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2020年1月30日 (木)

残念だがモノが違う

 日産の元会長のカルロス・ゴーンの国外逃亡は,日本人として恥ずかしいし,こんなことができるのかと驚いたりで,いろいろ考えさせられる出来事でした。彼にすれば,文明の遅れた日本で,会社に嵌められて不当に国家権力に拘束されていたのを,文明の進んだ国の人たちによって救出されたような気分なのでしょう。自分のようにカネも権力もある人間は当然,そういうことをする権利があるのだと言わんばかりです。よく映画で,白人の主人公が,中東や南米やアフリカで不当に拉致されて,それを白人の仲間たちが救出してハッピーエンドになるというようなストーリーがありますが,それを現実にやったというところでしょう。実際,今回の逃亡劇はハリウッドで映画化されるという話もあります。
 ゴーンは,日本の無罪率が異常に低いことも指摘していました。日本の識者らしき人は,必ずしも他国も高いとは限らないと説明し,ただそのなかでイタリアはなぜか高いということに言及していました。イタリア憲法112条は,「検察官は,刑事訴追を行う義務を有する」(Il pubblico ministero ha l'obbligo di esercitare l'azione penale.)と規定しており,起訴法定主義であることが,刑事訴訟法248条で,「犯人の性格,年齢及び境遇,犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは,公訴を提起しないことができる。」と規定されて,起訴便宜主義である日本のような国との違いなのかもしれません。日本でも不起訴とすれば,検察審査会で起訴の当否が検討されることがありますが,ちょうど一昨日,日産の西川元社長の不起訴は相当とする判断が出ましたね。いずれにせよ,国民目線でいえば,起訴法定主義で無罪率が高いことが,良いこととは思えません。
 「人質司法」ということも言われました。私はその意味が必ずしもよくわかっていなかったのですが,冤罪事件に巻き込まれた元厚生労働省局長(その後,事務次官)の村木厚子さんの『日本型組織の病を考える』(角川書店)を読んだとき,よくわかりました。要するに,逮捕された被疑者に対して,自白をしなければ,家族らに会うことはできないぞと言われることであり,家族や自分の大事な人が人質に取られているような状態を指すようです。ちなみに村木さんの本は,自分が組織人であるということをあまりにも自覚しすぎていて,あれほどの被害を受けておきながら,同じ組織である検察への批判が甘いし,本の後半は自分のことばかりで(自慢話もかなり組み込まれています),本のタイトルである「日本型組織の病」に対する切り込みができていないのは残念ですが,前半の獄中記は,それなりに面白かったです。ただ,獄中記でいえば,かつて読んだことのある,佐藤優『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)や島村英紀『私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか。』(講談社)のほうが,ショッキングでした(とくに島村教授の本は読んでいておそろしくて,多くの人に薦めて貸しているうちに,どこかに行ってしまいました)。
 村木さんの本では,話題の弘中弁護士が登場して,彼女を救ってくれた話が出てくるのですが,ゴーン事件では,彼は厳しい批判を受けているようです。ゴーンに逃げられてしまったことに責任がまったくなかったとはいえないでしょうから,弘中氏のこれまでの業績を汚さぬよう,もし何も批判されるべきものがないのであれば,堂々と真相を語ってもらいたいです。
 それにしても,ゴーンは,日産から桁違いのお金を引き出したことにせよ(それが適法かどうかは,私にはわかりません),今回の脱出劇の大胆不敵さにせよ,そしてレバノンから世界に向けて自分に都合のよいことだけを発信する厚顔無恥さや傲岸不遜さんにせよ,彼はモノが違うという気がします(逃亡者が美味しそうにシャンパンを飲んでいる映像を観るのは腹立たしいものです)。
 これだけ日本の司法制度をコケにされ,そして言いたい放題で批判されているのですから,日本政府もそれに負けないくらいの発信をしてもらいたいです(いちおう,『ウォールストリートジャーナル』の社説への反論などはやっているようですが)。そういえば,日本の法務大臣は,就任してすぐに妻の選挙での不祥事などがあって辞任した首相の「お友達」の後任でしたね。法相のポストの軽さも,こういう事件が起きたときの政治的対応の鈍さに関係しているような気がしますが,皆さん,どう思いますでしょうか。

 

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