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2020年9月12日 (土)

ウイルスの言い分?

 ずっと引きこもりでいたのですが,労働委員会の担当事件だけはそういうわけにも行かず,まだリモートでやる態勢が整っていないので,今週は久しぶりに外出しました。手続のオンライン化は,都道府県労委だけではどうしようもないので,中労委がぜひ音頭をとってオンライン審査の確立に取り組んでほしいです。審問の公開性は,オンラインで動画配信という形でやったらどうでしょうかね。公開するということは,国民の目にさらすということなので,それだったら動画配信が最も徹底したものといえるでしょう(もちろんプライバシーの問題があれば非公開にすればいいですし,そうでなくて公開されたら困るという当事者は和解に応じやすくなるでしょう)。
 今回は,審問室の感染対策が十分にしてあって,不安はありませんでした。事務局の方の努力に感謝です。ただ,県庁に行くまでの(というより帰りの)電車は恐怖でした。ラッシュアワーにぶつかったこともあり,完全に密の状態で,高校生は大声で話しているし(君たちは感染しても大丈夫そうだから羨ましいな),換気は不十分で,短い時間しか乗っていなかったものの,それでも十分に恐怖を感じました。たまに外出すると,ウイルスに関係なく,知らない人が近くにいる状況に慣れていないので,ちょっと落ち着きませんでしたね。
 これだけ多くの人が電車に乗っているということは,学校も職場もオンラインがそれほど広がっていないということですよね。こんなことをしていると,状況が変われば,あっという間に感染が広がるだろうなと思いました。オンライン化には根強い批判があるようですが,いまのうちにオンラインでやれるものはやるという態勢にしておかなければ,これから冬になって本格的な感染拡大があったときに,ほんとうに社会がストップしてしまわないか心配です。大学入試もオンライン対応の準備をしておかなければ,無試験で入学させるとか,逆に入試中止なんてことにもなりかねません。前者は大学改革としてあり得る選択肢ですが。

 ところで,ウイルスが不気味なのは姿が見えないからですよね。ウイルスが生物かということについては議論があるようで,それは生殖と摂食という生物の基本的なことを,ウイルスは自分でやらずに他の生物に寄生して行うからだそうです。ただ生物かどうかはともかく,確かにウイルスの存在感はあるわけで,こういうモノと共存しなければならないのは,たいへんです。
 そんなことを考えているとき,ふと思ったのは,ウイルスのことを少しでも理解するために,誰かウイルスを主人公にした小説を書いてくれないか,ということです。アメリカではオオスズメバチが,大変,恐れられているそうです。確かにオオスズメバチは恐ろしいのですが,日本人はなんとか共存してきました。それに百田尚樹の『風の中のマリア』(講談社文庫)を読めば,オオスズメバチの「生き方?」に,思わず感情移入してしまったりします。小説とはいえ,ハチだって,いろいろ考え,悩み,必死に生きているという思いにさせられます。百田尚樹が上手なのですが。しかも解説で,あの唯脳論の養老孟司が,ひょっとして虫にも意識があるのでは,ということを書かれています(この解説もまた面白いです)。小説の内容は,荒唐無稽な話ではなく,合理的な想像力の範疇に入るものかも,と思ったりもしました。
 ウイルスと人間は,ずっと昔から,共生と敵対の関係にあったのであり,今後は,新種のウイルスとも次々と付き合っていかなければならなさそうです。でもこれは人間にも非があります。ウイルスは,例えば熱帯雨林のなかにひっそり棲息していた動物に寄生していたにすぎなかったのです。そこに人間が侵入してきたから,人間に感染するなんてことが起こってしまうのです。熊やイノシシだって,昔は彼ら・彼女らが平穏に住んでいた領域に人間が侵入してきたから,人間に危害を与えざるを得ない状況になったのでしょう。ウイルスも,人間が近くに寄ってきたから感染したにすぎないと言いたいかもしれません。ウイルス側の言い分を,誰か素晴らしい想像力をもった人に小説を通して語ってもらえれば面白いでしょうね。

 

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