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2020年1月の記事

2020年1月30日 (木)

残念だがモノが違う

 日産の元会長のカルロス・ゴーンの国外逃亡は,日本人として恥ずかしいし,こんなことができるのかと驚いたりで,いろいろ考えさせられる出来事でした。彼にすれば,文明の遅れた日本で,会社に嵌められて不当に国家権力に拘束されていたのを,文明の進んだ国の人たちによって救出されたような気分なのでしょう。自分のようにカネも権力もある人間は当然,そういうことをする権利があるのだと言わんばかりです。よく映画で,白人の主人公が,中東や南米やアフリカで不当に拉致されて,それを白人の仲間たちが救出してハッピーエンドになるというようなストーリーがありますが,それを現実にやったというところでしょう。実際,今回の逃亡劇はハリウッドで映画化されるという話もあります。
 ゴーンは,日本の無罪率が異常に低いことも指摘していました。日本の識者らしき人は,必ずしも他国も高いとは限らないと説明し,ただそのなかでイタリアはなぜか高いということに言及していました。イタリア憲法112条は,「検察官は,刑事訴追を行う義務を有する」(Il pubblico ministero ha l'obbligo di esercitare l'azione penale.)と規定しており,起訴法定主義であることが,刑事訴訟法248条で,「犯人の性格,年齢及び境遇,犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは,公訴を提起しないことができる。」と規定されて,起訴便宜主義である日本のような国との違いなのかもしれません。日本でも不起訴とすれば,検察審査会で起訴の当否が検討されることがありますが,ちょうど一昨日,日産の西川元社長の不起訴は相当とする判断が出ましたね。いずれにせよ,国民目線でいえば,起訴法定主義で無罪率が高いことが,良いこととは思えません。
 「人質司法」ということも言われました。私はその意味が必ずしもよくわかっていなかったのですが,冤罪事件に巻き込まれた元厚生労働省局長(その後,事務次官)の村木厚子さんの『日本型組織の病を考える』(角川書店)を読んだとき,よくわかりました。要するに,逮捕された被疑者に対して,自白をしなければ,家族らに会うことはできないぞと言われることであり,家族や自分の大事な人が人質に取られているような状態を指すようです。ちなみに村木さんの本は,自分が組織人であるということをあまりにも自覚しすぎていて,あれほどの被害を受けておきながら,同じ組織である検察への批判が甘いし,本の後半は自分のことばかりで(自慢話もかなり組み込まれています),本のタイトルである「日本型組織の病」に対する切り込みができていないのは残念ですが,前半の獄中記は,それなりに面白かったです。ただ,獄中記でいえば,かつて読んだことのある,佐藤優『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)や島村英紀『私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか。』(講談社)のほうが,ショッキングでした(とくに島村教授の本は読んでいておそろしくて,多くの人に薦めて貸しているうちに,どこかに行ってしまいました)。
 村木さんの本では,話題の弘中弁護士が登場して,彼女を救ってくれた話が出てくるのですが,ゴーン事件では,彼は厳しい批判を受けているようです。ゴーンに逃げられてしまったことに責任がまったくなかったとはいえないでしょうから,弘中氏のこれまでの業績を汚さぬよう,もし何も批判されるべきものがないのであれば,堂々と真相を語ってもらいたいです。
 それにしても,ゴーンは,日産から桁違いのお金を引き出したことにせよ(それが適法かどうかは,私にはわかりません),今回の脱出劇の大胆不敵さにせよ,そしてレバノンから世界に向けて自分に都合のよいことだけを発信する厚顔無恥さや傲岸不遜さんにせよ,彼はモノが違うという気がします(逃亡者が美味しそうにシャンパンを飲んでいる映像を観るのは腹立たしいものです)。
 これだけ日本の司法制度をコケにされ,そして言いたい放題で批判されているのですから,日本政府もそれに負けないくらいの発信をしてもらいたいです(いちおう,『ウォールストリートジャーナル』の社説への反論などはやっているようですが)。そういえば,日本の法務大臣は,就任してすぐに妻の選挙での不祥事などがあって辞任した首相の「お友達」の後任でしたね。法相のポストの軽さも,こういう事件が起きたときの政治的対応の鈍さに関係しているような気がしますが,皆さん,どう思いますでしょうか。

 

2020年1月19日 (日)

久しぶりに小説紹介

 

  昔は,ブログで,読んだ小説の紹介をする読書ノートをよく書いていたのですが,最近はあまり書かなくなりました。読んでも詳しく紹介する時間がなくなっていたという事情もありますが,専門書を読むことが増えて,一般書を読むことが減ったことも一因です。数年前までは,お風呂で1冊という感じでしたが,最近はお風呂では必ず寝てしまうので,本も雑誌も持ち込んでいません。また本をKindleで買うことが増えていて,お風呂に持ち込めなくなったという事情もあります。お風呂という読書タイムがなくなったため,Kindleにダウンロードした本がどんどん滞留してしまっています。

 それでもこの12年以内に読んだ本を2冊ほど紹介したくなったので,記憶を呼び覚ましながら書いてみます。1冊目は,映画化もされているし,続編も出ている,志賀晃『スマホを落としただけなのに』(宝島社文庫)です(ネタバレあり)。

 麻美の彼が落としたスマホがとんでもない男に拾われて,その彼のスマホに残っていたデータから麻美のことが知られて,ストーカーされてしまうという話です。男が,情報を分析して徐々に麻美に近づいていくところが怖いです。スマホにほぼすべての情報を一元的に管理している現代人にとって,セキュリティに十分に気をつけているつもりでも,専門家にかかれば,簡単にプライバシーが暴かれてしまうというところが,小説の次元を超えて,リアルに怖かったです。

 小説は,これと併行して,連続猟奇殺人の話もあるのですが,こちらの話は犯人が誰かを推理するということではなく,いわば麻美に降りかかった災難のBGM的な流れで進行しています。麻美が自殺した友人(本当の麻美)の入れ替わりであり,友人の借金のためにAV女優をしていたというのは,麻美の少しエロいところが描かれていたところも含めて,ちょっとした男性読者サービスかなという気もしましたが,ただ友人の自殺の動機が弱いかなという印象ももちました。あっという間に読めてしまいますし,スマホを落としたら大変なことになるということを確認できる意味でも,読んでみて損はないでしょう。

 もう一冊は,村田沙耶香『コンビニ人間』(文春文庫)です。2016年上期の芥川賞受賞作です。36歳でコンビニ店員一筋の古倉恵子。彼女は,コンビニのアルバイト店員という「生き物」になることにより,自分を完全に空っぽにすることができました。現実の社会では,社会の掟なるものがあって,みんなそれにごく自然に順応しているのですが,どうしても順応できない恵子。でも彼女には自分が浮いていることはわかっても,浮いてしまう原因がわかりません。家族に心配をかけたくない彼女がとった自衛手段は,自分を捨てることでした。自分を空虚にしても,コンビニ店員としては,立派にやっていけます。マニュアルどおりにやればいいのです。そんな恵子が,ひょんなことから,白羽という男性と同棲することになります。白羽は,プライドはあるものの,コンプレックスの塊で,やはり社会にうまく順応できず,コンビニの店員もクビになってしまった男でした。彼は,世間(とくに社会的な常識を押しつけてくる兄嫁)から逃げようとしたところ,独身・処女ということで居心地の悪さがあった恵子と,仮面夫婦をすることで利害が一致したのでした。しかし,同棲を始めたことをコンビニの仲間に知られてしまったとたん,これまで恵子を「あっち側」の社会の人として敬遠していた仲間が,「こっち側」の社会の人間とみて,社会の掟を押しつけてくるようになったのです。いたたまれなくなった恵子は18年間勤めたコンビニを辞めますが,そのとたん彼女はからっぽの存在に戻ってしまいます。依って立つべき基準がなくなってしまった彼女は,生きる目標を失います。白羽は恵子に働きに出るように薦めます(自分がヒモで居続けるためなのです)が,その途中でコンビニ店に立ち寄ったとき,彼女は自身を再確認できたのでした。彼女はコンビニ人間であり,コンビニ以外では生きていけないのです。本質は縄文時代と何も変わっていない(白羽の言葉)社会で,しかし縄文時代と違い,性欲も食欲も極端に減退している若者が,(おじさんの目からみると)目的をもてずに生きている様子が,乾いた文章でつづられているという感想をもちました。

 

 

 

 

2020年1月13日 (月)

ミルクボーイ

 一夜にして人生が変わる,というのは,こういうことでしょうか。テレビ出演もほとんどなかった若手漫才師がM1のチャンピオンになって,たちまち大スターになりました。夢のある話ですね。私は,彼らの漫才をみて,それほど笑うことはできませんでした(サンドイッチマンのほうが面白い)が,それでも彼らが支持されるのはよくわかります。ボケ担当の駒場の「おかん」や「おとう」が何か忘れるという設定の下に,二人でそれが何かを推測するというのが得意のパターンです。M1では,「おかん」が忘れた好きな朝ご飯を当てるというネタです。特徴をきくとコンフレークのようだけど,でもそうでないという掛け合いをしながら,ツッコミの内海が徹底的にコンフレークを分析していきます。誰でも知っているコンフレークの特徴を,これでもかというくらい指摘しながら,内海がどんどん話を展開していくところが見せ場です。みんながそれとなく思っているところを強調して話すので,客との一体感が生まれ,それが徐々に高まっていくのがわかります。しらぬまに,駒場の「おかん」の好きなものを当てるというのはどうでもよくなっていて,それで最後に駒場が「おかん」が「コンフレークではないって言うてた」とあかして,それまでのやりとりは全く意味がないということがわかり,ずっこけます。駒場がそれをわかっていながら,内海が勝手にどんどん展開していく話に合わせていたというボケっぷりがわかり,さらに「おとん」はコンフレークとはまったく違う「サバの塩焼きちゃうかって」と言ってたというシュールなボケをかまして,「絶対ちがうやろ」と内海が言うのがオチでした。普通,ボケというのは,見た目や動きが変わったことをする人が多いのですが,駒場は,どちらかというと無個性で,体格のいいことくらいが目立つ普通の青年で,ツッコミ側の内海のほうが個性的な外見なのです(角刈り)が,そういう逆転も面白いし(しかも内容的には内海のほうがボケ的な面もある),コンフレークという普通の食べ物を,ここまで徹底的にイジるところも独創的でした。決勝では,同じような展開を,「最中」を素材としてやりました。最中業界を敵に回しそうな内容でしたが,それでも毒を感じさせないところが彼らの漫才の技でしょう。

 ネタ以外の面でも,最近では早口で何を言っているのかわからない漫才師が多い中,言葉がはっきり聞き取れ,内容も上記のようにわかりやすく,老若男女に支持されやすい安心できる漫才でした。

 彼らが真摯に芸磨きに取り組んで,ストイックに夢を思い求めてきた姿にも深い共感をおぼえます。一歩間違えれば,夢追い型ストーカーの失敗例となりかねないなか,大きな成功を遂げました。

 もちろん,ストイックに自分の芸を磨くのは,芸人である以上,当然のことのような気もします。ただ,芸人にかぎらず,誰でも,効率的にスキルを習得したり成果を出したりする方法はないか,ということを模索しがちです。そのこと自体は悪いとは思いません(意味のない苦労はやらなくてよい)が,それは楽をすればよいということではないのです。ミルクボーイの二人にとって,アルバイト以外の時間は,ひたすらネタを練り上げ,またテレビの声はかからなくても,舞台でお客さん相手にひたすら自分たちの芸を披露して,芸人としての技と感覚を磨きながら,徐々に力をつけていったのでしょう。こうしたやり方は,時間がかかったようにみえるものの,実は最短距離を走っていて,一番効率的なやり方であったのかもしれません。

 いまはまだ何もなし遂げていないが,夢はある。そのための努力もしている。そうしていると,神様が降りてくるかもしれないのです。茂木健一郎の対談集に『芸術の神様が降りてくる瞬間』(光文社)という本があります(初期のブログで紹介したことがあります)が,ミルクボーイにも漫才の神様が降りてきたのでしょう。もちろん,努力をしている人すべてに,神様が降りてくるわけではありません。世の中は不公平です。でも,ふさわしい努力をしていない人には,神様が降りてこないことも確実なことです。そのわずかな確実にすがりながら,不確実な将来に向けて歩んでいくというのが人生なのでしょう。成人となる若者に贈る言葉です。

2020年1月 7日 (火)

資本主義の行方

 

 日本経済新聞の新年からの特集で連載中の「逆境の資本主義」の2回目に少しだけ登場しました(紙媒体では13日)。昨年12月,神戸大学で1時間ほどの取材を受け,動画までとられました。動画は電子版で出ています(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53992140Q9A231C1000000/)。

 取材では,昨年10月のサントリー文化財団の学芸ライブで話したときのスライドをプリントアウトしたハンドアウトも使いながらお話をしました。そこまでやる必要はなかったのですが,資本主義を問い直すという趣旨の企画だと聞き,思わず力が入ってしまいました。
 なお学芸ライブの短縮版の動画は,https://www.suntory.co.jp/enjoy/movie/d/5714930400937.html?fromid=movlistでみることができます(私の太りすぎの醜い画像が残るのは辛いものがありますが,仕方がありません。現在では年末来の体調不良で2キロ以上痩せているのですが)。

 またこの学芸ライブの内容は,ノンフィクションライターの松本創さんが,東洋経済オンラインで紹介してくださっています(https://toyokeizai.net/articles/-/314682)し,兵庫県立大学国際商経学部講師の黒川博文さんのエッセイでコメントをしてくださっています(https://www.suntory.co.jp/sfnd/asteion/essay/vol39.html)。

 私の話は,人はなぜ働くのかというところから始まり,産業革命や資本主義の到来による労働の変質,株式会社制度の下で法人に仕える自然人という図式の登場,そのなかで資本家から切り離されて顔の見えるようになった経営者と労働者の間で構築された日本型雇用システムの登場とその危機,そしていま人間が労働をしなくなっていくというAI時代の到来のなか,未来はどうなるのか。人は狩猟採集時代のような小規模な共同体で,互酬関係のなかで生きていくというような形になるのか,という問いかけをして終わるというものです。労働とは自己の所属する共同体での貢献であり,バーチャルでグローバルな資本主義というのは,そうした共同体を極限にまで拡大して,そしてそれを破裂させてしまう運命にあり,そのとき生物としての人は,よりプリミティブな意味での生存のための共同体のなかで生きていくようになるのではないか,という話です。これがサバティカル中におぼろげに考えていたことです。

 なお前記の日経電子版の動画のなかのフリップで「個人中心の資本主義」と書いたのは,上記の話のなかのAI時代の到来の部分について,「企業中心社会から個人中心社会への変化」(拙著『会社員が消える-働き方の未来図』(文春新書)43頁を参照)という特徴を切り取って書いたものです。説明しなければ,なんのことかわからないですよね。

 

 

 

 

 

 

2020年1月 5日 (日)

脱出のすすめ

 若者が脱出すべき企業は,いわゆるブラック企業だけではありません。

 年末の1230日の日本経済新聞で,「働き方 霞が関の非常識(4) 「専門磨けず」見切る若手 人事評価や面談不十分」というタイトルの記事のなかで,霞ヶ関の若手官僚の退職が増えているというレポートが掲載されていました。東大生らの霞ヶ関志望が減りつつあるのは聞いたことがありますが,それだけでなくいったん入省してもすぐに辞めていく人が増えているのです。

 確か23年ほど前に,ある中央官庁の方から,ゼミ生らにその省をめざすよう声をかけてほしいという依頼がありましたが,お断りしました。その省は,とても責任をもって学生に薦めることができる役所ではなかったからです。実は昨年も,私のゼミのOBがその省を退職しました。不祥事の尻拭いばかりさせられて,自分のほんとうにやりたいことがやれないというのが主たる理由のようです。彼はずいぶん我慢をして,いつ自分の希望の部署につけるか楽しみにしていましたが,とうとう役所を見切ってしまいました。優秀で意欲的な人だったので,とても期待していたのですが,彼の決断は正しかったと思います。彼の力を発揮できる場は,役所ではないと思います。

 役所が人材育成できないとすれば,日本の将来にとっても困ったことです。ただ,最近では,役所でも外部から優秀な人材を取り入れる動きがあることが,上記の記事では書かれていました。大企業でも同じようなことが増えているようです。大企業も,自分たちだけでは人材育成できないので, 飛び出して起業して成功した元社員に,頭を下げて助けてもらうという感じです。大企業も,そういうことをしなければ,競争に勝てない時代になっているのだと思います。そして,そういう現象が広がると,いまの大企業の形も変わっていくでしょう。企業という組織は,優秀な個人がパートナーをくんで事業プロジェクトを遂行するという形になり,そこにあるのは,垂直的な階層構造(ヒエラルヒー)ではなく, 境界線がはっきりしない水平的な連合なのです。

 明日が御用始めのところも多いでしょう。いま,自分がやっている仕事は,ほんとうに必要か点検してみるといいでしょう。20代から30代前半は,これからのキャリアの基礎を身につけるためのインプットの時期です。その時期は,たしかに辛くて厳しいものですが,苦労を避けてはなりません。ただ,苦労には,意味のある苦労と意味のない苦労があるのです。意味のない苦労は,精神的な鍛錬にはなるでしょうが,それ以上のものではないのです。吸収力の高い時期に無駄なことをさせられて必要なインプットができなくなると,将来の職業キャリアに悪影響を残します。

 ペーパーレスが実現できず,書類の束があって,印鑑が重要な意味をもっていて,何でも対面型が好まれて,メールでできるような連絡でも,すぐに上司が部下を呼び出したり,オンライン会議が少なかったりするようなら,早く脱出したほうがよい要注意組織でしょうね。

 

 

 

2020年1月 2日 (木)

大晦日といえば・・・

 大晦日といえばいつも格闘技だったのですが・・・。一昨日は,ボクシングの井岡の試合はみましたが,そのあとはほとんど紅白歌合戦(後半が中心ですが)をみていました。井岡は,スタイルが変わって,観客にアピールできる戦いができるようになりましたね。モンスター井上尚弥の影響もあるのでしょうか。その井上の先日の防衛戦は,最初からみていましたが,すごい試合でした。ああいう苦しい試合でも,しっかり判定で勝ちきれる井上には,いつものKO勝ちとは違う真の強さを感じましたね。井上は,今回は紅白の審査員をしていました。2019年の顔ということでしょう。スポーツでいえば,ラグビー日本代表も紅白に登場していましたね。ラグビー選手は行儀がよく,話をさせても知性的で,他のスポーツ選手にはない品格を感じますね。
 ところで,もう何年も前から紅白歌合戦は,演歌とジャニーズと知らない歌手ばかりで面白くないので,ほとんどみていなかったのですが,一昨年たまたまトリで出てきた桑田佳祐の「勝手にシンドバット」の盛り上がりをみて,紅白もいいなと思い直すようになりました。
 今年もなかなか良かったです。なかでもAI美空ひばりを登場させたのは良かったです。前に,美空ひばりを,AIを使って蘇らせて,秋元康作詞の新曲を歌わせるという企画の番組をみたことがありました。その番組では,苦労の末にAI美空ひばりに新曲「あれから」を歌わせることに成功したのですが,その歌唱シーンには,心をゆすぶられる感動があり,思わず涙が出てきました。いったいこの感動は何なのか,自分ではうまく表現できなかったのですが,確かに,こういう心の動きを感じれることが人間の人間たるゆえんなのだなと思いました。もちろん,このAI美空ひばりの企画については,死者を蘇らせることは,死者を冒涜するといった批判はあるでしょうし(美空ひばりは天国でどのように思ったでしょうか),そこで使われた技術は悪用の危険も十分にあるのですが,それでも,それを打ち消すような圧倒的な感動がありました。紅白でAI美空ひばりが歌ったことは,AI時代の到来を象徴する出来事といえるでしょう。
 それ以外にも,石川さゆりの「津軽海峡冬景色」は素晴らしかったし,初めて聞いたビートたけしの「浅草キッド」は味があって良かったし,竹内まりやの「いのちの歌」もメッセージがよく伝わったし,ピンクのフリフリの衣装をきて歌った松田聖子は不滅だという気持ちにさせられたし,新たな進化を遂げている氷川きよしはパフォーマーとしての迫力を感じたし,米津玄師が嵐につくった「カイト」も良かったし,ゆずの「栄光の架け橋」はいつ聞いてもよく,さらに新曲の「SEIMEI」には「遺伝子」といった言葉が出てきて現代的でしたね。 
 そういえば,竹内まりやの衣装が緑であったのは,環境のグリーンを意識したものでしょうか。2020年は環境が意識される年になるでしょうね。
 あえて個人的な希望を言えば,○○坂というグループ名の女の子たちやジャニーズ系の男の子たちのグループは,おじさんにはよく区別がつかないので,それぞれ一つに限定しての参加にしてくれたらもっとよかったのですが。

2020年1月 1日 (水)

今年の抱負ー執筆と健康管理ー

 


 


   新年おめでとうございます。


 何年か前から年賀状はやめておりますので,このブログで新年のごあいさつに変えたいと思います。あいさつといっても,自分のことをダラダラと書くだけですが。


 経団連の中西会長が日本型雇用の見直しに言及したことが話題になっています。もちろん経団連会長がどう言うかに関係なく,すでに日本型雇用システムは大きな衰退過程に入っています。


 拙著で振り返っても,私が2014120日に刊行した『君の働き方に未来はあるか?-労働法の限界と,これからの雇用社会』(光文社新書)は,正社員中心の日本型雇用システムが変わるので,正社員をめざすなということを若者に訴えかけたものでした。その約2年後の2016320日に刊行した続編の『勤勉は美徳か?―幸福に働き,生きるヒント』(光文社新書)では,企業にすがる正社員的な働き方から脱却して,時間主権を取り戻し,もっと休んで幸福の実現をめざしましょうと問いかけました。今日の働き方改革を先取りするものです。2017120日に刊行した『AI時代の働き方と法―2035年の労働法を考える』(弘文堂)では,AIやデジタライゼーションの到来による雇用社会の変容を予測し,会社員ではない働き方が増え,個人が自立していくことの重要性を説いて,労働法や雇用政策は大きく変わらなければならないと論じ,さらに2019220日に刊行した『会社員が消えるー働き方の未来図』(文春新書)では,企業中心社会から個人中心社会に移行するなか,テクノロジーの影響が押し寄せる産業社会において個人がそのテクノロジーを活用しながらどのように働くことになるか,そしてそこにどのような課題があるかを論じました。この本を読めば,AI社会において個人がどう生きていくべきかに関する論点が,一通りわかると思います。そして,今年。私が主張してきたことが,ようやく世間でも共通認識になりつつあるなか,前に弘文堂の本で書いた「2035年」の話ではなく,もう少し時間を前倒しして「2020年代」に確実に起こる日本型雇用システムの終焉をしっかり描いて,個人の働き方がどう変わり,労働法がどう変わるかを予想する本を出すつもりです。


 その一方で,労働法上の当面の課題である「非正社員」問題と,AI時代の到来における新たな格差問題とをつなぐ本といえる『非正社員改革』(中央経済社)も,昨年,刊行しました。これも日本型雇用システムの終焉について論じていますが,そこで最も言いたかったことは,非正社員問題に多くの政策的エネルギーを傾注すべきではなく,新たなデジタルデバイドを生まないようにすることにこそ,政策的エネルギーを傾注すべきだということです(結局は,適切な教育政策が重要ということ)。これは,昨年3月の日経新聞の経済教室にも書いたところです。政府は本気でこれに耳を傾けてくれるでしょうかね。小学生の英語やプログラミングの必修化程度で事足れりということではないはずなのですが,大学入試をめぐる迷走からわかるように,政府の教育政策に多くを期待するのは難しそうです。嘆かわしいことです。先のことがよくみえている両親のいる家庭で生まれた子供たちは大丈夫ですが,いま到来している大きな変化に気づいていない両親や,気づいていても何をしていいかわからずオロオロしている両親のいる家庭のためにも,早く政策を打ち出さなければならないのです。企業が人材育成をやめ,日本型雇用システムが終焉を迎えるということは,これまでの拙著のどれにも言及してきたことですが,もっと危機感をもって,正面から打ち出す必要があるのかもしれません。まずは拙著を読んで危機感を共有して欲しいのですが……。


 今年は,もう1冊,長年の懸案であった労働法の本を書くつもりです(ここ数年,毎年,言っているような気がしますが)。サバティカル中に完成させるべく取り組んでいたのですが,間に合わずにサバティカルが終わってしまいました。授業に追われるなかで,なかなか進捗していないのですが,これは絶対に今年前半には完成させます。日頃,労働法がなくなるという主張をしているなか,ほんとうになくなってしまう前に書いておきたい労働法の本があるのです。これを書き上げなければ,労働法の研究者としての私の仕事は完成しないと思っています。


 そのほか本の改訂作業も2つ進んでおり,今年もとくに前半は執筆作業に忙しくなりそうです。さらにフリーランス系の企画も考えており,これもできれば今年中に企画を走らせてみたいと考えています。それに先日のブログでも書いたように理論的論文でも書きたいテーマがあり,時間がとても足らないような気もしますが,できるだけ無駄な出張はせず(「移動せずに働く」),神戸にこもって研究と執筆の時間を捻出したいと思っています。


 そのためにも健康管理が大切です。ただ昨年はサバティカル中に,この期間しか研究は出来ないと思って頑張りすぎたせいもあり,実はかなり疲弊していました。それに10月から授業が始まり,身体のリズムが崩れ,12月半ばには体調を崩してしまいました。LSの授業も,おそらくこれまでやったことがないような病気による休講もしてしまいました。補講の日程確保が難しい学部の大講義では,身体はつらかったのですが,椅子に座りながら声を振り絞って授業をやるという回もありました。高熱が出て,インフルエンザかと思いましたが,結果は陰性でただの風邪だったのですが,熱が下がったあとも,喉は腫れていて,いったん咳が出始めると止まらず,今日の時点でも完全復調ではありません。


 そうそう昨年は,長年の好奇心をおさえきれずに,とうとう自分のDNA検査をしてしまいました。結果は秘密です(私と遺伝子を共通にする人に迷惑がかかってはいけないので)が,健康な身体に産んでくれた両親には感謝です。ただ病気となる可能性が高いものの一つに「喘息」があげられていました。たしかに家系的に気管支は弱いのですが,ただそのときは「喘息」くらいでよかったと思って軽視していました。例年,秋から冬にかけて咳き込むことはあったのですが,今年はかなり症状が重く,かつ長期化しており,ほんとうに「喘息」になっている可能性があるので,しっかり医師に診断してもらい,悪ければ治療することにします。私はずっと自分の死因は,病気の場合は呼吸器関係だと思っていたので,このあたりでじっくり治療をしておいたほうがいいですね。こういう危険因子がある以上,加齢によりどんどん顕在化しやすいでしょうし。


 そういえば昨年は高血圧で身体がふらついたことも一度ありました。その後,血圧は下がりましたが,それ以降,ずっと血圧を毎日測定しています(当初はウエアラブルの機器で24時間計っていました)。サントリーの胡麻麦茶でなんとか乗り切ろうと思っていますが,いずれにせよ周囲で血圧が高くなるようなことが起こらないことを祈っています。


 


 


 


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