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2019年9月の記事

2019年9月23日 (月)

全世代型

 昨年10月から始まった1年間の充電期間(サバティカル期間)が終わろうとしています。前半はそれまでの仕事の継続や欧州出張などでバタバタしていましたが,後半はひたすらインプットに取り組みました。インプットといっても法律書はほとんど読んでおらず,むしろ法律外的な価値観を吸収して,自分の労働法理論を再点検しようという試みをしてきたつもりです。自分改造の取組です。まだその途上で,すぐに成果は出そうにないですし,いまでも小出しで書いているものは,やはりこれまでの延長線上にあるものにとどまっていますが,自分のなかで思考の変化が起きつつあることは自覚しており,いつかそういうものが書いたものに現れてくればよいなと思っています。おそらく数年後は,若書きだけでなく,ほんの数年前に書いたものであっても,自分で否定していくプロセスに入っていくような予感もあります。

 それにしても,50代半ばでのサバティカルという制度をいただいたのは,有り難かったです(大学の同僚にはご迷惑をかけていますが)。もう少し若い時期にとれたほうが良かった気もしますが,それでも,まだ研究者人生がある程度残されている時期に,「改造」の機会を得られたのはラッキーでした。経営者の方々も,従業員を思い切って1年くらい日常の仕事から完全に解き放たち,充電させてみればどうでしょうかね。

 

 ところで,最近の活動としては,現在発売中のWedgeで,高度プロフェッショナル制度関係のことを書いています。ICTの活用により,働き方の変化がより本格的なものとなるなか,知的創造性を要する働き方の受け皿として,真の意味での「ホワイトカラー・エグゼンプション」が必要となる時代が来ているのではないか,という,いつもの問題意識によるものです(詳細は,拙著『労働時間制度改革-ホワイトカラー・エグゼンプションはなぜ必要か』(中央経済社)を参照)。今回の労働基準法改正で導入された「高度プロフェッショナル制度」では不十分であり,そのことが実際にも露呈してきているというのが,今回の特集の他の記事からも示されています。健康については,もっとテクノロジーを使うべきだという,(これまたいつもの)主張もしています(これについては,拙著『会社員が消える-働き方の未来図』(文春新書)115頁以下も参照してください)。今後は,自分の健康情報をクラウドで管理し,必要に応じて医師のアドバイスを,ネットを通して受けるということが当たり前となるでしょう。健康に不安があるときの医師への相談や診断はネットを通して行われるようになり,医療費の支払いはオンライン決済となり,過去の診断結果や薬の処方も電子的に記録されることになるでしょう。健康情報というセンシティブな情報は,できるだけ個人で管理できるようにすべきであり,それを可能とする技術がすでに実用化されているのです。そのことを前提とすると,会社員に対する企業の健康配慮義務のあり方も変わらなければなりません。当然,健康確保を目的とする労働時間規制のあり方も変わらざるを得ないでしょう。

 こうした健康テックの発達は,社会保障の医療保険制度のあり方の見直しを必要とするでしょう(例えば,健康保険と国民健康保険を分ける実益がなくなっていく)。政府は,「全世代型社会保障検討会議」なるものを立ち上げたようで,大変立派な方が委員になっておられますが,新しい時代に対応した新しい発想で社会保障を語れる人がどれだけいるかと考えると,ちょっと絶望的な気分になります。60歳以上の人が大半を占めるような会議に,将来を託すことができるでしょうか。有識者の「識」がどんどん陳腐化している現状を政府が十分に理解していない(あるいは理解しているが,改革を「やったふり」するだけで,本気でやることなど考えていない)のではないか,という疑念があります(まあIT大臣の人選などをみると,安倍首相は,先端技術をなめているとしか思えませんし)。

 ところで,ご連絡がおそくなりましたが,中央公論の9月号(先月号)に,ジャーナリストの田原総一朗さんとのインタビューが掲載されています(AI関係)。拙著の『会社員が消える』を読まれたということで,声がかかりました。 初めてお会いしたのですが,切れ味のよい質問を次々と繰り出されて,たじたじとすること度々でした。問題意識が鮮明で,鋭敏な時代感覚もあり,さすが一流のジャーナリストだということを,(スカイプを利用していたので)ネットを通してではありますが十分に感じられました。掲載されたのは一部分にすぎないのですが,私としては貴重な機会となりました。田原さんの年齢は,Wikipediaでみると85歳でした。周りのサポートはあるのでしょうが,スカイプのインタビューを普通にこなされているというのも,その年齢を考えると驚きです。

 つまり大切なのは年齢ではないのです。年齢が上でも田原さんのような「有識者」にふさわしい方もいれば,若い20代,30代,40代でも,新しい時代を語れる「有識者」がいると思います。「全世代型」というなら,本気で全世代の有識者を集めたらどうでしょうかね。

 

2019年9月19日 (木)

休み方の知恵

 

 今から30年近く前に,フランス労働法に詳しい野田進教授とドイツ労働法に詳しい和田肇教授の共著で,有斐閣から『休み方の知恵―休暇が変わる』が刊行されました。海外に留学したことのある研究者,とくに欧州に留学した人は,休暇文化の彼我の違いに衝撃を受けることがあります。私も,イタリア留学の経験から,日本の休暇文化の貧困さに嘆き,なんとかならないかと思い続けてきました。欧州留学験のある労働法学者は,ほぼ例外なく,休暇に関する問題意識を高めてきたと思います。

 最近は「働き方改革」の影響で,ようやく問題意識が高まってきているようですが,30年経ってもこの程度の進歩しかないのか,という気がしないわけではありません。

 「休みたい」と言うと,「では仕事がどうなるのか」。これは直接言われなくても,賢明な日本の労働者は,自分で忖度してしまうのです。さらに休まないで働く姿勢を見せることによって,上司の覚えをよくするといった屈折した行動を選択する人も出てくるのです。

 休暇をとるためには,他人に迷惑をかけてよいということが前提でなければなりません。お互い様の精神です。だから職場に休暇など取りたくないという人がいれば,「お互い様」が機能しづらくなり,休暇をとりにくくなるのです。とくに上司が休暇など要らないというような場合には,いっそうそうなります。

 だからこそ法律(労働基準法39条)は,年次有給休暇(年休)の「権利」を労働者に与えているのですが,日本の労働者はもったいないことに,この権利を使い切っていません。ついに2018年の労働基準法改正で,使用者に5日の付与義務を課すことになってしまいました。労働者が年休を取ろうとしないので,企業に取らせるよう義務づけたのです。

 ところで,17日の日経新聞の夕刊で,「自分を磨くスマート有休 職場の理解が第一歩」という記事が出ていました。そこで書かれていたように,年休を取るのには職場の理解が必要というのは,そのとおりだと思いますが,休日にやりたいことを書き出し職場でオープンするということが推奨されていて驚きました。そこまでやらなければならないのか,という感じです。日本の休暇文化を変えるためには,そういうことになるのかもしれませんが,これは伝統的な日本企業のメンタリティを引きずっているみたいで,ちょっと残念です。年休は取りやすくなるかもしれませんが,根本的なところで休暇文化の改善にはつながらないような気がします。

 育児休業のような目的特定型の休みと違って,年休の良さは,職場の誰にも知られずに,自分のプライベートを謳歌するところにあります。法的にも,最高裁の判例が,年休自由利用の原則を認めています。年休をとれば,職場の皆さんに「お土産」を,というのも,法的にいうと,望ましくないことかもしれません。

 前にも書いたように,ワーケーションが健全な(?),あるいは理想的な(?)休暇文化を育てることを阻害することになってはいけないように思います。

 ただ,欧米人だって,休暇中に仕事を持ち込んでいる人はいるぞ,と反論する人もいるでしょう。これはそのとおりです。トップ・エグゼクティブは寸暇を惜しんで働いています。休暇中も仕事を意識している人は少なくないでしょう。でも一般従業員は,そこまでする必要はないのです。そんなに給料をもらっていないのですから。

 もちろん,仕事が気になって休暇中にも仕事をするのは,本人が自由意志でやるかぎりは,他人がとやかくいうことではありません。私だって,年休を海外で過ごしているとき,プールサイドで大学からのメールをチェックしたり,原稿を書いたりすることはあります。でも,これは自分の判断でやっているもので,誰からも強制されたことではありません。強制されたら抵抗するでしょう。

 年休とは,このような意味で,自分の時間をどう使うかの「主権」を完全に個人の労働者に与えるものです。だから,その理想に向かって,私たち日本人は頑張って行きたいなと思っています。どの程度,共感してもらえるかわかりませんが。

 なお年休以外に企業が追加的に特定の目的の休暇を付与することはあり,その場合には,完全に自由な休暇ではなく,その付与目的に縛られるのは当然です。その意味で,休暇を論じるときには,労働基準法で付与されている(自由な)年休と,それ以外の法定外年休とは明確に区別して論じなければなりません。前記の日経の記事は,その点でちょっとミスリーディングじゃないでしょうかね。

 

2019年9月10日 (火)

若き日のマルクス

  不思議なことに(?),近年,マルクス(Karl Marx)のことを口にすることが増えてきました。世の中では,マルクスからまだ学ぶことがあるのではないか,という議論も有力です。『共産党宣言(Manifest der Kommunistischen Partei)』は読み物としても面白いですし,難解な『資本論(Das Kapital)』はよくわからない部分が多いものの,いまでも参照しなければならないことが少なくありません。
 ところで『資本論』の第1巻第3編第8章「労働日(Der Artbeitstag)」のなかに,労働者階級の資本家階級への憎悪をかきたてる有名な言葉があります。ルイ15世の愛妾(妾といっても公けの存在)で,贅沢三昧の生活を送り権力を握っていたとされるブルジョワ階級出身のポンパドール夫人(Madame de Pompadour)のAprès moi le déluge(洪水よ。私の亡き後に来たれ)を引用したあとの,「Das Kapital ist daher rücksichtslos gegen Gesundheit und Lebensdauer des Arbeiters, wo es nicht durch die Gesellschaft zur Rücksicht gezwungen wird.」(それゆえ,資本は,社会によって強制されない場合,労働者の健康や寿命を顧みたりしない)というフレーズです。労働運動家の好きなフレーズですが,西谷敏先生も,ご著書の『労働法の基本構造』(2016年,法律文化社)9頁で引用されています。
 私は,ここにみられる資本家「性悪論」的な立場からの労働法には根本的な疑問を感じており,ここはきちんと理論的に明確にしなければならないという意識をずっともっています。このことが,私の頭からマルクスがなかなか離れない原因の一つです(もちろん,唯物史観は,資本主義までの分析は実に興味深いものであることは事実です)。
 そういうことがきっかけだったわけでもないのですが,ビデオで2017年の映画「Le jeune Karl Marx」(なぜか邦題は,「マルクス・エンゲルス」)を観ました。ジャーナリストであったころの若き日のマルクスが,エンゲルス(Friedrich Engels)と出会い,『共産党宣言』を書くまでのことが描かれています。どこまで忠実に歴史を反映したものかわかりませんが,当時の時代の雰囲気を味わうことができたのが良かったです。佐々木隆二『カール・マルクス:『資本主義』と闘った社会思想家』(ちくま新書)を読んだあとにみると,より理解が深まると思います。

 

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