸で囲むのでもいいです。それをカタカナの正式の表記にするのです。
 スマホのソフトで英語を音声入力するとき,普通にカタカナでやると意味不明か,Rになってしまいます。Lは意識して発音しなければならないのです。カタカナから想起するときも,下線がついていたということが記憶されていれば,多少は,発音の正確化につながることにならないでしょうか。

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2017年11月20日 (月)

テレワークの効用

 今朝の日本経済新聞に「総務省の2016年度の調査ではテレワーク導入企業の労働生産性は導入していない企業の1.6倍になるという。実際,導入企業の9割が効果が実感できたとしている。」という記事が出ていました。
 やっぱりそうだろう,という気持ちです。このブログでもたびたびテレワークを取り上げている,テレワーク推進論者の私は『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)のなかでも,テレワークのことに10頁も割いています(159頁以下)。テレワークの効用は,自分も身をもって感じています。政策的にも,テレワークの普及はフリーランスの増加につながり,雇用政策,労働法に激変をもたらすでしょう。
 現在ではまだテレワークは雇用労働者の働き方の一つという位置づけにすぎませんが,それでもテレワークの効果は抜群のようです。テレワークをめぐる消極論について十分に根拠がないのではないかということは拙著で書いていますので,参考にしてください。
 これまでの作業態勢を想定すればテレワークはなかなか難しいでしょう。ただ,PCを使うことが業務の大半であるという社員ならば,純粋に仕事の成果だけにフォーカスすれば,本人が好きな場所で好きな時間に仕事をすることができて,通勤による無駄な時間と体力の費消を取り除くことができるテレワークのほうがよいのです(VPNも活用できるはずです)。テレワークに向かないのは,成果にあまりつながらないような働き方で時間を使っている人たちです。そういう人は在宅勤務をすれば,サボってしまうでしょう。でも,これからの日本企業は,そんな人を雇用している余裕はないのではないでしょうか。
 対面が大事なら,いつも言っているように,WEB会議で十分なはずです。そうすると,出張も不要となります。現在メンバーに入っている役所系の会議は,WEB会議があまりうまく行かず困っているのですが,昨年の別の会議では,WEB会議の質が高く,まったく問題がありませんでした。政府もWEB会議の重要性をほんとうに理解して,省庁ごとの縦割りではなく,横断的に技術開発をして,WEB会議用の部屋をもっと多く用意すべきでしょう。東京まで出てこい,という姿勢では,そのうち地方の人間から背を向けられるでしょう。
 そもそもテレワークは,東京一極集中を解消するためにも必要なことだと思っています。このことは,妄想エッセイ「変わる雇用環境と労働法-2025年にタイムスリップしたら」のなかでも書いていますので,ご関心のある方はどうぞ(総務省の研究会のメンバーが寄稿した,福田雅樹他編『AIがつなげる社会-AIネットワーク代の法・政策』(弘文堂)に所収)。なお,総務省の会議では,なぜかWEB参加ができないので,出席率はゼロに近いのですが……。 

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2017年11月19日 (日)

障害者雇用について-長谷川珠子先生からのコメントとリプライ-

 福島大学の長谷川珠子さんから,拙著『雇用社会の25の疑問-労働法再入門-(第3版)』(弘文堂)についてコメントをいただきました。第2版のときにも,全体にわたりコメントをいただいていましたし,前に有斐閣から刊行した『労働の正義を考えよう-労働判例からみえるもの』は,事前に目を通してもらいコメントをいただいていました(同書の「はしがき」を参照)。
 今回は,新たに障害者をテーマにした章を設けたので(「第16話 障害者の雇用促進は,どのようにすれば実現できるか」),さっそくの専門家の長谷川さんに目を通してもらいました(本当は刊行前に読んでもらうほうがよかったのですが,多忙な若手研究者に迷惑を掛けるのは悪いと思い,事後的なコメントをいただくのにとどめました)。

 まず,「こういうふうに書けば読者にわかりやすく伝わるのか,と感動しています。」という気を遣ったコメントのあとに,「細かい点なのですが、気になったところをいくつか。」ときて,次の3点を指摘してくださいました。とくに②はきわめて重要な指摘です。

 ① 「209頁9~10行目にかけて「障害者からの申し出を受けて」とありますが,障害者の申し出が必要なのは,募集・採用時のみで,採用後は,使用者の側から障害による職場での支障を確認することが求められます。次の段落が採用後の合理的配慮について書かれているので,その上の部分は募集・採用時のこととして書いていらっしゃるのかなとも思いましたが,少し気になりました。」

 私からのリプライは,次のようなものです。おっしゃるように,該当箇所の記述は,36条の2の募集・採用時のことだけを書いたもので,「労働者からの申出」に言及しているのは,この条文の文言からとったものです。したがって,採用後の話ではありません。
 ただ,採用後においても,労使で話し合いをして,労働者の希望を考慮して合理的配慮の内容を特定していく必要はあるので,本書で書いた質的アプローチの議論それ自体は,採用後にも及びうると考えています。
 つまり,私が意識していたのは,義務の成立要件という観点からのものではなく,義務の内容である合理的配慮とは,「障害の特性に配慮した必要な措置」のことなので,障害者側の意見や希望をふまえたものでなければならず,その点で,通常の使用者の配慮義務とはやや違うということを,多少強調したかったということです。
 でも,長谷川さんの指摘の根底にある問題意識は,おそらく,使用者の採用後の合理的配慮義務(36条の3)は,障害者である労働者が何も言わなければ,何もしなくてもよいというような受動的な義務ではないことを強調すべきということであり,それはとても重要なポイントだと思います。

 ② 「210頁「真のノーマライゼーション」の4行目差別解消法によって,「重ねて」規定されているとありますが,促進法が雇用分野についての規定で,差別解消法はそれ以外の分野についての規定なので,重なっているわけではないのでは,と感じました。また 障害者への配慮は,老人や妊婦に席をゆずるということと果たして同じなのか,議論の余地があるように思います。」

   ここの箇所は,真のノーマライゼーションとは,障害者を特別視せず,まず人々の道徳意識に訴えかけるほうがよく,法的介入で,あれをせよ,これをするな,とやっていくことでは,いつまでも障害者は特別な存在で,ノーマルな存在にならない,という問題意識で書いています。かなり強烈な主張で,法的な介入によって障害者の差別是正を図ろうと考えている人にとっては受け入れがたいものかもしれません。私は,障害者が隣りにいることが普通である社会にするためには,差別禁止法をあまり使わないほうがよいのでは,と考えていますが,このあたりは長谷川さんのコメントにあるように,十分に「議論の余地がある」と思います。
  それはともかく,障害者差別禁止法(拙著では,略称を「障害差別解消法」としましたが,政府のHPをみたら「障害者差別解消法」が公式の(?)略称のようです)の8条で禁止されているのは,「事業者」(拙著では,「事業主」となっており,訂正します)の行う差別であり,そこで対象として想定されているのは,従業員ではなく,消費者などのサービスの提供先であるようです。そして13条では,「行政機関等及び事業者が事業主としての立場で労働者に対して行う障害を理由とする差別を解消するための措置については,障害者の雇用の促進等に関する法律(昭和三十五年法律第百二十三号)の定めるところによる。」となっています。したがって,理論的には,事業者の8条による義務は従業員も含まれえますが,従業員との関係では,特別法である障害者雇用促進法が適用されるのだと思います。そうすると「重ねて規制があることに少し違和感をおぼえる」という私の指摘はおかしいのではないかという,長谷川さんの指摘はまさにそのとおりといえるでしょう。
 ただ,いずれにせよ,障害者差別解消法は,雇用という従属労働論が適用される場面以外の通常の私人間の取引にも,差別禁止法が適用されるということであり,これはやはり道徳規範と法規範との線引きという観点から気になるところが残ります(私は,もちろん,道徳的な観点からは,障害者差別は到底許しがたい行為だと考えています)。事業者は妊婦を差別するな,老人を差別するな,といった法的介入はしなくてもよいのか,というのが私の問題提起です。障害はこれとは違う特別なものであるというならば,なぜ特別なのかを,理論的に詰めていく作業は,残っているような気がしています。

 ③「中川先生のお名前は,中川純ですね。」  

 214頁の一番下の行で,中川さんのお名前を間違えてしまいました。たいへん失礼いたしました。お詫びと同時に,訂正をお願いいたします。

 ④「除外率の廃止の部分,引用してくださってありがとうございます(214頁)!細かいところも読んでくださっているんだなとうれしくなりました。」

   障害者雇用促進法そのものは,これまでも学部ゼミでよく扱っていたので,多少の勉強をしていましたが,改正法はまったく不勉強だったので,永野仁美・長谷川珠子・富永晃一『詳説 障害者雇用促進法―新たな平等社会の実現に向けて』(弘文堂)で,勉強させてもらいました。

 さて拙著では,技術革新によって,障害という概念も変わっていくのではないか,という問題提起もしています。障害とは本来,相対的,可変的な概念だと思っています。そのため,定義が非常に難しく,それゆえ強い法的介入になじまないのではないかと考えてきました。保護的な法的介入をするためには,保護対象者の定義が必要ですが,定義から外れた者と定義に含まれた者とのギャップが,法的介入の程度が強いほど,大きなものになるので,かえって不公平を助長しないかという懸念もあります。  
 一方,現実の障害者を雇用の場面で保護するという観点からは,誰もがいつでも障害者となる可能性があるという想像力をもって「共感」の輪を広げることこそが大切だと考えています。法律が,事業主や事業者に対して障害者に対する責任を増やしていくことは,たしかに人権意識を高め社会意識を変えるきっかけとなるかもしれませんが,他方で,かえって,障害者を規制との関係でのみとらえて,特別なカテゴリーとする発想を高めることにならないか,という懸念を拭い去れないのです。
 障害者を雇用したり,障害者と取引したりするのを,困ったな,面倒だな,でも人間として障害者に対して平等な態度で臨むのは当然だよな,それにいつ俺も障害者になるかわからないしな,という気持ちをもった国民を増やすにはどういうアプローチがあるかを,私なりに今後も考えていきたいです。
 長谷川さんには貴重なコメントを,心より感謝しています。

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2017年11月17日 (金)

第4次産業革命に挑む

 表記のようなタイトルで,NIRAの「わたしの構想」32号が出されています。企画は,現在,最も政府に近いところで活躍されている経済人の一人,金丸恭文さん(NIRA総研理事長,フューチャーCEO)です。
 金丸さんに加え,他の5人の識者がコンパクトに提言をしています(「わたしの構想」は短くて読みやすいので,書く方は,私も一度書く側に回ったことがありますが,かなり大変です)。日本社会全体のイノベーション志向の弱さなどから閉塞感を感じていた私にとって,こういう企画のものを読むとファイトが湧いてきます。金丸さんは,「すさまじい勢いで技術革新が進む現在は,ゲームチェンジを起こしやすい。いまからGoogleは作れないかもしれないが,異なる競争ドメインならいくらでも勝ち目はある。ひらめきをもった世界中の個人にとって,久々に巡ってきたビッグチャンスだ」と言われていますが,まさに我が意を得たりです。
 企業も個人も創意に富んだ発想が実を結ぶ時代です。そうした発想をはぐくむのは,本来は大学のはずです。金丸さんは,大学改革として,社外取締役のような仕組みを入れることを提言されますが,人材がどれだけいますでしょうか。ほんとうに優秀な大学研究者は,過去の成功体験から脱却できない大企業の経営者などよりも,はるかにイノベーティブです。大学改革の本丸は,文科省支配からの脱却なのです。そこのところは,ぜひ金丸さんのような影響力をある方に,発言してもらいたいものです。
 早稲田大学ビジネススクールの根来龍之教授の「日本の得意を生かすプラットフォームビジネス」も,金丸さんと同様,日本企業が強みを発揮できる分野はまだまだ存在するとしています。そして「厳しすぎる規制と,問題の事前解決を重視しすぎる文化が壁となる」とし,「レギュラトリー・サンドボックス」の活用を提言されています。
 これを労働の分野でいえば,イノベーティブな仕事をする人にも及びうる厳格な労働時間規制(法改正で導入される可能性の高い高度プロフェッショナル制も要件が厳しい)などは,まずはサンドボックスの対象としてよいのではないかと思います。
 企業業績が好調で,株価も順調に上がっている現在の日本経済において,次にやるべき課題はイノベーティブな人材が活躍しやすい社会をつくることであり,労働法の面でもやることはたくさんあるように思います。労働時間制度改革や解雇改革ができないようでは,どうしようもありません。刊行したばかりの『雇用社会の25の疑問-労働法再入門-(第3版)』(弘文堂)でも,第24話で「第4次産業革命後の労働法はどうなるのか」として,政策的な提言を盛り込んでいるので,ぜひ参考にしてください。

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2017年11月16日 (木)

東野圭吾『毒笑小説』

 東野圭吾『毒笑小説』(集英社文庫)を読みました。短編集です。タイトルどおり,毒の入った笑いといったところですが,収録されているのは,そういう小説ばかりではありません。巻末には京極夏彦との対談が入っていて,ファンには楽しめます。そこで二人は,笑いをとるギャグの難しさを語っています。私も,労働法関係のことを書いていても,クスっと笑ってもらったり,エロスを感じてもらったりというようなことを,書く媒体によっては,それが必ずしも求められていないときにも狙ってしまうことがありますが,最初から,面白いものを書けと言われると,ハードルが高くなってしまい,すべってしまいそうです。
 収録されている小説は必ずしも「笑い」ばかりではなく,「手作りマダム」のように,ちょっとくだらないけれど,これでもかこれでもかとたたみかける吉本的ノリがある小説もあれば,「エンジェル」のような風刺的な作品もあります。「つぐない」は,シュールなオチの作品ですが,実はこれがその後の名作「秘密」の原型だと聞いて(巻末の対談),驚いてしまいました。なるほど,基となるネタがあれば,それは滑稽なものにも,悲劇的なものにもなるということですね。まさに笑いと切なさは紙一重なのかな,という気がしました。
  前に「大学教授の辞めさせ方」という作品を書いたことがあるのですが(ジュリスト1476号),あれを思い切って喜劇で書くか,逆に悲劇で書くか,ということが出来ていれば,私も一皮むけていたかもしれませんが。  ★★★☆☆(東野作品はやはり長編のほうが好きなので,★三つ)

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2017年11月15日 (水)

泣くなazzurri

   衝撃的でした。昨日のLa Repubblica の一面は,「Italia-Svezia, gli azzurri fuori dai Mondiali del 2018: le lacrime dei giocatori(イタリア対スエーデン。2018年のワールドカップ出場を逃したアッズーリ。選手の目に涙)」。アッズーリ(青)は,イタリアのサッカーチームのユニフォームの色から付いた愛称です。
 今回の予選はスペインと同じ組に入ってしまい,勝ち点が同じで迎えた9月2日にスペインに0-3で完敗して2位となりプレーオフに回りました。前年にあった初戦は引き分けでした。予選では,結局スペインに負けただけでした(スペインは9勝1分け,イタリアは7勝1敗2分け)。ただスペイン戦後,10月6日のマケドニア戦で引き分けて,9日のアルバニア戦も1-0での勝利で,攻撃力不足が言われ,暗雲が垂れ込めていました。それでもプレーオフで勝ち抜けるだろうと思っていたら,初戦はアウエーで0-1で敗れ,ホームでスコアレスドローで敗退です。
 そもそも欧州予選でスペインと同じ組に入ってしまったことが,つまづきの始まりでした。2015年7月時点のFIFAランキングで第1シードが決まったようです。欧州予選はA組からI組までの9組で,上位9国は予選では対戦しません。イタリアは,この当時の上位9国に入れなかったということですね。ちなみに最新の10月時点ではFIFAランキング15位で,欧州では10位でした。実力の低下が影響しましたね。
 最近はセリアAの動きもフォローしていませんでした(長友はいますが,もうかつてのような輝きはありませんし,本田もいなくなりました)が,ワールドカップとなると別です。毎回楽しみにしていて,イタリアの戦いぶりにいつもハラハラしていました。ワールドカップが来るたびに,より鮮明な画像のテレビに買い換えたい気持ちにもなっていました。
 イタリア人はさぞかし意気消沈していることでしょう。日本くらいのレベル(FIFAランキング44位)でワールドカップに出ることができて,イタリアが出れないというのは,おかしい気もしますが,仕方ないことですね。ワールドカップは,スペインと日本を応援することにしましょう。 

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2017年11月14日 (火)

特区の効用を国民にもっと説明すべきでは?

 加計学園問題については,多くの国民は,首相が逃げている,あるいは側近達がかばっているとみていると思います。でも,「人の噂も75日」ですので,風化が徐々に起きつつあるようでもあります。そもそも説明をすると言っても,きちんと説明することなんてできないのだと思います。首相の本音は明白で,それを周りが忖度したというのが真相でしょう。首相としては自分は何もしていないというのは真実なのでしょう。あとは良心の問題ですが,こんなことで良心の痛みを感じるような繊細な人では政治家になることはできていないでしょう。周辺の者は首相のために動いた忠義心があり,やはり良心は痛まないでしょう。国民目線をもたない忖度役人は,組織防衛という大義には絶対服従であり,役人をつついても,これ以上は何も出てこないでしょう。
 ところで,文部科学相の諮問機関である大学設置・学校法人審議会が設置を認める答申を出し,どうも林芳正文科相は認可する方向のようです。審議会が答申を出してしまった以上,大臣は認可しないことが難しくなるでしょう。その意味で,この審議会の答申は重かったですね。
 日本社会では,いったん動き始めたことをご破算にするということには,すさまじい抵抗があります。おそらくここまで手続が進んでいるのだから,いまさらゼロにすることは無理でしょう,と言われると,日本では分別のある人ほど説得されてしまいます。日本人には,これまで使った費用は,無駄に埋没させてはならず,必ず活用しきらなければならないというDNAがあるのかもしれません(「もったいない」意識)。でも,サンクコストをめぐる議論は,こうした発想が,非効率である場合があることを教えてくれます。戻ってこないコストにこだわることによって,より大きなコストを生む可能性があるのです。損切りの発想が必要です。だから審議会では,いまこれから認可することが,ほんとうに国民にとって必要かを,これまでのコストを忘れて議論をすべきだったのですが,そういう議論がなされたのでしょうか。
 日経新聞の一昨日の社説のタイトルは,「「加計」乗り越え特区の再起動を」となっていました。官僚が牛耳る岩盤規制を打ち破るのが特区であり,その効用は大なので,加計問題にとらわれて,その本質を見誤るな,ということでしょう。気持ちはわからないではないのですが,現時点では,特区により国民にどんな利益が生じているのかが,国民によく伝わっていないのではないか,という点が気になります。 
   特区による効用を感じている人は,岩盤規制に阻まれてきた特定の業界や業種の人たちです。こうした人たちが参入して競争が促進されることによって,実は国民にも利益が及ぶはずなのですが,それまでにはもう少し時間がかかります。残念ながら,獣医学部の新設についても,日経新聞の社説では,「獣医学部をめぐっては,法的根拠なしに新設を阻んできた文科省の行政指導にこそ問題がある。教育と研究の質を高め,食の安全や感染症対策で消費者に恩恵をゆき渡らせるには,意欲ある大学経営者に広く参入を認めるべきだ」と書いていますが,ちょっとこじつけ感があります。
 加計問題で,特区には味噌がついた気がします。特区の効用について,もっと明確に説明する責任が政府にはあると思います。前掛かりで次々とやってしまうと,国民の支持を得られなくなるでしょう。労働法規制などで,わかりやすい特区があればいいのですが(外国人労働の特区は若干地味です。福岡の雇用創出特区はもともと効用が疑わしかったのですが,あれはどうなったのでしょうね?)。

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2017年11月 9日 (木)

転勤

 前に裁判官のことを書いたときに,転勤法理についての裁判所の態度が厳しいと書いたところでしたが,11月6日の日経新聞の「法務」の欄で,ちょうど田中浩司記者(日経新聞では数少ない労働法のことをきちんと書ける記者です)が,転勤のことをとりあげていました。
 このブログでもときどき取り上げているように,転勤がほんとうに必要なのかが,いまホットイシューになりつつあります。さらにパートの無期転換と転勤というのも,実務上は重要な問題であり,その点も記事では取り上げられていました。
 法的には,無期転換と転勤についてはやっかいな問題がありそうです。たとえば,勤務地限定社員が,無期転換したとき,労働契約法18条によれば労働条件は同一ですが,もし正社員就業規則が適用されれば転勤があるということなので(同条の「別段の定め」にあたる),そこでの調整が必要となります。無期転換組は,従来の勤務地限定の合意(勤務地限定特約)が無期転換後も継続するので,転勤命令付きの就業規則が適用されても,有利な勤務地限定特約が適用されつづけるということになるのか(労働契約法7条ただし書参照。そもそも無期転換後の就業規則の適用が労働契約法7条の問題となるかどうかも議論があります),といった形で問題となります。転勤のない無期転換組専用の「第3の就業規則」を作成すれば問題はないのですが。
 実務上は,企業が,無期転換した以上は,転勤をしてもらわなければ困るといって,正社員就業規則を適用してきたときにトラブルが起こりそうですね。
 ところで,記事の図表のなかに,「業務上の必要性」の説明について,これは不当な動機・目的がなければほとんど認められる,と書かれていましたが,東亜ペイント事件の最高裁判決(拙著『最新重要判例200(第4版)』(弘文堂)の35事件])は,「業務上の必要性が存する場合であっても,当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもってなされた場合」には,権利濫用となると述べているので,不当な動機・目的があっても,業務上の必要性がある場合はありえることになります。もっとも,実務上は,転勤の理由という括りのなかで,業務上の必要性と転勤の動機・目的を,同一次元の話として,どちらが優越するかというレベルで考えているのかもしれません(要件事実論とも関係します)。
 それと記事の最後に,「多様な働き方が増え,専門家の間では,最高裁が示した『通常甘受すべき程度を著しく超える不利益』かの線引きも変わってくるとの声もある」とありますが,最高裁がほんとうにそうなるかは疑問もあります。
 むしろ,多様な働き方が増えれば,勤務地限定の合意がなされるケースが増えてくるので,それだけで転勤命令権がないと判断される可能性が増えるのではないでしょうか。そして,これがさらに進むと,勤務地限定の合意の存否が厳密に審査されて,そこで勤務地限定がないとされれば,転勤命令が権利濫用となる可能性が(いまよりいっそう)下がるということが考えられます(権利濫用は,本来は例外的な救済法理です)。
 現在の裁判実務においては,勤務地限定の合意のチェックが緩いために,労働者の利益の考慮は権利濫用論に頼らざるを得ないのに,その肝心の権利濫用論でのチェックが緩いというところに問題がありました(たとえば,ケンウッド事件・最高裁判決[前掲拙著の36事件]は,勤務地限定の黙示の合意があったとする余地もあり,そうであれば,そこで転勤命令無効ということで話は終わっていました。ところが,事実認定レベルで,勤務地限定の合意がないとされたので,そうなると,権利濫用論で救うべきでなのでしょうが,そこは「通常甘受すべき利益を著しく超える不利益」についての従来の厳格な判断が壁になり,労働者は敗訴したのです[労働者側の対応にも問題があったのですが……])。勤務地限定の合意の有無というところで厳密に審査し,そうした合意があれば転勤は無効,そうした合意がなく転勤に同意していたという認定があれば,「通常甘受すべき利益……」とか言わずに,転勤は有効というすっきりした枠組みでやるべきなのです(それでも,ぎりぎりいっぱいのところで権利濫用論は残るでしょうが)。少しややこしい話ですが,LS生レベルであれば,理解してくれなければいけません。

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2017年11月 7日 (火)

宮部みゆき『火車』

 ずいぶん昔の本です。古い本の整理は随時やっていて,不要な本は片っ端から捨てているのですが,この本は捨てずにもう一度読もうと思いました。幸いなことに(後述のように本当は幸いではないのですが),ストーリーは完全に忘れていましたので,楽しめました。長編で,細かい話なので,速読せず,じっくりゆっくり読みました。クレジットカードからくる自己破産が関係したストーリーです。あまりにも有名な作品なので紹介する必要はないと思いますが,これだけの長編を,きちんと伏線を張り巡らせて,きちんとそれを回収してまとめあげる力量は,改めて感服です。松本清張的なものとは違う,宮部みゆき流の社会経済ミステリーは,何度読んでも面白いですね(今回は,手元に残さず,古本屋に1円くらいで買ってもらうことになるでしょう)。
 それにしても,ストーリーを完全に忘れていたことは,ショックでした。最後のシーンに,少しだけ覚えがあるような気がしますが,でも記憶があるとまでは言えません。
 まったく違う話ですが,先日,労働委員会で,審査事件の申立てがあり,それが,1年前にあっせん申請があった会社の事件であるということを聞いて,そのときの担当者にどのような事件であったか聞こうとしたら,あなたが担当していた事件だと言われて愕然としてしまいました。事務方から事件の概要の説明を受けても,記憶が戻ってきません。あっせん成立なので,いい加減にやっていたわけではなく(自慢ではないですが,私は,会議はあまり好きではありませんが,事件処理はいつも全力投球です),それなのに記憶がないのです。時間が経つと思い出すかと思いましたが,あれから2週間ちかく経っても,やはり思い出せません。たしかに,私は研究以外のことは,労働委員会関係だけでなく,およそ何でも,終わったらすぐに忘れることにしているので(そうしなければ,限られたキャパの私の脳が次に向かってくれないのです),こういうことになるのでしょう。別に誰かに迷惑をかけているわけではないと思いますが,認知症の始まりであればどうしようと不安にもなっています。記憶が消しゴムで消されてしまったような気持ち悪さがありますね。もし病気でないのなら,こういう老化現象に耐えることも,人生修業なのかもしれません。 

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2017年11月 6日 (月)

雇用社会の25の疑問(第3版)

 本日,弘文堂から,『雇用社会の25の疑問-労働法再入門-(第3版)』が届きました。今年2冊目です。著者による本書の簡単な紹介は,私のHPに載せています(http://www2.kobe-u.ac.jp/~souchi/book.html#book2017)。  当初は,第3版とせずに,『新・雇用社会の25の疑問』のような新たな書名にして,完全リニューアルをしようかとも思っていました。そうしたほうが,書評などでも取り上げてもらえる可能性が高まりますし,本屋でも新作扱いになりますし,営業的にはよいことが多そうです。ただ,著者側の立場としては,『新・雇用社会の25の疑問』としてリニューアルすると,ただでさえ執筆速度が鈍ってきている私ですから,いつ完成するかわからないということもあり,プチ修正の第3版にしようということになりました。これなら5月くらいには作業を終えて,秋前に刊行といったスケジュールになるのではと予想されたのですが,全くそうはなりませんでした。作業を始め,もう一度,自分の本を読み直してみると,まったく違っていました。7年も間があいてしまうと,改訂といっても簡単ではなかったのです。結局,章のテーマだけでも3分の1は新規であり,またテーマが同じでも,ほとんどの章でかなりの手を入れました。それと,少し気分を変えたかったこともあり,文体も「新聞調」に変え,「データから雇用社会」という新コーナーも作りました。判例索引では,掲載誌を載せるのをやめて,ネットでの検索に必要な事件番号だけを載せることにしました。  おかげで新しい気持ちで新しい本を書いたという気分になれました。  第4版は,もうないでしょう。やはり本には本の型というものがあり,初版の10年前と同じ型を維持しながら本を改訂していくことは,辛くもありました。作業中も,もっと違うスタイルの本を書ければという気持ちが高まってもいました。もっとも,実際にそれをやれるだけの気力を維持できるか,より根本的には,能力があるか,という問題はありますが……。  最近は,できるだけ神戸に引きこもり,マイペースで研究や執筆をやっていますが,本書は私の生の声がそのまま出ているような本ですので,私の話を聞きたいと思ってくれる方がもしいらっしゃれば,まずは本書を読んでみていただければと思います。帯のピンクも,私のことをよく知っている人であれば,私っぽいと言ってくれるでしょうね(今回,この色を選んだのは,私ではなく,サクランボさんですが)。

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