日記・コラム・つぶやき

2021年4月12日 (月)

松山マスターズ優勝

 松山英樹のマスターズ優勝は感動しましたね。私は,ゴルフをまったくしませんが,昔はよく戸張捷の解説でゴルフをみていました。日本人のメジャー大会への挑戦といえば,私が印象的に残っているのは,1986年の全英オープンのときの中嶋常幸でした。最終日には2位で,日本のマスコミは大いに騒いでいました。イギリスの寒そうなところで,最終日が始まったのを覚えています。中嶋は,日本のために頑張るという趣旨のことを語っていて,どことなく悲壮感がありました。結果は,大崩れして8位だったのですが,やはりメジャー大会を征するのは大変だと思ったものです。あれから35年も経つのですね。松山英樹がついにマスターズを征しました。3日までで単独1位で,最終日に,最終組で回るのは大変な緊張だったと思いますし,最後はボギーが続いて1打差まで追い上げられましたが,逃げ切りました。といっても,最終18番では1ボギーをたたいても勝てる差がついていたので,そこではかなり安心できる状況でしたが,2打目がバンカーに入ったときはドキドキしました。私はリアルタイムではみていませんでしたが,あとでみてもハラハラしました。解説の中嶋常幸が泣いていましたね。実況のアナウンサーも泣いていました。おじさんたちが放送で泣けるくらいすごい快挙です。松山が英語で話さないのは困ったものという気もしましたが,アメリカ人が温かく彼を祝してくれてよかったです。やればできる,というほど甘いものではないでしょう。才能に恵まれても,努力と運がなければ勝てません。今日も,13番で木にあたった球がフェアウェイのほうに戻ってきましたね。1987年の全米オープンで,中嶋は途中までトップにいたのに,木にあたった球が落ちてこずにロストボールになるという不運で,その後,崩れてしまいました。これまでも日本人がメジャー大会では何度も跳ね返されて,松山も苦しんできたのですが,今日は運も味方につけて乗り越えました。ほんとうに良いものを見せてもらいました。感動をありがとうと言いたいですね。

2021年4月 7日 (水)

公務員の定年延長法案は批判されるべきものか

 今朝の日本経済新聞で,「官優遇の定年延長では困る」というタイトルの社説が出ていましたが,その内容には首をかしげるところもありました。民間では定年後の雇用確保義務はあるが,定年年齢は60歳でよいことになっており,実際に60歳定年が多いのに,公務員だけ定年を65歳に延長するのは「民間を大幅に上回る待遇を公務員に与える」異例のもので,よくないという批判なのですが,この改正案は,給与についてまで保障していると言っているわけではありませんし,役職定年の導入も考えているようです(siryou1.pdf (cas.go.jp))。むしろ民間の事業主に高年齢者雇用安定法の改正で65歳を超え70歳までの就業確保の努力義務を課していることもふまえると,公務員について率先して定年を65歳に引き上げる(改正後の国家公務員法81条の62項)のは,望ましいものと思えます。もともと公務員の定年延長は,天下りを減らすことにもつながるので,望ましいこととされてきたように思います。昨年の検察官の定年延長問題で,何となく定年延長の話がうさんくさいものとなってしまいましたが,あれは特定の個人に対する優遇が関係する特殊な事例で,それとは区別して考えるべきなのは当然です。
 この社説では,民においてなかなか定年延長が進まないのに,官が先行するのは不公平だということを強調したいようです。でも,民がなかなか進まないからこそ,官が率先してやることに意味があるという見方もできるでしょう。むしろ,テレワークのように,官が率先してやらないから,民も進まないということもあるのです。もしテレワークを官が率先してやったら,これも官優遇ということになるのでしょうか。そういうことではないと思います。
 公務員の定年延長がよくない理由として,公務員が多すぎて困るというようなことであれば,わからないではありませんが,現在の国家公務員の過労状態をみると,むしろ人員不足と言うべきでしょう。国家公務員の現状をみると,今後,優秀な若者が国家公務員になりたがらない可能性もあり,それへの配慮も必要です。定年延長がそのための解決になるとは思いませんが,公務員も民間並に,あるいは民間以上に長期に働けるというのは,それなりのアピールになるのではないでしょうか(もちろん,長期安定雇用を期待して公務員を志望する者ばかりになるのも困るのですが)。私たちは,公務員に良い人材が集まるためには,どうすればよいかということを,常に考えておくべきです。公務員に良い人材が集まらないような国や地方に未来はありません。高級役人には腹立たしい人やイヤな奴もいるでしょうが,それとこれとは話は別です。以上の理由で,私は公務員の定年延長には賛成したいですし,その一方で,問題のある公務員(とくに高級公務員)についての処分は厳正にすべきで,そういう公務員に対しては雇用保障への配慮は不要だと考えています。

2021年4月 5日 (月)

「いただきます」と「Buon appetito」

 イタリアで,数人で食事をするときには,お互いに「Buon appetito」と互いに言います(フランス語でも,ほぼ同じ音)。よくイタリア人から,日本語では,この場合に何と言うのかと聞かれて,しかたなく「いただきます(itadachi-masu)」と答えるのですが,これは言葉の意味としては対応しておらず,たんに食事の最初に話すところが同じというだけです。イタリア語の意味は,直訳すると「良い食欲を」という身も蓋もないものとなりますが,食事を楽しんでね,というくらいのニュアンスでしょう。互いにそう言い合うのです。仕事途中にBarでコーヒーを飲みに行く同僚に「buon caffè」と声をかけるのも,コーヒーを楽しんでね,という感じでしょう。仕事に行く友人に「buon lavoro」と言うのは,「がんばってね」というくらいのニュアンスでしょうか。みんな声をかければ,にっこり「Grazie(ありがとう)」とか,「Altrettanto(君もね)」とか返してくれます。
 とにかく「Buon appetito」は,「いただきます」とは意味がまったく違うのです。「いただきます」は,その場にいる人に対してではなく,食材をつくってくれた人に対して言うものでしょう。具体的には,通常,農家の方の勤労に感謝した言葉となるでしょう。あるいは調理をしてくれた人に対して言ってもよいような気がします。家族が,食事をつくってくれたお母さんに感謝して「いただきます」と言う感じです(ジェンダー的に,こういう文章はダメかもしれませんが,私の場合は多くは母が食事を作っていたので,許してください。なお,私もファミマの「お母さん食堂」は,ちょっと気になるなとは思っています。商品として売り出すときのネーミングには気を付けましょう)。
 でも一番感謝しなければならないのは,私たちが生きるために,命を落としてくれた生き物に対してでしょう。とりわけ肉を食べるときがそうです。最近では,動物である私たちは,光合成ができる植物と違って,生き延びるためには動かなくていけないのであり,人が動くと書く「働く」は,動物である人間の宿命を表している,というようなことを,よく言っています(拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)の34頁でも触れています)。これは語源がそうであるというような厳密な議論ではないのですが,話の枕として使っています。私たちが,動物の宿命として,食物を狩猟・採集したり,耕作したりするという「労働」をしなければならないのは,確かです。ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』(河出書房新社)では,ホモ・サピエンスは,農業革命以降,小麦にしてやられたと指摘していて,それは種のサバイバルという点では,そのとおりです(小麦は人間を使って大躍進した)が,一粒ずつの小麦は,私たちのために命を落としているとも言えそうです。植物はともかく,動物となると,それはいっそうリアルなものです。牛や鶏は哀れなものです。人間は動物にずいぶんとひどいことをしてきています。たんに食べるだけではなく,家畜化したり,人間に都合の悪いものを殺して,都合のよい遺伝子をもつものだけを残したりしています。この悪行へのお詫びや贖罪として,せめて「いただきます」という感謝の言葉はかけましょうと言いたいところで,日本語には,よい言葉が残っていると思います。これは子どもたちにも,しっかり伝えていきたいですね。 
 宮沢賢治の「注文の多い料理店」は,人間に食べられる動物への感謝を忘れるとどうなるかを教えてくれる作品です。Cotoletta alla Milanese (ミラノ風カツレツ)を3500円で食べるということは,どういうことなのかを考えさせられてしまします。私は大好物ですが,でも「いただきます」の精神は忘れてはいけませんね(Vegetarian や Veganには慣(×⇒な)れないので,中途半端ですが)。「注文の多い料理店」は,現代人が必ず読まなければならない本です。

2021年4月 2日 (金)

宴会はやって大丈夫なのですね?

 一昨日の菅首相の記者会見で驚いたのが,記者から,「まん延防止等重点措置」がうまくいかなかった場合に,緊急事態宣言を再度発する予定はあるのか,という質問に対して,そういうことにならないように努力するという発言で押し切ったことです。うまくいかない場合のことを考えて,どういうプランがあるのかについて説明してもらいたかったのに,そういう発言がなかったことは,この人は失敗をしないことを前提に危険に突進してしまっているのではないか,という疑問が出てきました。こういう無謀なリーダーが,どれだけ危険かは歴史をみれば明らかです。いずれにせよ,この首相には,国民に向き合って誠実に答えるという姿勢が根本的に欠けています。こんな人がコロナの司令塔であっては困ります。残念ですが,即刻辞めてもらうべきでしょう。私は,あまり軽々しく,辞めろ辞めろというのはよくないと思っていますが,コロナの問題はちょっと違います。国民の命や健康がかかわっていることなので,きちんとした人にリーダーになってもらわなければ困るのです。
 厚生労働省の宴会問題も論外です。この役所にも立派な人はいると信じたいですが,組織が緩んでいるのでしょうね。この問題については,国民が我慢しているのに,自分たちだけ大人数で遅くまで宴会するのはズルいというような見方もあるのですが,むしろ大人数で遅くまで宴会しても大丈夫という間違ったメッセージを出してしまったことのほうが,罪が重いように思います。厚生労働省の役人だから,感染のリスクのことはわかっているはずです。1回くらいの歓送迎会なら,たとえ23人集まっても,また夜中までやっても,大丈夫というメッセージを国民に与えてしまったのです。国民は,花見もできない(実際には桜の下で三密が起きていますが),歓送迎会もできないということにフラストレーションをためています。心のなかには,ちょっとくらいなら大丈夫ではないか,という気持ちがあるので,そこにうまい大義名分があれば,それを口実にして,どうしても緩んでしまいます。緊急事態宣言の解除は,そうした大義名分となってしまいました。そして,厚生労働省の役人もやっているということも,大義名分になりかねないのです。
 神戸市は,全国的にも,かなり危険な状況にあるにもかかわらず,少なくとも窓からみえる昼間の風景は,コロナ前とほとんど変わりがありません。さすがにマスクはほとんどの人がしていますが,老若男女を問わず,人混みは変わっていないようにみえます。これでは感染はなかなか下火にならないでしょう。ワクチンもいつ順番が回ってくるかわかりませんし,こうなると,もう1年は辛抱という覚悟をもつ必要がありそうですね。もちろんオリンピックをやるなんて正気の沙汰ではないでしょう。

2021年3月31日 (水)

テレワーク・シンポジウム2

 今日は,社会システムイノベーションセンターのテレワーク・シンポジウムで,私も登壇しました(登壇という言葉が適切かわかりませんが)。オンラインなので,私はいつものように自宅からですが,私の書斎(と言っても小さい部屋ですが)は北向きで少し寒いのですが,午後のシンポジウムの途中で,どんどん温度が上がってきて,温度調整が大変でした。部屋から見える桜はきれいで,これだと外出したい人も多いだろうなと思いました。部屋からみえる人の流れは,感染リスクという点では不安でいっぱいですし,兵庫県は,相当やばい状況にあります。知事選が夏にあるようですが,最近みんなが使う「安心安全」というものを,ほんとうに実現する気概と実行力のある人に知事になってほしいものです。コロナ前と比べて,知事がいかに重要な役割を担っているかということが,わかってきていますからね。
 ところで,本日のシンポジウムは,個人的にはとても面白かったです。法学系の人と話をしていると,もちろん使っている用語や論理思考など慣れているせいもあってわかりやすいのですが,脳が活性化されることが少ないのに対し,異分野の人の話で,しかも労働に関する話を聞いていると,脳が刺激を受けているのが感じられます。もっとも,原理的な超越的な議論を好みつつある最近の私は,アカデミズムの世界において居場所があるか,少し心配にもなってきています。もちろん法学の世界の堅い議論にいれば,居場所は確保できることはわかっているのですが,そこから飛び越したら,とたんに所属不明の怪しいやつになりかねません。
 でも,これからはそういうチャレンジも必要であり,それが昨日も書いた失敗学の教えかもしれません。せっかく,神戸大学には,私の関心のある分野について,いろんな研究科で優秀な先生がそろっているので,そういう分野の先生との交流を深めていければと思います。できれば所属不明の怪しい研究者になれるくらいの知的刺激を受けることができればと思っています。それは,私がいま所属している学際教育センターの仕事にもつなげていけるのではないかと思っています。

2021年3月30日 (火)

判例の記載方法と失敗学

 法律の文献で判例を示すとき,掲載誌を示すのが本来のやり方でしょう。私も学生にはそう指導します。しかし,最近では,データベースから判例を調べることが増えており,私自身もそうなので,自分で直接確認していない掲載誌を記載することにためらいを感じるようになってきました。ペーパーレスの観点からも,紙媒体の判例掲載誌を示すのは,どうかとも思います。ということで,ビジネスガイドの「キーワードからみた労働法」(日本法令)では,法律専門誌ではないので,読者目線で掲載誌に関する情報は不要と考えて掲載せず,他方,データベースなどで調べる場合の便宜のために,どこの裁判所でいつ判決が出されたかはきっちり明示し,さらに事件番号を書くという方式に途中で変えました。判決の年月日は,気持ちとしては西暦を使いたいところなのですが,ここはあまり逸脱するとどうかと思い,妥協的に和暦を使っています(ただし,判例以外の部分は,引用を除き,西暦を使うのを原則としています)。
 『最新重要判例200労働法』(弘文堂)では,本文では,掲載誌は民集と刑集以外は記載しないことにし,裁判所と年月日と事件番号で事件を特定することにしました。一方,索引には未登載のものを除き,掲載誌はすべて記載しています。また和暦を使っています。編集者の方は,一般に,どうも西暦の使用には抵抗があるようです。裁判所の判決が和暦を使っている以上,仕方がありませんね。ただ法律関連の本でなければ,できるだけ西暦を使うようにしており,編集者も何も言わないことが多いです。
 今度刊行する『人事労働法』(弘文堂)は,法律専門書ですが,人事関係の人にも読んでもらいたいという気持ちもあり,また和暦だと時間の前後がわかりにくいので,思い切って西暦を使い,索引も西暦にしました。さらに,最新重要判例と違い,索引にも民集と刑集以外は掲載誌を記さないことにしました。これは,おそらく法律専門書では初めてのことであり,これだと法律専門書と呼べないと言われるかもしれません。でも,一度,これでやってみて,読者の反応をみてみたいと思ったのです。
 学術論文は形式が大切で,その作法を学ぶのは研究者としての第一歩ですが,それはその業界のプロ相手に書くものだからです。一般の人にも読んでもらうように出版する以上は,いかにして読者にとって読みやすく,また,こちらの書きたいことが伝わるかが大切です。そう思うと,業界内では定着している形式であっても,その外では必要に応じて適宜修正していくことは必要だと思います。今回の『人事労働法』のスタイルは,編集者の方になんとか認めてもらったような感じですが,読者にとって読みにくいという批判があれば,潔く改めるつもりではいます。
 ところで,昨日,神戸大学のV.School1周年記念シンポジウムがオンラインで開かれ,私も聴衆として参加していました。その基調講演が,失敗学の研究者であるバブソン大学の山川恭弘さんによるものでした。経営分野の人の話はわかりやすいなと感動すると同時に,自己啓発セミナーに出たような気分で,失敗をおそれるなという強いメッセージをもらいました。たくさん失敗し,そこから学ぶことが大切だというのは,当たり前のことですが,なかなかできないことです。年齢をかさねると守りに入ることも多いでしょう。たかが判例の記載方法の失敗くらい,たいした話ではないという気にもさせられます。『人事労働法』では,より重要な内容面でも多くの挑戦をしているので,もっと多くの失敗をしているかもしれませんが,たとえ失敗したと言われても,へこたれずに前に進んでいきたいと思っています。
 もちろん失敗はしないに越したことはありません。失敗をすると,周りに迷惑をかけてしまいますので,できるだけ避けようとするのは当然です。ただ,失敗をおそれすぎて,何も新しいことにチャレンジできないということこそが,最大の害です。失敗の積み重ねはチャレンジした勲章だと言い聞かせながら,果敢に挑戦する研究者でいたいですし,そうした研究者に囲まれて研究をしていきたいですね。

2021年3月29日 (月)

オンデマンド

 次年度の学部の労働法の講義はオンデマンドでやることになっています。文部科学省は対面型を推奨しているようですが,困ったことです。今回は私は大人数講義で感染リスクが高いからという理由でオンデマンドになりましたが,少人数であっても,教室で行うよりもオンラインのほうが丁寧に学生に対応できるという観点からは,やはりオンライン(リアルタイム型)でやったほうがよいと思っています。少人数だから感染リスクが低いので対面型にせよ,というのは間違っている気がします(少人数でもマスクをつけながら距離を置いて授業をするよりは,マスクなしで,ネット越しでやるほうが,教育効果は高いと思われます)。大学の現場では,授業の内容にもよるでしょうが,オンラインでもやれるとの判断が広がりつつあるのではないでしょうか。
 とはいえ,オンライン講義でも,リアルタイム型ではなく,オンデマンド型となると,学生の授業の聞き方がかなり違ってくるでしょう。学生は好きなときに授業を聞くことができ,疲れたら休んだり,あるいはわかりにくいところは何度も聞き直したり,というような自由な受講方法が可能となります。一方で,決まった時間割があるから,その時間に授業を聞くのであって,自分で好きなときに聞けばよいということになれば,授業を聞かなくなるという学生もいるかもしれません。こういう学生を意識が低いといって切り捨ててよいかというと,これまでの大学人の常識では切り捨ててはなりませんでした。
 しかし,これからの大学教育は,意識が低い学生に付き合っているような余裕がなくなるかもしれません。大きな社会変革や価値転換が起きているなか,知的創造性のある人材を生み出していくことが,社会的な要請です。大学もそうした要請に応えるべく,いかにして有為な人材を生み出すかが真剣に問われ始めています。意識が低い学生にあわせて授業をしているような余裕はないのです。大学は本来そういうものであったのですが,近年では,そういう有為な人材の育成は大学院からという感じになっていました。しかし個人的には,学部では遅く,もっと早い段階から,意識の高い学生のニーズに応える教育をしていく必要があると考えています。
 オンデマンド授業は,教師にもプレッシャーがかかります。動画記録がしっかり残るなかで,ネットを通してどれだけクオリティの高い授業をするかが問われることになるからです。これまでの対面型の講義とは根本的にやり方を変えなければなりません。
 私は今回,オンデマンド講義の教材を,これまではゼミの教材として使っていた『雇用社会の25の疑問―労働法再入門―(第3版)』(弘文堂)を使う予定です。オンデマンドでは,それぞれの回で,トピックごとに完結するタイプのもののほうが学生にとっつきやすいのではないかと考えるからです。内容はやや高度ですが,参考文献などを適切に使いながら,労働法の面白さと難しさを伝えてみたいと思っています。もちろん,労働法が今後なぜ必要でなくなるかということも,しっかり教えるつもりです。
 これからの時代は,なんとなくテレビをつけて,いろいろな情報を受け身で入手する,毎朝配達されてくる新聞をながめる,大学に行って教室でやっている授業に顔を出す,というような感じではなくなるでしょう。情報は自分主体で取りに行くものであり,そうした情報が,自分の好きなときにネットで入手できるようになるというのが現代のオンデマンド・スタイルです。大学も,こうした社会の大きな変化に対応していかなければならないでしょう。

2021年3月26日 (金)

Web会議

 私の参加する種々の会議がすべてオンラインによる参加になって,1年以上経ちます。いまでは,コロナ感染のために会議が中止ということはなくなり,オンラインで実施するのが普通になりつつあります。コロナ禍であっても,できない会議はないということです。
 今日の労働委員会の定例会議も,ほとんどの委員がオンライン参加でした。兵庫県庁はWebExを使っているのですが,私は,これを使うと少しトラブルが起きやすいのでZoom派です。今日もビデオオンにしても画像がでないというトラブルが起きました。これは自分のパソコンが原因のはずなのですが,パソコンのサインインのときの画像認証ではカメラが機能しているので,やっぱりWebExのせいかと思いました。仕方がないので,パソコンではなく,iPadで接続して,会議には無事参加できましたが,あわや音声だけでの参加となるところでした。
 ということで会議の終了後に,もう一回点検をしてみました。Zoomでやってみると,カメラが作動するので,いよいよWebExが問題だと思ったのですが,カメラのところの設定をみると,パソコン内蔵のものではなく,最近導入したDocument Scanner のカメラになっていました。どうりでパソコン内蔵カメラでは映らないわけです。しかし,WebExだけ,なぜカメラの設定が変わったのか,理由はわかりません。日頃あまり使わないので,たまにWebEx利用の会議となると,こういう思わぬことがあるので怖いですね。
 そういえば,前にはもっと初歩的なミスをしていました。日頃接続している書斎から離れて,リビングで接続して会議に参加しようとしたのですが,そのとき私の声は聞こえるのですが,画面からの声が小さくしか聞こえません。かつては向こうのマイクの設置が悪いから聞こえにくいということがあったので,このときもてっきりそれかと思いました。こちらのボリュームを100にまで上げても状況は変わりません。結局,音が小さく聞きづらいまま会議は終わったのですが,あとでわかったのは,このパソコンで,日頃YouTubeでの音楽を聴くことが多く,それをBoseのスピーカーとBluetoothで接続していました。それを切らないままにしていたのです。会議の声は,隣の書斎から聞こえてくるものだったので,どうりで小さいわけです。しかし,パソコンから流れているか,隣の部屋のBoseから流れているかも区別できない私の耳は,どうしようもないのですが,実際にあった話です。こういう恥ずかしい初歩的なミスばかりしているのですが,それでも何とかやっています。
 自宅でWeb会議に参加することには,もう慣れましたが,不思議な感じもしています。直前まで原稿を書いていたり,スマホで本を読んだり,ネットでニュースなどを見ていたり,YouTubeの音楽を流していたりしながら,会議の15分くらい前にアラームがなるようにし,そこで仕事モードに切り替えることにし,Yシャツもアイロンがあたっているものに着替えたり,ズボンも画面には映らないとはいえ履き替えます。そして,その日の会議が終われば,再び着替えてくつろいだ格好に戻り,しばらくしてまたパソコンやスマホに戻ります。そのときもテレワークという仕事をしているので完全にオフではないのですが,他人と会うわけではないので,オフに近い気分です。
 こういうようにして,プライベートな空間であった自室が,あるときにオンとなって外界とつながり,またオフに戻り自分の世界に戻るということになるのが,これからの働き方なのでしょう。外界とのつながりは,メールでやりとりしたりするときも同じなのですが,やはりビデオ会議となると,まったく違う感じがします。外界との間でやりとりする情報量が圧倒的に違うからでしょうね。それだけリアルに近いコミュニケーションができているということでもあるので,その意味でもリアル会議をやる意義は小さいのではないかと思います。

2021年3月22日 (月)

それでもオリンピックをやるのか

 今回の東京オリンピックは,振り返ればトラブル続きです。エンブレム盗用問題,新国立競技場の設計,最近では大会組織委員会の委員長の女性蔑視発言,開閉会の演出責任者の不適切発言がありました。マラソンコースの変更もトラブルの一つでしょう。そして,昨日は,海外客の受入れをしないことが発表されました。これは感染リスクが高いことを認めたということです。それでもアスリートたちには厳密な健康管理の下で競技をしてもらうということなのでしょうが,そこまでしてオリンピックをやる意味があるのでしょうか。しかも,このまま何もなく開会にまでたどりつけるとは思えませんね。
 オリンピックは,1984年のロサンゼルス大会以降,商業主義に走っているのは周知の事実です。コロナ禍で,健康を大切に考え,経済も大切であるものの,営利至上主義に疑問を持ち始めている人々にとって,今回のオリンピック開催は感覚的にフィットしないものがあることは,国民の7割が開催に反対という点にも現れているように思います。とりわけSDGs世代にどう映っているでしょうか。商業主義のオリンピックという視点でみると,大会ボランティアについても,実は安い労働力の活用にすぎず,国民の純粋な気持ちを,いいように使っているようにも思えてきます。
 なぜオリンピックをしなければならないのか。復興五輪ということも言われていますが,いまなお大きな余震が起きていて,被災地にあった自宅に帰還できていない人も,まだたくさんいるようことを考えると,完全な復興はまだ先のことです。復興に加えて,コロナの克服の証しという理由付けも付加されていますが,完全な形で開催できそうにない以上,コロナ克服はまだ先のことです。
 国内の感染状況は,今後リバウンドが予想されます。そのようななか,アスリートやその関係者に限るとはいえ,大量に外国から人を呼び込んで,感染リスクはコントロールできたとしても,医療資源を大幅に割かなければならないことは,国民の健康を危険にさらすことになるでしょう。はたして医療体制は大丈夫なのでしょうか。
 神戸大学の岩田健太郎教授は,スポーツイベントは感染リスク要因でり,オリンピック開催にはハードルが高いとして,有観客開催に否定的です(「スポ ーツイベントは感染リスク要因、ものすごくハードルが高い」東京オリンピック・パラリンピックの“有観客開催”に岩田健太郎教授(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース)。もし国内客も観戦できないとなると,完全なネット配信だけのオリンピックとなりますね。それはそれで一つの選択ではあります。史上初のオンライン・オリンピックとして名を残すことを目指すという手はあるかもしれません。ただ国民からすれば,それなら日本でやらなくてもいいよな,と言いたいでしょうね。

2021年3月21日 (日)

今年の阪神タイガース

 しばらく野球のことは書いていませんでしたね。阪神タイガースがオープン戦で優勝したという,どうでもよいけど,嬉しいニュースが飛び込んできました。長年の功労者である能見投手や,精神的支柱であった福留選手が去り,その前年には鳥谷選手も去り,若返りが徐々に進んできていましたが,今年は近本,木南が3年目に入り,大きく飛躍しそうですし,大山も昨年ブレイクしたので大丈夫でしょうし,糸原と梅野は不動のレギュラーで,サンズ,マルテの外人も健在です。なんといっても,今年は大型新人の佐藤が入ってきて,打線はパワーアップしました。佐藤にどこを守らせるかが問題ですが,外野となると,近本は外せないので,糸井,サンズとの競争になるでしょう。佐藤はほんとうは内野なので,大山がもたつくようなら,佐藤が三塁のポジションを奪うかもしれません。こういう競争が働き始めたのがいいですね。投手陣では,藤波がほんとうに復活するかわかりませんが,もしそうなれば,結構よい勝負ができるかもしれません。
 いまはテレビ番組は,タブレットでNHKプラスとテレビ東京のビジネスオンデマンドをみるだけで,テレビがぼろくて画面が悪いのでアンテナにもつないでいないのですが,やっぱりサンテレビで阪神戦の中継をみたい気もするので,テレビを買い換えましょうかね。でも一時の気の迷いで,テレビを買ってしまうと後悔するかもしれないので,ほんとうにテレビ受像機が自分たちの生活に必要か,よく考えたいと思います。

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