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2021年1月の記事

2021年1月31日 (日)

鄭雄一『道徳のメカニズム』

 鄭雄一『東大理系教授が教える道徳のメカニズム』(ベスト新書)を読みました。道徳の本質は何かということを,理系的なアプローチで明らかにしようとするコンセプトの本です。内容は,理系のパパと賢い双子の息子との会話を随所にはさみながら,親が子に道徳をどう教えるかを考えていくという展開になっています。「なぜ人を殺してはいけないのか」という基本的な問題から話はスタートします。多くの宗教では,殺人を許していないにもかかわらず,実際には戦争をはじめとして殺人は起こり続けています。国家による殺人ともいえる死刑制度もあります。なぜそうなのでしょうか。
 本書は,道徳の本質は,「仲間らしくしなさい」ということにあるとします。仲間とは家族や親戚のような血縁関係だけでなく,言葉やコミュニケーションを通じたバーチャルな形でも成立します。これがあるから,2000年以上前に亡くなった人の語ったことに対して信仰心をもつことができるのです。そして,これが人間と他の動物との違いだとします。時間も空間も飛び越えて情報を伝えることができるところに人間の特徴があります。
 「仲間らしくする」は二つの決まりから成るとされます。一つは「仲間に危害を加えない」ということです。殺人をしてはならないのはこのためです。ただ問題は「仲間」とは誰かです。この決まりは,仲間以外には適用されないのです。だから,仲間以外の間では戦争が起こるのです。仲間の関係は,バーチャルに広がっていきますが,もう一つの決まりがあります。それは「仲間と同じように考え,同じように行動する」です。逆にいうと,仲間と違うような考え方や行動をすれば,仲間から外れてしまいます。仲間に危害を加えるような人は,仲間と同じように行動するとはいえません。そうした者を死刑にしても,この決まりには抵触しないのです。
 道徳の本質をこのように理解すると,仲間の範囲はできるだけ広くしたほうがよくなります。互いに危害を加えない範囲が広がるからです。しかし,仲間を強化するためには,同じように考え,行動しなければなりません。それは文化,宗教,言語などが異なっていれば容易ではないでしょう。アメリカ社会の分断は,自分たちの考え方や行動と違う立場の人たちを徹底的に排斥するところから起きています。仲間以外の者に憎悪をむき出しにするのは,仲間の間では道徳的な行動なのかもしれません(Trumpは,支持者にとっては英雄である)。仲間が宗教と結びつき,礼拝などの具体的な行動と関連すると,ますます結束が高まりますが,仲間の外には不寛容になります。
 しかし,こうしたことを放置すると,人間社会はディストピアになります。これからの時代は,異なるバックグラウンドをもっている者どうしでも,自分たちの考えや行動に凝り固まらずに,他の考えや行動にも寛容な態度で臨むことが大切なのです。それにより,互いに危害を加えないという道徳が妥当する仲間の範囲を広げていくことができます。そのために,自分たちと考えも行動様式も違う人たちともしっかりコミュニケーションをとって,互いに理解をしようとすることが重要だということを本書は教えてくれています。 
 道徳の限界を指摘しながら,人類が従うべき真の道徳とは何か,ということを教えてくれる本です。人間は言語を使うことで,すでに社会的な存在であって,個人を中心に道徳を考えていくことのおかしさを指摘する点も,説得的でした。
 たいへん読みやすい本で,まさに親と子の間で一緒に読みたいような本です。いまのような時代だからこそ,多くの人に読んでもらいたいです。この著者は,AIと道徳のことを書いた本も出しているので,それも是非読んでみたいです。

 

2021年1月30日 (土)

R.Valentino閉店

  コロナが終わったらどこに食べに行こうかと想像するのが楽しみという毎日ですが,六甲近辺ならともかく,三宮となると電車で10分もかかりませんが,当分は行けそうにありません。三宮に出ていくならまず考えるのが,R.Valentinoです。陽気なPietroさんがやっているイタリアンで,イタリアの現地で食べられる料理がそのまま出てきます。食べ終わった後,Pietroさんが自家製Limoncelloをボトルごと机にぽんと置いてくれて好きに飲んでよいよという太っ腹が有り難かったです。ところが,お店のHPをみると,なんと昨年1231日で閉店したそうです。東京からお客さんが来れば連れて行く店でしたし,大学の同僚の教授昇進のお祝いに行ったこともあれば,労働委員会の懇親会に使ったこともありました。数え切れないくらい行っています。閉店と知っていたら,無理をしてでも行っていたかもしれないのに。閉店の理由はわかりませんが,コロナではないかもしれません。日本を愛し,神戸人にほんとうのイタリアンを食べさせてくれていた店はもうありません。残念ですが,これまで有り難うございました,と伝えたいです。
 日本には,高級イタリアンの店は結構ありますが,なんかちょっと違うのです。私は格式張ったイタリアンは好きではありません。イタリアンって,もっと大衆的なものなのです。R.Valentinoこそが,私が求めていた本当のイタリアンレストランでした。R.Valentinoほどではありませんが,本物的な感じが強かったアルポルト神戸も閉店していました。ネットで調べたら,すでに昨年2月に閉店していました。トアロードホテルに開店してすぐのときから,よく使っていましたし(麻布のアルポルトも行ったことがあり,その親戚のような店ですが,私は神戸のアルポルトのほうが好きでした),ここも労働委員会の懇親会で使ったことがありました。大学の同僚の懇親会でも使いましたし,親族の古希のお祝いでも使いました。とても残念です。
 神戸から良いイタリアンが消えていくのは辛いです。イタリアンといっても,どこか違うよねというのが,日本にあるほとんどのイタリアン・レストランです。本物のイタリアンに来てもらいたいですね。

2021年1月29日 (金)

テレワークとセレンディピティ

  セレンディピティ(serendipity)は,英語としては難語でしょう。受験英語には含まれていないのではないでしょうか。注が必要な言葉でしょう。「想定しない偶然の発見」というような意味ですが,「ひらめき」という意味でも使われているようです。どのような職業をしていても,良い仕事をするためには「ひらめき」がとても大切です。私の経験でも,文章を書くとき,書くことがだいたい決まっていても,切り口が平凡で,使っている表現もつまらない,何かもうちょっとオリジナルなものが欲しいといくら思っても,なかなか浮かんできません。それが何かの拍子に浮かんできたときは,その日はとてもハッピーな気分になります。こうした「ひらめき」は,日頃やっているようにパソコンに向かっているだけではダメで,外を歩いているときなど,別のことをしているときに浮かぶことが多いのです。いまではそういう機会はありませんが,新幹線で外をながめているときというのも,「ひらめき」を生み出す絶好の機会です。朝起きたとき,あるいは夢のなか(たぶんレム睡眠のとき)も,よく「ひらめき」が起こります。知的創造性が重要とされるこれからの時代,自分なりの「ひらめき」を生み出す場をどのように見つけていくかが大切なのでしょうね。そのためにも,常に「ひらめき」を求めるという姿勢でいなければならないでしょう。
 「ひらめき」は他人との会話からも生まれますが,これはどちらかというと,自分が知らなかったことを「気づかされる」ということで,これはこれで大切ですが,「ひらめき」とはちょっと違う感じもします。とはいえ,他人との雑談から新たな発見があることも確かであり,それは「ひらめき」と同じくらい重要ですし,「ひらめき」につながることもあるでしょう。
 テレワークになると,雑談がなくなることが問題だということも言われているのですが,たぶん雑談の仕方を変えるべきなのだと思います。オンライン雑談というのも十分にありえるのです。私もこれだけオンラインで議論をすることが増えると,オンラインでも雑談をすることがありますし,それが「気づき」の場になったりもします。とくに現在は,リアルの場で,マスク越しでソーシャルディスタンスをとって,ときどき相手のマスクがずれてきていることを気にしながら話すというよりは,よほどオンラインでやるほうがよいです。会社も,雑談のもつ効用を,いかにしてオンライン環境で実現するかを考えていくことが必要なのでしょうね。

2021年1月28日 (木)

和田肇編著『コロナ禍に立ち向かう働き方と法』

 コロナ禍において,労働法はどういうことができるのか,そして働き方はこれからどうなるのか。和田肇編著『コロナ禍に立ち向かう働き方と法』(日本評論社)は,帯で書かれているように,「正規労働者,非正規労働者,フリーランス,自営業者など,働く人々に大きな被害を及ぼした危機。どのような対策がとられたか・とるべきか。これからの働き方はどうあるべきかを,ともに考える。」という本で,世間の関心にこたえるタイムリーな本です。こういう本が今後どんどん出てくる感じがしますが,いち早く刊行されたというところでしょう。難しい話はあまりなく,エピソードが盛り込まれ,制度のわかりやすい説明もなされていて,和田さんらしくドイツのことがよく紹介されていて,読者フレンドリーで役立つ情報満載という本です。
 個人的には,DXにより進行してきた変化を,コロナは促進したにすぎず,コロナが何か新しいことを引き起こしたことではないと考えていますから,コロナの問題について論じろと言われると,私なら拙著の『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)でも扱ったDXの話になるのですが,和田さんの本では,あまりデジタル変革の話は出てきません(テレワークのことは出てきますが,現状の問題の解説だけです)。現状をみると,DXなんて言ってられないということでしょうかね。
 本書で一番気になったのは,コラムの「営業『自粛』と憲法」(愛敬浩二執筆)でした。現在,営業時間短縮や休業命令に従わなかった事業者に対する過料をどうするかが問題となっていますが,これは営業の自由に対する国家権力による制限がどのような場合に認められるかという,典型的な憲法問題でもあり,どのような「答案」が出されるべきかが問われています。受験生なら,経済的自由と精神的自由は違うし,現在はコロナという制約を正当化する非常に強い要請があるというようなところから攻めていくのでしょうかね。また,憲法で保障されている自由だから,補償さえすれば制限できるといってよいのかという議論がある一方,そもそも補償の必要があるのか,という議論もあります。
 このコラムでも書かれているように,営業の自由は絶対的なものではなく,他の優越的な利益を前には制約を妨げられないのであり,経済的自由が憲法上保障されているから,事業者の制限を課すことはできないという理屈は憲法論では難しいのでしょう。事業者の人権を守れという主張は,憲法では,表現の自由を守れというよりも,ずいぶんとグレイドが下がる主張であり,現下のコロナでもパンチがない主張となります。おそらく,愛敬氏は,事業者の利益を守るために,政治家が安易に人権論を持ち出すことに警鐘をならそうとされているのでしょう。そして人権であっても,「まともな」制約可能性を論じることは,人権の正統性を維持するうえで必要なことであるという愛敬氏の考え方に,私は憲法学者ではありませんが,共感するところがあります。いずれにせよ大切な問題は,私たちが,同じ共同体のなかにいる仲間でもある事業者の苦境に対して,どのような態度をとるのかということであり,これは憲法が何を定めているかという規範的な議論ではなく,私たち自身が主体的に考えて行動して取り組むべき問題であると思います。
 一方で休業要請をする主体である権力側の正統性も問われなければなりません。憲法上,法律により営業の自由の制約ができるとしても,そこでは国民の納得が必要なのではないかと考えています。私は正統性原理と納得原理で支えられなければ民主主義ではないと考えています。選挙によって国民から権力行使の権限を与えられても,さらに実際にそれを国民に行使する際には国民の納得を得るべく誠実に説明することが必要と考えています。菅政権は選挙を経ていないので民主的正統性が弱いですし,また国民を納得させる説明力も弱いです。これもまた憲法問題ではないでしょうか。

2021年1月27日 (水)

給与がスマホに

 外出しないから現金を使うこともなくなってきて,財布から全然現金が減らないという生活になってきました。現金は減らないのですが,お金を使っていないわけではありません。スマホがあれば,私の生活の範囲では現金はほぼ不要です。近所のパン屋さんは,まだ現金ですが,ほとんどのところは○○Pay で支払えます。ネットの買い物はクレジットカードですが,番号を入力するだけなので,カード自体は使いません。○○Payは,還元でたまった額がまだ残っていますし,足らなくなったら,クレジットカード払いにするか,銀行口座からチャージするわけですが,もし○○Payに直接給与が支払われるようになれば,こうした手間は不要となります。消費者的には,銀行口座から現金を引き落として消費にあてるのは,いろいろ面倒です。ATMに行って引き出したり,お金を触りながら他人とやりとりするという非衛生なことをしなければならなかったり,落としたり,盗まれたりする危険があるなどです。給与さえ○○Payに入ってくれば,こうしたことから解放されます。銀行にお金を預けていても利息はゼロのようなものなので,良いことはありません。銀行口座は,○○Payに資金を移動するまでの仲介的なものにすぎず,本来なくてもよいのです。公共料金や家賃や税金などの銀行の口座振替が○○Payでできるようになれば,銀行口座は不要となるでしょう。いまは○○Payを使っていますが,より有利なものがあれば,乗り換える気は満々です。クレジットカード(カードと呼んでいますが,実際にはカードは使っていません)についても,ポイントの付け方やポイントで使える商品をみます。航空会社系のクレジットカードを長年使ってきてマイルをためていましたが,飛行機に乗る可能性がほぼなくなってきたので,ショッピングマイルに変えたうえで,そろそろ解約しようかなと思っています。
 マイルにしろ,ポイントにしろ,銀行口座とは違う口座で商品の購入をしているわけです。こういう時代において,給与の通貨払いの原則にこだわるのは,もう無理でしょう。労働者の同意は必須ですが,労働者がきちんと企業から説明を受けて納得して同意をしていれば,日本の通貨にこだわる必要はなく,仮想通貨,電子マネー,外国通貨など,本人の望む方法で支払っても適法とすべきではないでしょうかね。仮想通貨が盗まれたことや電子マネーの不正使用が問題となったりしていますが,だからといって本人が望んでいる給与の払い方ができないというのはやりすぎです。現金だって盗まれることがあります。いずれにせよ,通貨払いの原則は,労働基準法(24条)のような刑罰法規によって規制する必要はないのです。現物給付の禁止は労働法の古典的な規制内容なのですが,実は現物給付の禁止と通貨払いの原則はイコールではありません。会社の商品で給与を支払うというのは問題であることは誰でもわかりますが,だからといってデジタルマネーで支払ってはならないとは言えないでしょう。
 ところで,今朝の日本経済新聞で,「政府は今春から企業が給与を銀行口座を介さずに支払えるようにする。従業員のスマートフォンの決済アプリなどに振り込む方式を認める」と書いていました。政府内でこういう議論があるのは知っていましたが,もう決まったのかと思って驚いて,労政審の労働条件分科会のHPをみたのですが,実は会議は明日なのですね。役人はすでに委員からOKを得ているから記者にリークしたということでしょうか。資料をみたら反対論もあり,21世紀型社会の労働政策を論じる適格性に疑念が生じさせる感じでしたが,そういう委員も最終的にはOKしたのでしょうね。
 でも,それだったら,わざわざ委員は集まる必要はないですね。会議室の名称が出ていたから,リモート会議でもないみたいです。さすがに出席強制はせず,委員のリモート参加は認めているのでしょうが。コロナ禍のなか,委員のみなさま,ご苦労様です。

2021年1月26日 (火)

いま病気になることはできない

 Yahooニュースで,共同通信の「神戸市は22日,新型コロナウイルス感染者の急増で病床の空きが危機的状況だとして,市立の主要3病院で通常医療の入院や手術を24割制限し,病床や人員をコロナ用に充てると発表した」という記事が出ていました(神戸市、通常医療制限し47増床 コロナ急増で逼迫(共同通信) - Yahoo!ニュース)。神戸新聞では,東灘区の区役所で,職員が発症して濃厚接触が多数いたので,業務に支障が出ているという記事も出ていました(区職員感染で濃厚接触が11人、一部窓口休止 神戸・東灘|総合|神戸新聞NEXT (kobe-np.co.jp))。身近にひたひたとコロナ危機が近づいています。とくに医療逼迫は,恐ろしいです。入院を要するような病気をしても入院できないかもしれないのです。コロナで自宅療養中に亡くなるケースも報道されています。どれくらいの比率かわかりませんが,こういうニュースを聞くと不安になります。
 日本は世界でもコロナ患者が少ないほうなのに,それで医療逼迫というのは,どういうことだろうという疑問をもっている人も多いでしょう。今朝の日本経済新聞の「大機小機」(「コロナ対策,素朴な疑問」)でもこの話題を扱っていました。
 113日の菅首相の記者会見は,NHK19時のニュースで生中継していたので見ていました(その内容は,令和3年1月13日 新型コロナウイルス感染症に関する菅内閣総理大臣記者会見 | 令和3年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ (kantei.go.jp))。産経新聞記者が北朝鮮の質問をしたのには驚きました(あのタイミングであの質問でしょうかね)が,最後の質問者が,ジャーナリストの神保哲生氏でした。「ビデオニュース」という会社名を名乗っていましたが,どこのどなたかわかりませんでしたが,質問はよかったです。要するに,日本は,病床数が世界一多い国で,感染者数がアメリカよりもはるかに少ないのに,医療の逼迫が起こっているのはなぜか,それは政治の責任ではないか,国民に協力をお願いする前に,政治のほうもやることがあるのではないか,というような質問でした。まことに的を射た質問であり,それまで紙をみて答えていた菅首相が,自分の言葉で答えようとしました。ただ,国民皆保険を見直すというような頓珍漢な話が出てきて,首相の回答は意味不明でした。
 私は財務省の改竄事件での赤木さんの自殺の問題など人命にかかわることに政治はしっかり向き合うべきだと以前に書きましたが,その後も人命軽視の態度は変わっていないようです。コロナ問題は人命にかかわる問題なのに,安易な経済重視政策をとって,結局,経済もダメにして,さらに私たちの生命や健康に危険をもたらす事態を引き起こしています。医療逼迫問題について,政治が,実際に何ができるかよくわからないのですが,せめて国民が疑問に思っていることを聞いているジャーナリストには,正面から向き合って責任をもった答えをしてもらいたいものです。いまのように,具体的な説明をして情報をきちんと伝えるという基本的なことさえできないのであれば,この政権には去ってもらうしかありません。それくらい事態は緊迫していると思ってもらいたいです(もちろんオリンピックどころではありません)。

やるなら徹底せよ

 先日,2か月ぶりに散髪をしました。外出は怖かったですが,ちょっと限界に来ていたので,不要不急とは思いましたが,感染対策に力をいれ,換気もばっちりというところなので,行ってきました。そこで聞いたところでは,三宮は,昼間はかなり人が出ているそうです。テレワークはそれほど浸透せず,会社に行く人は減っていないようです。通学の学生も多いです(私は駅のすぐ横に住んでいて,電車の中が見えるので,乗客の様子がわかります)。ただし,夜は人通りが大きく減っているようです。飲食業界はピンチです。
 コロナは職場でも感染が広がりつつあるようです。学校での感染はよくわかりませんが,無症状感染の広がりの可能性は捨てきれないでしょう。飲食業界は,自分たちが主犯扱いで,営業を制限させられているが,どうして通勤通学は制限されないのかと不満をもっているのではないでしょうか。私が知っている個人でやっている飲食店のSNSをみると,かなりピンチです。日頃いつも一緒にいる家族が貸し切りで外食するというような場合であれば,とくに禁止したり,時間制限を設けたりする必要はないと思うのですが。たまの外食なので奮発して飲食するというファミリー客が,11組ずつ,あるいは二交代にしてし2組ずつ入り続ければ,店はかなり助かるでしょう。20時に閉店,19時にラストオーダーということでは,こういうことはかなり難しいです。
 本気で感染対策をするのなら,飲食店だけでなく,通勤も通学も止めるべきです。徹底したロックダウンをやって,この危機をできるだけ早く乗り切るほうが,経済的にも良いはずです。個人的にもよく経験していることですが,風邪が少し治れば,ちょっと仕事をするということをしていると,いつまでも風邪が治らないが,きっちり仕事を断ち切って休めば快復も早いというのと同じです。大相撲は,結局,強行突破して,終わってしまいましたが,NHKはのんきに結果を報道し続けていました。ああいう興業をやっていいのかという批判的な視点が欲しかったです。例外をつくってしまうと,国民への感染対策への協力のメッセージが弱まってしまいます。例外はなぜ例外か。おそらくその説明は難しいでしょうし,現政権の説明力の低さを考えるとなおさらです。そのうち本格的なロックダウンに追い込まれて,それだったらもっと早くやっておけばよかったということにならないか心配です。飲食業界を悪者にして,そこに規制をしたから(しかも中途半端に20時までOKというような規制です),感染対策をしているんだという実績作りに使われてしまうのでは,ちょっと気の毒です。前に書いた印章業界は,直接的な営業規制ではありませんが,飲食業界は直接的な営業規制であり,次元が異なる問題だと思います。

2021年1月24日 (日)

4つのスイッチ

 今朝のNHKの朝のニュースで,フェイク情報対策の授業についての報道がされていました。4つのスイッチが重要ということでした(「想像力のスイッチを入れよう」リライトにこめた思い | 下村 健一(ジャーナリスト) | 作者・筆者インタビュー | 小学校 国語 | 光村図書出版 (mitsumura-tosho.co.jp))。4つのスイッチとは,「まだ分からないよね」,「事実かな 印象かな」,「他の見方もないかな」,「何が隠れているかな」というものです。私がブログで情報発信している場合にも,読者は,こういうスイッチをもって読んでいることを前提としていますので,無批判に読まれると困ります。
 少し次元が異なりますが,大学の授業も情報提供の一種なので,やはり批判的に聞いてもらわなければならないのですが,学生は必ずしも批判能力があるわけではないので,そこは丁寧に教えなければなりません。法律の授業では,客観的なものは何で(法律の条文や判例),何が解釈の余地のある「論点」で,何が通説で,何が「私の」見解か,ということを明らかにして教えています。批判能力のない学生は,ついつい先生の言うことが,客観的で通説と勘違いしてしまうからです。
 旧労働契約法20条の例でいうと,私が授業でこの規定は訓示規定であると無条件にいうと,学説はそれを信じてしまいます。「私は,旧労働契約法20条は訓示規定と考える。その理由は・・・である」と理由付けを述べ,通説はなぜ私見と違うのかを説明し(その説明も私の解釈であることを明示する),私はなぜ通説と違うことをいうのかを説明し,そして君たちはどう考えるかを問うということになります。ただ先生が言うことを疑えというと,かえって困ってしまう学生も多いです。大学とは,そういう学生にも,自分で批判的に考えることの重要性を教え,「知の体力」を鍛える場であるといえます(もちろん試験の答案は,私の説で書いていなくても,評価にはまったく関係ありません)。
 ただ法科大学院は,これとは違います。時間の関係もあり,判例が何かということだけを解説していき,自説はできるだけ言わないことにしています。それに法科大学院はいまやアカデミックなことを教える場ではなく,試験に合格するために必要なことを効率的に教える場です。いまの法科大学院の学生は,それを求めているのであり,教師としてはそれに応えなければなりません(学生からは,水町先生の教科書の○○の部分の意味を教えてくださいと聞かれることがよくあるのですが,さすがに私は水町先生でははないからよくわからないので,自分で考えてください,と答えることが多いです)。私が提唱しようとしている人事労働法は,おそらく法科大学院では教えてはならないのでしょうね。
 ところで,昨日のブログで,「若者がLINEスタンプをよく使っている」と書いたところ,それに対して異議が唱えられました。読者に「他の見方もないかな」スイッチが入ったということかもしれませんが,それよりも,もう少し次元の低い「単なる事実誤認」を私がしていたにすぎなかったのかもしれません。こういう情報を流しているようではいけませんね。どうも事実は,若者はもうLINEスタンプから離れつつあるということのようです。でもこの「~のようです」という情報も,「事実かな,印象かな」「他の見方もないかな」スイッチを入れて読んでください。

脱ハンコ問題

 山梨県の長崎幸太郎知事が,河野太郎大臣の進める「脱ハンコ」に反発しているという記事を見ました。自民党の「はんこ議連」とも連携しているようです。デジタル化には反対しないが,あまりにも急速なハンコ廃止の動きについては,印章業界を守るという観点から反発しているようです。
 気持ちはわからないのではないのですが,世間ではあまり支持されないのではないでしょうか。コロナ禍において,特定の業界が政治家を動かして,利益を守ろうとする動きは,「Go To」でも明確でした。コロナで困っている産業や個人はたくさんいるのに,政治家に有力なコネクションがあれば,助けてもらえるというように見えてしまうのです。菅首相の会食問題で,彼が多くの人と会食をして意見を聴いているということがわかりました。首相と直接会える人というのは,どういう人なのでしょうか。普通の人は首相には会えないでしょう。特別な人たちの意見が過剰に政策に反映してしまっているのではないかという疑念をもたれても文句がいえないでしょう。国民の意見を聴くというのは民主的なようですが,実はきわめて不公平なことになっていないでしょうか。国民は政治が不公平であることを嫌います。広島での河合夫婦の公職選挙法違反は,民主主義の根幹を揺るがす行為で許しがたいのですが,それと同じくらい,刑事罰に該当するかどうかに関係なく,「桜をみる会」は,前首相が税金を自分の支持者の饗応のためだけに使っている点で不公平なものであると思えるのです。国会議員は,全国民の代表なのであり,自分に票を入れてくる人だけのために行動されては困ります。大臣となればなおさらで,首相となればいっそうです。コロナで地元に帰れないという政治家もいますが,リモートワークでやるべきですし,いまこそ移動をしないことで浮いた時間を使って,国全体のことを考えてもらいたいものです。
 ハンコの話に戻ると,国民のなかには,意味のない押印が求められて困ったという恨みが蓄積されていたと思います。買いたくもないハンコを買って,紙に押さなければならないという無駄や非効率に支えられてきた業界であったのではないでしょうか(私も実印も含めてハンコは10個近くありますが,実際に使っているのは一つです。ハンコはなかなか捨てられないですよね)。印鑑の文化的な価値は認めます。だから,この業界には残って欲しいです。ただ,国民のなかにあるハンコへの違和感は,どうしても拭いされるものではなく,そのようななかで,自民党の「はんこ議連」のようなものを使って,業界を守るように働きかけるというのは,印章がとても悪いです。いっそう国民から支持されなくなるように思えます(「印章」業界が「印象」を気にしないのでは困ります)。そもそも「はんこ議連」の前会長は,ITから最も遠いような存在なのに,IT大臣をやっていたような人でした。デジタル化をつぶすために大臣をさせていたのではないかと疑われても仕方がない人事(安倍政権時代のもの)でした。これもハンコ業界に対する大きなダメージだったと思います。そういうなかで,また「はんこ議連」が出てきました。
 ハンコがデジタル化の妨げとなってきたのは事実です。脱ハンコは,デジタル化を進めるための第一歩です。河野大臣がこれにまず手を付けたのは当然のことです。デジタル化は,いろんな業界の新陳代謝をもたらします。政治をつかって脱ハンコに反対するようなことはやめるべきです。そういうのは民主主義や公平な政治に反すると思います。
 ちなみに子ども達はハンコが大好きです。若者はLINEスタンプをよく使っています。それに高額な文化的価値のある印鑑は今後も残るでしょう。工夫次第では大成長産業です。アイデアと創造性で未来を切り拓いていくというのは,DX時代においてどの産業にもあてはまることです。ハンコ業界は,自力で新たな発展の可能性をみつけていけるはずです。

2021年1月22日 (金)

最高裁の5判決を振り返る

 昨年(2020年)10月に,旧労働契約法20条をめぐる最高裁判決が5つ出ました。私はこの5判決について,三つの媒体で,自説を発表する機会を得ることができました。それぞれ狙いが異なる媒体で書きぶりも違っていますが,自分としては,十分に発信する機会をもたせてもらったことで,もうこの論点について書き残したことはないという気持ちです。同一労働同一賃金というと,東大の社研の水町勇一郎さんが大権威です。法学の議論は,法学以外の人にとってみれば,学説の対立にそれほど関心はなく,権威のある学説か,自分にプラスになることを主張する学説にしか関心をもたないのが常で,私など出番がなさそうなのですが,同一労働同一賃金については,意外にも何の権威もない私にも出番があるというところが,世の中の面白いところです。これは,若い研究者の励みになるのではないでしょうか。
 まず昨年1112日の日本経済新聞の朝刊の「経済教室」で,3000字程度ですが,論評を書きました。日本経済新聞は字数が限られていますし,読者が基本的には非法律家であるため,例えば「強行規定」といった専門用語は事実上使えないとか制約があるので,工夫が求められます。このテーマでは,昨年1度,水町さんとセットで書いていますが,今回は単独ということで,どういうことでそうなったのかわかりませんが,おまえの見解を書いてみろということなので,引き受けました。何と言っても,この媒体で書くと読む人が多いので,影響力は大きいです。今回書いたことは,結果だけみてモノを言ってはならない(一般的に,賞与や退職金について格差をつけてよいということではない),有為人材確保論は少なくとも否定されなかったことは確かである,しかし趣旨明確な手当の格差は不合理とされやすい,政策的には,この規定は副作用があり,とくにコロナ禍は処遇改善につながらないであろう,また今後は正社員,非正社員の格差よりも,デジタルデバイドが真の格差問題であるというメッセージを盛り込みました。非正社員の処遇の改善は,司法の手に頼るのではなく,当事者の交渉によるべきという点は,当たり前のメッセージでもあったのですが,これが編集者にはインパクトがあったようで,見出しになりました。
 ついで日本法令から,経済学者の八代尚宏先生との組み合わせで,私には法学の見地から書いてもらいたいという依頼があり,判決の詳しい解説は弁護士の方が書かれているということで,字数にも多少余裕があったので,日本経済新聞で書いた内容を膨らませて,実務家の方向けに少し丁寧に書いてみました。これはビジネスガイドの別冊として書籍化されています。日本法令では,ビジネスガイドの「キーワードからみた労働法」のなかで,経済学者の見解として,八代尚宏先生のご見解を引用したことがあったからかもしれませんが,八代先生と一緒に掲載させていただくのは,これでたしか3度目ですね。弁護士の方の論考もあわせて,多角的に最高裁判決を分析するというのは企画として面白いですし,実務家の方に役だててもらえればと思います。
 そして最後は,NBL1186号で「旧労働契約法20条をめぐる最高裁5判決の意義と課題」(https://www.shojihomu.co.jp/p006)を書かせてもらいました。普通の判例評釈はしばらく書いていません(昨年,久しぶりに,中央労働時報に労働委員会命令の評釈を書いたくらいです)が,これは判決を素材とした「論文」ということで,気合いが入りました。NBLでは,2018年の2判決(ハマキョウレックス事件と長澤運輸事件)に関しても,論文を書かせてもらう機会があり,今回また依頼があったことは非常に光栄でした。前の論文もふまえながら,今回の5判決の意義を書いていますが,とくに比較対象者論について,少し踏み込んで私の見解を書いています。また,部分的救済の可能性を最高裁は否定したのではないか,という思い切った評価も書いています。さらに注においてですが,5判決が,改正後の短時間有期雇用法8条の解釈に影響しないとする水町さんの「労働判例」誌での見解に疑問を提起しています。今後,5判決をめぐり,若手研究者のすぐれた判例評釈が次々と登場してくるでしょうが,権威のある見解にもどんどんチャレンジしていってもらいたいです。
 旧労働契約法20条に私法上の効力を付与するのはおかしいという私の主張は,今回の5判決でも(とくにメトロコマース事件と大阪医科薬科大学事件では),最高裁は意識したのではないか,と思っています。牽強付会ととる人もいるかもしれませんが,最高裁がこの規範に強行性を付与することの理論的なおかしさや政策的な不適切さを十分に意識し,働き方改革というスローガンの下,これを是正するどころか,むしろ短時間有期雇用法8条でいっそう強化しようとする政治や社会の流れのなかでも,最高裁としてやるべき法解釈を苦労しながらも毅然と行って下した判決であるというのが,私の最終的な評価です。

 

 

2021年1月21日 (木)

棋戦情報

 久しぶりに将棋の話をしましょうか。現在の将棋界は4天王がいて,しのぎを削っています。豊島将之竜王は,先日,羽生善治九段の挑戦を退けて防衛しました。羽生九段のタイトル通算100期という大記録は未到達のまま終わるのでしょうか。竜王戦の最終戦は,終盤は大激戦で,AIでは羽生が勝ちとなっていたのに,羽生が投了してしまったという劇的な終わり方でした。豊島竜王は叡王のタイトルももって二冠です。この豊島竜王をさしおいて現役最強と言われているのが,渡辺明名人です。王将と棋王のタイトルももっていて三冠です。そして昨年,この渡辺から棋聖のタイトルを奪ったのが藤井聡太で,現在,棋聖と王位の二冠です。そして,もう一人の四天王が永瀬拓矢王座です。昨年は,久保利明九段とフルセットにもつれこみましたが,32敗で防衛しました。4天王以外で,唯一タイトルに近かったのが,この久保九段でしたね。永瀬王座は,いま渡辺名人と王将戦を戦っています。渡辺が先勝しましたが,永瀬王座は,格上相手をやぶってタイトルをとっていないので,ここは渡辺王将をやぶってタイトル奪取といきたいところでしょう。それに待望のA級にもあと一歩となっています。A級棋士にならなければ一流ではありませんから,永瀬王座は今年で確実に昇級を決めたいでしょうね。渡辺名人は,もうすぐ棋王戦の防衛戦も始まります。挑戦者には,糸谷哲郎八段が登場します。棋王戦は少し波乱があり,予選で藤井聡太が出口若武四段にやぶれるとか,羽生九段も相性のいい屋敷伸之九段にやぶれるとか,永瀬二冠はベスト4まで残ったものの,ベスト4以降は,2敗で敗退という変則ルールの下,広瀬章人九段と糸谷八段にやぶれて敗退しました。糸谷八段は広瀬九段に決勝で敗れていましたが,挑戦者決定2番勝負で連勝して逆転で挑戦者を勝ち取りました。糸谷八段は,かつて竜王のタイトルを,渡辺三冠に奪取されたことがあるので,今回は雪辱を期す場となるでしょう。

2021年1月20日 (水)

司法試験の合格者発表

 今日は教授会の日でしたが,法科大学院関係の教員は何となく落ち着かない感じでした(といってもオンライン教授会なので,はっきりその感じをつかめたわけではないですが)。それは,今日は司法試験の合格発表の日だったからです。法科大学院のある大学では,全国ランクングが発表されるようなものなのでドキドキでしょう。
 それで神戸大学はどうであったかというと,まずまずでした。全国的には最も有力な法科大学院の一つに挙げられるにふさわしい成績であったでしょう。ランキングといっても,指標はいくつかありますが,専門家の間では,合格者数は必ずしも決め手になりません。合格者が多くても不合格者が多い大学はダメだからです。その意味で合格率が重要で,しかも2人受けて1人が合格で5割というのでは意味がなく,ある程度の合格者数がいなければなりません。神戸大学は126人の受験で62人の合格で,合格率では全国8位,合格者数では全国7位で,なかなかの成績でした。専門家の評価としては,一橋大学が1位(合格率2位,合格者数5位),次いで東京大学(合格率3位,合格者数1位),京都大学(合格率4位,合格者数3位),慶応大学(合格率7位,合格者数2位)で,そして神戸大学という順位でしょう。中央大学や早稲田大学は,合格者数は多いですが,合格率はやや低めです。東北大学は,合格率は神戸大学より高いですが,合格者数は神戸大学の半分以下です。
 ということで,神戸大学の同僚は,ほっとしているかもしれません。とくに司法試験科目の教員はみんな教育熱心で,研鑽を怠っていません。その努力が報われてよかったです。もっとも,半分近くが不合格であったことも確かです。試験をやめて別の人生に向かったほうがよいと思う学生もいるのですが,試験に向けて頑張りたいと言う以上,私たちは全力でサポートしなければなりません。私たちは法科大学院の学生との関係では,研究者としての面は大幅に後退し,教育者にならざるを得ないのです。
 ところで,合格者も,決して将来は安泰でないということは,いつも述べているとおりです。私は法科大学院では労働法を担当していますが,いつか労働委員会での和解の経験(担当事件の9割くらいは和解で終結しています)から,紛争の解決とはどういうことか,そして,そのなかで弁護士に対して期待することはどういうことか,ということを話せる機会があればよいなと思っています。
 (法人のみを相手にする場合は違うかもしれませんが)法律家であっても,どれだけ法律にこだわらずに事件に向き合って紛争の解決に助力ができるかが,とても重要なことではないかと思っています。国民は必ずしも法律による解決を望んでいるわけではないからです。今後はこういうことが十分にわかっている弁護士しか生き延びることができないように思えます。合格者は,いったんは少し法律から離れてみて,自分が法律家として社会にどう向き合うかをじっくり考えてみてはどうかと思います。

罰則よりインセンティブでは?

 緊急事態宣言が出された地域の事業者が知事の休業要請に違反した場合に罰則(行政罰の過料)を課すという動きが問題となっていますね。入院拒否の感染者には刑事罰という議論も出てきています。言うことを聞かない者には制裁をということですが,これは政府の無策を露呈するものかもしれません。政府がしかるべき感染対策をとらないから感染が蔓延しているという気持ちを多くの国民はもっていると思います。そういうなかで,その政府が,権力をふりかざして,罰則で事業者の休業や国民の行動制限を強要することには,なかなか理解を得られないでしょう。罰則というのは最後の手段であり,もっと違った方法で,国民を誘導することができるはずです。休業した事業者に十分な補償をするとか,発症していない感染者の行動制限は,政府の無策に対するお詫びとして協力金を支払うとか,そういう方法だってあるのです。お金はかかりますが,こういうお金の使い方なら国民も納得すると思います。むしろ,無理なことではあるのですが,アベノマスクを実行した人たちに,あの無駄なお金を賠償してほしいくらいです(あのマスクは捨てるに捨てられず,邪魔物になっています)。
 オンライン授業の比率が低い大学を公表するという文科省の方針もいやな感じがします。オンライン授業をやれと言っているんだから,それをしなければ制裁だというニュアンスがこめられています。それなら対面型授業をしている大学をほめればいいだろうと思います。すぐに制裁だとか罰則というのは,粗野な感じがします。そもそもオンライン授業については,根本的な問題は,オンライン授業がダメと考えているのは,いったい誰なのかということです。私がいまやっているのは,リアル・オンライン型の授業ですが,学生に聞くとより好評なのはオンデマンド型です。何度も聞き直して復習ができるし,自分の都合の良い時間に学習できるから有り難いというのです。これはもちろん意識が高い学生でしょうが,意識が低い学生は,そもそも対面型でやっても大学には来ません。友達作りとかそういう面ではオンラインはマイナスが大きいでしょうが,大学は友達作りがメインの場所ではありません。オンデマンド型授業のクオリティは,ビデオの内容を教員がどれだけ工夫しているかにかかっているのでしょうが,それなら,良いオンデマンド型授業をしている教員をほめて,それを好事例として広げていくというほうが,よほど建設的なやり方だと思います。 
 ということで,もっとインセンティブの手法を考えていきましょう。

2021年1月18日 (月)

ビデオはオンかオフか

 平日は少なくとも1日1回はZoomにつなぐという生活がすっかり定着してきました。まさか,ここまでZoomに依存する生活になるとは1年前には想像もできませんでした。授業から教授会,さらに講演までZoomです。博士論文の審査も,教員の選考のための面接もZoomです。もしZoomが使えなくなったらと思うと,ちょっと怖いですね。WebExは,途中でフリーズすることが多いのですが,Zoomはトラブルなしです。昨年ZoomSecurityで問題を起こしたことがあり,役所系はあまり使っていないようですが,Zoomでよいのではないでしょうか。Teamsもときたま先方の指示で使うことがありますが,あまり多くありません。かつてはSkypeをよく使っていましたが,いまでは全く使わなくなりましたね。親戚間の会話などはLINEビデオ通話やFaceTimeです。
 オンラインでの無料会話が定着しているなか,その効果を下げることがあるのが,先方がリアルで集合している現場とつながっている場合です。パソコンの前に座っていてくれたらマイクの集音はよいですが,2人で一画面を共有するような場合,顔は見えにくいし,音がうまくとれないこともよくあります。3人以上となると,もう最悪です。全員がリモートであれば,会議の質は格段に向上します。最近は,リアルで集合している場合でも,あえて別の場所に離れて個々のパソコンからつなげるということもしているようです(パソコンを近づけるとハウリングが起こります)。
 リモート会議の一つの問題は,ビデオをオンにすべきかどうかです。授業中にビデオをオンにするよう求めてよいのか,上司は部下にビデオオンにするよう求めてよいのかです。女性はビデオオフのつもりで化粧をしていなかったら,オンにしろと言われたら困るでしょう。セクハラ上司が女性の部下の自宅をみたいがゆえに,オンにしろというと,典型的なテレワークハラスメントですね(いまは背景を変えることによって防衛できますが)。男性だって髭をそらず髪の毛をボサボサのままであったりしたら,同じようなことになります。私は,前期のLSの授業では,自分はビデオオンで,学生はビデオオフでやりましたが,ちょっとやりにくかったですね。私は学生にもビデオオンにしてもらいたかったのですが,学生が最初から全員ビデオオフだったので,あえて余計なことを言ってはいけないと思い,ビデオオフのままにしました。シラバスにビデオオンにすること,と書いてもよいのでしょうかね。
 会議では,自分が話すときはビデオオンにするというようなルールができつつあるように思います。神戸労働法研究会では,とくにルールはありませんが,みんなビデオオンで参加しています。もっとも,今後はVR会議でアバターを通して参加するというような時代になるので,ビデオオンにこだわる必要はなくなるかもしれませんね。

震災から26年に思う

 阪神淡路大震災から26年。地元で見知らぬ人と飲食店で会ったとき(いまはコロナでそういうことはないですが),一番,話題になるのは,あの地震のときの話です。私はそのとき東京にいましたが,妹が間一髪で生きのびた話とか,家にひびが入った話とか聞いていました。前にも書いたことがあるので,繰り返しませんが,あの地震は地元にいた人それぞれに語りたいことがあり,とくにお酒でも入ると,止まらなくなるのです。おそらく東日本の震災について東北の人たちも同じでしょう。
 私たちは,親の世代が,あの戦争のことを語ってくれていたから,戦争を知らない子どもたちも,戦争の悲惨さを教わっています。大震災もまた,戦争と同じように,多くの人が一瞬に亡くなる出来事です。あの恐ろしさを,私たちは震災を知らない子ども達に伝えていく必要があります。
 命は何よりも尊いのです。私たちは生命に危険をもたらすおそれのある事に対しては,全力で立ち向かわなければなりません。自然災害は運命だと諦めてしまってはいけません。地震や津波に遭ってしまい,悔しくて悔しくてたまらない思いで,亡くなっていった人たちはたくさんいるのです。いま,私たちは,大震災が起こる危機に瀕しています。南海トラフ地震は必ず来ます。私たちは,自身でも身を守る準備をする必要がありますが,政府にもきちんと対策をとってもらう必要があります。政府の第一の使命はそこにあると言っても過言ではありません。しかし,現在の政府は,コロナ対応をみていると,緊張感は口だけで,本気度が伝わらない対策をとり続けてきました。私たちは,本当の危機がやってきたときに,きちんとリーダーシップをもって,やるべき仕事をしっかりできる政府をもっていなければならない時期に来ています。コロナ禍への対応をみて,政治家の力量もずいぶんと明らかになってきました。これからの選挙において,今度は,国民の力量や眼力が問われることになるでしょう。

2021年1月16日 (土)

兵庫県も緊急事態宣言

 兵庫県にも緊急事態宣言が出ました。すでに大学の授業はリモートですので,対応済みですが,今日からのテストのように,入試は教職員もある意味で「命がけ」で出勤強制されます。労働委員会の定例会議はリモートの強制かと思っていたら,推奨程度で,実際にはリモート参加は3分の1くらいでした(なぜだろう?)。飲食店は20時閉店で,私が以前に行っていたようなところは,実際上は休業強制であり,こちらの規制の強さが際立ちますね。
 思えば,2020年は飛行機には一度も乗らず,したがって海外渡航もなく(パスポートは切れたまま),外食もほとんどせず,もちろん飲み会は,オンライン飲み会以外はゼロで,行動変容は極端なものとなりました。13年ずっと続いていた,西宮のお寿司屋さんでのクエ鍋(天然クエが和歌山から届いたときに合わせていただいていました)もついに断念で,これも大きな変化です。六甲や三宮の行きつけの飲食店に行くのも昨年はほぼゼロで,お弁当のテイクアウトをやるというときに買いに行くくらいになっていました。美容室での散髪も,以前は1か月に1度であったのが,2か月に1度になりました。今年もこうした生活が続くのでしょう。自宅での飲食にお金をかけやすくなったという変化もあります。宅配業者は,ほぼ毎日何かしら届けてもらっています。チップを渡すべきか悩むところですが,実際には接触することはなく,玄関前に荷物を置いてもらうので,渡す機会はありません。ただ郵便の書留は困ります。あわててマスクをつけて,玄関のドアを少しだけあけて紙を受け取り,印鑑を押して,すぐにドアを閉めて,入念に手洗いです。かなり神経質です。困るのは郵便物の投函です。マイナンバーカードのコピーを簡易書留で送れというのがウザいです。あるところは,ネットでできるようになっているので,オンライン対応をお願いします。それと父の転院が先日あって,病院から病院への移動をしてきましたが,病気でないのにこの時期に病院に行くことはとても怖かったです。実際に行ってしまうと平気なのですが,それでも看護師の方が割と至近距離で話をしてきたり,エレベーターのなかでご老人が大きな声で会話をしていたりして,こういうところにずっといると,いつかは感染するかもなんて思ってしまいました。父は転院時にタクシーで移動したときだけは直接話すことができましたが,入院すると面会はできません。いまさらですが,携帯電話は有り難いです。
 個人的には,行動抑制しても仕事ができる立場に感謝していますし,外に行かなくてもストレスがたまらないので,この生活でもよいのですが,とはいえ,これがまだ当分は続くかと思うと,やはり憂鬱な気分になってきます。
 東京都医師会のHPに次のような記載がありました(都民のみなさまへのお願い「もし、6週間みんなで頑張れたら」 | 公益社団法人 東京都医師会 (med.or.jp))。
 「“新型コロナウイルス感染症に,もし今この瞬間から東京で一人も新しく感染しなかったら,2週間後にはほとんど新しい患者さんは増えなくなり,その2週間後にはほとんどの患者さんが治っていて,その2週間後には街にウイルスを持った人がいなくなります。”
 だから今から6週間,皆さん誰からもうつされないようにしましょう。みんながうつされないようにすればたった6週間頑張ればいいのです。みんなで頑張りましょう。」
 東京だけのことではありません。6週間完全にみんなが家にいることができればよいのです。かなり難しいことでしょうが,この悲惨な状況を早期に終わらせる方法があるということは,頭のどこかに入れておくべきでしょう。

2021年1月15日 (金)

東野圭吾『人魚の眠る家』

 テクノロジーの発達は,人間の能力を補強してくれるので,障害という概念も大きく変わるかもしれない,というのは,AIやロボットの恩恵という文脈で,私がよくやっている話です。実際,労働能力が減退しても,テクノロジーによってそれがカバーされれば,以前のように働けるということがあるのです。高齢者雇用,障害者雇用を考えるうえで重要なポイントです。
 しかし,東野圭吾『人魚の眠る家』で出てくる脳死状態の女の子を,テクノロジーをつかって筋肉を動かしたりし生かし続けるというのは,これは次元の違うことでしょう。幼い娘に突然起こったプールでの事故。脳死と諦めて,判定を受け入れようとしたときに,わずかに動いたようにみえたため,両親は諦められなくなりました。経営者である父は,自社の技術者に頼み,最新技術をつかって娘を生かし続けようとしました。母は娘を生きているように扱い,徐々に周りを困惑させていきます。娘は呼吸はしていますが,目を開けることはできません。眠っているのです。でも最新技術をつかっていて,植物状態ではないのです。最後には,母の夢枕に娘がやってきました。その後,娘の症状は悪化し,両親は脳死を受け入れます。人間の死とは何かということを考えさせてくれる秀作です。
 『恋のゴンドラ』を読みましたが,こちらは,スキーもスノーボードもしない私には,まったく面白くありませんでした。

2021年1月14日 (木)

追悼,半藤一利

  今朝の日本経済新聞の春秋で,亡くなられた半藤一利さんのことが書かれていました。20183月に,やはり春秋で半藤一利さんのことが出ていて,それにも刺激を受けて私が前のBlog「アモーレと労働法」で,3回連続で書いたものがありますので,それを再掲します(若干の文字修正はしていますが,基本的にはそのまま再掲しています)。安倍政権時代で森友問題が話題になっていたときに書いたものです。半藤氏の著作を引きながら,国家のあり方を自分なりに考えたものです。現在の政治情勢にもあてはまると思います。


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半藤一利『昭和史』


 大学受験に日本史と世界史を選択していた私ですが,日本の現代史は十分に勉強していませんでした。高校のときの日本史の先生は土器が大好きな人で,古代史が専門。現代史どころか,中世にやっとたどりつくという授業ではなかったかと記憶しています。まあ勉強は自分でやるものですが,知らぬうちに,現代史は試験にも出ないし,あまり重要性がないという誤った観念が植え付けられていた感じがします。しかし,これからの時代を考えていくとき,まさに教養としての昭和史の学習はきわめて重要だと思います。現在の学校での日本史教育がどうなっているのかわかりませんが,日本の負の面も含めて昭和史をしっかり学校で教えてもらいたいです。
 少し前に読んだ半藤一利『昭和史-1926~1945』(平凡社)はとても良い本でした。日本やアメリカへの憤りや悲しみで,なかなかページが進まないこともありました。3月9日の日経新聞の春秋で,73年前の東京大空襲のことが書かれていました。後の原爆投下の悲劇があまりにも大きすぎるのですが,アメリカは,日本の至るところに民間人に対して,空の上から爆弾を落としてきたのです。私たちは北朝鮮からのロケットの脅威をいいますが,当時はアメリカの飛行機がしょっちょう飛来して実際に爆弾を落としていたのです。私の母は,生前,アメリカのパイロットの顔をみたと言っていました。それほど低空飛行して,爆弾を落としていたのです。
 その司令官が,日経新聞の記事にも名前が出ていたカーチス・ルメイ(Cartis LeMay)です。「皆殺しのルメイ」「鬼畜ルメイ」です。ルメイのことは教科書には出てきません。後に日本から叙勲されたのですが,昭和天皇は直接勲章を手渡すことをしなかったそうです。日本人の怒りを知っていたからでしょう。でも,ルメイのことは,私は半藤氏のこの本で知りました。教科書では教えられていなかったことです。
 この本を読んで,断片的にしか知らなかった現代史の知識をもう一度体系化できてよかったです。アメリカを信じるな,ロシアを信じるな,というのは,この本を読むといっそうその感が強くなります。一方で,イギリスのもつ戦略的な重要性というのもわかりました。EUを離脱して孤立するイギリスは,アメリカにも顔が利き,ロシアを抑える外交力もある点で,日本としてはかつての日英同盟のとき以来の再び重要な国になるかもしれません。
 アメリカは無慈悲にも長崎にまで原爆を落としました。広島でさえ許しがたいことですが,長崎に落とす必要性はどう考えてもありません。日本側が降伏を遅らせたから長崎まで被害にあったという意見もあるのですが,アメリカはもともと原爆を二つ作っていたので,はじめから二つ落とすことは決めていたようです。韓国人が日本人に対する怒りもわからないではないですが,それをよく日本が受け止められていないのは,日本人というのは,こうした残虐なアメリカ人にも本気で怒らないような国民であるからなのかもしれません。
 少し古いものとなりますが,著名な評論家の宮崎哲弥が,文藝春秋special2015年春号の「大人の近現代史入門」のなかで「ヒロシマ・ナガサキこそ戦争犯罪だ」という論文を書いています。そこでは,原爆投下をめぐるアメリカの政治哲学の議論が,日本に有利なものとして援用できると主張しています。アメリカのなかにも良識派はわかっていたのです。オバマ前大統領が広島に来たのは,そうしたアメリカの良識派を代表していたからかもしれません。
 過去のことは水に流さそうというのは生きるうえでの重要な知恵ですが,国際的な関係ではそうはいかないのです。現に日韓,日中でそういうことが起きています。私たちはアメリカという国を信じてはいけません。といって毛嫌いすることもよくありません。戦略的に対峙することが必要なのだと思います。
 これからの私たちは,正しく昭和史を総括することが必要です。それは,日本が悪くなかったということを確認するものではありません。むしろ日本の弱点をよく知ることが必要なのです。そして弱点から来る誤りを繰り返さないようにするには,どうすればよいのかを,とくに若い世代の人に考えてもらうことが必要なのです。半藤『昭和史』は,ぜひ多くの人に読まれるべきでしょう。そして宮崎論文も,一読に値するでしょう。
 平成も終わろうとしている現在,昭和の前半史を学ぶ必要性はますます高まっていると思います。


 


米朝電撃会談と歴史の教訓


 昨日に続いて,日本経済新聞の「春秋」についての話です。3月10日の朝刊で,1939年の独ソ不可侵条約のことがとりあげられていました。
「そのころ日本はノモンハンでソ連と戦っている最中」でしたが,「仲間と頼んでいたドイツが,敵のソ連と握手した衝撃はいかばかりだったろう」。「こんどの米朝の複雑怪奇も相当なものだろうから,日本外交のまさしく正念場である。かの不可侵条約には,じつはポーランド分割を決めた秘密議定書が付属していた。歴史は多くのことを教えてくれる」。
 昨日も取り上げた半藤一利『昭和史-1926~1945』(平凡社)では,日本政府が情報戦でいかに後れをとっていたかが克明に描かれています。とくに悲劇的なのは,最後の最後までソ連の仲介による戦争終結を信じ続けて,結局,ソ連の対日参戦というひどい裏切りを受けたことです。
 米朝会談が日本の頭越しに行われることの危うさをよく理解しておかなければなりません。日本は,第2次世界大戦でソ連に裏切られたように,今回もアメリカを信じていながら最後は裏切られるということがないように用心しなければなりません。米朝韓が日本抜きで何らかの秘密合意をしてしまう可能性は十分にあるのです。北朝鮮制裁が継続すると聞いて,安心しているようでは甘いと思います。
 森友問題で安倍政府の力が急速に弱まりつつあることも心配です。森友問題は公文書の書き換えのような,政権を揺るがしかねない問題になっていますが,ただ,国際情勢は風雲急を告げています。
 ノモンハンでソ連と死闘を繰り広げていた日本の政府は,まさか日本と防共協定まで結んでいたドイツがソ連と組むとは夢にも思っていませんでした。「ときの平沼騏一郎首相は『欧州の天地は複雑怪奇』なる言葉を残して退陣した」のです。そして現在。トランプと金正恩。この二人の間で何か複雑怪奇なことが起こらないとは限りません。「異形の2人の接近が日本に,東アジアに何をもたらすのか凝視せねばなるまい」と春秋は結んでいます。
 安倍政権は,先進国のなかでも最も安定的な政権であることが,日本の外交上のポジションを高めていました。私は別に安倍政権の応援団というわけではありませんが,国益に沿った行動はどういうものかを,野党もよく考えてもらいたいと思っています。外交と内政をうまく切り分ける知恵はないのでしょうか。


昭和史の教訓


  半藤一利『昭和史-1926~1945』の続きです。この本の最後に,昭和史からみた教訓をあげています。
 第1に,国民的熱狂をつくってはならない,時の勢いに駆り立てられてはいけない,ということです。日本人は熱狂したがゆえに,誤った戦争に突入してしまいました。第二次世界大戦のとき,当初,良識ある海外にいる軍人のほとんどがアメリカとの戦争に反対だったそうです。それが国内の勢いから参戦賛成に変わってしまいました。理性が熱狂に破れたのです。戦争は軍の独走によるだけではできないものでした。国民も支持してしまっていたという事実を忘れてはなりません。
 第2に,「最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み,具体的な理性的な方法論をまったく検討しようとしないということです。自分にとって望ましい目標をまず設定し,実に上手な作文で壮大な空中楼閣を描くのが得意なんです」。
 ソ連が参戦したら困るということから,ソ連は参戦しないという思い込みになり,それに基づき戦略を進めてしまいました。ドイツが欧州で勝つから,そうなるとアメリカは戦争を続けていく意思を失うので,日本とも講和に導けると考えてしまいました。愚かな「勝手読み」です。
 現在の日本人も,対北朝鮮などで,自分に都合のよい構想を描いていないか反省することが必要です。冷静に国際情勢を考えたときに,荒唐無稽な夢想になっていないかを絶えずチェックすることが必要です。
 第3に,「日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害がある」ということです。これはエリートが国を誤らせるということです。現在でも,省益で動く官僚をみていると,この欠点はまったく変わっていない感じもします。財務省という日本の超エリートたちの独善の弊害が,現在の森友問題にも現れているように思えます。
 第4に,「ポツダム宣言の受諾が意思の表明でしかなく,終戦はきちんと降伏文書の調印をしなければ完璧なものにならないという国際的常識を,日本人はまったく理解していなかったこと」にわかるように,「国際社会のなかの日本の位置づけを客観的に把握していなかった,これまた常に主観的思考による独善に陥っていたのです」。
 グローバル化が進んだいまこそ,国際社会のなかの日本の位置づけや国際常識の正確な把握が重要であることは論を待たないことです。
 第5に,「何かことが起こったときに,対症療法的な,すぐに成果を求める短兵急な発想です」。「大局観がまったくない,複眼的な考え方がほとんど不在であったというのが,昭和史を通しての日本人のありかたでした」。
 現在の森友問題も,政治家たちは,そこだけをみないで,これからの日本のあり方という大きな視点で解決に取り組んでもらいたいです。
 半藤氏は,最後に,「昭和史全体を見てきて結論としてひとことでいえば,政治的指導者も軍事的指導者も,日本をリードしてきた人びとは,なんと根拠なき自己過信に陥っていたことか,ということでしょうか」。
 日本の周りには次々と独裁国家が生まれつつあります。北朝鮮だけでなく,いま中国も習近平の独裁国家に変わろうとしています。ロシアも選挙によるとはいえ,プーチン独裁国家がすでに存在しているといってよいでしょう。アメリカのトランプも選挙により選ばれた王国といってよいでしょう。独裁となると,憲法のしばりなど吹っ飛びます。独裁を生まないための知恵は,民主主義ではありません。民主主義が合法的な独裁を生む危険性があることは,歴史が証明しています。
  日本は同じ轍をふんではいけません。上述のように国民の熱狂が民主主義と結合すると危険です。民主主義を守りながら,どのような国家を作り上げるか,そこに日本人のほんとうの国力が問われています。

Work Story Award 2020

 昨年やった仕事の一つに,一般社団法人at Will Work が行っている「Work Story Award 2020」のゲスト審査委員というのがあります。タニタの社長の谷田千里さんら5人のゲスト審査委員のうちの1人となり,各カテゴリーごとに優秀なストーリーを選考しました。さらに,ゲスト審査委員が独断で自らの賞をつくって授与しました。このほかにも,平田麻莉さん率いる「一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会」などグループ審査員からの賞の授与もありました。
 働き方に関する様々な課題にとりくみ,それを乗り越えて,一定の成果をだすまでのストーリーを競い合うというもので,審査委員がみたのは一次選考通過後のものですが,どのストーリーも興味深く,企業や個人が必死にいろんな課題に立ち向かっていることがわかりました。時代を反映してか,リモートでの働き方に関するものやフリーランス関係のものが比較的多かったような気がしますが,地方自治体での個人の奮闘というようなストーリーもありました。受賞したストーリーはネットで読めるので,ご覧になってください(『Work Story Award』2020 受賞ストーリー | at will work)。
 私の個人賞は,名前は「デジアナ・バランス賞」でした。デジタル技術が席巻する時代で,これに背を向けていてはだめで,積極的に取り入れていかなければならないのですが,でもアナログ的な価値も捨ててもだめで,そのバランスが大切である,というのが賞の趣旨でした。私がこの賞に選んだのは,株式会社ナラティブベースの「離れていても強くつながる リモートで企業カルチャーを創り出す」というストーリーでした。このストーリーを読んだ瞬間に,私の感覚にぴたっとくるものがあり,すぐに賞を授与しようと決めました。このストーリーでは,「デジアナ・バランス」を実践するうえで必要となる企業カルチャーを,「パターン・ランゲージ」という手法を用いて創り上げていくところに独創性があります。フリーで,リモートで働く人をどうつなぎとめてプロジェクトを遂行していくかというのは,これからの働き方においてとても重要な要素だと思っています。拙著『会社員が消える』(文春新書)でも書いたように,今後はプロ人材がプロジェクト型で働いていくようになるのですが,それが成功するためには,やはり仲間達のコミュニケーションがうまくやれることが必要となるのであり,それをリモート環境のなかでどのように実現していくかには,いろいろ知恵を使わなければならないところです。こういう問題関心をもっていたので,ナラティブベースの取組みは,とても興味深いものがありました。
 このほかにも,面白いストーリーはたくさんありました。とくに若い人たちがいろいろ工夫して,課題の克服に向かって頑張っている姿には,実に頼もしいものがありました。陸上自衛隊出身の女性社員が面白い社内報をつくろうと頑張っているフジッコなど,地元の神戸の企業の活躍にも勇気づけられました。こういう面白い企業や人材を引き寄せるat Will Work の企画力にも感服します。私自身,自分のキャリアとして,人に語れるような感動的なWork Storyなど何もないにもかかわらず,こういう企画に参加させてもらえてよかったです。これを刺激として,私も何かWork Storyで他人に語れるものをつくれればと思いました。

2021年1月12日 (火)

東京オリンピックの撤退戦略

 東京オリンピックは開催できないだろうと多くの人は思っているでしょう。東京でコロナ感染者が増えていて,全国に広がりつつあり,いつ終息するか先がまったくみえないなかで,半年後に迫る東京オリンピックの開催中止を考えていないという大会組織委員会の立場には首をかしげざるを得ません。組織委員会としては,実施に前向きな立場をとらざるをえないのかもしれませんが,もし撤退戦略を考えていないとすれば,それは無謀なことです。朝日新聞の電子版で,東京五輪「24年に延期すべきだ」 英国の金メダリスト - 一般スポーツ,テニス,バスケット,ラグビー,アメフット,格闘技,陸上:朝日新聞デジタル (asahi.com)という記事がでていましたが,少なくともこうしたプランは考えておく必要があるでしょう(どこまで現実性があるのかはわかりませんが)。
 私たちは撤退戦略が苦手な国民かもしれませんが,撤退しても,ただでは転ばないという,したたかさが欲しいところです。
 オリンピック憲章には,「オリンピズムの目的は,人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために,人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである」とあります(JOC - オリンピズム | オリンピック憲章 )。オリンピックはスポーツの祭典ではありますが,スポーツは,「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指す」という目的のための手段にすぎません。東京オリンピックは開催されなくても,オリンピズムの目的のために何ができるかを考えて,新たなオリンピック像を提示できれば,日本・東京は,世界において強烈なアピールができることになるでしょう。危機はチャンスでもあるのです。競技会を開かなくても,オリンピック憲章の目的を実現でき,そこにうまくスポーツを関与させられるような斬新なアイデアが欲しいところです。組織委員会のおじさんたちでは無理なので,若者の柔軟な発想に期待したいものです。
 世界中でコロナにより多くの人が亡くなっているなかで,半年後にスポーツの祭典を開くということをまだ検討していることが,いかに異常なことであるかを,関係者たちはしっかり自覚してもらいたいです。かりに経済的なことだけで議論をしても,もし東京オリンピックを強行開催しようとするのなら,どれだけの経済効果があるのかをしっかり国民に説明すべきでしょう。コロナ禍で財政は悪化し,今後の大増税も予想されるなか,無駄になるかもしれない出費をする余裕などないはずです。すでに使ってしまった費用はもう戻ってこないので忘れたほうがよいのです(経済学でいうサンクコストの議論)。中止にしろ延期にしろアスリートには気の毒ですし,個人的にも残念ですが,オリンピックはアスリートだけのものではなく,そもそもは人類のためのものである以上,我慢してもらうしかないように思います。

2021年1月11日 (月)

50歳からの幸せな独立戦略(PHPビジネス新書)

 なんとも魅力的なタイトルの本を,FeelWorks の前川孝雄さんからいただきました。いつも,ありがとうございます。もしかしたら何冊か紹介をスルーしてしまっていたかもしれませんが,ご容赦ください。サブタイトルが「会社で30年培った経験値を『働きがい』と『稼ぎ』に変える!」となっていて,悩めるミッドフォーティーズが,思わず手に取ってしまいそうな本ですね。
 私の『会社員が消える』(文春新書)という本も,独立する人が増えるという意味ですので,この本とコンセプトは連動しています。帯には,「会社を辞めずにコツコツ準備」⇒「第二のキャリアは『定年再雇用』よりも『ひとり社長』に!」となっていて,そのとおりだと思いますね。本の内容は,ビジネス書なので,実践的なアドバイスが満載ですが,「会社にしがみつくことがリスク」というメッセージは,これから就職活動をしようとする学生や就職したばかりの学生にも伝えておくべきことでしょうね。今後はおそらく50歳ではなく,入社したときから,独立を考えていないようでは,キャリア計画としては不十分となるでしょう。
 そういう私は50歳を大きく超えてしまい,独立戦略は前からもっていながら,結局,不発のまま齢をかさねてしまっていますね。徐々に自信もなくなってきて,やっぱり会社(大学)にしがみつくしかないのか,という気になりつつありますが,会社(大学)自身も,こういう人材ばかりがいれば本当はダメなのでしょう。チャンスあらば転職したり,独立したりしようと思っている人が集まっている組織でなければ,バイタリティが出てこないし,イノベーティブなこともできないのでしょうね。私ももう少し頑張ることにします。

 

「コロナが怖い」で引退を,どう考えるべきか

 大相撲の序二段の力士である琴貫鉄が,コロナ感染をおそれて休場を申し出たけれど認められなかったので引退したという記事が,産経新聞に出ていました(「コロナ怖い」と引退 序二段力士、休場不可で - 産経ニュース (sankei.com) )。力士と日本相撲協会との間の契約関係が雇用なのか,準委任のようなものなのかは,よくわからないところがあります(裁判例も分かれている)が,今回の件は,会社員でいえば,コロナ感染の危険があるのに業務命令を出し,それを拒否したために,辞職せざるをえなくなったというようなものかもしれません。事実関係の詳細はよくわかりませんし,力士の特殊性があるのかもしれませんが,そもそも緊急事態宣言が出ている東京で,この時期に大相撲をやるのか,ということには,大いに疑問があります。感染対策をしっかりとっているといっても,すでに多くの休場力士が出ているのです。これからも増える可能性があります。きちんとPCR検査を行い,陽性が出れば休場させているから感染対策をとっているということかもしれませんが,大相撲が本気での勝負をする場であるのなら,少しでも感染の危険を感じながら相撲をとらせるということは適切でないと考えるべきでしょう。もし相撲協会が,本場所を強行するのが組織の決定なのだから,PCRで陽性がでないかぎり,出場せよというようなことを言っているのであれば,コロナへの意識が甘いという批判を免れないでしょう。大相撲はテレワークではできないので強行したくなる協会の気持ちもわからないではないですが,琴貫鉄が両国まで行って相撲をとるのが怖いと考えるのもまた,生存本能からして自然なことだと思います。とくに力士は若くても太っているので,潜在的な病気を抱えているなど,比較的重症化の危険性が高いカテゴリーの人たちだと思います(コロナで死亡した力士もいました)。せめて休場は認めるべきではなかったのでしょうか(こんなことをしていると,力士たちが労働組合をつくろうと言い出すかもしれません。そうなると力士は労働組合法上の労働者かというような法的論点が出てきて,労働法関係者の仕事が増えそうです。ただ,大相撲において,そういう紛争が起こるのは,あまり良いことには思えません)。
 一般の会社員でも,コロナ禍でテレワークを認めない企業に,テレワークをさせてくれと申し込むことができるのかというような問題はあります。難問ですが,「Webあかし」で,若干の考察をしています(第9回 テレワーク権? | テレワークがもたらすもの ─呪縛からの解放─ | webあかし (akashi.co.jp))。
 いずれにせよ,政府は,大相撲という国技だからこそ,コロナ禍に対して,どのような行動をとるべきかの模範を示すよう,相撲協会を指導してもらいたいですね。

2021年1月 9日 (土)

なぜテレワークは増えないのか

 一都3県で緊急事態宣言が再び出されました。私がいる兵庫県や近隣の大阪府や京都府もそのうち対象となるでしょう。菅首相は,「テレワークにより出勤者を7割減」と呼びかけているようです。しかし,その後も東京の朝の出勤状況にあまり変化はなかったという報道がありました。 
 政府は,テレワークとは,会社員が自宅で仕事をすることとしか考えていないのかもしれません。確かに,現在,政府が求めていることは,そういうことです。しかし,ここでほんとうに大切なことは,リモートでできる仕事は,リモートでやろうという呼びかけのはずなのです。リモートでどうしてもできない仕事をテレワークでやれと言われても,それは無理なことです。政府は,リモートでできる仕事は,リモートでやってほしいし,リモートでできる業務体制をできるだけ工夫してつくりだし,リモートでできる仕事を増やしてほしい,という呼びかけをすべきなのです。それが,政府がやろうとしているデジタル化ということとも,ぴったり符合してくるのです。どうせ,デジタル化・リモート化は本格的に必要となるので,これを機にやるべきなのです。
 政府のもう一つの問題は,リモートでできる仕事はリモートでやるということが問題の本質であることがわからず,単純にテレワークは会社員の問題だと思ってしまっているので,政府自身がリモートでできる仕事を対面でやる姿を世間にさらしてしまっていることです。なぜ首相は,すしざんまいの社長と官邸で会っているのでしょうか。なぜリモート・ミーティングにしなかったのでしょうか。直接会ったほうが,話がよく聞けるということかもしれませんが,それを言い出したら,企業はこれまで社員に対面で仕事をさせてきたので,テレワークよりも対面のほうが生産性が高いから,テレワークはできないと言い出したときに反論できないでしょう。
 専門家会議なるものも同じです。記者会見も同じです。テレビで映っているいろいろな場面で,対面で仕事をしている風景ばかり出てくるなかで,国民にテレワークを呼びかけても響かないです(しかも,首相の呼びかけの言葉にも,パンチがありませんし)。テレビに出てくる人や専門家と呼ばれる人たちが,リモートでやれることはリモートでやるということを実践してこそ,テレワークの呼びかけにも説得力が出てくるのです。テレビ会議は不自由でも感染リスクのほうが大きいので,やむを得ないということを示すべきなのです。それに,実は慣れてしまえばリモート会議は全然不自由ではありません。非言語的なコミュニケーションを重視したい人は違うでしょうが,首相が民間人に会ったり,専門家の会議を開いたり,記者会見を開いたりというのは,言語によるコミュニケーションの場であり,それはオンラインでできるのです。
 感染を恐れている人の多くはすでに自発的に行動抑制をしています。意識の高い企業もテレワークを導入しています。政府が呼びかけなければならないのは,自発的には行動抑制をしない人やテレワークを導入しようとしない企業に対してです。どうしたら,そういう人や企業の行動を変えられるのか,よく考えてもらいたいです。自分たちは対面型で仕事をしながら,テレワーク7割という半端な数値目標を立てて呼びかけても,大きな変化は生じないでしょう。
 河野太郎行革大臣が議員宿舎からオンライン記者会見をしたのは,正しいことです。ただ,これは本来,当たり前のことなのです。これがニュースになるようでは困るのです。

2021年1月 8日 (金)

Webメディアに登場

 Docomo系のBiz Solution というWebメディアに登場しました。2025年ないし2030年に働き方はどう変わるか,というテーマでの取材でした。やや旬を過ぎたかなと思う感じもしましたが,久しぶりにこのテーマで正面からインタビューを受けたので新鮮な気持ちもしました。
 Webメディアに写真つきで出ることが,ここ2年くらいで少しずつ増えてきている感じがします。親族の幼い子ども達は,テレビに出る人よりも,ネットに出ている人の方が偉いと思うらしく,昨年も産経新聞の取材でネットにかなり大きく登場したときには,尊敬されてしまいました。子ども達のアイドルはYouTuberなのであり,テレビという媒体の価値は急速に下がっているのかもしれません。
 そういう私も,昨年秋以降は,テレビはみていません。NHKBSも含めて年間契約をしている「模範的(?)」国民ですが,NHKはネット上で,NHKプラスで見ているだけで,その内容は基本的には7時と12時と19時のニュースと大河ドラマの「麒麟が来る」とテレビ体操だけで(ときどき「ダーウィンが来た」),BSはみることができないし,地方のニュースが首都圏にかぎられているので,もうNHKを解約してもよいかなと思い始めています。テレビも古くなって買い換え時期をとっくに過ぎているので,画質が悪くなっていて廃棄してもよいのです。テレビがなければ,受信契約を解約できますよね。
 ところで昨年の紅白歌合戦は,後半からタブレットでみていました。ミュートにしながら仕事をしていて,聞きたい歌手のところだけ音を出していました。石川さゆりの「天城越え」は,何度聞いてもいいですね。でも最高だったのは,YOSHIKIの「Endless Rain」でした。何度も聞き直しました(これもNHKプラスのいいところですね)。サラ・ブライトマンの変貌ぶりに驚きましたが,そういうことを言ってはいけないのでしょうね(おまえこそどうだ,と言われそうですから)。圧巻はMISIA でした。とにかく人を感動させることができる歌手です。1年の最後に聴けてよかったです。この人を大トリに持ってきたことだけでも,今回の紅白は成功だったと言えるでしょう。
 NHKもやればできるということかもしれません。解約しようかどうか。NHKプラスがもっと充実してくれば考え直すのですが……。

2021年1月 7日 (木)

佐藤博樹他著『働き方改革の基本』

 佐藤博樹・松浦民恵・高見具広著『働き方改革の基本』(中央経済社)を,いただきました。どうもありがとうございました。働き方改革の基本は,労働時間にあるということがよくわかる本です。労働時間が大切なのはそのとおりなのですが,法的な意味での働き方改革が,いまひとつパンチがなかったのは,時間外労働の上限規制というような昭和時代からひきずっていた労働時間規制の宿題を単にこなしただけに終わっていたからでしょうね。いまや長時間働かせるなんていうのは効率が悪いものですし,若い人は逃げていきます。霞ヶ関もこれからは良い人材は来なくなるでしょう。自分の時間についての意識は,若い人のほうが高いと思います。これからは労働時間管理よりも,経営者が若者の意識の変化に合わせて組織改革をしていくかがポイントだと思います。本書でも少し触れられているテレワークは,社員に場所主権を回復するものですが,時間主権も回復するものです。時間は社員に任せながら,いかにして成果管理をするかが,これからの人事の要諦なのでしょう。
 本書の最後の働き方改革と生活改革を結びつける議論は,抽象的には理解できるのですが,少し話が理屈っぽかったかもしれません。人事管理の本ではときどきあるのですが,外国の議論を使っていろいろ説明されるのはアカデミズムの香りがするのですが,なんとなく日本の現実の話にぴったりきているのかよくわからないなと思うことがあります。それは私の理解力が足らないからなのでしょうが。

2021年1月 6日 (水)

総論の時代

 猫も杓子もSDGsを言うので,面白くないのですが,でも大切です。昨年の神戸労働法研究会の最後にオンライン飲み会をしたのですが,これからの研究課題として,環境やSDGsを挙げました。
 これまでも神戸労働法研究会は,私のアイデアを試す貴重な場であり,あまりそのときには議論されていないテーマを実験的にとりあげることをしてきました。201510月に日本労働研究雑誌に「ITからの挑戦」(ITという技術から労働法に挑戦状がたたきつけられているというようなニュアンス)という論文を書いたのですが,これもその直前の夏合宿で報告したものがベースでした(聞いてくれていたのはごく少人数でしたが)。20171月に上梓した『AI時代の働き方と法』(弘文堂)は,その発展形態でしたが,当時ほとんどAIと労働法をテーマにした論考がほとんどなかったので,先駆的なものになったと思います。同年の2月には,北九州大学でIC(インディペンデント・コントラクター)関係のシンポもやりました。
 ということで,神戸労働法研究会では,判例研究だけでなく,新しいテーマについてもかなりやっているのですが,今後はCSR(これ自体は全然新しくないですが)やSDGsESGと労働という問題を本格的に取り組むことにしたいと考えています。研究会のメンバーは,私が社会的責任や行為規範といった言葉を口にすることが増えていることに気づいているかもしれません。私は判例の分析のような場でも,労働法の総論が大切で,そしてその総論的な内容が大きく変わろうとしていると思っているのです。私の考え方のエッセンスは,『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)で書いているので,そちらを参照してほしいのですが,要するに,資本主義とは何か,会社とは何か,そのなかでの労働の意義は何か,AI時代やDX時代における労働はどういうものかといったテーマを労働法にとっての付随的な論点として扱っているだけではすまない時代に来ているのだと思います。SDGsも,そうした文脈のなかで,重要な意味をもっているのです。
 かつての研究者は総論をめぐる大議論をしていました。しかし徐々に,裁判規範を意識した解釈論の精緻化のほうが重視されるようになりました。しかし,いままた揺り戻しが来ています。解釈論の重要性は相対的に低下していくでしょう。それにともない労働法学者に求められる資質も変わってくると思います。そして,それは労働法だけではなく,多くの法分野にも及んでいくことになるでしょう。
 DXにより,多くの職業が変わっていくなか,法学者の仕事もその例外ではないということです。恐ろしくもありますが,楽しみでもあります。

緊急事態宣言と教育

 学生にとって,大学入試が人生にとってとても大事なものであることはよくわかります。ただ,デジタル社会の時代の大学入試の意味は,少し冷静に考えてみる必要があります。世間ではまだ良い大学に行かなければ良い人生を送れないと思っている人もいそうです。そうした時代もありましたが,それは過去のものとなるでしょう。良い大学の定義も変わるでしょう。偏差値などに支配されることもなくなるでしょう。勉強というのは,自分の人生の目的を実現するためにするものであり,他人に評価されるものではありません。そう遠くない将来に,小学校ではAIによって学習カリキュラムをつくってもらって個別にアダプティブラーニングをしていくことになるでしょう。その段階を終えると,自学が基本となります。もちろんその際もAIを活用するのが基本となるでしょう。大学を出ても仕事がみつかるわけではなく,むしろ早めに職業を意識した自学を始めたほうがよくなります。棋士の藤井聡太二冠(王位・棋聖)の職業人生は,AIを活用しながらスキル(棋力)を高めるという形で展開されています。彼が大学に行く時間がもったいないと考えたのは正しい選択でしょう。藤井さんが天才だから大学に行かなくてもよいというのではなく,藤井さんですらそうだから,天才じゃない普通の人こそ,大学に行かずに,早く手に職をつけるべきなのです。大学は高度の研究を行う研究者養成機関に特化するようになり,普通の人はAIを使いながら個人で学習していくというのが近未来の教育のあり方です。
 ただ,ほんとうにそうなるためには日本政府が,きちんとした教育政策を進めてくれなければ困ります。もしそれができなければ,日本からの人材流出が始まるでしょう。石戸奈々子『日本のオンライン教育最前線―アフターコロナの学びを考える』(2020年,明石書店)を読んでみてください。日本のデジタル教育の遅れがわかり,ひょっとしたら子どもをもつ親は日本から脱出したくなるかもしれません。先日,かつての教え子で弁護士として活躍している子育て中の人から,小学校教育への不満を聞きました。おそらく小学校の先生は懸命に頑張っているのでしょうが,技術革新のスピードが速くて,それを小学校教育のレベルにまで反映させることが難しくなっているのではないかと思います。石戸さんの本を読むと,わが子にこんな教育を受けさせたいという具体的なイメージが浮かぶと思いますが,現実とのギャップは大きいのかもしれません。
 そんななか,緊急事態宣言が出ても学校は休校にしない(つまりオンライン教育はしない),大学入学共通テストも予定どおり実施するというニュースが飛び込んできました。小中高はオンラインでやる準備ができていないことが問題です。大学入試はいまさらどうしようもないところもありますが,もっと事前にプランBを準備しておくべきだったような気もします。飲食と違い,試験を受けるだけだから感染リスクが低いというのは,そのとおりでしょう。でもそれは比較の問題で,試験場となる大学のキャンパスは,見知らぬ人が多く集まるので,感染リスクは普通より格段に高まるでしょう。教室などでは感染対策がとられるでしょうが,大学に移動する途中の駅,電車やバスの中では,一時的ですが人が密集します。無症状だけれど感染しているかもしれない若者が多く移動するので,近隣の住民にとっては脅威です。大学入試をやるのはよいのです。でも大臣は感染対策を万全にしてやるから大丈夫と言うのではなく,もし何かあれば自分が全責任を負うから,受験生のために大学入試をさせてほしいので,国民の皆さんご理解くださいと言うべきではなかったかと思います。
 数年後に,大学入試の重要性を過大に評価して,感染リスクとの比較衡量を誤ったという歴史的評価を受けなければよいなと心から思います。ほんとうに,何も深刻なことが起こらないことを願っています。

 

 

2021年1月 4日 (月)

箱根駅伝は面白かったが……

 今年の箱根駅伝は開催すべきだったかどうかといえば,開催すべきではなかったでしょう。往路での沿道の観客姿を見ていると,例年ほどではないにしろ,結構,見にきてるじゃないかと思いました。箱根駅伝は今や国民的行事であり,そこでこのような様子が全国的に流れると,じゃあ私たちもこれぐらいやってもいいんじゃないかということになってしまいます。選手たちには気の毒なのですが,本来は中止すべきであったと思います。箱根駅伝はそれぐらい影響力の大きなイベントなのです。
 それはそれとして,実際には開催されたので,しっかり見ていました。今年は面白かったです。私は駒澤大学とは何の関係もありませんが,ずっと駒澤ファンです。近年は駒澤はあまり調子が良くなかったのですが,今年は有望な1年生も入ったし,大エースの2年生田澤もいるし,全日本大学駅伝でも優勝しているということで期待をしていました。スマートな感じの青山学院よりも,昭和風の大八木監督の下での駅伝が好きなのです。今年は1区こそ15位と出遅れましたが,2区の田澤で追い上げ,3位の小林で上位争いに食い込みました。特に山登りの5区で1年生の鈴木が昨年区間賞の東洋大学の宮下に抜かれても結構粘って総合3位(区間4位)にとどまったことが,翌日の逆転につながったような気がします。鈴木の気合いの入った表情,宮下に抜かれても視線はしっかりしていて,走りのほうも最後まで見事でした。この時点では,往路優勝の創価大学は頑張ったが優勝は難しく,復路は駒澤や東海,それにエースの西山を残している東洋あたりの争いかと思っていたのですが,実際には創価大学は健闘しました。復路は6区で駒澤の花崎が区間賞をとる快走で,創価との221秒差を18秒差まで大きく詰めたのですが,創価も区間7位と手堅くまとめていました。7区では創価が区間2位の快走で差が151秒に広がりましたが,駒澤の1年の花尾も区間4位の走りで粘っていて,トップを諦めるほどの差はつきませんでした。ただ残り3区で2分近くは小さい差ではありません。8区は駒澤の佃が区間4位の好走をしましたが,創価の永井も区間8位で頑張りそれほど差が縮まらず,この時点で1分29秒差です。ぎりぎりのところです。勝負があったと思ったのは9区です。創価の石津は区間賞の快走でした。駒澤期待の山野は区間6位でまずまずでしたが,タイムは石津よりも2分近く遅く,ここで創価との差は319秒となりました。9区の途中から,テレビ中継(私はiPadで見ていましたが)でも創価の初優勝ということでほぼ決まりという感じになっていましたし,この流れをみると,必死に追いすがる駒澤を,最後に突き放したという感じになるのは当然です。私もそう思っていました。ただ,ここまで創価は見事に襷をつないでいましたが,駒澤のランナーももてる力を十分に出して,常に区間上位の記録で粘っていたのです。これが大逆転を生みました。10区の石川も優勝は考えていなかったでしょうが,駅伝は何があるかわかりません。石川は好調でした。ただ5.9キロ地点の蒲田では,まだ245秒差です。実はこのあたりでは創価の優勝は間違いないと思って,横に置いていたiPadは音を消して仕事をしていました。13.3キロ地点の新八ツ山橋では157秒差でした。あと8キロくらい「しかない」ので,2分近くを逆転するのは無理だろうと思いながらも,画面から目が離せなくなりました。16.5キロ地点の田町で117秒差となりました。3キロで40秒縮まっているので,逆転ムードが高まってきました。こうなると,追い上げている方が有利でしょう。はっきりと前のランナーが確認できたところで,勝負があったのかもしれません。18.1キロ地点の御成門では47秒差です。こうなるとあと5キロ「も」あるので,創価は逃げ切れそうになくなってきました。20.1キロ地点の馬場先門では15秒差になりました。そしてついに21キロあたりで逆転し,最後は52秒差をつけてのフィニッシュとなりました。区間賞の快走でした。
 創価の10区の選手は辛かったでしょうが,多くの人に感動を与えたと思います。3年生なので,来年頑張ってほしいです。駒澤の石川の颯爽とした走りも素晴らしかったです。来年は区間新記録を目指してください。駒澤大学ほんとうにおめでとうございました。
 ということで,やっぱり駅伝は面白いです。高校駅伝は外国人留学生が強すぎるので,見なくなってしまいましたが,箱根は留学生も走りますが,勝負にはほとんど関係していません。毎年,楽しみにしています。ただ,それでもコロナ禍の今年はやるべきではなかったのではないか,という思いは拭えないのですが。

2021年1月 3日 (日)

エルネオス休刊は残念

 雑誌の執筆について,再度の依頼があると嬉しいものです。少なくとも前に書いたものが,評判が悪くてどうしようもないということではなかったとわかるからです。昨年だけでみても「愛知経協」は2回目,「電機連合NAVI」は2回目,「オムニマネジメント」は2回目,「産政研フォーラム」は3回目,「TASC」は2回目,「CityLife」は2回目(これは前回は座談会で今回はインタビュー)でした。一方,「労働調査」,「金融ジャーナル」,「地方議会人」など初登場の雑誌もありました。ネット系では,明石書店のWEBマガジンでの連載や弁護士ドットコムニュースでのインタビューが初登場でした。一方,法学研究者の多くが執筆するジュリストや法学教室のような有斐閣系からは依頼がこなくなりましたし,労働関係では日本労働研究雑誌からも同様です(もともと労働法律旬報,法学セミナー,法律時報などからは,まったく論文の執筆依頼が来ないので,書かせるのに適さないと考えられているのでしょうね)。有斐閣の雑誌も日本労働研究雑誌も,研究者としての中期まではずいぶんとお世話になりましたが,年齢とともに登場する媒体も変わっていくのでしょう。
 こんななか20196月に「元木昌彦のメディアを考える旅」という名物企画に登場させてもらった「エルネオス」という雑誌が昨秋に休刊になったと知ってショックを受けました。いつか2度目の依頼が来たらいいなと思っていた雑誌でした。私が登場して以降,毎号送っていただき,毎月楽しみにしていたのです。きちんとしたジャーナリストが支えている雑誌という感じでしたので,とても残念です。廃刊の詳しい原因はよくわかりませんが,雑誌の業界にもコロナの影響は及んでいるのでしょうか。
 ただいずれにせよ,紙媒体の雑誌は,今後は厳しいでしょう。私も,本も雑誌も新聞も,スマホかiPadで読んでいます。紙の本を買うことは,デジタル化されていない古本を除くと,ほとんどなくなりました(学術論文も,ネットからダウンロードできないものでも,PDFファイルにして,iPadで読むことが増えました)。Kindleで買った本は,いつか突然読めなくなるのではないかという恐怖がありますが,そのときはそのときです。Kindleは,分類整理をしておかなければ,昔読んだ本を探すのに不便なのが問題なのですが,それはリアル本棚の場合も同じですね。Unlimitedも契約していて(サブスクですので,11冊にはお金を払わなくてもいいのです),これだと10冊を超えると前に読んだ本が置き換えられていきます。先日は,松本清張の『アムステルダム運河殺人事件』を読みました。私の新書のいくつかもUnlimitedで読めるようになっていて,これはちょっと複雑な気分です。
 さて今年も,すでにいくつかの雑誌に単発の執筆が決まっています(このほか,連載では,もちろんビジネスガイドの「キーワードからみた労働法」があります)。そのうち2つは初登場となります(そのなかの1つは,前から依頼が来たらいいなと思っていたものでした)。講演は断ることがありますが,執筆の依頼は,法律専門雑誌でテーマ的に責任をもったものが書けないというものなどでなければ,まず断ることはありません。自分自身のなかには,本業は大学の研究者ですが,どこかライターも本業という複業感覚になっているような気がします。

 

2021年1月 2日 (土)

病院のデジタル化

 

 新年2日目は,父親の緊急入院ということでバタバタと始まりました。幸い,2週間くらいで退院できそうですが,昨年11月にも同じような入院があり,心配ではあります。また,新年早々コロナ関係で忙しい医療従事者の方にご迷惑をかけ,ほんとうに申し訳なく思っています(またケアマネの方にもいつもサポートしてもらって感謝です)。仕事ですからと言いながら,笑顔で対応してくださることに,患者の家族は救われます。
 医療崩壊は,私にとっては他人事ではありません。父は幸い入院できましたが,コロナの重症患者が増えてくると,父のような高齢者はトリアージで後回しにされてしまわないか,という不安があります。家族としては,そうなると辛いです。できるだけ重症患者を出さないようにするために,自分が無症状でも感染している危険性がある人は気を付けてもらえればと思います。私も気を付けるようにします。
 ところで,私自身は病院に入院した経験はありませんが,父親がちょくちょく入院するようになってからは,病院によく行くようになりました。今回は日頃の病院が休みということで,隣の市の初めての病院に搬送されたのですが,とてもよくしてもらっているみたいです。「みたいです」というのは,病院ではいま患者と面会ができないので,父と直接会って話すことができないからです。でも私への対応から判断すると,よくやってくださっているようです(主治医が月曜にならなければ決まらないのは,仕方ないですね)。心より感謝です。
 ただ病院のアナログ体質にはちょっと驚くこともあります。入院のたびに,看護師の方が,同じような書類を用意して,本人の情報や家族情報をいろいろ記入することになり,これってインターネットに登録して,(こちらの承諾があれば)どの病院でも使えるようにしてもらえれば手間を省けて助かるなと思いました。おそらくデジタル情報化すれば,看護師の仕事も減り,より本業に専念できるのではないでしょうか。薬の使用状況も,「お薬手帳」ではなく,デジタル化してしまえばよいのです(私は,ほとんど使いませんが,アプリで管理しています)。マイナンバーカードと健康保険証の統合が予定されているそうですが,できれば個人のカルテや使用している薬なども,個人ごとの情報口座で一元管理して,本人が承諾すれば,デジタル情報として提供できるようにしてもらえないでしょうかね。そうなると入院手続も,わざわざ家族が病院に行く必要はなく,オンラインで簡単にできるし,必要があればオンラインで医師や看護師と話をすることもできるはずで,そういうところはすぐにでもやってほしいです(患者と話すのではなく,家族と話すことですから,オンライン診療に反対している医師でも異論はないはずです)。コロナ禍においては,患者と家族の面会もオンラインで認めてもらえれば有り難いです(もっとも,これは携帯電話を父がいやがっていたために固定電話に変えてしまっていたという,こちらの特殊事情があり,携帯電話を普通にもっていれば問題はありませんでした)。

2021年1月 1日 (金)

今年の抱負

 新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。皆さんにとって本年が良い年になることを心より祈っています。

 コロナのせいで重苦しい新年となりましたが,いま私たちは社会の大きな変革のなかにいます。既存の知見が急速に陳腐化し,不確実性の時代に耐えられる知的体力が問われます。研究者もぐずぐずしていると,あっという間に,役に立たない過去の人になっていくおそれがあります。
 ところで,昨年いただいた本のなかで,私にとって最もショッキングだったのは,菅野和夫先生の『労働法の基軸―学者五十年の思惟』(聞き手◎岩村正彦・荒木尚志)(有斐閣)です。先生の偉大さはもちろん十分に知っていたつもりですが,改めてこの本を読むと,50年という研究人生を通して,次々と社会に生じる変化に柔軟に対応しながらも,その根底にある「基軸」はぶれずに一貫していたことのすごさを感じることができます。それにしても,一人の研究者が,かくも多くの重要なことをしてきたことに驚きを禁じ得ません。学内での様々な仕事,学外での労働省・厚生労働省関係の仕事,労働委員会,JILPT,国内外の学会での活動など,そのどれをとっても,他の人にはできなかった大きな功績を残されています。東大定年後に明治大学の法科大学院での教育内容に全力で取り組んでおられることなどからもわかるように,大きなことから小さなことまで,先生が何ごとにも手を抜かずに真摯に取り組む姿勢がよくわかります。これは,できそうで,なかなかできないことです。 もともと同じ土俵に立てるなどと恐れ多いことは,つゆほども思っていませんが,それにしても先生の50年の活動をみると,あまりにも自分と違う研究者人生に愕然としてしまいます。
 現在の日本の労働法は,研究・教育・実務のどの面から切り取っても,菅野先生の大きな影響力が及んでいます。とはいえ,私も,研究のところだけは,少しは菅野労働法に挑戦したいという気持ちを抱いてきました。菅野労働法を過去のものとして,ぶれない基軸を少しでもぶれさせなけれれば,学問は発達しないでしょう。菅野労働法は,天にまでそびえる偉大な構築物ですが,その前で跪いているだけでは,ちょっと情けないのです。私が長い構想段階を経て,ようやく今年,弘文堂から刊行することができそうな『人事労働法』は,菅野労働法とは違う新たな体系の労働法を必死に模索してきた,私の現時点での集大成となります。無謀な挑戦で簡単に敗れ去るかもしれませんが,私がいつか50年の研究者生活を振り返ることがあったときに,あのとき確かに勝負したという軌跡は残しておきたいと思っています。

 

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