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2019年12月 7日 (土)

「優」の答案を書く能力が無駄遣いされている

 

 クオーター制の導入により,後期は11月末に(第3クオーターの)期末試験をしなければならなくなったのですが,そのクオーター制(年4学期制)の導入が私のサバティカル中に廃止されることになったようで,なんと私の労働法の講義を聴いている学生のうち3年生と4年生はクオーター制の適用で,2回試験を受けることになり,2年生はセメスター制に戻っているので1月末に1回だけ試験を受けることになっています。結果,私は同じクラスの学生に対して,セメスター制だけであれば1回ですむはずの試験を,3回しなければなりません。困ったものです。クオーター制の導入には,それなりの狙いがあったのでしょうが,労働法は,もともと4単位でやっていて,個別法を4分の3,集団法を3分の1くらいでやっていたので,これを無理矢理二つに分割するとなると,不自然なことが起きます。私は,労働法総論と集団法を1クオーター,個別法だけを1クオーターとしていますが,学生にとってよい構成だとは思えません。かつて労働法を8単位でやっていたときは,たしかに労働法総論と集団法を4単位,個別法を4単位でやっていましたが,これでは集団法が多すぎるということで全体に4単位に圧縮したうえで,集団と個別の比率をだいたい1対3にしたという経緯もあるので,クオーター制の導入はそもそも迷惑なことでした。

 それはさておき,久しぶりに学部の試験を採点することになったのですが,何となく前よりも手応えがあるかなという気もしました。答案は,授業に出ていない学生のものはすぐにわかります。労働法は,六法を調べながら,労働者保護ということを書いておけば「可」はもらえると思っている学生はかなりいるのですが,授業の最初に述べるのは,集団法では六法をみて書けるような問題は出ないということです。授業に出ていない学生は,そのことを聴いていないのですが,案の定,手も足も出ない結果に終わります(今年はロックアウトの問題を出しました)。一方,毎年,数枚は,よくぞここまで書いてくれたというような素晴らしい答案に出会います。また,少なくとも私の話した内容は正確に理解して答案に反映している答案も,ある程度はあります。前者が「秀」,後者が「優」です。また,結構あるのは,知識が半端だけど,その半端な部分を,自分独自の論理で埋めて,なんとか形にするという答案です。前にゼミ生に聴いたときも,よく勉強していない問題が出たときは,自分の説を構築してしまうと言っていました。こうした答案を読まされると,これまでみたこともないような強引な説に直面することになるのですが,これが答案としてダメかというと,そうは言い切れません。試験は「成果主義」であり,「努力主義」ではありません。十分に勉強していなくても,素晴らしい答案を書くことはありえるのです。ただ,畢竟独自な説をどう評価するかは難しくて,天才的な答案を見落とすおそれもあります。しかし,そのおそれよりも恐ろしいのは,こうしたタイプの答案を読んでいくと,こちらの脳みそが徐々に破壊されていくことです。懸命に理解しようと読んでいるうちに,感覚が狂ってくるのです。といっても,これは困ったことと言いながら,ひょっとしたら凄いことを書いているかもしれないというワクワク感もあり,必ずしも悪いこととは思っていません。ただ過去において,学生の独自の説で,確かにそれも一理あるなと思ったようなものは,ほとんどありませんでした(私が天才的な説を見落としている可能性はありますが)。それでも,自分の説を堂々と書き切れる力は評価に値します。「優」はつけられないことが多いのですが,「良」はつきます。

 ところで,これまでの日本社会で役所や企業で活躍できる人というのは,「優」をとる学生だったと思います。「秀」だと尖がっていて扱いにくい人材かもしれませんが,「優」はきちんと上の人が言ったことを咀嚼して,忠実に答案に反映できるのです。東大に行って,国家公務員試験に合格し,役所に任用されるような人は,みんな「優」をしっかり取れる人たちでしょう。「良」的な人材は,独自の答案を書ける力はあるけれど,組織人としては扱いにくいので,組織社会では出世しにくいのです。もっとも,これからのAI時代は,こうした「良」か,あるいは飛び抜けて優れている「秀」的な人材が必要となるなのですが。

 役人は,問題を与えれば,きちんと上司が満足するような「優」的な答案を書くことができます。どんな難題や筋の悪い問題でも,そこに問題があれば,素晴らしい答案を仕上げてきます。役人に対して,例えば「嘘を隠すためにつじつまを合わせるにはどうすればよいか」という問題を出せば,きちんと素晴らしい答案を書いてくるはずです。ただ,それにも限界があるかもしれません。「「桜をみる会」の名簿について,これを電子データとしても残っていないことにするためには,どのような答弁をすればよいか」という問題は,かなり難度が高いものです。「優」をとりにくい問題でしょう。それと同時に,役人だってロボットではありません。答案を書くことに,良心的拒否をしたくなることもあるでしょう。「優」を書く能力はあるけれど,あえて白紙答案や不出来答案を出して「不可」をとるという豪傑役人が一人くらいは出てきてもいいのではないでしょうかね。

 優秀な学生は,役所に入るとどうなるのかというところを,いましっかりと見ていることでしょう。志をもっている学生であっても,「優」をとる能力がこんな風に使われるなら,役人になんてなりたくないと考えるでしょう。あるいは,自分の「優」をとる能力をふんだんに活用して,バカな政治家を転がしてやろうと考える政治的野心をもつ者もいるかもしれません。どっちにせよ,国家公務員制度は,非常に危険な状況にあるのではないかという気がします。

 

 

 

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