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2021年2月28日 (日)

びわ湖毎日マラソン

 びわ湖毎日マラソンが来年からは大阪マラソンに統合されるため,今回が最終回となるそうです。びわこ毎日マラソンは,市民ランナーと一緒に走れないような狭いコースなので,これでは,現代のマラソン大会はやっていけないからだそうです。
 私はびわ湖毎日マラソンでは,1988年の瀬古利彦選手の走りが印象的です。私は中学生くらいからマラソンなど陸上競技が大好きで,とくに瀬古選手の大ファンでした。おそらく最初にマラソンをテレビでみたのが1977年の福岡国際マラソンだったと思います。ロジャースが優勝し,モイセーエフ(その読み方がいろいろあったような記憶があります)が2位で,初出場の瀬古は5位でした。瀬古は,翌年に優勝して,それから3連覇します。宋兄弟,イカンガーとのライバル対決は,ほんとうに見ものでした。そして最後に勝つのは瀬古でした。1980年のモスクワ五輪に出ていれば金メダルの可能性はきわめて高かったでしょうが,まさかのボイコットでそれを逃し,1984年のロサンゼルス五輪では調整の失敗と言われていますが惨敗してしまい,その後,恩師の中村清氏が事故死するなか,1987年に復活して,再び世界最強の地位を奪還しました。1988年のソウル五輪が名誉挽回のチャンスだったのですが,ケガで代表選考の「一発勝負」であったはずの福岡国際マラソンに出場できず,中山竹通から「はってでも出てこい」と言われるなど,逆風が吹くなか,用意された瀬古救済のためのレースと言われたのが,びわこ毎日マラソンでした。瀬古はこれに優勝するしかないという過酷な条件の下,記録は平凡でしたが優勝して五輪代表に選手されたのでした。このレースを私はテレビで見ていましたが,息苦しい気分になったのをよく覚えています。瀬古はソウル五輪では9位に終わりましたが,そのキャリア全体では,2度のオリンピック以外のほとんどのレースで,当時の世界最強のライバル達を次々とうち破って優勝しています。その偉大さは現在でも全く色あせないものです(私の少年時代の記憶で,外国人に負けないという点で,瀬古選手に並ぶレジェンドだったのは,ボクシングの具志堅用高ですね)。ただ瀬古の輝かしい勝利のなかでも,びわこ毎日マラソンの優勝はほろ苦いものだったでしょう。
 ところで今回のびわ湖は,海外招待選手がいないなか,国内にいる日本人・外国人だけの戦いとなりましたが,コンディションに恵まれたこともあったのでしょうか,好記録が続出しました。とくに優勝した鈴木健吾選手は日本新記録でなんと2時間5分を切って,日本人初の4分台に突入する好記録でした。もう10分を切るサブテンを一流選手とするのは適切ではないでしょうね。
 ここまでの記録がでると,仮に東京オリンピックが開催されるとしても,選手の再選考をやってほしいような気もしますね。それが無理そうなのはわかっていますが,2021年8月に走るのに,20199月のMGCの成績などでやるのでは,そのときの最高の選手に日本代表として走ってもらうということにならないですよね。オリンピックが延期されることは,想定していなかったことなので仕方がないとしても,想定外のことが起きてしまった以上,「超法規的」に,選手選考をやり直すということがあってもよいかもしれません(すでに代表に選ばれた選手は気の毒ですが)。あの池江璃花子選手が,驚異的な回復力で,東京オリンピックへの出場可能性が出てきたのは,水泳は代表選考の時期が五輪に近いところに設定しているから可能なのですね。マラソンは準備が必要なので,早めに代表を決める必要があることは理解できるのですが,今回はそれが裏目に出てしまっているかもしれません。鈴木選手は実際に海外のケニア選手などと混じって走っていればこれほどの記録が出ていなかったかもしれませんが,2時間5分を切るタイムを出したことは事実であり,そのことは高く評価されなければなりません。
 そうは言いながら,実際に東京オリンピックが開催されるかはわかりませんし,私は開催すべきでないという立場はいまも崩していません。マラソンは,今日もテレビで見ているかぎりでは,沿道に観客が出てきているので,密状態の発生を止めることは容易ではなさそうです。そう考えると,かりに東京オリンピックが開催されても,マラソンはやるべきでないという声が出てきても不思議ではありません。 

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