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2021年4月の記事

2021年4月30日 (金)

労働者性について

 昨日に続いて,労働者概念,労働者性の話題ですが,JILPTから二つの労働政策研究報告書をお送りいただきました。一つは,労働政策研究報告書No.207『雇用類似の働き方に関する諸外国の労働政策の動向―独,仏,英,米調査から』です。鎌田耕一先生が座長のものです。そこには,プラットフォームビジネスのなかでのギグワーカーの出現などの新たな状況が出現するなか,世界中で労働者性をめぐる問題が生じているものの,立法的には,フランスのプラットフォームに関する法律が目につく程度で,どの国もあまりうまい対策ができていないように思えます。外国法を参考にするのもよいですが,私たちが日本で知恵を絞って,うまい方法を試し,その結果を世界に発信するということをやってみてもよいと思います。労働者性についての比較法研究は,私がかつてJILPTの特別研究員をやっていたときに,何度か中心になってやったことがあります(労働政策研究報告書No.18「「労働者」の法的概念:7ヶ国の比較法的考察」,労働政策研究報告書No.67「「労働者」の法的概念に関する比較法研究」)が,そのころと労働者概念をめぐる理論状況は,確かに表面的には変わってきているようにみえるものの,本質的にはあまり進展していないのではないかという印象も受けます。
 もう一つが,労働政策研報告書No. 206労働者性に係る監督復命書等の内容分析』です。これは濱口桂一郎さんが担当しています。労働者性をめぐって現場でどのような問題が起きているのかを,行政の文書である監督復命書と申告処理台帳を分析して解明しようとするものです。行政の現場では,労働者性の判断を実際に求められることがあるわけですよね。実は私の提案する事前認証手続の一つは,そうした行政での労働者性の判断をフォーマルな手続として整備し,その判断をファイナルなものとすることです。これにより紛争防止ができればというのが狙いです。
 実は,現行法でも,労働者性の判断についてのフォーマルな事前手続を定めたとみられるものがあります。一つは,労組法関係ですが,地方公営企業等の労働関係に関する法律52項は,「労働委員会は,職員が結成し,又は加入する労働組合……について,職員のうち労働組合法第二条第一号に規定する者の範囲を認定して告示するものとする」となっています(労働委員会規則28条以下)。実際にこのような認定・告示がされているのか,よく知りませんが,こういう手続があること自体,興味深いです。あるいは,実態がよくわかってないのですが,生活困窮者自立支援法16条に基づく生活困窮者就労訓練事業では,いわゆる中間的就労として雇用型と非雇用型とがあり,そのどちらに該当するかは,「生活困窮者自立支援法に基づく認定就労訓練事業の実施に関するガイドライン」によると,「対象者の意向や,対象者に行わせる業務の内容,当該事業所の受入れに当たっての意向等を勘案して,自立相談支援機関が判断し,福祉事務所設置自治体による支援決定を経て確定する」となっています。「非雇用型の対象者については、労働者性がないと認められる限りにおいて、 労働基準関係法令の適用対象外となる」とされているので,この手続で労働者性の判断が確定するわけではないのでしょうが,行政が労働者性の判断の前さばきをしているとみることができそうですね。こうした行政実務の実態がどのようになっているのかも知りたいところですね。
 やや類似のものとして,障害者の福祉的就労のB型利用者の問題があります。障害者総合支援法(障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律)による就労継続支援B型の利用者は,「通常の事業所に雇用されることが困難であって,雇用契約に基づく就労が困難である者」(同法施行規則6条の102号)とされ,そこでの就労は非雇用型とされています。ここでの雇用型と非雇用型の線引きが実際にどのようにされているかもよくわからないのですが,よい文献がありました。それが障害者の法制度と実務の関係を分析した,長谷川珠子・石﨑由希子・永野仁美・飯田高『現場からみる障害者の雇用と就労―法と実務をつなぐ』(弘文堂)です。この文献をみると,B型事業所の実態も調査されていますが,そこではやはり労働者性の問題があるようです。とくに「高い工賃を支払い,一般就労への移行が可能となるようにB型事業所を運営するようにとの要請が高まっており,これはB型利用者の労働者性を高める方向に作用する」ことになり,「B型事業所を一つの制度の枠に収め,B型利用者はおよそ労働者性がないとする現行制度の限界を示している」とします(346頁)。同書では,こうした問題意識から,福祉的就労について,Ⅰ雇用型,Ⅱ非雇用の就労重視型,Ⅲ非雇用の社会参加重視型の三類型に分ける提案をしています。これによると,A型事業所のなかの福祉型やB型事業所のなかのビジネス型が就労重視型(非雇用)に分類されます(354頁以下)。
 一方,こうした再編をしない場合には,B型でも実態によっては労働者性が認められることを周知徹底したうえで,かりに労働者でなくても,B型利用者に一定の就労条件を保障する法政策を検討すべきと主張しています(346頁)。これは自営的就労者一般について,私が主張しているところと重なっていますね。
 労働者性は,いろいろな場面で問題となってきて,私たちは,その都度,その判断の難しさに直面するわけですが,それと同時に,最終的に非労働者とされた者にも,保護を否定するのではなく,何らかのサポート政策をとることの重要性を認識させられるのです。

 

2021年4月29日 (木)

労働者概念

 労働者概念については,近年,英米を比較対象とした國武英生『労働契約の基礎と法構造―労働契約と労働者概念をめぐる日英米比較法研究』(2019年,日本評論社)とドイツを比較対象とした橋本陽子『労働者の基本概念―労働者性の判断要素と判断方法』(2021年,弘文堂)という大作が相次いで刊行されています。労働者概念は古くて新しいテーマといえますが,なかなか出口がみえないものでした。最近,自営的就労者が本格的に増える動きがあるなか,そこから労働者とは一体誰なのか,労働者でないということは法的にどういうことなのか,といったことが社会的にも関心を集め,そのなかで労働者とそうでない非労働者との格差は正当化できるのか,といった議論も出てきました。この二つのモノグラフは,こうした新しい社会の出現も視野に入れながら,労働者概念はどうあるべきか,ということについて,理論的にアプローチしようとしたものであり,労働法の守備範囲の再確認という意味ももっています。私は個人的には,この作業がどれだけ生産的な成果を生むかには若干懐疑的であり,むしろ自営的就労者に対してどのような法政策が必要かということを正面から論じたほうがよいという立場ではありますが,少なくとも法実務的には,労働者概念についての研究を深めることには大きな意味があります。労働の現場では,労働者であるかどうかによって,個々の法律の適用が左右されることになり,そのことをめぐる紛争が後を絶たないからです。
 この点について,私は,近著の『人事労働法』(弘文堂)では,労働者性の判断を裁判に任せてしまうのではなく,納得同意が得られた場合には,非労働者として扱ってよいとする立場です(80頁以下)。最近のエアースタジオ事件の東京高裁の判決(202093日)では,劇団員について,裏方作業だけでなく,公演への出演・稽古についても労働者性を肯定したものがあります。裁判所は,劇団員は出演を希望して劇団に入っている以上,出演を拒否することは考えられないとして,諾否の自由がなかったとするのですが,これは常識的にはおかしい判断です。橋本さんは,この判決を支持します(ジュリスト1554号)が,労働者性の判断を分析的にみていくと,おかしな結論が出てしまう典型例ではないかと私は思っています。人事労働法では,こうしたケースでは,労働法の適用がない労働関係であることについて誠実説明をして,納得同意を得られているかどうかを問題とします。本件ではひょっとしたら納得同意がなかったとして結論は同じになるかもしれませんが,劇団員は出演したいのですから,納得同意を得ることは十分に可能であったケースでしょう。今後,同種の劇団員は常に労働者であるとするのではなく,企業側が,劇団員に対して,誠実説明をし,納得同意を得ていれば,労働者でないという扱いをできるという法解釈をすべきだというのが,私の立場です。
 一方,立法論としては,事前の認証手続を設けることで,不明確性や予測可能性の低さの問題を解決せよと提言しています(拙著81頁)が,実は具体的にどのような基準で労働者性の判断をすべきかについては,とくに新たな知見は述べていません。というか,それは不可能ではないかと思って諦めていたところです。数日前までは,このテーマはもうやらないと思っていたのですが,実は少し気が変わりつつあります。
 人事労働法の基底にある企業の社会的責任を発展させ,労働者性の問題は,使用者がなぜ個々の労務提供者に対して責任をもつのかを理論的に明らかにするという観点から再設計すべきではないかと思い直しています。近いうちにメディアで発表する論考に,そのアイデアの一端を示す予定ですが,そこからの具体的な展開もすでに頭のなかにはできています。國武氏と橋本氏のモノグラフは,法学のものとしては,とても素晴らしいもので,前者は私が好んで論じる技術革新による労働社会の変貌を視野に入れている点で私の感覚にあうものですし,後者は伝統的な重厚な比較法研究を展開したもので労働法学への理論的貢献が大きいものです。ただ,私がいま使おうとしている手法は,これと違っていて,最近少し遠ざかっていた「法と経済学」です。労働者概念,企業の責任,経済学のキーワードから何が生まれるか,自分でも楽しみです。


 

2021年4月28日 (水)

ビデオオフ

 オンライン会議ではビデオオンを強制できるかという問題があり,先月のテレワークのシンポジウムでもこの点が議論されました。ビデオオフであれば,実は同時に多くの会議に参加でき,これをどう考えたらいいのかということが問題となりそうですね。いま自分の例でいうと,パソコン2台,スマホ1台,iPad1台を同時に接続できるので,それぞれ違う4つの会議に参加することができます。ビデオオンにすれば4つ同時は難しいでしょうが,ミュートにしていれば,2つくらいなら同時に参加できそうです。やったことはないので,実際にやってみれば,何かトラブルがあるのかもしれませんが,ビデオオフであれば問題なくできるでしょう。ビデオオンを強制するのは問題であるという議論もあるのですが,ビデオオフの状態にしておくと,その人が何をしているかわからないので,マナーという点でどうかということが,今後は問題となるかもしれません(ビデオオフの人に声をかけても反応がないということもあり,いったい何をしているのだろうかと思うことがありますね)。また,授業であれば出席していることになるのか,あるいは定足数が問題となる場合に出席にカウントしてよいのか,ということも問われるようになるかもしれませんね。ただ。この点も技術的に解決できるのかもしれません。

2021年4月27日 (火)

インフルエンザにかからない方法はわかったが……

 この冬はインフルエンザが流行しなかったそうです。感染率は例年の0.2%くらいのもので,ほとんど患者がいないに等しい状況でした。驚異的なことですが,コロナ感染対策が,インフルエンザ対策にも有効であったということでしょう。さらにインフルエンザにはワクチンもあり,多くの人が接種したことも関係しているでしょう。個人的には,長年悩まされていた原因不明の咳の症状も出ず,驚いています。
 でも,こうなるとコロナ収束後の生活スタイルをどうしようかと悩むところでもあります。咳はほんとうに辛く生活の質を下げてしまいます。避けたいことの優先順位でいくと上位にランキングされます。しかし,そのために,外出制限も含め,これだけ抑制した生活をしなければならないということになると,それもかなり憂鬱です。
 健康対策というのは,今後,AIが進化すると,より万全になっていくでしょう。私も労働者の健康管理は,テクノロジーを使った自己管理へという主張をしています。その考えに変わりはないのですが,労働以外の面になると,日常生活において,どれだけ健康の面から「安全」を重視するかについては、難しいところですね。知らない人と会うのは,相手がどんな感染症にかかっているかわらかないから避けたらいいのですが,それを言い出したら社会生活はほとんど成り立たなくなります。少々の感染症なら免疫でやっつけるくらいの体力をつけることこそ最優先なのでしょうね。それに,ときには体力が弱っていて感染症で寝込むことがあっても,生命に別状がないかぎり,それは休養になるというくらいの気持ちでいたほうが健全なのかもしれません。
 とはいえ,現在のコロナ禍において,神戸市の私の周りは,ちょっと油断しすぎのような気がします。私の現在の自宅は,道路に面しているので,人の動きが家の中からよくみえるのですが,昼間の人の動きは,ほとんど以前と変わりません。とても緊急事態宣言中とは思えませんね。休業を命じられて,自分たちだけ動きを止められた飲食店が気の毒のような気までしてきました。これでは,いつまで経っても感染状況は収まらないでしょう。そのうち医療従事者も疲弊してしまうかもしれません。そうすると,ますます医療体制が苦しくなり,私たちの生命や健康が危機にさらされます。インドのようにならないとは言えないでしょう。

2021年4月26日 (月)

学士会会報に登場

 どういうわけか大学卒業後に,学士会というものに律儀に入っています。それ以来,ずっと会報が送られてきて,理系のものも含めて,面白い論考が掲載されていることが多く,割と熱心に読んできたのですが,いつか自分にも執筆依頼が来ることがあるのだろうかと思いながらも,そもそも法学系自体が少なかったので,自分には縁がないと思っていました。それが昨年,突然,依頼が来て驚きました。会報ですので,学士会以外の人はおそらく読むことはないのでしょうが,とはいえ読むのは,すごい人ばかりでしょう。だからといって労働法はもとより,そもそも法学についても素人の人がほとんどでしょうから,書き方が難しいなと思っていました。しかも依頼の内容は,「AIの進化と日本の労働法制」ということでした。実際には「デジタル変革と日本の労働と法」というタイトルで,書かせてもらいました。内容は,『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)の終章を基本として,それをさらにブラッシュアップしたつもりです。類似のテーマで,さらに依頼されているものがあるので,いっそうブラッシュアップできるように頑張りたいと思います。

2021年4月25日 (日)

国政選挙の結果について思うこと

 衆議院の北海道2区,参議院の長野選挙区の補欠選挙,参議院広島選挙区の再選挙が行われました。北海道と広島は自民党議員の不祥事で辞職したあとのものです。北海道では,あまりにもわかりやすい収賄事件による辞職後の選挙であり,自民党は不戦敗を選んだようです。長野は立憲民主党が,広島も野党側の候補が勝ったようですね。自民党は完敗となりました。それはそうでしょう。現在のコロナ対策の無策ぶりが際立っているなか,国民はほんとうに怒っているのです。コアな支持者以外は,与党に投票するとは考えにくいです。
 もっとも長野の羽田氏は,亡くなった前議員の弟という以外の特徴がない人であり,この人にどれだけ国会議員としての仕事を期待できるでしょうかね。野党ももっと真剣に候補を選ぶべきであり,負ける可能性が低い候補を出したということでしょうが,人材難は否めない感じもします。
 ところで,神戸新聞によると,兵庫県感染症等対策室の山下輝夫室長は「コロナはまん延というより,災害レベル」と語ったそうです。さすがに今日は,人出は少なかったようです。ただ明日はどうしても近くとはいえ父のところに行く用事があり,不安がいっぱいです。なんとか感染しないように往復できればと思っています。
 国民の行動変容が起こらないのは,はっきり言って政治が失敗したからです。Go toもそうですし,オリンピックをやるといったり(世界中が日本は何か奇跡的な対策を出すのだろうかと期待しているのですが,おそらく無理であり,それはかえって日本の無能さを世界にさらすことにならないかと心配しています),非常事態宣言をどのようなときに出すのかという記者の質問にまともに答えないまま,結局,突然出したり,もうむちゃくちゃなのです。
 労働政策でも感じていたことですが,なんでも官邸が主導権をもってやりたがるのですが,ろくな知恵がないので,うまくいかないのです。政治主導という民主党政権が始めたことの弊害はずっと残ってしまっています。その意味では,民主党の残党たちにも政権を担って欲しくないです。だからといって官僚主導にも限界がある気がします。真の知的エリートが,官僚や政治の世界にやってきて,日本を支えるということにならないと,ほんとうに大変なことになるのではないか,と思っています。
 民主主義の下,いくら選挙を繰り返しても,残念ながら,良い政治家がなかなか出てきません。こういう事態を克服する手段としては,プラトン的な哲人政治の可能性をもう少し探ってみたい気もします。哲人政治は一歩間違えれば,独裁制に陥るのでリスキーですが,国家をあげて哲人を育成するということに取り組むことは,20年,30年後の日本を考えるうえで重要なことだと思っています。もっとも具体的にどうすればよいかは難しいのですが,まずは国民一人ひとりが,政治家は,私たちの命を左右するのだということを認識し,どういう人がふさわしいのかを真剣に考えるところから始めるべきでしょう。さらにシニア世代から有志が現れ,寺子屋的な哲人教育を始めていくというようなことが広がっていけばよいのですが。

2021年4月24日 (土)

神戸労働法研究会とTruffle

 緊急事態宣言前夜の神戸ですが,神戸労働法研究会の例会は,リモートで何事もないように開催されました。今日も4時間みっちり勉強しました。ストライキ(怠業?)の正当性という労働法のディープな論点から,Transnational labor law,国際労働基準,CSRのような労働法の枠を超えそうなフロンティアのテーマまで,幅広く議論できました。私にとっては,いつものように贅沢な時間でした。
 今日の議論のなかからでも,団体交渉がデッドロックになった後に争議行為をすることは正当性があるのかという,ちょっと盲点となるような論点や,サプライチェーンまで視野にいれた労働規制が実効性をもつようにするためにはどうすればよいかという現代的な論点など,論文のネタになりそうな話がてんこ盛りでした。私としては,研究会は,リモートでも問題なく実施できるということは,この1年の経験から,断言できると思っています。
 唯一残念なのは,研究会後の飲み会がなくなったことです。個人的には,これだけなく,そもそも外食するということがなくなったこともあり,体重は驚くほど減り,瞬間的にですが,理想の体重としてアプリに設定していた目標に到達してしまい,病気にでもなったのではないかと思ったほどでした。研究会の後の2次会でよく行っていたバーTruffleも,今日から休業です。かつては近くなのでよく行っていたのに,この1年間は1度しか顔を出しておらず,気になっています。なんとか頑張って欲しいです。最近は自宅でイチローズモルトを愛飲しており,Springbankなど他のお気に入りのウイスキーも含め宅配で取り寄せることができるのですが,やはりカクテルとなると,彼(塩田マスター)にシェイクしてもらわなければなりません。研究会は今後ずっとオンラインでよいと思っていますが,ときにはオフ会で飲みに行くということもしたいですね。日本政府のお粗末な対応も考慮すると,コロナ終息は,年内はとても無理と思っていますが,早くTruffleでおいしいCampariべースのカクテルを飲みたいです。

2021年4月23日 (金)

書評を書きました。

 久しぶりに労働新聞に登場しました(もちろん日本の「労働新聞」です)。2018年に「雇用社会の未来予想図-技術革新と働き方-」で23回連載したことがありましたが,それ以来の約3年ぶりの登場です。私は,この新聞を定期購読していないので,書評という欄があることは知らなかったのですが,もしかしたら誰かの原稿が落ちて,筆の速い私に声がかかったのか,純粋に締め切りが厳しい企画なのかわかりませんが,かなりタイトな締め切りで依頼がありました。労働関係の本にこだわらないということでしたので,有斐閣の「書斎の窓」の最新号を読んで興味をもっていた,森田果「法学を学ぶのはなぜか?」を購入してみて,読んだあと,これで書こうと決めました。私自身,優秀な若者が法学部に来るのはあまり良いことではないと考えている一方,法学部の教師でもあるので,「法学を学ぶのはなぜか?」という問いに真剣に向き合うのはとても大切なことでした。本書は,私にはかなり普通のことが書かれていると思われて,これを読むと,本当に知的で優秀な人材は法学部に来たくなるのではないかと思いました。方法論のない世界で知的挑戦をするということができそうだからです。一方,私の書評は,著書の議論を使いながら,その議論に正面からは向き合わなかったかもしれません。編集者には「『使わないこと』にも価値」という小見出しを付けられましたが,確かにそういうことを書きました。私が仕事をしている労働委員会は,法律の執行をして集団的労使紛争を処理するところなのですが,法律から離れれば離れるほどうまくいくという感触を個人的にはもっています。もちろん,必要なときには法律論をきちんとやるのですが,例えば和解の場では,法律の条文をしばらく忘れて,当事者の双方の言葉をしっかり聞いて,どうすればまとまるかということを考えて紛争解決をめざすほうがうまくいきやすいのです(弁護士が間にいないほうがうまくいきやすいです)。それでは,法律とは一体なんなのでしょうか。法律という血も涙もないが公平無比であるものが控えていることに意味があり,そのことが,紛争の解決に役立つのかもしれないと思っています。こうしたことを聴くと,法学部よりも,違う学部に行って視野が広げたあと,法学の勉強をして法律に携わるほうがよいと思うかもしれません。確かに,そうなのです。もっとも現実には,このルートで法学を勉強した人で,法学系からみて,優秀と思える人があまりいないのは不思議です。その理由自体,十分に検討に値するでしょう。
 書評では,森田氏の書いたディシプリンのない法学というショッキングな指摘に,私なりに共感していますが,これには異論があるところでしょう。ただ,法学との協働が多い経済学との関係が,どうしてもぎごちなくなる理由は,ここにあるような気もします。ぎごちなさに耐えられなくなると,飲み込まれたほうが楽と思ってしまうのです(ぎごちさなを感じていない人は,飲み込まれていることを自覚していないだけかもしれません)。
 実は私は法学とは何かというテーマについて,シェイクスピアの『ヴェニスの商人』やイェーリングの『権利のための闘争』などの定番の素材を使ったエッセイの準備はしているのですが,今回はいかんせん字数が1200字で限界がありました。いつか,どこかで,一般の人向けに法律とは何か,法学とは何か,というものを思う存分に書いてみたいと思っています。

2021年4月22日 (木)

病気になったら命が危ない

 Web会議に出ると,はやくコロナが終息して対面型で会議が開けるときが来るのを願っています,という言葉をよく耳にします。本気で言っているのか,単なる時候の挨拶程度で言っているのかよくわかりませんが,いまこの会議がうまくできているのであれば,対面型に戻る必要はないとツッコミを入れたくなりますね。それくらい対面信仰は根強いものです。大学生にもリアル講義を望む人もいますが,これはオンライン講義自体のクオリティに不満をもっているのか,大学に行って友人に会いたいというような別の理由によるのかはわかりません。ただ,そういう学生も,若者の感染が広がり重症化の例が増えていると聞き,ようやく事の重大性がわかってきたようです。いま神戸市では,発症すると大変なことになります。病床は厳しい状況です。入院できずに亡くなったという報道もされています。どうして,こんなことになってしまったのでしょうか。がん患者の手術が後回しにされたりするなどの異常事態も起きています。健康な人には他人事のようですが,いつどういうことで医療サービスを受ける必要がでてくることになるかわかりません。現在の日本(なかでも神戸)は,病気になったら命の危険があるかもしれないという,世界に誇る高い医療サービスをもっている国では信じられない事態が起こっているのです。病気になりやすく,ケガもしやすい高齢者はビクビクしています。
 それでもまだ,テレワークは定着せず,学校も休みになりません。小学校の一斉休校は反対だ,なぜなら大人達の行動は制限されていないからだ,という声もありますが,それは逆で,小学校も一斉に休む,だから学校の先生も含めて,大人たちもみんなテレワークに切り替えるべきだという主張をすべきなのです。完全テレワークへの移行期間は十分にあったはずですが,いつかリアルに戻そうという気持ちがあるから,本気で転換してこなかったのです。このことの問題点は,すでにいろんなところで書いていますし,今後も発信していきますが,DXというのは,ビジネスだけの話ではなく,私たちの生活の話でもあるという認識をなんとか共有したいものです。大学を含めた学校,医療,行政サービスなどがデジタル化されず,住民が移動をしたり,アナログ的な接触を余儀なくされたりするという状況は,どうしても変えなければなりません。
 大事なことについて果断になれない,この国の指導者階層には,失望を超えて,怒りを感じています。いつも述べるように,デジタルは万能ではありません。でもデジタル技術を使わないという選択肢は,もはやないのです。そのうえで,アナログ的な価値とどう融合するかというステップに進まなければならないのですが,いまはまだ最初のステップ段階にも来ていないのです。日本は後進国に転落していく過程にあります。別に後進国でもいいのですが,次世代の日本人が安全で幸福に暮らせるようにするにはどうすればよいかということを,私たちの世代は真剣に考えなければなりません。

2021年4月21日 (水)

長時間労働にはテクノロジーで自己健康管理

 昨日(4月20日)の日本経済新聞の朝刊で,「テレワーク残業,出社よりも長く」という見出しで,あるシンクタンクの調査の結果が出ていました。テレワークには長時間労働の懸念があるということは,これまでも指摘されていた話であり,これは重要な問題です。「在宅を中心とした勤務はメリハリがつきにくく,生産性向上が課題になることが浮き彫りとなった」ということも書かれていました。この記事をどう評価してよいかは難しいのですが,かりにもし賃金が成果型になっていれば,労働時間が長いどうかはあまり関係ありません。私たち大学研究者の仕事は,教育面では労働者そのものですが,研究面や執筆関係においては自営業的な要素(請負的要素)が強いです。この面では,極端にいえば365日,24時間働いているようなものです。完全に何も研究や執筆から解放される日はありません。寝ている間でもいろいろアイデアを模索している点では,24時間働いているようなものです。これは通常の雇用労働にはあてはまらない働き方でしょうが,雇用型のテレワークであっても,成果を追求する請負的な働き方をしていれば,やはり同じようなことになるのではないかと思います。創造的成果を目指すと,こういう働き方になるのであり(しかも創造的な成果が出せる可能性は決して高くない),これを労働時間としてカウントするとすさまじいものとなりますが,実際には途中で休憩をとったり,食事をしたり等,他のこともやっているので,別に健康を害したりしません(それでも締め切り間近に集中すると疲労困憊となります)。
 私は『労働時間制度改革―ホワイトカラー・エグゼンプションはなぜ必要か』(2015年,中央経済社)という本のはしがきに,長時間労働には良いものと悪いものとがあると書きました。創造的な成果を求めた結果,長時間労働となったというのは仕方ないのです。でもだからといって本人の健康を軽視してはいけないのですが,そこではパターナリズム的な発想は合わない(労働時間の規制は,かえって本人の創造的な意欲を阻害することになります)。だからテクノロジーをつかって,本人の自己健康管理をうまく誘導する政策が望ましい,という話になるのです。これは,すでに『会社員が消える』(文春新書)(115頁以下)でも,『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)(272頁以下)でも書いていますし,『人事労働法』(弘文堂)にまで登場する(279頁)というくらい,私のこだわっているトピックです。次の労働法学会のワークショップでも,このテーマについて報告することになりそうです。

 

2021年4月20日 (火)

自給自足の大切さ

 菅首相が,アメリカ訪問の成果の一つとして,ファイザー社のCEOと電話会談をして,ワクチンの追加供給の了承をとりつけたということを挙げていたのですが,これに違和感をもった人も多かったでしょう。私は,電話会談なら日本からでもできるだろうなんて思っていたのですが(時差はありますが),それ以上に,一民間企業に,首相がお願いをしなければワクチン供給をしてもらえないなんて,ずいぶんと情けないことだなとも思っていました。今朝の日本経済新聞の「迫真」を読んで,事情が分かってきました。ワクチン確保に向けて,厚生労働省の動きが鈍かったために,首相がすでに乗り出さざるを得なくなっていて,その後は,先方は首相が相手でなければ交渉しないという態度になってしまったのですね。
 ワクチンの自給能力のなさが,こういう情けないことになってしまったわけですが,素朴な疑問として,なぜ外国企業にできて,日本企業にできないのでしょうか。現在のワクチンの安全性がどの程度のものか本当のところはよくわかりませんが,何年もかかると言われていたワクチン開発をここまで素早くやって,実際にイギリスではワクチン接種のおかげで通常生活の再開に向かいつつあるというところをみると,どうして日本ではこういうことができなかったのかという気持ちになりますね。
 グローバル時代においても,お金さえあれば,どの国からでも商品を買えるというのは幻想であり,やはり大切なのは自給自足だということを,今回のワクチンの件で思い知らされました。食料,エネルギー,医療(ワクチンなども含む)などは,できるだけローカルに自給自足できる態勢を整えるべきなのでしょうね。もちろん自由貿易体制を維持・拡大して,広い経済圏で商品やサービスを享受するということも大切なのですが,現実の世界情勢がそういうものを難しくしているのであり,とくに国民の生命や健康に直接かかわる商品やサービスを確保するために,国がどういうことをすべきかを,よく考えていく必要があると思います。

2021年4月19日 (月)

NHK「サクサク経済Q&A」にちょっと登場

 緊急事態宣言が近づいてきて,行きつけだった飲食店の悲鳴が聞こえてきそうです(実際FacebookやInstagramへの投稿で,聞こえはしませんが,悲鳴を感じています)。ほんとうは思い切ってロックダウンを数ヶ月やったほうが経済回復は早いのでしょうが,もう遅きに失していて,いまやったら倒産が続出してしまいますね。困ったことです。何とか店には生き延びてもらえるように,できるかぎりのサポートをしていきたいと思います。いまほど,多少でも余裕がある人たちが,困っている人たちを助けるということの重要性を感じるときはありません。もちろん,それは,情けは人のためならず,です。自分だっていつ苦境に陥って助けてもらうことになるかわかりません。人間社会はお互い様の社会です。
 ところで,話は変わって,同一労働同一賃金についての一連の取材のおそらく最後となると思いますが,NHKの「サクサク経済QA」(「同一労働同一賃金」中小企業も対象になるも その実態は | NHK)に登場しています。そこに登場している長野幸代記者から,取材を受けました。たっぷりとお話をし,メールでも何度か補足しました。掲載されたコメントは,ほんの一言だけですが,こういう取材ではよくあることで,全然気にしていません。長野さんが労働問題にいっそう関心をもって,良い報道をしてくれることを期待しています。
 それともう一つ。労働経済判例速報の2439号に掲載された菅野和夫先生の論文(「『労働法の未来』への書き置き」)の注で,拙著『デジタル改革の「労働」と「法」』(日本法令)にふれてくださり,もったいない言葉をいただきました。有り難いですし,励みになります。

2021年4月18日 (日)

デジタル音痴のシニアはポストを譲るべきである

 昨日の日本経済新聞には,官僚志望が減ったとする記事と,COCOAのトラブルに関する記事が出ていましたが,この両者は関係していることではないかと思います。COCOAは,厚生労働省自体に専門知識がなく,民間企業に委託して任せっきりにしていたために,トラブルが起きてしまいました。コロナ感染対策という国民の命や健康に関わる重要な施策を,多額の税金をかけてやっているのに,無責任にもほどがあります。知識がないからどうしようもないのですが,役所内でデジタル人材が育っていないから,こういうことになるわけで,そのせいで国民に多大な迷惑をかけたわけです。私もすぐにアプリを入れましたが,これまでマイナンバーカードに関するものも含めて,政府関係のアプリを入れて,ろくなことがありません。日本政府のデジタル後進性によって,国民はどれだけ被害を受けているのでしょうか。
 私は労働政策においてもデジタル技術をふまえたものを考えていかなければならないと主張しているわけですが,厚生労働省ではとても無理であるということがわかってきました。政策レベルで実現できないことを主張するのは,むなしいところもありますが,いまや労働政策を扱っているのは,厚生労働省だけではないですから,他の役所に期待しましょうか。とはいえ,他の役所も,厚生労働省よりどれほどデジタル・リテラシーが高いかは何ともいえませんね。厚生労働省だって,もしかしたら,アナログどっぷりの上層部がいなくなったときには期待がもてるかもしれません。
 もちろん私自身だって,デジタルには大いに関心はありますが,偉そうなことが言えるほどのレベルではありません。研究者の世界でも,もっとデジタル技術をよく理解して,その可能性を活かした良き政策提言をする力のある若手がいるはずであり,そういう人が登場するのを楽しみにしています。どう考えても,20代,30代の研究者のほうが,活発に政策提言できる分野だと思っています。
 でも,研究者の世界も,行政も,上がデジタルに理解がないから,人材が育たないという面があるのかもしれません。デジタル技術を使ってもっといろいろなことをやりたいと思っている人は,古い体質の研究者の世界にも,行政の世界にも入ってこないかもしれないのです。こうした世界に有能な若手が来ない国は衰退していきますよね。「ちょっとデジタルは苦手でね」と悪びれることなく言って,上のポストに居座っているシニア世代を本気で駆逐しなければ,私たちの社会の未来はないような気がします。

メディアと首相訪米

 前に元木昌彦編著『現代の見えざる手』(人間の科学新社)を紹介しましたが,そこで出てくる19人の対談者の最後を飾ったのが内田樹氏でした。内田氏の書いたものは,いくつか読んだことがあり,学ぶところが多い方です。元木さんとの対談も良かったです。ここで,ぜひ採り上げておきたいところがあるので紹介します。
 一つは,前にも書いた「同一労働同一賃金」のマスメディア報道への不満にもつながる一節です(283頁)。

 内田 「……現実をクリアに可視化すること。それがメディアの本務なわけですが,今の日本のメディアはその責務を果たしていない。別に今起きていることについて『だから,こうしろ』と対案や運動方針を出せと言っているわけじゃない。『現実はこうですよ』と客観的に提示してほしいだけなんです。それが本来のメディアの仕事でしょう。でも,今の日本のメディアは現実を隠蔽して,政治広報的な『ファンタジー』を広めることを仕事だと思っている。そんなメディアは誰も信用しなくなる。こんなことを続けていれば,メディアは早晩,見限られてビジネスモデルとして崩壊します」

 これは政治報道のことについて語られた部分ですが,「同一労働同一賃金」という政治的ファンタジーを,現実はこうですよと提示せずに,垂れ流している現在のマスメディアにもそのままあてはまります。最近,あるマスメディアで働く若いジャーナリストに,こういうファンタジー報道をしていてはダメだと,少し活を入れたことがあるのですが,実はほんとうの問題は上層部なのですよね。
 もう一つ,今回の菅首相の訪米をみるときの視点も,内田氏は与えてくれています。安倍前首相のような,政治思想的にアメリカの統治原理を頭から否定する立場の人を,なぜアメリカが支持したかという点について,内田氏は,それは「アメリカの要求には全部『イエス』と言う」からなのだと言います。そして「アメリカにもっと国力があれば,これほど価値観の違う政権に対してはきっぱりと不快感や不支持を表明すると思うんですけれど,アメリカももう落ち目ですから,それができない。『溺れる者は藁をもすがる』です。アメリカは,どんどん国際求心力が落ちている。世界を見回しても,どんな政策についても『アメリカに全部賛成』と言ってくれるのは日本しかいない。そうなってくると,アメリカも日本は切れない」と言います(280-281頁)。
 これは201612月の対談で,アメリカはトランプ政権時代のことなのですが,現在の菅政権の訪米をみるうえでも,参考になると思います。アメリカの統治原理も変わってきているかもしれないので,現時点で政治思想的な対立がどこまであるかはさておき,なんでも賛成してくれる日本がアメリカにとって使い勝手のよい国であることに変わりはないでしょう。このオンライン時代に,対面型で会談した最初の外国首脳であり,ジョーとヨシという名前で呼び合うようになった(SNSで私的な会話をかわす仲にでもなるのなら別ですが,英語ができそうにないヨシでは無理でしょう),というようなことを,NHKは今日のニュースで,さも大切なことのように報道していましたが,テレビ東京では,いったいどんな宿題をアメリカから与えられたのかをみろといっていて,私もそのことこそ重要だと思います。
 国内の感染状況が深刻となるなか,アメリカにのこのこと出かけていって,アメリカの対中強硬政策に巻き込まれ,日本にいったいどのような得があったのでしょうか。まさか国民の多くが反対するオリンピックの成功をとりつけるため,ということではないでしょうね。

2021年4月17日 (土)

『人事労働法』を刊行しました。

 『人事労働法-いかにして法の理念を企業に浸透させるか』(弘文堂)が,昨日,刊行されました。教科書として書いたものですが,これはあくまで「私の」教科書であり,他の誰にも書けないであろう個性的な内容のものです。私自身の現時点の労働法の研究成果を凝縮したもので,労働法の全体を扱っているという点では教科書的ですが,理論体系書としての意味もあり,さらに就業規則を主役にしている点では,実践的な本でもあります。そもそも教科書にサブタイトルがついているところから変わっているのですが,それはこの本が一定の理論的・実践的な目的をもったものだからです。でも,なぜこれが教科書でもあるかというと,労働法というのは,そもそも「いかにして法の理念を企業に浸透させるか」を考えるべきであったのであり,こうしたサブタイトルをつけなければならなかったのは,それだけこれまでの労働法の教科書が,この点で不十分ではなかったのかという私なりの問題提起があるのです。
 本書では,大きなものから,小さなもので,いろいろな理論的な挑戦をしています。大きなものは,権利論から義務論へ,裁判規範から行為規範へ,強行規定から任意規定へ,といったものがあります。またこうした議論を展開するための道具概念として,「納得規範」,「誠実説明」,「標準就業規則」といった他の教科書には出てこないものが,本書では駆使されています。これらは,私の考えを展開するためには,どうしても必要だったのです。また,解釈論の大半が,「標準就業規則」におけるデフォルトをどう設定すべきか,ということに集中しているのは,本書の最大の特徴であり,本書のもつ実践的な面を示しています。つまり,本書は,企業が就業規則を作成・変更する際に,どのようにすべきかを明らかにすることこそ,今日の労働法の役割ではないのか,ということにこだわっているのです。サブタイトルには,このような気持ちも込められています。巻末に行動指針としてのフローチャートを付けてみたのも,そのためです。
 理論書としての面でいうと,いくつかの重要論点で,新説を展開しています。これまで発表していなかったものとしては,差別禁止規定の任意規定化,民法5362項の労働契約への非適用,安全就労の抗弁などがあります。年休についても義務論をベースにした再構成をしています。既発表のものですが,改めて展開したものとしては,労働時間規制に関するもの(とくに割増賃金の任意規定化),個別労働条件の非義務的団交事項化などがあります。また,立法論としても,労働者性の判断手続に関するものなどがあり,さらに第10章ではDX時代の労働法がどうあるべきかも論じています。もちろん,『最新重要判例200労働法(第6版)』で出てくる判例はほぼすべて網羅していることからもわかるように,企業人事においてアクチュアルに考慮しなければならない判例や主要な法的論点も,ほぼすべて採り上げています。
 こうしたことが300頁のなかに詰め込まれているので,読むほうは大変かもしれませんが,これまでの労働法の教科書に飽き足らないものを感じている人は,ぜひ手に取ってみてください。何か新しい発見があることは保証できます。
 そう売り込んでみたものの,編集担当者の清水千香さんには,「たぶん売れないだろうから,ゴメンなさい」と言ってあります。それでも,一人でも多くの人に本書を読んでもらいたいと,本書を世に出すべく努力してくださった清水さんには,感謝の言葉もありません。
 本書は,私が弘文堂で出した本のなかでは初めての電子書籍化もしています。これまで,DXやペーパーレスを推奨しているのに,出す本は紙媒体のものが多かったので,個人的には困ったことだと思っていました。今回は,せめて紙と電子の両方での刊行はしてほしいとお願いして,やっと聞き入れてもらいました。最新重要判例200労働法もデジタル化されれば,本書と連携できて使いやすくなると思っています。
 とにもかくにも,『人事労働法』を出せて良かったです。ただ,そのほんとうの意味は,労働法がなくなってしまう前に,労働法の理論的な教科書を書いて,自分の労働法研究者としての軌跡を残せたという安堵感です。私の真の研究領域は,もう何年も前から別の方向に移っています。弘文堂からも,すでに『AI時代の働き方と法―2035年の労働歩を考える』(2017年)を刊行しており,これはサブタイトルにもかかわらず,2035年には労働法はないであろうということを展望している本です。未開の研究領域に,どこまで踏み込めるか。チャレンジは続きます。

2021年4月15日 (木)

ヤゲウォ大学

 今日は,神戸大学が提携している,ポーランドのヤゲウォ大学の学生向けに,法学研究科が開講しているJapanese legal system というオムニバスの授業の「Labor Law1)」の講義をしました。例年は,教員がポーランドまで行って授業をやっていたそうですが,今年はオンラインということで,私はこういう外国語教育の戦力にはカウントされていないはずなのですが,人手が足りないということで駆り出されることになりました。授業時間は150分の長丁場で,オンデマンドでもできるのですが,ビデオを作成する準備時間がとれなかったので,オンライン・リアルタイム型でやりました。英語にはまったく自信がないのですが,なんとか時間をみつけて,せっせとパワーポイントのスライドをつくりました。判例の英訳は大学院生に手伝ってもらいながら,63枚のスライドをつくり,よれよれになりながら,授業を終えました。英語を150分も連続で話す(厳密にいえば,途中で5分ずつのブレイクを2回入れましたが)のなんて久しくやったことがありません。英語どころか,日本語の講義や講演ですら,最近では,それだけの時間連続で話したことがないので,終わったときは疲れ切っていました。でも,自宅でできるからこそ可能であったのであり,実際にポーランドまで行って時差ボケのなかで150分授業をやれと言われても,もうやる自信はありません。10年程前にイタリアのBocconi大学で,たしか5日間連続,毎日180分の講義をやったことがありました(イタリア語でやったか,日本語でやったか忘れました)。最初の3日分くらいは準備できていたのですが,イタリアに行く前に風邪を引いて熱が出てしまい,イタリアに行っても完治していなかったため,最後の2日分は準備ができず,結局,パワーポイントもなにもつかわず,ホワイトボードを使いながら乗り切った記憶があります。体力が回復したので,なんとかなったのですが,ああいうことができる力があったときのことが懐かしいです。
 今日の授業は,日本型雇用システムの説明を中心に行い,それと関連付けて日本の労働法の話をするというもので,最後は,ギグ・ワークの話など新しいトピックも盛り込んで終わりにしました。学生はビデオオフだったので,反応はよくわかりませんでしたが,終わったときに何人かから「Nice lecture, thank you, professor」と言われて,多少は苦労も報われた感じがしました。
 それにしても,行ったこともないポーランドの,アルファベットで書かれていても名前がうまく読めない学生たちを相手に,神戸の自宅のいつもの仕事机においているパソコンに向かって話しながら授業をやるというのは,とても不思議な感じですが,大学の講義はやはりムーブレスでMOOC(Massive Open Online Course)でよいということを再認識できた気がしています。
 ちなみに今日は,時間割上は,通常の学部の講義もある日でしたが,こちらはオンデマンド型で,3日前に動画収録をしていました。こういうように調整できるのも,オンライン型のよいところですね(学生も好きなときに視聴しているでしょうし)。

2021年4月14日 (水)

入学式は必要か

 新型コロナウイルス感染症の影響は,大阪府と兵庫県が突出しています。兵庫は,日本海と瀬戸内海に接する広大な県ですが,コロナは南のほうに集中しているはずであり,神戸やその近隣都市は,数字以上にかなり危険な状況になっています。うちわ会食といった的外れなことをやっているようではダメですし,結局,国も県も有効な対策をとってくれていないような気がします。一番の対策は,人が動かないようにすることであり,そのなかで,どのようにして,これまでと同じような生活や仕事を継続できるかということを考えるべきなのですが,1年経っても,大きな改善が進んでいないのです。1年前からデジタル化に取り組んでいれば,ずいぶんといまの状況も変わっていたかもしれません。いまからでも遅くないので,1年後もコロナと戦っていることを想定して,対策に取り組んでほしいです。
 大学でも,文科省が対面型授業を重視するという方針をとっているせいでしょうか,状況は改善していません。いくら対面型重視といっても,学生やその家族から感染者が出れば,対面型授業の継続はできないでしょう。感染者がまったくでないで,セメスターを過ごすことなんて無理です。結局,感染者がでるたびに授業はリモートに切り替えることになるのであり,それなら,最初からリモートでやり,リモートにあった教育態勢で臨むほうが,最初は大変ですが,最終的には,教育効果も上がることになるでしょう。
 入学式に参加できてよかったという話もよく報道されていますが,入学式なんて,そもそも大学教育にとって本質的なものではありません(紙を棒読みのありふれた祝辞なんて聞かされても,有り難みも何もないでしょう)。大学入学を喜ぶ学生や親御さんの気持ちはわかりますが,大学に何をしに来ているかを考えると,入学式にどれだけの価値があるかに疑問を感じることができると思います。それに,大学に入ることだけでは,あまり意味がない時代が来ていることも知るべきです。
 コロナ禍は,なにが自分たちにとって最も大事なものであるかを再認識する機会となりました。そのなかで人の接触という対面の良さをあらためて感じることもあります。一方で,漫然とこれまでやっていたけれど,無駄なことではないか,というものも見えてきたような気がします。これまでやっていたことを見直し,残すべきものは残し,変えるべきものは変えるという選択をする機会だと思います。入学式は変えるべきものの一つでしょう。会社の入社式も同様であり,こういうことを盛大にやっているような会社は10年後は,存在しない会社だと思います。ただ,その主たる理由は,新卒一括採用をいつまでもやっているような会社ではダメだということですが。

ビジネスガイドの最新号のテーマは「ジョブ型」

 ビジネスガイドで連載している「キーワードからみた労働法」の最新号で,「ジョブ型」を採り上げました。JILPTの濱口桂一郎さんの「ジョブ型」と「メンバーシップ型」という区分は,すっかり定着して,一般用語化していますね。諏訪康雄先生の「キャリア権」もそうでしたが,当初の意味から徐々に離れて一人歩きをし,論者が各々に定義して使い始めるようになっているのですが,それは,それだけその概念が世間に受け入られたということを示しており,その意味では大成功なのだと思います。
 もっとも,そういうものであるだけに厳密な議論をする場合には,「ジョブ型」にしろ,「キャリア権」にしろ,それをどういう意味で使うのかということを明確にしておかなければ,議論がかみあわないことになります。とくに「ジョブ型」をめぐる議論は,最近迷走しがちでした。そこで,私がかつてアドバイザーをしたこともある,経団連の経営労働政策特別委員会の報告書も参照しながら,経営側がどのようにジョブ型という概念を使おうとしているのかを追ったうえで,理論的にみると,職務を中心とした雇用システムとはどのようなものになるかの解説も試みています。
 ところで,今回は,読者からの「ジョブ型」をとりあげてほしいというリクエストに応えたものでした。初めての試みです。いただいたリクエストにすべてお応えできるわけではありませんが,労働法に関係しているもので,1回のテーマにできるようなものであれば,そのまま採り上げますし,やや小さいテーマでも,コラムなどで解説してみようと思っています。もしリクエストがあれば,日本法令の雑誌編集部のほうにご連絡ください。

2021年4月12日 (月)

松山マスターズ優勝

 松山英樹のマスターズ優勝は感動しましたね。私は,ゴルフをまったくしませんが,昔はよく戸張捷の解説でゴルフをみていました。日本人のメジャー大会への挑戦といえば,私が印象的に残っているのは,1986年の全英オープンのときの中嶋常幸でした。最終日には2位で,日本のマスコミは大いに騒いでいました。イギリスの寒そうなところで,最終日が始まったのを覚えています。中嶋は,日本のために頑張るという趣旨のことを語っていて,どことなく悲壮感がありました。結果は,大崩れして8位だったのですが,やはりメジャー大会を征するのは大変だと思ったものです。あれから35年も経つのですね。松山英樹がついにマスターズを征しました。3日までで単独1位で,最終日に,最終組で回るのは大変な緊張だったと思いますし,最後はボギーが続いて1打差まで追い上げられましたが,逃げ切りました。といっても,最終18番では1ボギーをたたいても勝てる差がついていたので,そこではかなり安心できる状況でしたが,2打目がバンカーに入ったときはドキドキしました。私はリアルタイムではみていませんでしたが,あとでみてもハラハラしました。解説の中嶋常幸が泣いていましたね。実況のアナウンサーも泣いていました。おじさんたちが放送で泣けるくらいすごい快挙です。松山が英語で話さないのは困ったものという気もしましたが,アメリカ人が温かく彼を祝してくれてよかったです。やればできる,というほど甘いものではないでしょう。才能に恵まれても,努力と運がなければ勝てません。今日も,13番で木にあたった球がフェアウェイのほうに戻ってきましたね。1987年の全米オープンで,中嶋は途中までトップにいたのに,木にあたった球が落ちてこずにロストボールになるという不運で,その後,崩れてしまいました。これまでも日本人がメジャー大会では何度も跳ね返されて,松山も苦しんできたのですが,今日は運も味方につけて乗り越えました。ほんとうに良いものを見せてもらいました。感動をありがとうと言いたいですね。

2021年4月11日 (日)

ドイツの労働政策の動向

 ドイツの労働政策の動向について,現在はJILPTの山本陽大さんの精力的な研究発表のおかげで,ドイツの情報を,ほとんどタイムラグなしに,しかも日本語で入手できるので助かります。外国法の状況は,これまでは研究者の問題関心によるところが大きいので断片的なものとなることが多く,しかも多少のバイアスもかかってくるので,結局は自分で確認せざるを得なくなることが少なくないのですが,山本君の登場から,そういう心配がなくなりました。これはJILPTという政府系の調査研究機関の存在意義を高めるもので,JILPTに重要な貢献をしていると思いますね。
 今回,彼からいただいたのは,『労働政策研究報告書 No.209 第四次産業革命と労働法政策―“労働4.0”をめぐるドイツ法の動向からみた日本法の課題』です。第4次産業革命という言葉の生みの親であるドイツにおける,技術革新と労働政策については,これまでも彼自身がたびたび調査報告してくれていますが,今回も最新の動向を知らせてくれました。どうもありがとうございました。職業訓練政策が重要視されていることや,ギグワーク的な働き方(クラウドワーク)の労働者性が問題となっていること,個人情報保護が問題となっていることなど,たいへん示唆的です。
 私自身は,労働者性の問題は,最終的には立法論的解決しかないと考えており,自分のなかでは決着が付いているのです(拙著『人事労働法』(弘文堂)86頁を参照)が,その他については,拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」―真の働き方改革とは何か?』(日本法令)の最終章で,相互に連関する課題として,個人情報保護,プライバシーと差別,格差(デジタルデバイドなど),教育を挙げています。ドイツの議論と交錯するところもあるので,今後,彼からいろいろ教わりながら,私自身の政策提言のブラッシュアップに努めていきたいと思います。
 また同君からは,他の若手研究者と行なったドイツ法の翻訳の資料をおさめた,JILPTの資料シリーズNo.238の『現代ドイツ労働法令集 Ⅱ ―集団的労使関係法,非正規雇用法,国際労働私法,家内労働法』もいただきました。これだけの基礎資料がそろうと,ドイツ労働法の研究は,とても助かりますね。今後はこうした情報を活かした立派な理論研究が出てくることでしょう。
 私の目につくものに偏りがあるのかもしれませんが,なんとなく比較法のすぐれた情報がドイツ法に傾きすぎている感じもしますね。JILPTでは,比較法というと,独仏英米となりますが,質的にも量的にも,ドイツ法が圧倒しているような気がしています。今後はもっと他国の情報も広がってくれればよいのですが。

2021年4月10日 (土)

労働組合をめぐる日米の違い

  今朝の日本経済新聞で,「米アマゾン・ドット・コムが南部アラバマ州で運営する物流施設で労働組合結成の是非を問う従業員投票があり,反対多数で否決した」という記事が出ていました。詳細はよくわからないところがあるのですが,排他的交渉代表権限を得るための選挙がなされたということでしょう。アメリカでは,この組合化(unonization)をめぐる選挙が,労使のたいへんな攻防となることがよくあります(日本の労働組合がいとも簡単に団体交渉権を得ることができるのと大きな違いです)。
 アメリカの労働組合は,単に結成しただけでは,使用者と団体交渉をすることはできません。使用者が任意に応じてくれればともかく,そうでないかぎり,一定の交渉単位(NLRBという日本の労働委員会に相当する機関で決定する)の範囲で,選挙を実施して過半数の支持を得なければなりません。その選挙の実施を申請するためには,30%以上の支持の署名を得ていなければなりません。選挙が実施され過半数の支持を得た労働組合は,当該交渉単位において,排他的交渉代表権限を得ることができます。その労働組合に投票をしなかった従業員も,その交渉代表権を得た労働組合によって代表されます。
  こうした独特の制度があることを知らなければ,アメリカの労働組合の話はよく理解できないでしょう。日本では,過半数を得なくても,いかなる労働組合であっても団体交渉を申し込むことができます。排他的交渉代表権をもつ労働組合はありません。また労働組合が,組合に加入しない従業員を代表するということもありません(締結された労働協約が,一定の要件を得れば,非組合員にも適用される一般的拘束力という制度はありますが)。
 排他的交渉代表権をもつアメリカの労働組合は,当該交渉単位におけるいわば公的な代表というイメージです。自らを支持していない従業員の利益も公正に代表しなければなりません。これが公正代表義務と呼ばれるものです。
   日本の労働組合法制は複数組合主義であり,組織原理としては,私的な任意団体とみるべきものです。アメリカは,労働組合の結成自体は複数組合主義的ですが,実際に団体交渉という場面になると違っています。アメリカ法の影響を受けた日本の研究者は,労働組合をアメリカ風に公的団体ととらえて解釈論を展開する傾向にあります(公的団体論については,拙著『労働者代表法制に関する研究』(2007年,有斐閣)の118頁も参照)。例えば,過半数の支持を得ていない少数派労働組合が,団体交渉ができることについて疑問をなげかける見解がそれです。しかし,これまでの憲法解釈上は,少数派の団体交渉権を否定する解釈はとれないとされています。もっとも,就業規則の意見聴取を受けたり,三六協定の締結をしたりする過半数代表の地位には,少数派労働組合はつくことができないのであり,アメリカ的なmajority rule の発想が,労働組合法ではなく,労働基準法において認められているのは興味深いです。
  なお,アメリカ法の交渉代表制度の正確な説明については,中窪裕也『アメリカ労働法(第2版)』(2010年,弘文堂)104頁以下で,ぜひ確認してください。

 

 

 

阪神が好調

 今年は久しぶりに阪神タイガースが気になるシーズンになりました。今年の阪神は,藤波が投げ,佐藤が打つというのが新たな売りになるということを示すような,今日のDNA戦の快勝でしたね。
 今日はとくに,ルーキーの佐藤輝明の超特大場外ホームランで盛り上がりました。佐藤は,打率は2割に届いておらず,三振も多いのですが,ホームランの魅力があり,打っても打たなくても,佐藤をみたいというファンが多いと思います。こういう日本人選手は,ほんとうに阪神では久しぶりではないでしょうか。身体も大きいですが,桁違いのスケールで,オーラがあります。ドラフト2位の伊藤将司も,開幕からローションに入っていて,先日は新人の勝利1番乗りを果たしています。井川の再来という感じでしょうかね。さらにドラフト6位の中野も1軍に定着で,欠かせない選手になっています。糸原と似たタイプですが,社会人出身の即戦力ルーキーで期待がもてます。これだけ新人が活躍すると監督も助かりますよね。長年阪神を支えた鳥谷はすでにロッテに移り,今年から福留や能見も移籍して,少し前までベテランに頼っていた阪神は大きく様変わりしました。佐藤は外せない選手になっていて,今年は陽川も好調なので,糸井の出番がありませんね。これが長年願っていた世代交代です。投手陣は,あまり期待していなかった藤波が完全復活し,これまで好投しても勝ち星がなかったのが,今日,ようやく1勝がつきました。藤波⇒青柳⇒ガンケル⇒西⇒伊藤⇒秋山の6本柱は安定していて,これに高橋遥人が戻ってくれば,もう先発陣は十分です。このほかにも,外国勢は,打撃陣のマルテやサンズは好調ですし,おさえのスアレスも良さそうです。以前は先発要員であった岩貞をなかつぎにし,岩崎も好調のようなので,そんなに連敗しそうにない陣容が整いました。
 ついでに将棋の話をすると,今日,叡王戦の段位別の八段戦で,藤井聡太二冠が広瀬章人八段と戦ったのですが,藤井二冠が強すぎました。あっという間に相手玉を寄せてしまい,バリバリのA級棋士の広瀬八段を圧倒しました。これで18連勝です。その間に勝っている相手には,渡辺名人や豊島竜王も含まれていて,いよいよ無敵状況になってきましたね。誰が止めるでしょうか。

2021年4月 8日 (木)

名人戦始まる

 将棋ファンにとっては,春といえば名人戦です。昨日から名人戦が始まりました。ただ,その前に,将棋界に激震が走りましたね。ハッシーこと橋本崇戴八段が,家族の問題から引退しました。棋士が,加齢で弱くなったわけでもなく,健康上の問題もないのに,引退というのは異例のことではないでしょうか。残念です。
 女流で男性棋士にバンバン勝っている西山朋佳女流三冠は,奨励会を退会しましたね。プロ棋士にあと一歩のところまで来ていたのですが,限界を感じたのでしょうか。里見香奈さんもそうでしたが,女流棋士ではお互いにしか負けないくらい強い二強ですが,それでもプロ棋士の四段になれないというのは,厳しいですね。女性で初のプロ棋士はいつ誕生するでしょうかね。西山さんと里見さんは女流の世界で覇を競いことになるでしょう。
 名人戦に話を戻すと,名人初挑戦の斎藤慎太郎八段が,渡辺明名人との第1局で,途中までは名人ペースで勝勢というところまでいっていたのですが,粘りに粘って,自陣に金や銀をペタペタ打って要塞を築きながら,名人の攻め駒であった龍を消し,馬も追いかけながら,最後は相手の鉄壁であった穴熊を崩し,見事に勝利を収めました。ただ初戦は,名人も相手のお手並み拝見というところであったのかもしれません。ここからが強いのが渡辺名人です。第2局以降も楽しみです。個人的には,斎藤八段に,名人位を関西に持ち帰ってほしいです。
 その他の棋戦では,藤井聡太王位への挑戦を争っている王位戦の挑戦者決定リーグがかなり進んでいます。紅組は,木村一基九段,豊島将之竜王,澤田真吾七段が31敗で並んでいます。現在,斎藤八段は2敗ですが,まだチャンスはあります。白組は羽生善治九段が3連勝で走っていますが,永瀬拓矢王座が2連勝で,2人の直接対決が残っているので,羽生有利とは言い切れません。ただ,若手に囲まれるなか羽生九段の頑張りが目を引きます。もう一つ,同じく藤井聡太二冠がタイトルをもつ棋聖戦では,決勝トーナメントで4強がそろいました。準決勝は,永瀬王座対中村大地七段,そして山崎隆之八段対渡辺名人です。順当なら渡辺対永瀬の決勝となりそうで,そうなると王将戦の再来となりますが,ここはA級棋士となった山崎八段の意地をみたいところです。

2021年4月 7日 (水)

公務員の定年延長法案は批判されるべきものか

 今朝の日本経済新聞で,「官優遇の定年延長では困る」というタイトルの社説が出ていましたが,その内容には首をかしげるところもありました。民間では定年後の雇用確保義務はあるが,定年年齢は60歳でよいことになっており,実際に60歳定年が多いのに,公務員だけ定年を65歳に延長するのは「民間を大幅に上回る待遇を公務員に与える」異例のもので,よくないという批判なのですが,この改正案は,給与についてまで保障していると言っているわけではありませんし,役職定年の導入も考えているようです(siryou1.pdf (cas.go.jp))。むしろ民間の事業主に高年齢者雇用安定法の改正で65歳を超え70歳までの就業確保の努力義務を課していることもふまえると,公務員について率先して定年を65歳に引き上げる(改正後の国家公務員法81条の62項)のは,望ましいものと思えます。もともと公務員の定年延長は,天下りを減らすことにもつながるので,望ましいこととされてきたように思います。昨年の検察官の定年延長問題で,何となく定年延長の話がうさんくさいものとなってしまいましたが,あれは特定の個人に対する優遇が関係する特殊な事例で,それとは区別して考えるべきなのは当然です。
 この社説では,民においてなかなか定年延長が進まないのに,官が先行するのは不公平だということを強調したいようです。でも,民がなかなか進まないからこそ,官が率先してやることに意味があるという見方もできるでしょう。むしろ,テレワークのように,官が率先してやらないから,民も進まないということもあるのです。もしテレワークを官が率先してやったら,これも官優遇ということになるのでしょうか。そういうことではないと思います。
 公務員の定年延長がよくない理由として,公務員が多すぎて困るというようなことであれば,わからないではありませんが,現在の国家公務員の過労状態をみると,むしろ人員不足と言うべきでしょう。国家公務員の現状をみると,今後,優秀な若者が国家公務員になりたがらない可能性もあり,それへの配慮も必要です。定年延長がそのための解決になるとは思いませんが,公務員も民間並に,あるいは民間以上に長期に働けるというのは,それなりのアピールになるのではないでしょうか(もちろん,長期安定雇用を期待して公務員を志望する者ばかりになるのも困るのですが)。私たちは,公務員に良い人材が集まるためには,どうすればよいかということを,常に考えておくべきです。公務員に良い人材が集まらないような国や地方に未来はありません。高級役人には腹立たしい人やイヤな奴もいるでしょうが,それとこれとは話は別です。以上の理由で,私は公務員の定年延長には賛成したいですし,その一方で,問題のある公務員(とくに高級公務員)についての処分は厳正にすべきで,そういう公務員に対しては雇用保障への配慮は不要だと考えています。

2021年4月 6日 (火)

川口美貴『労働法(第5版)』

 大学の事務から,小包サイズの書籍が届いたという連絡があり,どんな巨大な本なのかと思って,本日大学に行ったら,川口さんの『労働法』(信山社)の第5版でした。前に第4版をいただいたばかりだったので,想定していませんでした。重厚長大化する労働法の教科書の配送はたいへんなコストがかかっているのではないかと心配です。
 それはさておき,ほんとうに,いつもお気遣いいただき,有り難うございます。まずは旧労働契約法20条に関する最高裁判決が追加されたということなので,お説拝聴しました。もともと私とは考え方がまったく相容れない論点なのですが,あまりにも立場が違いすぎるので,コメントが難しいです。
 第5版が出て困ったのは,私は『人事労働法』において,川口さんのこのご本を,数少ない略語使用する頻出文献に入れ,第4版の頁で引用していたので,いきなり拙著の情報が古くなってしまったことです。引用していた部分が改説されていないかのチェックもしなければなりませんが,その点は,拙著が増刷されることがあれば(たぶんないですが),そのときにさせてもらえればと思います。
 ところで拙著では,文献の引用はかなり絞ったため,なんで私のものがあがっていないのか,というお叱りを受けるかもしれません。とくに教科書・体系書は,比較的新しいもので単著に限定したため,菅野和夫『労働法(第12版)』,荒木尚志『労働法(第4版)』,土田道夫『労働契約法(第2版)』,西谷敏『労働法(第3版)』,水町勇一郎『詳解労働法』と,それと川口『労働法』だけに絞りました。もっと思い切って絞るならば,菅野『労働法』と西谷『労働法』だけでよいのですが,これではちょっと狭すぎるだろうということで,手堅い通説として荒木『労働法』,新たな通説的立場を狙いつつあり,かつ何でも書いてある水町『詳解労働法』,個性ある体系書の香りが強い土田『労働契約法』,独自の世界で突っ走っている川口『労働法』をそろえれば,現在の労働法学説の全体を知るのに必要な最小限のものはそろっていると判断を下しました。もちろん,このほかにも参照すべき水準の高い体系書としては,野川忍『労働法』(日本評論社)がありますし,個別法では,下井隆史『労働基準法(第5版)』(有斐閣),(個別法と違い古いものでも色あせない)集団法では,山口浩一郎『労働組合法(第2版)』がありますが,これらは紙数の都合もあり個別の参照にとどめています(ただし,山口『労働組合法』は,拙著では特別な位置づけであり,それは「はしがき」を読んでいただければわかると思います)。またとくに引用はしていませんが,参照した重要文献として,山川隆一『雇用関係法(第4版)』があります。労働法の教科書であれば,石井照久『労働法』,石川『労働組合法』,片岡『労働法』,久保=浜田『労働法』,中窪=野田『労働法の世界』,安枝=西村『労働法』,渡辺章『労働法講義』あたりは,最低限掲げておくべきなのでしょうし(ただし,石川『労働組合法』は参考文献で言及しています),その他にも挙げるべき教科書や体系書はあるでしょうが,拙著の性質上(その意味は,拙著を読んでご判断ください),あえて挙げなかったことをお許しいただければと思います。

 

 

2021年4月 5日 (月)

「いただきます」と「Buon appetito」

 イタリアで,数人で食事をするときには,お互いに「Buon appetito」と互いに言います(フランス語でも,ほぼ同じ音)。よくイタリア人から,日本語では,この場合に何と言うのかと聞かれて,しかたなく「いただきます(itadachi-masu)」と答えるのですが,これは言葉の意味としては対応しておらず,たんに食事の最初に話すところが同じというだけです。イタリア語の意味は,直訳すると「良い食欲を」という身も蓋もないものとなりますが,食事を楽しんでね,というくらいのニュアンスでしょう。互いにそう言い合うのです。仕事途中にBarでコーヒーを飲みに行く同僚に「buon caffè」と声をかけるのも,コーヒーを楽しんでね,という感じでしょう。仕事に行く友人に「buon lavoro」と言うのは,「がんばってね」というくらいのニュアンスでしょうか。みんな声をかければ,にっこり「Grazie(ありがとう)」とか,「Altrettanto(君もね)」とか返してくれます。
 とにかく「Buon appetito」は,「いただきます」とは意味がまったく違うのです。「いただきます」は,その場にいる人に対してではなく,食材をつくってくれた人に対して言うものでしょう。具体的には,通常,農家の方の勤労に感謝した言葉となるでしょう。あるいは調理をしてくれた人に対して言ってもよいような気がします。家族が,食事をつくってくれたお母さんに感謝して「いただきます」と言う感じです(ジェンダー的に,こういう文章はダメかもしれませんが,私の場合は多くは母が食事を作っていたので,許してください。なお,私もファミマの「お母さん食堂」は,ちょっと気になるなとは思っています。商品として売り出すときのネーミングには気を付けましょう)。
 でも一番感謝しなければならないのは,私たちが生きるために,命を落としてくれた生き物に対してでしょう。とりわけ肉を食べるときがそうです。最近では,動物である私たちは,光合成ができる植物と違って,生き延びるためには動かなくていけないのであり,人が動くと書く「働く」は,動物である人間の宿命を表している,というようなことを,よく言っています(拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)の34頁でも触れています)。これは語源がそうであるというような厳密な議論ではないのですが,話の枕として使っています。私たちが,動物の宿命として,食物を狩猟・採集したり,耕作したりするという「労働」をしなければならないのは,確かです。ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』(河出書房新社)では,ホモ・サピエンスは,農業革命以降,小麦にしてやられたと指摘していて,それは種のサバイバルという点では,そのとおりです(小麦は人間を使って大躍進した)が,一粒ずつの小麦は,私たちのために命を落としているとも言えそうです。植物はともかく,動物となると,それはいっそうリアルなものです。牛や鶏は哀れなものです。人間は動物にずいぶんとひどいことをしてきています。たんに食べるだけではなく,家畜化したり,人間に都合の悪いものを殺して,都合のよい遺伝子をもつものだけを残したりしています。この悪行へのお詫びや贖罪として,せめて「いただきます」という感謝の言葉はかけましょうと言いたいところで,日本語には,よい言葉が残っていると思います。これは子どもたちにも,しっかり伝えていきたいですね。 
 宮沢賢治の「注文の多い料理店」は,人間に食べられる動物への感謝を忘れるとどうなるかを教えてくれる作品です。Cotoletta alla Milanese (ミラノ風カツレツ)を3500円で食べるということは,どういうことなのかを考えさせられてしまします。私は大好物ですが,でも「いただきます」の精神は忘れてはいけませんね(Vegetarian や Veganには慣(×⇒な)れないので,中途半端ですが)。「注文の多い料理店」は,現代人が必ず読まなければならない本です。

2021年4月 4日 (日)

高橋賢司他『テキストブック労働法』

  高橋賢司・橋本陽子・本庄淳志『テキストブック労働法』(中央経済社)をいただきました。お気遣いいただき,ありがとうございました。とても爽やかな装丁ですね。著者3人の組み合わせは,私には意外な感じですが,どういう接点があったのでしょうね。編集者の露本さん(私は,解雇,労働時間制度,非正社員の『改革』3シリーズを出すときに,お世話になったことがあります)が,引き合わされたのでしょうかね。もちろん3人は,ドイツ法を専門としており,そこに共通性があります。橋本さんと高橋さんは,橋本編『EU・ドイツの労働者概念と労働時間法』(信山社)に高橋さんが参加していますね。
 3人は,それぞれ解雇,労働者概念,労働者派遣のエキスパートであり,どちらかというと専門書執筆タイプのように思われるのですが,分担して概説書を書くということで,そこからどういう相乗効果が出るのか楽しみです。ただ概説書となると,腕のうるいどころがあまりないのも事実で,本書でもどうも「コラム」あたりで独自色を出すということにしているのかな,と思いました(概説書としてはややマニアックな外国法の話が出てきたり,団体法の箇所のコラムで団体法に関係ない話が出てきたりで,コラムはかなり個性的です)。
 3人で知恵を結集させることにより,穴のない穏当なものとなるのが共著のメリットでしょうね。私の『人事労働法』(弘文堂)のように,一人で書いて自分の個性を縦横無尽に出してしまっている拙著とは対照的な感じです。

 

 

 

2021年4月 3日 (土)

池田心豪『仕事と介護の両立』

 佐藤博樹・武石恵美子責任編集の「ダイバーシティ経営」のシリーズで,今度は,池田心豪『仕事と介護の両立』(中央経済社)をいただきました。どうもありがとうございました。私のような者にまでお気遣いいただき感謝します。
 JILPTの主任研究員である池田さんの話は,以前にJIRRAの研究会でお聞きしたような記憶があり,ブログでも採り上げたような気がします。介護と労働の問題については,すぐに名前があがる方だと思います。
 育児介護休業法は,文字どおり,育児と介護を並列しており,休業をはじめとする様々な保障内容もほぼ相似形ですが,池田さんは,育児と介護は違うのであって,介護はそれ特有の問題に合わせたアプローチをしなければならないと主張されています。育児や介護を,企業にとって福利厚生の延長上のもので,それが法制度化されたものにすぎないという捉え方をすれば,両者は同じようなものとして一括りできるのでしょうが,育児や介護に関する社会的な課題をどう解決するかという観点からみれば両者はかなり問題状況が違っており,企業としても,そういう違いをふまえてワーク・ライフ・バランスや両立支援の実現をしていかなければならない,ということでしょう。
 実は私が今回刊行した『人事労働法』では,ワーク・ライフ・バランスの章のなかでは「育児・介護」として一括して扱っていますが,これは法的な観点からのものであり,拙著のもう一つのメッセージである企業の社会的責任(CSR)という観点からは,従業員のニーズに合った踏み込んだ企業の対応が必要であり,育児と介護を簡単に一緒にしてはいけないという話につながると思います。
 もっとも,介護については,そもそも従業員が個人で負担をしなければならないという事態を改善する必要があるという論点もあります。池田さんの本にも出てきますが,介護の場合は,育児と違い,仕事を継続しながらもできることが多いが,そのときにはプレゼンティズムの問題が出てくるのです。仕事の能率の低下です。また,夜泣きで起こされてしまって,翌日の仕事に支障があるというのは育児でも起こるのですが,育児の場合はいつかは終わるという出口がみえているのに対し,介護は出口がみえないところに大きな違いがあるという池田さんの指摘は,そのとおりだと思います。最近のように高年齢で子どもをもつことが出てくると,育児と介護が同時に及んでくることもありますので,そうしたときの介護はほんとうに大変です。介護の社会化が進み,介護休業をとる必要がなく,また介護離職せざるをえないような事態も起こらない社会になることを願いたいですね。
 介護には,これからの労働需要の増大が必至ということで雇用政策・産業政策的にも注目される面がありますし,ロボットなどのデジタル技術の活用が大いに期待されるという面もあります。さらに外国人労働者の活用への期待も大きいなど,労働政策上の重要論点と多面的にかかわっています。それに加えて,自らが介護をする場合においても,テレワークが有効であるという点で,現在の最優先の政策課題の一つにも関係してきます。
 いずれにせよ,経営戦略という狭い面だけでなく,幅広い政策課題の観点から考える際にも,まずは池田さんの本を読んで,しっかり勉強しておく必要があるでしょうね。

2021年4月 2日 (金)

宴会はやって大丈夫なのですね?

 一昨日の菅首相の記者会見で驚いたのが,記者から,「まん延防止等重点措置」がうまくいかなかった場合に,緊急事態宣言を再度発する予定はあるのか,という質問に対して,そういうことにならないように努力するという発言で押し切ったことです。うまくいかない場合のことを考えて,どういうプランがあるのかについて説明してもらいたかったのに,そういう発言がなかったことは,この人は失敗をしないことを前提に危険に突進してしまっているのではないか,という疑問が出てきました。こういう無謀なリーダーが,どれだけ危険かは歴史をみれば明らかです。いずれにせよ,この首相には,国民に向き合って誠実に答えるという姿勢が根本的に欠けています。こんな人がコロナの司令塔であっては困ります。残念ですが,即刻辞めてもらうべきでしょう。私は,あまり軽々しく,辞めろ辞めろというのはよくないと思っていますが,コロナの問題はちょっと違います。国民の命や健康がかかわっていることなので,きちんとした人にリーダーになってもらわなければ困るのです。
 厚生労働省の宴会問題も論外です。この役所にも立派な人はいると信じたいですが,組織が緩んでいるのでしょうね。この問題については,国民が我慢しているのに,自分たちだけ大人数で遅くまで宴会するのはズルいというような見方もあるのですが,むしろ大人数で遅くまで宴会しても大丈夫という間違ったメッセージを出してしまったことのほうが,罪が重いように思います。厚生労働省の役人だから,感染のリスクのことはわかっているはずです。1回くらいの歓送迎会なら,たとえ23人集まっても,また夜中までやっても,大丈夫というメッセージを国民に与えてしまったのです。国民は,花見もできない(実際には桜の下で三密が起きていますが),歓送迎会もできないということにフラストレーションをためています。心のなかには,ちょっとくらいなら大丈夫ではないか,という気持ちがあるので,そこにうまい大義名分があれば,それを口実にして,どうしても緩んでしまいます。緊急事態宣言の解除は,そうした大義名分となってしまいました。そして,厚生労働省の役人もやっているということも,大義名分になりかねないのです。
 神戸市は,全国的にも,かなり危険な状況にあるにもかかわらず,少なくとも窓からみえる昼間の風景は,コロナ前とほとんど変わりがありません。さすがにマスクはほとんどの人がしていますが,老若男女を問わず,人混みは変わっていないようにみえます。これでは感染はなかなか下火にならないでしょう。ワクチンもいつ順番が回ってくるかわかりませんし,こうなると,もう1年は辛抱という覚悟をもつ必要がありそうですね。もちろんオリンピックをやるなんて正気の沙汰ではないでしょう。

2021年4月 1日 (木)

知的怠慢?

 産経新聞に登場したのは,昨年7月以来です。今日から,短時間有期雇用労働法のいわゆる「同一労働同一賃金」の規定が中小企業にも施行されるということもあり,それにちなんでということでしょうか,「知論考論」に,このテーマに関するインタビュー記事が掲載されました。もう一人は,経済学者の橘木俊詔先生でした。インタビュアの黒川さんはよく勉強されていて,1時間くらいの電話でのやりとりでしたが,話しやすかったですし,今回の記事も要領よくまとめてあると思いました。
 ところで,「同一労働一賃金」は,いまだに「同じ仕事をすれば,同じ賃金がもらえる」という紹介の仕方を,ほとんどのマスメディアがしており,今回の産経新聞の記事も解説のところでは,その趣旨のことが書かれていました。しかし,そもそも日本の雇用社会で,そんなことが実現できるはずがないという疑問を,マスメディアの人はもたないのでしょうかね。そうした疑問をもたずに,法改正で「同じ仕事をすれば,同じ賃金がもらえる」ことになったという紹介の仕方をし続けるのは,知的怠慢と言うべきでしょう。正社員とパートが同じ仕事なら同じ賃金なんてことは,日本ではそう簡単にできるはずがないのに,これは一体どういう話なのか,という疑問をもって,そこから真実を確かめようとするべきなのです。簡単に言葉に踊らされてはいけません。この問題については,条文をみればよいだけです。一般の方は条文を読むのは大変でしょうが,少なくともマスメディアでこの問題を専門的に報道しようとするのであれば,条文をみてもらうしかありません。そうすると,どこにも同一労働について,同一賃金を支払うなんて話は出てこないことに気づくでしょう。
 そもそも問題となる短時間有期雇用労働法8条は,賃金だけに関する規定ではありません。それに格差が不合理であってはならないとしているので,不合理でない格差は適法です。不合理かどうかの判断は,職務の内容,職務内容や配置の変更範囲(人材活用の範囲),その他の事情のうち,当該待遇の性質および当該待遇を行う目的に照らして適切と認められるものを考慮して判断するとされており,職務の内容(これは責任の程度も含む概念です)が同一であるからといって,賃金やその他の労働条件が同一になるという規定ではまったくないのです。政府がつけた同一労働同一賃金というネーミングに振り回されて,「同じ仕事をすれば,同じ賃金がもらえる」という情報を垂れ流し続けることは,非常に問題であると思います。
 「同じ仕事をすれば,同じ賃金がもらえる」という原則に振り回され,何が同一労働か,何が同じ仕事か,ということが大切だという方向に議論を展開していく人もいるのですが,これは原理論をするのであればともかく,現行法の規定に則した議論としては的外れなものといえます。それに,現行法は,同一労働に従事していなくても,同じ賃金(手当)を支払うように求めることができるとする解釈が,最高裁でも認められているわけで,その意味でも,「同一労働同一賃金」ではないのです(手当の趣旨や性質から,正社員だけでなく,パートにも支払うべきものかを問題とするので,同一労働ということとは関係ないのです)。
 というようなことは,もう何年も書いてきていることですが,まったく理解が浸透していないのは,もちろん私の影響力のなさもあるのですが,ここまでくると,多くの専門家たちの意図的な沈黙(世間は誤解していてもいいという態度?)やマスメディアのレベルの低さ(政府のスローガン的な言葉に,あっさりひきずられてしまう)といったことも,ひょっとしたら原因なのではないかと思えてきます。
 「同一労働同一賃金」は,私は気づいているからいいですが,自分の専門とするところ以外で,私も,専門家やマスメディアの同様の知的怠慢によって,誤解してしまっていることがいっぱいあるような気もします。まずは自ら知的センスを磨き,常識的に考えておかしいと思えることには批判的な目をもって,きちんと確認をしていかなければならないということを,改めて強く感じました。

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