« 新刊 | トップページ | 公的とは何か »

2020年7月21日 (火)

オンライン以外のプランなし

 「Webあかし」で連載中の「テレワークがもたらすものー呪縛からの解放」は,いよいよ雇用型テレワークから,自営(非雇用)型テレワークに話題が移行します。第11回は,その橋渡しのようなもので,これまでの議論を整理しています。
 そのなかでも書いていますが,社会がまだオンライン体制に踏み切れていないことに問題があると思っています。オンラインとリアルの併用で,オンラインはプランBにすぎないというようなことでは,それを実際に準備する前線の人はたいへんでしょう。
 政府もいろんな的外れの政策をやり続けているので,現場の職員にかなりの負荷がかかっていることでしょう。とにかくオンラインに完全に舵を切る。閣議だって,専門家会議だって,すべてオンラインでやる。そうすることによって,国民に見本を示さなければなりません。どんなに「経済財政運営と改革の基本方針2020」などの政策文書にデジタル化とか,オンライン化とか書き込んでも,これまでだって,何度も同じようなことを言いながら実現できていないので信用できません。政府がまずできることを明日からでも取り組むという姿勢をみせてくれれば,少しは信用しますが。

 大阪府の吉村知事は頑張っていると思いますが,安倍首相への紙の要望書を,わざわざ東京に行って手渡すというようなことをやっているようではダメです(https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/202007/14menkai.html)。そうしなければ受け取ってもらえなかったからかもしれませんが,大事なことは対面という,これからは捨てなければならない考え方に基づいているように思えてしまいます。歯を食いしばってでも,移動しない,紙を使わない,という覚悟をもって,政府や行政が変わってくれれば,企業も個人も,テレワークとか,オンラインとかで物事をやろうという気持ちになるのです。だから吉村知事の行動は,残念ながらデジタル時代の知事として失格です。メディア映りのパフォーマンスには良いのでしょうが,そういうことにこだわっていてはダメなのです。期待しているので,ぜひ今後は,そういうことがないようにしてもらいたいです。

 政府や行政にとって,プランはABもない,オンラインだけにすべきなのです。どうしても仕方がない例外的場合にだけリアル・対面でやる,ということです。司法試験もオンラインでやるべきでしょう。もちろん,そのためには超えるべき多くの課題はあるでしょうが,だからといって,強行突破して,若者の健康を危険にさらしてまでやることではありませんし,再延期して様子をみるなんてことをやっていれば,受験生のストレスはたいへんなものになるでしょう。オンラインでやると決めてしまったほうが,対策はとりやすいはずです。それに例外はできるだけ作らないようにすることが,今後のいろんな問題のためにも意義があります。最難関の国家試験の一つの司法試験がオンラインとなると,世の中はずいぶん変わるかもしれません。

 先日,東京都知事選が強行されましたが,これが結構うまくいったことが実は問題です。たしかに多くの労力をかければ,オンライン投票でやらなくても実施可能なのでしょう。おまけに現職が勝ったので,オンライン投票をしないほうがよいと,現在,権力の座にある者たちが考えてしまいそうです。感染対策の労力やエネルギーがどれくらいのものであったか私はよくわかりませんが,それをオンライン投票技術の開発にまわしてくれたほうが,後々のことを考えれば,はるかに良かったのではないかと思えるのです。その意味で,不謹慎かもしれませんが,都知事選挙がうまくいかなかったほうが日本のためには良かったかもしれないのです。負けたほうが良い戦いがあるのと同じです。

 日本人のアナログでの技術力はすごいものです。センター試験を間近でみていても,細心の注意を払った綿密な計画と周到な準備と細かい指示,そしてそれをやりこなしてしまう教職員たちに驚きを禁じ得ません(私もその教職員の一人なのですが)。完全に大きな組織の駒として,何の疑問ももたずにロボットのように行動しきらなければならないのですが,そんなことを大学教員がやる(そして,やれる)のは,おそらく日本だけでしょう。でも,こういうのは,ほんとうはおかしいのです。人間の力を使ってなんとかやれば達成感もあるし充実感もあるのでしょうが,これは危険な感覚ではないかと思います。

 Web連載でも書きましたが,アナログの良さを否定するわけではありません。問題は,デジタルとアナログとの適正配分がゆがんでしまっているように思えることです。デジタルでできるものは,まずデジタルでやることを考えるという「デジタルファースト」で社会を変えていく必要があります。

 私の新刊『デジタル変革後の「労働」と「法」―真の働き方改革とは何か?』(日本法令)でも,この言葉は何度も登場します。ところで,新刊書の大きな帯の私の写真に驚かれた方も多いでしょう。昔の写真ぎらいの私を知っている人は,いっそうびっくりするでしょう。私も少し前なら,当然断っていました。今回,求められたので提供しましたが,まさかこういう使い方になっているとは思ってもいませんでした(せいぜい新書の裏表紙で使うようなことを想定していました)。もちろん事前に確認を求められ,了承していました。最初は驚きました(なんだか怪しい自己啓発書のような感じ),最近は自分の第1印象で拒否反応があったものは,あえてやってみるというマインドセットにしています。そうして自身のdisruptionを図り,もっと自分の可能性を模索できればと思っているのです。といっても,思考や生活の大部分はまだまだ旧態依然なのですが。

« 新刊 | トップページ | 公的とは何か »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事