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2020年3月の記事

2020年3月11日 (水)

デジタルファースト

  「アメリカファースト」という言葉を聞くと,アメリカ以外はどうでもいいというような独善的・排他的なニュアンスがします(言う人のキャラクターもありますが)。「レディファースト」というと,まずは淑女の皆さんがどうぞ,という他人に勧めるというニュアンスで,ずいぶん違います。私は「デジタルファースト」という言葉を,行政手続以外にも広げてもらいたいと思っています。デジタルでできることは,まずデジタルでやれるか検討すべきだ,というニュアンスであり,これは要請という強い意味をこめています。
 サイボウズの青野社長が,36日の日本経済新聞の朝刊で,「かんばるな,ニッポン」という新聞広告を出して,テレワークを推奨していましたね。これも「デジタルファースト」の精神です。会社の宣伝であったとしても,私の心には,ささりました。デジタル技術を使ってリスクを回避し,できるだけこれまでの生活を継続するというのが,テレワークの社会的意義です。それを支える企業こそが,ESGSをきちんと担っていると思います。
 大学はどうでしょうか。春休み中なのでコロナ騒動による影響はあまり受けていませんが,日頃から悪天候で気象警報がでれば休講になってしまうなど,強制休講が増えているので,こちらもデジタルファーストでオンライン授業の正規化の検討を進めてほしいです。もちろん,こうした提案には,通信制との区別がつかないとか,対面教育の効用とか,多くの反論があるのですが,そうした議論をするところから,なぜ大学や学校という物理的施設にまで登校しなければならないのか,ということを確認していくことに意味があるのです。そうすることによって,現在のやり方の良さを再認識することができるかもしれません。
 ちょうどデジタル化が進むと人間の労働がなくなるという話があるなかで,人間らしさとは何かということを議論していくと,非デジタル的な活動の良さも見えてくるというのと同じです。
 そんなことを考えているとき,突然,小中高の一斉休校となりました。その判断の妥当性については専門家に任せたいのですが,そもそも専門家の意見を聞かないでやったことが驚きです。首相が責任をもつと言っていますが,それが当てにならないのです。現在の日本の首相の問題は,多くの人がわかっているように,言葉が軽いことです。首相の責任でやるといっても,これまでの多くの言動から,たぶん責任はとらないだろうと多くの人は思っているでしょう。つまり首相の「責任をとるから」は説得力がないのです。それに,そもそも「責任をとるから」を説得の言葉にしてはいけないと思います。専門家の話を聞いていろいろ議論した結果,意見が分かれたから,最後は自分が責任をとって決断した,ということであればわかるのですが,専門家スルーで責任という言葉だけを使うのは,実はきわめて無責任な行動なのです。
 それはさておき,一斉休校への批判として,保護者の不便さ(休業の補償も含む)や小さい子供たちの行き場所のなさに関する話は聞こえてきますが,子供の勉強の進行についてもっと配慮すべきという話は,当初はあまりされていませんでした。文部科学省は,「子供の学ぶ応援サイト」といったものを立ち上げていますが,なんとなく他人任せです。国難だから,教育なんて言っている場合でない,ということかもしれませんが,そもそも子供たちは重症化しないらしく,ぴんぴんしているので,教育のことを心配するくらいの余裕はあるでしょう。そう思うのは,中国では,教師たちがオンラインで授業をすることにより,子供たちが勉強を継続しているということが報道されていたからです。日本では,教育についての本気度が低いのではないかということが気になります。中国のほうが,この面では,どうみても先進国です。 
 デジタル・トランスメーション(DX)の到来により,子供たちが学ぶべきことは,今後大きく変わります。教育の役割は国家の将来を左右する,きわめて重要なことです。オンラインで学べるサイトがいろいろあるのは良いことですが,一斉休校をする際に,学校自体がどのようにしたら教育を継続できるかということについて,もっと検討してほしかった気がします(一部の意識の高い学校のなかには,オンラインで授業を継続しているところもあるようです)。文部科学省も,今回のことをきっかけに,デジタル時代に求められる知識は,デジタル技術を使って学ぶという,教育面でのデジタルファーストをぜひ本格的に推進して欲しいです。タブレットを配布するとか,そういうことだけではないはずです。
 感染リスクを回避するための休校はよいとして,そうしながらも,これまでの生活を継続できるということまでできて,はじめて先進国といえるのです。労働の面では,青野さんの呼びかけのように,テレワークによって感染リスクを減らしながらも,仕事を継続できるということができなければならないのです。
 コロナショック後に日本社会は大きく変わるだろう,という声が少しずつ高まってきています。そうなることを期待しています。

2020年3月 6日 (金)

Uberのドライバーは労働者!?

 フランスの最高裁に相当する破毀院(Cour de cassation)で,34日に,Uberのドライバーの労働者性を認める判断が出されました。ドライバーは,Uberからアプリの使用が止められたのが不当な解雇にあたるとして争っていましたが,労使審判所は,ドライバーは労働者ではないとして管轄を否定したので,その点が問題となっていました。
 破毀院は,自営業者としての地位(statut d’indépendant)は,みせかけ(fictif)であると結論づけました。「名ばかり自営業者」であったというのです。破毀院の判断や要旨は英語でも読むことができるので,詳しくはそちらを参照してください(https://www.courdecassation.fr/jurisprudence_2/communiques_presse_8004/prestation_chauffeur_9665/374_4_44528.html)。
 一応簡単に言うと,自営業者と認められるためには,自らの顧客関係を形成する可能性(possibilité de se constituer sa propre clientèle),料金の設定の自由,業務遂行条件を定める自由がなければならないが,本件ではそのどれもが認められない(とくに経路が決められていることが重要)とし,逆に,雇用労働者として認められるための従属関係の判断基準である,使用者の指揮命令権(指示をし,業務遂行を監督し,指示に従わない場合に制裁を与える権限)については,乗務の指示を3回拒否すると一時的にアプリが使えなくなり,さらに一定率を超えて拒否したり問題行動があったりすれば,アカウントへのアクセスができなくなる(つまりドライバーとして働けなくなる)し,またUberが一方的に条件を決定している運送業務組織に組み入れられているとみられることから,認定できるというのが,その理由です。
 フランスで従属関係が認められたからといって,日本でも当然に同じように認められるわけではありません。ただ私は,拙著『会社員が消える-働き方の未来図』(2019年,文春新書)の160頁で,Uberのドライバーは,「雇用労働者と認定される可能性は十分にある」と述べていたので,驚きはありませんし,今後同様の判断が世界中に広がっていく可能性はあるでしょう。
 フランスの破毀院の判断は,フランス法の構造によるものと思われますが,自営業者性を否定する判断(独自の顧客開拓可能性や料金・業務遂行の決定の自由について)をしっかりやっているところが注目されます。日本であれば,労働基準法や労働契約法の労働者概念においては,使用従属性があるかが大切なので,必ずしも自営業者かどうかという判断はされていませんが,ただ労働組合法上の労働者性においては,こうした判断要素が追加されているので,今回の破毀院の判断は参考になるかもしれません(拙著『最新重要判例200労働法(第5版)』(2018年)の第138事件「INAXメンテナンス事件」を参照。同書はもうすぐ第6版が出ます)。
 また破毀院のいう業務組織への組み入れ(組み入れは少し意訳で,フランス語では,”participate in” となっていて,直訳なら「加わる」といった感じでしょうかね)という要素は,日本の労働組合法上の労働者性の判断の最重要要素である「事業組織への組入れ」に相当する可能性があるので,Uberのライドシェアサービスが日本で本格的に導入されて,ドライバーが労働組合を結成すれば,この破毀院の判断が参照されるかもしれませんね。
 このほか労働者性とセットの問題として,デジタルプラットフォーム(フランス語では,platforme numérique)の使用者性が肯定されたことは,日本でも広がっているUber型ビジネスのプラットフォームの使用者性をめぐる議論を刺激する可能性があります(昨年,Uberイーツの労働組合が結成されていますので,問題はリアルになってきています)。デジタルプラットフォームに対しては,経済法の観点からの規制も言われており,これも最近よくある経済法と労働法との交錯領域の一つとなるでしょう。

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