法律

2021年4月11日 (日)

ドイツの労働政策の動向

 ドイツの労働政策の動向について,現在はJILPTの山本陽大さんの精力的な研究発表のおかげで,ドイツの情報を,ほとんどタイムラグなしに,しかも日本語で入手できるので助かります。外国法の状況は,これまでは研究者の問題関心によるところが大きいので断片的なものとなることが多く,しかも多少のバイアスもかかってくるので,結局は自分で確認せざるを得なくなることが少なくないのですが,山本君の登場から,そういう心配がなくなりました。これはJILPTという政府系の調査研究機関の存在意義を高めるもので,JILPTに重要な貢献をしていると思いますね。
 今回,彼からいただいたのは,『労働政策研究報告書 No.209 第四次産業革命と労働法政策―“労働4.0”をめぐるドイツ法の動向からみた日本法の課題』です。第4次産業革命という言葉の生みの親であるドイツにおける,技術革新と労働政策については,これまでも彼自身がたびたび調査報告してくれていますが,今回も最新の動向を知らせてくれました。どうもありがとうございました。職業訓練政策が重要視されていることや,ギグワーク的な働き方(クラウドワーク)の労働者性が問題となっていること,個人情報保護が問題となっていることなど,たいへん示唆的です。
 私自身は,労働者性の問題は,最終的には立法論的解決しかないと考えており,自分のなかでは決着が付いているのです(拙著『人事労働法』(弘文堂)86頁を参照)が,その他については,拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」―真の働き方改革とは何か?』(日本法令)の最終章で,相互に連関する課題として,個人情報保護,プライバシーと差別,格差(デジタルデバイドなど),教育を挙げています。ドイツの議論と交錯するところもあるので,今後,彼からいろいろ教わりながら,私自身の政策提言のブラッシュアップに努めていきたいと思います。
 また同君からは,他の若手研究者と行なったドイツ法の翻訳の資料をおさめた,JILPTの資料シリーズNo.238の『現代ドイツ労働法令集 Ⅱ ―集団的労使関係法,非正規雇用法,国際労働私法,家内労働法』もいただきました。これだけの基礎資料がそろうと,ドイツ労働法の研究は,とても助かりますね。今後はこうした情報を活かした立派な理論研究が出てくることでしょう。
 私の目につくものに偏りがあるのかもしれませんが,なんとなく比較法のすぐれた情報がドイツ法に傾きすぎている感じもしますね。JILPTでは,比較法というと,独仏英米となりますが,質的にも量的にも,ドイツ法が圧倒しているような気がしています。今後はもっと他国の情報も広がってくれればよいのですが。

2021年4月10日 (土)

労働組合をめぐる日米の違い

  今朝の日本経済新聞で,「米アマゾン・ドット・コムが南部アラバマ州で運営する物流施設で労働組合結成の是非を問う従業員投票があり,反対多数で否決した」という記事が出ていました。詳細はよくわからないところがあるのですが,排他的交渉代表権限を得るための選挙がなされたということでしょう。アメリカでは,この組合化(unonization)をめぐる選挙が,労使のたいへんな攻防となることがよくあります(日本の労働組合がいとも簡単に団体交渉権を得ることができるのと大きな違いです)。
 アメリカの労働組合は,単に結成しただけでは,使用者と団体交渉をすることはできません。使用者が任意に応じてくれればともかく,そうでないかぎり,一定の交渉単位(NLRBという日本の労働委員会に相当する機関で決定する)の範囲で,選挙を実施して過半数の支持を得なければなりません。その選挙の実施を申請するためには,30%以上の支持の署名を得ていなければなりません。選挙が実施され過半数の支持を得た労働組合は,当該交渉単位において,排他的交渉代表権限を得ることができます。その労働組合に投票をしなかった従業員も,その交渉代表権を得た労働組合によって代表されます。
  こうした独特の制度があることを知らなければ,アメリカの労働組合の話はよく理解できないでしょう。日本では,過半数を得なくても,いかなる労働組合であっても団体交渉を申し込むことができます。排他的交渉代表権をもつ労働組合はありません。また労働組合が,組合に加入しない従業員を代表するということもありません(締結された労働協約が,一定の要件を得れば,非組合員にも適用される一般的拘束力という制度はありますが)。
 排他的交渉代表権をもつアメリカの労働組合は,当該交渉単位におけるいわば公的な代表というイメージです。自らを支持していない従業員の利益も公正に代表しなければなりません。これが公正代表義務と呼ばれるものです。
   日本の労働組合法制は複数組合主義であり,組織原理としては,私的な任意団体とみるべきものです。アメリカは,労働組合の結成自体は複数組合主義的ですが,実際に団体交渉という場面になると違っています。アメリカ法の影響を受けた日本の研究者は,労働組合をアメリカ風に公的団体ととらえて解釈論を展開する傾向にあります(公的団体論については,拙著『労働者代表法制に関する研究』(2007年,有斐閣)の118頁も参照)。例えば,過半数の支持を得ていない少数派労働組合が,団体交渉ができることについて疑問をなげかける見解がそれです。しかし,これまでの憲法解釈上は,少数派の団体交渉権を否定する解釈はとれないとされています。もっとも,就業規則の意見聴取を受けたり,三六協定の締結をしたりする過半数代表の地位には,少数派労働組合はつくことができないのであり,アメリカ的なmajority rule の発想が,労働組合法ではなく,労働基準法において認められているのは興味深いです。
  なお,アメリカ法の交渉代表制度の正確な説明については,中窪裕也『アメリカ労働法(第2版)』(2010年,弘文堂)104頁以下で,ぜひ確認してください。

 

 

 

2021年3月29日 (月)

テレワークの新しいガイドライン

 厚生労働省から「テレワークの適切な導入及び実施の推進のためのガイドライン」というのが出ました。「情報通信技術を利用した事業場外勤務の適切な導入及び実施のためのガイドライン」の改訂版ですが,たんに「導入及び実施」だけでなく,「推進」という言葉が入っていることからもわかるように,法制度の遵守というよりも,どちらかというと経営指南的な部分が増えている印象があります。経営指南まで厚生労働省が担当するのがよいかはわかりませんが,検討を進めると,これって法律の話よりも,経営の話だよね,ということになっていったのかもしれません。その一方で,テレワークの定義が,「労働者が情報通信技術を利用して行う事業場外勤務」とされていることからもわかるように,テレワークの捉え方がやや限定的である気もして,このあたりは厚生労働省でやることの限界なのかもしれません。いずれにせよ,せっかくガイドラインを出した以上,しっかり周知徹底させてもらいたいものです。
 今回のガイドラインでは,「テレワークは,ウィズコロナ・ポストコロナの『新たな日常』,『新しい生活様式』に対応した働き方であると同時に,働く時間や場所を柔軟に活用することのできる働き方として,更なる導入・定着を図ることが重要である」と書かれています。ここまで言ってくれれば心強いですが,DXへの対応という観点,SDGsの観点なども含めて,もっと幅広いメリットがあると書いてほしいところではあります。
 「本ガイドラインを参考として,労使で十分に話し合いが行われ,良質なテレワークが導入され,定着していくことが期待される」というのは,どこか他人事のような感じですね。「厚生労働省からまず始めるので,国民のみなさんも,これにならってください」くらいの意気込みのガイドラインを書いてもらいたいのですが,どことなく,自分たちはともかく,皆さんは良いことだからやってくださいね,という感じであり,これでは,国民はなかなかついてこないでしょう。
 このガイドラインには,既存業務の見直し・点検のことも書かれていて,これはとても大切なことです。「テレワークをしやすい業種・職種であっても,不必要な押印や署名,対面での会議を必須とする,資料を紙で上司に説明する等の仕事の進め方がテレワークの導入・実施の障壁となっているケースがある。そのため,不必要な押印や署名の廃止,書類のペーパーレス化,決裁の電子化,オンライン会議の導入等が有効である。また,職場内の意識改革をはじめ,業務の進め方の見直しに取り組むことが望ましい」というのは,そのとおりです。ただ役所はそれができているのか,というところが問題です。政府は出勤を7割減らすためにテレワークをするようにと推奨しているのですから,それとしっかり結びつけるような力強い書き方が必要でしょう。
 私の身近なところでいうと,大学でも,不必要な押印や署名は残っています。何か一つでもこういうアナログ的なものが残れば,それだけでテレワークの阻害要因となります。また本業でも,大学では,いつも書いているように,文科省の方針もあり,オンライン授業については後ろ向きです。テレワーク環境の整備への道は遠いです。大学は特殊かもしれませんが,民間企業についても,ガイドラインで既存業務の見直し・点検ということに言及するのなら,企業だけにそれを任せずに,行政自らが模範を示して,力強く誘導してもらいたいものです。もっとも,厚生労働省の出すガイドラインは,テレワークを実施するうえでの側面援助ができるにすぎないのであり,ここは官邸あるいは関連省庁(厚生労働省だけでなく,国土交通省,経産省など)が一丸となって,テレワーク推進のために,既存の業務の見直しに向けた強いメッセージを発し,かつ具体的な措置も講じてほしいところです。
 ところで,労働法的に気になるのは,自己申告制が,昨年の副業ガイドラインだけでなく,ここでもじわりと重みが高まってきている点です。「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」では,労働時間の把握は,使用者の現認か客観的な記録が原則で,自己申告は,例外という位置づけで,これは今回のテレワークのガイドラインでも同じですが,これまでは,自己申告は,現認や客観的な記録という原則的な方法が使えず,自己申告により行わざるを得ない場合と制限をかけていたのが,今回は,自己申告は一定のルールを守っていれば導入してよいというような書きぶりにも読めます。
 そもそもテレワークにおいては,労働時間をしっかり把握することには無理がありそうです。もちろんやろうと思えばICT機器を使って監視するなどによりできないことはないのですが,それはそれでプライバシー侵害の可能性が高くなるという問題があります。そうなると自己申告によるほうがよいのですが,自己申告に頼るというのは,企業が労働時間を管理する責任を大きく減少させ,法的規制のあり方を根本的に変えることにつながります。最終的には私の提唱する自己保健管理というところにいく可能性も含んでいるように思います。個人的には,それでよいと思いますが,ガイドラインレベルで,そこまでやってしまってよいのか,という疑問はあります。
 このほか,プライバシーの問題はさておき,ビデオカメラをつかった「現認」(「現」認の概念に入らないかもしれませんが)という方法もあるのですが,それははじめから除外されているようですね。また「パソコンの使用状況など客観的な事実と,自己申告された始業・終業時刻との間に著しい乖離があることを把握した場合には,所要の労働時間の補正をすること」とあるのですが,乖離の把握ができるのであれば,それは客観的な記録による労働時間の把握ができているということではないか,といった細々とした点も気になります。
 先日のテレワークシンポジウムの総括でも述べたのですが,結局,テレワークというのは,労働時間管理をしなければならないような仕事には向かないのです。ジョブ型で仕事が特定され,賃金も成果主義的なものでなければ,なかなかうまくいきません。現在は,テレワークに合った業務体制がないなかでの政府からのテレワーク要請なので,テレワークに向かない仕事でもテレワークをさせざるを得ず,そのようななかで,さて労働時間管理はどうしたものかと悩んでいる企業に対して,ガイドラインで許容可能な妥協的なラインを模索したということなのかもしれません。今回のガイドラインはこれでよいとしても,今後は,このガイドラインも示唆しているように,テレワークがノーマルな働き方になる可能性があります。それにそなえて,テレワークに合致した労働時間管理とは何かを,労働時間規制の必要性の有無にまで踏み込みながら,しっかりと検討してもらいたいです(官邸に言われたからやるのではなく,厚生労働省が自らの政策として積極的に進めていってもらいたいです)。今回のガイドラインは,それまでの過渡的なものと考えるべきでしょう。

2021年3月27日 (土)

テレワークシンポジウム

 本日の神戸労働法研究会は,神戸大学社会システムイノベーションセンターとの共催で,「テレワークにおける労働者のプライバシー問題を考える」というシンポジウムを実施しました(社会システムイノベーションセンター・シンポジウム「テレワークにおける労働者のプライバシー問題を考える」 | 神戸大学社会システムイノベーションセンター (kobe-u.ac.jp))。外部の先生方を招いて議論ができてよかったです。テレワークを推進するために必要な労働法上の問題を精密に議論ができたことが大きな成果で,たいへん勉強になりました(その成果は季刊労働法で掲載される予定です)。報告者の方,コメンテータの方,議論に参加してくださった方,その他,聴衆のみなさんすべてに御礼を申し上げます。
 今回のシンポジウムをとおして,個人的には,労働法上の議論が,テレワークという働き方になかなかフィットしていなくて,テレワークを推進するためには,もっと新しい法的な受け皿や斬新な発想が必要ではないかということも明らかになったような気がします。私自身は,「会社員が消える」という観点から,これからの働き方はフリーワーカー(非労働者)のテレワークが中心になると予想しているので,労働法上の問題の多くは関係がなくなると考えています。ただ現実には,まだ会社員がいるわけで,そのなかで,コロナ禍によりテレワークをせざるを得ない状態にある労使が,労働法上の課題にどう向きあうかが実務的には大きな問題となっています。
 テレワークとプライバシーという問題は,ICTの発達のなかで出てくるプライバシーや個人情報の保護という一般的な問題の一適用例でありますし,シンポジウムでも各報告者により繰り返し論じられたのが,監視をとおしたプライバシー侵害の問題でした。さらに,テレワーク自体が,雇用型の場合には,私生活と仕事を混在させてプライバシー侵害を本来的に内包しているという見方も可能であり,そのような観点からみると,テレワークはやらないほうがよいが,例外的に,障害者や育児や介護の負担を抱える人などテレワークが役立つ人もいて,そうした人には推奨していくべきというような視点も議論のなかで出てきました。いずれにせよ,テレワークとプライバシーは,もっと深く突き詰めていくべき余地がたくさんあるテーマであることがわかりました。今回のシンポジウムをきっかけに,共同研究をいっそう進めていきたいと思っています。
 一方で,私がもうすぐ刊行するテレワーク本は,今日のオーソドックスな労働法の議論からみて,かなり異端であることがわかったのも,大きな収穫(?)でした。私の議論は,現在の問題よりも,もう少し先の問題を扱ったものだからでしょう。DXのインパクトを視野に入れながら行うテレワーク論においては,あまり労働法の話が出てこないことになります。それについては31日のシンポジウムでも,報告者としてお話しする予定です。関心のある方はどうぞご参加ください(登録は明日まで)。社会システムイノベーションセンター・シンポジウム「テレワーク時代の働きがいを皆に-新しい働き方・暮らし方-」 | 神戸大学社会システムイノベーションセンター (kobe-u.ac.jp)

2021年3月26日 (金)

選択的夫婦別姓

 選択的夫婦別姓の反対論には,日本の伝統的な家制度が崩壊するという理由がよく出てくるのですが,伝統的な家制度とは何か,ほんとうに選択的夫婦別姓を導入するとそれが崩壊するのかは,よくわかりません。農民は江戸時代までは苗字をもっていなかった(異論もあるようですが)ので,姓にこだわるのは武家の伝統でしかありません。
 夫婦同姓論者の気持ちも心情的にはわからないではないのですが,私は他人の夫婦が別姓であることは全くかまわないし,「選択的」ということで,同姓か別姓を選べるというのであれば,みんながハッピーになると思っています。これは安易な考えなのでしょうかね。同姓を前提としている様々な制度や慣行を見直すのは面倒かもしれませんが,それを理由として反対するわけにもいかないでしょう。行政面についても,マイナンバーカードで個人ごとに管理するようになっていくと,姓の意味がなくなっていくことでしょう。
 何よりも結婚や離婚するたびに姓を変えなければならないのは不便であり,日本では実際には女性がその被害を受けているので,これは女性の問題といえます。事実上の不都合とはいえ,男性と女性が平等に不便を受けていないという状況は看過すべきではないでしょう。旧姓の通称使用を認めればよいという考えもありますし,それを貫徹できるのなら,たしかに不便さは軽減するでしょうが,そうまでするのなら,なぜ戸籍だけ同姓にこだわる必要があるのかという疑問も出てきそうです。離婚しても,離婚前の夫の姓を名乗り続ける人もいますが,面倒なことがなければ,元に戻したいのではないでしょうか。生まれてきた女の子の名前を考えるとき,「結婚したら姓が変わるからなあ」なんていうのを考える時代は早く終わったほうがよいです。
 現在,家族のあり方は急速に変化してきています。率直にいえば,昭和中期世代の私としては,ついていくのが大変なのですが,それでも個人の選択肢を広げることには,基本的には賛成すべきと考えています。夫婦同姓を定める民法750条は,いつまでも存続させるべきではないでしょう。個人的には,自分の娘には,本人がいやでなければ,生まれたときの姓を名乗り続けてほしいと思っているので,そういうことができる法制度や社会になればよいなと思っています。

2021年3月 6日 (土)

教員の身分保障

 先日の神戸労働法研究会で,高橋聡子さんに報告してもらった,奈良学園大学事件(奈良地判令和2721日)の判決のなかで,大学教員の整理解雇をめぐって,「原告らは,いずれも本件大学のビジネス学部又は情報学部の教授,准教授ないし専任講師という大学教員であり,高度の専門性を有する者であるから,教育基本法9条2項の規定に照らしても,基本的に大学教員としての地位の保障を受けることができると考えられる。」という部分があったので,大学教員=高度の専門性=地位保障について議論となりました。
 教育基本法9条は,第1項で,「法律に定める学校の教員は,自己の崇高な使命を深く自覚し,絶えず研究と修養に励み,その職責の遂行に努めなければならない」とし,第2項で,「前項の教員については,その使命と職責の重要性にかんがみ,その身分は尊重され,待遇の適正が期せられるとともに,養成と研修の充実が図られなければならない」と定めています。「自己の崇高な使命を深く自覚し,絶えず研究と修養に励み,その職責の遂行に努め」ている教員の身分は尊重されるということなのでしょうが,上記の判示部分は,教員の高度の専門性と結びつけているので,その意味が若干あいまいとなっています。教育基本法との関係でいえば,おそらく職務の専門性よりも,職務内容である教育というものの特殊性(崇高性など)から論じるほうが適切なように思えます。それは憲法261項の国民の教育を受ける権利に応える職務であるということから根拠づけることもできるでしょうし,さらに大学教員の場合には,憲法23条の学問の自由の保障とも関係することになるでしょう。
 一方で高度の専門性という点でいうと,とくに教員だけにそういうことがあてはまるわけではありませんし,むしろ高度の専門性をもつ教員は,その専門とする授業科目がなくなるようなことがあったとき,大学側の解雇回避努力の範囲が限定され,解雇が有効と認められやすくなるかもしれません。他方,最近では大学によっては,教員にそれほど「高度な」専門性を求めず,広くゆるやかに専門性をとらえて,いろんな科目を教えさせることも増えているようであり,そうなると,高度の専門性があるから身分保障(ここでは雇用保障の意味)が必要となるというのではなく,むしろ,教育に高い専門性を求めないで採用されていることから,解雇回避努力範囲が広がり,雇用保障につながるというロジックに結びつくような気がします。
 本来,教員の身分保障は,学問の自由と結びついて,専門性に関係した研究内容に公権力が介入することを防ぐということが重要で,大学への支配力が強い文部科学省でも,ここにはタッチできないはずです。昨年の日本学術会議問題も,政府がここに介入しようとする可能性があったことから大きな問題となりました。
 一方,教員を,文字どおりの「教育をする職員」であるとみると,教育能力の点から評価することは可能であり,教育能力のない教員は解雇対象となるということはあるでしょう。ただ,これは高校以下の教育機関となると,ぴったりとあてはまるのですが,教員資格なしで教える大学では,やはり高校までの教育とは違うでしょう。大学教員は,自らの研究分野の専門的知見をベースにそれを学生に伝えることが求められているはずで,研究と教育は不可分となります。そうなると,教育に多少難があっても,研究業績が十分にあれば解雇はできないということになると思います。
 こういう分析を基礎として大学教員の雇用保障について考えると,教員の専門的な研究領域にかかわる内容を理由とする解雇は憲法上も疑義がありますし(私立大学では私人間効力の問題となる),採用時に特定の研究をしない旨の特約を結んでいたような場合でも,その特約に基づいた解雇は容易には有効と認められないでしょう。大学ではありませんが,十勝女子商業事件・最高裁判決(最2小判昭和27222日)は,採用の際の政治活動をしないことを条件とする契約を有効としていますが,これと大学教員の研究内容への介入とは別の問題です。
 一方,教員の教育上の能力を理由とする解雇も,研究と密接に関連していることから,解雇には慎重となることが求められるでしょうが,それは前述のように,高度の専門性ということではなく,学問の自由に関係するものだからです。むしろ高度の専門性に関係するものであっても,例えば法科大学院の専任教員として採用された場合には,その教育能力に著しく問題があれば解雇となることは否定できないように思います。
 それでは奈良学園大学事件で問題となったような整理解雇事件ではどうでしょうか。一般的に,専門性が限定されていれば,解雇回避努力の範囲が限定されるということはあるのは前述のとおりですが,例えば教員の身分保障から,人員整理対象について,職員から先にすべきというようなことは言えないでしょう。
 以上とは別に,最後に残された論点として,学問の自由の重要な要素である大学の自治に関するものがあります。大学の自治には,教育体制に関する自治というものも含まれているとすれば,そもそも大学が行った教員の解雇の有効性について,裁判所が細かく審査することには問題があるということにもなりそうです。学問の自由を大学の自治ということと結びつければ,議論は複雑となるのです。
 このように教員の雇用保障は,労働法全体ではマイナーな論点かもしれませんが,解雇法理の応用問題として,研究会では引き続き議論をしていければと思っています。

2021年2月21日 (日)

Uberドライバーの労働者性

 以下の記述はBBCの速報記事をみて書いたものですので,詳細はイギリス労働法の専門家の解説がそのうち出るでしょうから,それを参照してください。
 イギリスの最高裁(Supreme Court2009年に設けられたもの)が,Uberに対して,そのドライバーに,労働者に対して認められている最低賃金(minimum wage)と休暇手当(holiday pay)を支払うよう命じたそうです。ライドシェアサービス(英語では,ビジネスとして行われているものは,ride share ではなく,ride hailingという言葉を使うようです)のドライバーの労働者性は世界的に問題となっていて,このブログでも何度か取り上げていますが,ついにイギリスでも最終的な決着が付きました。この点については,拙著『会社員が消えるー働き方の未来図』(文春新書)でも扱っています。Uberのドライバーについて,「雇用労働者と認定される可能性は十分にある」とし,そこでは「イギリスでは,ウーバーのドライバーの雇用労働者性を肯定した裁判例がある」と書いていました(160頁)。この裁判例が最終審でも維持されたのです。
 最高裁は,記事によると,Uberのドライバーの契約の実態をみると,従属的な状況にあり,自営的就労者(the self-employed)ではないと判断しました。簡単にいうと,Uberに対して,指揮命令下で働かせている以上,使用者としての法的責任を負えとしたのです。
 客に対するサービスを充実させようとすればするほど,ドライバーに対する指揮監督は強まります。そうなると労働者性が肯定されやすくなるのですが,そうなると人件費が高くなり利用価格に転嫁されていく可能性があります。そうなると通常のタクシーと変わらなくなり,このUber的なサービスの優位性がなくなり,衰退していく可能性があります。
 それは仕方ないというのも一つの考え方です。ただ本来,このビジネスモデルは,利用者は安くて快適なサービスを享受でき,ドライバーも隙間時間を活用して収入を得ることができるというウィン・ウィンが成立可能で,そうした社会的な価値のある事業をするプラットフォーマーが正当な手数料を得るということであれば,むしろ望ましいものとして推奨されるべきなのです。ところが,利用者・ドライバー・プラットフォーマー間のバランスが崩れれば,たちまちこのビジネスモデルが揺らいでしまいます。それは社会的にも損失となります。労働法が乗り出してくるようになると,このビジネスモデルは破綻するのです。
 Uberは,この事件は2016年のもので,それ以降,待遇を改善していると主張しているようです。ドライバーが労働者かどうかは問題の本質ではありません。このビジネスモデルを持続するためには,ドライバーが納得いくような仕事の仕組みをきちんと築くことができるかがポイントとなります。労働者を雇用するビジネスであれば労働法をきちんと遵守していれば文句は付けられません。しかし労働法の外で人材を利用する場合には,プラットフォーマー自身が,労働法に代わるような,きちんとした社会的に受け入れられる働き方のモデルを構築しなければなりません。これはギグエコノミーの労働者全般に関係する問題です。この努力を怠ると,労働法の規制を潜脱しているブラック企業という汚名を着せられてしまいます。この業界に参入する企業は,かなりの覚悟をもって挑まなければならないのです。

2021年2月 1日 (月)

労働委員会手続のリモート化

 労働委員会の手続における当事者のリモート参加が,今日から正式に認められることになりました。労働委員会規則の新しい41条の25項は,「……会長は,相当と認めるときは,当事者又は関係人(以下この項において「当事者等」という。)の出頭に代えて,当事者等の使用に係る電子計算機であつて委員会の使用に係る電子計算機と接続した際に委員会が指定するプログラムを正常に稼働させられる機能を備えているものと委員会の使用に係る電子計算機とを電気通信回線で接続し,又は当事者等の使用に係る電話機と委員会の使用に係る電話機とを電話回線で接続し,委員会と当事者等が相互に映像と音声の送受信又は音声の送受信により相手の状態を認識しながら通話をすることができる方法によつて当事者等を手続に関与させることができる」と定めています。
 これは不当労働行為審査事件の調査段階での当事者のリモート参加を認めたものですが,個人的な意見としては,今後は委員のリモート参加も条文化してもらいたいですし(兵庫県では,審査事件では公益委員は2名体制ですが,1名が参加していればよいという運用をしているので,公益委員は1名がリアルで1名がリモートということを認めています),審問のリモート化,さらには,争議調整のあっせん手続のリモート化にも広げていってもらいたいです(なお,新規定では,総会や公益委員会議のWeb化は16条の2で認められるようになり,合議も同様です(42条の2)が,開催要件が厳格なのが気になりますね。とくに「第三者がいる場所で会議に参加してはならない」(16条の2第4項)というのは気持ちはわかりますが,これを厳格に言い出すと,Web参加はやりにくくなると個人的には思っています)。
 一般的には,労働委員会の事件処理はもちろん不要不急ではなく,当事者にとって緊急性があるといえます。だからといって緊急事態宣言がでている期間にどうしてもリアルで開かなければならないほど緊急性があるケースはそれほど多くないようにも思えますし,緊急性があってもリモートでやれる場合が多いでしょう。もちろん実際の事件処理では,当面は当事者の意向が最優先ですが,今後のルールという点では,検討すべきところだと思います。
 本日は私の担当事件での調査期日があり,41条の25項を適用して,当事者の一部がリモート参加する調査手続が開かれました(新規定は本日施行だそうなので,全国第1号でしょう)。なお公益委員も1名(私)はリモート参加で,もう一人の公益委員と労使の参与委員は登庁しました(私はこの日,家のなかで転んで足を強打してしまい歩行が困難だったので,もしリモートでなければ参加できないところでした)。結論として,主張の整理の手続だったこともあり,リモートでまったく支障がなかったと思います。細かい点ではいろいろあったのかもしれませんが,会話はスムーズに行きましたし(Zoomを使用しました),とくに県庁でのカメラの設置がよかったのか,顔もよく見えました。リモート同士のほうは,もっと顔の表情がよく見えました(対面よりも鮮明に表情がわかります)。当事者や代理人(リアル参加者,リモート参加者)がどう感じたかはわかりませんので,意見交換をして,もし何か問題があれば,一緒に考えて改善していければと思います。
 一般的にいって,リモートとリアルのハイブリッド型の場合,リアルの出席者が複数いればどうしても表情などが見えづらくなるのですが,完全リモートにすれば互いの表情がよくみえて,コミュニケーションも取りやすくなります。和解もしやすくなるように思います(もちろん,和解はやっぱり対面型でやらなければという意見もあるのですが)。ただ,そのためにはリモートでの手続の進め方に委員が習熟する必要があるでしょうし,当事者にも慣れてもらう必要があるでしょうが。
 いずれにせよ,これからのデジタル時代には,労働委員会もあらゆる手続においてリモートを原則とし,どうしてもリモートではうまくいかない場合だけ例外というような大きな転換をしてもらいです(リモートだと日程調整がしやすくなるので,迅速な救済という制度目的にも資することになります)。これを機会に,規制を小出しに変えるのではなく,思い切って改革してみたらどうでしょうかね。ハイブリッドにしてしまうと効果が減殺されるので,完全リモートでやってみて,問題点があれば,運用面でその都度つぶしていくということでやれればよいのですが。音頭を取る立場にあるのは中央労働委員会ですが,どこまでやってくれるでしょうかね。。

2021年1月27日 (水)

給与がスマホに

 外出しないから現金を使うこともなくなってきて,財布から全然現金が減らないという生活になってきました。現金は減らないのですが,お金を使っていないわけではありません。スマホがあれば,私の生活の範囲では現金はほぼ不要です。近所のパン屋さんは,まだ現金ですが,ほとんどのところは○○Pay で支払えます。ネットの買い物はクレジットカードですが,番号を入力するだけなので,カード自体は使いません。○○Payは,還元でたまった額がまだ残っていますし,足らなくなったら,クレジットカード払いにするか,銀行口座からチャージするわけですが,もし○○Payに直接給与が支払われるようになれば,こうした手間は不要となります。消費者的には,銀行口座から現金を引き落として消費にあてるのは,いろいろ面倒です。ATMに行って引き出したり,お金を触りながら他人とやりとりするという非衛生なことをしなければならなかったり,落としたり,盗まれたりする危険があるなどです。給与さえ○○Payに入ってくれば,こうしたことから解放されます。銀行にお金を預けていても利息はゼロのようなものなので,良いことはありません。銀行口座は,○○Payに資金を移動するまでの仲介的なものにすぎず,本来なくてもよいのです。公共料金や家賃や税金などの銀行の口座振替が○○Payでできるようになれば,銀行口座は不要となるでしょう。いまは○○Payを使っていますが,より有利なものがあれば,乗り換える気は満々です。クレジットカード(カードと呼んでいますが,実際にはカードは使っていません)についても,ポイントの付け方やポイントで使える商品をみます。航空会社系のクレジットカードを長年使ってきてマイルをためていましたが,飛行機に乗る可能性がほぼなくなってきたので,ショッピングマイルに変えたうえで,そろそろ解約しようかなと思っています。
 マイルにしろ,ポイントにしろ,銀行口座とは違う口座で商品の購入をしているわけです。こういう時代において,給与の通貨払いの原則にこだわるのは,もう無理でしょう。労働者の同意は必須ですが,労働者がきちんと企業から説明を受けて納得して同意をしていれば,日本の通貨にこだわる必要はなく,仮想通貨,電子マネー,外国通貨など,本人の望む方法で支払っても適法とすべきではないでしょうかね。仮想通貨が盗まれたことや電子マネーの不正使用が問題となったりしていますが,だからといって本人が望んでいる給与の払い方ができないというのはやりすぎです。現金だって盗まれることがあります。いずれにせよ,通貨払いの原則は,労働基準法(24条)のような刑罰法規によって規制する必要はないのです。現物給付の禁止は労働法の古典的な規制内容なのですが,実は現物給付の禁止と通貨払いの原則はイコールではありません。会社の商品で給与を支払うというのは問題であることは誰でもわかりますが,だからといってデジタルマネーで支払ってはならないとは言えないでしょう。
 ところで,今朝の日本経済新聞で,「政府は今春から企業が給与を銀行口座を介さずに支払えるようにする。従業員のスマートフォンの決済アプリなどに振り込む方式を認める」と書いていました。政府内でこういう議論があるのは知っていましたが,もう決まったのかと思って驚いて,労政審の労働条件分科会のHPをみたのですが,実は会議は明日なのですね。役人はすでに委員からOKを得ているから記者にリークしたということでしょうか。資料をみたら反対論もあり,21世紀型社会の労働政策を論じる適格性に疑念が生じさせる感じでしたが,そういう委員も最終的にはOKしたのでしょうね。
 でも,それだったら,わざわざ委員は集まる必要はないですね。会議室の名称が出ていたから,リモート会議でもないみたいです。さすがに出席強制はせず,委員のリモート参加は認めているのでしょうが。コロナ禍のなか,委員のみなさま,ご苦労様です。

2021年1月22日 (金)

最高裁の5判決を振り返る

 昨年(2020年)10月に,旧労働契約法20条をめぐる最高裁判決が5つ出ました。私はこの5判決について,三つの媒体で,自説を発表する機会を得ることができました。それぞれ狙いが異なる媒体で書きぶりも違っていますが,自分としては,十分に発信する機会をもたせてもらったことで,もうこの論点について書き残したことはないという気持ちです。同一労働同一賃金というと,東大の社研の水町勇一郎さんが大権威です。法学の議論は,法学以外の人にとってみれば,学説の対立にそれほど関心はなく,権威のある学説か,自分にプラスになることを主張する学説にしか関心をもたないのが常で,私など出番がなさそうなのですが,同一労働同一賃金については,意外にも何の権威もない私にも出番があるというところが,世の中の面白いところです。これは,若い研究者の励みになるのではないでしょうか。
 まず昨年1112日の日本経済新聞の朝刊の「経済教室」で,3000字程度ですが,論評を書きました。日本経済新聞は字数が限られていますし,読者が基本的には非法律家であるため,例えば「強行規定」といった専門用語は事実上使えないとか制約があるので,工夫が求められます。このテーマでは,昨年1度,水町さんとセットで書いていますが,今回は単独ということで,どういうことでそうなったのかわかりませんが,おまえの見解を書いてみろということなので,引き受けました。何と言っても,この媒体で書くと読む人が多いので,影響力は大きいです。今回書いたことは,結果だけみてモノを言ってはならない(一般的に,賞与や退職金について格差をつけてよいということではない),有為人材確保論は少なくとも否定されなかったことは確かである,しかし趣旨明確な手当の格差は不合理とされやすい,政策的には,この規定は副作用があり,とくにコロナ禍は処遇改善につながらないであろう,また今後は正社員,非正社員の格差よりも,デジタルデバイドが真の格差問題であるというメッセージを盛り込みました。非正社員の処遇の改善は,司法の手に頼るのではなく,当事者の交渉によるべきという点は,当たり前のメッセージでもあったのですが,これが編集者にはインパクトがあったようで,見出しになりました。
 ついで日本法令から,経済学者の八代尚宏先生との組み合わせで,私には法学の見地から書いてもらいたいという依頼があり,判決の詳しい解説は弁護士の方が書かれているということで,字数にも多少余裕があったので,日本経済新聞で書いた内容を膨らませて,実務家の方向けに少し丁寧に書いてみました。これはビジネスガイドの別冊として書籍化されています。日本法令では,ビジネスガイドの「キーワードからみた労働法」のなかで,経済学者の見解として,八代尚宏先生のご見解を引用したことがあったからかもしれませんが,八代先生と一緒に掲載させていただくのは,これでたしか3度目ですね。弁護士の方の論考もあわせて,多角的に最高裁判決を分析するというのは企画として面白いですし,実務家の方に役だててもらえればと思います。
 そして最後は,NBL1186号で「旧労働契約法20条をめぐる最高裁5判決の意義と課題」(https://www.shojihomu.co.jp/p006)を書かせてもらいました。普通の判例評釈はしばらく書いていません(昨年,久しぶりに,中央労働時報に労働委員会命令の評釈を書いたくらいです)が,これは判決を素材とした「論文」ということで,気合いが入りました。NBLでは,2018年の2判決(ハマキョウレックス事件と長澤運輸事件)に関しても,論文を書かせてもらう機会があり,今回また依頼があったことは非常に光栄でした。前の論文もふまえながら,今回の5判決の意義を書いていますが,とくに比較対象者論について,少し踏み込んで私の見解を書いています。また,部分的救済の可能性を最高裁は否定したのではないか,という思い切った評価も書いています。さらに注においてですが,5判決が,改正後の短時間有期雇用法8条の解釈に影響しないとする水町さんの「労働判例」誌での見解に疑問を提起しています。今後,5判決をめぐり,若手研究者のすぐれた判例評釈が次々と登場してくるでしょうが,権威のある見解にもどんどんチャレンジしていってもらいたいです。
 旧労働契約法20条に私法上の効力を付与するのはおかしいという私の主張は,今回の5判決でも(とくにメトロコマース事件と大阪医科薬科大学事件では),最高裁は意識したのではないか,と思っています。牽強付会ととる人もいるかもしれませんが,最高裁がこの規範に強行性を付与することの理論的なおかしさや政策的な不適切さを十分に意識し,働き方改革というスローガンの下,これを是正するどころか,むしろ短時間有期雇用法8条でいっそう強化しようとする政治や社会の流れのなかでも,最高裁としてやるべき法解釈を苦労しながらも毅然と行って下した判決であるというのが,私の最終的な評価です。