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2020年4月 9日 (木)

技術的可能性に社会が追いつく

 神戸大学でもついにオンライン授業が義務化となりました。少し前までは選択制でいく感じでしたが,ついに学生を集めて教室で行うリアル授業は禁止となりました。しかも授業開始は5月7日以降ということです。再延長もあるかもしれませんね。オンライン授業というと,2014年1月に出した『君の働き方に未来はあるか?ー労働法の限界と,これからの雇用社会』(光文社新書)のなかで,次のようなことを書いていました(198頁)。

「医療,在宅勤務……構造変化
 
ITのなかでも,特に通信面だけをみても,これからいろいろな変化が起こってくるでしょう。私の身近な例を挙げれば,大学の講義です。たとえばIT技術を使えば,神戸大学の講義を聴きたい人はどこにいても聴講が可能となるでしょう。また,講義を英語で行えば,世界中に配信が可能になります。双方向通信にすれば,質問を受け付けることもできます。試験のやり方(本人の認証方法など)さえ工夫すれば,大学の教育は劇的に変わるかもしれません。
 
たとえば,こんな時代というのは考えられないでしょうか。大学はなくしてしまって,大学教授を国家資格にします。資格をパスしたものは,自分の専門科目の講義をネットに配信することを義務づけられます。受講者は,誰でも一定の授業料を払えば講義を聴けるようにします。試験に合格した学生には単位を与えます。所定の単位を修得した者は,大学卒業者と認定されます。単位認定は厳格なものとします。このようにすれば,入学試験はなくなり,どこにいても講義が聴けるようになり,ほんとうに学習意欲がある人に学習機会が広がります。大学卒業者の価値も高まるでしょう。技術的にはこうしたことはすでに可能であり,実際,2014年春から,MOOC(大規模公開オンライン講座)というサービスが開始されるそうです。
 研究面でも,私たちのような法学系の人間は,国内外の文献と判例にアクセスできれば,かなりの仕事ができてしまいます。ネット上にこうした情報を集積しておけば,どこででも論文を書くことができます。すでに,そういう時代に突入しつつあります。実際,私は,論文などの原稿執筆は,研究室の外で行うことがほとんどです。どうしても大学に行かなければ調べられないものがあるときのみ,大学で原稿を書きますが,その割合は減ってきています。
 ひょっとすると,ハワイに住みながら講義はネット,研究は自宅という時代が来るのかもしれません。もちろん,その頃には先述のように,ロボットが何もかもやってしまうので,大学教師のやることは残っていないかもしれませんが。」

 そのあとにオンライン医療のこととか,テレワークのこととかにもふれているので,関心のある方はぜひ読んでみてください。かつては上記のようなことを,研究会のあとの飲み会などでよく話していて,労働法の教師は全国で5人くらいいれば十分だから,君たちもそのなかに残れるように頑張れよと,冗談めかして若手に言っていました。
 でも冗談でなくなるかもしれませんね。5人はともかく,10人もいればたくさんでしょう。私も,生き残りに向けて,闘わなければなりませんかね。教育にかぎらず,コロナ後の社会は,当分は無理だろうと思っていたことが,次々と実現していく社会になる可能性が高まっています。それにともない必要となるスキルも変わっていきます。既存の知識が陳腐化していきます。ディスラプションが起こるのです。技術的可能性に社会が追いつくというところがポイントです。

 

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