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2020年10月の記事

2020年10月13日 (火)

日本学術会議任命拒否問題に思う(その2)

 日本学術会議の会員任命拒否について,残念ながら,政府の説明は不十分で,首相に任命権があることは強調するものの,任命権をどのように行使したかの説明はできておらず,記者会見でも首相は官僚の作文を読むだけという感じでしたね。今回拒否された6人のうち,少なくともお二人は専門外の私でも名前を知っている著名な学者です。おそらく拒否の理由について,まともな説明をすることはできないでしょう。もしかしたら,政府批判の言動をどこかでされていたのかもしれませんが,そんなものを調べ上げて任命拒否したのだとすると恐ろしいことです。
 菅首相自身の問題か,その側近の問題かよくわかりませんが,こういう露骨なことは止めたほうがよいでしょう。菅首相は,いくら苦労人のイメージでアピールしても,権力的な側面が見えてしまうと,イメージダウンとなるでしょう。
 とはいえ,ここに手を突っ込んでしまった以上,本音を言って居直る以外は,あとはどう弁解しようとしても,弁解しきれないので収拾が難しいでしょうね。一般国民なら忘れることでも,学者はこういうことは決して忘れません。それに,森友,加計,桜をみる会などへの国民の反発は,特定の人が良い思いをして不公平だという不満がベースにあったのですが,任命拒否は誰かを優遇するのではなく,学者という民間人を,母体団体の推薦を無視して排除したという,まさに「上からの排除」の構図があるわけで,場面はかなり違いますが,小池百合子東京都知事が希望の党で失敗したときと同じような感覚で国民に受けとめられる可能性もあります。つまり,「私も排除されないだろうか」という不安をかきたてかねないのです。
 いずれにせよ,日本の知識階層を,思想的に左か右か,リベラルか保守かにかかわらず,敵に回してしまったツケは重いものとなるかもしれません。ちなみに役人は,人事権を握る者にはひれ伏すかもしれませんが,日本学術会議の会員に任命されなくても,普通の学者ならビクともしないでしょう。学者は,ここは一般の国民と感覚がずれていて,今回くらいの排除なら,むしろありがとうと思うかもしれません。どんな理由で政府で嫌われたのかという好奇心から,論文は広く読まれるようになり,本も売れるかもしれませんから。そうなると,その思想が広がり,政府にとって逆効果になってしまいますね。しっかり先を読まなければならないのです。

2020年10月12日 (月)

私の最近の論考

 久しぶりに産政研フォーラムに登場しました。いつも大竹文雄さんのエッセイを楽しみにしている雑誌です。今回は「デジタル変革(DX)と労働の意義」というタイトルで執筆しました。拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」―真の働き方改革とは何か?』(日本法令)のエッセンスをまとめたような内容です。今回の登場で3回目ですが,2010年には「契約の自由をめぐる一考察」,2016年には「働き方改革と労働時間規制」と,重要なトピックを扱った論考を書かせてもらってきました。今回は,法律というよりも,労働というものをより深く考えるための参考にしてもらえればという感じになっています。
 そのほか,金融ジャーナルという雑誌に,「ギグワークー自営型就労に対応した法整備が必要」という短いエッセイも書いています。内容は,私がよく書いているものです。この雑誌には,初登場です。
 ビジネスガイドの「キーワードからみた労働法」は,第159回が「国際自動車事件」,第160回は「強行規定」です。国際自動車事件は,若手研究者に刺激を受けて,自分なりにもう一回しっかり割増賃金のことを考えてみようと思って書いたものですが,判例をどのように整理して理解するかはかなり難しかったです。立法論的には,割増賃金の任意規定化という議論(拙著『労働時間制度改革―ホワイトカラー・エグゼンプションはなぜ必要か』(中央経済社)も参照)が重要であることを,いっそう強く確信するようになりました。それと関係するところもあるのですが,今回の「強行規定」は最近ずっと私がこだわっていた論点で,まずはビジネスガイドにおいて,判例を振り返りながら ,私なりの視点でまとめたものを書いてみました。いずれにせよ,労働法の強行規定性を根本的に見直す論考を,来年3月くらいまでには発表するつもりです。
 このほか『消費者法判例百選(第2版)』には,コラム「消費者契約と労働契約」を書きました。1頁分なので,関連する論点を網羅的に盛り込むことよりも,消費者契約法が労働契約を適用除外していること(48条)に着目しながら,同法が前提とする労働契約・労働者概念についての違和感をベースに,国民を労働者,事業者,消費者などと区分して法規制をすることの問題点を軽いタッチで書いてみました。

2020年10月 7日 (水)

日本学術会議任命拒否問題に思う

 菅義偉首相が,日本学術会議が新しい会員候補として推薦した者のうち6名を任命しなかったことが問題となっていますね。私は,日本学術会議のことは,学会で少し耳にする程度で,個人的にはまったく関心がなく,たぶん長老達のサロンのようなところなのだろう,というくらいの認識しかもっていませんでした。私たちの研究にとって,どこまで役に立つ組織なのかはよくわかりませんが(知らないところで,とても支えてもらっている可能性はないとは言えないのですが),それはともかく,行政組織に位置づけられているとしても,研究者側が推薦した人を,理由も明確にせずに政府が任命拒否をするというのは尋常なことではありません。学問の自由とは関係がないという意見もあります。確かに直接的・具体的な自由の侵害はないかもしれませんが,政治思想にかかわりそうな研究をしている人を狙って選別するというのは,政府の動きが,学問の自由を制限するほうに向いているとみられてもおかしくないでしょう。そして,そうしたことはたとえ危険が抽象的であれ,警戒すべきだというのが,健全な人権感覚だと思います。政府は,学問に介入するつもりがないのなら,そのことをきちんと説明しなければなりません。学問の自由がないところに,また権力批判の自由がないところに,真の民主主義はありえないのです。 
 気になるのは,政府は,首相の「総合的・俯瞰的に活動を確保する観点から,今回の任命について判断した」という発言に合わせた説明で押し切ろうとしているようにみえることです。もしほんとうにそうだとすると,国民をなめています。安倍政権時代の説明しない体質は,もともと安倍政権の官房長官であった菅氏の体質でもあったのでしょう。首相に任命権があるといっても,あるいは年間10億円の公費が投入されているといっても,首相は国民の代表として任命するのであり,公費は政府のお金ではなく,国民のお金です。今回,任命拒否された人が任命されてよいと考えている国民もいるでしょうから,そのことについて説明する責任が政府にはあるのです。
 説明の際には,相手に納得してもらおうとする真摯な努力が必要です。昨日,1年生相手の授業の初回で,議論における反論可能性の重要性について述べました。「総合的・俯瞰的」な判断と言われるだけでは,議論になりません。こういう態度が一番いけないのです。政府は,きちんと説明をしてくれると信じていますが,万が一,このような抽象的な文言で押し切るのなら,大学1年生からやり直してもらわなければなりません。
 野党は,かつての国会答弁との不一致ということで攻めるようですが,やめたほうがいいです。国民は,そんなところは大して重要とは思っていません。重要なのはもっと単純なことで,要するに,納得できる説明がないことです。なぜ納得できていないかというと,反論可能な論拠が十分に示されていないことです。むしろ反論されないようにしか(それは国民が判断できないように,というのと同義),説明していないのです。野党は,そういう国民のなかにくすぶっている不満をうまくすくい取らなければ,政権をとることはできないでしょう。
 そう書きながらちょっと不安なのは,もし政府に納得いく説明を求めると,研究者一人ひとりの人格を否定するような論拠を出してこないかということです。アメリカの大統領選でもあるように,うまく説得できないとなると,本来の論点とは関係がない(しかも都合よく誇張された)人格批判となりがちなので,そこが心配ではあります。しかし,もしそんなことになれば,そこにこそ政府の本当の体質が現れるとも言えるでしょう。

2020年10月 6日 (火)

後期が始まる

 やっぱり入学は秋のほうがよいのでは,という気がしますね。春休みより夏休みのほうが長いので,しっかり休んでリセットして新たな気分で新学期に臨めます。春から始まると,夏に向かって,だんだん暑くなって勉強に向かなくなります。日本には6月に梅雨という勉強にまったく向いていない時期もあります。4月から始まってすぐに夏休みになるというよりは,秋から始まって勉学に向く気候のなかで集中していくほうが良いと思いますね(もちろん台風が邪魔をしたりはするのですが)。日本は徐々に熱帯に近づいている感じなので,6月から9月は思い切って休むということも考えてもよいと思います。夏は気候のよいところに移住して,そこでリモートで各自がやりたい勉強をするというので良いのではないでしょうか(というか,将来的には,リモートオンリーでもよいと思います)。秋入学の話は,いろんな異論があって潰れましたが,どうせならこれも前例を破ることを宣言している菅内閣にやってもらいたいです。
 ところで,今年は久しぶりに1年生の少人数授業を担当します。コロナ後を見据えて,法学部生はいったいどういう勉強をしたらよいか,というのは大きな問題です。そもそも大学教育で法学を教える必要性に懐疑的な私としては,彼ら・彼女らに,何を教える必要があるかということを,自分の学問的な信念に照らして考えながら取り組んでいきたいと思っています。まずは,あまり法学部的な解釈論には入らず,DX時代におけるこれからの社会を一緒に考えていくというようなところから始めることができればと思っています。
 101日から,神戸大学の国際関係の部署に設置されている「学際教育センター」というところのセンター長を拝命しました。まだできたばかりのセンターで,今後いつまで存続するかわかりませんが,せっかくこういう仕事を与えられたので,私なりにやれることをやって神戸大学に貢献できればと思っています。個人的には,「挨拶」にも書いたように,環境とAIの問題に取り組みたいのですが,まずは前任者の先生がされていた仕事を,しっかり引き継いでいくことが大切だと思っています。

2020年10月 4日 (日)

Webあかし連載終了

  明石書店のWEBマガジン「Webあかし」で連載していた「テレワークがもたらすもの―呪縛からの解放―」が,無事終了しました。全20回ご愛読ありがとうございました。5か月間,ほぼ毎週「テレワーク」をテーマにしたエッセイを書き続けました。メディアでは,テレワークがどうやったらうまくいくかというような話が多いのですが,そういうことも組入れながら,より大きな視点から「テレワークのもたらすもの」は,いったい何なのかを私なりに追求してきたつもりですし,今後の書籍化にあたっては,いっそう追求していきたいと思っています。
 以前も弘文堂のサイトでエッセイを連載し,それをベースに(と言っても,かなり違った内容となりましたが)『AI時代の働き方と法』という書籍が誕生したことがありました。雑誌ではなく,Webサイトに連載して,そこから書籍化していくというスタイルは面白いです。しかも,雑誌連載のときのように,基本的にそれをそのまま書籍化するのではなく,Webサイトではアイデア的なものを書き,書籍ではそれを具体化していくという手法は,チャレンジングなテーマを扱うときに適している気がします。
 いずれにせよ,2020年は,私にとって,いろんな意味で転換の年です。テレワークを素材にどんな本ができあがるか私自身楽しみです。

2020年10月 1日 (木)

遠隔試験をやってみないか

 今朝の日本経済新聞(2020年10月1日)の記事(真相深層)の中で,国家試験の遠隔実施について,厚生労働省が難色を示しているということが紹介されていました。記事の中では 「130種の技能検定(国家試験)を所管する厚労省の担当部局に遠隔試験導入について聞いたところ『権威ある国家資格では遠隔受験は時期尚早』(能力評価担当参事官室)と回答した。『(司法試験など)他の国家試験でも前例はない。まず民間試験で実施し、安全性を確認してもらいたい』(同)という」となっていました。AIなどを活用して不正を減らすことができるとする提案も,厚生労働省は絶対に不正を防止できるのか,と言って拒否したそうです。絶対の防止なんてできるわけがありません。リアル試験でも不正が絶対に起きていないと断言できるのでしょうかね。
 さあ菅首相。これについてあなたはどのような対応をするのでしょうか。「他の国家試験でも前例がない」と言い出すと,何も進みません。前例踏襲というのがダメなのです。国家試験の権威を守りたいという気持ちは理解できないでもないですが,とりあえずいろいろ模索をしたらいいと思うのです。リアル式にこだわるのもいいですが,受験生が感染の不安を抱えて集中できなかったなんてことになれば,どうでしょうか。司法試験が対面型でやってしまったので,これが悪しき前例になってしまったかもしれません。
 変革の時代は,前例は忘れましょう。新しいことをやった人を褒めましょう。多少の失敗は許しましょう(もちろん限度はあります)。厚生労働省には,民間の試験なら実験できるだろうけど,国家試験はそうはいかないんだという,官尊民卑の考えが透けて見えてちょっと不快ですね。いまや君たちが思っているほど権威はないかもしれませんよ。

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