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2021年4月 5日 (月)

「いただきます」と「Buon appetito」

 イタリアで,数人で食事をするときには,お互いに「Buon appetito」と互いに言います(フランス語でも,ほぼ同じ音)。よくイタリア人から,日本語では,この場合に何と言うのかと聞かれて,しかたなく「いただきます(itadachi-masu)」と答えるのですが,これは言葉の意味としては対応しておらず,たんに食事の最初に話すところが同じというだけです。イタリア語の意味は,直訳すると「良い食欲を」という身も蓋もないものとなりますが,食事を楽しんでね,というくらいのニュアンスでしょう。互いにそう言い合うのです。仕事途中にBarでコーヒーを飲みに行く同僚に「buon caffè」と声をかけるのも,コーヒーを楽しんでね,という感じでしょう。仕事に行く友人に「buon lavoro」と言うのは,「がんばってね」というくらいのニュアンスでしょうか。みんな声をかければ,にっこり「Grazie(ありがとう)」とか,「Altrettanto(君もね)」とか返してくれます。
 とにかく「Buon appetito」は,「いただきます」とは意味がまったく違うのです。「いただきます」は,その場にいる人に対してではなく,食材をつくってくれた人に対して言うものでしょう。具体的には,通常,農家の方の勤労に感謝した言葉となるでしょう。あるいは調理をしてくれた人に対して言ってもよいような気がします。家族が,食事をつくってくれたお母さんに感謝して「いただきます」と言う感じです(ジェンダー的に,こういう文章はダメかもしれませんが,私の場合は多くは母が食事を作っていたので,許してください。なお,私もファミマの「お母さん食堂」は,ちょっと気になるなとは思っています。商品として売り出すときのネーミングには気を付けましょう)。
 でも一番感謝しなければならないのは,私たちが生きるために,命を落としてくれた生き物に対してでしょう。とりわけ肉を食べるときがそうです。最近では,動物である私たちは,光合成ができる植物と違って,生き延びるためには動かなくていけないのであり,人が動くと書く「働く」は,動物である人間の宿命を表している,というようなことを,よく言っています(拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)の34頁でも触れています)。これは語源がそうであるというような厳密な議論ではないのですが,話の枕として使っています。私たちが,動物の宿命として,食物を狩猟・採集したり,耕作したりするという「労働」をしなければならないのは,確かです。ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』(河出書房新社)では,ホモ・サピエンスは,農業革命以降,小麦にしてやられたと指摘していて,それは種のサバイバルという点では,そのとおりです(小麦は人間を使って大躍進した)が,一粒ずつの小麦は,私たちのために命を落としているとも言えそうです。植物はともかく,動物となると,それはいっそうリアルなものです。牛や鶏は哀れなものです。人間は動物にずいぶんとひどいことをしてきています。たんに食べるだけではなく,家畜化したり,人間に都合の悪いものを殺して,都合のよい遺伝子をもつものだけを残したりしています。この悪行へのお詫びや贖罪として,せめて「いただきます」という感謝の言葉はかけましょうと言いたいところで,日本語には,よい言葉が残っていると思います。これは子どもたちにも,しっかり伝えていきたいですね。 
 宮沢賢治の「注文の多い料理店」は,人間に食べられる動物への感謝を忘れるとどうなるかを教えてくれる作品です。Cotoletta alla Milanese (ミラノ風カツレツ)を3500円で食べるということは,どういうことなのかを考えさせられてしまします。私は大好物ですが,でも「いただきます」の精神は忘れてはいけませんね(Vegetarian や Veganには慣(×⇒な)れないので,中途半端ですが)。「注文の多い料理店」は,現代人が必ず読まなければならない本です。

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