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2021年2月の記事

2021年2月28日 (日)

びわ湖毎日マラソン

 びわ湖毎日マラソンが来年からは大阪マラソンに統合されるため,今回が最終回となるそうです。びわこ毎日マラソンは,市民ランナーと一緒に走れないような狭いコースなので,これでは,現代のマラソン大会はやっていけないからだそうです。
 私はびわ湖毎日マラソンでは,1988年の瀬古利彦選手の走りが印象的です。私は中学生くらいからマラソンなど陸上競技が大好きで,とくに瀬古選手の大ファンでした。おそらく最初にマラソンをテレビでみたのが1977年の福岡国際マラソンだったと思います。ロジャースが優勝し,モイセーエフ(その読み方がいろいろあったような記憶があります)が2位で,初出場の瀬古は5位でした。瀬古は,翌年に優勝して,それから3連覇します。宋兄弟,イカンガーとのライバル対決は,ほんとうに見ものでした。そして最後に勝つのは瀬古でした。1980年のモスクワ五輪に出ていれば金メダルの可能性はきわめて高かったでしょうが,まさかのボイコットでそれを逃し,1984年のロサンゼルス五輪では調整の失敗と言われていますが惨敗してしまい,その後,恩師の中村清氏が事故死するなか,1987年に復活して,再び世界最強の地位を奪還しました。1988年のソウル五輪が名誉挽回のチャンスだったのですが,ケガで代表選考の「一発勝負」であったはずの福岡国際マラソンに出場できず,中山竹通から「はってでも出てこい」と言われるなど,逆風が吹くなか,用意された瀬古救済のためのレースと言われたのが,びわこ毎日マラソンでした。瀬古はこれに優勝するしかないという過酷な条件の下,記録は平凡でしたが優勝して五輪代表に選手されたのでした。このレースを私はテレビで見ていましたが,息苦しい気分になったのをよく覚えています。瀬古はソウル五輪では9位に終わりましたが,そのキャリア全体では,2度のオリンピック以外のほとんどのレースで,当時の世界最強のライバル達を次々とうち破って優勝しています。その偉大さは現在でも全く色あせないものです(私の少年時代の記憶で,外国人に負けないという点で,瀬古選手に並ぶレジェンドだったのは,ボクシングの具志堅用高ですね)。ただ瀬古の輝かしい勝利のなかでも,びわこ毎日マラソンの優勝はほろ苦いものだったでしょう。
 ところで今回のびわ湖は,海外招待選手がいないなか,国内にいる日本人・外国人だけの戦いとなりましたが,コンディションに恵まれたこともあったのでしょうか,好記録が続出しました。とくに優勝した鈴木健吾選手は日本新記録でなんと2時間5分を切って,日本人初の4分台に突入する好記録でした。もう10分を切るサブテンを一流選手とするのは適切ではないでしょうね。
 ここまでの記録がでると,仮に東京オリンピックが開催されるとしても,選手の再選考をやってほしいような気もしますね。それが無理そうなのはわかっていますが,2021年8月に走るのに,20199月のMGCの成績などでやるのでは,そのときの最高の選手に日本代表として走ってもらうということにならないですよね。オリンピックが延期されることは,想定していなかったことなので仕方がないとしても,想定外のことが起きてしまった以上,「超法規的」に,選手選考をやり直すということがあってもよいかもしれません(すでに代表に選ばれた選手は気の毒ですが)。あの池江璃花子選手が,驚異的な回復力で,東京オリンピックへの出場可能性が出てきたのは,水泳は代表選考の時期が五輪に近いところに設定しているから可能なのですね。マラソンは準備が必要なので,早めに代表を決める必要があることは理解できるのですが,今回はそれが裏目に出てしまっているかもしれません。鈴木選手は実際に海外のケニア選手などと混じって走っていればこれほどの記録が出ていなかったかもしれませんが,2時間5分を切るタイムを出したことは事実であり,そのことは高く評価されなければなりません。
 そうは言いながら,実際に東京オリンピックが開催されるかはわかりませんし,私は開催すべきでないという立場はいまも崩していません。マラソンは,今日もテレビで見ているかぎりでは,沿道に観客が出てきているので,密状態の発生を止めることは容易ではなさそうです。そう考えると,かりに東京オリンピックが開催されても,マラソンはやるべきでないという声が出てきても不思議ではありません。 

2021年2月27日 (土)

組織と管理職

 大久保幸夫『マネジメントスキル実践講座』(経団連出版)と坂爪洋美・高村静『管理職の役割』(中央経済社)をいただきました。どうもありがとうございます。そういえば,日本労働研究雑誌の昨年の12月号の特集テーマも,「変化する管理職の役割と地位」でした。管理職は,HRMの世界では話題になっているようですね。
 労働法で管理職というと,管理監督者(労働基準法412号)とか利益代表者(労働組合法21号)といった論点しか出てこず,あまり面白くないのですが,HRM的には,日本企業の組織の要ともいえる管理職は重要な論点となるのでしょう。今回いただいた本のうち『管理職の役割』のほうは,佐藤博樹・武石恵美子責任編集の『シリーズ ダイバーシティ経営』のなかのもので,ダイバーシティ経営を成功させるために管理職はどうすべきかが中心的なテーマとなっています。また大久保さんの本でもダイバーシティ経営のことがでてきます。企業組織にとってダイバーシティ経営は生産性を高めるために必要とはいえ,それを本当に成功させるためには,それなりのスキルが必要であり,管理職のプロが求められるのでしょうね。『管理職の役割』がやや堅い内容であるのに対して,『マネジメントスキル実践講座』は軽く読めるようにできています。これは本のコンセプトの違いによるのでしょう。
 ところで,先日開催された関西財界セミナーで,大阪大学の大竹文雄さんとともに私が話題提供者として参加した分科会では,「ニューノーマルにおける働き方の質の変革 」というテーマのなかで,企業におけるミドルの役割の変化が中心的な関心事となっていました。管理職層がどうなるかに経済界も関心をもっていることがうかがえました。もっとも,こういうときに「わきまえない」のが私の悪い癖で,そもそも管理職って必要なのか,という根本的な発言もしてしまいました。DXが進むなか,組織はどんどんフラット化していきます。ティールとか,ホラクラシーのように組織のあり方を見直す議論もあるなか,より進んで組織の必要性自体を議論の対象とすべきではないかと思っています。つまり,組織とはなんぞやというメタ組織論が求められるのです。管理職が完全になくなることはないでしょうが,DX時代には,その役割は,雇われないプロの自営的人材をどのようにマネージメントするかというものに変わっていくのではないかと思います。

 

 

将棋界の一番長い日

 A級順位戦の最終局は一斉対局です。これで名人戦の挑戦が決まります。降級はすでに三浦弘行九段と稲葉陽九段が最終局を待たずに決まっていました。最終局では二人とも敗れて,不本意な成績で終わりましたね。稲葉九段は,5年前にA級に昇級した年にいきなり当時の佐藤天彦名人に挑戦し,翌年もプレーオフに出てあと1勝で挑戦というところまでいくなど活躍したのですが,その翌年は36敗,その次の年は4勝したものの残留組では最下位となり,今年も結局27敗で終わり降級となりました(今日は糸谷哲郎八段に敗れました)。ライバルであった豊島将之竜王や竜王経験者で現在も棋王戦の挑戦者になっている糸谷八段と差がつけられてしまっていますが,まだ若いので,復活を期待したいです。
 それで挑戦者ですが,斎藤慎太郎八段が,ここまで71敗で,広瀬章人八段が63敗で2番手で,斎藤が負けて,広瀬が勝った場合にのみプレーオフでしたが,最終局は広瀬八段が豊島竜王に敗れて,斎藤八段の対局の結果を待たずに,斎藤八段の挑戦が決まりました。おめでとうございます。昇級していきなりの挑戦権の獲得はお見事です。今期は豊島竜王に敗れただけで見事の成績でした。最終局も佐藤天彦九段に勝ちました(佐藤天彦九段は45敗)。渡辺明名人は難敵ですが,この勢いで名人をとってもらいたいです。斎藤八段は王座を獲得したこともあり,タイトル戦も経験済みです。藤井聡太二冠が名人を取る前に,取っておきたいところですよね。
 このほかには菅井竜也八段が佐藤康光九段に勝って5勝4敗と勝ち越しでA級1期目を終えました(佐藤康光九段は4勝5敗)。また羽生善治九段が三浦九段に勝ち45敗となりましたが,来期は残留組のなかでは最下位の順位となります(45敗は他にもいますが,羽生九段よりも順位が高い人ばかりでした)。来期もまた厳しい順位戦になるかもしれませんね。

2021年2月25日 (木)

野田進ほか『実務家のための労務相談』

 野田進・鹿野菜穂子・吉永一行編『実務家のための労務相談』(有斐閣)をいただきました。どうもありがとうございました。サブタイトルが「民法で読み解く」ということで,労務相談にも民法の知識が必要であるということを意識した本です。労働相談の実務をやっている人のなかには法学部出身でない人も少なくなく,労働基準法などには詳しくても,法学について体系的に勉強したことがないという話をよく耳にします。とくに民法は難関のようであり,条文に何が書かれているかということもありますが,そういう知識面だけでなく,そもそも契約とはどのようなものかというような原理的なところまで行くと,かなりハードルが高くなります。契約の自由が原則にあって,そこに強行法規としての労働基準法などが介入してくるのですが,それはなぜなのか,また法が介入していない部分についての契約の解釈はどうなるか,また実際上は就業規則が重要なのですが,就業規則が契約論とどう関係するのか,就業規則はどう解釈するのが正しいのか,といったことを体系的に理解するということが,実は実務上は重要となってくるのですが,理論的にも難問なのです。
 本書は,あまりそういう理屈っぽい堅苦しい話ではなく,労働法の論点について,「民法の理解」というコーナーをつくって関係する民法の説明を簡単に行ったうえで「労働法の理解」というコーナーで論点の解説をし,最後に「ポイント」で要点をつかむという構成になっています。こういう構成は珍しいかもしれませんが,論点によっては,この構成に無理があると思われるものもありました。全般的に,労働法における民法の重みは,思っているほど大きくなくなってきているのかもしれません(だからといって民法の重要性が小さいというわけではありません)。また法学を勉強してこなかった人にとっては,「理論に通じた大学の研究者と,実務に通じた弁護士が,協力して執筆を担当されています」(はしがき)というものは,やや難しいかもしれませんね。
 本書の意義は,何か新しいことを知るというより,いつもと違う構成で労働法にふれることができるという点にあると思います。そこから天橋立の股のぞきのような天と地がひっくり返るところまではいかなくても,新たな知的刺激が生まれてくることでしょう。

テレワークを進めるために

 今朝の日本経済新聞で,「政府が緊急事態宣言下の1月に調査した中央省庁のテレワーク実施率の結果が分かった。112省庁全体で6割程度となり,前回宣言時の昨年4月の調査と同水準だった」という記事が出ていました。国民には7割減を呼びかけているのですから,もう少し頑張ってもらわなければ困ります。7割減など無理だと言っている経営者が多いなかで,中央官庁は模範を示すためにも,その上をいく数字を出してほしいものです。
 いつも言っていることですが,業務の体制を根本的に変えなければ,テレワークは無理なのです。対面で議員レクをやっているようでは,官僚の仕事は減りません。いまやっている業務のすべてについて根本的な見直しをして,デジタル化できるものはデジタル化するということを徹底しなければいけません。どうすればデジタル化して,時間を短縮しながらも同じパフォーマンスを上げることができるかを考えなければならないのです。これをやるためには,上の人のリーダーシップが必要です。首相はいまはそれどころではないので,河野大臣に頑張ってもらわざるを得ませんね。
 とくに問題なのは,厚生労働省のテレワーク率が3割であることです。厚生労働省は,コロナ禍でただでさえ業務が多く,おまけにトラブルも多いなど,仕事がどうしても増える状況にあります。だからこそ,効率的に仕事をして,見本を示すチャンスともいえるのです。テレワーク率が3割ということは,それだけ対面型の業務が多く,おそらく長時間労働なのでしょう。そうなると,ワーク・ライフ・バランスも損なわれていることでしょう。気の毒だとは思いますが,このブラックさを自分たちで改善できないのなら,厚生労働省は労働政策を担当する資格はないと思います。
 労働政策は,いま根本的な転換を要する状況にありますが,多忙な毎日のなかでは,新しい発想で物事を考えて,新たな政策を立案していくような知的余裕はなかなか生まれないでしょう。もちろん私のいろいろやっている提案なんてものも,まったく読んでいないことでしょう。それは仕方ないとはいえ,せっかく日本の優秀な人材を集めているのに,その能力が十分に活用されていないように思えるのは残念です。
 私は,テレワークは,地域社会への回帰を生み,国民が政治に関心を高めるきっかけとなると考えています。これまで選挙では存在感が小さかった会社員たちの票が重きをもつようになり,新たなタイプの政治家が選ばれるようになり,官僚も本来の仕事に専念できるようになり(テレワークもできるようになり),それによって生み出された成果が国民に還元されていくという好循環が起きるのではないかと期待しています。前に連載していたWebあかしでも,テレワークと政治のことは書きましたが,いま執筆中のテレワークの本でも,この論点はしっかりとりあげるつもりです。

2021年2月23日 (火)

総務省接待問題

 国家公務員倫理規程を,今回,騒動となっているので,改めてネットで確認してみました(同規程は,国家公務員倫理法5条によるものという位置づけです)。同規程の3条は禁止行為を定めた部分ですが,そこに「利害関係者から供応接待を受けること」と明記されていましたね(16号)。利害関係者の範囲は2条で細かく定められていますが,これについては総務省側も認めているように,首相長男側が利害関係者に該当することは明らかなようです。当該総務省幹部は,そのときは利害関係者に該当することを知らなかったと言っていますが,それはないでしょう。そもそもいくら高級官僚が偉いといっても,何も仕事に関係なく,数万円もする食事をおごってくれるということなんてあるはずがないですよね。かりに,ほんとうに利害関係者と知らなかったとすると,それは自分が無能であるということを世間に知らせることにほかなりません(刑事責任が視野に入ってくるなら,無能と言われようと,知らなかったということで突っ張るしかありませんが)。もちろん相手が首相・官房長官の家族だから,断れないということがあったのかもしれず,もしそうなら彼ら・彼女らも犠牲者なのかもしれませんが。
 この事件について,私は国民目線ではなく,きちんとルールを守っている多くの国家公務員の目線でみてみたいです。数年前に,私のゼミのOB会で,幹事をしてくれた,当時,某省庁の職員であったM君が,会の最後に会費を徴収するとき,たしか3000円くらいだったので,私もこの金額しか支払わないのは悪いと思い,余分に払おうとしたら,ダメだと言われました。彼のために払うわけではなく,みんなのための足しになるように追加して払うだけだし,それほど多額のお金を払おうとしたわけでもなかったのですが,彼が国家公務員であったことが原因でした(それならもう少し私も気遣いして,先に店に直接支払っておけばよかったと後から思いましたが)。彼の行動が倫理規程を意識していたものかどうかははっきりしませんが,非常に用心をしていたのに驚きました(私はとくに利害関係者でもないはずですが)。でも国家公務員ってやはり誘惑が多いでしょうから,身を滅ぼさないためにも,用心をするにこしたことはないのでしょうね。もちろん,それは本人のためだけでなく,国の行政の廉潔性を担保するためにも必要なものであり,彼は日頃から,そういう高い意識をもっていた人だと思います。
 おそらく,多くの国家公務員は彼のように慎重な行動をしているでしょうが,彼ら・彼女らは,今回の事件のことをどう思っているでしょうね。これで身を滅ぼさないのなら,自分も頑張って,高級料理を接待してもらえるくらいになろうという変なモチベーションをもつ者は,さすがに出てこないと思いますが,きっちりとした対応がされなければ,モラールが低下しないか心配ですね。

2021年2月22日 (月)

AIと環境

 今朝の日本経済新聞の記事のなかで,気になったのが「テスラ,仮想通貨投資の愚行」(ジョナサン・フォード)です。テスラが環境問題に熱心であるようだが,仮想通貨に大量の投資をしていることは,それと相容れないというのです。「ビットコインは環境に優しいどころか多大な負荷をかける」ものであり,その理由はビットコインの信用を支える「マイニング(採掘)は,膨大な計算作業を必要とするため驚くほど電気を食う」からです。コンピュータに計算をさせると多くの電気を要するというのは,AIに機会学習させる場合にもあてはまることです。
 デジタル社会では,AIが中心的な役割をはたすわけで,環境問題の解決についてもAIへの期待が高いわけですが,その消費電力が膨大なものとなれば,環境問題を解決するために環境を汚染することになって,元も子もありません。いかにして化石燃料を使わず,再生エネルギーを使いながら,デジタル技術を活用するかが,これからの私たちの社会にとっての最重要な課題となります。もちろんデジタル技術に背を向けてアナログな生活に戻るのも一つの方法です。例えば,電子メールをつかわずに,はがきや封書を使えばよいのかもしれません。ただ,郵便物の輸送がどれだけ環境に負荷をかけているのかも考えておかなければなりません。
 生活のなかで,どうすれば利便性と環境保全をうまく両立できるかについて,私はまだ知識不足です。パソコンやインターネットをつかって,このブログを書いていることが,どれだけ二酸化炭素の排出につながっているか,毎日,可視化できればいいのですが。
 実は1日の電力使用は,電力会社が提供するサイトで各家庭の1時間ごとの消費量がわかります。私の場合,夜寝ている時間帯でも日中の半分くらいの電力を使っており,テレビはいま使っていないため,原因は冷蔵庫と空気清浄機しか考えられませんが,空気清浄機はアプリで確認した1日の電気代料金はほんのわずかなので,冷蔵庫こそが電気食い虫であることがわかります。あと寒い日に暖房機(デロンギ社のオイルヒーター)を使うと,電気代は跳ね上がりますので,できるだけ暖房機は使わないようにしています。電気使用量はそれほど多くないと思いますが,もっと節電できるような気がしますので,勉強してみます。災害にもそなえて,せめて携帯電話の充電くらいは,ソーラーにしなければならないでしょうかね。

2021年2月21日 (日)

Uberドライバーの労働者性

 以下の記述はBBCの速報記事をみて書いたものですので,詳細はイギリス労働法の専門家の解説がそのうち出るでしょうから,それを参照してください。
 イギリスの最高裁(Supreme Court2009年に設けられたもの)が,Uberに対して,そのドライバーに,労働者に対して認められている最低賃金(minimum wage)と休暇手当(holiday pay)を支払うよう命じたそうです。ライドシェアサービス(英語では,ビジネスとして行われているものは,ride share ではなく,ride hailingという言葉を使うようです)のドライバーの労働者性は世界的に問題となっていて,このブログでも何度か取り上げていますが,ついにイギリスでも最終的な決着が付きました。この点については,拙著『会社員が消えるー働き方の未来図』(文春新書)でも扱っています。Uberのドライバーについて,「雇用労働者と認定される可能性は十分にある」とし,そこでは「イギリスでは,ウーバーのドライバーの雇用労働者性を肯定した裁判例がある」と書いていました(160頁)。この裁判例が最終審でも維持されたのです。
 最高裁は,記事によると,Uberのドライバーの契約の実態をみると,従属的な状況にあり,自営的就労者(the self-employed)ではないと判断しました。簡単にいうと,Uberに対して,指揮命令下で働かせている以上,使用者としての法的責任を負えとしたのです。
 客に対するサービスを充実させようとすればするほど,ドライバーに対する指揮監督は強まります。そうなると労働者性が肯定されやすくなるのですが,そうなると人件費が高くなり利用価格に転嫁されていく可能性があります。そうなると通常のタクシーと変わらなくなり,このUber的なサービスの優位性がなくなり,衰退していく可能性があります。
 それは仕方ないというのも一つの考え方です。ただ本来,このビジネスモデルは,利用者は安くて快適なサービスを享受でき,ドライバーも隙間時間を活用して収入を得ることができるというウィン・ウィンが成立可能で,そうした社会的な価値のある事業をするプラットフォーマーが正当な手数料を得るということであれば,むしろ望ましいものとして推奨されるべきなのです。ところが,利用者・ドライバー・プラットフォーマー間のバランスが崩れれば,たちまちこのビジネスモデルが揺らいでしまいます。それは社会的にも損失となります。労働法が乗り出してくるようになると,このビジネスモデルは破綻するのです。
 Uberは,この事件は2016年のもので,それ以降,待遇を改善していると主張しているようです。ドライバーが労働者かどうかは問題の本質ではありません。このビジネスモデルを持続するためには,ドライバーが納得いくような仕事の仕組みをきちんと築くことができるかがポイントとなります。労働者を雇用するビジネスであれば労働法をきちんと遵守していれば文句は付けられません。しかし労働法の外で人材を利用する場合には,プラットフォーマー自身が,労働法に代わるような,きちんとした社会的に受け入れられる働き方のモデルを構築しなければなりません。これはギグエコノミーの労働者全般に関係する問題です。この努力を怠ると,労働法の規制を潜脱しているブラック企業という汚名を着せられてしまいます。この業界に参入する企業は,かなりの覚悟をもって挑まなければならないのです。

2021年2月20日 (土)

東野圭吾『素敵な日本人』

 久しぶりに原稿やゲラの締め切りが1週間以内にないという状況になったこともあり,本棚に埋もれていた東野圭吾『素敵な日本人』(光文社文庫)が偶然目にとまったので読んでみました。東野圭吾の作品は長編が好きなのですが,短編も面白かったです。以下,簡単な紹介(ネタバレに注意)。
「正月の決意」は,誠実な経営者夫婦が借金を苦にして自殺をしようと思っていましたが,偶然,目撃した殴打事件に対する警察や関係者の対応の不誠実ぶりをみて,自殺を思いとどまるという話です。吉本新喜劇のネタにも使えそうなものです。
10年目のバレンタインデー」は,東野圭吾的なミステリーでしょうか。売れっ子の作家のもとに,10年前に,自分のもとから去った彼女が,突然,会いたいと言ってきました。よりを戻せるかと期待していたのですが,そう甘い話ではありませんでした。
「今夜は一人で雛祭り」は,地方の名家に嫁ぐ娘を案じる父親の話です。父は娘の嫁ぎ先の姑をみて,自分の亡くなった妻が自分の母親に苦しめられたことを思い出しますが,娘は「お父さんはお母さんのことをわかっていないのよ」と言います。妻は結構たくましく生きていたのです。それを知って父は少しは安心するのでした。
「君の瞳に乾杯」は,指名手配されている犯人の写真を覚えて,町中から犯人をみつけだすという特殊技能をもつ警察官が,合コンをきっかけに付き合いだした彼女の素顔(カラーコンタクトレンズを外した瞳)をみたときに,その残念な過去を知ってしまったという話です。
「レンタルベイビー」は,自分にほんとうに子育てができるかどうかを試すために,自分のDNAなどからみて実際に生まれることが想定されるロボットの赤ちゃんを借りて育ててみるという女性の話ですが,最後のオチは,20年後くらいにはオチにならないかもと思いました。
「壊れた時計」は,完全犯罪のつもりが,余計なことをしたために,足がついてしまった男の話です。12進法のアナログ時計だから出てくる話です。
「サファイアの軌跡」は,東野作品によくある余韻のある作品で,少女と猫と先端技術がからんだ秀作です。
「クリスマスミステリ」は,これも完全犯罪のつもりが,相手に命を賭けてはめられた男の話です。
「水晶の数珠」は,代々,長男にだけ伝わるもので,これを使うことにより家が繁栄してきました。アメリカに行って俳優を目指すという夢を追い続けている長男が,死期の近い父のバースデイパーティのために姉に呼ばれて帰国したのですが,東京駅で父から電話がかかってきて罵倒されたために,結局,実家に戻らずにアメリカにそのまま戻ってしまいました。しかし,父はそのような電話をかけたはずがないのです。長男が帰ってくることは秘密でしたし,父は息子の携帯電話の番号も知らないはずだからです。いったいどういうことか。これには水晶の数珠が関係していました。父の思いを知った息子は,夢を追い求めることになります。
 短編とはいえ,久しぶりに東野作品にふれることができてよかったです。ただ短編の切れ味となると,百田尚樹のほうが少し上でしょうかね。

 

2021年2月19日 (金)

「しっかり」

 前にも一度書いたことがあるのですが,政治家の言葉のなかの「しっかり」が気になります。「しっかりやる」ということを,菅首相を始め,多くの大臣がつかうのですが,「しっかり」の具体的な内容がはっきりしていないので,ごまかされている感じがします。コロナ感染対策を「しっかり」やると言われても,何も響いてきません。このような無内容の発言があまりにも多いです。もちろん,野党が首相に「しっかりしろ」と言うのはOKです。河野大臣が,ワクチンに関する情報を,しっかり正確に伝える,と言ったときの「しっかり」もOKです。しかし,政府与党の場合,何をするかわからない「しっかり」がほとんどなのです。私たちは「しっかり」を除いたあとの発言をみて,その評価をしなければなりません。ほんとうはメディアが,「しっかり」の内容を問い詰めるべきなのですが。
 ところでワクチンですが,安全性を強調する報道が相次いでいます。厚生労働省のHPにも安全性と有効性について少し出ていましたが,国民に本気になって説明しようとする意欲は感じられないですね。それに,厚生労働省の言うことだけでは,おそらく誰も信じないでしょう(部署は違うでしょうが,統計不正をやったという記憶はなかなか消えませんし)。副反応について,審議会の議事録が掲載されていましたが,これも専門的すぎてよくわかりません。ただ,私が信頼している医師などの専門家が発信している内容をみると,今回は信用してよさそうです。いまや国民は,政府の発信ではなく,誰か信用できる専門家をみつけて,その人のSNSでの発信をチェックして判断していくという時代なのでしょうね(どの専門家を信用するかが重要なのですが,そこは自分の目利き力を高めるしかありませんね)。
 ところで,私にはいつワクチンが回ってくるのでしょうかね。1瓶から日本の注射針は5回分しかとれないとかいうのは,事前にわかっていなかったのでしょうか(日本で普通に使われている注射針では,液を捨てる部分が出てくるから,1本あたりで余分に液を注入しなければならないということのようですが)。回数ではなく,瓶で契約をしていると,回数が6分の5になるので,それだけ国民に行き渡るのが遅くなるでしょうね。今日は,先行して注射する医療従事者が想定より多かったという報道もありました。なんだか頼りない話が続いていますね。そういえば1年程前,菅首相が官房長官時代に,マスク不足のときに,たしか1週間後にはマスク不足は解消すると説明しておきながら,結局,全然解消せず,最後は政府から全く使いものにならないアベノマスクを押しつけられ,それをつけていたら馬鹿にされるという悲惨なことが起きましたね。あれ以来,コロナに関して,政府の楽観的な話は信じないようにしています。政府は正しい情報を迅速にわかりやすく「しっかり」伝え続けて,私たちの信頼を回復してほしいです。

2021年2月18日 (木)

留学の効用

 私は,ムーブレスな生活ができることの価値を推奨していますが,移動して得られる価値があることを否定しているわけではありません。通常の情報であれば,多くはICTをつかって伝達が可能ですし,梅棹忠夫のいう「体験情報」も,今日では疑似体験でかなりの情報が得られるようになっていますが,それでも留学して得る「体験情報」は,そう簡単には疑似体験で代替できないでしょう。自宅留学のようなことは,ありえないわけではないのでしょうが,私の場合で言えば,例えばMilanoに到着して,街の匂いを感じると,若いときの思い出がよみがえるのであり,これはまさに体験しなければ得られないものです。
 20代にMilano国立大学に留学できたことが,その後の自分の人生に大きな影響を及ぼしたことは確実です。もちろん日本にいてもイタリア法の勉強のかなりのことはできたでしょうが,そういう勉強の面ではなく,重要なのは人生観や価値観を大きく揺るがすことになったことです。若いときに留学をしていなければ,まったく違った人生になっていたでしょう。今日の留学と違って,私の20代のときの留学はインターネットは使えず,電話も高額で,海外に行ってしまうと,日本との通信手段はほぼ絶たれました。孤独ななか,新しい言語を覚えながら,まったく生活習慣も違うなかでサバイバルするという経験をして,成長しない人はいないでしょう。留学をして後悔している人というのは,あまり聞いたことがありません。留学それ自体が目的どおりにいかずに失敗した人はいるかもしれませんが,失敗しても留学したこと自体は良かったと思う人がほとんどでしょう。
 ところが現在,コロナのせいで留学がストップしてしまっています。大学の若い同僚も昨年4月以降,留学に行くことができなくなってしまっていますし,行っていた人も早々に切り上げて帰ってきています。これは,とても気の毒です。このように若い研究者が留学の機会を逃していくのは,国家的損失かもしれません。もちろん学生の比較的短期の留学も,もしストップしているのなら,これも大きな損失です。
 現在の留学は,私のときのように日本から完全に切り離されるということはないですし,いまの若い人は留学途中に帰国するというようなことを結構やっています。私が留学したときは,親の死に目にも会えないだろうという覚悟で行っていましたが,留学の意味もずいぶんと違ってきているのかもしれません。それでも日本から離れることには十分な意味があると思います。できるだけ若いうちに,完全に日本から切り離され,日本人とつきあわずに最低1年,理想は2年程度,海外に住む機会が得られれば,なおよいでしょう。そのような経験をするかどうかで,人生が大きく変わるはずです。
 例の森発言は,森氏が個人的に女性のことをどう考えようが自由ですが,国際的な場で,この種の発言がどのように受け止められるかは,留学を少しでもしていれば,肌感覚でわかるのです(森氏は,国際的な場で発言したつもりはないのでしょうが,オリンピック関係ということだけで,国際性を帯びています)。国際的な組織や公的な組織の「長」は,心にもないことでも,堂々ときれい事を語れるような人でなければなりません。男性であれば,少なくとも公式の場では,女性を敬い,障害者に配慮し,下品な話題を口にしないということでなくてはなりません(実際には,親しい人だけのプライベートな空間での落差に驚くことはありますが,そんなことは関係ないのです。個人的な印象では,女性に対する態度で,本音のレベルでは,西洋人が日本人より紳士であるという感じはしません。もちろん個人差はありますが,日本人女性はくれぐれも騙されないように)。それと自分の意見をきちんと語れる人でなければなりません。紙を読んでミスをしないようにしゃべるというのは,子どものやることです(よほどの重要な会議は別ですが)。まさに国益のためにも,こういうことがわかっている日本人を増やし,2度と森発言のようなものが世界中に発信されることがないようにしてもらいたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年2月17日 (水)

藤井二冠の高校中退に思う

 将棋の藤井聡太二冠(王位,棋聖)が,高校を退学していたそうです。もちろん辞めさせられたわけではなく,自ら辞めたそうです。昨年の6月から7月にかけては,タイトル戦が続いていて,とても学校に行くどころではなかったことでしょう。中学生でプロになって,高校に進学する必要があるかということさえも,当初は悩んでいたようです。お母さんは東大に行くことを望んでいるという記事もあり,それをネタにして,原稿を書いたこともあります(「雇われない働き方」ジュリスト1529号)。しかし,藤井二冠は高校に行く必要はなかったでしょうし,ましてや大学進学の必要もないでしょう。多くの人が高校や大学に進学するのは,そこで何かをほんとうに学びたいからではなく,会社員になるためのパスポートを得るためです。すでに歴史的な大棋士になりつつある藤井二冠にとっては,不要なパスポートでしょう。
 棋士の多くは生涯一度もタイトルをとらないまま引退します。ましてや同時に二つのタイトルをとっている棋士は,ほんのわずかです。現役では,羽生善治九段,谷川浩司九段,渡辺明名人(現在3冠),豊島将之(現在2冠),久保利明九段,佐藤康光九段,森内俊之九段,高橋道雄九段,南芳一九段,永瀬拓矢王座だけです。歴代でも,これに大山康晴第15世永世名人,中原誠第16世永世名人,升田幸三実力制第四代名人,米長邦雄永世棋聖,ひふみん(加藤一二三)が加わるだけです。そうそうたるメンバーです。ちなみに,三冠となると,羽生,谷川,渡辺,豊島,森内,大山,中原,升田,米長だけとなります。四冠となると,羽生,谷川,大山,中原,米長だけです。このあたりとなると,完全にレジェンドです。藤井二冠は,三冠・四冠への挑戦に向けて,この春から夏に向けて,まずは二冠の防衛と,王座や叡王あたりを狙いにいくはずです。順位戦でも「鬼の住処」と呼ばれるB級1組で1年をとおして戦うことになるので,学業との両立は難しいでしょう。
 彼の棋士としての成功はほぼ約束されたものなので,高校を卒業したり,大学受験をしたりする意味はないのでしょう。それに勉強をしたくなれば,別に大学に行かなくても,ネット上でいくらでも勉強する機会はあります。
 最近の棋士には大学卒も結構いて,なかでも棋王戦で渡辺棋王とタイトル戦を戦っている糸谷哲郎八段のように,大阪大学の大学院の修士を終了している高学歴者もいます。糸谷八段のように,華やかな才能を感じさせる秀才肌の棋士は,大学や大学院で広く知識を深めることでそれを将棋に活かしていく道もあるし,ひょっとすると将来は将棋以外の道でも能力を発揮する可能性があります。一方,藤井二冠は,勝負術も兼ね備えた職人肌の天才棋士で,将棋で大仕事を成し遂げられる人でしょう。
 藤井二冠のような生き方は,普通の人にはまねができないような気もしますが,そうでもありません。AI時代においては,AIに負けない技能を習得するというキャリアプランを立てなければならないのですが,そうなると,大学には何のために行くのかということを,よく考えておかなければなりません。大学を出ていれば,会社員へのパスポートが得られるから,というかつての常識は,急速に通用しなくなってきています。いまの1年生あたりは,たんに大学を出るだけでは就職できないかもしれません。首尾良く企業に正社員として採用されても,それだけでは,おそらく幸福な職業人生を送ることは難しいでしょう。
 オンライン学習が一般化して,勉強はいくつになってもできるし,学歴はあまり意味がなくなる,という時代になったときには,藤井二冠のように,まずは自分のスキルを磨くためにそれに専念するという生き方こそが正しいものとなるように思えます。もちろん彼の長い人生において,今後,将棋以外のことを目指すときがくるかもしれません。ひょっとしたら純粋に学問をしたいと思うときだって,来ないとはかぎりません。大学には,そのときに行けばよいですし,そういう人こそ,大学に来て欲しい人たちなのです。

2021年2月16日 (火)

イタリアの首相交代

 欧州中央銀行総裁を長く務めたMario Draghiが首相になると聞いて,この手があったかと驚きました(日本でいえば,日銀の黒田総裁が首相になるのに近いですが,それ以上でしょうね)。

 2018年の国政選挙後,左派のMovimento 5 Stelle5つ星運動)が第1党となり,右派のLegaと組んで,Firenze 大学でdiritto privato(私法・民法)の教授であったGiuseppe Conteを首相にかつぐ連立政権が誕生しました。2019年になってLega と路線対立が起こり,Lega が連立から離れることによって,いったんConteは首相を辞任しますが,民主党(Partito Democractico)と連立協議をして第2Conte政権が誕生しました。

 左右のポピュリスト政党の連立ということで,どうみても始めから無理があったConte政権ですが,Conteは決してお飾りの首相というわけではなかったようです。右派のLega の党首Salviniは,前の党首のBossiと少し違って,あまり柄のよくないおじさんという感じで,Conteと対照的で,政策面でもConteと合わないところが多かったようです。Legaの離脱は予想できたことでした。Conteが,コロナ禍のなか国民にロックダウンへの理解を呼びかける姿勢は,日本でも報道されて,評価が高かったのですが,結果としてコロナの感染抑止には十分に成功しませんでした。こうしたなか,新たに政治的な混乱をもたらしたのが,2014年に39歳で首相になったこともあるRenziでした。Renziは民主党党首として,政権についたのですが,長続きしませんでした。政治生命をかけた憲法改正をめざす国民投票において挫折し,2016年に政権から離れることになりました。ここからイタリアの政治は混迷を深めます。同じ頃,イギリスでも,若い首相(Renziほど若くはないですが)のCameronEU離脱を問う国民投票をやって敗れて政権を離れました。RenziCameronも,政治勢力を強化して安定政権を実現するための賭けをしたのでしょうが,世論を読み間違え政治的に力を失いました。
 ただRenziは20199月の第2Conte政権の誕生後に,民主党を離脱して,新たにItalia Viva(IV)という新党を立ち上げていました。IVは,Conte政権を支持していたのですが,2020年になり,新型コロナへの政府の対応に批判的になり,連立政権から離脱しました。このため連立政権は弱体化し,結局,今年に入ってConteは首相を辞任することになりました。
 このようななかで新たに名前が挙がったのが,世界的に名前が知られているMario Draghi だったわけです。73歳という年齢が心配とはいえ,この大物をここで首相にするイタリアには,突然,明るい希望の光が差したような感じもします。かつてイタリア銀行総裁から首相になり,大統領になったCiampi の例もあります。
 以前から,イタリアには2人のMarioがいると言われていました。その一人が,2011年に首相についたBocconi大学の総長であったMario Montiです。政治が混迷したとき,非政治家を首班にした政権をつくるのが,近年のイタリアのパターンです(これはイタリア語ではGoverno tecnicoといい,直訳すると「専門家政府」でしょうかが,意味としては「非政治家政府」です)。Montiが政治家をすべて排除した完全な「専門家政府」をつくったのに対して,Draghiは,政治家と非政治家の両方を入れました(Governo tecnico e politico)。Monti 政権は,国民に負担を強いる政策をして,国民に不評であったこともあり(M5Sの躍進のきっかけをつくりました),Draghiは,完全なGoverno tecnicoでは,世間の支持は得られないと考えたのかもしれません。大臣に選ばれた政治家をみると,複数の政党の均衡を図っています。Draghiが,国際的な信用をバックにして,国内の様々な政治家たちを相手に,どのようなリーダーシップを発揮するでしょうか。イタリアの今後に注目です。

大企業が消える?

 コロナの影響で,私が『会社員が消えるー働き方の未来図』(2019年,文春新書)で描いていた未来図はリアリティを高めています。アフターコロナでは,雇用という働き方が消えていく速度はいっそう加速するでしょう。理論的に考えて,デジタル変革が進むと,雇用という働き方はなくならざるを得ないのです。では,その次に起こるのは何でしょうか。「会社員が消える」という本は,当初,「大企業が消える」というコンセプトで書いていました。ただ,これでは労働法との関係が遠くて,私が執筆する本としてはふさわしくないことから,タイトルが変わった経緯があります。本のなかでも大企業が消えるというようなことは書いていますが,いよいよ,ほんとうにそうなるのではないか,という気がしています。
 それには理由があります。日本の会社員の組織愛の強さを感じる機会が,たまたま何度かあったのです。大企業の会社員は,組織があっての自分だと思っているし,いまのような大きな変革の時代にあっても,自分のいる組織をどのように強めていこうかということを考えているし,新しい個の時代が来るとわかっても,それに組織はどう対応していこうかということを考えているのです。どこまでいっても,組織が中心です。組織なしの自分が考えられないのです。しかし,こうした人たちに支えられている組織というのは,そう長くはもたないだろうというのが,私の予測です。組織はあくまで手段的なものです。事業の遂行にチームプレイは必要ですが,それは固定的な組織が主ではなく,これを支える個人の強さが基礎になければなりません。
 大前研一が最初の『日本の論点』(小学館文庫。文庫版は2016年)で,2013年時点で書いていたことですが,日本の経営者に「あなたの会社が30年かけてやってきたことを集約すると,このスマホの三つのアイコンです」と言っても理解されなかったそうです。大前氏は,これが理解できないから,モノ作りにこだわって,エレクトロニクス産業は突然死寸前まで追い込まれてしまったと述べています(64頁)。現在,たしかに多くの製品が,スマホのアイコンに収まっています。このことが象徴的に示すように,人々が求めているものが根本的に変わってきている現在,どうしても新しい発想が必要なのです。そうした発想は,組織内で出世してきた組織人の中からは,なかなか出てこないし,外部から提示されてもなかなか理解できないのです。
 組織が本来的に悪いということではありません。問題は,組織を構成する人間のほうにあります。成功した組織に長くいると,組織外の視点をもてなくなり,それが変革の時代に合わずに組織を弱めてしまうというのが正確な言い方でしょう。組織を自立した個人の緩やかな連合体に変えることができるかどうかがポイントだと思います。私が前記の本で,企業中心社会から個人中心社会に変わると書いたのには,このような意味も含まれています。でも日本の大企業をみていると,そうした方向に進むのがとても難しいように思えます。日本の大企業がガラガラと突然死していく姿をみたくはないのですが……。

 

 

2021年2月14日 (日)

濱口桂一郎『新型コロナウイルスと労働政策の未来』

 濱口桂一郎さんの『新型コロナウイルスと労働政策の未来』(JILPT)を,かなり前にいただいていました。どうもありがとうございました。濱口さんの講演をまとめたものです。わかりやすい内容で「未来」というよりは「現在」の新型コロナ下での様々な施策を「過去」からの沿革もみながら読み解くという感じです。資料が充実していて,講演の内容を理解するうえで,とても役に立ちます。テーマは4つあり,雇用調整助成金,非正規雇用,フリーランス,テレワークです。それぞれ参考になる話がありました。
 雇用調整助成金では,休業支援金・給付金の体系的な位置づけがよくわかっていなかったのですが,この本を読んで,なぜわかりにくいかが,よくわかりました。休業手当との整理がよくできないまま突っ走った施策ということなのですね。休業手当を支払うことは法律上の義務なので(労働基準法26条),それを支払わない場合に支払われる休業支援金・給付金というのは何なんだというのは,当然出てくる疑問です。本来は事業主が休業手当を支払い,その支援は事業主に対して雇用調整助成金で行うという建て付けのはずなのですが,労働者に直接支払う休業支援金なるものを同時に作ってしまったために,「せっかく法律まで制定して作った制度なのですから,できるだけ活用してほしい制度であるはずなんですが,一方でできるだけ使ってほしくない制度でもあるという,政府としてはアンビバレントな制度になってしまっている」(11頁)のです。
 労働者に直接支払うという発想は,本書でも説明されているように海外にもあるもので,イタリアでも所得保障金庫(CIGCassa Integrazione Guadagni])が有名です。イタリア人から日本で類似の制度があるかと聞かれたときに,雇用調整助成金(むかしは給付金)があるが,でも日本では事業主に支払うところに違いがあるという留保をつけるのが一般的でした(CIGについては,情報がかなり古くなりましたが,拙著『イタリアの労働と法―伝統と改革のハーモニー』(日本労働研究機構)の53頁以下を参照)。いずれにせよ,休業手当の支給をすべきときは休業手当で,それ以外の場合は,国の支援でというように,明確に分けておかなければ,体系上はむちゃくちゃになると思います。支援金・給付金は,「休業手当を受けられない労働者」に支給されるものとなっていますが,「受けられない」とは休業手当の支給要件を満たさない場合のことなのか,満たしている場合だけれど,企業が支払っていない場合(つまり違法状態)のことなのかが明確ではありません。後者については休業手当を支払うように裁判を起こしたり,労働基準監督署に申告して是正指導を求めたりするのが正しい対処方法でしょう。支援金・給付金は,大企業の非正規労働者にも拡大されることになったようです。公平性ということからすると,こういう流れになるのでしょうが,そもそも理屈が通らない制度を導入してしまい,それが公平性ということでどんどん拡大して,矛盾もまたどんどん拡大していくという感じなので,困ったものだと思います。政府が支援をするのはいいですが,よく考えてやるべきで,労働者から陳情を受けたからということで,それにホイホイ応えていると,制度はむちゃくちゃになります。陳情を受けるのはいいですが,きちんとしたスキームをつくったうえで,やってもらいたいものです。
 ちなみに本に書かれていたので確認したら,しっかり次のように厚生労働省のHP(休業支援金・給付金に関するところ)に記載されていまいた。


「事業主の皆様へ ~まずは雇用調整助成金の活用をご検討ください~」


 第2の非正規のところでは,アルバイト学生の位置づけが興味深かったです。アルバイト学生は,労働基準法では労働者に含まれるので,他の労働者と変わりありませんが,雇用保険の対象からは明文で除外されています。でも今回コロナ禍では,雇用調整助成金は使えないけれど,緊急雇用安定助成金として実際上は対象に含められて,そのうえ文科省がアルバイト学生を対象に学生支援緊急給付金を作っていて,こうなると雇用保険のほうも,アルバイト学生を排除していてよいのかが問われる,という問題提起がされています。大学教師の建前論でいうと,大学生がアルバイトをするのは,勉強の妨げになるので,ほんとうは望ましいことではないのであり,大学生がアルバイトをしなくても生活できるようなサポートをするのが国としては正しい政策だと言いたいところです。ただ労働法の観点からは,アルバイト学生とパートを区別する必要はないと思うので,雇用保険法は今後,この点について,検討が必要となるでしょうね。同じようなことは社会保険においても出てくる問題でしょう。
 第3のフリーランスのところでは,税法上の扱いについて,報酬を給与所得として申告するよう指導されていたという話は知らなかったですね。役所関係の仕事で,明らかに単発的なものなのに給与所得扱いされていて疑問を感じたことはあったのですが,これと関係しているかもしれません。研究者としては,自分のことについて,もっと詰めて考えておくべきだったのかもしれませんが,税法上の給与所得概念については,いちおう実質をみていくということで,それなりに納得していました(例えば,大内編著『働く人をとりまく法律入門』(ミネルヴァ書房)で,いまは慶応大学におられる佐藤英明さんが担当された「給料や退職金はどのように課税されるのか」の149頁などを参照)。ひょっとすると,税務当局のほうが,個人の自営業者は,名ばかり自営業者が多いとみていた,ということでしょうかね。小学校休業等対応支援金についても,フリーランスに対する支給要件をみると,実際上,名ばかり自営業者(実質は労働者)に該当する者にしか支払われないことになっているとの指摘も合わせて,たいへん興味深かったです。私に言わせれば,フリーランスの政策を,雇用類似の者や名ばかり自営業者だけをターゲットにしているのでは,ダメなのですが,このことはいつも述べているので繰り返しません。また失業給付については,所得保障制度の統合という構想のなかで考えていく必要があるのであり,これは私自身,研究を深めていくべきテーマだと考えています。
 第4のテレワークは,濱口さんも厚生労働省の検討会に入っておられるということなので,どのような成果が出てくるか楽しみにしています。


 これで1000円というのは,お得すぎますね(Amazonの値段はおかしい?)。

2021年2月13日 (土)

起死回生のシナリオはあるか

 昨日の続きですが,80代であっても,適任者であれば選んでよいという考え方はもちろんあります。それは正論なのですが,なぜ年齢制限が必要かというと,何が適任かを明確には示せないので,結局,年齢が高い人や実績のある人のほうが信頼できるというような基準がまかり通ってしまうからです。
 本来,オリンピック組織委員会のような長丁場の委員会については,病気などのリスクを考えると,かりに年長者が長についても,何かのときに代わりを勤めることができるような副会長を用意しておくべきなのです。BidenKamala Harrisのようにです。今回の森氏は不祥事での辞任ですが,年齢を考えると,それ以外の理由での辞任もありえたはずです。それについて,どう準備していたのでしょうかね。辞任すれば,副のポストにいる人が代行するとか,昇格するということになっていなかったのでしょうかね。
 昨日は,老害のことを指摘しましたが,私だってすでに50代後半であり,もし生き続けるとすると,老後資金は大幅に不足するので,どうしても最低80歳くらいまでは働かなければならない状況にあります。だから個人的には,森さんくらいの年齢まで現役で働ければという気持ちはありますが,やはり周りに迷惑をかけないように,一定の年齢(70歳?75歳?)を超えれば社会的に重要なポストには就いてはならないと心に誓っています(もっとも,それは自信過剰で,そもそもそういう声はかからないでしょうが)。老人が勘違いしないためにも,公的な仕事には定年や年齢制限を設けておいてほしいものです。私の場合は,大学を定年になった後は,フリーランスとして,何とか死ぬまでやれれば,というところでしょうかね。ちょうど高年齢者雇用安定法が改正されて,65歳を超えて70歳までの高年齢者就業確保措置を講じる義務(努力義務)に,創業支援等措置が追加され,労働契約以外の業務委託契約での就業継続も選択肢に含まれています。大学がこの努力義務を果たして70歳まで業務委託契約で使ってくれたら嬉しいですが,どうなるでしょうか。
 ところで,森氏の後任に決まりそうだった川淵氏は,選任過程の透明性に問題があると批判されて,結局,自ら降りてしまいました(あるいは降ろされた?)。でも透明性って何なのでしょうか。川淵氏は,森氏から頼まれて互いに涙を流しながら話をして後任を引き受けたというプロセスを「透明化」していました。これがダメだということですが,新たな選任プロセスが透明かというと,選任のための委員会の議論を生中継でもするというのであればさておき,そんなことにはならないでしょうから,いったい何を透明というのでしょうかね。透明性は,もともとどのように選任するかのルールが事前に決まっていて,それに基づき選任するということなのかもしれませんが,今回は,あわててルールをつくって,それに基づいてやったから透明ということのようであり,それではあまり説得力がありません。ルールの事前設定は最低限の条件で,さらにそのルールの内容と具体的な運用が説得力のあるものでなければなりません。適当なルールをあわててつくって,それに依拠したから透明であり,だから問題がないということは世界に通用しないと思います。
 組織委員会の会長は,そもそも森氏が選ばれた経緯だって透明ではないわけです。実は,世界の目は,良い人さえ選ばれれば,透明性など問題としないと思います。組織委員会の会長というような仕事は,そういうものです。皇族になってもらうことだってOKでしょう。辞めさせられる人間が後任を決めて院政をしくというようなことはやるべきではないというのは当たり前のことで,それは透明性とかいうのとは違う次元の問題だと思います。
 いずれにせよ,オリンピック・パラリンピックは撤退戦略をとれというのが私の立場ですので,これを良い機会に戦略を練り直してほしいです。それに普通の人なら,こんな会長ポストに就きたがらないでしょう。オリンピック・パラリンピックに起死回生のシナリオはあるでしょうか。世界が注目しています。

2021年2月12日 (金)

80歳代のおじいさんたちに任せていてよいのか

 アメリカのBiden大統領の78歳という年齢には驚きますが,きちんと50歳代の女性の副大統領を選んでいるところがポイントですね。国民があまりBidenの年齢を言わないのは,副大統領にしっかりした人が選ばれているから大丈夫という気持ちがあるからでしょう。ところが日本では80歳代の政治家がキングメーカーのようになっていて影響力をもち,今回も80歳代の元首相の問題発言をかばうといった見苦しいことが起きてしまい,その問題発言者が就いていたポストの後任がまた80歳代になりそうということで,さすがにこれはストップがかかりました。老人だから悪いというのは年齢差別になりかねませんが,老人の判断能力が低下してくるのはやむを得ないことで,自分の引き際をきちんと判断できないから,無理矢理でも辞めさせる定年というのが必要となるのです。それなのに定年にするどころか,進んで要職に老人を就けるなどというのは,とても危険なことです。その意味で今回の問題発言は,この方をこのポストに付けた周囲にこそ大きな責任があるでしょう。それにもかかわらず,後任の人選を決める委員会の座長も,また80歳代ということですし,その人選を発表している事務総長がまた70歳代後半ということで,こりゃもうダメですね。老人が健康で社会の中枢で働ける社会は良い社会と言えそうですが,やはりどうしても国際感覚に欠けたり,新たな価値観に対応できなかったり,無理が出てきます。それにしても,前にも書きましたが,日本には,そんなにも若い層に良い人材がいないのでしょうか。
 80歳代の人の活躍(?)をみていると,菅首相が若いように思えてきますが,彼も72歳であり,かなりの老人です。しかも,なにかあったときの副総理が80歳の元首相というのですから,困ったことです。
 個人的には40歳代後半から50歳代のバリバリの人で,政治家村の人間関係に縛られ長老の覚えがめでたいというような人ではなく,信念をもって自分の言葉で国民に語りかけられるような人に日本の未来を託したいですね。河野太郎でもいいし,田村憲久でもいい。いまの菅首相に期待したいのは,こういう政治家を,次に備える人材として,副総理に据えておくことですね。菅首相の不人気は,コロナ対策のまずさもありますが,この人にコロナ後の社会をきちんと構築できるのかという不安があるからです。デジタル庁などはよいのですが,日本社会に本格的にDXを浸透させるのはもっと若い政治家に任せるべきです。二階も,麻生も,森も切って,若い人にバトンを渡す姿勢をきちんと示すことができれば,菅首相への国民の支持は回復できるかもしれません。

2021年2月11日 (木)

朝日杯将棋オープン戦

 

 藤井聡太二冠(王位・棋聖)が,朝日杯将棋オープン戦で3回目の優勝をしました。デビューしてから4年少しで3回目の優勝というのは驚異的です(他の棋戦も含めると優勝は5回です。師匠の杉本昌隆八段はデビューして30年ですが,棋戦優勝はありませんから,藤井二冠のすごさがわかります)。デビューした年に,この棋戦で,準決勝で羽生善治九段に勝ち,決勝で広瀬章人八段に勝って,大変な話題になったのですが,このときは当時の名人の佐藤天彦九段,そして竜王であった羽生九段をやぶり,将棋界のみならず世間も驚かせました。その翌年は決勝で,当時,棋王であった渡辺明名人に勝って2連覇をはたしましたが,そのときにはもう誰も驚かなくなっていました。昨年は優勝した千田翔太七段に準決勝で敗れてしまい,惜しくも3連覇は逃しましたが,今年は,デビュー以来6連敗していた大の苦手の豊島将之竜王に初めて勝ち,準決勝では渡辺名人に勝ち,決勝では三浦弘行九段に勝ちました。同じ日に準決勝と決勝をやるのが,この棋戦の特徴です。ちなみに持ち時間は40分で,切れたら1分将棋という早指し戦です。
 今日はAbemaで中継をしていたので,仕事の合間にずっとみていました。午前中の渡辺名人戦は,途中で,AIの評価値が確か99%まで渡辺勝ちになっていて,渡辺名人が必勝の状況でした。素人目にも,渡辺名人が大優勢で,藤井側の玉が頼りなく中段に引っ張り出されていました。ところが,名人が最終盤で1手だけなのですが緩手を指したために,たちまち評価値は逆転し,そのまま藤井二冠の逆転勝ちとなりました。評価値が逆転しても,そう簡単には勝ちにならないのですが,終盤の強さはAI並みの藤井二冠は大逆転勝利をはたしました。渡辺名人にこういう勝ち方ができるのは,藤井二冠くらいしかいないのではないでしょうかね。
 決勝の三浦戦も,藤井玉は中段に引っ張り出され,最終盤でAI評価値では,藤井二冠の緩手もあって三浦九段が優勢になりました。しかし,最後は三浦九段のほうに緩手が出て,きわどいところで藤井二冠の逆転勝ちになりました。
 藤井二冠は詰将棋の選手権でも何度も優勝していて,終盤が強いのはわかっているのですが,不利になっても粘り強く指して,逆転を目指すという勝負術も兼ね備えています。それが,これだけの高い勝率につながっているのだと思います。将棋は,相手に信頼されるということが大切です。信頼されていると,一手一手に深い意味があると相手が考えてくれるので,それだけ相手の持ち時間が奪われて有利となりますし,相手の悪手も出やすくなります。三浦九段も優勝を逃した悔しさもあったはずですが,「相手が藤井さんだから」と言っていたくらい,藤井二冠の強さはトッププロの間でも浸透しています。王将戦のリーグではちょっとした挫折も経験しましたが,先日は,順位戦のB級2組も軽く通過を決めて,いよいよ来期はB級1組です。おそらく1期で通過して,2022年にはA級棋士になるでしょう。A級ではそう簡単には勝てないかもしれませんが,名人位がいよいよ射程に入ってきましたね。
 ところで,王位戦が,まさか冗談か,と思ったのですが,「お~いお茶杯王位戦」に名称が変わりました。伊藤園が特別協賛して2期だけ名称が変わったようです。藤井二冠が,対局中にお茶をよく飲むのは有名で(初手を指す前にも,必ずお茶を飲みます),伊藤園もお茶を提供していたようなので,語呂合わせのようですが,よい宣伝になることでしょう。藤井二冠が,お茶を飲みながら,王位を防衛して,伊藤園に利益をもたらすということでしょうね。

2021年2月10日 (水)

悪女

 私は男性なので,河合案里という人が,ほんとうはどういう女性であるのかが気になります。夫をつかって政治的野心を満たそうとしたが失敗した愚かな悪女なのか,それとも政治のドタバタに巻き込まれた気の毒な才女なのか,それとも全く違うのか。まあ選挙の際に金をばらまくのも,桜をみる会で支援者を接待するのも,本質的に変わらないことなので,国会議員新人だった河合案里氏がこれだけたたかれるのは少し可哀想な気もします。とはいえ,もしかして,とてつもない悪女かもしれないので,そうなら,同情は禁物です。ひょっとすると,これから夫の悪行を暴いて,政治の浄化のために尽くすというような華麗な転換があるかもしれません(華麗な転換というと,ロッキード事件で,田中角栄に「ハチの一刺し」をした榎本三枝子さんは,一刺し後も死なずに,芸能界でしたたかに生き残りました。政治家からすれば,彼女もまた悪女なのでしょうね)。
 男からすると,中島みゆきの「悪女」に出てくるような,悪女になりきれない可愛い女性がいたらほっとしますが,永井路子の『歴史をさわがせた女たち』(文春文庫)(とくに外国篇)に出てくるスケールが桁違いに大きい悪女を知ると,これが女の本性かもしれないと思い恐ろしくなります。同書の冒頭に出てくるアグリッピナ(Agrippina),あのローマ皇帝ネロのお母さんですが,やはり冒頭に出てくる価値のあるだけの稀代の悪女なのでしょうね(たしか塩野七生の『ローマ人の物語』にも出てきていました)。
 小説上の悪女といえば,私は,中山千里の『嗤う淑女』(実業之日本社文庫)の悪女をあげたいですね。「笑う」ではなく,「嗤う」という漢字がぴったりです。本の紹介では「史上最恐の悪女ミステリー」となっていますが,そこまで言えるかはともかく,お風呂の友にどうぞ(男性向けです)。

2021年2月 9日 (火)

最近の論考

 白書といえば,政府が出すものが有名ですが,その他にも民間からいろんな白書が出ているようです。今回,『インターネット白書』というものに寄稿する機会をいただきました。2021年版で,テーマは「ポストコロナのDX戦略」です。私は,いつものテーマという感じですが,「DX時代におけるテレワークの可能性と課題」という論考を寄稿しました。急速なデジタル革命のなかで,まさに旬のテーマを扱う興味深い論考がそろっていますので,関心のある方も多いと思います。
 ビジネスガイドで連載中の「キーワードからみた労働法」の最新号(第164回)のテーマは,「無期転換阻止目的の雇止め」です。これは12月の神戸労働法研究会で,弁護士の千野博之さんと東京都立大学の天野晋介君が,たまたまこのテーマに関係するバンダイ事件と地方独立行政法人山口県立病院機構事件についての判例評釈をしてくれて刺激を受けたので,これで書いてみようと思いました。無期転換が生じないようにするための雇止めというのは,労働契約法18条の潜脱と考えるべきなのでしょうか。そうではないだろう,というスタンスで書いています。
 神戸労働法研究会では,いつも書いていることですが,メンバーは少数とはいえ,いろんな人の報告を聞いて刺激を受けています。労契法旧20条の5判決についても,昨年の11月にJILPTの山本陽大君の報告を聞いて勉強させてもらい,NBLの原稿でも参考にさせてもらいました。1月には不当労働行為事件に関する報告を2件勉強させてもらいました(上智大学の富永晃一君の東リ事件における民事裁判と兵庫県労委命令,神戸大学の櫻庭涼子さんのアート警備事件です)。
 そうは言っても,いつも一番しゃべっているのは私で,若手に迷惑をかけているのは自覚をしているのです(不当労働行為事件となると,とくに話が長くなってしまいます)が,なかなか治りませんね。森喜朗氏は,「女性は話が長い」と言っていますが,普通は「老人は話が長い」でしょう。若手の話をたくさん聞くためにも,できるだけ黙っていたほうがよいのですが,私には無理そうです。でも,いつかは話題についていけなくなり,話したくても話せない時期が来るのであり,その時期ができるだけ後になればよいかなと心のどこかでは思っています。

2021年2月 8日 (月)

オリンピックとSDGs

 森発言のあと,オリンピックのボランティアの辞退者が続出しているようです。森は森,ボランティアはボランティアで話は別という気もしますが,これは実は,21世紀型社会における新たな価値観を典型的に示しているものだと思います(21世紀型社会と20世紀型社会の対置は,拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)のキーワードの一つです)。
 21紀型社会における価値観とは,共同体への貢献という人間社会の原点への回帰なのです。それは無償のものも含まれ,共同体からの還元という将来の対価が払われればよいという発想(お互い様という発想)に依拠しています。多くの人は生活のためには働かなければならないのですが,せめて賃金労働をしている以外の時間は,共同体のために貢献したいと考えている人が増えているのです。東京オリンピックは,国という大きな共同体の祭りであり,そこに貢献したいという気持ちがあるのです。こうした貢献は,共同体の持続的発展への願いという気持ちも込められています。女性蔑視発言は,自分の周りに必ずいるはずの女性の今後の活躍の可能性を狭めるものであり,共同体の将来にとって有害です。これは人権とかそういうことではなく,よりシンプルに人口の半分を占める女性をないがしろにして,共同体の持続的発展は望めないということなのです。
 株式会社に求められているESGにおけるEの環境も,共同体の持続可能性にかかわります。SSocialには,差別の問題に敏感であることを含みます。ESGをおろそかにする会社に投資家が背を向けるのも,共同体の持続可能性という新たな価値観に対応できない会社には今後の成長を期待できないからです。
 経済的成功を何よりも重視してきた20世紀型社会の(昭和的な)価値観は通用しなくなってきています。オリンピックを経済的な成功と結びつけているかぎり,新しい価値観の国民はついてこないでしょう。経済的成功にこだわりすぎることこそ,共同体の持続可能性を危険にするからです。オリンピックのボランティア辞退は,オリンピックのもつスポーツという営みの純粋さに共感し,共同体の祭りをともに盛り上げようという精神を重視する人が,すでにコロナ感染による健康被害などを気にせず闇雲に開催に邁進する対応から,うさんくさく思えてきていたオリンピックに,最終的に三行半を突きつけたというところでしょう。
 21世紀型社会の価値観は,SDGsネイティブ世代を中心に確実に広がってきています。共同体(その広がりは人類共同体,地球共同体,さらには宇宙にまで広がる可能性もあります)の将来を考え,その持続可能性に危険をもたらすような行為に背を向ける国民が増えてきていることを,政治家はよく知っておく必要があるでしょう。必ず近い将来において,大きな政治変動が起きるでしょう。
 森氏が,オリンピック誘致にこれまでどこまで貢献してきたかなどは,あまり関係ないのです。関係あるのは,森氏やそれを支えている人たちの価値観です。オリンピックに対して,どのような行動をとるか,国民はよくみているはずです。これまであまり顕在化していなかった大きな価値観の断絶が,これから明らかになってくるでしょう。このことが,21世紀型社会への本格的な移行を早めることになるかもしれません。

2021年2月 7日 (日)

麒麟がくる最終回

 最終回をみました。光秀単独犯行説でしたね。平らかな世を作るために信長に賭けたのですが,信長はいくさに明け暮れていました。信長は,足利義昭を討てば,いくさは終わると言って,光秀に義昭討ちを命じましたが,それは光秀には応じられないことでした。光秀は,追い込まれてしまいました。正親町天皇の「月にのぼる者」の示唆もありました。光秀は信長を討たなければならないという暗示にかかってしまいました(ただし,天皇は決して光秀にも信長にも味方はしませんでした。最後に秀吉に関白を与えたことについて東庵と語り合うシーンは,朝廷黒幕説を否定したものでしょう。このほか,ドラマでは,義昭黒幕説,家康黒幕説,秀吉黒幕説もすべて否定していました)。前回は,帰蝶から,現在の信長を作った責任は光秀にあると言われ,作った以上は責任をもてということで,信長暗殺を示唆していました。光秀が主君暗殺に追い込まれていった事情は,よく示されていました。また,秀吉の「大返し」の成功は,細川藤孝の裏切りという説に立っていました。光秀は,藤孝を頼りにしてはいたと思いますが,ドラマでは,最後に会ったときにもはや頼りにできないことがわかった感じでした。光秀は,藤孝がかりに裏切っても,藤孝の息子に嫁いだ娘のたまが生き残ってくれれば,よいと思っていたのでしょう(たまに,最後の言葉を残したところは印象的です)。実際,その作戦は成功するのです(たまの子は,熊本の細川家につながっていきます)。また統治面では,自分が失敗したら,家康に任せるということを考えていました。その伝令役を菊丸(岡村)が果たしました。麒麟は自分でなくてもよいということでしょう。本能寺の変は,突発的なものでしたが,明智は自分が失敗したあとも考えて,冷静に行動していたということです。
 というストーリーでしたが,それなりに説得力をもあって,明智光秀という難しい人間を,魅力的に描いていたと思います。朝廷や幕府を重んじながら平和の実現に邁進し,ただ信長を利用するという危険な賭をし,その賭けに失敗したものの,結果的に,その後の秀吉,家康政権をつくりだし,平和を到来させたという点で,歴史的な偉業を果たした人物であるという描き方だったと思います。その意味で,光秀は麒麟でした。決して,家康接待の際の信長からの打擲への憎しみ(これはドラマのなかで,信長に,家康を試す芝居であったと釈明させています)や,親しい関係にあった長宗我部氏の討伐(ドラマでは少しだけ出てきます)などは本能寺の変の主因ではなく,また他のドラマではよく出てくる丹波攻めの際の信長の裏切りで人質であった母が処刑されたことへの恨み(これは史実ではないとされ,本ドラマでも処刑シーンは登場しませんでした)も関係ないのです。私怨を晴らすというようなことではなく,大義のために戦って生きた男という描き方は好感を持てました。明智三郎さんは,どのような感想をもっているでしょうかね。

2021年2月 6日 (土)

「麒麟がくる」の最終回

 ずっとみてきたNHKの大河ドラマの「麒麟がくる」は,明日がいよいよ最終回ですね。みんな大好き「本能寺の変」の謎解きです。コロナで撮影中断や帰蝶役の突然の交代といったアクシデントがあったり,また内容的にも,東庵やお駒といった架空人物が出過ぎであり歴史の筋をきちんと追いたい人からは苦情があったりなど,いろいろありました。ただ明智光秀の話は,他の有名な戦国武将のなかでも,とりわけ謎が一杯なので,面白く展開してもらえれば十分だと思っており,十分,その期待に応えてくれていると思います。かつて明智氏の末裔である明智憲三郎氏が執筆した『本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫)』を本ブログの前身の「アモーレと労働法」でも紹介したことがあるのですが(ブログの内容は消えてしまい,見つかりませんでした),ひょっとすると,今回の大河は明智氏の唱える徳川家康と共謀していたという説に立っているのかもしれません。
 本能寺の変は,なぜ光秀が信長を殺したのか,誰か黒幕がいたのか,という点をめぐり,いろんな説が出されてきました。日本史界の若きスター学者である呉座勇一氏は,『陰謀の日本中世史』(角川文庫)の第6章で,丁寧にこれまでの見解を紹介して批判し,また明智氏の説明も採り上げてかなり紙幅を割いて検討しています。呉座氏は,単独犯行説をとっています。本能寺の変の直前のいわば軍事的空白状況をみて,権力を握るチャンスとみて,急遽,単独犯行を思い立ったという見解です。正親町天皇など朝廷も,将軍の足利義昭も,家康も黒幕ではないとしています。光秀も隙あらば天下を狙う戦国大名の一人であったということでしょう。
 大河ドラマでは,朝廷派の光秀が,朝廷の意向を忖度しながら,家康も自分の行動を理解をしてくれるだろうと期待して,信長・信忠親子を討ち,その後は,細川藤孝とともに,義昭を再び京都に戻して足利幕府を再興しようと考えていたというようなストーリーになるのかな,と予想していますが,どうでしょうか。ナイナイの岡村が演じる菊丸が何か重要な役割を演じるかもしれませんが,それはどういうものか。お駒や東庵にも,何かの役割を与えるのか。そして肝心の動機は何か,黒幕や共謀者がいたのか,秀吉は本能寺の変を事前に知っていたのかなども含めて,最終回に向けて興味は尽きません。


 


2021年2月 5日 (金)

山崎八段昇級

 順位戦は,そろそろ佳境を迎えています。昨日はB1組で,山崎隆之八段が対局では敗れたとはいえ,他の棋士が敗れたのでA級への昇級を決めました。これまでで最も時間のかかったA級昇級です。山崎八段は,早くから天才と言われて,その独創的な棋風はファンも多いのですが,なかなか大きな活躍ができませんでした。タイトルは取っていないし,順位戦もB1組に長く滞留していました。年齢が近い阿久津主税八段などは,A級に上がってすぐに落ちるというのを2度繰り返していますが,それでもA級の経験があるということは残ります。あのハッシーこと橋本崇載八段もA級を1期経験しています。山崎八段は,もう無理だろうと思われていたのですが,40歳手前でやっと昇級です。今期は難所の永瀬拓矢王座に勝つなど,好調を維持して,最終局を待たずに昇進を決めました。
 A級というのは,若くて才能のある棋士がスムーズに到達するケースが多いのですが,苦労して昇級するケースもないわけではありません。ただ,この場合は,すぐに降級してしまうことが多いように思います。いまから40年前,木村義雄名人(第14世永世名人)の三男であった木村義徳七段(当時)が,44歳でA級(名人戦挑戦者決定リーグ戦 )への昇級を決めたことは,よく記憶しています。これまであまりパッとしなかった棋士が,ある一瞬輝いたのです。結局,A級では全敗で,すぐに陥落となりました(阿久津八段も1回目のA級は全敗で陥落し,2回目も最終局で1勝したものの,あとは勝てませんでした)。A級の壁は厚いものがあります。山崎八段は,木村八段よりも強いと思いますが,関西勢の仲間(豊島,斎藤,糸谷,菅井)も多い中,どこまで力を発揮できるでしょうか。ようやく名人に挑戦できるところまで来たのです。現在B級2組にいる藤井聡太二冠(王位・棋聖)が上がってくるまでに,名人を獲得して,藤井八段を迎え撃ってほしいですね。
 そのB1組は,もう一人の昇級候補は,もちろん永瀬王座です。永瀬王座は,現在の四天王の一人で,A級にふさわしいのですが,順位戦はすんなりとはいきませんね。最終局に勝てば昇級ですが,負けると,木村一基九段が勝てば,1期でA級に返り咲くことになります(昇級は二人)。
 名人への挑戦を決めるA級のほうは,渡辺明名人に誰が挑戦するかですが,最有力だった豊島竜王が脱落して,先頭を走るのはA級に上がったばかりの斎藤慎太朗八段です。最終局で勝てば挑戦権を獲得し,敗れたときには,広瀬章人八段が勝てばプレーオフになります。対戦相手をみると,斎藤八段の挑戦の可能性が高いと思います。A級からは,残念ながら稲葉陽八段が陥落です(もう一人は,三浦弘行八段です)。稲葉八段は,名人挑戦経験もあるのですが,最近はパッとしない状況で,降級もやむを得ない感じです。関西勢として,1期で復帰を期待したいところです。

2021年2月 4日 (木)

人材不足?

 森喜朗という人は,たぶん政治家の仲間のあいだでは人望があるし,官僚や取り巻きにとっては,かつぎやすい人なのでしょうね。元首相という看板も「一応」あります。でも,今回の失言で東京オリンピックは事実上終わったのではないでしょうか。今後,ものすごい反発が国内外に起こるかもしれません。本人は80歳も超えると失うものがないでしょう。自分の信念は曲げないでしょう。他人に迷惑がかかっても関係ないでしょう。謝罪会見に出てくるだけ,まだマシなのかもしれませんが,そもそもこういう老人をかついではいけないのです。
 男女差別問題には,海外ではことのほか敏感です。日本では想像できないかもしれませんが。今回の発言は,日本のイメージを下げることにもなりました。まさに国辱ものです。日本人女性も黙っていてはいけません。もうオリンピックどころではありません。
 オリンピックについては,実は,事務総長になった方の名前をみてイヤな予感がしました。本人にはまったく罪はないので申し訳ないのですが,かつて大蔵省で,部下のノーパンしゃぶしゃぶのせいで更迭された過去があり(その後,事務次官にはなっている),また日銀時代には,まったく理不尽な理由で総裁になれなかった過去があります。当時,とても気の毒な方だなと思った記憶があります。官僚としては優秀な方なのでしょうが,何か不運を背負っている感じがして,この人の名前がオリンピック関係で再び出てきたので不安になっていたのです。実際,コロナで延期ということになってしまいました。そして,森発言でとどめを刺されました。おそらくオリンピックは無理でしょう。開催を強行しても,まともなオリンピックにはならないでしょう。老害の極地のような人や不運を背負っている人が,東京オリンピックを仕切っていたのです。日本には,もう少し人材はいないのでしょうかね。

 

大学は変わる?

 昨日のブログの続きですが,学生から聞いた話ですが,学生が一番困るのは,1日のなかでオンライン授業と対面型の授業が混在する場合だそうです。1時間目がオンラインでも,2時間目に対面型の授業が入っていて,通学にある程度の時間がかかる場合には,結局,1時間目のオンライン授業は,大学で聞かざるを得なくなります。そうしないと2時間目の対面型の授業に出席できないからです。家でオンライン授業を聞けない状況にあるわけでもないのに,大学に行ってオンライン授業を受けなければならないのは馬鹿げたことです。
 下宿をしている学生はオンライン授業が中心であると決まれば,下宿を解約して実家に戻って授業を聞きたいと思うでしょう。下宿代がもったいないからです。でも,ときどき対面型がはさまると,そうはできなくなります(一つの授業科目でも,数回はオンライン,数回は対面というミックス型があるようです)。対面型の授業をやる時期を固めてくれると,そのときだけ大学近くのウイークリーマンションを借りて授業に出席できるのに,という声もありました。
 学生にとってできるだけ良い環境で勉強してもらうという学生ファーストを徹底するならば,学生がどこにいても授業を聴けるようにすべきです。オンデマンド型はそういうものですが,リアルタイム型でも,例えば大学に来たい人は教室で授業を聴き,オンラインで聴きたい人は好きなところで聴き,ついでに教師のほうも自宅からオンラインでつないだり,教室でカメラをつかいながらオンラインでも聞けるように授業をしたりするというパターンが考えられます。
 すべての授業をオンデマンドにしろ,リアルタイム型にしろ,オンラインで受講できるようになれば,全国どこからでも授業に参加できるようになります。そのようななかで神戸大学が選ばれるとするならば,神戸が環境がよいとか,そういう要素はなくなり,純粋に授業内容や教員のクオリティで勝負せざるを得ないことになるでしょう。大学の教員はHPをもって発信している人も多いので,どういう研究をして,どういう活動をしているかが,かなりわかります。授業についても,大学のHPで,かなりのことがわかります。そういうものをみながら大学選びをすることになるのでしょう。当面は,卒業生の就職先もポイントになるかもしれません。良い就職先に行ける大学は,良い教育をしてくれるとみて学生が集まるでしょう。こうした情報が十分に発信できていない大学は,学生から敬遠されることでしょう。もっとも今後は,雇用社会そのものが大変革するので,過去の実績はあまり当てにならないかもしれません。むしろ大学が,これからのデジタル技術社会でやっていけるような能力をどのように学生に身につけてもらうかを,明確にアピールしていくことが大切かもしれません。そのような自覚をもった教員を多く抱え,それを学生にうまくアピールし,そして結果を出していく大学が残っていくのでしょうね。
 イタリア語では,大学はUniversità di studi (英語にすれば,University of studies)といいますが,これは勉学の団体・組織(universitàは,一つに向けられた,というようなニュアンスでしょうかね)ということです。中世イタリアのBologna大学は,学生のギルドから発展したものでした。学生が主体となって教師を雇い,出来の悪い教師をクビにしたりしていたと言われています。これからの時代は,ひょっとすると,こういうことになるのかもしれません。私たちは講演に呼んでもらうとき,その団体・組織が私の話を聞きたいから呼ばれているわけです。大学教員も,学生達の組織(これこそがほんとうのuniversitàなのです)から,あの教員の講義を受けたいと選んでもらえなければ,稼げないという時代が来るかもしれません。オンライン時代には,こんなことが現実味を帯びてくるような気がしています。

 

2021年2月 2日 (火)

後期の授業終了

 今日で後期の授業が終了しました。今日は学部の1年生相手の少人数授業で,定員は20人だったのですが4人しか来ず,不人気ぶりに情けなくなります(学生にすれば,おじいさんの授業など聞きたくないということでしょうかね)が,逆に来てくれた4人(全員女子学生)は,とてもいとおしくなりました。授業は,これから法学の勉強をするうえで必要な基礎能力を高めるということで,テーマは比較的広く設定できるものなので,私の場合は,昨年刊行した『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)を素材に,同書の内容を章ごとに,私がレクチャーをして,その後で学生と議論するということを繰り返し,さらに学生はその議論から着想を得たテーマで最後に一人ずつプレゼンをして討論するという授業にしました。自分で言うのも憚られますが,この授業に出た学生は,おそらく人生観が変わったと思います。デジタル技術の影響について,最初は懐疑的な感じでしたが,最後のほうではそれを受け止めて,どのような法政策が必要か,自分はどうしていかなければならないか,というようなことについてきちんと自分の考えを言えるようになっていました。10月からの4か月で週に1回の授業ですが,家庭教師に近いようなものですので,濃密でした。ほんとうはもっと多くの学生に聞いてもらいたかったのですが,超少人数授業も悪くありません。学生の質問に丁寧に答えることができます(しばしば私が話しすぎるのが問題ですが)。
 学生にとってのオンライン授業の有用性は,まったく揺るぎないもののようです。学生の発言のなかでも,「オンライン授業は効果があるが……」という言い方が当たり前で,当然の前提となっており,むしろなぜ効果があるか,効果がないとすればどういう場合か,そしてなぜもっと普及しないのか,という問題設定のほうに向かっているようでした。私のオンライン授業は,リアルタイム型で,Zoomを使ってビデオオンでやっていましたが,いわゆる大講義的な授業ではオンデマンド型もされており,これも学生から好評でした。自分が好きなときに,何度も聞き直すことができて,とても勉強しやすいということがその理由です。ただオンデマンド型だと,自分のペースでやらなければならないので,ついつい怠けてしまうという意見もありました。オンデマンド型は,自分でしっかり勉強のペースをコントロールできる学生にとっては,きわめて効果的なのでしょうが,逆に教室に無理にでもやってきて先生の声を聞かなければ,なかなか勉強する気にならないというタイプの学生(これが普通かもしれませんが)には効果が低いのかもしれません。ただ今後は,文科省の意向とは異なり,大学では(実験系など一部のものを除くと)リモート教育がメインになるのは確実で(そうでなければ日本の高等教育は沈没します),むしろオンデマンド型とリアルタイム・オンライン型をどう組み合わせていくかが重要になると思います。オンデマンド型が広がると,最終的には,大学という枠組みを超えてしまう可能性もあります。
 ところで,4人の学生がプレゼンのテーマに選んだのは,「遠隔授業」「テレワーク」「プロファイリング」「転職と雇用安定の両立」というものでした。どれもデジタル技術の時代の社会問題に切り込んでいく見事な内容でした。政府に直接提言してもらいたいくらいでした。個人的には手応えがあったので,来年度も同じスタイルの少人数授業を担当する予定です。できればオンライン・リアルタイム型で,よりブラッシュアップした授業をできればと思っています。

2021年2月 1日 (月)

労働委員会手続のリモート化

 労働委員会の手続における当事者のリモート参加が,今日から正式に認められることになりました。労働委員会規則の新しい41条の25項は,「……会長は,相当と認めるときは,当事者又は関係人(以下この項において「当事者等」という。)の出頭に代えて,当事者等の使用に係る電子計算機であつて委員会の使用に係る電子計算機と接続した際に委員会が指定するプログラムを正常に稼働させられる機能を備えているものと委員会の使用に係る電子計算機とを電気通信回線で接続し,又は当事者等の使用に係る電話機と委員会の使用に係る電話機とを電話回線で接続し,委員会と当事者等が相互に映像と音声の送受信又は音声の送受信により相手の状態を認識しながら通話をすることができる方法によつて当事者等を手続に関与させることができる」と定めています。
 これは不当労働行為審査事件の調査段階での当事者のリモート参加を認めたものですが,個人的な意見としては,今後は委員のリモート参加も条文化してもらいたいですし(兵庫県では,審査事件では公益委員は2名体制ですが,1名が参加していればよいという運用をしているので,公益委員は1名がリアルで1名がリモートということを認めています),審問のリモート化,さらには,争議調整のあっせん手続のリモート化にも広げていってもらいたいです(なお,新規定では,総会や公益委員会議のWeb化は16条の2で認められるようになり,合議も同様です(42条の2)が,開催要件が厳格なのが気になりますね。とくに「第三者がいる場所で会議に参加してはならない」(16条の2第4項)というのは気持ちはわかりますが,これを厳格に言い出すと,Web参加はやりにくくなると個人的には思っています)。
 一般的には,労働委員会の事件処理はもちろん不要不急ではなく,当事者にとって緊急性があるといえます。だからといって緊急事態宣言がでている期間にどうしてもリアルで開かなければならないほど緊急性があるケースはそれほど多くないようにも思えますし,緊急性があってもリモートでやれる場合が多いでしょう。もちろん実際の事件処理では,当面は当事者の意向が最優先ですが,今後のルールという点では,検討すべきところだと思います。
 本日は私の担当事件での調査期日があり,41条の25項を適用して,当事者の一部がリモート参加する調査手続が開かれました(新規定は本日施行だそうなので,全国第1号でしょう)。なお公益委員も1名(私)はリモート参加で,もう一人の公益委員と労使の参与委員は登庁しました(私はこの日,家のなかで転んで足を強打してしまい歩行が困難だったので,もしリモートでなければ参加できないところでした)。結論として,主張の整理の手続だったこともあり,リモートでまったく支障がなかったと思います。細かい点ではいろいろあったのかもしれませんが,会話はスムーズに行きましたし(Zoomを使用しました),とくに県庁でのカメラの設置がよかったのか,顔もよく見えました。リモート同士のほうは,もっと顔の表情がよく見えました(対面よりも鮮明に表情がわかります)。当事者や代理人(リアル参加者,リモート参加者)がどう感じたかはわかりませんので,意見交換をして,もし何か問題があれば,一緒に考えて改善していければと思います。
 一般的にいって,リモートとリアルのハイブリッド型の場合,リアルの出席者が複数いればどうしても表情などが見えづらくなるのですが,完全リモートにすれば互いの表情がよくみえて,コミュニケーションも取りやすくなります。和解もしやすくなるように思います(もちろん,和解はやっぱり対面型でやらなければという意見もあるのですが)。ただ,そのためにはリモートでの手続の進め方に委員が習熟する必要があるでしょうし,当事者にも慣れてもらう必要があるでしょうが。
 いずれにせよ,これからのデジタル時代には,労働委員会もあらゆる手続においてリモートを原則とし,どうしてもリモートではうまくいかない場合だけ例外というような大きな転換をしてもらいです(リモートだと日程調整がしやすくなるので,迅速な救済という制度目的にも資することになります)。これを機会に,規制を小出しに変えるのではなく,思い切って改革してみたらどうでしょうかね。ハイブリッドにしてしまうと効果が減殺されるので,完全リモートでやってみて,問題点があれば,運用面でその都度つぶしていくということでやれればよいのですが。音頭を取る立場にあるのは中央労働委員会ですが,どこまでやってくれるでしょうかね。。

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