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2020年4月13日 (月)

私たちにとってほんとうに必要なものは何か

 日本法令のビジネスガイドで連載中の「キーワードからみた労働法」の次回のテーマは「SDGsSustainable development goals)」です。これからの労働法の議論は,「SDGs」や「ESG」を無視してはやっていけません。法を非常に狭くとらえると,「SDGs」や「ESG」は,倫理規範のようなものであり,分析の対象外となるかもしれません(とくにESGは投資の基準です)。「CSR」も同じです。しかし,企業経営を規律するという観点からは,これらの倫理規範は今後,重要性をどんどん高めていくでしょう。法の世界も,これらを視野に入れていく必要があるのです(労働法でこういう問題意識が比較的強く出ている文献として,土田道夫編著『企業法務と労働法』(商事法務)がありますので,お薦めしておきます。ESG投資に関する専門書としては,水口剛『ESG投資』(日本経済新聞出版社)があります。これらは,今回のビジネスガイドの原稿でも参考にさせてもらいました)。
 もっとも,こうした倫理規範は,誰がどのように策定したかが気になるところでもあります。社会にすでにある道徳規範を吸い上げたようなものであればともかく,新たな現象に対応するための国際的な規範は,さきにつくったもの勝ちという面もあります。SDGsに欧州が熱心なのは,自分たちが先に自分たちのやりやすいルールをつくってしまえば,それだけ自分たちが有利になると考えているからです。個人情報保護の分野で欧州がGDPRでみせた先進性は,そうした観点からも理解できます。
 そういう国家間競争という面があるとはいえ,SDGsそれ自体は,(2030年の目標期限は先を走る欧州に有利すぎるように思える点はともかく)将来の社会の持続可能性と豊かさとの関係を私たちに考えさせるものであり,とても重要な問題提起です。おそらく教育の現場では,小学生から,読み書きを覚えさせるのと同じように,SDGs17の目標を覚えさせることになるでしょう(すでにやっていますでしょうか?)。
 ただSDGsは最終目標ではないと思います。この先には,「Development」(開発,成長)とは何かという問題が横たわっています。私は,SDGsは,端的に社会の持続可能性を問うSGsSustainability Goals)に変わっていくのではないか,という気もしています。私も日頃の政策論議では,成長を是としたうえで,そのためにどのような方法が公正で効率的かという問題意識で論考を発表することが多いのですが,実はそもそも成長とはどうあるべきか,成長と幸福の関係をどう考えるべきか,というメタ論議の重要性も否定していません。拙著『会社員が消える』の最後の3頁では,その点を示唆しています(この部分で救われたという読者もいました)。
 ところで,新型コロナショックで,私たちは人類の持続可能性に不安を感じるようになりました。先進国に住んでいても,これまでの豊かな生活がギリギリのラインまで切り下げられていこうとするなか,何が守るべき価値であるのかを考えざるをえなくなっているのです。政府は,「必要最小限の用事」や「不要不急」が何かは明示していません。自分で考えろということです。
 そこで考えみることにしました。まず食料や水は必要です。でも外食は不要不急でしょう(自分でつくることができる)。散髪も不要不急でしょう(自分で切ることもできる)。女性(最近は男性も)の化粧品も不要不急でしょう(化粧しなくても生きていくことができる)。さらに,学校も,裁判も,オリンピックも,高校野球も,プロ野球も,Jリーグも,将棋の名人戦も生存にかかわるものではないという意味では,不要不急でしょう。選挙だって不急ではありません(アメリカの大統領選挙はどうなるのでしょうか)。一方,病院やクリニックは,継続してもらわなければ困ります(医療従事者の健康が心配です)。そしてスマホです。もしスマホなどのICTの端末が故障したらどうでしょうか。これの修繕は不要不急ではなく,緊急で重要でしょう。ICTをつかえなければ,せっかく解禁されたオンライン診療も受けられません。このほかにも,重要なサービスはオンラインで提供される可能性が高いのです。いまやスマホは生存にかかわるものなのです。 選挙の投票がオンラインとなると,ICTは民主主義の根幹にかかわるものにもなります。
 このように考えると,私たちの社会における,デジタル技術を普及させることの重要性は明らかです(同時に,サイバーセキュリティの重要性はいまでもそうですが,さらに飛躍的に高まるでしょう) 。生存から逆算したときに必要なものだからです。たんなる便利ツールというレベルのものではありません。政府は,通信環境をもっと整備すると同時に,スマホを国民全員に与え,かつ,その使い方についてもしっかり教えることによって,デジタル・デバイドが起こらないようにすることが必要です。これは実はSDGsGoal10の「不平等」の解消という目標のなかに含めるべきものなのかもしれません(現在のターゲット項目には含まれていませんが,先進国だけでなく,途上国でも大事な目標だと思います)。
 逆に,不要不急であることがわかったモノについては,コロナ後も,需要がぐんと減る可能性はないでしょうか。それだけでなくデジタル技術を利活用する社会や生活には,もはや必要ではない習慣も出てくることでしょう。名刺をもつことを止めたり,判子に抵抗したりして,紙をできるだけもたないようにして変人視されてきた私のような者のスタイルが標準化していけば有り難いです(名刺業者や印鑑業者の方には申し訳ないですが)。フリードマン(Milton Friedman)の「こんなものいらない14のリスト」にならって,デジタル技術の利活用を邪魔する「こんなものいらないリスト」をつくってみるのもいいかもしれません(フリードマンは規制に関するものでしたが)
 いずれにせよ,多くの不要なモノに囲まれていることに気づき,モノよりも,精神的な価値(ヒトとのつながりなど)の重要性を再認識した人類は,大きく生まれ変わる予感がします。そうなると,法などの手を借りなくても,自発的にSDGsに取り組む人が増えていくかもしれませんね。

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