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2020年5月の記事

2020年5月21日 (木)

今朝の日本経済新聞(2020年5月21日電子版)から

 今日の経済教室に川口大司さんの「日本型雇用改革の論点(上)解雇の金銭解決・導入が急務」という論考が掲載されていました。「2020年版 経営労働政策特別委員会報告」を素材に,日本型雇用システムの改革の動きについて,実にシャープに分析されていますので,まだ読んでいない人はぜひ読んでみてください。見出しになっている「解雇の金銭解決」については,川口さんと私が編者をした本『解雇規制を問い直すー金銭解決の制度設計』(有斐閣)にも言及されています。政府の解雇の金銭解決の議論は,根本から間違った方向で進んでいるように思いますので,仕切り直しをしたほうがよいです。川口さんのようなバリバリの経済学者でかつ労働法にも精通する学者(そのほかにも,厚生労働省べったりではなく,きちんと意見のいえる大竹文雄さんや神林龍さんのような方)を中核に据えて,もっと大胆に政策を推進できるような態勢で改革に取り組んでもらいたいです。ところで,その論考のなかで出てくるラムザイヤー米ハーバード大教授の書評は,私たちの問題意識を十分に理解せず(とくに法制度の提言内容も誤解しており,批判が的を射ていませんでした。内容が難しかったのかもしれませんが),勝手なことを書いているだけのもので,しかも結論としては,解雇規制は不要で契約でやればよいという乱暴なものです。もう少し,まともな議論をしていただきたかったのですが,残念です。
 今朝の日本経済新聞では,このほか「労働組合の連合は個人事業主や,特定の企業と雇用契約を結ばないフリーランスなどの働き手を対象にした新たな会員制度を10月に新設する。」という記事も出ていました。雇用類似の人だけを対象とするのか,より広く対象とするのか記事だけからはわかりませんが,今後は非雇用の「フリーワーカー」が増えていくことは確実なので,労働組合も組織の維持のためには,ウイングを広げて行かざるを得ないと思います。ただ,純然たるフリーの人まで対象とするならば,雇用とは違う問題が多くあるので,どこまで満足のいくサポート態勢を築けるかがポイントとなるでしょうね。
 もう一つ,脱ハンコ文化という記事のところで,クラウド会計ソフトのfreeeの中小企業の従業員へのアンケートで,テレワーク期間中に出社した頻度が「ほぼ毎日」「週1回程度」との回答があわせて37%あり,その理由として「契約書の押印作業」を挙げた人が22%いる,という情報が掲載されていました。政府がテレワークを推奨しているのは,感染抑制のためだけでなく,従業員本人にも危険があるためであり,それをまったく意味のない押印のために出勤しなければならないとなると,もし私が同じような立場ならストライキをしたくなるでしょう(注:ストライキを個人でいきなりやっても正当性は認められませんが)〔5月22日追加〕。こういうときこそ労働組合は声を上げるべきなのです。中小企業なので,労働組合が組織されていないかもしれませんが,連合は,全労働者のために,押印のための出勤をやめさせるよう企業に呼びかけ,さらに政府にも公的な申請書類の押印をやめさせるよう呼びかけてもらいたいです。これは従業員の健康に関わる問題という認識が必要です。押印のごときことのために,従業員の健康を危険にさらして出勤させてよいのか,労働組合にはもっと怒ってもらいたいです。ストライキというのは,賃上げ要求やリストラ反対というときだけでなく,健康や安全に関わるときにも,そして,むしろそういうときにこそやるべきものなのです。
 ちなみに三密禁止ということで外出しないという行動を愚直に守っている私が一番腹立たしいのは,テレビで映っている政府の会議がどれも人の密度が高いようにみえることです。コロナに関する専門家委員会の会議でも,多くの参加者が会議室にかなり密集しているようにみえます(会議室の出入りのときに,ちゃんと距離をあけていますでしょうか)。あれでは国民には説得力がないですね。大切な会議だからこそ,オンラインでやってもらいたいです。紙も使わないでほしいです。そういうところから,政府の本気度がどの程度かが国民に伝わるのです。

 

2020年5月16日 (土)

再び近況の報告

 明石書店のWEBマガジンの「テレワークがもたらすもの」は,早くも,第2回「テレワークに注目するのはなぜか?」がアップされました。今回はテレワークの社会的意義のようなものをまとめて採りあげています。テレワークに関する論考は,最近,メディアでも次々と出てきていますが,それらとはひと味違った連載となるように頑張っていきます。
 12日の火曜日の日本経済新聞の朝刊の「働き方 innovation データで読む」に同一労働同一賃金関係に関する私のコメントが掲載されました。2か月前の同紙の経済教室の内容をご覧になった編集者の方が,取材依頼されました(電話取材です。これまでの経験では,新聞はSkypeの取材をしたがりません。たまたまそういう人ばかりに当たっているのかもしれませんが)。掲載内容は,いろいろ話したなかの一部にすぎないのですが。個人的には,同一労働同一賃金関係の議論をすることはあまり意味がないという立場ですが,取材がくると,ついつい熱を入れて話してしまいますね。そういえば,ロイヤルリムジンの解雇騒動についても,レイオフや失業給付について取材が来たので,ずいぶん丁寧に説明をしましたが,その後の会社が解雇を撤回したこともあって,ニュースバリューがなくなったのでしょうかね。こうした問題の本質をみれば,まだニュースバリューはあると思いますが,記者がそのことに気づくかですね。また,フリーランス関係についても,いつもと同じような取材が来て,今回は,PPTのスライドを事前に送ったうえで説明するという,私としてはかなり親切な対応をしましたが,記事になるかどうかはよくわかりません。そういえばつい数日前は,厚生労働省の助成金関係の取材申込みがあって,これはまだ探索的な取材でしたので,調査したほうがよい事実確認をお願いして,その事実が確認できたらコメントするという対応をしました。現在は,ずっと自宅にいるので,基本的には,取材には協力する姿勢ですが,テーマと相手方の意欲と問題意識と事前準備の程度しだいで,当然,こちらの対応は変わりますね。すでに筋が出てきているというタイプの取材には警戒をします。
 それから,電機連合NAVI74号の「羅針盤」という欄に「5年後の働き方―『コロナ後』の労働を展望する」という少し長めのエッセイを寄稿しました。2年前に執筆したことがあるので,もう同じ雑誌には書くことはないと思っていましたが,また依頼が来ました。読者の皆さんのために少しでも参考になることが書けていればよいですが。テーマ的には,今後はこの種のものの依頼が増えそうです。近いうちに,非法律系の書籍の一節に,類似テーマでもう少し長い論考が掲載されます(脱稿済み)ので,刊行されたらご報告します。

2020年5月 9日 (土)

近況

 今日は,3か月半ぶりに,神戸労働法研究会を開催しました。Zoom会議でしたが,個人的には,日頃のリアル研究会とほとんど変わりませんでした。みんなと再会できて,とても嬉しいです。しばらく,他の研究者と議論して頭を使うという機会がなかったので,とても良い刺激となりました。コロナショック後の巣ごもり研究を終えて,本格的な研究活動再開という感じです。アスリートの方達などは,なかなか本格活動ができなくて気の毒です。研究者はその点,オンラインでほとんどのことを完結できるので,恵まれています。感謝の気持ちを忘れず,自分たちのできることをやっていきたいです。
 今日のテーマは,徹底的に常識を疑うということだったと思います。まず千野弁護士に組合事務所明け渡しに関するヤマト交通事件と賃金・賞与減額などに関するキムラフーズ事件をご報告いただきました。それを素材に,議論では,もう一歩踏み込んで考えてみようという姿勢で,いくつかの論点を根本から問い直す議論ができたと思います。こういうことを積み重ねていくなかで,知の共有財産が蓄積され,参加者各自が新たな発想をつかんで論文につなげてもらえればと思います。それと今日はおまけで,私が本邦初公開の「人事労働法」構想を披露させてもらいました。新しい労働法へのチャレンジのつもりです。参加者のかたから有益な意見や感想をいただき,勉強になり,また励みになりました。研究者の議論にはタブーはなく,挑戦あるのみです。
 現在の仕事のもう一つの中核になるものとして,明石書店のウェブマガジンに「テレワークがもたらすものー呪縛からの解放」(https://webmedia.akashi.co.jp/categories/877)の連載が始まりました。明石書店では,以前に『君は雇用社会を生き延びられるか』という本を出していますが,9年ぶりに仕事をさせてもらうことになりました。編集者の方が,テレワークをしなければならなくなったことをきっかけに, 当時から私が「テレワーク」のことを話していたのを思い出して声をかけてくださいました。「テレワーク」については,いろいろなところで話題になっていますが,なぜ「テレワーク」が必要なのか,それは前近代的な働き方の「呪縛からの解放」であるということを,私なりの視角でしっかり伝える論考にしたいと思っています。もちろん世の中にはテレワークやオンラインブームに対して賛否いろいろな議論があると思います。私の主張を素材に議論の活性化ができればと思っています。
 ビジネスガイドで連載している「キーワードからみた労働法」の新作(第155回)のテーマは,「SDGs(持続可能な開発目標)」です。いま私が最も注目しているテーマの一つです。労働法の議論においてもSDGsESGが無視できなくなっていることを解説しています。
 コロナの影響で,まだAmazonでも扱われていませんが,『経営者のための労働組合法教室』(経団連出版)が,8年ぶりに第2版が出ます(すでに刊行の準備は3月にできています)。世の中は経済活動が停滞していますが,今後の雇用情勢いかんでは,労働組合の存在意義が高まることになります。経営者の方だけでなく,労働者の方も,労働組合をめぐる法的ルールについて基本から学んでみたい方は,在宅勤務の合間にでも,ぜひ手に取って読んでみてもらいたいです。

 

2020年5月 4日 (月)

秋入学に賛成

 大学では,クオーター制導入の混乱で多少困りましたが,もともとセメスター制で4月開始と10月開始という感覚でやってきました。たしかに入学式が4月とか,卒業式が3月とかそういう行事はあるものの,これは春の行事だということから秋入学はダメというのはおかしいことで,一番重要な教育という面では,10月(9月)入学に変えても,大きな問題はないように思います。ちなみに神戸大学のLSの労働法の授業は,後期が労働法1で,前期が労働法2です。学生の標準的な授業の取り方は,2年生の後期と3年生の前期なので,10月が開始になっても何も問題ありません。
 大学教員は留学経験のある人がほとんどだと思いますので,秋に開始ということに抵抗感がある人は少ないでしょう。学部生の留学も増えてきていますし,また海外からも留学生が増えている現在,世間で思っているほど大学関係(教員・学生)では問題はないように思います。経団連が新卒も通年採用に移行するというようなことも言っているので,そうなると就職への支障もあまりありません。就職活動のあり方が大きく変わろうとしているいまだからこそ,入学時期を変えることもやりやすいでしょう。司法試験や公務員試験がどうなるのか,というような声もありますが,現在の時期でなければならない強い理由はないのではないでしょうか。
 秋入学に反対する最も有力な理由は,移行期の混乱です。これはもちろんきちんと考慮すべきことですが,これを言っていれば,いつまで経っても改革はできません。もともと日本の年度が4月開始であることに,たいした理由はないのであり,ただこれまでやってきたから便利というだけです。少なくとも教育関係は思い切って国際標準の秋入学にしてしまってよいのではないでしょうか。夏の暑い時期はたっぷり休んで,涼しくなってから新学期が始まるというのは悪くないはずです。早く変えたほうが,未来の世代から感謝されると思います。たしかに今年の秋からというと大変でしょうから,来年秋からにすればよいのです。新型コロナの混乱は当分は続くでしょうから,しっかり準備するためにも来年からのほうがよいでしょう。
 今回の9月入学の議論は,現時点で子供への教育が停止しているので,9月に新学年をリセットするという意味もあるようです。ただ,この点については,繰り返し言うように新型コロナの影響は残り続けるので,子供が安全に教育を受けるようにするためのオンライン授業の実施や継続を優先的に考えるべきでしょう。これは秋入学の話とは切り離して考えるべき問題です。
 オンライン授業を完全実施するため,子供のいる全世帯にスマホかタブレットを配布し,通信環境の整っていない家庭に補助するなど,デジタル化対応を一挙に進めることが検討されるべきでしょう。いつ届くかわからないようなマスク配布に金を使うくらいなら,様々なオンラインサービス向けの投資にお金を回すべきでした。いまのままではデジタル格差が生まれかねません。いまからでも遅くないので,まずは教育対応からデジタル投資をすべきです。こうしたことが,今後さらに継続して必要となるであろう給付金支給において,オンライン申請が円滑に行われるようにすることにつながります。
 というように思うのですが,そもそも現在の内閣のなかで,デジタル技術をつかって仕事をしている人がどれくらいいるのでしょうかね。問題意識が十分でしょうか。
 ところで大学は,学生のデジタル対応へのサポートを強めています。学生の就学環境にとってオンライン授業を聞ける状況にあることが不可欠となったからです。現在のところ,オンライン授業は好評のようです。リアル空間では,1対多という感じであったのが,オンラインでは, 11の集合のような感じになり,学生との距離も近くなったようです。リモートのほうが近いというのがオンライン技術のすごいところですね。もう戻れなくなるのではないでしょうか。

2020年5月 1日 (金)

いいなづけ(再掲)

 7年以上前の2013年1月18日にアップしたブログです。感染症というと,あのペストをテーマにしたマンゾーニの「いいなづけ」を思い出しました。探してみると,ウェブ・アーカイブに残っていたので(https://web.archive.org/web/20130301095144/http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/cat21598620/index.html ),下に再掲しました(再掲にあたり最小限の訂正を入れています。訂正部分は[ ]にしています)。あまり内容のない紹介で,たんにベタ褒めしているだけで恥ずかしいですが,皆さんが読むためのイントロになればと思います。ただしネタバレありなので,まず読んでもらったほうがよいかもしれません。


ずいぶん長い時間をかけて読みました。速読せず,じっくり味わって読んでいました。たまたま先週体調を崩したので,まとめて読むことができて,なんとか最後まで行きました。イタリア人なら誰でも知っているManzoni の「I promessi sposi」(河出文庫)です。平川祐弘氏の訳も素晴らしいです。イタリア語を普通の日本語に訳すのは難しいのですが,この訳は日本語としても名訳であり,びっくりしました。タイトルもいいです。「婚約者」では,ちょっと感じが違います。「いいなづけ」というのは,親に押しつけられたというニュアンスもあるのかな,とも思いますが,とにかく結婚を約束されていた二人,というような意味でしょうから,その[ニュアンス]は「いいなづけ」のほうが,「婚約者」より出ていると思います。
 ミラノに[住んで]いた者として,今まで,ずっと読みたいと思っていたのですが,やっと読めて良かったです。素晴らしい本です。何が素晴らしいか。それは,ぜひ実際に手[に]とって読んで欲しいのですが,見所はいろいろあります。人間描写のすばらしさ,人生の不条理と人間性の奥深さなどを存分に味わわせてくれます。神を信じない私も,神様っていいな,神父様っていいなと思わされてしまいます。ペストの悲惨さも,ここまで克明に描かれると,まるで体験したかのような気分になります。スペインに支配されていた時代のミラノのことも知ることができます。歴史[の]記録としても意味がある本でしょう。主役が誰かわからないところも,かえって読みやすくなっています。登場人物の誰とも距離を置いて,人間というものの本質を描いているこの本は,間違いなく世界の最高傑作の一つでしょう。
 簡単に筋を[紹介する]と,ある貧しい若い夫婦が結婚を約束していて,司祭に結婚の儀式をしてもらう[はず]が,妻になるはずのルチーアを気に入った悪徳領主が,司祭に対して結婚式を延期せよと圧力をかけて,司祭がそれに従ってしまうところから話が始まります。二人は司祭に不意打ちをして,本人の前で結婚の誓いの言葉を述べてしまおうとするのですが,それが失敗に終わり,村からの逃避行が始まります。ルチーアと母のアニーゼが逃げ込んだ修道院のシニョーラの裏切りでルチーアは,領主からルチーア略奪を命じられた極悪非道の者(インノミナート)の城に連れて行かれるのです。しかし,あわやのところで,なんとその極悪人が改心するのです。しかし,ルチーアは,そのことを知らず,マリアに願をかけてしまいます。それは,一生,処女でいるので,救ってほしいという願です。彼を捨てるという覚悟をしたのです。その間,彼レンツォは,ミラノに行って,思わぬ暴動に巻き込まれて大変な犯罪者となってしまいます。不幸が次々と起こる二人に,神は幸せを与えるのでしょうか。
 読んでいると,この司祭には,怒りを感じます。領主の舎弟のやくざの脅しに負けてしまったことが若い二人の不幸の始ま[り]なのですが,司祭本人は不幸な出来事に巻き込まれた被害者意識ばかりあります。司祭は,後からこの顛末を知った枢機卿から叱責もされます。でも,ここがとてもイタリア的で,こんな俗物の司祭もいるなと,思わず共感[ ]てしまうのです。司祭だって人間で,保身が大切だからねと,にやっとしていしまいます。イタリア映画には,カトリックの司祭たちの俗物性を揶揄するシーンがよくありますが,これは,この本の影響かもしれませんね。
 一方,大変な人格者のクリストーフォロ神父。こんな人がいたら,どんなに救われるであろうと思わ[せ]る聖人です。ルチーアを,マリアへの願から解放したのも彼です。でも,こんな人は普通はいないだろうなとも思います。ただ,この人には殺人を犯したという過去があるのです。そこから悔い改めたというところが,いいところです。読者は共感を覚えるでしょう。
 レンツォは,普通の身分の低い若者です。教養もありません。酒を飲み過ぎて大失敗もします。でも,ルチーアへの愛やアニーゼへの思いは純粋で,実に愛すべき青年なのです。彼が,自分を不幸に追い込んだ領主がペストにかかって瀕死となったときに,復讐の言葉を発したとき,クリストーフォロ神父に叱られるのですが,でも,レンツォの気持ちはみんなよくわかります。自分の婚約者を理不尽に領主が横取りしようとしたのですから。
 ルチーアは,自分が何もしていないのに,次々と自分に不幸が起こるなか,ただひたすら神を信じるのです。今の時代はともかく,少し前までの女性の受け身的な行き方を象徴しているように思います。自分の運命は,周りの人によって,次々と翻弄されます。自分の出来ることは,ひたすら祈ることだけ。そんなルチーアに,誰もが同情を感じるでしょう。でも,彼女は最後には幸せになるのです。
 余計なことを書きましたが,この長編傑作は,一読に値します。イタリア好きであろう[が]なかろうが,関係ありません。繰り返しですが,この素晴らしい邦訳に出会えたことは,ほんとうに喜ばしいことだと思います。平川先生は,まだご健在でいらっしゃるのでしょうか。 ☆☆☆☆☆

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