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2019年9月19日 (木)

休み方の知恵

 

 今から30年近く前に,フランス労働法に詳しい野田進教授とドイツ労働法に詳しい和田肇教授の共著で,有斐閣から『休み方の知恵―休暇が変わる』が刊行されました。海外に留学したことのある研究者,とくに欧州に留学した人は,休暇文化の彼我の違いに衝撃を受けることがあります。私も,イタリア留学の経験から,日本の休暇文化の貧困さに嘆き,なんとかならないかと思い続けてきました。欧州留学験のある労働法学者は,ほぼ例外なく,休暇に関する問題意識を高めてきたと思います。

 最近は「働き方改革」の影響で,ようやく問題意識が高まってきているようですが,30年経ってもこの程度の進歩しかないのか,という気がしないわけではありません。

 「休みたい」と言うと,「では仕事がどうなるのか」。これは直接言われなくても,賢明な日本の労働者は,自分で忖度してしまうのです。さらに休まないで働く姿勢を見せることによって,上司の覚えをよくするといった屈折した行動を選択する人も出てくるのです。

 休暇をとるためには,他人に迷惑をかけてよいということが前提でなければなりません。お互い様の精神です。だから職場に休暇など取りたくないという人がいれば,「お互い様」が機能しづらくなり,休暇をとりにくくなるのです。とくに上司が休暇など要らないというような場合には,いっそうそうなります。

 だからこそ法律(労働基準法39条)は,年次有給休暇(年休)の「権利」を労働者に与えているのですが,日本の労働者はもったいないことに,この権利を使い切っていません。ついに2018年の労働基準法改正で,使用者に5日の付与義務を課すことになってしまいました。労働者が年休を取ろうとしないので,企業に取らせるよう義務づけたのです。

 ところで,17日の日経新聞の夕刊で,「自分を磨くスマート有休 職場の理解が第一歩」という記事が出ていました。そこで書かれていたように,年休を取るのには職場の理解が必要というのは,そのとおりだと思いますが,休日にやりたいことを書き出し職場でオープンするということが推奨されていて驚きました。そこまでやらなければならないのか,という感じです。日本の休暇文化を変えるためには,そういうことになるのかもしれませんが,これは伝統的な日本企業のメンタリティを引きずっているみたいで,ちょっと残念です。年休は取りやすくなるかもしれませんが,根本的なところで休暇文化の改善にはつながらないような気がします。

 育児休業のような目的特定型の休みと違って,年休の良さは,職場の誰にも知られずに,自分のプライベートを謳歌するところにあります。法的にも,最高裁の判例が,年休自由利用の原則を認めています。年休をとれば,職場の皆さんに「お土産」を,というのも,法的にいうと,望ましくないことかもしれません。

 前にも書いたように,ワーケーションが健全な(?),あるいは理想的な(?)休暇文化を育てることを阻害することになってはいけないように思います。

 ただ,欧米人だって,休暇中に仕事を持ち込んでいる人はいるぞ,と反論する人もいるでしょう。これはそのとおりです。トップ・エグゼクティブは寸暇を惜しんで働いています。休暇中も仕事を意識している人は少なくないでしょう。でも一般従業員は,そこまでする必要はないのです。そんなに給料をもらっていないのですから。

 もちろん,仕事が気になって休暇中にも仕事をするのは,本人が自由意志でやるかぎりは,他人がとやかくいうことではありません。私だって,年休を海外で過ごしているとき,プールサイドで大学からのメールをチェックしたり,原稿を書いたりすることはあります。でも,これは自分の判断でやっているもので,誰からも強制されたことではありません。強制されたら抵抗するでしょう。

 年休とは,このような意味で,自分の時間をどう使うかの「主権」を完全に個人の労働者に与えるものです。だから,その理想に向かって,私たち日本人は頑張って行きたいなと思っています。どの程度,共感してもらえるかわかりませんが。

 なお年休以外に企業が追加的に特定の目的の休暇を付与することはあり,その場合には,完全に自由な休暇ではなく,その付与目的に縛られるのは当然です。その意味で,休暇を論じるときには,労働基準法で付与されている(自由な)年休と,それ以外の法定外年休とは明確に区別して論じなければなりません。前記の日経の記事は,その点でちょっとミスリーディングじゃないでしょうかね。

 

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