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2020年2月の記事

2020年2月18日 (火)

いまこそデジタル技術の出番だ

 動かないで働くこと(ムーブレス・ワーク)を提唱したいと,このブログでも何度も書いてきましたが,新型コロナウイルスで,テレワークを認める企業が増えるなど,思わぬことがきっかけで,この動きが広がり始めています。これからの働き方は,原則として,自宅か自分の選んだ場所で働くということで,出勤させる場合には,よほどの理由がなければならないということになっていくべきだと考えています。東京の人たちが,いとも簡単に,東京での仕事を依頼してきますが,(若いころなら喜んで行っていましたが)いまはオンラインでお願いしますといって,それが無理な場合には断っています。今年は,いまのところ,東京どころか出張の予定はゼロです。出張ついでに観光もできそうなところなら話は違いますが,行って帰るだけのような用事に半日以上使うのはおかしいという気になっています。こうした態度なので,少しずつ交友関係も減ってきていますが,人を移動させることを当然と思っている人たちとは付き合いを減らしてもよいと思っています。
 大学のほうも,ほんとうにオンライン化を考えたほうがよいです。そもそも授業はオンラインにしなければ,難しくなるでしょう。いまは春休みですが,肺炎騒動が長引き授業シーズンに入ると,休講が続いて,とても授業回数を確保できません。夏が近づくと台風などの自然災害の可能性もあります(近年,いっそう回数が増えています)。今年も18日は,台風でも地震でもなく,たんなる強風だけで,警報のため休講となりました。教員がインフルエンザにかかって授業ができないこともあるでしょう。体調不良のときに無理をおして授業をするのは美談ではなく,迷惑行為です。授業回数を厳格に確保すべきと言われていますが,それはオンライン講義を解禁してからであるべきなのです。もちろん,オンライン講義やオンライン試験などでは,解決すべき問題はいろいろあります。とくに試験はそうでしょう。だからといって,やらないのではなく,やる方向で解決方法を考えていかなければならないのです。カンニングされることの危険性をいいますが,今日,他人の手などを使っても答えを導き出すことができれば,能力があると評価することも可能です。つまらない情報をひっぱってきたら,そのこと自体を能力がないと評価すればいいのです。クイズミリオネアの回答者は,知人に電話して答えを調べてもらうという権利を行使できましたが,それと似たようなことです。私は大学入試でさえ,場合によっては,こういう発想でやってよいと思っています。
 オンライン会議では,秘密の事項を扱えないという懸念もあるかもしれません。横に誰がいるかわからないからです。それなら,秘密の事項は信頼できるメンバーでやればいいのです。信頼できるメンバーならオンラインでも大丈夫です。信頼できないメンバーなら,リアル会議でも秘密をもらします。
 要するに,世の中のあらゆることについて,その目的とすることを,デジタル技術を使ってできないかと考え,それができるなら,現行の仕組み自体をそれに合わせて変えてしまうことが大切なのです。電気が発明されたときにも,工場で電気を活用するまでには,何年もかかったそうです。工場での生産体制が電気対応になっていなかったからです。いまから思えば,そんなのすぐにやればよいのにと思いますが,その当時においては,たいへん難しいことだったのでしょう。デジタル技術への対応も,同じようなことです。将来の人からみれば,なにをぐずぐずしていたのか,と思えるような状況ではないかと思います。

 新型コロナウイルスは,ほんとうに困ったことですが,この災厄をきっかけに,人々がデジタル技術を活用して,より快適に働いたり,生活をしたりできるようになれば,あとから考えれば良かったと思えるかもしれません(もちろん実際に健康被害にあったり,身内が亡くなったりしたら,そんなことは思えないかもしれませんが)。

 いずれにせよ,役所が,テレワークは使用者の目が届きにくいから,より厳格な時間管理をして過重労働が起きないようにすべきというような余計なことを言って,企業の意欲をそぐようなことを言わないことを期待しています。過剰な心配は,より優先度が高い新たな社会制度設計の構築にとって有害なのです(もちろん,合理的に予想されるリスクに備えることが必要なのは,いうでもありません)。

2020年2月 2日 (日)

死者を蘇らせてはいけない?

 ゾンビの話ではありません。
 前にAI美空ひばりに感動したと書きましたが,あのような死者を見世物にする行為については批判もあることでしょう。実際,あれはアーティストを冒涜するものだとして厳しく批判する人たちもいるようです。確かに,もし美空ひばりがいま生きていて,あの新曲を歌うとしたら,あのように歌っていたかどうかわからないのに,勝手に蘇らされて,人前で歌わされるなんて耐えられないだろうと想像した人からは,あれは許しがたい暴挙だと思えても不思議ではありません。でも私はあのAI美空ひばりに感動したのです。遺族である長男もファンも感動していました。私には,それが暴挙だとは思えないのです。もちろん,あれで金儲けをするというのは許しがたいことですが。
 あれは美空ひばりのような偉大なアーティストだから問題となるのでしょう。例えば私が死んだあとに,AIで私の画像や音声を使って何かの講演を実現するなんてことがあっても,私は別に何も気にしません。それで講演料がとれたら面白いだろうな,というくらいの感覚です。はっきり言って,死んだあとのことはどうでもいいです。むしろ,それで遺族やその他の皆さんが喜んでくれれば,それで十分だと個人的には思っています(私は美空ひばりのような偉大なアーティストではないので,同列に論じることはできないでしょうが)。
 人は,大事な人が亡くなれば,その喪失感に苦しめられます。その苦しみと悲しみは時間とともに軽減してはいきますが,完全になくなるものではありません。24年ぶりの映画の続編が話題になっている岩井俊二『ラヴレター』(角川文庫)は,亡くなった恋人の住所に手紙を送ったら,返事が来たという話です。これはちょっとしたミスと偶然から起きたことで,心霊現象でもなんでもなかったのですが,それはさておき,いつまでも亡くなった大切な人が忘れられないという気持ちはよくわかるのです。理由はともあれ,ただ返事がくるということで救われることもあるのです。
 ちょうど数日前,机の上を片付けていたところ,私が大学院のときにイタリアに留学してからすぐに母が送ってくれた絵はがきが出てきました。できるだけ紙は捨てるようにしている私でも,これは捨てられません。いまならLINEとかWhatsAppでのやりとりとなるでしょうが,手書きの字は懐かしくて涙が出そうになりました。アナログの良さです。もし母をAIで,画像も声も再生できるのなら,私ならお願いしたいですね(もちろん費用次第ですが)。大切な人を失った喪失感から,AIでも何でもいいから,少しでも救われたいと感じるのが人間ではないかと思います。
 と書いてきましたが,一般論としていえば,AIで死者を蘇らせることは,悪用の危険があるので,お勧めできることではありません。それにAIで蘇らせても,ほんとうに復活するわけではありません。その後の喪失感がより深くなるだけかもしれません。そう考えると,やっぱりこういうことは技術的に可能であったとしても,やらないほうが良いのかもしれませんね。

 


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