2017年2月19日 (日)

ハッシー強し

 今日のNHK杯は,王将奪取に王手を掛け,先日,A級復帰を決めたばかりの久保利明九段とハッシー八段の対局。先手の振り飛車穴熊の久保九段が,ダイヤモンド美濃のハッシーを完全に封じ込めたように思えましたが,劣勢のなか,決死の馬切りで活路を見いだし,金を犠牲にして龍と飛車を交換します。しかし攻めは,龍とと金の細いもので,一方,久保九段は1段目に飛車を打って,下段からハッシーの玉を追いつめます。久保九段完勝の流れでしたが,ハッシーが玉の逃げ道を作ると同時に攻めも睨んでいた7筋の歩突きで,ついに詰めろがかかる局面まで挽回し,そして最後は入玉もにらみながら,気づけば逆転していました。まさに大逆転ですが,劣勢のときは早指しで相手を調子づかせてミスを誘い,優勢になってからは,ハッシーの正確な指し回しが光りました。最後の大事なところで1分を残していて,万が一にもミスはしないという用意周到さも,ハッシーのプロ棋士としての能力の高さを示すものでした。前回の深浦康市九段相手にも大逆転でしたが,大物相手の連勝で,初優勝も視野に入ってきましたね。あとは昨年のように二歩はしないでくださいね。
  久保九段が昇級を決めたB級1組(ラス前)で,もう一人の昇級者の決定は,最終局に持ち越しとなりました。谷川浩司九段に勝った山崎隆之八段は8勝3敗で,次の阿久津主税八段に勝てば自力で昇級です。阿久津八段は,郷田真隆王将に勝っていれば,久保九段に次ぐ昇級候補の一番手になっていたのですが,敗れて7勝4敗となり,逆に3勝の郷田王将に残留の目が出てきました。ただ最終局で,阿久津八段が山崎八段に勝てば8勝4敗で星がならび,あとは同じ7勝4敗の豊島将之七段と糸谷哲郎八段(6勝5敗)との対局次第となります。順位の関係では,豊島七段,阿久津八段,山崎八段の順番なので,3人が8勝で並べば豊島七段の昇級となります(頭ハネ)。糸谷八段はライバルの豊島七段の昇級を阻止するでしょうが。山崎八段と豊島七段は,昇級すれば初のA級です。高い実力が評価されながら,B級1組で足踏みしている豊島七段,魅せる将棋で天才の誉れ高い山崎八段のどちらが昇級しても関西勢なので,嬉しいところです。阿久津八段も前は1期で全敗して陥落したので雪辱をねらっているところでしょう。
 ハッシーは木村一基八段に勝ち(6勝5敗),木村八段に残っていたA級復帰の可能性を絶ちました(木村八段は,7勝5敗で今期終了)。
 降級候補は,ともに3勝8敗である飯島栄治七段と郷田王将で,最終局で激突します。どちらも,負けた時点で即降級となります。飯島七段は勝っても,畠山鎮七段が勝てば降級です。畠山七段は,敗れれば即降級ですし,勝っても,郷田王将が勝っていれば降級となります。つまり郷田王将は勝てば残留,負ければ降級で,他人の対局結果に関係しない状況です。
 B級1組も,今期の最終局(3月9日)は,A級と同じくらいに盛り上がりそうです。
 タイトル戦は,佳境に入った王将戦(7番勝負)は,郷田王将が一矢を報いましたが,防衛には3連勝しなければならず厳しい状況が続いています。久保九段は王将奪回目前です。
 棋王戦(5番勝負)は,渡辺明棋王(竜王)が,千田翔太六段に勝って,1勝1敗です。勝負はこれからです。千田六段は,NHK杯でも,先週,佐藤康光九段(新会長)に敗れており,調子が下降線にあるのでしょうか。
 来週は,女流名人戦(5番勝負)の最終局もあり,里見香奈さんが女流五冠を守るかが注目されています。上田初美女流初段が2連勝し,里見さんが2連勝して星が並んでいます。ちなみに里見さんはプロ棋士をめざす三段リーグ(年2期)にも在籍しており,昨日まで7勝7敗です。今日も対局があります。三段リーグは上位2名が四段昇段(プロになる)で,3位の次点が2回であってもプロになれます(ただし,その場合は,順位戦のないフリークラスへの編入)。里見さんの今期の成績は厳しいですが,少しでも順位を上げておいて,次期以降の昇段の可能性を残しておいてほしいですね。三段リーグは26歳の年齢制限があり,もうすぐ25歳になる里見さんに残されているのは,時間との戦いになります(勝ち越せば29歳まで延長可)。
 そういえば,三浦弘行九段の復帰戦は,羽生善治三冠との一戦で,因縁の竜王戦の予選でしたが,羽生三冠の勝利でした。メディアでも大きく報道されましたね。

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2017年2月18日 (土)

百田尚樹『影法師』

 藤沢周平の『蝉しぐれ』もよかったですが,わりと似たような展開(江戸時代で,若いときに父を失い,苦労して出世していく話)で,この作品もよかったです。ずいぶん前に話題になった本ですが,まだ読んでいなかったと思うので読んでみました。ラストで,主人公の勘一がこれえきれず泣くシーンでは,読者も涙をこらえることは難しいでしょう。
 話は,勘一の刎頸の友,彦四郎が死んだという知らせが飛び込んできたところから始まります。彦四郎は剣の達人で,優秀で,将来を嘱望されていた好漢ですが,昔からどこか恬淡としたところがあります。そんな彦四郎が,どうして徐々に人生のレールから脱線し,不遇の晩年を送ったのか。下士の家に生まれながら,主君に見込まれて異例の出世をとげた勘一が,彦四郎の過去を振り返っていく話です。
 勘一が筆頭家老として,22年ぶりに江戸から帰藩したとき,勘一の前に島貫という男が現れました。勘一は,新田開発の手柄で藩を財政窮乏から脱却させ,その功績で出世していったのですが,当初,それを妨害していたのが,藩政を牛耳っていた滝本家でした。勘一は,自分の事業を妨害する滝本の息子を討ち,後に滝本家の不正も暴いていますが,島貫は,その当時,滝本家から江戸への道中にある勘一を討つように依頼されていた刺客でした。
 しかし勘一は島貫によって討たれませんでした。それはなぜか。勘一を藩のために役立つ存在だと見込んだ彦四郎が,自分の人生を投げ打って,勘一を影から助けていたのです。
 武士の間でも身分の違いで人生の可能性が大きく変わり,また男性でも長男とそれ以外では運命が変わる江戸時代の男たち。そんな時代の男の生き様や友情を,見事に描いた傑作です(彦四郎の家にいた下女のみねと勘一,そして彦四郎の間の恋の物語もあり,文庫版の付録でその部分も追加されていますが,この付録はなくてもよかったのではないかという気もします)。 ★★★★(心が洗われます)

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2017年2月17日 (金)

第130回神戸労働法研究会

 一人目は,大阪経済法科大学のオランゲレルさんのテーマ報告で,「中国法における『事実上の労働関係』に関する判断と問題点」でした。中国における事実上の労働関係をめぐる議論は,日本でなされているものとは異なり,主として,書面性が労働契約成立の有効要件となっている関係で,書面によらない労働契約の効力についての問題として論じられているなどがわかりました(日本の議論については,拙著『労働法実務講義(第3版)』(2015年,日本法令)の590頁以下を参照。ドイツでは,「faktisches Arbeitsverhältnis」の議論です)。
 二人目は,弁護士の千野博之さんが,ツクイほか事件・福岡地裁小倉支部判平成28年4月19日労判1140号39頁とファイザー事件・東京地判平成28年5月31日労経速2288号3頁について報告してくださいました。ファイザー事件のほうは,後日,季刊労働法に掲載してもらう予定ですので,そちらにゆだねます。
 ツクイほか事件は,介護職員に対するマタニティ・ハラスメントの存否等が問題となりました。具体的にみると,原告の労働者は,被告会社の経営する営業所のデイサービスで介護職員として働いていましたところ,妊娠したため,業務の軽減を希望しました。しかし,会社側にすぐに対応してもらえず,その間の対応に問題があったのではないかということが争われました。
  2012年8月1日に原告は上司の営業所長(女性のようです)に妊娠の報告をし,9月13日の面談の際に業務の軽減を求めました。しかし会社のほうは何も対応しなかったため,原告はその夫とともに12月3日に,より上の管理職と面談し,業務の軽減を求め,その後は実際に業務の軽減がなされています。
 9月面談の際の営業所長による原告への発言が認定されていますが,その内容は相当に酷いもので,それだけをみると,少なくとも言われたほうが萎縮するようなものであると言えそうです。もっとも,裁判所は,この発言には,原告への配慮不足はあるものの,営業所長が嫌がらせの意図をもって発言したとは認められないとしています。
 また健康配慮義務という観点からは,営業所長の発言は,「原告の勤務態度につき,真摯な姿勢とはいえず,妊娠によりできない業務があることはやむを得ないにしても,できる範囲で創意工夫する必要あるのではないかという指導をすることにあったのであり,また,従前の原告の執務態度から見てその必要性が認められること……からすれば,その目的に違法があるということはできない」としたうえで,「妊娠をした者(原告)に対する業務軽減の内容を定めようとする機会において,業務態度等における問題点を指摘し,これを改める意識があるかを強く問う姿勢に終始しており,受け手(原告)に対し,妊娠していることを理由にすることなく。従前以上に勤務に精励するよう求めているとの印象,ひいては,妊娠していることについての業務軽減等の要望をすることは許されないとの認識を与えかねないもので,相当性を欠き,また,速やかに原告のできる業務とできない業務を区分して,その業務の軽減を図るとの目的からしても,配慮不足の点を否定することはできず,全体として社会通念上許容される範囲を超えているものであって,使用者側の立場にある者として妊産婦労働者(原告)の人格権を害するものと言わざるを得ない」としました。
 そして,「原告に対する言動には違法なものがあり,これにより原告が萎縮していることをも勘案すると,指示をしてから一月を経過しても原告から何ら申告がないような場合には,被告において原告に状況を再度確認したり,医師に確認したりして原告の職場環境を整える義務を負っていたというべきである。そして,被告は,同年10月13日以降も拱手傍観し,何らの対応していないところ,被告が,原告に対して負う職場環境を整え,妊婦であった原告の健康に配慮する義務に違反したものといえる」として,営業所長の損害賠償責任を認めました。また,会社のほうの責任についても,職場環境配慮義務違反を肯定しました。
  ここでは,職場環境配慮義務,健康配慮義務,人格権などの概念が入り乱れていて,十分に理論的に整理されていない印象を受けます。業務軽減の申出に対して,会社が1カ月放置していたことまでは問題ではないが,1カ月経過した10月13日以降も放置していたことは問題であるとして,それに発言の若干の行き過ぎが「合わせ技一本」となり35万円の慰謝料となったという感じです。
 端的に発言内容からしてハラスメントの意図があって違法であったとなっていればすっきりしたのですが,そういう事案ではないということのようです。会社側は,営業所長は,原告にできる業務を具体的にあげるように求めたのに,その申告がなかったから,配慮できなかったという趣旨の主張をしています。判決は,その場合でも,営業所長のほうから面談を呼びかけるべきであったと述べていますが,この判断の適否は議論のあるところでしょう。使用者のほうがコミュニケーションをもっとしっかり取って,労働者のニーズにあった対処をすべきやったということなのかもしれませんし,それが労働基準法65条3項で権利とし認められている女性の業務軽減に対応する使用者の義務ということなのかもしれませんが,これまでの解釈からするとやや行き過ぎのような気もします。
 以前に神戸大学で行ったマタニティ・ハラスメントに関するシンポジウムにおいて,広島中央保健生活協同組合事件(最高裁判所第1小法廷判決平成26年10月23日平成24年(受)2231号。拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第134事件も参照)が,妊娠による業務軽減に伴う降格について,労働者の自由意思による同意を得て行う場合は例外的に有効とするという判旨があり,これはコミュニケーションの促進という観点からは望ましいという議論をしていましたが,これはコミュニケーションをしっかりとっていれば,労働者も納得して降格となるので人事管理上望ましいという意味であって,コミュニケーションをしっかりとらなければ,それだけでハラスメントになるとか,配慮義務違反となるとか,そういう意味ではありません。
 介護労働者の離職を防ぐのは,今日における重要な政策課題の一つであり,そのことは私も強く認識していますが,それを意識しすぎて,理論的に不十分なまま介護サービス業者に対する負担を重くすることは,副作用の方が大きいと思います。これは最近ときどきみられる世論迎合的判決の一つといえるかもしれません。
 控訴審においてもう一度理論的に整理して,妊娠中の女性に対する業務軽減に関して,本件のような対応において,どのような義務が使用者に対して課され,どのような場合にその違反となるのかについて,説得力のある判決が出ることを期待したいと思います。

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2017年2月16日 (木)

政府の残業規制案に欠けているもの

 働き方改革実現会議に出された労働時間規制の見直し案(事務局案)が話題になっています。三六協定による時間外労働についての上限規制を厳格にするという内容になっています。
 一見,結構なことのように思えますが,経営側はこれをそのまま受け入れるのでしょうかね。私が『労働時間制度改革-ホワイトカラー・エグゼンプションはなぜ必要なのか』(中央経済社)で論じたのは,労働時間規制の仕組みとして,三六協定をなくし,割増賃金の脱強行法規化(水準は労使の合意にゆだねる)をおこなうことでした。それは三六協定と割増賃金が長時間労働の抑制手段として十分に機能していないという認識によるものです。そして,それに代わって,絶対的上限を定めるというのが私の提案でした(直接規制方式)。ところが,現在の提案では,私の見落としがなければ,割増賃金については触れられておらず,三六協定を維持したうえでの,上限規制です。事務局案のタイトルも「時間外労働の上限規制について」という限定的なものです。ここが大いに問題なのです。
 この提案は確かに規制の強化であり,部分的にみれば良さそうですが,労働時間規制のあり方全体としてみるという視点が欠けています。問題の土俵をはじめに限定して,議論をそちらに誘導してしまっている感があり,これではダメです。土俵の設定の仕方そのものが大切なのです。
 三六協定に特別条項がつけば,時間外労働の上限がなくなるという現行の規制方式に問題があるということは,多くの人が指摘しています(私も指摘していました)。それじゃ特別条項の場合にも上限を設ければいいのか,というとそう単純な話ではありません。
 事務局案では,時間外労働の上限を1カ月で45時間,1年で360時間とし,それを超えれば罰則,さらに特別条項に相当する部分は,臨時的な特別の事情があれば,労使協定の締結を条件に,時間外労働の合計を年間720時間まで引き上げることを認めるというものです。そして,この上限の水準で労使の交渉が始まってしまいました。現在,限度時間の適用除外になっている業種・職種への規制も検討するという規制強化の匂いだけかがせる「目くらまし」もあります。
 労働基準法の法定労働時間は,最低基準であり,それを超えると健康に支障があるなどの重大な影響があるから罰則が定められています。三六協定による時間外労働の許容は,法定労働時間(当初は1週48時間,1日8時間,現在は1週40時間,1日8時間)では厳しすぎるので,各事業場の事情もあるだろうから,過半数代表の同意があれば,法定労働時間の超過を認めるというものです。つまり,厳格な規制に弾力性の要素を入れたものです。
 事務局案は,法定労働時間に弾力性を入れた部分(三六協定)について,今度は限度時間を超えるとやっぱり健康に支障があるから罰則を科そうということでしょう(たんに限度基準に違反したという形式犯で罰則まで科そうとするのは過剰ですから,健康という重大な法益侵害という説明が必要なのです)。そうだとすると,実は法定労働時間で罰則を科すということに疑問が出てくるのです。かりに法定労働時間を罰則を科さないとすると,三六協定の存在意義も大きく減殺されるでしょう。
 絶対的上限とは,法定労働時間と限度時間という二元的基準をやめて,一元化しようとすることでもあります。そうすることによって,いったいどこまで働かせれば法的に問題なのかを,経営者にシンプルに示し,労働者にもわかりやすくすることが大切なのです。そこに臨時的に特別な事情による例外を認めるのでは,意味がありません。しかも年間トータル720時間というのは,基準としては緩すぎるでしょう。1週あたり14時間くらいの残業はいいだろうという発想かもしれませんが,私はこの発想や感覚が,もはや働き方改革という名に値しないものだと思っています。この程度の数字で議論するのなら,別にあの場で論じるほどのものではありません。
 絶対的上限は月の時間外労働45時間,年360時間とだけしておけばよいのです。あるいは年360時間だけとして弾力性をもたせたうえで,月の上限を60時間とすることでもよいでしょう(この程度のことは経済界は受け入れるべきです)。例外は,事務局案のような労使協定と総枠規制ではなく(労使協定が時間外労働のチェックとして機能していないというのが,改革論義の出発点です),業種や職種の特殊性によるものだけに留めるべきです。非常時の対応は労働基準法33条があるので,それで十分です。
 実は業種や職種の特殊性の例外を認めるという発想は,本格的なホワイトカラー・エグゼンプションの議論とつながるのです。創造性のある仕事など,本人の裁量にゆだねてよい職種や業種などについて適用除外を認める方式を考えていくということも同時にしなければならないのです。ホワイトカラー・エグゼンプションは,日経新聞に「脱時間給」などという変てこりんな名称を与えられて,賃金の問題のように思われがちですが,これは基本的には労働時間規制の問題であることを忘れてはなりません。
 労働時間制度改革が,上限の数字をめぐる議論に集中してしまっているのは,まさに木を見て森を見ない議論であり,こういうことにならないように,働き方改革実現会議の委員が適切に議論の土俵を設定する識見が問われると思います。政治家や役所の思惑に左右されず,落としどころなどを考えず,望ましい労働時間規制は何かということについて,真に国民の利益を考え,後世の批判に耐えうる責任ある議論を戦わせてもらいたいと思います。

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2017年2月15日 (水)

伊岡瞬『もしも俺たちが天使なら』

   伊岡瞬『もしも俺たちが天使なら』(幻冬舎文庫)を読みました。前に紹介した『代償』で気になっていた著者だったので,もう1冊買ってみました。『代償』は,救いようのない悪人の話だったのですが,今回の主人公の詐欺師,谷川涼一は,ネズミ小僧的な,ちょっといい悪人で,この人が,喧嘩が強いが女にもてるヒモや元刑事(どの登場人物も,どうみても私の回りにはいそうにない人たち)と組んで,ヒモの実家のぶどう園を乗っ取ろうとした悪い詐欺師の青木に立ち向かってやっつけるというエンターテインメント小説です。
 ぶどう園を敬遠するヒモの父は,後妻をもらっていて,その女性が美人でちょっと色っぽくて,その夫が癌で死にそうになっていて,そこにぶどう園の仕事を手伝うために青木が現れるのですが,その青木は仕事ぶりは熱心で,しかも後妻に色目をまったく使わないために遺産目的ということでもなさそうで,どうみても善良な人のようなのですが,この青木が実は詐欺師集団の幹部であり,その親分と衆道の関係にあり,でも後妻には(性的ではない)愛情をもっていて,詐欺師を引退してぶどう園で静かに暮らそうとしていたといった凝った仕掛けがされています。青木は主人公ではないのですが,この小説の良いスパイスになっています。
 私のような善良で臆病な一市民は,どこかに悪人願望があって,そういう願望を適度に満たしてくれる知的なピカレスク小説は,頭のリフレッシュにぴったりですね。
 ★★★(悪漢小説をお好きな方はどうぞ)

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2017年2月14日 (火)

日本法令から3本

 年末から年始にかけて,日本法令関係で原稿をせっせと3本書いていました。一つはいつものビジネスガイドの「キーワードからみた労働法」です。今回は「インディペンデント・コントラクター」です。もう1本は,同じ号における「同一労働同一賃金ガイドライン案」の特集への寄稿です。八代尚宏先生や実務家の方と並んで,私もガイドライン案について,やや長目のコメントをしています。
 このガイドライン案については,北海道新聞にも12月20日に私のコメントが掲載されています(どういうわけか,北海道新聞は昨年からあわせて3度登場しています)。ガイドライン案は直前に見せられたので,たいしたコメントになっていませんが,そのときにとくに困ったのは,ガイドラインというのは,すでに法律があって,その規定の解釈や運用方針を明確にするために出されるものなのに,今回は法律ができる前のガイドラインなので意味不明という点でした。労働契約法20条やパート労働法8条の不合理性をクリアにするためのガイドラインということならまだしも,労働契約法20条等とは別の法律(あるいは規定)を作るということですので,ますます意味不明でした。何か法律(あるいは規定)を作るということが先にあって,あとは何とかつじつまを合わせるという感じで,これがガイドライン先行という前代未聞のことにつながっているともいえます。というような表現は,ちょっと激しすぎるので,ビジネスガイドの原稿ではもっと内容はマイルドですが,ご関心のある方はぜひ読んでみてください。
 ついでに新刊の『AI時代の働き方と法』(弘文堂)でも,同一労働同一賃金の悪口(?)を書いていますが,これについては下井隆史先生から「わが意を得たり」というコメントをいただきました。
 さらに非正社員の格差問題については,以前に派遣関係の本を書くつもりで準備いていましたが,より戦線を拡大して非正社員一般を扱う構想で執筆中です。いつ完成するかわかりませんが,それほど長い時間をかけるつもりはありません。
 日本法令関係では,もう一つ,社会保険労務士向けの雑誌であるSRの「社労士と『働き方改革』」という特集の総論的なところで,「『働き方改革』のなかで,社労士に求められている役割は何か」という論考を寄稿しています。この雑誌への寄稿はおそらく初めてだと思います(「社労士V」という雑誌には書いたことがありますが)。
 目先の働き方改革もありますが,中期的な観点からAI時代の到来を見越して,より戦略的に今後のビジネス展開を考えていくことが必要ではないか,という問題意識から,書いてみました。これは総論的なことなので,具体的な話は,この雑誌に掲載されている別の方の書かれた各論の諸論考を参考にしていただければと思います。

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2017年2月13日 (月)

労働法で人事に新風を

 1年以上前に刊行していた『労働法で人事に新風を』(商事法務)が,昨日の日経新聞の日曜版の読書欄(今を読み解く)で,早稲田大学の川本裕子教授に紹介されていて,びっくりしました。そもそも,この本が,川本先生の目に留まっていたこと自体驚きでした(たぶんお会いしことはなかったと思います)。
 この本は,「労働法」と「人事」というキーワードが,書名に入っているので,キーワードでヒットしやすいようになっていますが(それを狙ったわけではなかったのですが),あまり多くの人に読まれている本ではなさそうなので(担当編集者がすでに退職しているので,本の売れ行き情報などは入ってきません),そろそろ忘れられた本になっているのではと心配していました。そのようななか,川本先生にしっかり読んでいただいたことは,ほんとうに有り難く思っています。
 一見,軽い本のようなのですが,全部をとおして読でんもらうと(意外に早く読めると思いますよ),労働法のちょっと変わった入門書になっていることをわかっていただけると思います。個人的には自信作であり,できれば電子書籍にしてぐっと値段を下げて売り出してもらいたいですね。

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2017年2月12日 (日)

内藤了『ON猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子』

 内藤了『ON猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子』(角川ホラー文庫)を読みました。いきなり女児の惨殺シーンが出てきて,読む気が失せそうになりました。抜群の記憶をもつ猟奇犯罪捜査班の藤堂比奈子は,異常な死に方をした何人かの被害者に,共通点があることをみつけだします。犯罪者であった者が,自分がかつてやった方法で死んでいるのです。自殺か,それとも被害者の復讐か。しかし,どうもそのどちらでもありません。一方,冒頭の女児殺人は未解決のままになっています。そんなとき,比奈子の同僚の仁美が殺されます。捜査のなかで一人の男が浮かびあがってきます。その男は,母親を殺した過去があり,精神科のクリニックに通って治療をしていました。そのクリニックでは,恐ろしい研究がなされていました。人工的に脳腫瘍を起こし,脳内のスイッチをオンにすると……。複数の殺人事件が交錯するミステリーでもあります。
 こうした殺人方法が医学的に可能かどうかわかりません。この作品はドラマ化されているみたいであり(私は観ていませんが),たしかに視覚化してみたほうが面白い作品なのかもしれませんね。エグいですが。     ★★★(ちょっと甘い評価かも)

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2017年2月11日 (土)

深水黎一郎『最後のトリック』

 つい先日読んだ『美人薄命』が面白かったので,今度はこの著者の代表作と呼ばれる『最後のトリック』(河出文庫)を読んでみました。
 単行本では「ウルチモ・トルッコ」というイタリア語のタイトルだったようです。Ultimo Trucco ですね。犯人は読者である,というトリックは,最後のトリック(イコールあり得ないトリック)なのです。この難題に取りんだ作品ですが,見事なものでした。ここで本書で使われたトリックを書いたら怒られますので,読んでのお楽しみです。
 途中で,超能力の話がどう関係するのかというところが気になっていたのですが,ここは見事に結論につながっています。
 ただ,あえて言うと,読者である個々人(私も含めて)は,厳密にいえば犯人ではありません。故意犯ではないからです。解説でも書いてありましたが,動機がないのです。むしろ自殺幇助という感じです。この点で「読者が犯人」ということについては,半分割引かなければなりません。
 この部分をどうみるかによって,本書への評価は分かれるでしょうが,厳密な意味での犯人ではなくても,このトリックに果敢にチャレンジしたことについて,私は評価したいと思っています。 ★★★★(深水ファンになりそうです)

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2017年2月10日 (金)

フランチャイジーの労働者性

 フランチャイジーの労働者性をめぐる論点は,理論的に重要な問題を含んでいるように思います。
 拙著『AI時代の働き方と法-2035年の労働法を考える』(弘文堂)や昨年12月に出た拙稿「労働法のニューフロンティア?-高度ICT社会における自営的就労と労働法」季刊労働法255号(これと同じタイトルの論文を,Venezia大学のPerulli教授も書いていることを,今日,偶然知りました。"Le nuove frontieri del diritto del lavoro" in Rivista giuridica del diritto del lavoro 1/2016)でもふれたように,従属労働論でいう従属には,人的従属性と経済的従属性があり,どちらも要保護性を根拠づけますが,実定法上の労働者概念は,労働基準法9条では人的従属性(使用従属性)が判断基準に用いられています。経済的従属性は,基準としてはあまりにあいまいです。行政監督の対象とするかどうかを区別する基準には適さないのです。
 ところで労働組合法3条の労働者概念については,「使用され」という文言が使われていないことから,人的従属性ではなく,経済的従属性が判断基準となっているという解釈を示す見解もあります。しかし,労働基準法と労働組合法は,要保護性のある労働者について,一方で国家の法律により労働者保護のために契約内容に介入し,他方で労働者が自助のために団結することを助成するというように,いわば労働者の保護のやり方が違うというだけで,労働者の範囲が違うというのは,本来おかしいはずです。原則として,労働組合法3条の労働者概念は,ことの性質上明らかに違う場合を除き(たとえば失業者を含むかどうか),基本的には同一であると考えるべきなのです。
 このようにみると,新国立劇場運営財団事件,INAXメンテナンス事件(拙著『最新重要判例200労働法(第4版)』(弘文堂)の第138事件)などで示された個人事業主的な働き方をしている人について,最高裁が,労組法上の労働者性を認めたという結論をどう考えるのかが問題となります。最高裁は,労働者性の判断について6つの判断要素を示していますが,これは「要件」を定立したものではありません。最高裁(あるいは中労委)がどのような理論的根拠に基づいて,この6つの判断要素を示したかについてはよくわかりません。
 しかし,私は,この判断は,実質的には,準従属労働者に対して,労働法の保護を一部拡張するという立法をしたとみるべきではないかと考えています。準従属労働者は,ここでは,人的従属性はないが,特定の相手との間で継続的に契約関係にあることにより,経済的依存関係が生じている労務提供者を意味します。人的従属性がないので,労働基準法上の労働者ではなく,上記の私の考えからすると,労働組合法上の労働者でもないのですが,経済的な従属性は認められることから,立法論として,労働組合の結成による自助は認められるとする考え方はありえるので,これを最高裁は解釈でやったとみるのです。6つの判断要素のうち,「事業の遂行に不可欠な労働力として組織に組み入れられている」という第1の判断要素は,まさに継続的に労務を提供しているという状況を示すものといえるのです。
 このようにみると,労働組合法3条の労働者概念は,労働基準法9条と同一に解して,人的従属性の基準を採用すべきですが,立法論としては,準従属労働者の類型については,いくつかの保護は(従属)労働者に準じて認めてもよく,そうした保護のカテゴリーの一つが労働組合の結成や活動であり,それを最高裁は解釈でやってしまったということです。このことは,理論的には,あくまで労働組合法3条は人的従属性を基準とすべきものであり,経済的従属性を例外的に考慮してよいのは,本来の労働者ではないが,特別に保護を拡張する必要性がある場合に限られるとしなければならないのです。
 今後は,より自覚的に準従属労働者の保護をどうすべきかということを検討して行く必要があります。実務的には,最高裁がやったように,一部の保護規定については,解釈によって労働者概念を拡張するという方法もありますが,特定の保護規定のみ拡張するつもりでも,それをたとえば労働基準法9条の解釈としてやってしまえば,法的に同条9条の「労働者」と性質決定されることによって,包括的に他の保護規定も適用されてしまう恐れがあります。
 立法による対処の必要性があるのは,こうした包括的な保護のパッケージが及ぶことを避け,準従属労働者に拡張してよい保護規定を選別する必要があるからです。
 フランチャイズの話に戻ると,ではフランチャイジーは,準従属労働者のカテゴリーに入るのでしょうか。準従属労働者は,たしかに労働契約を締結してはいないのですが,労務そのものではなくても,労務の結果を取引するという面があります。この労務的側面があるがゆえに準従属「労働者」と呼ぶことができるのです。フランチャイジーは,フランチャイザーに対して労務の結果を取引しているといえるでしょうか。これは実態によるとは思います。ただ,フランチャイザーからの細かい指示が,有能な経営コンサルタントからの指示とどれほど違うのでしょうか。そこになお疑問が残るため,フランチャイジーの労働者性は,よほどの例外的な事情がなければ認められるべきではないというのが,今のところの私の暫定的結論です。
 フランチャイジーは,誰かに従属しているというのではなく,真正な自営的就労者であるとみたうえで,そこになんらかの政策的介入の可能性がないかということを考えていくべきであるというのが,『AI時代の働き方と法』(弘文堂)や「労働法のニューフロンティア?」のなかで書いたような,これからの法政策で取り組むべきことなのです。
 これはブログで書くようなネタではありませんので,研究会で改めて報告し,検討を深めたうえで,論文としてまとめることにします。

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«労働基準法違反の制裁について考える