私の作品

2021年4月 6日 (火)

川口美貴『労働法(第5版)』

 大学の事務から,小包サイズの書籍が届いたという連絡があり,どんな巨大な本なのかと思って,本日大学に行ったら,川口さんの『労働法』(信山社)の第5版でした。前に第4版をいただいたばかりだったので,想定していませんでした。重厚長大化する労働法の教科書の配送はたいへんなコストがかかっているのではないかと心配です。
 それはさておき,ほんとうに,いつもお気遣いいただき,有り難うございます。まずは旧労働契約法20条に関する最高裁判決が追加されたということなので,お説拝聴しました。もともと私とは考え方がまったく相容れない論点なのですが,あまりにも立場が違いすぎるので,コメントが難しいです。
 第5版が出て困ったのは,私は『人事労働法』において,川口さんのこのご本を,数少ない略語使用する頻出文献に入れ,第4版の頁で引用していたので,いきなり拙著の情報が古くなってしまったことです。引用していた部分が改説されていないかのチェックもしなければなりませんが,その点は,拙著が増刷されることがあれば(たぶんないですが),そのときにさせてもらえればと思います。
 ところで拙著では,文献の引用はかなり絞ったため,なんで私のものがあがっていないのか,というお叱りを受けるかもしれません。とくに教科書・体系書は,比較的新しいもので単著に限定したため,菅野和夫『労働法(第12版)』,荒木尚志『労働法(第4版)』,土田道夫『労働契約法(第2版)』,西谷敏『労働法(第3版)』,水町勇一郎『詳解労働法』と,それと川口『労働法』だけに絞りました。もっと思い切って絞るならば,菅野『労働法』と西谷『労働法』だけでよいのですが,これではちょっと狭すぎるだろうということで,手堅い通説として荒木『労働法』,新たな通説的立場を狙いつつあり,かつ何でも書いてある水町『詳解労働法』,個性ある体系書の香りが強い土田『労働契約法』,独自の世界で突っ走っている川口『労働法』をそろえれば,現在の労働法学説の全体を知るのに必要な最小限のものはそろっていると判断を下しました。もちろん,このほかにも参照すべき水準の高い体系書としては,野川忍『労働法』(日本評論社)がありますし,個別法では,下井隆史『労働基準法(第5版)』(有斐閣),(個別法と違い古いものでも色あせない)集団法では,山口浩一郎『労働組合法(第2版)』がありますが,これらは紙数の都合もあり個別の参照にとどめています(ただし,山口『労働組合法』は,拙著では特別な位置づけであり,それは「はしがき」を読んでいただければわかると思います)。またとくに引用はしていませんが,参照した重要文献として,山川隆一『雇用関係法(第4版)』があります。労働法の教科書であれば,石井照久『労働法』,石川『労働組合法』,片岡『労働法』,久保=浜田『労働法』,中窪=野田『労働法の世界』,安枝=西村『労働法』,渡辺章『労働法講義』あたりは,最低限掲げておくべきなのでしょうし(ただし,石川『労働組合法』は参考文献で言及しています),その他にも挙げるべき教科書や体系書はあるでしょうが,拙著の性質上(その意味は,拙著を読んでご判断ください),あえて挙げなかったことをお許しいただければと思います。

 

 

2021年4月 1日 (木)

知的怠慢?

 産経新聞に登場したのは,昨年7月以来です。今日から,短時間有期雇用労働法のいわゆる「同一労働同一賃金」の規定が中小企業にも施行されるということもあり,それにちなんでということでしょうか,「知論考論」に,このテーマに関するインタビュー記事が掲載されました。もう一人は,経済学者の橘木俊詔先生でした。インタビュアの黒川さんはよく勉強されていて,1時間くらいの電話でのやりとりでしたが,話しやすかったですし,今回の記事も要領よくまとめてあると思いました。
 ところで,「同一労働一賃金」は,いまだに「同じ仕事をすれば,同じ賃金がもらえる」という紹介の仕方を,ほとんどのマスメディアがしており,今回の産経新聞の記事も解説のところでは,その趣旨のことが書かれていました。しかし,そもそも日本の雇用社会で,そんなことが実現できるはずがないという疑問を,マスメディアの人はもたないのでしょうかね。そうした疑問をもたずに,法改正で「同じ仕事をすれば,同じ賃金がもらえる」ことになったという紹介の仕方をし続けるのは,知的怠慢と言うべきでしょう。正社員とパートが同じ仕事なら同じ賃金なんてことは,日本ではそう簡単にできるはずがないのに,これは一体どういう話なのか,という疑問をもって,そこから真実を確かめようとするべきなのです。簡単に言葉に踊らされてはいけません。この問題については,条文をみればよいだけです。一般の方は条文を読むのは大変でしょうが,少なくともマスメディアでこの問題を専門的に報道しようとするのであれば,条文をみてもらうしかありません。そうすると,どこにも同一労働について,同一賃金を支払うなんて話は出てこないことに気づくでしょう。
 そもそも問題となる短時間有期雇用労働法8条は,賃金だけに関する規定ではありません。それに格差が不合理であってはならないとしているので,不合理でない格差は適法です。不合理かどうかの判断は,職務の内容,職務内容や配置の変更範囲(人材活用の範囲),その他の事情のうち,当該待遇の性質および当該待遇を行う目的に照らして適切と認められるものを考慮して判断するとされており,職務の内容(これは責任の程度も含む概念です)が同一であるからといって,賃金やその他の労働条件が同一になるという規定ではまったくないのです。政府がつけた同一労働同一賃金というネーミングに振り回されて,「同じ仕事をすれば,同じ賃金がもらえる」という情報を垂れ流し続けることは,非常に問題であると思います。
 「同じ仕事をすれば,同じ賃金がもらえる」という原則に振り回され,何が同一労働か,何が同じ仕事か,ということが大切だという方向に議論を展開していく人もいるのですが,これは原理論をするのであればともかく,現行法の規定に則した議論としては的外れなものといえます。それに,現行法は,同一労働に従事していなくても,同じ賃金(手当)を支払うように求めることができるとする解釈が,最高裁でも認められているわけで,その意味でも,「同一労働同一賃金」ではないのです(手当の趣旨や性質から,正社員だけでなく,パートにも支払うべきものかを問題とするので,同一労働ということとは関係ないのです)。
 というようなことは,もう何年も書いてきていることですが,まったく理解が浸透していないのは,もちろん私の影響力のなさもあるのですが,ここまでくると,多くの専門家たちの意図的な沈黙(世間は誤解していてもいいという態度?)やマスメディアのレベルの低さ(政府のスローガン的な言葉に,あっさりひきずられてしまう)といったことも,ひょっとしたら原因なのではないかと思えてきます。
 「同一労働同一賃金」は,私は気づいているからいいですが,自分の専門とするところ以外で,私も,専門家やマスメディアの同様の知的怠慢によって,誤解してしまっていることがいっぱいあるような気もします。まずは自ら知的センスを磨き,常識的に考えておかしいと思えることには批判的な目をもって,きちんと確認をしていかなければならないということを,改めて強く感じました。

2021年3月24日 (水)

月刊企業年金に登場

 「月刊企業年金」は,労働や社会保障に関する研究者がよく登場する雑誌のようですが,私は最新号(2021年4月号)に初めて寄稿することになりました(不勉強で,これまで読んだことがありませんでした)。当初「雇用制度改正の意義と課題」というテーマで依頼がありましたが,DXというテーマでどうかという提案をさせてもらって,了承を得たので,「デジタル変革と高齢者雇用」というタイトルで書きました。私が最近書くことの多いDXというテーマに高齢者雇用問題を結びつけたものです。私は,高齢者(および障害者)に対してこそ,テレワークなどのICTやその他のデジタル技術の活用が最も効果的であると考えており,講演などでもこのことは話すことがあったのですが,きちんとした媒体で活字になるものとしてはおそらく今回が初めてです(字数が限られているので,簡単に言及するにとどまっていますが)。昨年から,「DXと労働と○○」というテーマで書くことが増えているので,また同じネタで書いていると思う人がいるかもしれませんが,各媒体に合わせた内容になるようアレンジはしているつもりです。
 いま私の頭のなかで,DX,自営的就労者(フリーランス,ギグワーカーなど)と並ぶ重要なキーワードは「SDGs」です。来年あたりは,「SDGsと労働と○○」というタイトルの原稿を書くことが増えているようになればいいなと思っています。そのためにも核となるものを一つ書かなければなりませんね。ちなみにDXは,昨年7月に日本法令から出した『デジタル変革後と「労働」と「法」』が核となっていますし,DXの一つとしてのテレワークについては,これを主題にした本がもうすぐ刊行されます。
 さらにもう一つ温めているキーワードがあるのですが,それはもう少し勉強してからということで,まだ明かさないことにしておきます(といっても,すでによく使われているワードですが)。

2021年2月 9日 (火)

最近の論考

 白書といえば,政府が出すものが有名ですが,その他にも民間からいろんな白書が出ているようです。今回,『インターネット白書』というものに寄稿する機会をいただきました。2021年版で,テーマは「ポストコロナのDX戦略」です。私は,いつものテーマという感じですが,「DX時代におけるテレワークの可能性と課題」という論考を寄稿しました。急速なデジタル革命のなかで,まさに旬のテーマを扱う興味深い論考がそろっていますので,関心のある方も多いと思います。
 ビジネスガイドで連載中の「キーワードからみた労働法」の最新号(第164回)のテーマは,「無期転換阻止目的の雇止め」です。これは12月の神戸労働法研究会で,弁護士の千野博之さんと東京都立大学の天野晋介君が,たまたまこのテーマに関係するバンダイ事件と地方独立行政法人山口県立病院機構事件についての判例評釈をしてくれて刺激を受けたので,これで書いてみようと思いました。無期転換が生じないようにするための雇止めというのは,労働契約法18条の潜脱と考えるべきなのでしょうか。そうではないだろう,というスタンスで書いています。
 神戸労働法研究会では,いつも書いていることですが,メンバーは少数とはいえ,いろんな人の報告を聞いて刺激を受けています。労契法旧20条の5判決についても,昨年の11月にJILPTの山本陽大君の報告を聞いて勉強させてもらい,NBLの原稿でも参考にさせてもらいました。1月には不当労働行為事件に関する報告を2件勉強させてもらいました(上智大学の富永晃一君の東リ事件における民事裁判と兵庫県労委命令,神戸大学の櫻庭涼子さんのアート警備事件です)。
 そうは言っても,いつも一番しゃべっているのは私で,若手に迷惑をかけているのは自覚をしているのです(不当労働行為事件となると,とくに話が長くなってしまいます)が,なかなか治りませんね。森喜朗氏は,「女性は話が長い」と言っていますが,普通は「老人は話が長い」でしょう。若手の話をたくさん聞くためにも,できるだけ黙っていたほうがよいのですが,私には無理そうです。でも,いつかは話題についていけなくなり,話したくても話せない時期が来るのであり,その時期ができるだけ後になればよいかなと心のどこかでは思っています。

2020年10月12日 (月)

私の最近の論考

 久しぶりに産政研フォーラムに登場しました。いつも大竹文雄さんのエッセイを楽しみにしている雑誌です。今回は「デジタル変革(DX)と労働の意義」というタイトルで執筆しました。拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」―真の働き方改革とは何か?』(日本法令)のエッセンスをまとめたような内容です。今回の登場で3回目ですが,2010年には「契約の自由をめぐる一考察」,2016年には「働き方改革と労働時間規制」と,重要なトピックを扱った論考を書かせてもらってきました。今回は,法律というよりも,労働というものをより深く考えるための参考にしてもらえればという感じになっています。
 そのほか,金融ジャーナルという雑誌に,「ギグワークー自営型就労に対応した法整備が必要」という短いエッセイも書いています。内容は,私がよく書いているものです。この雑誌には,初登場です。
 ビジネスガイドの「キーワードからみた労働法」は,第159回が「国際自動車事件」,第160回は「強行規定」です。国際自動車事件は,若手研究者に刺激を受けて,自分なりにもう一回しっかり割増賃金のことを考えてみようと思って書いたものですが,判例をどのように整理して理解するかはかなり難しかったです。立法論的には,割増賃金の任意規定化という議論(拙著『労働時間制度改革―ホワイトカラー・エグゼンプションはなぜ必要か』(中央経済社)も参照)が重要であることを,いっそう強く確信するようになりました。それと関係するところもあるのですが,今回の「強行規定」は最近ずっと私がこだわっていた論点で,まずはビジネスガイドにおいて,判例を振り返りながら ,私なりの視点でまとめたものを書いてみました。いずれにせよ,労働法の強行規定性を根本的に見直す論考を,来年3月くらいまでには発表するつもりです。
 このほか『消費者法判例百選(第2版)』には,コラム「消費者契約と労働契約」を書きました。1頁分なので,関連する論点を網羅的に盛り込むことよりも,消費者契約法が労働契約を適用除外していること(48条)に着目しながら,同法が前提とする労働契約・労働者概念についての違和感をベースに,国民を労働者,事業者,消費者などと区分して法規制をすることの問題点を軽いタッチで書いてみました。

2020年10月 4日 (日)

Webあかし連載終了

  明石書店のWEBマガジン「Webあかし」で連載していた「テレワークがもたらすもの―呪縛からの解放―」が,無事終了しました。全20回ご愛読ありがとうございました。5か月間,ほぼ毎週「テレワーク」をテーマにしたエッセイを書き続けました。メディアでは,テレワークがどうやったらうまくいくかというような話が多いのですが,そういうことも組入れながら,より大きな視点から「テレワークのもたらすもの」は,いったい何なのかを私なりに追求してきたつもりですし,今後の書籍化にあたっては,いっそう追求していきたいと思っています。
 以前も弘文堂のサイトでエッセイを連載し,それをベースに(と言っても,かなり違った内容となりましたが)『AI時代の働き方と法』という書籍が誕生したことがありました。雑誌ではなく,Webサイトに連載して,そこから書籍化していくというスタイルは面白いです。しかも,雑誌連載のときのように,基本的にそれをそのまま書籍化するのではなく,Webサイトではアイデア的なものを書き,書籍ではそれを具体化していくという手法は,チャレンジングなテーマを扱うときに適している気がします。
 いずれにせよ,2020年は,私にとって,いろんな意味で転換の年です。テレワークを素材にどんな本ができあがるか私自身楽しみです。

2020年7月18日 (土)

新刊

  昨日も書きましたとおり,日本法令から『デジタル変革後の「労働」と「法」―真の働き方改革とは何か?』を上梓しました(電子版もあります)。昨年秋までのサバティカル期間中,自分の考え方を根本的に見直す作業を続けるなかで,未来の労働法について何か書いてみないかという声をかけていただきました。ちょうど昨年あたりから,労働の原点や新たな資本主義という視点で話をする機会もあり,自分なりの現時点での考えをまとめるのに良い機会だと思い,お引き受けしました。2017年に弘文堂から出した『AI時代の働き方と法ー2035年の労働法を考える』の続編を書く必要があると考えていたタイミングとも重なりました。コロナと重なったのは偶然ですが,コロナのせいで,本書の内容がたんなる未来の空想的なことではなく,リアリティが出てきたような気がしています。Go Toキャンペーンもありますが,いまは巣ごもりして充電すべき期間でしょう。この機会を利用して,コロナ後の社会を展望すべく,本書を手に取ってもらえれば嬉しいです。
 本書のメインはDX後の未来社会なのですが,歴史も振り返っています。未来のことを考えるうえでは,歴史をみることがどうしても必要だからです。本書のキーコンセプトは,労働を共同体への貢献とみることにあります。株式会社形態で営利を追求する企業に雇用されて働くというのが20世紀型社会の労働であるのに対して,個人が自立してデジタル技術を駆使しながら共同体に貢献するのが21世紀型社会の労働であると位置づけ,こうした変化には必然性があり(環境問題,シェアリングエコノミーの広がりなどに,その兆候はすでに現れています),そして法は21世紀型社会に生じる新たな課題に,デジタル技術を使って解決していくことが求められるというのが,本書の主たるメッセージです。DXが到来して,社会がデジタル化していく時代では,経済や社会がどう変わるかを展望せずに,労働を語ることはできません。またそれは労働というテーマにとどまらず,私たちが社会の一員として,これからどう生きていかなければならないかを考えることにもつながります(本書では扱っていませんが,民主主義などの統治システムの問題にも関心をもっていて,これも機会があれば論じてみたいところです)。
 労働法の議論としては,いつものように雇用労働・従属労働だけをターゲットにしてはならないというテーマはもちろん扱っていますが,これに追加して,リバタリアン・パターナリズム的な発想に基づき,任意規定とナッジ(行動経済学)とテクノロジーを組み合わせるという新たな規制手法のアイデアも出しています。これは,おそらく労働法の理論を根本から覆すものとなるでしょう(そのより具体的な内容は,長い長い構想段階を経てようやく完成に近づいている『人事労働法』という本のなかで示す予定で,現在最終的な作業をしているところです)。
 また,労働政策上のテーマとしてのセーフティネットの再編(原点回帰)にもふれていますし,今後の重要な政策課題として,個人情報保護,プライバシー・差別,格差(デジタルデバイド),教育も採り上げています。本書で提示した問題提起に共鳴して,若い世代の人が,より緻密な政策論議を展開してくれる人がでてくればと思います。
 現在の延長線上でものを考えるのは実務家や役人の発想であり,それは社会の安定のためにも必要ですが,研究者には,これとは違って,想像力を駆使して,ディスラプション後の社会を展望して,創造的に新たなビジョンを提示することに,,固有の貢献の余地があると思っています。
 私としては現時点で精一杯の知的挑戦をしたつもりです。能力の限界もあり,いろいろ欠点もあると思いますが,真剣に未来を考えていこうとする人に,本書が思考や議論の材料を提供できたなら,著者としてこれに勝る喜びはありません。

 

 

2020年7月 3日 (金)

労働者憲章法施行50周年

 イタリアの労働者憲章法(Lo Statuto dei Lavoratori)と呼ばれてきた1970520日法律300号が,今年50周年を迎えるということで,何かエッセイを書いてくれないかという依頼がイタリアの雑誌から来ました。なぜ日本人の私に来るのか最初は驚いたし,私でよいのかという気もしましたが,私の修士論文は,この労働者憲章法の第28条(見出しは「反組合的行為の抑止」)を扱ったもので,私も深い思い入れのある法律でしたので,お引き受けすることにしました。コロナ禍でも,結構,忙しくて,イタリア語で本格的な論文を書く余裕はなかったので,枚数は問わないという先方の言葉に甘えて,比較的短いエッセイ風のもので勘弁してもらいました(エッセイと言っても,専門的な内容のものですが)。https://www.lavorodirittieuropa.it/dottrina/principi-e-fonti/486-lo-statuto-dei-lavoratori-e-il-diritto-del-lavoro-giapponese

 1970年は私は67歳でしたので,あまり記憶がありません。ただ,母と一緒に,二人で大阪万博に行った甘い記憶が残っています。妹が二人いたので,日頃は母と二人だけになることがなかったときに,どういう理由であったかわかりませんが,おそらく父が妹の面倒をみてくれたのでしょうか,母が私に万博を見せようと思って連れて行ってくれたのだと思います(でもひょっとすると,家族全員で行ったけれど,一緒にあちこち移動したのは私と母だけということだったのかもしれません)。こういう個人的な記憶しかない1970年ですが,社会は,1960年代末の不安定な社会状況の余韻をまだ引きずっていたのでしょう。ちなみに藤原弘達の『創価学会を斬る』(196911月刊)がベストセラーになったのも,この年でした。
 イタリアも,1960年代末は社会騒乱が起きて(異議申立運動など),1969年秋は「熱い秋(autunno caldo)」と呼ばれるような,ある種の労働者の革命が起きて,そのようななかから誕生したのが労働者憲章法でした。これはいわば日本の労働基準法と労働組合法が合体したようなもので(規制内容は日本とはかなり違いますが),今日に至るまでイタリア労働法の基本法となっています。日本のように戦後早々に労働組合法と労働基準法ができたのとは異なり,イタリアは1970年になってようやく体系的な労働立法がなされたのです(イタリア労働法については,少し古くなってしまいましたが,日本労働研究機構(現在のJILPT)から刊行された拙著『イタリアの労働と法』(2003年)を参照してください)。また当初の労働者憲章法の邦語訳は,山口浩一郎先生のなさったものが,ティツィアーノ・トレウ=山口浩一郎編『イタリアの労使関係と法』(1978年,日本労働協会)に収録されています。

  山口浩一郎先生や諏訪康雄先生や脇田滋先生なら,もっと味のあるエッセイを書かれたかもしれませんが,私はやや堅い内容の,イタリアの不当労働行為制度をなぜ日本人の私が研究対象としたのかというようなことを書きました(イタリア語なので,直球的なものしか書けなかったのが本当の理由です)。
 イタリア人の読者にはどうでもいいような内容であったかもしれませんが,個人的には,こういうものを書かせてもらう機会を得て,とても幸せでした。イタリア労働法の研究は,日本では,比較法大国(英米独仏)の研究のついでのようなものですし,イタリアでは,日本人がなぜイタリア労働法の研究をしているのか,ほとんどの人は理解不能という状況であったのです。でも,いま労働者憲章法について多くの有力なイタリア人研究者と並んで,日本人にも書かせようという雑誌が出てきたということで,これまで地道にイタリア労働法研究をやってきて良かったとつくづく感じました。この道に導いてくださった山口先生と諏訪先生には心より感謝しています。

 最近,久しぶりにイタリア留学経験のある亜細亜大学の中益陽子さんと一緒に研究する機会がありました。テーマはイタリア法ではありませんでしたが,イタリア労働法の研究者仲間として,気脈が通じるところがあって良かったです(社会保障法の政策のところは見解が相容れないところもありましたが,それは彼女のほうが専門家ですから当然のことです)。イタリア労働法については,明治大学の小西康之さんや早稲田大学の大木正俊さんもいます。彼女,彼らが,次世代のイタリア労働法研究の道をつないでいってもらえればと思います。

 参考までに,日本におけるイタリア労働法の研究については,「文献研究労働法学(第14回)外国法研究編(イタリア)」季刊労働法247181-190頁(2014年)で概観しています。また私個人のイタリア法研究への思いについては,10年前に「イタリア法への誘い(1)〜(3)」法学教室358号,359号,360号(2010年)で書いています。

2020年5月16日 (土)

再び近況の報告

 明石書店のWEBマガジンの「テレワークがもたらすもの」は,早くも,第2回「テレワークに注目するのはなぜか?」がアップされました。今回はテレワークの社会的意義のようなものをまとめて採りあげています。テレワークに関する論考は,最近,メディアでも次々と出てきていますが,それらとはひと味違った連載となるように頑張っていきます。
 12日の火曜日の日本経済新聞の朝刊の「働き方 innovation データで読む」に同一労働同一賃金関係に関する私のコメントが掲載されました。2か月前の同紙の経済教室の内容をご覧になった編集者の方が,取材依頼されました(電話取材です。これまでの経験では,新聞はSkypeの取材をしたがりません。たまたまそういう人ばかりに当たっているのかもしれませんが)。掲載内容は,いろいろ話したなかの一部にすぎないのですが。個人的には,同一労働同一賃金関係の議論をすることはあまり意味がないという立場ですが,取材がくると,ついつい熱を入れて話してしまいますね。そういえば,ロイヤルリムジンの解雇騒動についても,レイオフや失業給付について取材が来たので,ずいぶん丁寧に説明をしましたが,その後の会社が解雇を撤回したこともあって,ニュースバリューがなくなったのでしょうかね。こうした問題の本質をみれば,まだニュースバリューはあると思いますが,記者がそのことに気づくかですね。また,フリーランス関係についても,いつもと同じような取材が来て,今回は,PPTのスライドを事前に送ったうえで説明するという,私としてはかなり親切な対応をしましたが,記事になるかどうかはよくわかりません。そういえばつい数日前は,厚生労働省の助成金関係の取材申込みがあって,これはまだ探索的な取材でしたので,調査したほうがよい事実確認をお願いして,その事実が確認できたらコメントするという対応をしました。現在は,ずっと自宅にいるので,基本的には,取材には協力する姿勢ですが,テーマと相手方の意欲と問題意識と事前準備の程度しだいで,当然,こちらの対応は変わりますね。すでに筋が出てきているというタイプの取材には警戒をします。
 それから,電機連合NAVI74号の「羅針盤」という欄に「5年後の働き方―『コロナ後』の労働を展望する」という少し長めのエッセイを寄稿しました。2年前に執筆したことがあるので,もう同じ雑誌には書くことはないと思っていましたが,また依頼が来ました。読者の皆さんのために少しでも参考になることが書けていればよいですが。テーマ的には,今後はこの種のものの依頼が増えそうです。近いうちに,非法律系の書籍の一節に,類似テーマでもう少し長い論考が掲載されます(脱稿済み)ので,刊行されたらご報告します。

2020年4月30日 (木)

最新重要判例200労働法(第6版)の刊行

  『最新重要労働判例200労働法』(弘文堂)の第6版が出ました。といっても,もう1か月以上経ちます。おかげさまで,第6版まで出すことができました。読者の皆様に感謝です。この本があるため,いまでも判例の勉強は継続して行っています。改定作業は実質的には年内に終えていたので,今年2月末にでた「逆求償」に関する最高裁判決は入っていません。これは第13事件の「茨石事件」の解説に付け加えることになりそうです。この判決については,ビジネスガイドの「キーワードからみた労働法」で取り上げているので,興味のある方はご覧になってください。
 このほか3月末には国際自動車事件の差戻審の最高裁判決も出ましたね。前にこれもビジネスガイドで,差戻審の高裁判決は最高裁のメッセージを読み間違ったのではないかと論評していました(ビジネスガイド137号の「キーワードからみた労働法」)。案の定,高裁判決は破棄され,再び差し戻されました。この差戻審の最高裁判決は,そのうち研究会で検討することにしたいです(神戸労働法研究会は2月以降中止していましたが,オンラインで再開することになりました。オンラインにすることにより,遠方の方も参加できるようになりますし,帰国中の留学生が海外から参加することもできるので,新たな可能性が生まれた気がします)。
 今後は労働契約法20条関係の最高裁判決も出るでしょう。そう思うと,まだ『最新重要労働判例200労働法』の役割はありそうですが,その一方で,コロナ後の社会を思うと,どうなるのかわからないなという気持ちもあります。ご存じのように,私はここ数年,自営的就労者の時代が来て,労働法が不要になると主張しています(それが,拙著『会社員が消える』(文春新書)というタイトルにも表れています)。それがいつになるかわかりませんが,2035年くらいかなと思っていたところ,ぐんと早まる可能性が出てきましたね。
 ところで新型コロナショックでまず話題になったのが,自営的就労者の収入途絶問題でした。いきなり仕事がなくなったので大変です。個人でやっていますから経済的にもこういう大きな変動への抵抗力は弱いでしょう。だから自営的就労者のことをもっと政策的に考えなければならないという話になります。
 しかし,少し冷静に考えると,これは,やや違う観点から論じることができます。今後,大リストラの波がやってきます。今朝の日本経済新聞の社説は,「雇用ルールの軽視は許されぬ」として,とくに中小企業に対して労働法を遵守せよと言っています。しかし,ここは中小企業のことも考える必要があるでしょう。雇用調整助成金がなかなかもらえないという事情もあります。ようやく政府はオンライン申請を言い出していますが,実際には申請してもいつ助成金がもらえるかわからないでしょう。いずれにせよ,労働法の遵守は当然のことです。ただ,労働法を遵守しても今回くらいの事態であれば解雇は合法的にできてしまいます。労働契約法16条や整理解雇の法理によっても,そこは止められません。むしろ解雇はやむなしと想定して,どうやって企業も労働者もできるだけダメージを小さくし,コロナ後の立ち直りを早くするかを考えなければならないのです。見込みのない企業で雇用を支えてもらって,結局共倒れになるよりは,早く次のステップを考えたほうがよいです。コロナ後がいつくるかわからないのですが,オンライン化が進み企業の省人化対応も進むと,製品需要が戻っても,労働力需要は戻らない可能性が高いでしょう。機械でできることは機械でというAI時代で予想していたことがいきなり実現してしまう可能性があります。そうなると,どういうことが起こるかは拙著『AI時代の働き方と法―2035年の労働法を考える』(弘文堂)を読んでいただきたいのですが,結局それは個人の自営的就労者やフリーランスの時代になるということです。だからそれに備えた政策が必要なのです。昨日,西日本新聞で,この問題に関係する記事のなかに掲載されている私のコメント(内容はいつも述べていることの繰り返しですが)も,こういう問題意識です。つまり自営的就労者への政策は,現在の問題であるだけでなく,コロナ終息の直後の問題でもあるのです。
 ところで,今回の新型コロナショックで,もし私たちが主張していた解雇の金銭解決制度(大内・川口大司編著『解雇規制を問い直すー金銭解決の制度設計』(有斐閣)を参照)があればどうなっていたでしょうか。私たちの主張は,企業は帰責性がなくても,解雇をする場合には,労働者の逸失賃金を完全に補償しなければならないというものでした。そして,その負担は,中小企業には大きすぎるので解雇保険を作って対応すべきとしていました。もし実際にこの制度があったとすれば,新型コロナショックで瀕死の企業は,従業員を解雇することができますが,労働者も解雇保険から十分なお金がもらえます(メリット制によりその後の企業の保険料は高くなりますが,それは当然のことです)。もちろん,大量の保険給付で保険財政が大変なことになるでしょうが,それは政府が特例で援助して対応すればよいのです。
 なんてことを思いますが,手遅れですね。実は,私たちの主張する解雇の金銭解決制度は,これから雇用が減って自営に移行していくようになるときにこそ,活用できるはずなのです。これは(よく誤解されているような)解雇を自由化する制度ではなく,解雇の際に企業負担でプールしていた基金から従業員の生活保障にお金を回すという制度なのですから。
 平時においていかにして想像力を働かして将来に向けた制度を構築するかが重要ということを,改めて知ることになりました。今回のような事態が生じるとはまったく想像できていなかった私も,大いに反省しなければなりません。感染症の危険を警告し,実際に活動をしていたビル・ゲイツは偉大ですね。

 

 

 

 

 

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