政策

2021年2月25日 (木)

テレワークを進めるために

 今朝の日本経済新聞で,「政府が緊急事態宣言下の1月に調査した中央省庁のテレワーク実施率の結果が分かった。112省庁全体で6割程度となり,前回宣言時の昨年4月の調査と同水準だった」という記事が出ていました。国民には7割減を呼びかけているのですから,もう少し頑張ってもらわなければ困ります。7割減など無理だと言っている経営者が多いなかで,中央官庁は模範を示すためにも,その上をいく数字を出してほしいものです。
 いつも言っていることですが,業務の体制を根本的に変えなければ,テレワークは無理なのです。対面で議員レクをやっているようでは,官僚の仕事は減りません。いまやっている業務のすべてについて根本的な見直しをして,デジタル化できるものはデジタル化するということを徹底しなければいけません。どうすればデジタル化して,時間を短縮しながらも同じパフォーマンスを上げることができるかを考えなければならないのです。これをやるためには,上の人のリーダーシップが必要です。首相はいまはそれどころではないので,河野大臣に頑張ってもらわざるを得ませんね。
 とくに問題なのは,厚生労働省のテレワーク率が3割であることです。厚生労働省は,コロナ禍でただでさえ業務が多く,おまけにトラブルも多いなど,仕事がどうしても増える状況にあります。だからこそ,効率的に仕事をして,見本を示すチャンスともいえるのです。テレワーク率が3割ということは,それだけ対面型の業務が多く,おそらく長時間労働なのでしょう。そうなると,ワーク・ライフ・バランスも損なわれていることでしょう。気の毒だとは思いますが,このブラックさを自分たちで改善できないのなら,厚生労働省は労働政策を担当する資格はないと思います。
 労働政策は,いま根本的な転換を要する状況にありますが,多忙な毎日のなかでは,新しい発想で物事を考えて,新たな政策を立案していくような知的余裕はなかなか生まれないでしょう。もちろん私のいろいろやっている提案なんてものも,まったく読んでいないことでしょう。それは仕方ないとはいえ,せっかく日本の優秀な人材を集めているのに,その能力が十分に活用されていないように思えるのは残念です。
 私は,テレワークは,地域社会への回帰を生み,国民が政治に関心を高めるきっかけとなると考えています。これまで選挙では存在感が小さかった会社員たちの票が重きをもつようになり,新たなタイプの政治家が選ばれるようになり,官僚も本来の仕事に専念できるようになり(テレワークもできるようになり),それによって生み出された成果が国民に還元されていくという好循環が起きるのではないかと期待しています。前に連載していたWebあかしでも,テレワークと政治のことは書きましたが,いま執筆中のテレワークの本でも,この論点はしっかりとりあげるつもりです。

2021年1月24日 (日)

脱ハンコ問題

 山梨県の長崎幸太郎知事が,河野太郎大臣の進める「脱ハンコ」に反発しているという記事を見ました。自民党の「はんこ議連」とも連携しているようです。デジタル化には反対しないが,あまりにも急速なハンコ廃止の動きについては,印章業界を守るという観点から反発しているようです。
 気持ちはわからないのではないのですが,世間ではあまり支持されないのではないでしょうか。コロナ禍において,特定の業界が政治家を動かして,利益を守ろうとする動きは,「Go To」でも明確でした。コロナで困っている産業や個人はたくさんいるのに,政治家に有力なコネクションがあれば,助けてもらえるというように見えてしまうのです。菅首相の会食問題で,彼が多くの人と会食をして意見を聴いているということがわかりました。首相と直接会える人というのは,どういう人なのでしょうか。普通の人は首相には会えないでしょう。特別な人たちの意見が過剰に政策に反映してしまっているのではないかという疑念をもたれても文句がいえないでしょう。国民の意見を聴くというのは民主的なようですが,実はきわめて不公平なことになっていないでしょうか。国民は政治が不公平であることを嫌います。広島での河合夫婦の公職選挙法違反は,民主主義の根幹を揺るがす行為で許しがたいのですが,それと同じくらい,刑事罰に該当するかどうかに関係なく,「桜をみる会」は,前首相が税金を自分の支持者の饗応のためだけに使っている点で不公平なものであると思えるのです。国会議員は,全国民の代表なのであり,自分に票を入れてくる人だけのために行動されては困ります。大臣となればなおさらで,首相となればいっそうです。コロナで地元に帰れないという政治家もいますが,リモートワークでやるべきですし,いまこそ移動をしないことで浮いた時間を使って,国全体のことを考えてもらいたいものです。
 ハンコの話に戻ると,国民のなかには,意味のない押印が求められて困ったという恨みが蓄積されていたと思います。買いたくもないハンコを買って,紙に押さなければならないという無駄や非効率に支えられてきた業界であったのではないでしょうか(私も実印も含めてハンコは10個近くありますが,実際に使っているのは一つです。ハンコはなかなか捨てられないですよね)。印鑑の文化的な価値は認めます。だから,この業界には残って欲しいです。ただ,国民のなかにあるハンコへの違和感は,どうしても拭いされるものではなく,そのようななかで,自民党の「はんこ議連」のようなものを使って,業界を守るように働きかけるというのは,印章がとても悪いです。いっそう国民から支持されなくなるように思えます(「印章」業界が「印象」を気にしないのでは困ります)。そもそも「はんこ議連」の前会長は,ITから最も遠いような存在なのに,IT大臣をやっていたような人でした。デジタル化をつぶすために大臣をさせていたのではないかと疑われても仕方がない人事(安倍政権時代のもの)でした。これもハンコ業界に対する大きなダメージだったと思います。そういうなかで,また「はんこ議連」が出てきました。
 ハンコがデジタル化の妨げとなってきたのは事実です。脱ハンコは,デジタル化を進めるための第一歩です。河野大臣がこれにまず手を付けたのは当然のことです。デジタル化は,いろんな業界の新陳代謝をもたらします。政治をつかって脱ハンコに反対するようなことはやめるべきです。そういうのは民主主義や公平な政治に反すると思います。
 ちなみに子ども達はハンコが大好きです。若者はLINEスタンプをよく使っています。それに高額な文化的価値のある印鑑は今後も残るでしょう。工夫次第では大成長産業です。アイデアと創造性で未来を切り拓いていくというのは,DX時代においてどの産業にもあてはまることです。ハンコ業界は,自力で新たな発展の可能性をみつけていけるはずです。

2020年9月30日 (水)

デジタル政策はデジタル庁で

 2021年度の予算の概算要求の受付は,今日が締め切りでした。報道によると,デジタル関連の予算の要求が急増したということでした。デジタルと関連付ければ予算が取れそうだということで,それぞれの役所で,とにかくデジタルに関連する要求を出したということでしょうかね。確かに政府がようやくデジタル改革に乗り出すということを受けて,各省庁も自分たちのできる範囲でデジタル関連政策を進めていこうとするのであれば,たいへん素晴らしいことです。しかし,各役所は本気でデジタル化に向けた政策を進めていくでしょうか。予算をとるだけの作文をしただけで,あとは知らぬということにならないでしょうか。マイナンバーカードが普及していないと言いますが,私はそれは総務省が本気で国民に普及させようとしてこなかったことも一因ではないかと考えています。そう思ったのは,私が住民基本台帳カードからマイナンバーカードに乗り換えることに関して,ちょっと不明な点があったので質問をしたときの相手の対応が悪すぎたという経験をしたからです。それ以来,個人的には,この役所のことを信用していません(役所の皆さん,相談窓口をつくったときには,きちんとした人を配置しましょう。困ったときに親身になって相談に乗ってくれた組織は,好感度大です。やる気のない若手職員なんかを配置すればロクなことがないですよ。ちなみにソニー銀行に,カードのことで問い合わせたときには,私の勘違いによるつまらない質問だったのですが,とても丁寧に対応してくれたので,このカードはずっと持っておこうと思いました)。
 菅首相は縦割り行政を打破すると言っているのですから,デジタル関連の予算要求も縦割りではなく,せっかくデジタル庁を新設したのですから,そこで統一的に政策を進めていったほうがいいのではないでしょうか。各省庁で勝手にいろんなことをやり始めると,また同じことの繰り返しです。行政のデジタル化が進まなかったのは,各省庁がバラバラにこの問題に取り組んできたからでしょう。菅首相が本気でデジタル改革をするかは,デジタル庁にどれだけの権限と予算を与え,他の省庁との重複を避けて税金の無駄遣いを回避し,本当のデジタル改革を迅速かつ効果的に進めるために税金を使えるかにかかっていると思います。

2020年9月19日 (土)

労災補償保険制度の比較法的研究

 JILPTの報告書『労災補償保険制度の比較法的研究-ドイツ・フランス・アメリカ・イギリス法の現状から見た日本法の位置と課題』をお送りいただきました。執筆者は,山本陽大(JILPT)・河野奈月(明治学院),地神亮佑(大阪大学),上田達子(同志社大学)の4名です。どうもありがとうございました。労災保険法制度に関する基本的な情報に加え,複数就業者,テレワーカー,独立自営業者という新しい問題に関する情報を横断的に調査するもので,貴重な報告書だと思います(情報があまりない国もありますが,制度がないということも情報の一つです)。私自身の関心は,とくに独立自営業者にあり,個人的には,雇用労働者の労災保険の拡大ではなく,労災保険の存在理由というものから根本的に問い直して,新たな共済のシステムの構築を目指す必要があると考えています(私の問題関心については,拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)275頁以下でも若干ふれています)。
 本報告書では,総括のところで,日本法の今後についてふれられ,「特別加入制度の適用対象の拡大が検討されることになろう」となっています。また「労働政策審議会労働条件分科会労災保険部会において,特別加入制度の対象範囲の拡大や特別加入団体の要件の見直し等について,議論が行われる予定となっているが,このような方向性は,比較法的観点からもその妥当性を首肯することができよう」というのは,クライアントの厚生労働省への気遣いも含まれているでしょうかね。末尾の「使用者の災害補償責任を定める労基法第8章が現代において持つ意義と,それを踏まえた労災保険制度の法的性格付けについても,改めて議論ないし検討すべき時期に来ているように思われる」というのはまったく同感ですし,さらに上記のように労災保険制度の根本的な見直しが必要だと考えています。
 こういうことを書くと思い出すのは,いまから20年くらい前でしょうか,労働省の研究会に呼んでいただき,労災保険制度について自由に議論してよいという当時の課長の意向で,ほんとうに自由に議論をしていて民営化論とかもやっていたのですが,途中で課長が替わり,方向性が変わってしまい,あるときの会合で突然,いままで来たことがなかった人たちが席に座っていて,まるで勝手な議論を許すまじというような圧力をかけてくる雰囲気になったことです(私の主観ですが)。あれ以来,どうせ労災保険制度は本質的なところでは変われないだろうなと思っています。現在の受給者の不利益変更はダメですが,これからの制度をどうするかということを考えるときには,健康保険や国民健康保険との関係も視野にいれた,もっと大胆な議論をする必要があるはずです。厚生省と一体化した現在なら,以前より自由に災害補償のあり方について議論できる土壌があるのではないかと思うのですが,どうでしょうかね。それに重要なのは,労災についても,従来の20世紀型社会とデジタル技術中心の21世紀型社会とでは,内容がまったく異なることになることです。ぜひ,この報告書をきっかけに,デジタル社会の労災とはどういうものかを視野に入れながら,斬新で新たな統合的な災害保障システムを論じる研究が出てきてほしいですね。




2020年9月18日 (金)

スピード感がほしい

 新内閣がデジタル改革に力を入れると聞いて,いよいよこれで日本も変わるかと楽しみにしていたのですが,デジタル庁の発足が20224月だと知って,ずっこけました。組織をつくるなんてことは後からでよくて,まず行政事務のデジタル化に向けた大号令を掛けるのかと思っていたのですが。1年半もかけていれば,そのうちうやむやになるし,そのときは別の内閣になっているかもしれません。このスピード感のなさが残念です。改革は,仕事に取り組む意識からまず行う必要がありそうです。
 じっくり検討して,関係する省庁の意見も聞いて,党のお偉方の意見も聞いて,海外も視察して,民間人の意見も参考にして,なんてやっていると,あっという間に半年くらい経過して,その間は何も進んでいないなんてことが起きてしまいます。民間人も入れた少人数のタスクフォースに全面的に権限を委譲して政策の立案と執行をまかせ,責任は大臣と首相がとるくらいの気構えでやってもらわなければ改革をめざす内閣とは言えません。
 デジタル技術のメリットは,くだらないことは機械に任せて効率性を高め,人間が本来やるべきことや,やりたいことに集中できるようにすることだと思います。デジタル改革大臣の使命は,デジタル技術の恩恵を,少しでも早く国民に浸透させることです。例えばデジタル化が遅れているため,コロナ対策ができず,事業継続が危なくなっている中小企業に,すみやかにデジタル技術の導入とその活用指南を行うといった施策はできないものでしょうか。所管が違うのかもしれませんが,首相命令でやればいいのです。アベノマスクのような明らかに無駄なことに使う金があるのですから,やろうと思えばやれるのだと思います。

2020年8月 1日 (土)

政治家は国民を納得させるべし

 私がいま執筆している『人事労働法』の中核的なコンセプトは,企業は従業員の納得した同意を得ながら人事管理をしなければならず(これを「納得規範」と呼ぶことにします),法は納得同意を得るよう企業が説得協議の手続をふむことにインセンティブを与えるものでなければならない,というものです。そこで重視されるのは,企業はいかなる行動をとるべきかという「行為規範」であり,これにより,これまでの「裁判規範」重視の労働法学から決別しようと考えています。
 労働者の納得の重要性は,かつて西谷敏先生も季刊労働法で論文を書かれているのですが,私のほうが労働者の主観的な納得をより重視する点に違いがあると考えています(詳細は,またそのうちに)。

 ところで,今日,書きたいのは,労働法のことではなく,政治のことです。政府の国民への説得についてです。現在,コロナ禍のなか,政府がいろいろ政策を打ち出しているのですが,そのほとんどに国民は納得していません。そして,国民は,政府がきちんと自分たちを説得しようとしていないことに大いに不満を感じています。逃げる,ごまかすの政治にはうんざりということです。
 昨日,BS7WBSという番組(よく視聴しています)で,「ジャパネットたかた」の創業者の高田明さんが「コロナに思う」で語っていたメッセージが良かったです(https://txbiz.tv-tokyo.co.jp/wbs/newsl/post_207215/)。高田氏は,経営者として客に商品を説明するときに大切なこととして,①商品を徹底的に勉強する,②本気で情熱をこめて説明する,③言語以外の要素も使って表現する,ということを挙げていました(このメッセージ自体,説得力をもって伝えられていました)。商売においては,当たり前のような気がしますが,同じことは企業の従業員に対する説得においても,そして政治家の国民に対する説得においてもあてはまるものです。
 説得というのは情報の提供の仕方に関係します。上記の①の要素は,提供者がその情報のことを十分に理解していなければならないということですし,②は相手にその情報を理解してもらいたいという情熱をもつことですし,③は技術的なものかもしれませんが,情報の伝達力における非言語的な要素の大きさを示すものです。
 日頃から首相の発言に大いに不満をもっていましたが,その理由は,①の面で,国民に向けて説明している政策の内容について自分が十分に理解していないのではないかと思われること,②の面で,事前に用意された文書を読んでいるだけのことが多く,情熱が伝わらないこと,③の面でも,本気度を示そうとする方法が,「しっかり」(この表現が安倍内閣ではよく出てくる)とか,「全力で」といったような,それっぽい言語を使うだけで空虚に聞こえ,非言語的な要素での伝え方が不十分であることです。言語にこだわるのは,スピーチライターが官僚だからでしょう。官僚が書いたものを棒読みするだけの首相や閣僚ばかりだから,①から③のいずれの要素も欠けてしまい,説得力がないのです。西村大臣は①は充たしているかもしれませんが,②の点で国民のことを本気で考えているという感じが伝わってきません。
 政府は,良い政策を考えても,国民に説得力をもって伝えられなければうまくいかないでしょう(「GO TOキャンペーン」のような,説得しようにもできない政策もあるのですが)。首相や閣僚は,いまやろうとしている政策がどのようなものかを自分でしっかり咀嚼したうえで,国民に向けて,ぜひ理解してほしいという情熱をもって私たちを説得してもらいたいです。政治家自身が理解も納得もしていない政策を官僚に言われるまま実行しているだけなので,失敗しても心底から「責任」を感じることにならず,結局,無責任政治が横行することになります。
 知的レベルでは,首相も閣僚も,官僚より劣っているのは,国民の誰もが知っていることです。だからこそ,政治家は,国民と同じ目線をもち,謙虚な姿勢で,「学び,理解し,そして納得したものだけを伝える」ということをしてもらいたいです。官僚に簡単に言い含められ,説得させられているのかもしれませんが,もしそうだったら情けないですね。閣僚は,せめて中核的な内容は,官僚のサポートがなくても質問に答えられるくらい理解をしてもらいたいし,そのようにして理解した政策だけを実行すべきでしょう。そのような政策であればこそ,国民に情熱をもって説得することができ,国民にも納得感がうまれるのです。 
 納得規範は,人事労働法だけでなく,政治にも適用すべきものなのです。

2020年7月 4日 (土)

NIRA総研のオピニオン・ペーパーが出ました

 先日,NIRA総研のオピニオン・ペーパー(No.49)「フリーワーカーの時代に備えよー多角的な法政策の必要性」がネット上に公開されました。「個人自営業者の就労をめぐる政策課題に関する研究」というNIRA総研のプロジェクトのなかで,キックオフ・ペーパーとして,私が単独で発表した「『フリーワーカー』に対する法政策はどうあるべきか」を受けて,最終的な取りまとめをする役割をもつものです。今回のプロジェクトの構成員では,中央大学の江口匡太さんと亜細亜大学の中益陽子さんが個人でNIRA政策研究ノートを発表しています。NIRA総研は,研究者を大事にしてくれる組織で,プロジェクトはそれとして取りまとめるペーパーを出すが,構成員が個人名で自分の見解に基づくペーパーを書くこともできるという非常に自由な環境を与えてくださっており,これはとても素晴らしいことだと思っています。取りまとめは,私の色が出ているところもありますが,皆さんが研究会で出してくださった議論をできるだけ広く取り入れるという,役所の報告書のようなことをしたつもりです。
 今回のペーパーのサブタイトルには,多少世間へのアピールも考えて「多角的な」という言葉が入っていますが,このテーマは,もっともっと多角的な切り口があります。私の頭のなかには,すでに次のステップの構想がありますが,どの場になるかわかりませんが,また発表できる機会があるでしょう。

 フリーワーカーに関する現実の政策は,コロナ禍の影響もあり,思った以上に早く動いており,はっきり言って,何でもありという感じになっています(雇用労働者への雇用調整助成金も,元の制度は何だったんだと言いたくなるくらい,雇用保険制度が打ち出の小槌になっていますね)。政治家による税金の使い方について,国民として言いたいことはありますが,研究者としては,きちんとした論理や筋で,政策を立てていくことにこだわらなければなりません。政策は,荒唐無稽な非現実なものはダメでも,現実性の判断は結構幅があるもので,私は思い切って理想を追求するところに走ってもいいのかなと思っています。今回のオピニオン・ペーパーは,ある程度,現実的なところにしたつもりですが,これをステップとしてもっと先に進まなければなりません。

 今朝の日経新聞をみると,政府も未来投資会議で「フリーランスのルール整備」の提言をされているようなので,今後,少しは政策が動くのかなという気がします。ただ,私が頭のなかに描いている最終的な絵は,簡単にいうと,雇用労働者もフリーワーカーも区別しないで,働く人という基準で大きく括って政策を考えるべきというもので,しかも基本的にはICTを使ったテレワークをしていることを前提にすべきだというものです。こうした政策を役人に任せると,そういうところにまでは行かないかもしれません。ここはシンクタンクの出番でしょう。大学も期待されるべきなのですが,残念ながら大学院法学研究科についていえば,法科大学院という平成時代からのお荷物を背負っていて,その処理(?)に苦しむことになりそうです。むしろ従来の学部や大学院とは違う,ちょっと怪しげに見える名前の学内の研究機関のようなところが,新たな時代に対応する研究や政策提言をになっていく可能性をもっているかもしれません。

 日本が世界に誇る労働政策に関するシンクタンクJILPTも,いまは優秀な人材を抱えていますが,自前主義は組織を弱めることにならないか心配です。私も大学院生のときから,JILPTの前身の日本労働協会,日本労働研究機構で大変お世話になり,勉強の機会をいただきました。さらに就職してあとも,JIL雑誌の編集委員や特別研究員をやらせてもらい,そのときの経験はいまでも私の研究者としての大事な基礎となっています。ただ特別研究員は15年前くらいでしょうか,突然,終了したのですが(ただ,その後も,編集委員は任期上限の10年になるまで続けましたが)。確か2年くらい前から,確定申告のときに,JILPTの源泉徴収票がないことに気づき,ついに長年お世話になったJILPTから卒業したのだということを実感することになりました。こういう時期と重なるように,数年前からNIRA総研とお付き合いができて,今回のペーパーにつながりました。
 NIRA総研は,いちはやくZoomでの会議を取り入れてくださったので,プロジェクトでは神戸にいながら会議を行うことができて,大変助かりました。客員研究員としての契約書も電子署名ですので,紙のやりとりをしなくてよいなど,先進的でした。
 オンラインの時代になると,どこででも研究ができ,発信ができます。今後は,神戸にいながら,サイバー空間でシンクタンクを立ち上げて,世界へ政策発信することができればということを考えています。サイバー空間なら,名刺をもたない,年賀状を書かない,無駄な社交をしないといった私にも,まだやれることがあるのではないかと思っていますが,それは甘いでしょうかね。

2020年4月11日 (土)

政治に頼らず,できることをやる

 7日に閣議決定された「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策」は,ネットでみることができます(https://www5.cao.go.jp/keizai1/keizaitaisaku/2020/20200407_taisaku.pdf)。長大な文書で,こんなものを作っているから時間がかかったのではないでしょうか。政府の現状認識は,まだ平時なのだろうと思いました。役所は,巨大な予算がつくので,この絶好の機会に乗らなければならないということで,必死に考えて,この対策に盛り込まれるように頑張ったのでしょう。この文書のなかに少しでも書かれていれば予算をもらい事業を拡大することができます。国民のためという大義名分がたてばよいのです。その調整の成果がこの文書なのでしょう。
 でも,もしほんとうにそういうことであったら,困ったことです。いまは緊急時であり,海外の首脳がいうような「戦時」と言ってもよいくらいです。優先順位をつけて,「すぐにやることリスト」を,A41頁くらいにまとめて,即刻実施するくらいのことをしてもらいたいのです。従来と異なる手続もあるでしょうが,それを突破するのが政治家でしょう。森友学園問題で,あんな無茶なことができるくらいだったら,国民が健康面でも経済面でも危機に瀕しているときにこそ,無理を通して迅速に対応してもらいたいものです。ただ,そもそも現状認識において,危機感が足らない以上,どうしようもないのでしょうが(口では,危機を感じていると言うでしょうけど)。
 いまこそ私たちは有権者であるという自覚を取り戻す必要があるでしょう。私たちは,首相をトップとする政治家たちに,国民の安全と安心を守るための業務の委託をしているのであって,私たちはクライアントです。
 ルソーの有名な『社会契約論』には,次のような有名な 記述があります。「イギリスの人民は自由だと思っているが,それは大まちがいだ。彼らが自由なのは,議員を選挙する間だけのことで,議員が選ばれるやいなや,イギリス人民はドレイとなり,無に帰してしまう」(岩波文庫版の133頁(桑原武夫他訳)。これは人民の主権は譲り渡すことができず,「一般意志」は決して代表されえないという代議制否定論(直接民主制論)の文脈で出てくる話ですが,国民と議員との関係を考える際にも,よく言及されるフレーズです。
 私たちは,政府の奴隷になってはいけません。「戦時」中のいま,私たちは主権者は,私たちの安全や安心に十分に貢献せず,しかも税金をこれまでさんざん無駄に使いながら(森友学園問題などを忘れてはなりません),今回,あたかも自分のお金を使っているかのように,108兆円規模の対策を,過去にないものと強調しているリーダーの姿をしっかり目に焼き付けておかなければなりません。
 首相は,私たちが,いわば委託事務の経費として支払っている税金について,今回は,緊急時だから,これくらい使わせてもらうけれど,許してもらいたい,というような姿勢で臨むべきだったのです。それをあたかも,自分が勇敢な決断をしたかのように話し,いまに至ってもまだ政治家としての自己アピールをしようとしているのは,情けないことです。
 これは良い機会です。ケネディの有名な言葉「国があなたのために何ができるかを問うのではなく,あなたが国のために何ができるのかを問うてください(Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country)」の後半を少し修正して,「あなたが仲間の国民のために何ができるのか,さらには世界中で苦しんでいる人のために何ができるのかを問うてください」と変えてみたらどうでしょうか。
 企業も国民も,social responsibilityとして何ができるかを考えなければならないのでしょう。企業がどういう社会貢献活動をするかを,しっかり見ておきましょう。SDGs(持続可能な開発目標)やESGに敏感な企業こそ,コロナ後に生き残っていくにふさわしい企業です。個人も,政府がぐずぐずしているなら,クラウドファンディングなどで零細企業を支援する手などがあります。例えば近所のレストランには,将来の席の予約をして料金を前払いするという方法でも支援できるでしょう(これは,私たちはあなたたちの店を見捨てないという精神的なメッセージにもなります)。同じようなことを,レストラン以外でも,身近な業者に対して,いろいろできるでしょう。これまでそうした業者がいたから,私たちの生活が成り立ってきたのです。情けは人のためならず,です。自分たちのためにもなるのです。そうしたサポートの輪が広がっていけばいいのです。物心両面での助け合いこそが,この難局を乗り越えるための鍵であり,実は政治の原点もそこにあるはずです。これからの政治家の動きをみて,その資質をよく見ておくことにしましょう。

2019年8月24日 (土)

ワーケーション

 

  ワーケーション(workation)。「work」と「vacation」とを合体させた造語です (和製英語ではありません)。休暇と仕事を両立させる働き方ということで,最近注目されているものです。先日の87日の日本経済新聞における「「休み方改革」量も質も」という記事では,「有休は本来,個人の判断で取得できるが,周囲に気兼ねして十分に取らない人も少なくない。社内の制度とすることで,社員を休暇取得に積極的に誘導する仕組みだ。旅行を予定している期間に急な仕事が入っても,テレワークなどでこなせれば計画を変更する必要がなくなる」と紹介されていました。これだけ読むと,とても良さそうなのですが,もし法定の年次有給休暇中に仕事をさせるのであれば,労働基準法違反となります(その休暇日が,法律で付与する年次有給休暇の日数を上回る法定外年休であれば別ですが)。

 企業としては,どうせ年休をとらないのだろうからと考えて,これを取りやすくするために,こういう制度を設けようとしているのかもしれませんが,本来は,休みか仕事かはっきりしないようなことをするのではなく,きっちり労働から完全に解放させて休ませることを考えてほしいものです。

 こうした動きの背景に見え隠れするのが,2018年の労働基準法の改正で,新たに5日の年休付与義務が企業に課されたことです。このため,従業員の年休取得率が低い企業では,何とか年休をとらせなければまずいということで,仕事をしてもいいから休んでほしいという動きになってしまっているのかもしれません。とはいえ,何かあれば仕事をしてもらうという状況での休暇付与は,実際に仕事を命じなかったとしても年休の付与日数にカウントされないと思います(解釈問題ですが)。つまり企業としては,義務を履行したことにならないのです。

 私の身近でも,次のようなことがありました。これまで何年にもわたって,夏季の一斉休暇にしていたお盆近辺の日を,年休日に充当するというのです。これは,実質的には取得可能年休日を削減することになるので,明確には違法といえないものの,法の趣旨に反することです。ただ,企業側にも言い分があるのです。従業員が自ら年休を取得しようとしないから,企業としては労働基準法の年休付与義務違反に陥ることを回避するための苦肉の策として,こういうことをせざるを得ないというのです。企業ばかりを責めることができない点が,問題を複雑にしています。

 とはいえ,「ワーケーション」は,あくまで法定年休以外のところで広げるべきです。そして,その延長線上に,真の意味でのテレワークがあるのだと思います。時間的な場所的な拘束から離れ,休暇をどのようにとることも含め,時間管理や健康管理は自己責任というのが,これからの自由な働き方なのです。ワーケーションは,こうした自由な働き方の中から出てくるものです。この自由さを前提としない「ワーケーション」,つまり,「休暇をとってもいいけれど,仕事も忘れるなよ」ということでは,日本人の働き方は根本的には何も変わらないままでしょう。(よくあることですが)中途半端なことをするくらいなら,やらないほうがよいのです。 

 ところで,日経新聞の記事では,小見出しに「欧米では普及」となっていて,ワーケーションが欧州でも普及しているのだろうかとびっくりしてその後を読んでみると,普及していると国として紹介されていたのはアメリカとインドだけでした。「欧」はありません。欧州の常識では,休暇中に仕事をするなど論外です。あまりに雑な小見出しの付け方に,あきれてしまいました。

 

 

2019年7月12日 (金)

参院選の争点に欠けているもの

 参議院は途中の解散がないので,今回選ばれる改選議員には,これからの任期6年を託すことになります。そうなると,6年間に起こりうる変化に対応できるような人を選ぶという視点が必要となってくるはずです。年金が争点となっていますが,現在の年金制度を前提としたとき,それをどう延命させるかは技術的な側面が強いので,政治の争点としても仕方ないでしょう。年金のあり方などを抜本から見直して,国民の老後の最低生活保障を再検討するというのなら政治的イシューとなるでしょうが,そういう議論はあまり出てきていませんね。
 今回の選挙では,生活の安定というのを各政党が競い合って言っているような気がします。どの政党も,国民の可処分所得を増やす政策を提示しています。こうした政策それ自体が悪いわけではなく,これにより消費を刺激し,デフレ脱却につながるシナリオを描くことができそうです。具体的な手法は,家計収入を増やす賃金引上げ,家計支出を減らす教育無償化や消費増税阻止(政府の消費増税はするがポイント還元や軽減税率をするといった方法もその一つです)が言われており,財源についても,消費増税分をまわすとしたり,景気改善による将来の税収に期待したりするものもあれば,国債の発行や大企業への法人税の引上げ・富裕層への累進課税の強化というような直接的な方法で財源をもってくる方法なども言われています。
 欧州では財政出動の足かせとなるEUの財政規律への不満が,反EUをかかげ,反緊縮財政(anti-austerity)を唱えるポピュリズム政党を生み出しました。イタリアでは,ここから反EU政権(Movimento 5 stelleLegaの連立政権)が誕生しました(いま連立は危機にあるようですが)。政府が国民の可処分所得を増やす政策は,受けがいいのです。
 国民の可処分所得にターゲットをしぼった政策は,振り返ると,アメリカでの労働法の誕生とも関係しています。ニューディール期のワグナー法(全国労働関係法:NLRA)が,労働組合の団結を認めたのは,団体交渉による賃金の引上げに期待したからです。同様の狙いによる公正労働基準法(FLSA)による最低賃金の設定などがなされたのも,この時期です。これはケインズ的政策の成功例とされました(ニューディールにケインズの影響が実際にどこまであったかは議論があるようですが)。
 アメリカのニューディールは,あの黄金の20年代の最後に大恐慌が起きて,どん底の不況となり失業者があふれている時期になされた緊急避難的な対策であったように思います(ちなみにアメリカの労働法は,あの時期のものから,大きくは変わっていません[差別禁止法は別ですが
]。むしろNLRAは,その後の法改正により,労働組合への規制が強化されました)。こうした強力な政策的な介入は一時的な効果はあっても,持続的な成長のためにはまた違った政策が必要となるでしょう。
 生活の安定というとき,最低限のレベルの保証は必要なものの,それを超えるレベルについては,中期的な視点からの政策が必要となると思います。そこで注目したいのは,生活に必要なインフラがデジタル技術を使ったものとなる以上,その部分の費用の引下げや無償化を打ち出す政策です。こうした政策のほうが,実はこれからの生活水準をよほどよくすると思います。
 先の国会でデジタル手続法(情報通信技術の活用による行政手続等に係る関係者の利便性の向上並びに行政運営の簡素化及び効率化を図るための行政手続等における情報通信の技術の利用に関する法律等の一部を改正する法律)が可決され,政府もいよいよデジタル化に向けて動き出そうとしているようですが,あまり本気度はみえてきません。
 そもそも選挙のやり方からしてそうです。過疎地域の問題がいわれていますが,オンライン投票を進めるべきです(リスクはありますが,それを乗り越える努力をしてもらいたいです)。それにより国民の政治への参加も広がります(それが悪いと考えているのなら別ですが)。思わぬ人が選ばれる可能性もありますが,(民主主義の支持者であれば)それが民意である以上受け入れるべきでしょう。また教育の無償化については,とくに高等教育のほうは,無償になっても,教える教育の内容が,デジタル経済社会に向けた適切なものになっていなければ,意味がありません。
 そもそもデジタル技術は,社会的弱者に優しい技術となりうるものです。国民全員にスマートフォンを無料配布したり,デジタル音痴の人をサポートする人材を配置したり,様々なデジタルサービスのプラットフォームの構築を政府がしたりするなど,安価で良好なデジタルサービスを享受できるような状況にすることのほうが,中期的にみた国民の生活の安定に役立つと思います。そうした公約を打ち出す政党が出てこないでしょうかね。
 その一方で,実は気になっているのは,「安定」という言葉の響きです。安定というのは現状維持というニュアンスがあります。国民が安心や安全(security)を求めるのは当然で,それを社会的に提供するのが社会保障(social security)ですが,それは「安定」とは少し違います。「安定」ばかりを求めると,転落への始まりとなります。変わる環境のなかでの「安定」とは,「変化」することです。国民に必要なのは,「変化」への適応能力なのです。それがあって初めて「安心・安全」が得られます。
 政党がデジタル経済社会への対応といった新しい問題に取り組もうとしないのは,将来に向けたsecurityよりも,現在の安定を重視する姿勢があるからでしょう。「そんなこと言ったって,当面は国民の可処分所得を増やして,デフレから脱却しなければ仕方がないじゃないか」という反論が来そうですが,何かそこに危険な匂いを感じるのは私だけでしょうか。