映画・テレビ

2021年2月 7日 (日)

麒麟がくる最終回

 最終回をみました。光秀単独犯行説でしたね。平らかな世を作るために信長に賭けたのですが,信長はいくさに明け暮れていました。信長は,足利義昭を討てば,いくさは終わると言って,光秀に義昭討ちを命じましたが,それは光秀には応じられないことでした。光秀は,追い込まれてしまいました。正親町天皇の「月にのぼる者」の示唆もありました。光秀は信長を討たなければならないという暗示にかかってしまいました(ただし,天皇は決して光秀にも信長にも味方はしませんでした。最後に秀吉に関白を与えたことについて東庵と語り合うシーンは,朝廷黒幕説を否定したものでしょう。このほか,ドラマでは,義昭黒幕説,家康黒幕説,秀吉黒幕説もすべて否定していました)。前回は,帰蝶から,現在の信長を作った責任は光秀にあると言われ,作った以上は責任をもてということで,信長暗殺を示唆していました。光秀が主君暗殺に追い込まれていった事情は,よく示されていました。また,秀吉の「大返し」の成功は,細川藤孝の裏切りという説に立っていました。光秀は,藤孝を頼りにしてはいたと思いますが,ドラマでは,最後に会ったときにもはや頼りにできないことがわかった感じでした。光秀は,藤孝がかりに裏切っても,藤孝の息子に嫁いだ娘のたまが生き残ってくれれば,よいと思っていたのでしょう(たまに,最後の言葉を残したところは印象的です)。実際,その作戦は成功するのです(たまの子は,熊本の細川家につながっていきます)。また統治面では,自分が失敗したら,家康に任せるということを考えていました。その伝令役を菊丸(岡村)が果たしました。麒麟は自分でなくてもよいということでしょう。本能寺の変は,突発的なものでしたが,明智は自分が失敗したあとも考えて,冷静に行動していたということです。
 というストーリーでしたが,それなりに説得力をもあって,明智光秀という難しい人間を,魅力的に描いていたと思います。朝廷や幕府を重んじながら平和の実現に邁進し,ただ信長を利用するという危険な賭をし,その賭けに失敗したものの,結果的に,その後の秀吉,家康政権をつくりだし,平和を到来させたという点で,歴史的な偉業を果たした人物であるという描き方だったと思います。その意味で,光秀は麒麟でした。決して,家康接待の際の信長からの打擲への憎しみ(これはドラマのなかで,信長に,家康を試す芝居であったと釈明させています)や,親しい関係にあった長宗我部氏の討伐(ドラマでは少しだけ出てきます)などは本能寺の変の主因ではなく,また他のドラマではよく出てくる丹波攻めの際の信長の裏切りで人質であった母が処刑されたことへの恨み(これは史実ではないとされ,本ドラマでも処刑シーンは登場しませんでした)も関係ないのです。私怨を晴らすというようなことではなく,大義のために戦って生きた男という描き方は好感を持てました。明智三郎さんは,どのような感想をもっているでしょうかね。

2021年2月 6日 (土)

「麒麟がくる」の最終回

 ずっとみてきたNHKの大河ドラマの「麒麟がくる」は,明日がいよいよ最終回ですね。みんな大好き「本能寺の変」の謎解きです。コロナで撮影中断や帰蝶役の突然の交代といったアクシデントがあったり,また内容的にも,東庵やお駒といった架空人物が出過ぎであり歴史の筋をきちんと追いたい人からは苦情があったりなど,いろいろありました。ただ明智光秀の話は,他の有名な戦国武将のなかでも,とりわけ謎が一杯なので,面白く展開してもらえれば十分だと思っており,十分,その期待に応えてくれていると思います。かつて明智氏の末裔である明智憲三郎氏が執筆した『本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫)』を本ブログの前身の「アモーレと労働法」でも紹介したことがあるのですが(ブログの内容は消えてしまい,見つかりませんでした),ひょっとすると,今回の大河は明智氏の唱える徳川家康と共謀していたという説に立っているのかもしれません。
 本能寺の変は,なぜ光秀が信長を殺したのか,誰か黒幕がいたのか,という点をめぐり,いろんな説が出されてきました。日本史界の若きスター学者である呉座勇一氏は,『陰謀の日本中世史』(角川文庫)の第6章で,丁寧にこれまでの見解を紹介して批判し,また明智氏の説明も採り上げてかなり紙幅を割いて検討しています。呉座氏は,単独犯行説をとっています。本能寺の変の直前のいわば軍事的空白状況をみて,権力を握るチャンスとみて,急遽,単独犯行を思い立ったという見解です。正親町天皇など朝廷も,将軍の足利義昭も,家康も黒幕ではないとしています。光秀も隙あらば天下を狙う戦国大名の一人であったということでしょう。
 大河ドラマでは,朝廷派の光秀が,朝廷の意向を忖度しながら,家康も自分の行動を理解をしてくれるだろうと期待して,信長・信忠親子を討ち,その後は,細川藤孝とともに,義昭を再び京都に戻して足利幕府を再興しようと考えていたというようなストーリーになるのかな,と予想していますが,どうでしょうか。ナイナイの岡村が演じる菊丸が何か重要な役割を演じるかもしれませんが,それはどういうものか。お駒や東庵にも,何かの役割を与えるのか。そして肝心の動機は何か,黒幕や共謀者がいたのか,秀吉は本能寺の変を事前に知っていたのかなども含めて,最終回に向けて興味は尽きません。


 


2020年9月28日 (月)

半沢直樹

 久しぶりにストーリー系の原稿の依頼があったこともあり,会社を舞台とした,いまや国民的ドラマといえる「半沢直樹」のことは気になっていました。昨日の夜に,ビデオにとっていたものも含めてまとめて見ました。ストーリーを楽しむだけでなく,それ以上に役者のキャラが濃すぎて,むしろそちらのほうで楽しませてもらった感じです。「労働」という視点からは,違法な行為を上司に強要されるなかで,公益通報者保護法的な解決ではなく,自力で解決していこうとするスーパー従業員の物語といえるでしょう。こういう自力の解決ができるのが理想ですが,普通の人はできません。その現実離れしているところが,逆に夢をみさせてくれるということで,それがこのドラマがヒットした原因かもしれません。それに,銀行という組織の権化のようなところの社員である半沢が,良き理解者や仲間を得て自分の信念を貫くという生き方が,コロナ禍で閉塞感をもって生活している人たちにとって,何か希望を与えるような意味があったのかもしれません。
 ただ若い人が「半沢直樹」をみると,銀行で働きたくないなと思ってしまうのではないでしょうか。それと,「土下座」がポイントとなっているところも,ちょっとイヤですよね。謝罪は形で示せということです(榎本明が演じる箕部幹事長が,これを日本古来の謝罪方法と言っていましたね。そして最後に自分も形だけやって逃げていきました)が,それをやれば水に流すというのは困った解決方法であり,令和時代にはなくなってほしいものです。そういえば政治家も,選挙の最終盤になると,接戦の場合などは土下座をするそうですが,土下座をして政策を伝えるのではなく,「必死の思い」だけを伝えて当選した政治家にまともな政治ができるとは,とても思えませんね。
 ところで,正義を追求する半沢が最後に勝つという流れは,拙著『労働法で人事に新風を』(商事法務)において,主人公の戸川美智香が,ベテラン専務とやりあいながら,人事の正義を貫いていくというストーリーと,ちょっとだけですが,通じるところがあるように勝手に思っています。誰か,あの本のストーリーを原作にしてドラマ化してくれないでしょうかね。結構,面白いドラマとなると思うのですが。

2020年1月13日 (月)

ミルクボーイ

 一夜にして人生が変わる,というのは,こういうことでしょうか。テレビ出演もほとんどなかった若手漫才師がM1のチャンピオンになって,たちまち大スターになりました。夢のある話ですね。私は,彼らの漫才をみて,それほど笑うことはできませんでした(サンドイッチマンのほうが面白い)が,それでも彼らが支持されるのはよくわかります。ボケ担当の駒場の「おかん」や「おとう」が何か忘れるという設定の下に,二人でそれが何かを推測するというのが得意のパターンです。M1では,「おかん」が忘れた好きな朝ご飯を当てるというネタです。特徴をきくとコンフレークのようだけど,でもそうでないという掛け合いをしながら,ツッコミの内海が徹底的にコンフレークを分析していきます。誰でも知っているコンフレークの特徴を,これでもかというくらい指摘しながら,内海がどんどん話を展開していくところが見せ場です。みんながそれとなく思っているところを強調して話すので,客との一体感が生まれ,それが徐々に高まっていくのがわかります。しらぬまに,駒場の「おかん」の好きなものを当てるというのはどうでもよくなっていて,それで最後に駒場が「おかん」が「コンフレークではないって言うてた」とあかして,それまでのやりとりは全く意味がないということがわかり,ずっこけます。駒場がそれをわかっていながら,内海が勝手にどんどん展開していく話に合わせていたというボケっぷりがわかり,さらに「おとん」はコンフレークとはまったく違う「サバの塩焼きちゃうかって」と言ってたというシュールなボケをかまして,「絶対ちがうやろ」と内海が言うのがオチでした。普通,ボケというのは,見た目や動きが変わったことをする人が多いのですが,駒場は,どちらかというと無個性で,体格のいいことくらいが目立つ普通の青年で,ツッコミ側の内海のほうが個性的な外見なのです(角刈り)が,そういう逆転も面白いし(しかも内容的には内海のほうがボケ的な面もある),コンフレークという普通の食べ物を,ここまで徹底的にイジるところも独創的でした。決勝では,同じような展開を,「最中」を素材としてやりました。最中業界を敵に回しそうな内容でしたが,それでも毒を感じさせないところが彼らの漫才の技でしょう。

 ネタ以外の面でも,最近では早口で何を言っているのかわからない漫才師が多い中,言葉がはっきり聞き取れ,内容も上記のようにわかりやすく,老若男女に支持されやすい安心できる漫才でした。

 彼らが真摯に芸磨きに取り組んで,ストイックに夢を思い求めてきた姿にも深い共感をおぼえます。一歩間違えれば,夢追い型ストーカーの失敗例となりかねないなか,大きな成功を遂げました。

 もちろん,ストイックに自分の芸を磨くのは,芸人である以上,当然のことのような気もします。ただ,芸人にかぎらず,誰でも,効率的にスキルを習得したり成果を出したりする方法はないか,ということを模索しがちです。そのこと自体は悪いとは思いません(意味のない苦労はやらなくてよい)が,それは楽をすればよいということではないのです。ミルクボーイの二人にとって,アルバイト以外の時間は,ひたすらネタを練り上げ,またテレビの声はかからなくても,舞台でお客さん相手にひたすら自分たちの芸を披露して,芸人としての技と感覚を磨きながら,徐々に力をつけていったのでしょう。こうしたやり方は,時間がかかったようにみえるものの,実は最短距離を走っていて,一番効率的なやり方であったのかもしれません。

 いまはまだ何もなし遂げていないが,夢はある。そのための努力もしている。そうしていると,神様が降りてくるかもしれないのです。茂木健一郎の対談集に『芸術の神様が降りてくる瞬間』(光文社)という本があります(初期のブログで紹介したことがあります)が,ミルクボーイにも漫才の神様が降りてきたのでしょう。もちろん,努力をしている人すべてに,神様が降りてくるわけではありません。世の中は不公平です。でも,ふさわしい努力をしていない人には,神様が降りてこないことも確実なことです。そのわずかな確実にすがりながら,不確実な将来に向けて歩んでいくというのが人生なのでしょう。成人となる若者に贈る言葉です。

2020年1月 2日 (木)

大晦日といえば・・・

 大晦日といえばいつも格闘技だったのですが・・・。一昨日は,ボクシングの井岡の試合はみましたが,そのあとはほとんど紅白歌合戦(後半が中心ですが)をみていました。井岡は,スタイルが変わって,観客にアピールできる戦いができるようになりましたね。モンスター井上尚弥の影響もあるのでしょうか。その井上の先日の防衛戦は,最初からみていましたが,すごい試合でした。ああいう苦しい試合でも,しっかり判定で勝ちきれる井上には,いつものKO勝ちとは違う真の強さを感じましたね。井上は,今回は紅白の審査員をしていました。2019年の顔ということでしょう。スポーツでいえば,ラグビー日本代表も紅白に登場していましたね。ラグビー選手は行儀がよく,話をさせても知性的で,他のスポーツ選手にはない品格を感じますね。
 ところで,もう何年も前から紅白歌合戦は,演歌とジャニーズと知らない歌手ばかりで面白くないので,ほとんどみていなかったのですが,一昨年たまたまトリで出てきた桑田佳祐の「勝手にシンドバット」の盛り上がりをみて,紅白もいいなと思い直すようになりました。
 今年もなかなか良かったです。なかでもAI美空ひばりを登場させたのは良かったです。前に,美空ひばりを,AIを使って蘇らせて,秋元康作詞の新曲を歌わせるという企画の番組をみたことがありました。その番組では,苦労の末にAI美空ひばりに新曲「あれから」を歌わせることに成功したのですが,その歌唱シーンには,心をゆすぶられる感動があり,思わず涙が出てきました。いったいこの感動は何なのか,自分ではうまく表現できなかったのですが,確かに,こういう心の動きを感じれることが人間の人間たるゆえんなのだなと思いました。もちろん,このAI美空ひばりの企画については,死者を蘇らせることは,死者を冒涜するといった批判はあるでしょうし(美空ひばりは天国でどのように思ったでしょうか),そこで使われた技術は悪用の危険も十分にあるのですが,それでも,それを打ち消すような圧倒的な感動がありました。紅白でAI美空ひばりが歌ったことは,AI時代の到来を象徴する出来事といえるでしょう。
 それ以外にも,石川さゆりの「津軽海峡冬景色」は素晴らしかったし,初めて聞いたビートたけしの「浅草キッド」は味があって良かったし,竹内まりやの「いのちの歌」もメッセージがよく伝わったし,ピンクのフリフリの衣装をきて歌った松田聖子は不滅だという気持ちにさせられたし,新たな進化を遂げている氷川きよしはパフォーマーとしての迫力を感じたし,米津玄師が嵐につくった「カイト」も良かったし,ゆずの「栄光の架け橋」はいつ聞いてもよく,さらに新曲の「SEIMEI」には「遺伝子」といった言葉が出てきて現代的でしたね。 
 そういえば,竹内まりやの衣装が緑であったのは,環境のグリーンを意識したものでしょうか。2020年は環境が意識される年になるでしょうね。
 あえて個人的な希望を言えば,○○坂というグループ名の女の子たちやジャニーズ系の男の子たちのグループは,おじさんにはよく区別がつかないので,それぞれ一つに限定しての参加にしてくれたらもっとよかったのですが。

2019年8月12日 (月)

Bidenは大統領になれるか

 Trump大統領の再選にとって,民主党候補として一番手強いのはBiden元副大統領だと言われています。政治経験は長く(上院議員を636年),オバマ前大統領の副大統領時代の仕事ぶりの評価も高い彼は,白人層の支持もかなり得ることができそうです。過去2度の大統領選出馬への失敗に対する同情もあるかもしれません。
 ただBiden氏にも,いろいろ問題があります。親中派とされることはともかく,Wikipediaによると,19421120日生まれであり,すでに高齢76歳の高齢です。大統領に選ばれると就任時は78歳になっています。それに加えて私が注目しているのは,あのAnita Hillのセクハラ告発問題です。
 1991年,合衆国最高裁判所において,初の黒人判事であるThurgood Marshall が引退を表明したことから,当時のGeorge Herbert Walker Bush大統領(パパ・ブッシュ)は,その後任に保守系の黒人であるClarence Thomas判事を指名しました。連邦の最高裁判事は終身制であるため,その影響力は大きく,アメリカにおいて大統領が選ぶ最も重要な政治的ポストであると言われています(現在でも,Trumpが立て続けに保守系の判事を最高裁に送り込んで,大きな問題になっています)。
 最高裁判事は上院の承認が必要であり,慣例により,上院の本会議の前に,司法委員会で審議されます。Thomas判事の指名のときも,司法委員会が開かれましたが,そのときの委員長がBidenだったのです。ここから先は,映画「Confirmation」(https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0791YBL72)によるものとなりますが,Thomas判事には,セクハラがあったとの噂があり,Bush共和党政権と対立する民主党側は身辺調査をします。そして,かつてThomasが教育省やEEOC(雇用機会均等委員会)で働いていたときの部下であり,現在は法学部の教授であるAnita HillがThomasからセクハラにあっていたという情報をつかみ,彼女に司法委員会で証言するように依頼します。彼女は,こうした告発はやったほうが悪者になってしまうと言って渋っていたのですが,最高裁判事人事は,アメリカ人女性の人権に影響すると説得されて,証言をするのです。そのなかで,Biden委員長は,民主党員ではあったものの,あまりHillの告発に前向きに取り組みませんでした。むしろ,Anitaにセクハラの事実を克明に証言させるなど,二次的なセクハラといえるようなこともしています。全員が白人男性という司法委員会において,若い黒人女性が証言するという状況のなかで,彼女をサポートをできる立場にあったにもかかわらず,それをしなかったということで,これはBidenにとっては痛い汚点になってしまいました。最終的には上院の本会議では5248の僅差で,Thomas判事の指名は承認(confirmation)されました。Thomas判事は,まだ現役です。
 Thomasの経歴からは,彼が優れた法律家であることを示すものはありませんでした。また彼は,法的信条については徹底した沈黙路線をとっていました。それは4年前のReagan大統領のとき,Bork判事が最高裁判事に指名された際に,Borkの保守思想を警戒した民主党陣営から徹底的な抵抗があり,Borkもこれに正面から反論しましたが,最終的に指名は承認されなかったということが教訓となったと言われています(Borkは,その後,英語のスラングで,メディアなどで叩かれて公職につくことが認められないという意味の「動詞」 になり,上記の映画のなかでもThomas反対派から「bork されろ」という表現で出てきてます)。とくに,最大の争点であったのは,人工妊娠中絶の規制の違憲判断(1973年のRoe v. Wade事件)についての立場でした。Borkが最高裁判事になると,これが覆されかねないという懸念があったのです。Thomasは注意深く何も述べなかったのですが,その保守的思想から,Borkと同じと推測され,それがリベラル派からは批判の対象となっていました(これも現在,Trumpが保守的思想の最高裁判事を指名したことから,たいへん注目されています。州のなかには人工妊娠中絶を規制する法律を制定するところもあらわれ,連邦最高裁は,約半世紀ぶりに,これを合憲とする可能性が出てきたからです)。
 ところで,Thomasは,当初から,黒人だから判事になれたのではないか,という疑惑もありました。初の黒人最高裁判事であったMarshallの後任だったからです。Marshall自身は,引退会見で,「人種」を,誤った人を選ぶときのexcuse に使ってもらいたいくないと述べて,暗にThomasの適格性に疑念を示していました。会見での「there's no difference between a white snake and black snake; they'll both bite」(白い蛇と黒い蛇との間には違いはない。どちらも噛む)という発言は有名です。
 ThomasがHillに対してしたとされる行為は,身体的な接触のようなものではなく,不適切な発言や執拗なデートの誘いというレベルのものでした。そのことが,当時のBidenらを含む男性白人議員の対応を鈍いものにしたようです。多くの男性議員には身に覚えがあったからでしょう。しかし,前記のように,このときのBidenの対応が,いまとなっては汚点となってしまっているかもしれません
 セクハラがほんとうにあったかどうか,真実は不明なままですが,そのこと自体は,あまり重要ではありませんでした(Thomasとその白人の妻ら家族にとっては重要なことでしょうが)。最高裁判事の承認という一大政治ショーで,Hillの行動が大きく注目されたことにより,多くの女性たちに,男性が支配する現在の社会のままでは,女性は泣き寝入りになってしまう,だから自分たちも立ち上がろう,という勇気を与えたのです。Hillの勇気ある告発が,女性の政界進出へのきっかけを与え,社会を変えるきっかけとなったのだと思います。
 もっとも,その加害者(とされた者)が,黒人であったことは,人種差別と男女差別の政治的な問題としての優先順位(それがあるかどうかも議論がありましょうが)を逆転させるきっかけとなったのではないか,という気もしますが,このあたりはもう少し勉強してみたいと思います。
 そして現在。アメリカの人種差別問題は新たな次元に入りつつあります。白人たちが,自分たちは移民による被害者であり,あたかも自分たちの権利かのごとく移民排斥を主張し始めているのです。こんな時代だからこそ,リベラル派の民主党を長年背負ってきたBiden氏の出番という声が高まっているのかもしれません。若手のなかの急進的なリベラル派も勢いがあるものの,彼ら・彼女らではTrumpには勝てないでしょう。Biden氏の弱点は,皮肉にも男性で白人であるということかもしれませんが,それを乗り越えて,悲願の大統領ポストを得ることができるでしょうか。

 

 

 

2019年1月23日 (水)

ボヘミアン・ラプソディー

 いま話題の映画です。とりあえず観ておこうと思い,映画館に行ってきました。あまりにも高い評判を聞いていたので,感想は「そこまでではないが」という感じですが,それでもとても良い映画でした。観る価値は十分あると思います。

 クイーンのリードボーカルのフレディ・マーキュリーの伝記的な映画ですが,この映画は他にもいくつかの面があると思います。

 まずクイーンファンにとっては,たまらないものでしょう。クイーンの栄光と挫折のストーリーは,まさにフレディの人生とともにあったのです。映画のなかでは,クイーンの有名な曲がたくさん聞けますし,ボヘミアン・ラプソディーの作成秘話のようなものも出てきます。私は,どういうわけか,あまりクイーンの音楽は好きではなく,ほとんど聞いたことがなかったのですが,いま思えば,知らぬうちにクイーンの音楽は自分の周りに浸透していたのですね。そして,いまその良さを確認しているところです。ボヘミアン・ラプソディーの斬新性は,感動的です。新しいものを作ろうとしたフレディらクイーンの姿勢には,心より敬意を表したいです。

 この作品は,もう一つ,メアリーとフレディの切ない恋の物語もあります。自分の愛する彼氏がゲイであるとわかったときのメアリーの心のなかの葛藤は,想像するに余りあります。

 そして,最愛のメアリーに去られたあとのフレディの孤独。彼の周りに集まるゲイの仲間では,彼の心の空白は埋められなかったでしょう。そして,何よりも大切な「家族」であったクイーンの仲間との対立。フレディにとっては,クイーンの他のメンバーには家族がいるけれど,自分には家族がいない。夜,一緒に食事をしてくれる人もいない。フレディにとっての「家族」は,仕事上の仲間というだけでは足らなかったのでしょう。それに,メンバーのなかには,ゲイに対する偏見もあったのかもしれません。

 フレディは,彼をクイーンから隔離していた張本人であったポールの裏切りを知ります。それを教えてくれたのはメアリーでした。フレディは悔悟し,クイーンに戻ります。そしてメンバーにエイズであることを告白し,感動的なライブ・エイドをしたところで幕を閉じます(実際のものの完全コピーだそうです)。多くの観客は,ここで涙するのです。

 フレディは,新たなパートナーと残りの短い人生を送ったそうです。

 映画を観た後も,彼のハートフルな歌声がこだましています。とくにボヘミアン・ラプソディーのバラード部分(ジョー山中『人間の証明』と出だしが酷似)の,美しくも,悲しい響きを聞いていると,彼の魂の叫びが伝わってくるような気がします。